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2013年10月29日 (火) | Edit |
「Jazzを考える」の最終回は、なかなか筆が進まないので、今回は番外編です。

モダンジャズって、他のジャンルに比べて難解なので、とても取っつきにくいと思います。という事で、今回はモダンジャズの鍵をガチャコンとこじ開ける方法について、僕の経験に基づいて独断的に書いて見ますね。

特に若い子達に聴いて欲しいですね。過去の音楽界には、こんなに凄まじくもクールで高度なアートムーブメントがあったという事を是非知って欲しいと思います。ウン。。ロックも含めてね。。。

まず、「鍵をガチャコンと開ける」とはどういう事か?

下の絵を見てください。
Scan10076.jpg
この絵は、「若い女性」にも「老婆」にも見える事で有名ですが、皆さんはどちらに見えますか?
「老婆」に見えた方は、「若い女性」に見えるよう頭の中で見方をイロイロ変えてみてください。
「若い女性」に見えた方は、「老婆」に見えるよう努力してください。

見ているうちに、突然、今までとは全く違った見え方がするはずです。その瞬間、ちょっと目まいに似た感じを受けるかもしれません。一度見方が分かると、後は両方の見方を楽に切り換える事ができるでしょう。

僕が中3の時に、マイルスの Kind of Blue を「ヨクワカラナイ」けど、とりあえずオベンキョしながらラジカセで繰り返し聴いているうちに、突然ジャズの鍵がガチャコンと開いた時も、丁度そんな感じでした。全く突然です。一度鍵が開くと後は楽なモンです。それこそ片っ端、手当たり次第にジャズを聴くようになりました。

MD2.jpg

ここで重要な事は、「ナガラ」で「繰り返し」聴いたという事だと思います。あ、それと、ジャズやマイルスに関する予備知識がほとんど皆無であったという事も良かったと思います。

なにも、シューチュしてマンヂリともせずに、オンヂョとかコマケーオンシツに意識を消耗して聴くのが偉くて上等な音楽の聴き方ではありません。世間で上等だと言われるヨクワカラナイ音楽を分かろうとか理解しようとして、ヒヨロンカのご本を読んだり、ヒヨロンカのように分析したりして、頑張って集中して聴いたって、本当に美味しいホンマのトコロは絶対に味わえないでしょう。

「ナガラ」で聴く事の利点は、音楽に向かう余計な意識(分かろうとか、理解しようとか、ヒヨロンカがどうのこうの言ってるとか、ヒヨロンカのように分析しようとかする意識)から解放されるという点にあります。音楽のみならずアートに触れる際は、余計な意識や理性や予備知識は邪魔にしかなりません。文学だってそうです。ガッコで習ったような「そこで作者はどう考えたか?」とか「行間を読む」とか「教養を付けたいから読む」なんて読み方をしたら、文学の一番オイシーところは決して楽しめないでしょう。そんな事したらもうダイダイダイのダイナッシです。ホンマニ。

よく、音楽に限らず上等なオゲージツを鑑賞して「難しくてヨクワカラナイ」と言いますが、そもそも、オゲージツはワカランもんです。作った本人ですら良くワカランのがオゲージツです。鑑賞しても分かるわけがアリマセン。もう、とにかくスッゲー!スッゲー!スッゲー!、超カッコイー!、超キモチイー(キモチワリー)!、ナンジャコリャー!、ドナイナットンネン!という世界です。Feel! Don't Think が、特に初期の段階では絶対に重要だと思います。

さて、僕はタマタマFMでエアチェックした Kind of Blue で鍵を開く事ができたわけですが、これは非常にラッキーであったと思えてなりません。僕がもしタマタマ Kind of Blue ではなく、E.S.P(1965)やNefertiti(1967)をエアチェックして聴いてみたとしたら、果たしてジャズの鍵が開いたかどうか甚だ疑問です(だって、もっとヨクワカラナイと思う)。これからモダンジャズの世界を探検してみたいとお考えの方には、鍵を開くための取っかかりとして、Kind of Blue が絶好の1枚ではないかと思います。適度にオーソドックスで(聴きやすく)、適度に洗練されている(古臭かったり、粗野であったりしない)からです。

