--年--月--日 (--) | Edit |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013年04月27日 (土) | Edit |
僕が経験した他の趣味分野に比べて、オヂオ界におけるヒヨロンカのステータスと影響力は絶大であるように思えます。「先生」付きで呼ばれる事も多いようですね。他の分野では、例えば写真評論家は居ても、カメラ評論家なる者は存在しなかったように思います(大概は写真家がレビューしてましたからね)。自動車の場合、評論家のステータスは比較的高いですが、車好きの仲間達との会話では呼び捨てが普通でした。

ところが、オヂオ界ではマニア達にとってヒヨロンカセンセはどうも憧れの対象あるいは教祖様のような存在であるようで、マニア達の行動や言動を見ていると、まるで彼らは「ヒヨロンカごっこ」をやっているようにも見えます。「最近のヒョーロンカの言う事なんか一切信用しない」と発言するマニアでも、実際にやっている事や言っている事(つまり根本的な音楽の聴き方あるいはオヂオ装置の使い方や考え方)は、僕の目から見れば、基本的にオヂオヒヨロンカ達と全く同じです。

通常、雑誌等の評論記事は購入する製品を選んだり最新の技術動向を知るための参考にはしますが、買った製品を評論家と同じように使おうとは(つまりヒヨロンカごっこしようとは)しません。しかし、オヂオマニア達は購入した製品を本来の目的で使うというよりは、自分達もヒヨロンカ達と同じようにオンシツやオンジョーを細かくキキワケテ製品をヒョーカする事を主たる目的として使っているように僕の目には見えます。オヂオ装置とはそのように使うものであり、音楽とはそのように聞くものであると洗脳されているように見えなくもありません。このため、当然の成り行きとして、彼らの行動は際限のない装置やデンセンのトッカエヒッカエによるオトの違いのキキワケに行き着きます。だって、それがオヂオヒヨロンカ達の専らのオシゴトですからね。

彼らヒヨロンカ達は、自身の主たる責務を「専ら装置由来のオトの個性(チガイ)」を事細かにキキワケテ記事を書く事と心得ているように見受けられます。技術が進化した現代において、メーカ間あるいは価格差による性能的音質(音楽再生クオリティ)には大きな差が生じないため、彼らは「チガイ」を記事にするために、非常に微視的/表層的/付帯的な装置由来の個性(ナンタラカンとかオンヂョーとか)に着目せざるを得ません。そして、オーディオ技術が本来目指さなければならない大きな方向性や、未だに根本的な改善の余地が残る重要な技術的課題に対して、全く目を向けようとはしません。

彼らは一体全体どのように優れた素養を持つ者として、そのような職業に就いたのでしょうか。優れた音楽的素養、音楽に対する深い敬意と愛着、音響/電気/電子/機械技術に関する高い見識と理解力を備えたプロフェッショナルなジャーナリストというよりは、単にオヂオ趣味が高じたディープマニア(またはトップ アマチュア)という風にしか僕には見えません。例えば、日本のオヂオヒヨロンに多大な影響を残したと言われる五味康祐氏は正にトップ アマチュアあるいはディープマニアという立場からオヂオに関する全く私的で主観的な一種のエッセイを綴られました。彼はあくまでも文筆家であり、プロフェッショナルな評論家ましてやジャーナリストでは全くアリマセン。そのへんの見境(ソレハソレコレハコレ)が未だに全く成されていないように見受けられます。

オーディオ雑誌の中に、そのような楽しい「読み物」があっても、または専らその方面の極端なマニアだけを対象とするコアな雑誌があってももちろん構いません。しかしあくまでもソレハソレであって、こぞってソレばかりであっては、ジャーナリズムとしての責務を果たせるワケがアリマセン。ソレばかりでは、単なるシロートのオッチャン達の趣味の同人誌になってしまいます。実際僕にはそのように見えます。これでは読者数も減少の一途を辿り、業界全体が衰退/縮小するのもアッタリマエです。

