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2014年02月22日 (土) | Edit |
約5年前、必要に迫られて、それまで全く興味のなかったオヂオを取り巻く状況を覗いてみて、大いなる違和感を覚えたというか、全く呆れたわけですが、オヂオ趣味って他の趣味に比べてなんだか「エラソー」にしているなぁ。。という感想も持ちました。

なんなんだろう、この「エラソー」な感じは? 大型家電量販店のオヂオコーナーの店員のオニーサンですら、他の店員さんに比べてなんだか態度がエラソーでした。TV売るのと何がチャウというのか? これぢゃぁ、専門店が「音楽をマトモに聴くなら最低ヒャクマンエン」といけしゃーしゃーと抜かすのも当然か?。その「マトモ」が僕には到底「マトモ」な聴き方とは思えないのですが。。。

どして?なんで?シュミノオーサマなの?王様?どこが?サイテーヒャックマンエンでお金を一杯払うから?それならスーパーカーマニアの方がもっと偉そうにしてても良さそうなものだが。。

通常、どの趣味分野でも「いやーお恥ずかしい。。とんだ道楽で。ポリポリ。でも、楽しいから、好きでたまらないからやってるんですよ。」的な雰囲気がそこはかとなく漂うものですが、どうもそのへんの感覚がオヂオでは異なります。
さまざまな分野のコアな趣味の人々は、自分達は特定の偏狭な(コアな、先鋭化した)価値観を共有する者の集まりであり、価値観を共有しない者からは隔絶している事を重々わきまえています。ソレハソレコレハコレをワキマエテイルという事です。オヂオ界における最大の問題は「オヂオ趣味」と「オーディオ」のソレハソレコレハコレが明確に認識されていない事であろうとは何度も書いて来ました。

このように感じるのは僕だけではないようで、アキバ系オタクさん達の板を見ると、彼らの間でもオーオタ(彼らはオヂオマニヤをそう呼ぶ)系の評判は芳しくありません。アキバ系オタクの世界は、非常に細分化されているらしく、例えばアニメ系オタクでも多数の系統(同人の会)に分かれるそうで、価値観の異なる別系統のオタクにはお互い干渉しないというのが彼らの不文律なのだそうです。普通「趣味」とはそいうものですよね。価値観を共有しない者には全く関係のない世界ですから。従って趣味の「王様」は存在し得ません。本人にとって最も楽しい趣味が、そのヒトにとっての「王様」です。ところが、オーオタはなんか偉そうに垣根を乗り越えて入り込んできて、自分達の価値観を押しつけようとするのだそうです(他人のソーチをけなす、アーシロコーシロという)。価値観を共有するオーオタの同人の中だけでやっていれば良いものを。。。。なんとなく、その雰囲気分かります。僕にも。。。

また、オンガクセーとか、オンガクカノヂョーカンとかヂョーネンとか、カンセーとか、普通そうやたらとお気軽に使うには気が引ける、日常的に使うにはちょっと気恥ずかしく感じる言葉が、とってもお気軽になんだか便利に使われている事にも驚きました。。僕は、今でも気恥ずかしいので、ブログではカタカナ表記にしています。そして、それらの文言は、自分達のやっているコアな(偏狭な、先鋭化した)趣味的価値観を一般に向けて正当化しようと自分達に都合の良いように用いられる事が多いように見受けられます(「マニヤは音楽ではなく音を聞いている」とよく言われる事への反動なのでしょう。きっとね)。これは自分達のやっている事がソレハソレコレハコレのソレである事を認めたくないという態度とも受け取れます。なぜ、他の趣味のように、それを受け入れようとしないのでしょうか?「趣味」とはソモソモそういうものなのに。

また、そのような彼らの言葉の端々には、音楽あるいは音楽家に対する傲慢さが見え隠れし、ドキッとさせられる事も多々ありました。このような傾向は、彼らに強大な影響力を持つオヂオヒヨロンカ(オヂオヂャナリズム)に因るところが大きいのでしょう。彼らヒヨロンカは実際には「オーディオ」評論家ではなく、「オヂオ趣味」ヒヨロンカに過ぎません。本来の用途である音楽ではなく装置側に価値観の重心を置くオタク代表という事です。そのような価値観を象徴するのが「レコード演奏家」という言葉でしょう。「家庭音響技師」とかいうなら納得できますが、「レコード演奏家」という言葉には音楽および音楽家に対する傲慢さが見え隠れします。誰かがそのような言葉を真顔で使うのを見ると、かえってコチラが赤面してしまいます(聞いてるこちらがなんか恥ずかしくなる)。最近は言うに事欠いてオヂスト(audist)と言っているそうです。ピアノの演奏家はピアニスト、バイオリンの演奏家はバイオリニストだから、レコード(オヂオ)演奏家はオヂストという論理なのでしょう。ところが、この単語の本来の意味は

audist
【名】聴覚障害(者)差別主義者◆【参考】audism

だそうです(英辞朗)。なんだか絶妙なギャグですよ、これは。賤しくも大衆に広く影響を及ぼすプロフェッショナルとして、このナイーブさ(ドッシロート臭さ)は如何なものでしょうか。これはもっとハズカシイ。。。。

僕は決してオヂオ趣味を否定するつもりはありません(だって他人の「趣味」ですから)。しかし、それはあくまでもコアな偏狭な価値観に基づく「趣味/道楽」であり、ソレハソレコレハコレのソレである事を、やっている本人達と周囲がしっかり正しく認識していない事に問題があると考えます。それが明確に認識されるのであれば、ナンニモ問題はアッリマセン。だって「趣味」ですから。

例えば、鉄道界における鉄道趣味の存在は健全であるように見えます。一般からもすっかり認知され、今や老若男女を問わず、多くの人々がそれはそれは様々な形態で素直に自由に鉄道趣味を楽しんでいます。彼らは「オトハヒトナリ」とか「ツイキュ」とか大層な事を言いません。なぜならば、一般に対して自分達の価値観を正当化しようなんて微塵も考えないからです。彼らは一般鉄道利用者よりエライとかジョートとかコーキュなんておくびにも考えないでしょう。鉄道が大好きで「自分」にとって「楽しい」からやっているだけ。趣味ってそういうものですよね。今、敢えて趣味の王様を挙げるならば、それは鉄道趣味でしょう。

お若いの。。オヂサン達は、オヂオ装置のブツとしての佇まいや質感に深い魅力を感じ、それをアレヤコレヤ組み合わせてイロイロ微妙に異なるように聞こえる(ような気もする場合もある)音で「音楽を鳴らす」のが楽しくて楽しくてしようがないからやっているのだよ。ただの物数寄さね。。だから、本当に音楽を聴きたいなら、オヂサン達のような事をする必要はなく(というか、しちゃぁイケネーよ)、マジメに作られた実用的な装置(それがナカナカ無いのが問題だが)でタクサンいろいろな音楽を聴いて、本当に自分が大好きな音楽を見付けなさい。。何も今オヂオをやるこたぁねぇやね。そうして、余程ヒマと金をもてあますようになったら、またオヂサン達のところに来なさい。そうしたら泥濘の世界に引きずり込んであげよう。。。。。ってな、お大尽のシブイオトナの趣味なら何も問題は無いのですがね。。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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