一般的にジャズでは、即興といってもやりたい放題ではなく、各奏者は一定のルールに則ってアドリブを展開するわけですが、1940年代に始まったビバップ以降、モダンジャズの奏者達はアドリブ演奏に関する各種の手法や理論を発展させて行きます。大学時代にジャズの理論書をちょっとだけ読んでみた事があるのですが、僕には全くティンプンカンプンでした。とっても難しい。。。僕は絶対にジャズプレーヤにはなれないと思いました。

で、彼らは1950年代後半に「モード」と呼ばれる手法に行き付きます(注: モードは別にジャズ特有の考え方ではない)。それまでのアドリブは、コード進行やコードの分解に基づいて展開されたの対し、モード法ではコード進行をシンプルにしてモード(旋法、音階みたいなもの)に基づいてアドリブを展開するのだそうです。なんだかイマイチよく分かりませんが、ロックのアドリブに近いと言うハナシも聞いた事があります。コード(和声)に忠実に従うと誰が演奏しても似たようなソロになってしまう傾向があったのに対し、モード法ではソロをより自由に展開できるようになったそうです。フムフム。。。

で、モードの最たる成功例が1959年にリリースされたマイルスの Kind of Blue であるというのが定説のようです。ですが、Kind of Blueでは、まだビバップ的な要素も結構残っているように僕には聞こえます。僕が大好きなE.S.P (1965)以降の作品になると、もう全くビバップ的ではありません。Kind of Blue はビバップ形式の、ソロを順番ずっこに回して各奏者がアドリブを応酬するという形態の完成と脱却の両面を持った転換期的作品であったと言えるのかも知れません。かな?

アドリブのルールをもっと緩やかに(フリーに)したのがフリージャズです。Kind of Blueと同年(1959)に、オーネットコールマンが The Shape of Jazz to Come をリリースして旋風を巻き起こします。1959年というのは僕が生まれた年でもありますが、モダンジャズの大転換期であったのかも知れません。ちなみに、マイルスはフリージャズが嫌いだったそうです。なんとなく分かるような気もします。フリーを突き詰めると(進化の先は)どん詰まりになるからです。

という事で、Kind of Blue をBGM的にリピートして何度も何度も聴いて鍵が開いたら、50年代へ遡るもよし、60年代へ進むもよしです。また、豪華なメンバーが参加していますから、その中から好きなプレーヤーの作品を追いかけるもヨシです。あのコルトレーンも参加していますからね。。。
<参加メンバー>
ジョン・コルトレーン - テナー・サックス
キャノンボール・アダレイ - アルト・サックス
ビル・エヴァンス - ピアノ
ウィントン・ケリー - ピアノ
ポール・チェンバース - ベース
ジミー・コブ - ドラム
僕は先鋭化と多様化が進んだ60年代を好み、さらに70年代のウェザーリポート/ジャコをリアルタイムに追っかける事になります。

Kind of Blueの後、コルトレーンは独立して自分のバンドを組みます。60年代に最もモード法を極めたのがコルトレーンだと言われ、その後彼はマイルスとは対照的にフリー化へと進みます。

ジャズを30年以上にわたってイロイロと聴いてきましたが、マイルスとコルトレーンは、好き嫌いを超越した文句なしダントツに最強の東西横綱だと思います。絵画におけるピカソ、ロックにおけるビトルズ、クラシックにおけるベトベン、漫画家で言えば手塚治虫、野球ならば王・長嶋といった存在でしょうかね。悪く言えば巨人大鵬卵焼き的ですが、やはり時代を超越してホンマノホンマににメジャーな存在はホンマノホンマに偉大です。絶対に。。面倒臭かったら、この2人の主要な作品だけを聴けば十分にモダンジャズを堪能できるのではないかと思います。彼ら2人を軸にして聴く範囲を拡げて行くと良いかもしれません。あ、でも、もう1本の軸がありました。オーネット コールマンは是非聴いてみてください。2人だけを聴けば十分と書きましたが、3人ですね。3人に訂正します。3人です。3人

コルトレーンだったら、鍵開け用の1枚として My Favorite Things(1960) が良いのではないかと思います。どでしょうかね?
JC1.jpg

とにかく収集欲を発揮せずに、1枚をエンドレスで繰り返し繰り返し繰り返しナガラでGBM的に聴くとよろしいかと思います。余計な予備知識も一切不要です。ヒヨロンカの本なんか絶対に読まない事。ラナーノーツも読む必要はありません。何も知らない方がかえって良いでしょう。もちろん大層な装置も大音量も不要です。オンヂョやナンタラカンなんか気にする必要は一切全くゼンゼンアリマセン。そいうのに適した本当に高品位な装置が無いのですよねぇ。。。ヘッドフォンだと長時間は辛いし。。。車をよく運転される方は、その点有利です。運転しナガラ繰り返し聞いてみて下さい。