マニア向けのコーナーとして紙面の一部にそのようなヒヨロンカ達の記事を載せても構いませんが、やはり、誌面の少なくとも半分では、音楽とオーディオにまたがるプロフェッショナル達が現実的な製品を真っ当な方法で可能な限り客観的に評価し(もちろんブラインド評価や計測も必要でしょう)、業界(音楽界/オーディオ界)とユーザに対して広い視野と高い見識を持って業界の方向性を示唆するような記事を継続的に掲載しないとアカンでしょう。また、音楽とオーディオに関する本当のホンマの基礎知識(アクセサリの使いこなし方とかでは断じてナイよ)も、シツコク繰り返し記事にする必要があるでしょう。そのような全く重要で基礎的な知識や理解(ソレハソレコレハコレの基本的ホンマのコレに関する知識)が一般ユーザの間で全く欠落しているように思えます(なんだか怪しげなオッチャン達の言う根拠不明のソレに関する情報ばっかり)。

製品レビューにあたっては、音楽畑のプロフェッショナル達(音楽家、マスタリングエンジニア等)による評価が是非とも必要であると思います。彼らには、一般ユーザの部屋に近い環境で試聴してもらい、自分達の作品をどのようにヒトビトに聴いて貰いたいのか、あるいは尊敬する音楽家の作品を自分ならどのように聴きたいのか、といった観点で評価してもらうのが最良でしょう。

読者にはオヂオヒヨロンカをお手本にしたような音楽の聴き方をゼッタイにして欲しくナイですね。断じてゼッタイニ。ホンマニ。

そのような記事が載るようになれば、オヂオそのものには興味はさして無いがより良くより深く音楽を聴きたいと願う音楽愛聴者達(真のオーディオ ユーザ)や、音楽制作畑の人達そしてメーカのオーディオ技術者達にも有意義な情報を提供でき、読者層も広がり、業界全体も活性化するでしょう。僕はそう思いますが、如何でしょうか? 皆さんも考えて見てください。

<関連記事>
こんなオーディオ雑誌どう?
オーディオ ジャーナリズムに望むこと - まとめ
オーディオ レビュー記事におけるデータの必要性 -1

オーディオ レビュー記事におけるデータの必要性 -4

お役に立てたらクリックしてください。ランキングに参加してます にほんブログ村ランキング参加中
関連記事
スポンサーサイト
テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月20日 (土) | Edit |
僕が激しく違和感を覚える点について、何回かに分けてツラツラグダグダ書いてみます。

その第1は「良い音」です。

メーカも、ヒヨロンカも、マニアも皆一様にほぼ例外なく「良い音」を目指すのだと、しきりに繰り返します。まるで呪文のように。それがまるでオヂオ装置の究極の目的でもあるかのように。何の疑問もなく。

でも、「良い音」って一体全体なに?ナンナノヨ?と、僕は激しく疑問に思います。全ての違和感の根源はここにあります。

LEANAUDIOに着手した当初は、ヒトビトがそう言うならばそう言うものなのだろう。。と、さほど違和感なく受け入れていたのですが、開発の実体験を重ねるにつれて違和感は急激に強まりました。これから書く事は、「音楽を夢中で聴いた経験と、写真を通して表現者のマネゴトにホンマアホみたいに取り組んだ経験と、プロの開発技術者として民生向け工業界に深く関わった経験」を持つ者として、LEANAUDIOを通して得た全く素直な実感です。観念で申しているワケではありません。だいたい、それまでそんな事をグダグダ考える必要もなく普通に音楽に接して来ましたから。カナル型イヤフォンでショックを受け、オヂオ界の現状を目の当たりにするまではね。。。。

何度も言うように、どのような「音」を出すかは、全て表現者の側に委ねられます。彼が「彼のイメージする綺麗な音」をリスナに聞いて欲しければ「彼のイメージする綺麗な音」がモニタから聞こえるよう録音を調整するでしょうし、彼が「彼のイメージする神経を逆なでするような音」をリスナに聞かせたければ「彼のイメージする神経を逆なでするような音」がモニタから聞こえるよう録音を調整するでしょう。当然ですよね。アッタリマエです。画家が何色を使って何をどう描こうが全て画家の勝手なのと全く同じです。

