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2012年11月24日 (土) | Edit |
。。というのが、昔から僕にはとても不思議に感じられます。

制作者(表現者)がスタジオで最終的にOKを出した音(注意: 原音とか生音ではナイヨ。それは幻影)を、できるだけソノママ鑑賞者の「耳」まで届ける事が音楽伝達/再生装置たるオーディオ装置の本来の目的であるはずです。しかし、21世紀の現在に至っても、その事が真面目に考えられているとは思えません。これは、家庭用オーディオ装置側だけの問題ではなく、制作者から鑑賞者の「耳」までを含めたトータルの「音楽制作/伝達システム」の問題です。本来、製作者は作品が鑑賞者の耳に届くまで責任を負うべきでしょう。僕が「オーディオ界は音楽界に従属する事を明確に認識し、音楽界の意見を真摯に受け止めなければならない。音楽界はもっと積極的に民生オーディオ界に関与しなければならない。」と再三しつこく繰り返しているのは、そういう事です。オーディオ界だけでなく音楽界も一体になってこの事を今一度真面目に考えてみる必要があると思います。もう21世紀なんだし。

オーディオ装置とは、基本的に誰がなんと言おうと「情報伝達装置」です(この点を疎かにしては断じてならない)。であるならば、音楽媒体の作成と媒体再生の基本となる最低限の規格が絶対に必要です。この最も重要な点が今現在に至るまで余りに疎かにされてきたと言えるでしょう。もう21世紀なのに。

現在、鑑賞者側の再生装置に一切の基準がなく、クオリティが千差万別であるため、スタジオでは数種類のモニタ装置を使って音を確認しています。大音量にして細かい問題を確認するためのラージモニターから、ヘッドフォン、ニアフィールド モニター、そしてラジカセ級の装置を使って、どのような装置で聴いてもソコソコ楽しめるように妥協を強いられています。また、そのための労力も彼らの負担となるでしょう。この点が改善されれば、制作側のクオリティは確実に向上するはずです。何事もシステム トータルで考える必要があります。21世紀なんだしさ。

このような問題の大きな要因として、民生オーディオ界においてはオーディオそのものを趣味(目的)とする「趣味のオーディオ」「オーディオ マニア」の影響が今なお強すぎる点が挙げられます。もちろん、自分の好みの音をツイキューしたり、装置そのものを愛でたりする「趣味」があっても全く問題はありません。ソレハソレコレハコレが世間一般でアタリマエと認識されている限りにおいては。しかしソレハソレコレハコレが全く明確に認識されずに今に至った事が問題の元凶であると言えるでしょう。

そのように強い影響力を持つ彼ら(ジャーナリズム、マニア)の言動および行動を見るにつけ、僕には彼らの音楽の聴き方、音楽との接し方が非常に特異であるように思えます(であるからこそ「マニア」と称されるわけですよね)。僕は、これから音楽やアートに興味を持つであろう青少年少女達(少なくとも僕の息子)には、絶対にあのような音楽の聴き方をして欲しくないとさえ思います。

彼らは、モニタスピーカは音楽を「分析的に」「音のアラサガシをして」聴く者達のための装置であり、「音楽」を「楽しむ」ための装置ではないかのように言います。自分達がさも真に「音楽」を「楽しんで」いるかのように。。。しかし、装置やアクセサリの違いによる非常に微細な(果たして本当に差があるのかどうかも半ば疑わしいような)オンシツの差や、所詮はギミックに過ぎぬステレオ方式でオンジョーが縦や奥に広がるとか広がらないとか、オクチがオーキーとかチーサイとか、クーキカンがあるとかないとか、アタカモメノマエニに居るとか居ないとか、僕には全く重要とは思えない付帯的現象に強く拘りツイキューしている彼らの方が、余程「分析的に」「録音や装置のアラサガシ」をして音楽(というよりは音の表層的現象)を聞いているように思えます。彼らが言う「音楽を楽しむ」とは即ち「オーディオを楽しむ」という事なのでしょう。きっとね。ソレとコレが区別されていません。

