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2013年09月28日 (土) | Edit |
僕は明らかにSONYファンです。
学生時代のステレオラジカセ、ZS-F1、一時期愛用したCD-Walkman、2つ目に買った上等なカナル型イヤフォン、現在愛用する2つのヘッドフォンとポタアン、息子に買ってやったチビ丸君。。。技術的にもデザイン的にも洗練されているように感じられるところに惹かれます。

そんなSONYが大々的に「ハイレゾ路線」を打ち出しましたね。
SONYハイレゾ-1
いきなりメイン スローガンで「聞こえましぇん」という事をエクスキューズしておるわけですね。これは。で、「ナンカ感じてちょ」と?。どうとでも言い逃れできますね。消費者を煙に巻くというか。SONYファンとしてはガッカリです。そんな会社だったのか?SONYって?

最近、当ブログでもシリーズで「ハイレゾ」について書いたばかりですが、ネットで調査してみても、巷に溢れる「ナンタラ変わりました!」というのではなくて信憑性の高い情報だけを集めると、ハイレゾの効果については否定的なものしか見つからず、また自分でもスーパーツイータを買って再確認してみましたが、やはりトント何も「感じ」ませんでした。

今まで、主にソースの配信業者が「ハイレゾ」の「コーオンシツ」を強く喧伝していましたが、メーカ本体は今回のSONYほど露骨に「ハイレゾ」を打ち出していなかったように思います。なんだか媒体がもう出回っちゃってるしぃ。。。。一応、プレーヤとかスーパツイータくらいはねぇ。。。。という感じでしょうか。物作り屋として、効果もアヤフヤなものを余り露骨に強調するのも気が引けるしぃ。。。という雰囲気もあったのではないか?という気もします。技術屋さん、物作り屋さんとしてね。

それがですよ、よりにもよって、CD規格の策定に中心的役割を果たし、プロ用のデジタル録音機材にも深く関わってきたSONYさんが、こんなに大々的に「ハイレゾ」を打ち出すとは、正直言ってショックでした。SONYがこんな事をやる以上、それなりにしっかりとした学術的な音質評価試験(主にブラインドテスト)を実施して、学会にハイレゾの確たる効能を発表した上で、そして今後の音楽産業(消費者側/制作者側両面)のあり方を見据えた上で、やっておられるのだと信じたいトコロですが。。。果たして。。

製品発表会でSONYの偉いオヂサンが
「ハイレゾ音源は(人間の可聴域を超えるため)科学的には人間の耳には聞こえないが、体で感じることが重要だ。“聴く”から音楽を“感じる”楽しみを提供したい」と、やはり件のスローガンをソノマンマ唱えてエクスキューズしています。ご本人達はそれを「感じる」事ができたのでしょうか?
物作り屋としての道を踏み外すと、必ず後で手痛いしっぺ返しを喰らいますから。。。ご注意。

SONYがこんななら、Victor JVCさんなんかには、
Real Bass!/Real Music!
をスローガンにでも掲げて、デスクトップ用の超小型モデルから大型モデルまで、フルラインナップで低音までキッチリと本当に音楽を楽しめる真に真面目なオーディオ製品を全力で開発して頂きとう御座いまする。
そして、本当に何が重要か? を世に問うて欲しいものです。ある意味反撃のチャンスですよ。コレハ。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年09月27日 (金) | Edit |
スピーカシステムの設計において、まず決定しなければならないのが「下限周波数」と「想定音量」です。

「下限周波数」に関しては、どのようなシステムであれ少なくとも50Hz、願わくば40Hzまで大きく減衰させずに再生したいものです。

「想定音量」に関しては、最良の音質が得られる設計最適点つまり「常用音量」と、歪みが急増する等の音質的な許容限界点つまり「音質的許容限界音量」、そしてシステムが破損に到る「絶対限界音量」に分類できるでしょう。

一般的にスピーカは、下限周波数における振動板振幅によって、ほぼ限界音量が決まります。
詳しく言えば、密閉型+ブーストの場合はブースト下限周波数、バスレフ型の場合は共鳴周波数の少し手前(共鳴点では振幅が極小になる)です。

例えば、下限周波数を40Hzと想定した場合、





2013年09月26日 (木) | Edit |
僕は、お気に入りのアーチストさん達が作ってくれはった「音楽」を楽しむダケのためにオーディオ装置を必要とします。そして、より楽により快適により良くより深く楽しめるよう、4年間かけて装置を開発してきました。その結果が現在のZAP 2.1システムであり、その開発の経緯は当ブログに詳細に綴ってきました。

