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2010年10月14日 (木) | Edit |
前の記事の続きです。

このブログを以前からお読みの方は、僕がたびたび「音楽が聴きやすい」という表現を使う事にお気づきかも知れません。今回はこのヘンについて。。。

以前パネルディスカッションを例に挙げましたが(コチラ)、今回は落語のCDを聴く場合を例にして考えてみます。大好きな噺家のCDを聴いている状態を考えて見てください。まず「笑いたい」わけですから、極力弛緩したリラックスした状態で聴きたいですよね。「眉間にしわ寄せて耳をそばだてて一語一句聞きのがすものか」と身構えて聴いても、心から落語を楽しめるはずがありません。また話者の口のカタチや大きさなんて全く意識にも登らないはずです。そんな弛緩した状態でも話者の語りが、意識的に一語一句を追いかけずとも、自然に明確に耳にそして最終的には脳あるいは意識に届いて欲しいわけです。そして噺家が絶妙のタイミングで絶妙の語り口で何かオモシロイ事を言った瞬間に、自然に反射的に「ガハハ」と笑いたいわけですよね。例えば、噺家がなにか小声でボソボソっと呟いて、観客の数名だけが笑い声を上げた時に、録音状態が悪かったり再生装置が悪かったりして自分には聞き取れなかったら、フラストレーションが溜まります。

音楽を聴く際も、僕の場合全く同じです。音楽を聴く場合、べつに一音一音に意識を集中して聴き取るワケではありません(聴覚として「聴き取る」事に努力を払いたくないということ)。そんな事したら音楽の一番オイシイ部分が楽しめません。様々な「音」の時間的変化で構成された「音楽」がリラックスした状態(これ重要、さらに進むとトリップした状態)で耳をそばだてなくても自然に細部まで明確に意識に流れ込んで来て欲しいワケです。極端なハナシそれが僕の求めるオーディオ装置の音質の全てです。だって僕は「音楽」を聴きたいわけですから。「音楽」を楽しむのが僕の目的だからです。だから「良い音」=「音楽を聴きやすい音」というのは至極当然な事と言えます。また音場感や臨場感もたいして重要ではありません。録音時または再生時にそのような効果が強調されると、かえって音楽が聴きづらく感じてしまいます。

このような聴き方をする僕にとって、音に余計な癖があると長時間聴いているうちに違和感が蓄積されてフラストレーションが溜まり始めます。この余計な癖とは「録音されている音楽以外の音の要素」だという事だと思います(たとえば部屋や箱の定在波、箱鳴り、バスレフポートの音等)。これらが過剰に含まれていると「録音内容」が凄く聴きにくく感じられるのです。だって「録音されている内容(音楽、噺家の語り)」を聴きたいワケですから、それ以外は無意識にノイズとして感じてしまうようです。また、周波数特性が十分に低域まで伸びていないと、低音楽器(特にベース)の音が聴きづらくてフラストレーションが溜まるというのも当然です。だって本来聞こえるはずの音がよく聞こえないワケですから。極々当たり前ですよね。。

僕は全可聴帯域のフラット再生と正確な位相というのを重視しますが、これは「記録されている内容の聴きやすさ」を求めると自然とそうなるという事です。それが目的ではありません。ただ、そうすると音楽が聴きやすくなる、さらに言えば音楽をより深く楽しめると言う事です。オーディオ装置を「そのものを嗜むための装置」ではなく「音楽を聴くための装置」と考えた場合、これは本来全くアタリマエの最も基本的な今さら言うまでもない要件だとも言えます。普通に考えれば至極当然の事だと気付くはずです。

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テーマ:オーディオ
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