絵画や写真を鑑賞する際、我々はそこに身勝手な「良い色」や「良いトーン」やナンヤカンヤを求めず素直にソノママ受け入れます。色補正フィルタの眼鏡を着用してフィルタを微妙にトッカエヒッカエしながら「良い色?」や「自分の色?」をツイキュしたりしませんよね。それをツイキュウしたい者は、自分で画を描いたり写真を作成するのが普通です。その方が色眼鏡トッカエヒッカエして人様の作品を見るよりも、ヒャクオクマン倍楽しいでしょうし、センオクマン倍クリエーティブでしょう。

音楽でも、生演奏を聴く場合はそうです。諸々の環境条件に多少難があっても、アーダコーダ抜かさず素直に受け入れて目の前のアーチストさんの演奏に全く素直にもうドキドキワクワクして夢中になって聞き入ります。デスヨネ?違いますか?

鑑賞とは、その第1段階において全く徹底的に受動的な行為です。「お友達の言っている事をまず『良く聞き』ましょうね」って、小学校で先生に言われますよね。同じ事です。ましてや特別な才能を授かり、それに命懸けで精進した者達の(こと音楽に関してはドシロートの自分達からみれば遙か雲の上のレベルに到達した者達の)作品に接するわけですから、言わずもがなでしょう。僕のLEANAUDIOは正に『良く聞く』ための装置を目指したと言えます。そのように素直に接した上で(僕は例のフニャーーーーと弛緩する)、「自分にとって」聴く必要がある作品かどうかを「自分独自」の価値基準に基づいて全く「能動的に」判別し(それがビーシキ(美意識)ってやつです)、そこから「自分なりに」何を感じ取るか、それを通して何に何処までアクセスするかは全く鑑賞者の自由であり(それがカンセー(感性)ってやつです)、鑑賞者はそこにこそ能動性と創造性を思う存分に発揮できるわけです(なんか、オヂオって全くその逆(グルッと180°)をやっているような気がしないでもない)。

これも何度でも言うように、家庭用オーディオ装置の世の中における最も基本的な命題は、音楽表現を表現者から鑑賞者に伝達する事にあります。基本的に電気機械式単方向情報伝達装置であるという事です。これにおいてディスプレイ装置と何ら変わるところはありません。

理想的な状態が実現すれば、彼ら表現者はオヂオマニア達の言う「全くツマラナイ、全くオンガクセーとやらの無い、全くフラットな周波数特性を持つ、全く付帯音の無い」全く白いキャンバスである理想的なモニタ環境で、彼らがツマラナイと感じるならば彼らが必要と感じるだけの響きや音色を加え、彼らが必要と感じるだけの強調や省略を存分に施して徹底的に作品を作り込み(オ、イーネー!ってね)、我々はそれを「全くツマラナイ、全くオンガクセーとやらの無い、全くフラットな周波数特性を持つ、全く付帯音の無い」全く白いスクリーンである理想的な再生環境で、彼らが拘り抜いたツマルトコロを存分に鑑賞する事ができます。僕は、ジャコやビトルズがスタジオに籠もって「オ、イーネー!俺様(達)ってやっぱ天才っしょ、フォー!」と作り込んだソノマンマを聴きたいです。それって、ファンとして普通ですよね。全く。。。

以前の記事に書いた「世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー!」 という叫びは、表現者として非常に切実な願いであるでしょう。記事には書きませんでしたが、彼らは「シテクレー!」と叫ぶ前に「みんな仲良く」と付け加えています。つまり、「みんな仲良く、世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー!」と叫んだという事です。「みんな仲良く」は何を意味するのでしょうか? 僕は「各メーカで好き勝手に個性を競わずに(好き勝手テンデバラバラに「良い音」とやらをツイキューせずに)」と言いたかったのだと思います。彼らは「スピーカでもヘッドフォンもそれはそれはもうピンからキリまで聴いてみるのだ、音が違うから」といった趣旨の発言もしています(ちょっとウンザリ気味にね)。

オヂオではなく「音楽」を中心に考えるならば、彼ら表現者が望む完璧な性能を備えたリファレンス装置と再生環境が世界中のスタジオと世界中の家庭に行き渡る事が理想です。しかしこれは、文化水準の非常に高い夢のように理想的な社会主義国家でもない限り実現しないでしょう。ですから僕は、オーディオ界は音楽界と一体となって「音楽再生装置」にある一定の基準を設けるべきだと、以前から言っておるのです。

