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2012年06月25日 (月) | Edit |
こんな装置が欲しいなぁ。。。という具体案を提示する前に、そのコンセプトを明確にするために、どのような使われ方、音楽の聴き方を想定するのか? という事について明確にしておきたいと思います。

まず、第一に明確にしなければならないのは、ハチマルがこれから想定するのは、オヂオマニアのような音楽の聴き方(使い方?)をするための装置では断じてゼンゼン全く無いという事です。つまり、オンシツやナンチャラカンやオンジョー等を細かくキキワケルための装置では無いし、それらをツイキューするための装置でもありません。オヂオ自体に全く興味の無い人々に、日常生活の中で快適により善い状態で音楽を楽しんでもらうための実用道具だと言う事です。

例えば鉄道マニアには、モータの音をこよなく愛し、モータの音を聞いただけで機種を言い当てたり、そのモータの音を録音したくて、はるばる旅したりする方も居られます。また、通勤型車両の補助灯の配置の微妙なチガイを見分けたりする事を楽しむ方も居られます。しかし鉄道を日々の通勤通学や旅行のための移動手段として使う大部分の人々にとって、そのようなディティールは全く重要ではありません。最近のオヂオマニア達がオヂオ装置を使ってやっている事も基本的にこれらの鉄道マニア達がやっている事と同じです。オヂオマニア達は超微細なオンシツやナンチャラカンに強く拘りますが、普通に音楽を聴く上でそのように過剰なディティールを「ワザワザ」「シューチュー」して「キキワケル」事は全く重要ではありませんし、そのような「音」や「音の付帯的現象」への過剰な意識の消耗や過剰な人為的ツクリコミは、本来の音楽を楽しむという目的を阻害さえするでしょう。どのような分野においても、多かれ少なかれマニアとはそのような傾向を示します。すなわち大雑把に言えば、手段そのものが興味の対象となる、手段の目的化という傾向を持つという事です。それがマニア、それが趣味というものです。ハチマルはその事自体に対してトヤカク申すつもりは毛頭ゴザイマセン。それは個人個人の趣味嗜好ですからね。それらを含めて豊かで多様な文化が形成されるわけですから。しかし。。。

多くの場合、マニア達は、趣味と実用をはっきりと区別して認識しています。鉄道マニアも鉄道を全くの実用機関として認識し普通に使います。フェラーリを所有するエンスーも普段はごく普通のコンパクトカーを日常の移動手段として愛用します。クラシック カメラ マニアもお仕事では最新のデジカメをブリブリ振り回します。彼らは皆ソレハソレコレハコレを明確にわきまえ、「心の余裕」として趣味の部分を楽しんでいるという事です。「いやはやお恥ずかしい。。とんだ道楽ですが、楽しいから、好きだから、やっているんですよ。。ポリポリ」という事を素直にわきまえているという事です。そのへんが、どうもオヂオでは明確に認識されていないため、それを趣味とせぬ一般人に対して「オンガクマトモニキクナラサイテーヒャクマンエン」とさも偉そうにぬかす、さも自分達が特別ジョートーな事をやっているかのように勘違いする輩(魑魅魍魎)が横行する事になります。なぜオヂオだけがこうなんでしょうか?????他の「趣味」ではこんな事はアリマセン。そもそも彼らが言う「マトモニオンガクヲキク」の「マトモ」は、一般人にとってもはや「マトモ」とは到底思えませんし。。。。。

どのような分野にも、そのように極端な嗜好を持つ一群の趣味の人々(マニア)が存在しますが、業界自体は基本的にごく普通にそれらを「使用」する大多数の人々に向けて使いやすく実用的な機械をできるだけ安価に提供する事を本業とわきまえ、それに努めます。マニア達は、そのような普通の機械に対して特殊な愛着や価値観を持ち、彼ら独特の関わり方をしますが、業界自体は基本的にそれに積極的には関与しません(典型は公共機関である鉄道)。個人消費向け機器の分野(例えば自動車やカメラ)では、広報的な目的(ファンサービス、ブランドイメージの強化)としてイメージリーダー的なモデルを用意したり(ホンダNSXとか)、たまにマニア向けのスペシャル バージョン(ニコンSPの復刻とか)を提供する事もありますが、多くの場合これらは利益を上げる事を目的とせず、損失を覚悟で提供されます(NSXは売れば売るほど損する)。これらは企業としてコレハコレソレハソレをわきまえた文化的事業であると言えます。

