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2013年01月28日 (月) | Edit |
周波数特性や歪みは音楽再生において全く基本的で非常に重要なのですが、例えばアンプのカタログに記載されているような歪み率レーテン何%とか、周波数特性が100kHzまでフラットだとかは、実用的レベルにおいて果たしてどれほど意味があるのか疑問です。一部に見られる物理特性軽視(蔑視、嫌悪、拒絶反応、恐れとすら見える)の風潮は、技術的発展期の過剰なスペック競争の反動なのかもしれません。これは自動車業界でも同じでした。しかし、日本のモータリゼーションは、黎明期が終わって業界全体が技術的に成熟し、作る側および使う側の意識レベルも随分成熟したように思えます。さて今のオヂオ業界は何十年も前から本当の意味で成熟しているのでしょうか?同じトコロをグルグル回っているだけではないでしょうか?それどころか衰退あるいは後退してはいないでしょうか???

僕が言う物理特性とは、リスニング位置に届く実際の音響波の、主には低音領域における、例えば下記のような極めて基本的な再生品質の事です。
1)出力が十分に低い周波数までフラットに伸びているか?
(これは音楽家が出した低い音が聞こえるか聞こえないかというウルトラ級の基本です)
2)部屋の定在波によって特定周波数の音が出過ぎたり出なかったりしていないか?
3)低音の過渡挙動(立ち上がりの遅れや立ち下がりの収束性とか、つまり時間ドメイン的特性)が十分に良好か?
4)音楽を十分な音量で再生した時に、低周波の波形が感知可能なレベルで歪まないか?
5)特定周波数で感知可能な付帯音(箱定在波、ポート共振等)が生じていないか?

これらはドシロートが机の上で安物のマイクロフォンと単純な正弦波信号を使って簡単に観測できます。そして、これらが十分に正しく再生できていないと、別にショージンとやらして耳を鍛えなくとも、シューチューとやらしなくても、媒体を「表層的な音現象」ではなく「音を媒体とする表現あるいはコミュニケーション」として聴こうとすると、明らかに聴きにくさや違和感や不快感を覚えます。要は、落語家のCDを聞いた時に、あるいはNHK FMのニュースを聞いた時に、一部で落語家やアナウンサが何を言ったのか良く聞こえなくてイラッとするのと同じです。落語家やアナウンサを自分のコノミの美声にしたり、オクチのオーキサが見えたり、アタカモメノマエニイルような臨場感がしたりとかは重要ではないですよね。
なお、最近やっている実験君シリーズは、ネタも尽きたし、今まで開発屋の習性としてテットリバヤク音楽を良く聴ける装置を作る事を最優先にしたために、謎のまま放っておいたよく理解できていない現象を明らかにしたいという知的興味からやっている事であり、あまり実用的意味はありません。ナニカ新しいアイデアが生まれるかもしれませんが。。

単純な正弦波信号を使って評価する事が多いわけですが「オンガクは単純な正弦波ではナイ」と来るのも彼らの典型的反応です。しかし、現象としては極めて低速となる(時間的に長くなる)低周波領域において、最も単純な正弦波信号の大小関係(F特)や時間的関係(時間ドメイン)すらマトモにリスナーの耳に届けられないというのは大きな問題です。低音再生は(特に一般家庭用の小型スピーカにおいて)音楽再生に残された最も困難で、最も重要な課題であると言って良いでしょう。ズシッと重くてビシッと速いアッタリマエの低音をリスナに伝える事。。。何故それを放ったらかしにするか?

ジッタだデンセンだデンゲンだとコマケー事をアーダコーダしたり可聴帯域を超えるハイレゾとか超音波再生がドーダコーダと言う前に(こういうのこそスペック的ブツリトクセーというやつチャウノンかな?)、オンジョーが広がるとか広がらないとかオクチがオーキイとかチーサイとか気にする以前に、ナンチャラカンだカンチャラカンだと表層的オンシツのコノミの問題をツイキューとやらする以前に、100dBの大爆音再生能力がドシタコシタと言う前に、業界のクロートさん達はこのような実用的音楽再生上の極めて重要でウルトラ超基本的ブツリトクセーを何十年もの間放ったらかしにしたらアカンでしょ?音楽重要帯域の下限近くまで(少なくとも50Hzまで、望むらくは40Hzまで)、誰もが、実際のリスニング位置で、簡単に、生活空間を乱さぬ小さな装置で、十分なクオリティでズシッとビシッと再生できる装置を、誰でも買える価格で世の中に提供せんとアカンでしょ?チャイマスカ?

マニアは何かに付け「オンガクがツマラクナル」と言います。しかし、僕に言わせれば彼らの音楽の聴き方は極めて特殊です。僕が思うに、彼らが「オンガクを楽しむ」という時、それは「オーディオ装置から出てくるオンガクを楽しむ」「媒体を再生した時にオーディオ装置から出てくる音や装置の音の個性を楽しむ」という意味であるように思えます。このような態度は、何度か紹介した論文の抄録にある「音楽家の多くは高精度のハイファイ音を楽しむのではなく、音楽の本質を聴く。したがって、彼等は名演奏であれば、SPから再生されたCDでも満足して聴いていることが多い。」(参考記事: 音楽演奏現場における楽音の実態と音楽家のオーディオに対する感覚について)と180°の対極をを成すように僕には見えます。「音楽の本質」と言うとナンダカ難しそうですが、上で書いた落語やニュースの例え話にある意味通じるかもしれません。あるいは「装置から出てくる音楽」ではなく「装置をインターフェイスにして媒体の中の音楽」を聴くという事かもしれません。ある一面として疑似体験的効果を殆ど求めないと言えるかもしれません。僕を含む僕の周囲のオヂオには全く興味のない普通に素直に音楽を日常的に愛聴している人々の聴き方は、前者(オヂオマニア)よりも遙かに後者(音楽家)に近いでしょう。スッテレオ感なんか未だかつて意識に登った事すらナイネーとか、ヘッドフォンで音がゼンポーニテーイしないのがドナイヤチューネンというヒトが殆どです。

趣味的に強く偏向したマニアではなく、そのように普通に音楽を聴く人々により高いクオリティで音楽を伝達する真面目なオーディオ装置を適正な価格で作らんとアカンでしょ?それがオーディオ業界で最も重視されるべき課題でしょ?クロートさんであるべきヂャーナリスト達がマニア達と一緒に(あるいは先頭切って率先すらして)魔境でグルグル遊んでばかりヂャ困るでしょう。日本のオヂオ評論に多大な影響を残したと言われる五味さんは評論家ではありません。ジャーナリストでは断じてありません。あくまでも一個人として数寄を追究した純粋の趣味人であり、彼自身「音楽とは本来このように聴くものではない」的な事をどこかに書いていたように記憶します。マニア的な部分をその特異な一部として捉え、オーディオの全体と本来担うべき役割を広く見据えた、本当の意味のオーディオ評論家あるいはジャーナリスト(高価な装置をシチョーしてポエムを書くだけではないヒト)が居たのかどうか?それとも居たのだが、商売の邪魔と疎まれてきたのでしょうかね?

何度でも言いますが、音楽媒体はオヂオマニアのために作られているわけではなく、オーディオ技術はオヂオマニアのためにあるのではありません。本来アルベキニシテアルモノに対して特殊な愛着を持ち特殊な関わり方をするのがマニアです。最もわかりやすい例は鉄道マニアでしょう。

なんだかブツリトクセーからハナシが広がってしまいました。スミマセン。。。

次回はコノミの問題について書く予定です。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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