完璧な技術は存在しません。技術とは常に妥協の産物です。ですから、各メーカが上記の命題に向けて一斉に真剣に取り組んだとしても、何をどのように妥協するかに応じて製品の個性は必ず生じます。我々消費者は、その中から気に入った製品を選べます(しかし、選ぶ事自体あるいはトッカエヒッカエ選んだモノを細かく評価する事が目的ではない。TVを選んで買うのと同じ。本来の目的で使うために買う)。

もちろん、世の中の技術レベルが成熟するにつれてその個性や性能差は収束します。当然です。目指す目的は1つですからね。その段階に入ると、根本的な技術革新でもない限り性能の向上は頭打ちになり、低価格化とコンパクト化に向かい、さらにはデザイン等による差別化へと向かうのが普通です。そして、それではツマラヌと言う少数のマニアック層は、ソレハソレコレハコレとして世間一般に認識された上で(今風に言えばオタクなヒトビトと自他共に認識した上で)、特殊でコアな領域として残るのが自然です。その領域では、本来の目的から如何に逸脱しようが一向構いません。それは個人的な数寄/趣味/道楽/オタクの領域だからです。しかし、業界のプロフェッショナル達が本来の目的を見失ってこぞってそれでは全く困ります。全くです。

オヂオ業界の過去を振り返るに、80年頃までは、各社が極めて懸命に真面目に技術的課題に取り組んでいたように思えます。CDが世に出た82年の段階で、スピーカは今現在と大して変わらぬ基礎的技術(音楽再生クオリティ)レベルに達していたようにも思えます。その後のデジタル音源(CD)の爆発的普及と、電子技術(PC、マイコン技術、デジタルアンプ技術等)の急激な進化を鑑みれば、音楽再生に必須の十分に低い音まで非常に高い再生クオリティを備えた装置を非常に安価に非常にコンパクトに一般家庭に広く提供できたはずです(自動車、カメラ、家電業界の飛躍的技術進化を見れば明白でしょう)。

非常に基礎的な技術が確立され、電子技術の目を見張る進化の下にイヨイヨ本当の成熟段階に入ろうかという時点で、世の中に対する本来の基本的命題をすっかり忘れ、どうもヘンテコリンな(過剰にマニアックな趣味/オタクの)方向に向かいだしたような気がしてなりません。やはり、バブルによる世の中の風潮がそうさせたのでしょうか? その頃から音楽自体も僕には全くツマラナクなったような気もします。あるいは、基礎技術が成熟して各社横並びになったため、より細かい個性の「違い」を目指してどんどん泥沼の深みに嵌り込んだのでしょうか?いずれにせよ迷惑千万なハナシです。ホンマニ。

追記
オーディオ装置とは、制作側と鑑賞側が一体で1つのシステムを成します。アッタリマエですよね。片方だけじゃ意味ないですからね。制作側だけが進化しても、鑑賞側だけが進化しても意味はありません。そのへんも全く乖離しており、それが違って当然と思われている点にも、激しい違和感を覚えます。ドナイナットンネン?です。

お役に立てたらクリックしてください。ランキングに参加してます にほんブログ村ランキング参加中
テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月13日 (土) | Edit |
教えて!Gooに下記のような質問が掲載されていました。
「オーディオ関連の雑誌について」
オーディオ関連の雑誌、商品の紹介が多く掲載されています、同時にオーディオ評論家の批評が掲載されていますが、どれをとっても同じ評価ばかり(表現を変え商品を持ち上げているのみ)、メーカーの片腕になっているのでしょうか?・・・ 商品のパンフレッドを買っているみたいです。 皆様どう感じますか。


