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2012年02月24日 (金) | Edit |
今回は、マニアは何故それ程までに「音場」に拘るのか?について考えてみたいと思います。

以前にも散々書きましたが、僕は音楽を聴いている時に音場感とか定位を未だかつて重要だと感じた事は一度たりともありません。逆にスピーカの左右距離を拡げてステレオ効果がはっきりと出過ぎると、したくもない聴覚による偽の空間認識を強要され、また、中央に定位する音も陽炎のようにシュワシュワ揺らぐような気もするため、肝心の「音楽」が聴き辛くて鬱陶しく感じます。ですから、ZAP君もケロ君も左右のスパンは230mm (ほぼ両耳間の距離)しかありません。

よく言われる「箱庭」的に聴くのではありません。基本的に「空間」認識そのものを求めないわけですから、そこに大きいも小さいもありようがありません。「音」の時間的変化が主たる興味の対象だという事です。ステレオ方式による中途半端な「空間演出」的要素によって、主たる興味の対象の知覚が阻害されるのであれば、そんなものは邪魔なだけだという事です。さる演奏家の怒りのコメント「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている」というのもそういう事を言っておるのだと思います。

以前、「音楽家のオーディオ」について、オーディオマニア達が議論していたネット上の掲示板を当ブログで紹介した事があります(コチラ)。そこでマニア達は「音楽家は総じて音場に関して無頓着であるという点で、自分達のオーディオから乖離している」と結論付けています。さる著名指揮者の書斎のオーディオセットは、彼の背後に無造作に置いてあったとか。。。。彼らは、これを音楽家特有の傾向であるかのように論じていましたが、ハチマルの周囲の音楽愛聴者達も、ハチマル同様、全く音場なんぞ気にしているとは思えません。横向きで聴いていたり、どちらかに偏った位置で聴いていたり、スピーカの配置が出鱈目であったり、黙ってモノラルに切り換えても気付かないと思います。

さて、マニア達は「音楽家は自分達から乖離している」と結論付けました(随分傲慢です。普通は逆に考えると思う)。しかしハチマルには「マニアが音楽家および一般音楽愛聴者から乖離している」というふうにしか見えません。オーディオマニア「だけ」が他から乖離していると。。

普通の(マニア以外の)人々は、再生音楽を聴くに際して、それはマイクで収録されて編集された音楽作品であり、スピーカから音を出して耳で聴くのは全くアタリマエと無意識に受け入れ、そこから聞こえる「音楽」に素直に耳を傾けます。音が自分の目の前のスピーカから出るのはアタリマエ、目の前に誰も居ないのはアタリマエなわけです。アタリマエですよね。。。。ライブでは、前方の奏者またはPAから音が出るのはアタリマエ、目の前に奏者が居るのはアタリマエなのと同じです。ライブで聴く時にオンジョーとかテーイとかクーキカンとかナンチャラカンとかオンシツとか全く気にしないで「音楽」を素直に聴きますよね。それと全く同様です。スピーカで聴く時も、そこから音が出るのはアタリマエに受け入れられるわけで、ありもしない似非臨場感に意識をワザワザ消耗するよりは「音楽」の内容に意識が向かいます。ですから、普通に音楽を愛聴する人々はイヤフォンやヘッドフォンで聴く事をさして苦にしません。音が前方に定位しない事についてアータラとブーたれる前に、「音楽」に意識が向かうからです。だって「音楽」を聴きたいわけであって、別にそれがどこから聞こえようが、大した問題ではないでしょう。85才になる僕の父は、長年主にLPでクラシックを愛聴してきましたが、最近は妹がプレゼントしたiPodを専ら愛用しています。

数年前に必要に迫られてオーディオイヂリに手を染めたハチマルは、マニア達がデンセンやオマヂナイじみたやたらコマケーオンシツに拘泥している事にも驚きましたが、音場とか定位とかに対する拘りが異常に強い事にもビックリしました。オクチのカタチヤオーキサがドータラとか、オンジョーのオクユキとかタカサとか、クーキカンとか、ケハイとか。。マニア達はほぼ例外なく、不気味なほど画一的に、音場とか定位とか臨場感とかをやたら重視します。ハチマルには、未だにそんなもんが重要だとは全く思えません(モノラルでも別に構わないと思う)。ステレオ効果なんて、所詮は飛び出るTVと同程度のエンターテインメント的ギミックに過ぎぬでしょう。

なので、マニアが音場にそこまで拘るのはナンデヤネン?????ソノココロハ???とずっと考えていたのですが、こういう事かな?と思い当たる点を書いてみたいと思います。

