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2010年06月08日 (火) | Edit |
いじる いぢる 【▼弄る】 (動ラ五[四])
補足説明歴史的仮名遣い「いじる」とする説もある
(1)(必要もないのに)さわったり、動かしたりする。もてあそぶ。
「羽織のひもを—・る」
(2)本格的にではなく、趣味でする。遊びでする。何かをすることの謙称としても用いる。
「パソコンを—・っています」
(3)はっきりした目的・方針もなしに、あるいは部分的に組織などを改変する。
「機構を—・る」
(4)弱い者をいじめる。困らせる。
「腰ぬけて鬼婆々となつて嫁子を—・り/浮世草子・禁短気」
出典: http: //dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/9184/m0u/%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%8B/

今日は音をイヂルという事について考えてみたいと思います。

さて、僕はFrieveAudioの音場補正を使用して、デジタル信号処理でソース信号を改変して音楽を聴いている訳ですが、これは音をイヂッテいるとは申しません。これは装置(部屋を含むシステム)を「校正」(キャリブレーション)しているに過ぎないのです。つまり、入力(ソース信号)に対して出力(耳に届く音波)が正しく対応するようにシステム全体の伝達関数を調整しているだけの事です。オーディオ装置は楽器ではなく電気/機械装置です。装置を実際の環境に合わせて正しく機能させるには校正(正確には調整)が必要なのが当然です。音源のデジタル化によって、この校正が極めて容易かつ正確に行えるようになっています。もう何十年も前から。。。

で。僕の「イヂル」に相当する行為は、今のところ真空管アンプを敢えて使用している事と、音場補正後にイコライザを微調整するくらいだと思います。まあ、音色の好みでスピーカーを選んでいるのもそのうちに入れても良いかもしれません。

僕がこの校正を重要視するようになったきっかけは、以前書いたようにカナル型イヤフォンでした。イヤフォンと鼓膜の間がほぼ密閉されるため、鼓膜はちょうどドロンコーンのようにしてイヤフォンのダイアフラムによってドライブされます。従って周囲の音響特性に影響されることなく超低音(カタログでは5Hzまで、、、ってどういう基準なのかねぇ)まで再生可能です。それまでは随分とモヤモヤとして低音(といってもズンドコの事ではなく、もっと微妙なヤツ)が不足した状態で音楽を聴いていた事を痛感した次第です。この聞こえ方をスピーカーで実現するには「校正」が必要であったと言うことです。

オーディオ装置は単純に言えば

音を記録して別の場所/時間で再現するための機械ですので、記録された音をそのまま耳に届ける事によってその役目を全うします。本来は、録音時に耳で聞こえる音の音波(原音)を再び耳位置で再現できなければ(あるいは少なくとも原理的にはそれが可能でなければ)、完全な音(場)再生装置とは言えないのですが、ステレオ方式の原理そのもの、および録音プロセスにおける様々な操作によって、「原音(場)」の再現は幻影である事は以前の記事に書きました。我々がオーディオ用に使用しているステレオ機械は、録音時の音場をそのまま耳の位置で再現できる仕組みにはなっていません。多くの録音では、多数のマイクロフォンで収録した音を左右に適当に振り分ける事によって、「それらしく」聞こえるように演出しているに過ぎないのです。各自勝手な条件で録音して、各自勝手な条件で再生しているのが現実です。というのは録音方法および再生方法(例えばマイクロフォン(スピーカー)の位置、録音時(再生時)の残響時間等)に対する一切の規格もありません。原理的にエーカゲンな機械なのです。再生装置というのはおこがましいくらいで、いまだに蓄音機と言った方が正確かもしれません。そもそもステレオなんぞという中途半端な物を作るから後々ややこしい事になるわけで、いっそモノラルのままの方が無駄な幻影に惑わされずに本来の「音楽を聴く」という行為に集注できて良かったのではないかと、ふと思ったりもします。

本当に厳密に生の音を再現したいのであれば、少なくとも原理的には可能と思えるバイノーラル方式の方が格段理に理に適っています(参考記事: 自動車開発におけるバイノーラル録音の実施例)。ただし、そうやってリアルに音場を再生したとしても、意外と味気なく感じるのではないでしょうかねぇ。。というのは、ライブで実際に聴いている時には耳だけでなく五感全てでその場の雰囲気を経験している訳ですから。それよりも端っから「嘘」と居直って家庭で聴きやすいように調整された現在のステレオ式の方が音楽を楽しめるのではないかと思います。

では、装置で再生音を聴く行為が生の演奏を聴く行為に質的に劣る行為か、というと決してそうではありません。そもそも、再生音を聴く行為をライブで聴く行為の代替あるいは再現と考える事からして無理があります。再生音で音楽を楽しむ行為は、生演奏で音楽を楽しむ行為とは異なる、20世紀になって人間が獲得した新たな音楽体験(表現)形態であって、決して劣るものでも準ずるものでもありません。そんな事は60年代のミュージシャン達がとっくに示していて、彼らはLPを通してライブとは全く異なる独立した表現手法の優れた作品を発表し始めます。マイルスの60年代のクインテットの作品もそうですし、何よりもビートルズのライブ活動の中止が象徴的です。クラシックだとて、製作側の意識は同じだと思います。例えば、要所要所にマイクロフォンを配置して慎重に録音/ミクスダウンしたフルオーケストラのCDには、コンサートホールでは決して聴けない楽しみ方があるはずです。つまり、再生音楽には再生音楽としての独自の楽しみ方がある訳で、そこに過剰なリアリティや臨場感を求めて音をイヂリ過ぎると、生演奏では味わえない再生音楽ならではの良さ(音楽構成の緻密さ、アーティストの集注度、音響環境のクオリティの高さ等々)を損なうだけではないでしょうか。

いや、実は以前試聴会というのに行ってみた時に、あまりに「ライブな」というか「小節(コブシ)を効かせた」というかそんな傾向の音だったので、もしこれがオーヂオの標準的な嗜好だとすると、僕の好みの音はそれこそ墓場で聴いているようにしか聞こえないんぢゃないかなぁと思ったもので。。
なんか、せっかく慎重に音響調整した部屋で録音した演奏を、わざわざ狭苦しいライブハウスで聴かされているような。。情感を抑えたバッハがムード歌謡のウェットな前奏のように聞こえるというか。。。

皆さんやはりそんなに「ライブっぽく」聴きたいのかねぇ?

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
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