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2013年01月08日 (火) | Edit |
何事を成すにもそうだと思いますが、究極的な理想状態を常に念頭に置く事が重要だと思います。一体全体、自分は最終的に何をどのように成したいのか、それにあたって今現在どのような事に妥協を強いられているのか、それを克服して理想に近付けるにはどのような努力が必要か。。。。。これが漠然としていると、グルグル魔境に囚われてしまいます。

今回は、「自分にとって」ではなく「世の中にとって」理想的なオーディオをとりまく状態とは?について考えてみたいと思います。

音楽家は録音エンジニアとの協働の下に自分の作品を入念にスタジオのコンソールで作り込んだ後に媒体に記録して広く世の中に公表します。我々は、各自の「オーディオ装置」を使って、その媒体を「再生」する事によって、彼の作品を鑑賞します。

例えば写真家(イラストレータ)が写真集(画集)を出版して自分の作品を広く世に問う場合、彼は編集者や印刷技術者との協働の下に、印刷の色調や階調のみならず、装丁や紙質にも徹底的こだわって一冊の印刷媒体を入念に作り込み、世の中に公表します。

写真集(画集)の場合、彼が最終的に「媒体の制作にあたっては、不本意ながら諸々の点で妥協せざるを得なかったが、俺様は俺様の全責任を以てこの媒体を俺様の作品として世の中に公表する」と承認したそのままの状態で鑑賞者の手元に届きます。写真家がオリジナルプリントをギャラリーで展示して発表するのと、印刷媒体(写真集)に載せて公表するのは、ライブ演奏と再生音楽の関係に似ているとも言えるでしょう。これも、どちらが上等とかいうのではなく、それぞれに、それぞれでなければ伝えられない表現というものがあります。

何を言いたいかというと、本来、表現者は、自分の作品が最終的に鑑賞者に伝わるまで責任を負うべきである、というか、負う事を強く望むという事です。だってそうでしょう。細部まで徹底的に拘って作り込んだ作品が最終的にどのような状態で鑑賞者に伝わるか定かではないというのは、彼らにとって大きなフラストレーションとなるはずです。以前の記事で紹介した「世界中が同じ音質で聞けるようにしてくれー」というのは、そういう彼らの切なる叫びであると言えます。

世のオーディオ技術者は、この叫びに応えなければなりません。それを広く万人に行き渡るアタリマエの技術として実現しなければなりません。再三申しているように、オーディオ装置とは、本来、それ自体を趣味道楽とする人々のためにあるのではありません。鉄道が鉄道マニアのためにあるのではないのと全く同じです。表現者から鑑賞者へ作品をできるだけ良好な状態で引き渡すための変換/伝達装置であるという事を決して疎かにしてはならぬはずです。鉄道技術が「より安全により快適により経済的により高速に人や物を運べるよう」進歩し続けているのと同様に、オーディオ業界も「表現者の作品を、表現者が望むより高い品質でより多くの鑑賞者により安価に伝える」ための努力を惜しんではならないという事です。

さて、巷ではよく「制作現場では鑑賞者側の再生条件が全く様々であるため、どのような装置で聴いてもソコソコ聴けるよう無難に制作せざるを得ず、そのように作られた媒体をそのまま素直に再生してもツマラナイ」あるいは「モニタ用とリスニング用は異なって当然」と言われます。この点について考えて見ます。

もしそれが真実とするならば、全くもって問題なのは、それがさもアタリマエの事であるかのように巷で言われている点にあります。全く問題意識に欠けている点には驚かされます。「諸々の技術的問題や制約により、現在のところ、致し方無くそのような状態に甘んじている」という認識では全くないように思えます。真っ先に取り組むべき非常に根幹的問題でありながら、それが問題として全く真剣に認識されていないという事です。僕に言わせればナンデヤネン? ドナイナットンネン???です。。。 もし本当に彼らがスタジオで自分自身で聴いて本当にそんなにツマラナク録音する事を強要されているとするならば、それは余りも悲しい事だと言わざるを得ません。

一方、そのように言われている事が果たして真実なのか???という疑問も残ります。本当に彼らはスタジオで自分自身で聴いてそんなにツマラナク録音しているのでしょうか??? 今までの僕の経験からすると、マニアやヒヨロンカ達の間でアタリマエの事として言われている事は全く当てになりません。何故ならば、音楽の何を楽しむのか、音楽を聴く事に何を求めるのか、オーディオ装置を何のために使うのか、といった根本のところがまるでグルッと180度異なるように僕には思えるからです(参考記事:「良い音ってナニ?」)。

普通、音楽に限らず何らかの作品を創作する場合、最終的に自分が聴いて(見て)ツマラナイものを世に出すはずがありません。もしそれを強いられるとするならば、それは地獄でしょう。俺って天才!フォー!てな具合に、最終的に自分自身で本当にツマルと感じられる物を発表しようと目指すのが自然です。ですよね。

ホンマニ彼らはマニアが言うように「ツマラナイ」と彼ら自身もスタジオでモニタリングして思うような音で録音しているのか??彼らの作品を彼らのスタジオで彼らのモニタ装置を使って聴くと僕にもホントにツマラナク聞こえるのか??この点を確認するために、例の激安モニタを試して見たいと思っています。