まず第一の要因は、オーヂオ雑誌およびヒヨウロンカの影響ではないかと見ています。

マニアの言動および行動の端々には、ヒヨウロンカの影響が絶大であり根深い事が見て取れます。中高生の頃以来、オーヂオ雑誌なんか手に取った事もなかったハチマルには驚きの世界でした。ハチマルから見れば、なんで誰も彼もおしなべてそんな奇態な「音楽」の聴き方をするのか不思議だったのですが、雑誌を何冊か読んでみて分かりました。オーヂオヒョウロンカが言ってる事やってる事とみんなオンナジ。。。オクチパクパクとかオンガクセーとかオンジョーノタテノヒロガリとか。。。みんなヒヨウロンカが言ってたのね。で、マニア達も、自分のオウチで装置をトッカエヒッカエしながら、オクチがオオキイトカチイサイトカ、オンジョーがヒロガルトカヒロガラナイトカをヒヨウロンカと同じように微に入り細に入り聞き分けようとしているらしい。。これってまるで「オーヂオ ヒヨウロンカごっこ」ですよね。

また、オンジョーだけでなく、ほとんどジョークとしか思えないオマヂナイのオンシツの「チガイ」について、ヒヨウロンカがくそ真面目に聞き分けて記事を書いている点にも驚かされました。で、マニア達も同じようにオウチでデンセンや何やかやを交換して聞き分けているらしい。それを聞き分けられる事がナンカ偉いらしい。チガイが聞き分けられたかどうかが重要であって、もう音が良いとか悪いとか好きとか嫌いとかいうレベルを突き抜けているらしい(凄い!)。。聞き分けられないとダミミとか言って恥ずかしいらしい。。自分のオウチの事は普段から「セッタク」と言うらしい。。多くのオーヂオマニアにとってヒョウウロンカはお手本みたいな存在であるらしく、ソレを真似したがる傾向にあるらしい。。。オーヂオ趣味には「オーヂオ ヒヨウロンカごっこ」という一面が根強くあるらしいと、いろんな事が分かってきました。

では、そのようにマニアがお手本とするヒヨウロンカは何故そのように奇態な音楽の聴き方をするのか?

それは、ただただただただ製品のレビューを書くために、製品の「チガイ」を聞き分ける必要があるからでしょう。「音楽」を楽しむための聴き方ではなく、「装置」を評価するための聴き方だという事です。オシゴトのための聴き方です。基本的にユーザが真似る必要のある聴き方では全く無いはずです。

スポンサー様から製品を持ち込まれて記事を書いてくれと言われれば、たとえそれがオマヂナイかジョークみたいな物であっても、なんとか「チガイ」を聞き分けて、「ナニカ」を真面目に書かぬわけには行きません。それがオシゴトですから。ほとんどは雑誌のスポンサー様の製品であるわけで、そりゃまぁイロイロ大変だと思います。ほとんど「苦行」ですよ。これは。。「なんも変わらんヤン!」とか「変わる訳ナイヤロ、コンナモンデ」とか「ちょっと変わったからって、それがドナイヤッチューネン」とか「安いやつでゼンゼンOKヤン」とは、実はそう思っても絶対に書けるわけがありません。よね。。大阪人は絶対にヒョウロンカにはなれまへん。

さて「オンジョー」の方ですが、
現代のオーディオ装置は、おそらく商業的な目論見を多分に含んだ歴史的成り行きにより、本当に必要かどうかに関係なく、好むと好まざるに関わらず、幸か不幸か、とにかく成り行き上、左右にスピーカを備えたステレオ方式という事に決まっており、ソースも成り行き上、全てそれ用に2chで録音されています。

で、そのような装置を評価するに際して、ヒョウロンカは、やはり成り行き上、2つのスピーカによって生じる現象について評価しないわけには行きません。製品がそういう仕組みなんですから。成り行き上それが製品の仕様なんですからね。これは、彼らにとって、誌面を埋める恰好のネタとなるでしょう。「音」のナンチャラカンだけではネタが尽きますからね。というわけで、音場に関してもアノ手コノ手の表現を駆使して、微に入り細に入り聞き分けようとするわけです。オクチのカタチとかオーキサとか。。。それが「音楽」を楽しむ上で如何ほど重要かどうかに全く関係なく。とにかく製品についてナンカ書くために。オシゴトのために。。

。。で、マニアも成り行き上、そのオシゴトをお手本として「音場」をヤタラ細かく聞き分けようとする。。。。というのが今回の考察の結論かな?