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テーマ:JAZZ
ジャンル:音楽
2013年10月25日 (金) | Edit |
ABCと言っても「入門」という意味ではありません。今回は理想的なオーディオシステムについて考えて見ます。
ここで言う「システム」とは、制作側と鑑賞側を含めたトータルな「システム」です。

これにあたって、3つの状態を考える必要があります。
A: 音楽家の生の演奏行為
B: スタジオのモニタ装置で作り込まれ、最終的に表現者が彼の「耳」で確認/承認した状態
C: 家庭用再生装置でリスナの「耳」に届く状態

ここで重要なのは
1) B = A ではない
表現者が世に問うのはあくまでも「B」の状態です。表現者は明確な表現意図を以て「A」から「B」を作り込みます。場合によっては、「B」を「A」に「似せよう」(理想装置でない限り「似せる」事しかできない)とするでしょうし、場合によってはAに大幅な加工を加えるでしょう。どう作ろうが、それは全く彼らの勝手です。画家が何色を使って何をどう描こうが勝手なのとオンナジ。

2) C = B が家庭用再生装置の理想
理想的な家庭用再生装置の目的は、理想的なスタジオモニタ装置を使って表現者が彼の「耳」で最終的に承認した「B」の状態をリスナの「耳」に届ける事です。つまり、スタジオにおける表現者の「耳」から家庭におけるリスナの「耳」までの伝達です。

3) C = A は幻影(コノミノモンダイ)
いわゆる「原音再生」ですね。仮想体験を過剰に求めた「音場のサイゲン」というヤツも同じです。これらを過剰に求めると「ナイモン」を求めてグルグルする事になります。ソース(B)に含まれていないモノを装置で無理矢理付加しようとするわけですから、個人的コノミノモンダイの領域となります。「原音再生」とかナンタラカンタラとか、大層な事を言う必要はなく、個人的コノミノモンダイの領域ですから、各人好き勝手にやればヨロシカロウと思います。

次に、制作側および鑑賞側の理想の装置について考えて見ます。
1) 制作側の理想装置
理想のスタジオ モニタ装置は基本的に真っ白のキャンバスです。モニタ上で、表現者が思うがママに、望むがママのクオリティで、そのキャンバスに彼の望み通りの音楽表現(音色、ヒビキ感等を含む)を描ける事が、最終的なモニタ装置を含む制作側装置の理想です。彼がモニタ上で生音の再現を望めば全くその通りに再現でき、彼が生音に飽きたらず彼のイメージする音を望めば、モニタ上で自由自在に効果を加える事ができる装置です。彼がモニタを聴いて「ツマラナイ」と感じれば、彼が「ツマル」と感じるまで、モニタで聴きながらヒビキなり音色なりナンタラカンなりカンタラカンなりオンガクセーなりヂョーネンなりシヅルカンなり何なりの効果を加えるでしょう。

2) 鑑賞側の理想装置
理想の鑑賞装置は基本的に純白のスクリーンです。スタジオのモニタから表現者の耳に届いた「B」を、そのままのクオリティで、そのままの音色で、そのままのヒビキで、そのままリスナの耳に届けるという事です。絶対に勘違いしてはならないのは、「A」を再現する事が目的ではないという事です。リスナは、表現者がモニタで聴いて「ツマル」と感じた、彼の望むがままのナンタラカンなりカンタラカンなりヂョーネンなりオンガクセーを含む「彼(俺様)が求めた音」で「彼(俺様)の音楽」を聴く事ができます。リスナは、その表現が「ツマラナイ」と感じるのであれば、それを聴かなければ済むだけのハナシです。
恐らく、多くのオヂオマニア達が望むオトと、音楽家がモニタ上で僕達に聴いて欲しいと目指した音は大きく異なるのではないかと思います。マニアの多くは「ツマラナイ」と感じるのではないでしょうか。何故ならば、音楽に触れるに際しての意識の置き所が全く異なるように思えるからです。180度グルットね。。。。
リスナが装置でオトをイヂッテ自分が「ツマル」ように手を加えるのはリスナの勝手ですが、それは全くの個人的コノミノモンダイ領域であり、絶対的な基準はありません。オンガクセーたらヂョーカンたらをさも偉そうに振り回す必要はなく(真にそれを求めるのであれば、素直にソースを聴くべきであり)、自分の好きなようにやればヨロシカロウと思います。