いろいろ回答が寄せられていますので、ご興味のある方はコチラからご覧ください。

僕は今まで各種の趣味をかなり真剣に楽しんできました。そして、どの趣味分野でも、雑誌から貴重な情報を得る事ができました。

僕が今までに興味を持ち雑誌を購読した分野を順番に挙げると
○ 自動車 (小学生5年生のころから自動車雑誌を購読、これは結局オシゴトになりました)
○ 電気? (初歩のラジオ等を愛読、5球短波受信機を自作してBCLしてみたりとか。オヂオ雑誌もよく立ち読みした)
○ 自転車 (中2の頃10段変速ロードレーサ風を買って貰い、奈良和歌山あたりの峠をアホみたいに走りまわる。社会人になってから結婚するまで、仲間と各地の草レースに参加して大いに楽しむ。ホンマアホミタイニ走りました。当時の仲間とは今は飲み/ハイキング友達)
○ 写真 (高校で写真部に入り、アート全般に強い興味を持つ。高3でカメラ毎日に作品を2ページ掲載してもらう。会社を辞めてフリーになってから作品に真剣に取り組み、キャノン(新世紀)とエプソン(カラーイメージング)のコンテストに入選、ニコンサロンで個展)
○ 航空機 (機械系エンジニアとして航空機技術の知識は必須と考え雑誌は常に購読していた。大学では4年間航空部に所属し実際に空を飛ぶ。飛ぶよりは機体を整備するのが好きで航空整備士の資格も取得)
○ オートバイ (これも大学に入ってすぐに乗り始める。専らオフロードバイクが好きで、最初のバイクはエルシノア(マックインに憧れた)。その後バイアルスに乗り換えて箕面近辺の山道を走り回った。就職して東京に来てからは山が遠くて暫く乗らなかったが、会社を辞めてから4年間ほどFTRをモタード風林道スペサルに改造して奥多摩近辺の林道を走り回る。今はオッキイFTRとしてハーレー883Rが欲しい、けど大型免許なし)
○ ランニング (これも会社を辞めてから始める。4年間ほど真剣に走り、フルマラソンは2回(3時間23分くらい)、100Kマラソンは1回(12時間30分くらい)出場。今はLSDだけ楽しんでいる。もう一度100kは走りたいと思うが。。。。)。

僕はあまり道具に凝る方ではなく、例えば自転車の場合、仲間達は結構カンパニョロのパーツを組んだり、その頃出始めたカーボンフレームを使ったりしていたのに対し、僕は殆どメンテナンスフリーのシマノDURA ACEしか使わず(メンドクサイの嫌い、ヂテンシャはいつも汚い)、フレームは柔らかいアルミ(仏製Vitus)をこよなく愛用しました(パワーの無い僕にはピッタシ)。カメラは高校時代からPENTAXを愛用し(大道さんが使っていたので)、社会人になるまでは55mF1.8一本(交換はメンドクサイ)。デジタルカメラになってからはSIGMA SD9と24mm/F1.8一本(ズーム操作もメンドクサイ)を専ら愛用。自動車なんかオシゴトになってしまえばもうドーデモヨクて、仲間の自転車を乗っけてアチコチ行けるようアクティの2シーター スペサル(特別仕様車を中古で購入)を長年愛用(ミッドシップ2シーターですよ)。といった具合です。

いずれの分野の雑誌も商品情報は掲載していましたが、その比率はオヂオ雑誌ほどではなく、その分野に興味を持ち始めた新しい読者層に本当に重要な基礎知識を繰り返し提供する事にも真剣に努めていたように思えます。このため、どの分野も読者層は必須基本事項に関して比較的正しい知識(およびソレハソレコレハコレの正しい認識)を持っていたと思います。また、概ね1年間購読すると必要な知識が一通り得られるように組まれており、「趣味の雑誌は1年間購読すれば十分」というのが僕の持論です。これは、その業界に新しい消費者層を導入する上でジャーナリズムが果たすべき非常に重要な役目であると言えるでしょう。

商品情報に関しても、特に自動車雑誌などでは評論家の批評はかなり辛辣であり、また技術的指摘も非常に的確でしたから、我々プロの技術者も一通り目を通していました。写真雑誌では、実際に道具として使うプロの写真家が商品レビューを書いていましたので表現も的確でしたし、大学等の研究機関に依頼して計測した非常に客観的なデータを何十年も継続して毎月掲載していました。これらは工業製品を扱うメディアとして、極めて真っ当な態度であると思います。

