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2013年10月08日 (火) | Edit |
さて、今回から、ジャズについて掘り下げて考えてゆきたいと思います。といっても、全く先は見えません。どうなる事か?

まず、西洋音楽について。。。
ここで言う西洋とは、ローマカトリックの支配権にあった地域を指します。ルネサンス以前の中世では、世界観や思想は教会によって厳しく規制されており、これに反する考えは異端とみなされて悉く罰せられました。コペルニクスさんの「地動説」もそうでしたよね。個人が自由勝手にこの世界を探索する事ができなかった時代です。そして、全ての知的/精神的活動は修道院で営まれました。これは後に僕達のよく知る「科学」や「芸術」に発展する1つの母体となりました。一方、もう1つの母体となるべき輝かしいギリシャ時代の知的遺産は教会によって異端とみなされ、当時の西洋からは放逐されていました。しかし幸いな事に、この遺産はイスラム圏で大切に大切に本当に大切に継承されていたのです。当時、西洋よりもイスラム圏の方が遙かに文化的に進んでいたようです。

そんな西洋も16世紀になると、「神さん(教会)の言わはる通り」ではなくて「自分達で(人間が)」「ホンマの事を(世界の仕組みを)」「知りたい」という衝動を教会が抑えきれなくなります。素直に世界を見てみると、教会の言う事に色々と矛盾がある事がわかってきたのでしょうね。地動説が良い例です。これが「ルネッサンス!」です。「ホンマの事を自分で知りたい!」という「知への渇望」がルネッサンスの基本的原動力だと言われます。

そして西洋の人々はイスラム圏に教えを請うてギリシャの知的遺産をオベンキョしなおし、「人間の理性」でもってこの世界を読み解こうとし始めます。イスラム圏はキリスト教圏よりも異教に対してずっと寛容であったようです。これが「科学」(Science)の起源です。「キリスト教 + ギリシャ文明 = 僕達の知る西洋文明」と言えるかもしれません。

ここで、コミック「のだめカンタービレ」の千秋が常任指揮者を務めるマルレオケのコンマス(シモンさんだっけ?)が団員達に語った言葉を再掲します。

「アンサンブルの神髄はハーモニー。要するに『調和』だ」
「この調和は古代ギリシャ時代の『ハルモニー』と呼ばれ、キリスト教社会になった時『神の作りたもうた世界は素晴らしい調和によって創造されている。その調和の根本原理は数の関係によって成り立つ』」
「それを探求することによって、調和の謎が解明でき、神の世界をより詳しく知る手がかりを得ると考えた」
「音楽の本質は『調和』にあるのだ。それを表現するのが真の『音楽家』なんだ」


実は、これを盗み聞きしたノッダメちゃんが、帰宅してから千秋にこの事を伝えます。これに対し、千秋は下のように解説します。

「それってポエティウスや、グイード・ダレッツォが言ってたことだと思うけど」
「1500年くらい前は、神の作った世界の調和を知るための学問が、天文学、幾何学、数論、音楽だったんだ」
「本来、音楽(ムジカ)とは、調和の根本原理そのものを指していて、理論的に調和の心理を研究することが『音楽』だった」
『理性の力によって作品全体に対し入念に音楽を判断できる人』を『音楽家(ムジクス)』といって、ただ音を歌ったり、演奏する人を『歌い手(カントル)』と言った」「『カンタービレ』の語源だよ」


西洋音楽は、神が創造したもうた世界の調和を「理性の力で」知るための学問として発祥し、天文学や数学と同じように扱われた。つまり「科学」(Science)と同根であるという事です。

ルネッサンスの原動力は「知りたい!」ですが、そのアプローチにおいては「人間の理性」の可能性に絶大な信頼が置かれました。いわゆる「ヒューマニズム」(人間中心主義)です。それまでの「神さん一辺倒」に対する反動かも知れません。人間の理性だけで世界の全てを知り得ると信じたという事です。今で言う科学万能主義に近いでしょうか。日本の歴史のように「神さんも人間も、分からん事も分かる事も、まぁまぁエーグアイに」と穏やかには事が進みませんねぇ。。。

しっかし、20世紀になると、まず芸術家達が「理性だけで世界を探求するのは無理とちゃう?」と気付いて行動を興します。ヨーロッパを主戦場とした人類初の世界大戦を経て、「人間の理性」を信じきれなくなったという面もあるでしょう。例えば、ピカソら画家達はアフリカの芸術(アニミズム)に強い影響を受けました。これは実は画期的な事で、それまで西洋人はアニミズム的土着文化を低く見る(蔑視する)傾向が強かったからです。さらに、芸術家達は、理性を解放した無意識の世界を探求しようとする一大ムーブメント「シュールリアリズム」を興します。音楽では、「原始主義」と呼ばれたストラビンスキーの「春の祭典」が初演され、楽壇をセンセーショナルな賛否両論の渦に巻き込みます。ルネッサンス以来の「理性信仰」への挑戦あるいは否定ですからね。この反響は凄かったらしいです。僕達にもっと身近なところでは、ビトルズでもお馴染みの、東洋哲学への傾倒やドラッグの利用によるサイケデリック ムーブメントがありましたよね。

第二次大戦を経て、ちったぁ賢くなった?僕達現代人は、科学で全てを知り得るあるいは解決できるとは誰も信じていませんよね。科学はとっても分かりやすくて強力だけど、この世界を極めて「限られた」観点または断面でしか見れない限定的専用ツール群に過ぎません。あ、と脱線しそう。。。。今回はジャズまで辿り付けそうにありませんね。

今回の結論として、
- 西洋音楽はキリスト教に深く根付く「天」を指向する音楽である事
- 「天」へのアプローチにおいて「理性」に重きが置かれたという事(Scienceと同根)
の2点が重要かと思います。

さて、次回はいよいよジャズにアプローチを試みます。
西洋音楽が「天」を指向するのに対し、ジャズは「地」を指向する。というオハナシになる予定です。オッタノシミに!

追記
ここに書いてある事は、まず何よりもビトルズ以来様々なジャンルの音楽を聴いてきた僕自身の実体験に基づき、「キリスト教」「西洋史」「芸術史」に関する僕の広くボンヤリとした頼りない知識から総合的に(半ばファジーに、直感的に)導きだした洞察です。正確性を期していません(学術的な裏を取っていない)。鵜呑みにせぬよう、お願い致します。クレグレモね。

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テーマ:JAZZ
ジャンル:音楽
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