僕は音楽再生において何を重要と感じているのか?今回はLEANAUDIOの原点を振り返ってみたいと思います。

そもそも、僕はソーチに殆ど拘りませんでした。高校時代はモノラル ラジカセか親父の4chステレオ、最もよく音楽を聴いた大学時代はSONYのちょっと上等なステレオラジカセ(エアチェックして、それはそれはイロイロと片っ端に聴きましたよ)、社会人になってからはパイオニアの「システムコンポ」(5段重ねの重箱みたいなやつ、明菜ちゃんが宣伝してたような気がする、テープとLPコレクションの中から厳選したお気に入りだけCDを購入)、そしてSONYのスピーカ一体型CDプレーヤZS-F1、最後にDENONのMDコンポといった具合です。

結婚して引っ越す際にシステムコンポを廃棄し、もうちょっと上等な装置を買おうかなと思ってカタログを集めたり友人宅やショールームでオッキナ ジョートの装置を聴かせてもらったりもしたのですが、なんだかイカニモ スッテレオ臭い音(なんちゅうか、シュワーとしてブワーとするというか、音が不自然にキレイで聴きにくいというか)が嫌いでゼンゼン必要性を感じませんでした。デカクて邪魔だし。。。で、結局SONYのZS-F1を購入。コイツは良かった。

その後ZS-F1が壊れて、近所の量販店で見た目が立派なDENONのMDコンポを安直に購入してしまったのですが、ZS-F1の方が良かったナァと、以前ほど音楽を聴かなくなりました(この頃はFMをよく聴いたカナ。。ピストン西沢さんとヒデシマさんのファンでした)。そんな僕が、携帯電話にフルさんのベトベン交響曲全集とジャコさんの全コレクションをコピーして、カナル型イヤフォンで聴いてみて、今までにない衝撃を受けた事からLEANAUDIOが始まります。その頃使っていたのは、フォーカルポイントのBass Freqという低音が最強と評判のカナル型イヤフォンでした(6K円くらいしたと思う)。とにかくジャコのベースを良く聴きたかったのでコイツを選びました。

いや、驚きましたよ。「音楽」が「よく聞こえる」の何のって。。それまでに聞いた事のあるどんなにジョートな装置よりも感銘を受けました。携帯電話で。。。
あの嫌なスッテレオ臭いシュワーもブワーもなく、極めて低い音まで素晴らしくよく聞こえましたからね。これがLEANAUDIOサウンドの原点です。

ジャコの絶妙にグルーブする無限加速的高速ベースはもちろん、最も感銘を受けたのは交響曲の低音の響きでした。もう電車の中でも鳥肌が何度も立ちましたもん。そして、今まで何を聴いておったのか?もう一度全部きっちり聴き直さなアカンやないかと。。。思ったわけです。

さて、以上の経験から僕が痛感したのは、
1) 低音までしっかりと聞こえる事がとにかく重要らしい
DENONの13cm 2ウェイ バスレフではモゴンモゴン ブワンブワンの低音しか聞こえず、激怒のあまりに破壊してしまいました。この頃はまだバスレフの問題とか、何Hzまで再生する必要があるかとか、部屋の定在波の影響とか、吸音材の重要性とかナーーーーンニモ知りませんでしたが、とにかく今までキチント低音を聴けていなかったらしいという事、そしてそれは(西洋)音楽を楽しむ上で致命的であるらしいという事はよく分かりました。

2) 携帯型プレーヤの利便性は素晴らしい
これは音質には関係ありませんが、その利便性はカナル型イヤフォンと同じくらい僕にとって衝撃的でした。僕の場合、CDの入れ換えがもどかしくて、そのうちジャケと中身がゼンゼン一致しなくなり、時々大神経衰弱大会が必要でした。また、聴いたヤツはどんどん、そのへんに積み上げるので、そのうちグヮシャと崩れて、床がCDだらけ。それでも片付けないので、踏んづけてケースが割れてしまう。無傷なケースの方が少ないかもしれません。アレを聞きたい!と思っても、なかなか目的のCDに辿り付けないし。。。という事で、やたらコマケー音質なんかよりも、このような利便性の方が僕にとっては遙かにアリガタイ。とにかく、日常生活の中で快適に音楽を楽しむための道具なわけですからね。大事な事だと思います。