以上は、あくまでも理想状態です。

制作側の装置(特にモニタ装置/方式/考え方)にも改善が必要でしょう。ただし、スタジオモニタだけが進化してもアキマセン。モニタはあくまでも、家庭用再生装置の原器である事を念頭に置く必要があります。モニタはシステム内の基準点に過ぎません。システム全体の最終的出力点は、あくまでも家庭におけるリスナの耳位置であるという事です。ここでの世の中全体の平均的クオリティが向上しない限りアカンという事です。

理想の実現を阻害する最大の要因は、再生場(部屋)の影響です。何故ならば、スタジオも各家庭の部屋も千差万別だからです。
第2の主要因は、若者達でも十分に手が届くリーズナブル価格帯のコンパクトな民生用装置(真っ当な家電製品)の再生クオリティ(特に低音再生能力)がここ何十年もの間基本的に進歩していない点にあります。最近のJポップの録音に対して批判も多いようですが、リスナの平均的な再生環境を考えれば致し方ないのかもしれません。家庭用再生装置のアベレージが大きく向上すれば、制作側のクオリティも必ず向上します。何故ならば、制作側がエクスキューズできなくなる(エーカゲンに作れなくなる)からです。

再三申しているように、部屋の影響を全く受けないヘッドフォン/イヤフォン方式は、以上の点で圧倒的に有利です。今後さらに、ヘッドフォン/イヤフォン再生が広く普及するようであれば、制作段階からコチラをモニタの基準にする事で、上記の理想状態に一気に近付く事ができるでしょう。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年10月19日 (土) | Edit |
昨日は、元自転車暴走族仲間で本格的山男でもある友人に、岩上り(フリークライミング)に連れて行って貰いました(飯能にある天覧山)。ボルダリング ジムは何度か行った事があるのですが、ジムの人工的な壁とは異なり、ホンモノノ岩はやはり格別でしたよ。大地というか「地球」にしがみ付いている感があって。母ちゃんの腕にしがみつく赤ん坊かもしれません。。。ほんとに素晴らしい体験をさせて貰いました。高さは10m近くあったと思いますが、ベテランにロープでしっかり確保してもらいながら登るので、昔やっていた自転車レースよりもずっと安全ではないかと思います。ちなみに、友人は自転車で2度大きな怪我をしています。昨晩は年甲斐もなくすっかり興奮してしまって、なかなか寝付けませんでした。今度は専用の靴を買って挑戦したいと思います。


さて、本題です。
アメリカの黒人達は、身近にあった西洋人の楽器を使って音楽を奏で始めるわけですが、彼らの深奥にあるアフリカの音階とは当然異なります。無理矢理引き離された恋い焦がれる本当の母ちゃん(アフリカの大地の)旋律を求めて、この違和感をなんとか埋めるべく、様々なコードを複雑に駆使するあのモダンジャズの「探求」が始まったのではないのか?と僕は勝手に考えています。

という事で、今回は僕達が最も身近に親しんでいる西洋音楽の音階について書いて見ますね。

僕達にお馴染みの音階は「12平均律」と呼ばれています。1オクターブを全く数学的に12等分(対数的に等分)した音律です(詳しくはコチラ参照)。ピアノの鍵盤も1オクターブの間に白黒合わせて12個ありますよね。F特でお馴染みの横軸対数のグラフに各音階の周波数をプロットすると、完全に等間隔に並びます。この音律はギリシャ時代に既に提唱されていたらしく、17世紀頃に西洋で広く定着したようです。

ただし、平均律では各音階の周波数の相互関係が正確に整数比にならないという問題があるため、古くから否定的な意見もあったようです。2つの音の周波数が整数比を成さない場合、理想的な和音にならない(モジュレーションが発生する)ためです。

このような問題はあるものの、平均律では全ての音階が全く一定の間隔で並ぶため(音階間の相対的関係は一定であるため)、移調や転調が極めて容易であるという大きな利点が得られます。つまり、どの音階をキーにしても、全く同じ旋律を奏でる事ができるという事です。平均律以外の音律では、この点で問題が生じます。