これに対し、オヂオ分野では、特に高品質製品において、製品そのものが端からマニアを指向する度合が異常に強く、本当の意味で音楽を高品位な状態で鑑賞したいと願う人々向けの必要十分な性能を備えた適正価格の実用的な製品が欠落してしまっているように思えてなりません。フェラーリやランボルギーニのような趣味性を追い求めたスーパーカーを頂点としてヒエラルキが形成され、廉価な製品は基本的にそれらを縮小したものに過ぎず、本当に真面目に作られたアコードやシビックがほとんど存在しないという事です。だいたい、廉価な製品が「エントリー機」とか「入門機」と呼ばれる事が如実にそれを現しています。つまりそれらは、スーパーカーを頂点とする趣味的ヒエラルキへと誘う「入口」という意味であり、本当の意味で「実用的な装置」という意味では全くありません。

そのようにして、単に音楽を聴きたかっただけのユーザも、この魔境に一歩を踏み入れ、さらにザッシやヒヨウロンカや店員による極端に偏向した情報(とさえ言えるかどうか? 魔法の呪文?)に操られ、「趣味的」上昇指向を植え付けられてしまうという具合です。これに近い状況は、我々が子供の頃のまだ未成熟であった日本のモータリゼーションにも見られました(隣のクルマが小さく見えマース。。というCMが有名)。しかし現在は人々の意識も技術も成熟し、そのような状況はとっくに脱しています。これには、常に民意の向上に努めてきたジャーナリズムの貢献があった事も付け加えておきます(ハチマルは小学生の頃から自動車雑誌を定期購読していたのでよく知っている)。これに対しオヂオでは、そのような技術的/文化的に未熟であった黎明期の状態を無理矢理維持し続けようとしているかのように見えます。製造者と消費者に対して第三者的立場を取り、時代の変化を真っ先に読み取って啓蒙を促すべきジャーナリズムの貧困さが、今日のオヂオの奇態な状況を招いた悲劇の一因である事は確かでしょう。

ハチマルがオヂオに対してやたらシツコク問題提起しているのは、それが大衆の音楽文化に大きく関わるからです。手段である「オーディオ」のために言っているのではありません。目的である「音楽」のために言っているのです。せっかくスンゲー音楽作品がタクサン遺されているのですから、誰もが「何も意識しなくとも」アタリ前のように、そのスンゲーところを存分に(例えば交響曲の低音の唸りを、ジャズのビートの絶妙のノリを)感じ取れるようにせんとイカンノントチャウと言いたいのです。「無意識に感じ取れる」事が重要です。誤解を恐れず極端な事を言えば、彼らがそれを望もうが望もまいが関係なく、優れた音楽作品が本来持つ正しい調和、正しいリズムを彼らの耳にそして意識にブチ込むという事です。どんな安物の装置でもそれがアタリマエにできるようになり、それがアタリ前の「音楽」なんだと無意識に受け入れられるようにする事が理想です。それをかなりのレベルで実現できる技術はとっくに揃っているのですから。。

という事で、ハチマルがこれから考えようとしているのは、日々の通勤や通学あるいは旅行を目的に鉄道を使う人々に相当する音楽を真っ当に再生して普通に楽しみたいだけの人々向けの実用オーディオ装置です。家電製品として真っ当なオーディオ装置と言えるかもしれません。

次回は、そのような装置が備えるべき、音楽を楽しむために必要十分な性能について考えてみたいと思います。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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