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2014年02月08日 (土) | Edit |
とんだ大騒ぎですね。

僕は聞いた事がない(聞いたかもしれないけど記憶に残っていない)ので、YouTubeで少し聞いてみました。全くのクラシック風クラシックですね。HIROSHIMAというタイトルからは、タケミツ的というか、もっと現代音楽的な内容を勝手に想像していました。表現としては別に新しくもなんともなく、映画音楽みたいダナ。というのが僕の最初の印象です。僕は映画STAR WARSが大好きで(ハリウッドが遺した最良の功績とすら思う)、組曲のCDもよく聞きます。そういった類の音楽であるかのように聞こえたという事です。そういえば、息子がニンテンドDSでやっているポケモンの音楽も随分立派なクラシック風なので驚きました。

作曲者である新垣氏の本来の作品はもっと現代的です。


新垣氏にとっては、アルバイトのような気楽に引き受けたオシゴトだったのかも知れません。新垣氏のような形態で楽曲を提供している音楽家は他にもたくさん居られるはずです。ところが、相手が悪かった。やたらハッタリの効いた、大衆に非常に分かりやすい似非オゲーヂツカを、マスコミ(と大衆)がよってたかって巨大な虚構(怪物)にまで膨れ上がらせてしまったという事でしょう。サムラゴーチは非常にテットリバヤク大衆に訴求しやすい素材ですからね。恰好の餌食ですよエヂキ。。新垣氏だけでなくサムラゴーチの方も、どんどんニッチモサッチモ行かぬ深みに追いやられてしまったのではないでしょうか。マスコミと大衆ほど恐ろしい存在はアリマセン。オーーーコワ。。クワバラクワバラ。

何度も書いたように、僕はアートに興味を持ちだした高校生の頃から、極力予備知識を仕入れずに作品に接するよう心掛けてきました。特にヒヨロンカの書いたものは一般的に毛嫌いします。ヒヨロンカという人種を基本的に信用しないという事です。そして例の「フニャーーーーーーーー」と意識を弛緩させてニュートラル状態にするために、モードチェーーーンジします。シューーーーっとね。

そもそも、アートを鑑賞するにおいて作品をどう鑑賞し、どう解釈し、どう評価しようが全く「自分」の勝手であり、全く「自分」の自由です。「自分」だけが頼り。「自分」は何が好きか?何を良いと思うか?なんて誰かに教わる事など絶対にできません。その点において「鑑賞」する行為は「表現」する行為と全く同じです。だいたい、この不自由な世の中、全く「自分」の自由になる事くらい、全く「自分」の自由にやれば良かろうと思います。本当に「自分」が惹かれる聞きたい音楽を誰に憚る事なく楽しめば良いという事です。

欧州でヒヨロンカという職業が生まれた経緯を読んだ事があります。
いわゆる「クラシック」音楽や古典絵画等、現在では「芸術」と呼ばれる作品群は、貴族達の依頼によって貴族達のために作られました。貴族達はオーナー(出資者)なわけですから、誰にはばかる事なく、誰におもねる事なく、全く「自分」勝手に「自分」の鑑識眼に沿って作品を評価しました。しかし時代が進み、アートが大衆に親しまれるようになると、大衆は専門家による評価や解説を望むようになり、それに応えるために、それを職業とするヒヨロンカがマスメディア(当時は新聞)で活躍するようになったと言われます。大衆としては世間で「良い」とか「コーショー」とされる「ジョートー」な作品を聞いていれば「安心」できるという事なのでしょうが。。。アーチストはマスメディア(ヒヨロンカ)+大衆といった「化け物」を相手に作品を作らねばならなくなりました。そして、現代、この化け物はケーザイという別の化け物と合体して手の付けられない恐ろしい魔物となってしまいました。

ゲーヂツカの天敵はヒヨロンカ(マスメディア)とそれを盲信する大衆だと、僕は常々想います。クワバラクワバラ。。。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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