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2012年06月16日 (土) | Edit |
どのような機械にも、できる事とできない事があります。それをよくわきまえないと、スットコドッコイな事が起こりがちです。

例えば、「写真」は決して真実を写しとったりはしません。それは撮影者がある意図を持ってその場の一部の一瞬の情景を四角く切り取った「二次元の映像」に過ぎません。その「映像」の外側に何があるのか、その「映像」の時間的前後の状態がどうであったのか、「映像」に映っている木の向こう側に何が(例えばライオンが)潜んでいるのか、鑑賞者にそれを知る術は何もありません。

同様に、オーディオ装置では、配布された媒体を遡って「生の楽器のオト」(多くの場合「原音」と言われる)や「生の音場」を「再現」する術はありません。我々「鑑賞者」にできるのは、「表現者」たるアーチストさんやエンジニアさん達プロの専門家がマイクで収録して様々な加工を加えた後にスタジオのモニタシステムで聴いて最終的に「これが俺様(達)の作品だ!」と承認した状態にできるだけ近い状態で素直に聴く事だけです。これとて、装置や部屋の音響特性が異なるため、正確に「再現」する事は不可能ですが、近付ける事はできます。

元々ナイモンは無いんです。無い袖は振れまへんなぁ。。です。「鑑賞者」である我々としては、そこに元々無いものを徒に追い求めるのではなく、そこにせっかく含まれている貴重なものを、出来るだけタクサン、出来るだけ善い状態で感じ取って楽しんだ方が断然お得だと、それがオーディオ装置にできる最大限の事であると、ハチマルは絶対にそう思います。

そんな事は百も承知の上でロマン?を追い求めるのがオーディオ「趣味」なのだ!というのであれば、それはそれで全く問題ありません。「趣味」ですから。しかし「それがオーディオだ」というわけでも、それが最も「ジョートー」なオーディオ装置の使い方というわけでも、ましてやそれが「音楽」を真に楽しむという事でも、全く決して断じて無いという事が、やっているマニア達自身、一般ユーザ、業界全体を通して明確に認識されているのかどうか甚だ疑問です。例えば、鉄道分野であれば、鉄道は万人にとっての実用輸送/移動手段であり、マニアがやっている事は、それに特殊な愛着やロマンを感じる一群の人々がやっている「趣味」である事は、マニア達自身も含め万人があたりまえに認識しています(マニアが一般人に対して偉そうに電車の乗り方に関してアーダコーダ決して言わぬでしょう。彼らは決して上等で偉い鉄道の使い方をしているなんて微塵も思っていません)。ハチマルも様々な趣味を楽しんできましたが、鉄道に限らず、どの分野でも、そのへんの認識は自然になされています。どうしてこの領域だけがこのような状態になってしまったのか。。。人間集団の行動(社会現象)やマスメディアの影響を考える上で、恰好の研究材料になるのではないか? と、ついつい色々と考えさせられてしまいます。

もし、本当に「原音再生」をツイキューしたいのであれば、自分の部屋で「生の音」を発生できるナニカ(楽器でも奥さんの声でも、なんなら他のオーディオ装置で再生したオトでもなんでもヨイ)を自分で録音し、それを再生して「生の音」と直接比較するしかありません。実際、そのようなマニアさんも居られます。これぞ真正オーディオマニアと言えるでしょう。これであれば目的も極めて明確ですから、カンセーだジョーカンだオンガクセーだゲージツセーだイヤシだナンダカンダの出る幕はないため、ヘンテコリンな泥沼にはまる事もないでしょう。恐らく、ロマン?たっぷりに肥大化した主観的「ヨイオト」に比べて、視覚情報(目の前の実体)を伴わない「原音」は意外と地味に聞こえるはずです。「ヨイオト」のツイキューと「ゲンオンサイセー」のツイキューは相反するのではないでしょうか。片方は全くの主観であり、他方は全くの客観であるわけですから、もし一致するなら、こんなヘンテコリンな状況にはなりはしませぬわいな。

通常の音楽媒体では、そのへんも鑑みて、製作時に各種のエフェクタを使った演出効果が既に加えられています。そのような媒体に「原音」を求めると富士の樹海行きなのは明白でしょう。媒体は媒体として、完結した一個の作品として素直に楽しむのが何よりだと、ハチマルはそう思います。

前の記事に頂いたコメントを受け、相変わらず同じような事をシツコク書いてしまいました。ご容赦。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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