反面
3) いわゆるコマケー「オンシツ」はさほど重要ではないらしい
なにせ携帯電話に圧縮音源です(128kbpsだったと思う)。そして50年代前半のモノラル録音。「オンシツ」的には最悪の部類ですよね。そんなんでも、低音がキッチリと聞こえる事で、それまで経験した事のない感銘を受けて鳥肌が立つのですからね。それまでに聞いた事のあるジョウトーな装置よりも、携帯電話+カナル型イヤフォンの方が総合的な「音質」すなわち「音楽再生クオリティ」が高かったという事でしょう。

という事で

記録されている可聴帯域の音(信号)を、低い音まできっちりと真面目に(つまり周波数ドメイン/時間ドメイン的に正しく)リスナのお耳まで届ける事が何よりも重要であろうかと思うわけです。

「原音再生」とか「高忠実度再生」とか、そんなご大層なお題目を大上段に振りかざす不要はアリマセン。これは、音楽再生装置として「言わずもがな」の全くアッタリマエの全く基本的な命題です。自動車にとっての「安全に走る/曲がる/止まる」と同じでしょう。

どんなに小さな装置でも、この命題をキッチリと果たしてもらわないと困ります。どんなに安価な軽自動車だって安全に「走って/曲がって/止まる」必要があるのと同じです。それが十分に可能である事はケロ君で実証済みですよね。

また、この命題が十分に達成されれば、記録されていもいない元々ナイモンを徒に追加する必要もないでしょう。僕としては、あまりシュワーっとさせたり、ブワーっとさせたり、キランキランさせたりしないで欲しい。「音楽」が聴きにくくってしようがない。そこにアルモンをキッチリとリスナの耳まで伝える事。それを疎かにしては、何も始まらぬと思います。

追記
自動車の場合、お国が安全性やエミッションに関して厳格に規則を定めています。ですから、どんなに安価な製品でも自動車としての最低限の条件を必ず満たしています。オーディオ装置に関しては、もっと緩やかなもので良いですから、音楽業界オヂオ業界が協力して「音楽再生装置」のガイドラインを設けても良いのではないかと僕は思いますよ。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年09月24日 (火) | Edit |
オヂオマニア達の言動や行動を観察していると、彼らの多くは「音楽」そのものに強い興味があるわけではなく、ヒヨロンカのようにソーチの音の微妙なチガイをキキワケル事自体や、装置から出てくる「音響現象」で気持ちの良い雰囲気とかフィールド(場)を創出する事(ヨイオトの創出?)にやたらとご執心のように見受けられます。また、「音楽」はそのような「チガイのキキワケ」なり「場」や「雰囲気」の創出のためのあくまでも「ネタ」(音源)として興味の対象となっているようにも見えます。

しかし、これは普通に「音楽」を楽しむという行為とは意識の置き所が大きく異なるでしょうし、「オーディオ主体」ではなく「音楽主体」に考えれば、広く一般に(特に青少年少女に)薦められるような類の音楽との接し方であるとは僕には到底思えません。意識の置き所が180°異なれば、装置に求めるものも180°異なって当然です。何が重要で何が無視可能かという判断基準がグルッと異なるわけですからね。その結果、僕は当ブログで同じような事を繰り返し繰り返し主張するはめになるワケです。ホンマシツコイと思います。スンマセン。

別に、誰がどう音楽を聴こうが、それは全く個人の勝手ですが、業界全体が特に高品位クラスがあまりにソッチ方向に向きすぎてるのとチャウ? もっと真面目なホンマの家庭用音楽再生装置が必要でしょ?適正価格の「音楽を聴くためダケ」の装置がさ。と思うワケですよ。でないと、アーチストさん達が浮かばれない。

マニアの中には、オヂオ(機械)自体への興味が発端で音楽を意識して聴き始めたという方も多かろうと思います。僕も中2の時にその轍を踏みかけた事があるので分かります。そうすると、「自分」なりの音楽との接し方や「自分」が本当に聴きたい音楽の見極めをしっかりと確立する前に、いきなりオヂオ雑誌やヒヨロンカの影響を強く受けて、オヂオ装置を「鳴らす」ために(オヂオ主体的に)音楽を聴いてしまうわけですが、オヂオ雑誌やヒヨロンカは、そのような聴き方がまるで上等な音楽の聴き方であるかのように、読者にとんだ勘違いをさせているように思えます。「音楽を聴くとはそういう事で、オヂオ装置とはそゆうふうに使うものであって、オヂオ道に日々精進してサイテーヒャクマンエン出さないと音楽はマトモに聴けぬぞよ」とね(なんかこうなると新興宗教ですね。あ、それで「鰯の頭」なわけね)。