さて、「理想的な状態」を考えてみましょう。
「理想」は、彼らがスタジオで徹底的に作り込んで「俺様って天才フォー!俺様の音楽を俺様の音を聴きやがれ!コノヤロー」(ちょっと下品ですが多かれ少なかれそんな感じです。世の中に対して表現するヒトってのは) とリリースした媒体を世界中の誰もがオウチで全くソノママ聴けるようにする事です。極端な事を言えば、スタジオでも家庭でも全く同じ全く完璧な性能を持つ装置と環境が世界中の人々に行き渡ればヨロシイという事になります。オーディオを中心にモノゴトを考えるマニアには悪夢のような世界でしょうが、音楽を中心にモノゴトを考えればそれが音楽制作/伝達/再生システムの理想です。

もちろん制作側/鑑賞側の装置自体の性能の向上も必要でしょう。彼らが望むならば全く生の音も音場も完璧に録音/伝達/再現でき、彼らが望むならば世の中に今まで存在しなかったような音や音場でも自由に創出して録音/伝達/再現できる装置です。

ただ、発達した現在の周辺技術をもってすれば、可聴帯域の音で構成された音楽のステレオ録音/伝達/再生は、必要十分に高いレベルで誰にでも購入できる価格帯で実現できるように思えます。ハイレゾだデンセンだジッタだデンゲンだ云々カンヌンとやたらコマケー事をツイキューする以前に、やらねばならぬ基本的な事(低価格化、小型化、デザインを含む)が山積みであるように僕には思えます。また、音楽鑑賞に真に必要な音質(音楽伝達/再生クオリティ)のために重要な事と、瑣末的でさして重要ではない事の見極めも必要でしょう。音楽家達は、自分の作品の伝達にあたって、どの水準の再生クオリティを必要十分であると考えるのか(要は彼らが安心してスタジオで存分に作り込めるようにするには世の中の装置がどの程度のレベルにあれば良いのか)?音楽再生においてどのような特性をどの程度重要だと考えるのか?といった事項を明らかにする必要もあるでしょう。オヂオマニアやヒヨウロンカ達が巷でアタリマエのように言っている事とは全く異なる可能性は十分に考えられます。

再三申しているように再生場の影響を受けないヘッドフォン方式(バイノラル)であれば、かなり高いレベルで音も音場も再現可能です。いっその事、彼らにはヘッドフォンを基準にして存分に拘って作り込んで頂ければヨロシイのではないかとすら思います。真剣にその作家さんの作品を鑑賞したい場合はヘッドフォンで聴けばヨロシイ。スピーカ方式は、ヘッドフォン再生を(不完全ながら)擬似的に再現するなんらかの変換プロセスを通して再生すれば良かろうと。。。イヤホンマに。マヂでそう思います。作家さん達には、安心して存分に創作に取り組んで欲しいと願います。

しかし、どのように装置が発達しようが、鑑賞者が使う家庭用再生装置の究極の目的は「表現者がスタジオで作り込んだ音楽の再現」にある事に断じて変わりはありません。装置が理想的であれば、表現者が「生の音」の正確な再現を意図して作成した媒体ではオウチでも生の音が聞けるでしょう。表現者が何らかの意図を持って「生の音」に人工的なプロセスを加えた場合は、彼がスタジオで確認したのと全く同じ加工済みの音が聞けるでしょう。

要は、スタジオのモニタシステムは純白のキャンバスであり、作家はそこに彼のテーマ/彼の構図/彼の色/彼のタッチで彼の技能を存分に駆使して赴くままに自由自在に作品を描きます。そして家庭の再生システムは、彼が描いた作品をそのままの色/タッチで投影するもう1つの純白のスクリーンであると言えます。そもそも、音楽に限らず、人様が(それも傑出した才能に恵まれた人物が)、自身の生命を削るようにして創出した作品を鑑賞するとはそういう事です。ゲージツの世界において、最も尊重されるべきは表現者の意思である事は全くの当然であり、媒体によるそれらの伝達に携わる人々は最大限の敬意と注意を払ってそれに努めます。もし、音楽再生において倫理的観念を云々するのであれば、表現者に対する敬意とその意思の尊重こそがまず問われるべきであると言えるでしょう。

と、まぁ、また堅苦しい事を書いてしまいましたが、人々が日常的に音楽を楽しむにおいて、それを厳格に意識する必要はありません。そんな堅苦しい事を考えずに存分に素直に音楽を楽しめばヨロシイ。ナニも意識しなくてもナニも知らなくても最良の状態でアタリマエにそうできるようにしてあげるのがオーディオ技術者の責務です。僕だって、数年前にオヂオの現状を目の当たりにして激しい違和感を覚えるまでは、そのように理屈抜きに音楽を楽しんできました。しかし、音楽/オーディオ業界に携わるプロフェッショナルやジャーナリスト達は、絶対にその点を疎かにする事はできぬはずですし、そのような基本的態度を大衆に示す模範となるべきであるはずです。違うでしょうか。。。どでしょうか。。。

追記
と、以上のような意見を述べると「それは音楽に対して受動的な態度だ」と来るわけですが、僕は「良い音ってナニ?」に載せた図の上層へと向かう意識は極めて能動的でクリエイティブな精神活動だと思います。それをより良い状態でより楽にできるようにしてあげる事が民生用音楽再生装置のオシゴトであると考えています。大分以前の記事「波形を再現できれば「良い」音になるの?」にも同様の事を書きました。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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