付帯音を徹底的に抑え、ニアフィールドで部屋の影響を排除し、40HzまでF特をフラットにした僕のZAPシステムの音は、恐らくスタジオのモニタシステムに近いでしょう。しかし、これは何も音楽を「分析的」に「アラサガシ」して聴くためでは全くアリマセン。当ブログで再三述べているように、音楽を始めとするアートに接するに際して、僕は「分析」や「解釈」等の理性の介入を極端に嫌います(モードチェーーーンジする)。僕は、苦労せずとも、聞き耳を立てずとも、音楽の全体と細部を耳そして意識に流し込める装置(音楽を聴きやすい装置)を求めた結果としてZAPシステムに辿り付きました。「全体」を常に広くボンヤリと感じ取り、その「全体の中で」「全体を構成する」瞬間瞬間の重要な細部(音楽家の行為)に意識が一瞬集中し(ウヒャーとかスゲーとかいう瞬間ですね)、しかし意識は常に「全体の中で」一点に留まらず自由に浮遊しているという状態でしょうか。。。敢えて言うならばね。

そのように「音楽」に接している時、そこにコマケー オンシツの違いやオンジョーが意識に入り込む余地は全くありません。ただ、ある瞬間にある「音」(音楽家の行為の反映)に一瞬意識が集中した時または常に意識のドコカで追跡している時に、再生装置の問題によって記録されている「音」(音楽家の行為の反映)が正しく再生されていないと違和感を覚えたり聴き辛く感じ、長く聴いている間にそれがたび重なると非常に気に障り出します。そのようにして気に障る部分を排除してゆくと、結局はソースの波形を正確に耳に届けるという点に帰結した。。。というのがZAP開発の経緯です。

例えば、以前の記事「世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー!」で紹介したアーチストさん達のソニー製ヘッドフォンに対するインプレッションを挙げてみると、「ソレゾレ全部聞こえる」「イーカンジで全部聞こえて」「レコーディングしてた時の環境の音がフラットにソノママきました」「ベース部分がシッカリ」「音全体がキチント」「スタジオでマスタリングしている時の音が再現」。。。彼らが何を重視しているのかが伺い知れます。これらは僕がZAPの開発で常に重視して来た点とも良く一致します。インプレッションにナンチャラカンの事は一切ないですよね。だってそれは装置ではなく彼らが決めるべき事だから。。。基本的に、その音楽作品が全体を通して持つ音色や雰囲気(ナンチャラカン)は彼らが決めるべき彼らの表現に帰属すべき事柄です。オーディオ装置の第一のオシゴトは、彼らが追究して最終的に決めた彼らの表現(ナンチャラカンを含む)をできるだけソノママ我々の耳に届ける事です。本来、オーディオ装置とは、鑑賞者であるドシロート達が勝手にナンチャラカンをツイキューとやらするための道具ではありません(あくまで基本はね。ワキマエテやる分には個人の勝手です)。深く沈潜して出したチェロの音に津軽海峡のジョーネンとやらを勝手にブチ込まれたら、演ってる方はタマリマセン。

以上は、僕の個人的な音楽の聴き方、考え方に過ぎません。オーディオ界は「音楽再生装置はどうあるべきなのか」「音楽再生において何が重要であるのか」「表現者はどのように作品を鑑賞者に伝えたいのか」といった事柄を、音楽界からの意見に基づいて明確にし、ジャーナリズムはそれを大衆に継続的に伝達する必要があるでしょう。。。いいかげん21世紀なんだから。。。

追記
音楽再生の最低基準を決めても、装置の個性は絶対に残ります。ご心配なく。ただ、ソーチの個性にやたら拘る以前に、音楽(音楽家の表現の結果)を真っ当に再生する事をもっと根本から真面目に考えんとアカンちゃう?という事です。21世紀ですし。。。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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