ある意味、ヒヨウロンカがあのような聴き方をするのは、職務上致し方ないとも言えます。彼らとて、あのような奇態な「音楽」の聴き方をしたくてしてるわけではないのかもしれません。まあとにかく、ユーザがオウチで音楽を楽しむのに、何もあのような「苦行」じみた聴き方をする必要は全くなかろうとハチマルには思えます。そんな聴き方をしたのでは「音楽」を心底楽しめるはずがありません。ご馳走を目の前にしてなんとモッタイナイ。

もちろん、ヒヨウロンカに憧れていて、そのような「ヒヨウロンカごっこ」がトッテモ楽しく、専らそれを目的にオーヂオ装置をイヂッテいるという方は、そのような聴き方をしても一向に問題ありません。それが趣味というものですから。それが真正オーヂオマニアというやつかもしれません。

しかし、本当は音楽をもっと楽しみたくて上等なオーディオを買ったのは良いが、雑誌や周囲の影響によって、より良く「音楽」を聴くには、そのような苦行の道(オーヂオ道?)が必要だとすっかり勘違いさせられてしまっている方も、少なからず居られるはずです。しかし、それでは永遠に目的を達する事はできません。ただひたすら装置をトッカエヒッカエして「評価」(ヒヨウロンカごっこ)し続ける富士の樹海を彷徨い、死ぬまで「音楽」を心底楽しむ事はできないでしょう(そこが魔境の恐ろしいところです)。

今一度冷静に考えてみてください。「自分は」本当にそのように「音楽」を聴きたいのか?と。

自分の音楽の聴き方に疑問を抱かれた方は、装置を封印して、iPodとソコソコのカナル型イヤフォンで音質や音場を一切気にせずに(聞き分けずに)一月ほど聴いてみては如何でしょうか。大好きな音楽だったら、それでも十分に楽しめるはずです(というかハチマルは、装着感さえ厭わなければ、イヤフォンが最も楽しめるように思えます。音楽再生クオリティはどのようなスピーカシステムよりも圧倒的に高いはずです)。

そのように素直に「音楽」を聴く事により、自分はどのような音楽を本当に聴きたいのか、自分はその音楽の(音質や音場以外の)何を聴きたいのかが見えて来るかもしれません。ソーチやオンジョーやオンシツへの意識を取り除いた後に何が残るのか?そうした上で心から楽しめる部分が本来の「音楽」の部分です。普通に音楽を愛聴している人々は、自分が本当に聴きたい音楽が何なのかを当然よく分かっており(アタリマエですよね)、何の苦労もなく無意識かつ素直に「音楽」の部分にアクセスします(普通に音楽に接していれば、普通にそうなります)。変なのはマニアだけです。

そのように素直に聴いたのではツマラナイ音楽を、わざわざ聴く必要はないでしょう。時間の無駄です。普通に音楽を愛聴している人々は、自分にとってツマラナイ音楽をわざわざ聴いたりはしません。彼らは、自分は何が好きなのかをよく心得ているからです(って、極アタリマエの事なんですけどね)。

心から素直にツマルと感じられない、自分にとってツマラナイ音楽を、アノテコノテでイヂクリマーシテ無理矢理ツマルようにする必要は全くないでしょう。それでは本当に「苦行」になってしまいます。

そうやって素直に聴いてみて、どの曲もツマラナクて耐えられない方は、何もワザワザ音楽を聴く必要は無いかもしれません。自分が素直に感応できる他のジャンルの芸術に親しめば良いだけの事です。ちなみにハチマルは舞台芸術と詩にはうまく感応できません。誰しも、感応しやすいジャンルと、良く分からないジャンルがあるのは当然です。音楽家に画才がなくても、画家が音痴であってもゼンゼン不思議はないですよね。

自分にとってツマラナイ音楽を、無理矢理ツマルようにするために音をイジクリマースのは不毛です。そんなものは「音楽性」でもなんでも断じて絶対に全くありません。「音楽性」とはそんなもんを全部取り除いた真反対のところに見えて来るものではないでしょうか。

まずは自分にとってツマル音楽をしっかりと見極め(自分は何が好きなの?何を聴きたいの?)、そのような音楽をより良く楽しむために本当に必要十分な装置を選択すれば、魑魅魍魎にも惑わされる事はないでしょう。そうやって選択した装置は、自分が本当に大好きな「音楽」を心から楽しむための自分だけのための装置です。そのオンシツに関して他者のオーヂオ ヒヨウロンカ的評価を一切気にする必要は全く断じてゼンゼンなかろうと思います。

追記
そんなに「音楽」がツマラナイのなら、わざわざ音楽を聴かずとも、この時代、他に色々な楽しみがいくらでもありますよ。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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