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2014年03月09日 (日) | Edit |
前の記事からの続きです。
もう一度「音楽を聴かずに音を聞く」とはどういう事かを、図を使って考えて見ます。

前の記事では、リスナの意識は再生音を起点として上層へと遡り、作者のプロセスを追体験すると書きました。
なんかM
(D)は(C)より上層をリスナに伝達するために存在し、(C)は(B)より上層を下層へ伝達するために存在し、(B)は(A)より上層を下層へ伝達するために存在し、最終的に(A)は作者より上層(超感覚界のナニカ)を下層へ伝達するために存在します。各層は、リスナの意識を1つ上位の層へと誘うインターフェイスであり、作品全体はリスナと作者の間を結ぶインターフェイスであり、さらに言えば、作品と作者はリスナを超感覚界に接続するためのインターフェイスであると見なす事ができます。自分が真に求める本当に大好きな音楽を全く素直に聴くならば、そしてそれが優れた作品であるならば、意識は自然と上層へと導かれます(だからハチマルはフニャーーとモードチェーーーンジする)。

これに対し、オヂオマニア達の典型的な行動や言動からは、下記のような意識の流れが明らかに見て取れます。また、彼らの行動や言動は不気味なほどに画一的であるように僕には見えます。
なんかA
彼らの意識の重心は(D)再生装置(物質界)に強く偏向しています。とにかく装置の微細な違い(コセー)をこと細かに聞き分けようとする意識が異常に強く働くという事です。さらに、その根底には、常になんか新しいソーチを買いたいという強い物欲衝動が働いているように見えます。それこそが彼らの行動の根底にある真のモチベーションではないかとすら思えます(だって、新しいソーチを買うには今のソーチと音がナンカ違ってもらわないと困りますから)。。。

作品に対しては、装置の個性が出やすい(C)音場響き(リンヂョカンとかフンイキ)および(B)音色(オトソノモノ)の領域に強い興味を示し、どの装置で再生しても差の出にくい(A)以上へと向かう意識は、それよりも下層へ向かう意識に比べると明らかに希薄です。従って、彼らの意識は上図とは逆に下層へと向かうかのように僕には見えます。上図とは向きが180°グルっと異なるという事です。

これではまるで、作者ではなくオヂオヒヨロンカを追体験しようとしているようなものです。

オヂオヒヨロンカ達は職業柄、装置の違いをこと細かにキキワケテ記事を書かざるを得ません。例え同じに聞こえたとしてもナンカ書かないとイケマセン。。。。当然ですが、それは本来の目的である「音楽を鑑賞する」ための聞き方(意識の置き方)とは全く異なります。マッタクです。グルっと180°違います。あくまでも装置をシチョーしてナンカ記事を書くための聞き方だという事です。そして、マニア達は、そのようなヒヨロンカ達の聞き方をそのまま追体験しているかのように僕には見えます。ハチマル用語でこれを「オヂオヒヨロンカごっこ」と言う。

彼らにとって憧憬と敬意の対象(ヒーロー)はアーティスト(または作品)ではなく、ヒヨロンカ(または高級装置)であるようです。

マニヤ達は、憧れの高級装置をセッタクのゴヂャスなリスニングルームで片っ端にシチョーしてこと細かにキキワケて形容詞をいっぱい並べるそのようなオヂオヒヨロンカ達に強い憧憬の念を持ち、そのような聞き方がまるでエラクてジョートな音楽の聞き方のお手本であるかのように思い込まされているようです(ショップもこれを笠に着て「音楽をマトモ(どこがマトモやねん?ですが)に聞くなら最低ヒャックマンエン」と来る)。オヂオヒヨロンカあるいはソーチ自体を憧憬の対象(ヒーロー)に据えるこの傾向は、彼らの言動に見え隠れする音楽または音楽家に対する傲慢な態度にも現れています。

全体として、彼らは、作者自身にも確たる事は良く分からない精妙なる「高み」に向かって低層にある自分から真摯にアプローチするのではなく、音楽を低層にある自分にも分かりやすい卑近なレベル(装置由来の音響現象とか癒しとかフンイキとか)へと傲慢にも引きずり降ろそうとする傾向が見られます(分かりにくい高みにあるものを卑近なレベルに引きずり降ろして安直に分かったような気になろうとする傾向は、最近の世の中全般にも強く感じられる)。

ここで音楽家達の発言を再掲します。以上と照らし合わせて、もう一度彼らの発言についてよく考えて見てください。
「ぼくたち指揮者は一生懸命音を混ぜようとしているのに、どうして君たちオーディオマニアはそれを分解して聴こうとするんだい?」

「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている。」

「良いスピーカーでゴージャスサウンド聴くのはオーディオマニアだから自分はこれで十分」

「みんな仲良く、世界中が同じ音質で聞けるようにしてくれー」

「音楽家の多くは高精度のハイファイ音を楽しむのではなく、音楽の本質を聴く。したがって、彼等は名演奏であれば、SPから再生されたCDでも満足して聴いていることが多い。」


もちろん、音楽をどう聞こうが、個人の勝手です。
しかし、
もし僕が音楽家であったなら自分の作品がそのように聞かれる事は悲しいですし、もし僕が教育者であったなら生徒達にはそのような音楽との接し方を絶対にして欲しくありません。音楽は我々人間に最も直接的に働きかけ得る表現形態です。多感な青少年少女の時期に音楽をあのような態度で聞く習慣が身に付いてしまうと、文学を含む他のアートとの接し方にも大きく悪影響を及ぼすでしょう。ショップや業界には、これから音楽を真剣に聴き始める若い人々や、音楽をよりよく聞こうとしてちょっと上等なオーディオ装置の購入を検討する人々(例えばLEANAUDIO着手前の僕とか)を、ソチラ方面の魔境に大っぴらに引きずり込まないで欲しいと願います。また、そのような人達のために本当にマジメに作られた妥当な価格の真のオーディオ製品が各社から出回るようになって欲しいと願います。そして、ヂャナリズムには、マニア視点(コマケーナンタラカンとか)ではない本来の音楽視点から、そのような装置を正しく客観的に評価して人々(マニアではない)に真に有用な情報を提供して欲しいと願います。


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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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