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2014年03月15日 (土) | Edit |
今回は、僕が音楽を聴く時の傾向について、とりとめなく書いてみます。どうなることか。

曲

クラシックの場合、基本的に(A)と(B)は分離されています。そして、僕の(B)の領域に向かう意識は比較的希薄です。誰が演奏しても不変の部分、つまり作曲者自身にアプローチしようとする傾向が強いという事です。

クラシックの場合、僕はほとんどベトベンしか聞かないわけですが、例えば、グレングルドさんのピアノソナタは聴き辛く感じて敬遠気味です。なんかベトベンさんにアクセスし辛いと言うか。。。僕のコレクションの中では、ポリーニさんのが一番ベトベンにアクセスしやすく感じます。交響曲だと、フルトベングラさんのが好きですが(僕のイメージする大好きなベトベン オヂサンさんにアクセスしやすい)、録音が古く特に2番と8番は聴き辛いので、ブロムシュテットさんのも良く聴きます。これも聴きやすいです。

以前にも書いたように、ドロドロとした地の要素が希薄なクラシックには余り興味が向かわない僕ですが、ベトベンだけは例外です。中3の僕はビトルズをきっかけに音楽への興味を一気に深め、ジャズの鍵も開き、親父のクラシックレコードも片っ端に聴いてみたわけですが、ベトベンだけは他とは違う、ベトベンだけはクラシックぽくない、ベトベンだけはカッコイー、ベトベンだけはチャラチャラしていない、ベトベンだけはオゲージツっぽくない、ベトベンだけは音楽を造ってイナイ。。。と感じました。

「音楽を造っていない」というのは、説明が難しいのですが、当時の僕風に言えば「チャラッ」としていない(音に必然性があって装飾性が少ない、って事かな?)、あるいは「音楽のために音楽を造っているのではない」と言えるかもしれません。つまり、彼の深奥にある全く独立した一個の人間としての確固たる一貫した揺らぎ無いナニカ(信念とか思想とか世界感とか理想とかをひっくるめたヤツ、あまり宗教的ではない)を人々に「俺様には世界がこう見える」「俺様は世界がこうあって欲しいと願う」ドヤ?と問いかける、投げかける、開示する、主張するための手段(あるいはインターフェイス)として「音楽」という表現手段を徹底的に使い倒した、そのような音楽の可能性を切り開いた。。。というように感じるという事です。

そして、僕は、ベトベンがドヤ!と問いたかったであろうナニカに強く惹かれるので、彼の音楽をつい好んで聴いてしまうという事なのでしょう。もっと簡単に言えば、僕はベトベンというオヂサンが大好きなのだと思います。ボンの安酒場で酔っぱらって「人間」の自由、平等、博愛や芸術やナンヤカンヤを大声で議論しているベトベンを聴いてみたい。できれば、全く畏れ多い事ですが、一緒に酔っぱらって徹夜でナンヤカンヤ議論して騒ぎたい。。。そいう事です。

さて、僕が最も好むジャズの場合、特にジャムセッションでは(A)と(B)は渾然一体でありリアルタイムにどんどん進行します。曲自体は最初と最後の旋律(テーマ)とコード進行を決める程度のごく緩いモチーフに過ぎません。しかし僕は余りジャムセッションやライブ盤を好みません。ジャズでも、僕の場合、個々の奏者の演奏自体に向かう興味は希薄であるように思えます。このへんが、僕が50年代よりもコンセプトが多様化/深化した60年代以降を好む1つの理由なのかもしれません。

50年代で僕が好んで聴くのは、モンクさんとミンガスさんくらいです。ロリンズさんは最近アルバムを何枚か購入して聴いてみましたが、サキコロ以外はやはりイマイチ。学生時代にSONYビッグスペシャルでエアチェックしたロリンズ集を他の50年代作品と一緒にその後躊躇無く大量破棄してしまったのも頷けます。50年代にはスタープレーヤーが星の数ほど居ますが、彼らには興味がありません。ですから、ミンガスやモンクのアルバムに参加している個々の演奏メンバーが誰であるのかにも、とんと興味がありませんし、全然知りません。僕は、モンクやミンガスという強烈な主張を持ったアーチストが強烈なリーダーシップを発揮して作り上げた作品に惹かれるという事なのでしょう。

そういう意味で、僕にとっては60年代が最高です。マイルス、コルトレーン、オーネットコールマン、ジミヘンドリックス(僕の中ではジャズのヒト)、ちょっと格が落ちてウェスモンゴメリ、セシルテイラー、ドンチェリー、ヘイデン等々。。。最近、聴く範囲を拡げようと、ネットやラジオで気に入ったのをCDで購入してみたのですが、今のところ当たり無し。アキマセン。。1曲だけ良くても、アルバムとしてはツマランというのが多いです。30年かけて淘汰してきたコレクションなので、これに食い込めるアーチストさんはなかなか見つかりません。新しいヒト、新しい音楽、出てきてクレー-!と叫びたい。

優れた一流のジャズ演奏家は星の数ほど居ますが、強烈な探求心、コンセプト、集中力、リーダーシップを発揮してジャズの歴史の中で1本の太い幹を押っ立てた真のアーチストさんはそうそう居ません。ハビハンコックやウェインショータやロンカータですら、アーチストとしては、とてもその域に達したとは言えないでしょう。あのマイルスの60年代の優れた作品群は、マイルスの強烈なコンセプトとリーダーシップがあったればこそだという事です。リーダーとして、毎回コンセプトを進化および深化させながら、一貫して高いレベルでコンセプトの明確な一連の作品群を作り続け得たアーチストさんは十指どころか五指にも満たないでしょう。そして、僕はそのようなアーチストさんと作品群に惹かれる傾向が強いと言えます。

ついでに、ロックに関しても、僕の演奏自体に対する興味は希薄でした。当時の音楽好きの同級生達は、ビトルズは演奏が下手だと下に見る傾向が強く、クラプトンやツェッペリンとかにご執心でした。確かにビトルズの演奏はポールのベースを除けば悲しいほどに下手くそだと思いますが、ビトルズ以外のロックはどれを聴いても、演奏は高度で洗練されてはいても内容的にはビトルズを超えない(あるいはその範疇にある)ように聞こえて、大して興味がわきませんでした。今でも、ビトルズだけは違う、ビトルズだけは凄い、ビトルズだけは特別だと思います。

話はまた、ジャズに戻りますが、ジャズ好きの村上春樹さんによると、80年代初頭に「ジャズの救世主」と騒がれたウィントンマルサリス(tp)に比べると、マイルスの演奏は随分下手くそなのだそうです。しかし、僕はマルサリスのオボッチャマンな演奏からはナーーーーーーーニモ感じる事ができず、随分がっかりした記憶があります。要は、その演奏を通して、何処にもアクセスできなかったという事です。「音楽」に過ぎない。。どこが救世主やねん!と。。

80年代初頭と言えば、ジャコこそがジャズの救世主であったと思うのですが、品行方正とはとても言えぬパンクなジャコ君では、スノッブでお上品なジャズファン達にはとても受け入れられなかったのでしょうねぇ。ジャコの評価は、一部の間では(特にミュージシャンの間では)非常に高いですが、もっと一般的に(ベース奏者としてだけでなく)高く評価されるべきだと僕は勝手にプンプンしています。プンプンプン。

書き殴ってたら長くなってしまいました。
トリトメナクてスミマセン。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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