そんな僕が、カナル型イヤフォンで音楽を聴いてみてショックを受け、オヂオイヂリに初めて本格的に手を染め、当然ですが最初はネットで検索したり本屋でオヂオ雑誌を立ち読みしてみたわけですが、今まで経験した他の分野に比べると、それはもう目眩がしそうなほど激しく違和感を覚えました。雑誌を読んでも僕が知りたいホントの基礎的情報は見つからず、デンセンだデンゲンだハンダだとヤタラコマケー違いを云々し、それらの値段はゼロの数を数桁読み間違えるほど異常に高価、レビューを読んでも殆ど本質的な情報は無し。ドシロート臭いオンガクセー?ヂョーカン?カンセー?オクチパクパク?の世界。単なる読み物。あるいは通販生活(カタログ誌)。結局、1冊購入した後は、立ち読みすらしなくなった。

今でも、「この業界は何故このようになってしまったのか?」とツイツイ考えさせられてしまいます。僕が中高生の頃はもっと普通だったような気がするのだが、いつ頃から何が原因でこのようになってしまったのか?非常に興味があります。これは他の業界でも起こりえる事であり、日本の産業界全体あるいは日本の社会全体にも起こりえる事であると言えるでしょう。僕はそれを激しく恐れます。コーナッタラアカンと。なので、シツコク書いてしまうのかも知れません。ホンマニ怖いんです。ゾッとします。

お役に立てたらクリックしてください。ランキングに参加してます にほんブログ村ランキング参加中
テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月08日 (月) | Edit |
最終回として、再生ソフトウェアについて書きます。

再生ソフトウェアを特集したPCオヂオ系のザッシには「FrieveAudioのオンシツはロック向き」とか書いてありました。ハァーー?なんじゃソレ?アホカ? FrieveAudioには、それこそ特集記事を組んで読者に詳細に伝えるべき基本的音楽再生クオリティに直接関わる優れた機能が他に山ほどあるのに、どしてオヂオ雑誌ってそんなコマケーオンシツの違いの事しか書かないのか?呆れてモノも言えませんでした。ドシテソーナルカ????何故にソコしか見ないのか??ヂャナりズムが率先して泥沼を徘徊していては、何時まで経っても泥沼から抜け出る事などデキマセン。

僕は、FrieveAudioでWAVファイルを再生する場合、自動音場補正をONにし、DACソフトウェアではなくFrieveAudioでサブウーハを帯域分割してASIO4ALL経由でDACへ出力します。iTune (Appleロスレス、96kHz/24bitで出力)と聴き比べると、FrieveAudioの方が少し音質が良いように感じるのですが、ライブラリを再構築してアルバムアートワークを完全に整えて以来、どうしてもiTuneの方に手が伸びてしまいます。FrieveAudioのUIも、フリー/シェアウェア ソフトウェアとしては非常に優れていると思うのですが、アートワークを完備したiTuneの使いやすさには適いません。

再生ソフトウェアにとって再生音質が重要である事は言うまでもありませんが、それと同じくらい、あるいはそれ以上に、ユーザ インターフェイスの使いやすさが重要であると思います。オンシツをツイキューするのではなく、日常生活の中で「音楽」をより快適に聴く事を求める大部分の音楽愛聴者にとって、ワザワザシューチュしなければ気付かないような(あるいはシューチュしても分からないような甚だ怪しげな)音楽を楽しむ上で自分にとって重要とは想えないコマケーオンシツよりも、選曲のしやすさや楽しさの方が遙かに重要である事は間違いないでしょう。

iTune等のマニア向けではない再生ソフトウェアを使う場合、イコライザ機能には気を付ける必要があります。再三申しているように、イコライザ機能は音楽再生における必須機能ですが、コチラの記事に書いたように、ブースト方向に大きく補正すると、信号が飽和してしまう可能性があります。デジタルイコライザの基本として「ブーストとは他の帯域を減衰させる事」と心得た方が安全でしょう。僕は、iTuneのイコライザを使わずにサウンドブラスタDACのソフトウェア機能を使っています。こちらの方が信号飽和に対して配慮されているためです。

