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2013年01月30日 (水) | Edit |
前の記事からの続きです。

僕のLEANAUDIOでの実体験に基づくならば、装置の基本的物理特性が整えば確実に「音楽」は聴きやすくなります。例えば、フルトベングラさんのベトベン交響曲等、録音が古い盤では、僕も真空管アンプを使って多少マイルドにして聴いたりもしていたのですが、必ずどこか聴き辛くあるいはモドカシク感じる事もあり、結局今では殆どの場合Icon AMPで聴くようになりました。真空管アンプに限らず、再生クオリティを落とす方向の事(コノミの問題の事)をやると、その時は感じが良くなったように聞こえる場合もある反面、必ずナニカを失います。つまり、どのようにしようが録音されている以上のクオリティにはなるはずもなく、ナイモンハナイのよ。。という事でしょう。

結局はコノミの問題であり、コノミは体調や気分や環境条件等によって、ある幅で必ず変動します。同様に、人それぞれ「音楽」の好みにも一定の幅があり、その幅の中でその時々に聴きたい曲やシックリとくる曲が変わります。それらのコノミは短い周期(1日の中での変化)や長い周期(数ヶ月とか数年周期の変化)で様々に変動します。僕の場合、例えば、やたらベトベンばかり聴いた月もあれば、数ヶ月間殆ど聴かなかったりもします。

マニア達はよくエージングの効果を強調しますが、コノミや気分や環境条件の変動による影響が殆どではないかという気もしないではありません。ソンナコンナで、フラフラうつろうコノミや気分の変動幅に埋もれるような、しかも多分にプラセボ効果に埋もれてしまいそうな、コマケー装置のオトの違いを追いかけまわしてもキリがなく、また、そのような再生クオリティに直接関係のない(あるいは相反さえする)微妙なオトの個性の差違は音楽を聴く上で全く大して重要とは思えません。オヂオ自体に趣味性を求めないのであれば、必要十分な基本的物理特性をシッカリと備えた真面目な装置で再生してやるのが最良であろうというのが僕の結論です。

僕の経験だと、グルッと回って必ずソコ(結局一番地味なトコロ、基本的物理特性が整ったトコロ、つまりコノミの問題が希薄なトコロ)に戻ってきます。僕も3周くらいしたかな。この間も真空管の音が凄く良く聞こえた時があって、ZAP用にTU-870を1台追加購入しましたが、結局今は殆ど使っていません。また無駄使い。物増えた。クソ。

ライブでは多少PAや音響が悪かろうが何だろうが、素直に受け入れて楽しみますよね。座席によって聞こえ方も随分違いますが、気にしたってしようがありません。そんなもんイチイチ気にするよりも、とにかく楽しまなくっちゃ。それに、ライブでは必ずしもその時に体調や気分が絶好調またはピッタリだとは限りません。余談になりますが、僕が記憶している中で最高のライブ体験は、大学生時代に39°の熱でクラクラしながら(だって、チケット代がもったいないもん)聴いた山下洋輔トリオのライブかな。しかも会場は大阪市立大(あれ、府立だっけ?中百舌鳥にあるヤツ)の体育館で音響は良くないしやたら寒かった。しかし、理性が高熱のせいで後退したのでしょうかね。いつになく感覚が研ぎ澄まされ、素晴らしく深く楽しめました(下痢気味で冷や汗ものでしたが)。。。

ライブというのは、こういうハプニングが楽しいですね(その時は大変でしたが。。。)。一方、再生音楽は好きな時に好きな曲を選んで聴けるという自由度が圧倒的に高いわけですから、その時々の気分に合ったその時自分が最も聴きたいと思う曲を選べば良いわけです。アッタリマエですが。。

装置の音の微妙な個性の違いよりも、個々の音楽作品が持つ(録音条件を含む)個性の違いの幅の方がそれはもうヒャクオクマンバイ圧倒的に大きいわけですし、そちらの個性の方がソーチの個性などよりもソレハソレハもう言うまでも無くセンオクマンバイ圧倒的に重要なわけです。再生音楽だって極論を言えばライブと同じで、結局は録音によって全てが決まるのですから、やたらコマケー事をナイモノネダリをしたってしようがありません。重要なのはソコではありませんしね。結局のところ、変換装置として物理特性的にキチント真面目に再生し、詮ない事にアレヤコレヤ囚われずに素直に「肝心のトコロ」を楽しむのがナニよりです。。。ライブと同じ事です。繰り返しますが、重要なのはソコ(コノミの問題領域)では無いという事です。

それに、超一流どころの作品であれば、キチンと再生すれば大概は最良の状態で楽しめるように作られているように僕には思えます。その道のその時代の超一流プロフェッショナル達が調整してくれてはるのですからね。その状態をまずシッカリと素直に聴いてみる事をしないで、音楽のドシロートがオンガクセーたらオンガクカノジョーカンたらカンセーたらを勝手放題に振り回して最初っからコノミの問題をツイキューとやらすると、それはもう際限なくグルグルになる可能性は大きいでしょう。だってなんらかの基準を持たなければ「ナニをドノ方向にドノ程度」というのを把握できません。コノミや気分や環境条件が変動する中で、ブツリトクセーはジューヨーデハナイとばかりに、ブラインドテストハイミガナイとばかりに、プラセボにまみれて確たる基準を持たぬ相対的/主観的比較を繰り返すと、グルッと一周してそのうち元に戻っても分からないという富士の樹海を彷徨う羽目に陥るのは当然です。GPSを持たずに富士の樹海に入るのは自殺行為でしょう。技術が素晴らしく発達した現代において、山行にGPS携行はアタリマエです。オヂオだってリスニング位置の計測くらいアッタリマエでしょアッタリマエ。今時ツイキューとやらするならさ。。。

一方「オヂオ趣味とはソーユーモノなのだ!手段を目的とするのが趣味なのだ!」と全く居直るオヂオ趣味ヒヨロンカもおるわけですが、であれば、何もそこに「オンガクセー(音楽性?)」たら「オンガクカノジョーカン(音楽家の情感?)」たらをやたらエラソーに持ち出さず(一般に対してそれがさもジョートーで偉いオンガクの聴き方であるかのようなフリをせず)、「ブツリトクセーハジューヨーデハナイ」などと一般に対して声高に叫ばず(そりゃアンタにとってはジューヨーではないというだけでしょ)、数寄と心得て「音楽作品を正しく再生して鑑賞するというよりは、自分のコノミのオト(ヨイオト?)をツイキューする趣味なんです。万人にお勧めできるような音楽の聴き方では到底ありませんし、特にこれから音楽に親しみ始める青少年少女(お坊ちゃまお嬢ちゃま方)は、オヂサン達のような音楽の聴き方をしちゃーイケマセンよ。お金もかかりますしね。とんだお大尽の道楽ですが、数寄モンにはたまらなく楽しいのですよ。そんなですから、ブラインドテストやブツリトクセーは大嫌いなんです。」と、立ち位置を明らかにすべきでしょう。ソレハソレコレハコレを明らかにしないがために、業界もろとも多くのヒトがおかしな事態(魔境)に巻き込まれているように思えてなりません。僕だって随分混乱させられましたよ。

追記
僕がMarkAudio Alpairシリーズを好むのも、表層的な音のアヂがドーノコーノ以前に、振動板の機械的運動性(音響現象になる以前の根幹的重要部分)をマークさんに言わせれば「F-1エンジンのように」徹底的に追究するという非常に真っ当で真正直で根幹を見据えた技術的アプローチによるところが大きいような気がします。一言で言えば、大元の物理特性が非常に整っているという事です。

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