今までオヂオ雑誌やオヂオヒヨロンカの影響でソレが当然と思わされてオヂオ道に精進されてこられた方も、今一度ヨック考え直して見てください。オヂオメディアの情報は「オヂオ主体側」に余りにも偏っています。自分は一体全体ナニをやっておるのか?一体全体ナニをやりたいのか?一体全体ナニを聴きたいのかと。で、結局自分がやりたいのがやっぱり「ソレ」であれば、「ソレ」を続ければ良いだけのハナシです。考えてみて損はアリマセン。お金もかかりませんしね。

それはさておき、そんなにフンイキとリンヂョカンとかが重要だというのなら、また、そのために付帯的/瑣末的音現象にそれほどまでに多大な意識を消耗し、それほどまでに多額の投資と労力を割くのであれば、いっその事、自分が気持ち良いと感じる「場」の環境音をツイキュするなり、それらを積極的に音楽の再生音に混ぜてみたらドナイヨ? と思うワケです。そっちの方が直接的でテットリバヤクね?

元々ナイモンを無い物ねだりしておるわけで、しかし「何が無いのか」を明確にしないまま、トッカエヒッカエしてタマタマ現出する音(+心理)現象に反応して場当たり的に行動するからグルグルするわけで、よく分からんから価格や物量やメディアに惑わされるわけで、何が無いのかを明確にして、それを直接追加してやればエーントチャウ? という事です。

例えば、話し声や食器の音が入ったジャズクラブの環境音や、コンサートホールの開演前の静まりかえった状態(何百人も居るので、シーンとしていていも無音ではない)の環境音を、音楽ソースにミクスするなり、別の装置で(それこそサラウンドで)再生するなりすれば宜しかろうと思います。あるいは、自然界の音とか、色々な音を混ぜてツイキュしてみてもオモシロイのではないかな?また、LPを好まれる方も多いようですが、であればLPに含まれる典型的な暗騒音をミクスしてみても良いかも知れません。で、そのノイズ成分とか混ぜ具合をイロイロ変更して、LPよりももっと気持ちよくするとかね。。。LPのノイズはタマタマ入っているだけなので、もっと「良い」ノイズだってアルでしょうよ。

「趣味」としてやるなら、またそれだけの「熱心さ」があるのなら、デンセンやデンゲンや高額装置をトッカエヒッカエするだけでなく、もっと自由な発想でもっとイロイロな、もっと直接的な、もっと決定的な、もっと論理的な試行錯誤をしてみた方が、ずっと楽しいしクリエイティブだと思いますよ。きっとね。こんな事を書いていると、僕もなんかやってみたくなってきましたよ。。。え?ソレヂャ物欲が満たせない?やっぱり骨董趣味?

またグダグダ書いてしまいましたが、今回の結論です。
オヂオマニア達の言動や行動を観察するに、彼らが追い求めているのはそのようなソースには含まれない「環境騒音」成分ではないかという気がしてなりません。「場」の音って事です。そして、ソースに欠落した「場」の音をなんとか補おうとしてグルグルしているという事ではないでしょうか。以前の記事に書いたように、これは特に爆音再生時に強く感じられるはずです。なぜならば、自然な暗騒音レベルの生活空間で、それにバランスした快適音量で音楽を聴く限り、ソースにおける暗騒音の欠落はそれほど深刻ではなかろうと思われるからです。

という事で、そういう騒音付加ソースとか付加装置って、新しい商売にならないかな?そいえば、超高域音を人工的に付加するハーモネータって、この類の装置ですよね。このノイズプロファイルを工夫して可聴帯域までノイズを付加するわけよ。気持ち良くなるノイズってあるのじゃないかな。音響心理学の分野ですね。オモシロソ。。。

如何でしょうか?