このように、DAC側に各種の高機能DSPソフトウェアを組み込み、再生にはUIの優れた機能的にはシンプルなソフトウェアを使うというのも1つの方法であろうかと思います。DACソフトウェアにFrieveAudioと同等の音場補正機能が組み込まれれば理想的でしょう。もちろん、FrieveAudioがiTune以上に使いやすいブラウザ機能を組み込んでくれれば、またはiTuneにFrieveAudio並の機能をプラグインできれば、それに超した事はありません。

とにかく、今後のオーディオにおいてソフトウェアは極めて重要です。プレーヤのUI以外に、本当に効果的な各種のエフェクタ(真空管風味、ヘッドフォン再生用音場補正等)や、スピーカ振動板の運動を理想的に補正する機能(2次/3次歪みの抑制、位相遅れ補正、振動板振幅の動的リミッタ等のメカトロ化機能)等いっくらでも考えられます。高価な機器やアクセサリをティマティマトッカエヒッカエするよりも、遙かに根源的かつ飛躍的な効果が極めて低コストで得られるでしょう。鬱陶しい箱物やデンセンは一切増えないですしね。。。それヂャァ、物欲が満たせない?

最後になりましたが、僕はPCによる音楽再生を全くの前提と考えています。何故ならば、普通の音楽愛聴者達はiPod等を所有しており、という事は必ずPCを保有し、PCに音楽データを保管しているからです。今時、PCで再生するのは全くアッタリマエで全く主流であると考えます。ワザワザ別の再生装置を使うなんて僕には全然想いも及びません。

まとめ
オーディオ装置とは、音楽に向かう貴重な意識の大きな部分を(あるいは殆どを)ワザワザコマケーオンシツに割いてシューチュしてキキワケ、ヨイオト?をツイキューするオヂオマニアのためにあるのではアリマセン。それは、あくまでもオヂオ装置あるいはオヂオそのものに特別な興味や愛着を持ち、特異な関わり方をする限られたマニアック(最近はオタクとも言う)達の領域です。鉄道における鉄道マニアと全く同じです。

以前の記事で紹介しましたが、小澤征爾さんはB&WのCM1という同社製としては安価でコンパクトなマニアに言わせれば「エントリー」クラスに属するであろうモデルを3セット購入してご自宅で愛用しており、矢野顕子さんも同じくB&Wの「エントリー」クラスをご愛用との事です。彼女曰く「良いスピーカーでゴージャスサウンド聴くのはオーディオマニアだから自分はこれで十分」。この一言が全てを語っていると言えるでしょう。これは何もスピカに限った事ではありません。また、ゴヂャスが過ぎれば、確実に音楽は聴きにくくなりますし、ソチラ方面に意識が行き過ぎるというのは、スンゲー音楽を目の前にしてなんともモッタイナク僕には想えます。

オヂオ業界は、普通の音楽愛聴者達のために、本当の意味で「良い」、本当の意味でより洗練された装置を、無駄な事(必要以上にマニアックな事)にお金を一切かけずに、真面目に開発しないとアキマセン。

追記
また暫く更新はまばらにになると思います。実験君再開しないとね。。。

お役に立てたらクリックしてください。ランキングに参加してます にほんブログ村ランキング参加中
テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月06日 (土) | Edit |
今回はDACについて。

僕の経験に限って言えば、DACの音質的な違いはアンプの違いよりもさらに微小です。僕が最初に使ったDACは超小型のDenDAC (48kHz/16bit)というヤツ(コチラ)。その後、ONKYO(SOTEC)のDAC内蔵音楽専用PC HDC-1L(96kHz/24bit)を愛用していました(コチラ)。そして、今はサウンドブラスタの5.1ch DAC X-Fi Surround 5.1 Proを愛用しています(コチラ)。

例によってシューチュしてキキワケルという事をしていませんが、音質的には、別に問題を感じないしドレデモエーンチャウ?というのが実感です。さすがに、上記のPCが内蔵するサウンド機能は酷くて聞けたものではアリマセン。