整数比をとる純正音程に対する12平均律の周波数誤差は、全音階でほぼ1%以内(最大1.02%)に収まっており、実用的にはあまり問題がなく、とても便利なので、広く使われるようになったという事でしょう。ですから、平均律の成り立ちはサイエンティフィックであると同時にエンジニアリング的(実用を鑑みたマァマァソコソコの妥協点)であると言え、一言で言えば人工的であるとも言えるでしょう。

しかし、通常は12の音階を全て均等に使うわけではありません(一部の現代音楽を除く)。
各地の民族音楽の音階は、我々人間の深いところに根ざす自然発生的な音階であり、人工的な平均率の音階とは当然異なります。西洋人も例外ではなく、元々は森にうごめき闇や獣の恐怖におびえた原始人であったわけで、12の音を均等に使った旋律では、心の琴線に触れる事はできません(なんかエーグアイには聞こえない)。ですから、自然と特定の音階を中心に使って旋律が作られます。

それがいわゆる「長調」と「短調」というやつですね。

長調は明るい感じ、短調は暗い感じ、と教わりましたよね(コチラ参照。音が聞けます)。
ピアノで「ド」から白鍵だけでミファソラシドと使うのが「ハ長調」と教わりました。一番オナジミのやつですね。
ピアノで「ラ」から白鍵だけでシドレミファソと使うのが「イ短調」です。「ド」から始める場合(ハ短調)は黒鍵を使う必要があります(ミとラとシを半音下げる)。
注: 上の単純な短調ではイロイロと不都合が生じるらしく、他に2つのバリエーションが存在します。

これが西洋土着の自然発生的音階に近いものなのでしょうか?。しかし、日頃すっかり聴き慣れているせいか、他の民族音楽の音階のように土の臭いが感じられないような気がします(泥臭くない)。西洋音楽というのは、土着性が大幅にそぎ落とされたがために、全人類的に受け入れられやすい普遍性を獲得したと言えるのかもしれません。その反面、失ったものもあるでしょう。それが僕の言う「地」の要素なのかもしれません。

次回は、アフリカ音楽とのフュージョンによって、西洋音楽に全人類的に普遍の「土着的要素」(つまり「地」の要素)が加わったのではないか?というオッハナシになる予定です。大詰めですね。オッタノシミニ!


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テーマ:JAZZ
ジャンル:音楽
2013年10月14日 (月) | Edit |
オーディオショーに行く前に立ち寄ったBICカメラで、スイスのGENEVAというブランドのちょっと素敵なオーディオシステムを見付けたのでご紹介します。

詳しくは、コチラコチラを見てください。

ModelS: 7.6cm フルレンジ
models_1.jpg
ModleM: 10cm 2Way
modelm_1.jpg
ModelL: 13cm 2Way
_blu_4_1.jpg
ModelXL: 20cmサブウーハ + 13cm 2Way
_blu_4_2.jpg

_grill.jpg_grill_4.jpg
_grill_4_1.jpg_grill_4_2.jpg

ジェネーバサウンドシステムは、シンプルでスタイリッシュなデザイン、そして数々の特許技術を駆使して「際立った音」を再現します。左右のスピーカーとリスナーの聴く角度によって音質が微妙に変化する従来型のHi-Fiステレオとは異なり、ジェネーバサウンドシステムは広いリスニングポイントを提供し、部屋のどこにいても優れたステレオサウンドを楽しめます。

どのモデルも、左右SPをピッタリとくっつけたアンプ内蔵一体型です。クロスオーバーはデジタル式との事。DSPで多少のスッテレオ感を演出しているかもしれません。全てのモデルがiPod用ドックとFMを備え、LとXLはCDドライブも内蔵しています。

いずれも古典的バスレフ型ですが、密閉型にして各種DSPアルゴリズムでメカトロ化すれば、低音クオリティを改善しながらもっとコンパクトにできます。SタイプにはAlpair6M、MタイプにはALpair7(CHR70)、LタイプにはAlpair10、XLタイプにはAlpair10 x4~6本でバッチシですね。Bluetoothを搭載すれば、FMとCDはもはや不要でしょう。

再三申しているように、一般家庭用(非マニア向け)の装置では、真っ正面で聞かない限り正しく機能しない通常のスッテレオ方式は不要どころか弊害にしかなりません。だいたいスッテレオ方式は、特にマニアック層の意識を肝心の「音楽再生」から「空間再現」「臨場感」「仮想体験」といった幻影へと過剰に向かわせてしまい、彼らの発言力/影響力が強いため、その後の家庭用音楽再生装置の正常進化を大きく歪ませてしまったように思えてなりません(例の演奏家さんも怒ってましたよね)。レーザーを使ってミリ単位の位置決めをして、マンヂリともせずにその位置で聴くなんて、実用的には馬鹿げているとしか思えません。彼らは一体全体ナニにタイヂしているというのか?