追記
僕のマンションの閉め切った部屋でも、計測してみると時間帯によって暗騒音は結構変化します。あまりコマケー事をツイキュしても、例えば、昨晩徹底的に追い込んだセッティングが、今朝聴くとイマイチなんていっくらでも有り得るでしょう。暗騒音も明るさも室温も湿度も周囲の街のフンイキも、何よりも自分の身体/精神の状態が、昨晩と今朝では大きく異なって当然だからです。そりゃもう、コマケーセッティングのチガイなんかぶっ飛ぶくらいデカイ変化があるはずです。何事もホドホドにしないと。。。一方、媒体の中の最も肝心要の「音楽の内容」は不変です。こいつは変わりません。コイツをキッチリとお耳まで届けて聴きましょうや。アーチストさんが全責任を負うコイツをさ。。。。でしょ?

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2013年09月23日 (月) | Edit |
前の記事に追加して。

全くのメカ系技術屋的直感なのですが、僕は公称径13cm (Alpair10クラス)よりも大きな振動板にはどうも無理があるような気がしてなりません。あくまでも直感ですがね。

それよりも大きな振動板を見ると、剛性が足りなさそうで頼りなく見え、なんだかムズムズしてしまうという事です(技術屋的直感としてナンカチャウンチャウ?不自然チャウ?無理アルノントチャウ?アカンノントチャウ?という感じがする)。僕は開発のオシゴトではいつもこの「チョッカン」を大事にして来ました。「カン」ピューターというやつです。

蛇足ですが、
この「カン」というのはとっても大事です。暗中模索の状態から、ぢゃぁちょっと、コッチの方向で理論検討してみよう、計算してみよう、実験してみよう、と決める最初の第1歩はカンです。この最初の1歩が当たれば、開発は一気に進みます。当たりが出なければ泥沼です。カンとは「この世に生まれ落ちてから今この瞬間までに蓄積した全ての経験/思考からファジー(または無意識)に導き出される答えです。それまでにどれだけ経験を積み、その経験についてどれだけ深く思考を重ねたかによってカンの精度は向上します。カンを馬鹿にしちゃイッケマセン。アートにおけるインスピレーションもこれと似たようなものでしょう。

さて、本題に戻ります。

振動板の剛性とは別に、運動の制御面(傾けずに真っ直ぐ前後に、できるだけ大きな範囲で直線性を保って動かすという事)では、どうなのでしょうか。この面では、小さい方が有利な点と、大きい方が有利な点があるはずです。そして、どこかで(例えば13cmクラス前後で)バランスするのではないか?という気がしています。もちろんコレも直感です。

例えばAlpairシリーズの場合、公称径18cmのAlpair12もありますが、13cmのAlpair10の方が異様に大きなXmaxを達成しています。このへんについては、次回マークさんにお会いしたときに質問してみたいと思います。

さて、僕が何を言いたいのかというと、設計上の最適バランスが得られるサイズというのが存在するはずであり、そのようなサイズのウーハを必要な個数使えば、徒にデカイ ウーハは不要であろうという事です。

もちろん、古典的方式の場合、小さな密閉型ウーハをいくらタクサン並べても下限周波数を伸ばす事はできません。

バスレフ型の場合はヘルムホルツ共振、密閉型でもドライバの機械的共振を利用するため、再生限界を低周波側に延ばすにはドライバの共振周波数(f0)を下げ(つまり大きな(重い)振動系を使い)、および/または、箱の容積を極端に増やす必要があります。つまり、低音をキチント再生するには極端な大型化を避けて通れないという事です。たとえ小さな部屋で小パワーしか必要なくても。。。。です。これでは全くアキマセン。

しかし、LEANAUDIO方式では共振を殺してデジタルイコライザを使うので、共振周波数(すなわちシステムのサイズ)は基本的に関係アリマセン。そのような共振による僅かなブースト効果なんぞ、デジイコでチョイとブーストするだけで簡単に得られるからです。

結論として、剛性面/運動面で最適なバランスが得られるサイズのウーハ(きっとそのような設計上のベストバランス点が存在するはずです)を、現場の要件(音量、再生下限周波数)に応じて必要な個数だけ使えば良かろうと思われます。また、部品の共有化(量産効果)によるコストの削減も図れるでしょう。

あ、そうそう。ウーハを偶数個使う場合は、半数個のユニットを前後逆に取る付ける事で2次の高調波歪みを殆どキャンセルできます。これを使わない手はアリマセン。

如何でしょうか。

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