ソモソモ僕は、コマケーオンシツをキキワケル事やヨイオト?をツイキューする事を目的にオーディオ装置を使っているワケではないので、日々「音楽」を聴いていて実用上特に問題を感じなければワザワザ比較しようという気が起こりません。ZAPの開発において、4年間アレコレ計測しながら手を尽くしてきたのは、オンシツではなく「音楽」を聴いていると聴きにくく感じたり、違和感を覚えたり、不快に感じたりしてイラッとする現象を取り除くために他なりません。目的に対して重要とは思えない気にならない点をわざわざシューチュして気にしたりツイキュしたりする気にはナラナイという事です。ある目的を持った人間の行動としてアッタリマエですよね。アンプに関しては、主に低音大振幅時のスピーカ駆動力という点で気になったため、多少の解析を行いました。

そのような過程において、DACに関してナニカ問題が有りそうだと感じた事が一度たりとも無かったという事です。

巷ではジッタがやたら重視されるようですが、僕に言わせれば、バスレフの低音の位相の急激な変化(つまり周波数によって急激に変化する時間的揺らぎ)や、アナログフィルタによる同じく狭い周波数領域での位相の急激な回転による影響(特に低周波領域で大きな時間的揺らぎとなる)の方が遙かに巨大であり、微妙なオンシツではなく「音楽」の全体構造的再生において、つまり音楽ソノモノを楽しむにおいて、遙かに重要であるように思えます。

どうも、オヂオマニア達のやっている事を見ると、個々の「オト現象」に関しては異常に細部まで拘る反面、「音楽」の内容を成す全体構造的な再生クオリティに関しては非常に無頓着であるように思えます。これとは対照的に、僕は音楽ソノモノを楽しむ上で、後者の方が遙かに重要であるように感じます。180°グルッとというヤツですね。前者に関しては、どのように手を尽くそうがアクマデモ電気機械仕掛けの音であるわけで、ソースの中にナイモンはナイわけで、そこに過剰な期待や幻影を持つ必要は無かろうと考えます。そんなモノに過剰に気を取られるよりは、そこに納められている貴重この上ない「内容」をシッカリと「耳」まで届けて存分に楽しみたいものです。

さて、サウンドブラスタの5.1ch DACですが、サブウーハ用のデジタル帯域分割フィルタを内蔵しているため、僕にとって本当にアリガタイ装置であると言えます。以前の記事に書いたように、100Hz以下という非常に低い周波数で帯域分割する場合、アナログフィルタの位相回転による「時間的」な変化が無視できないレベルになります。パワードサブウーハにおいて、デジタルフィルタは必須と言って良いでしょう。このDACの採用をもって、僕のZAP 2.1システムの開発が完全終結しました。

しかも、このDACはマスタボリュームを備えるため、音量調整も手元で簡単に行えます。このボリュームが無いと、マウスを使って再生ソフトウェアのボリュームを調整する必要があり、一気に実用性が低下します。2.1ch方式の場合、マスタボリューム機能は必須です。

このDACにはDSPソフトウェアも同梱され、イコライザや擬似的サラウンドといった機能も利用できます。再三申しているようにイコライザは如何なる場合も必須ですし、サラウンド機能はヘッドフォン再生に非常に有効である事は以前の記事で紹介しました。以上のような機能は、ワザワザシューチュしないと気付かぬようなコマケーオンシツの違いに比べて、音楽再生上、それはそれはもう遙かに重要であるように僕には思えます。

その他、反響音(リバーブ)の調整や圧縮音源の補完といった機能も使えます(僕は使わんけど)。これに自動音場調整機能が加われば、僕が考える理想的なシステムになります。ソフトウェアのアップグレードを是非お願いしたトコロですね。なお、これらはあくまでもDACに備わる機能であるため、iTuneであれラジオであれDVDであれなんであれ、ソースに関係無く作動します。何十万もする単機能DACよりも、たった6K円程度で購入できるコイツの方が、総合的な音楽再生クオリティの観点からどれだけお役に立ってくれることか。ホンマニです。

次回は、再生ソフトウェアについて書く予定です。

お役に立てたらクリックしてください。ランキングに参加してます にほんブログ村ランキング参加中
テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。