TVの画面が飛び出して見えたからってドナイヤチューネンと同程度のモンです。所詮は。オマケ。。

追記
モバイル機器+Bluetoothは今後ますますオーディオ分野で普及するでしょう。これは極端なデータサイズの増加を招くハイレゾ化と真っ向から矛盾します。さて、どっち方向が主流を占めるのか?

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年10月13日 (日) | Edit |
ジャズに関する続きの記事を書こうとしたのですが、この先やたら難しくなるので書きあぐねています。

という事で、久しぶりにオヂオのお話し。

ちょっとした機会があって、有楽町で開催中のハイエンドオーディオショーに行ってきました。「ハイエンド」なんだから自動車で言えば「スーパーカー」ショーみたいなものだろうと勝手に勘違いし、国際フォーラムあたりで超ミニスカートのお姉さん達がカタログを配ったり、夢のように絢爛豪華な商品や、実用性はどうあれ夢のような将来テクノロジーを展示したブースの前でポーズをとってニッコリなんてのを大いに期待したのですが、ゼンゼン違ってガッカリ。。。コレヂャ、以前行った事のある真空管ナントカショーとなんも変われへんヤン。。。。

全くオタク的でオヤヂ的で、閉塞感に満ちあふれ、この先発展はアレヘンデ感を自らアピールしてるのか?と言いたくなるような印象を受けました。これぢゃぁ、新しい顧客層を獲得できるわけがありません。訴求力も説得力もゼロ。一般の人は、エレベータを降りた瞬間に場違いなトコロに迷い込んでしまった事を悟って踵を返すでしょう。

「ハイエンド」をアピールするなら「説得力のある夢」をアピールしないと。高価なだけヂャあきません。高価であれば高価なりに説得力がないと。完全にバイアスのかかったオタクを説得したってしょうがありません。それヂゃ内輪でグルグルするダケです。一般常識を備えた一般人を説得しないと。ショーでは「オト」なんかドーデモエーンですよ。だいたい、アンナ場所で実用状態とは全く異なる環境でオトを聞いたって何も分からんし。一体全体、ナニのためのショーなのか?真空管ナンタラショーとナニが違うのか?同じオタクが来るだけやん。結局はオタクの同人の会みたいなものなのか?

大手の家電メーカさんには、こっち方面を明確に「オタク」(ソレハソレコレハコレのソレ)領域としっかりと認識してバサリと切り離し、一般の人々のための真っ当な電化製品としてのオーディオ技術にもっと注力して欲しいものです。コッチ方面の製品があまりに安直に、オザナリに、ナオザリに扱われているように思えます。なんも考えてへんやん。なんでハイレゾやねん。と言いたい。

オッタク領域のソッチよりもコッチの方が人間社会全体に対してずっと重要だし、真の意味で技術屋の力量が問われます。。やったらコマケー事をコスト無視でドッコマデモぐるぐると追究するのはドッシロートにやらせておけばヨロシ。そっち方面は誰にでもできます。。大手メーカさんには社会に対して責任を負った真のプロとしてのオッシゴトをして欲しいものです。。ホンマニ。

追記
ボサノバのライブを聴けたのは良かったけど、もう少し配慮されたステージ環境で演奏させてあげたかったナァ。ほんのちょっとの気遣いで良いと思うのですよ。演奏家に対してシッツレイでしょ。あっれぢゃぁ。スピカと同じ扱いかよ。。。。あんな扱いだったら呼ばなきゃ良いのに。なんで呼んだの?

あ、それと、光センサで針の動きを検出するレコードカートリッジはオモシロイと思いました。でも、あくまでも針の動きを検出するので、またメカ部に対してオッタク的アレヤコレヤが出てきそうです。いっそ、針は溝を追従する単なるガイドとして使って、溝の凸凹を直接光で読み取る事ができると良いのにナァ。。。と思いました。

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