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2012年07月28日 (土) | Edit |
前の記事からの続きです。

review (英辞朗より抜粋)
【名】
再調査{さい ちょうさ}、再検討{さいけんとう}、再考察{さい こうさつ}
〔過去{かこ}の出来事{できごと}の〕報告{ほうこく}、説明{せつめい}、総括{そうかつ}
・Could we have a quick review of your progress so far? : これまでの進捗についてザッと説明していただけますか?
〔評価{ひょうか}のための〕検査{けんさ}、点検{てんけん}、審査{しんさ}
《法律》〔上級審{じょうきゅうしん}の〕再審理{さい しんり}
〔作品{さくひん}や公演{こうえん}の〕批評{ひひょう}、書評{しょひょう}、レビュー
《印刷》批評{ひひょう}[評論{ひょうろん}]誌
〔テストの前の〕復習{ふくしゅう}、おさらい
《軍事》閲兵(式){えっぺい(しき)}、観兵(式){かんぺい(しき)}
〔ミュージカルの〕レビュー◆【同】revue


今回も、評者の主観的感想を綴った「読み物」ではなく、工業製品たるオーディオ機器の特徴(例えばオンシツ)や性能(例えば音楽再生クオリティ)を可能な限り正確かつ客観的にレポートし、読者が貴重なお金を費やして購入する製品の選択に最大限に役立つ真に有用な情報を提供するための「レビュー」について考えてみます。

今回はバイノーラル録音(と、それを収録したCDの付録)についての続きです。

バイノーラル録音は、製品同士の比較だけでなく、各種の条件比較(スピーカ位置(部屋)の影響、バスレフと密閉の低音の比較、音場補正の効果比較、生演奏と再生音の比較等の各種実験君)を読者に体験してもらうためにも活用できます。使いようによっては、非常に有効なマテリアルになるのではないかと思います。

特に興味深いのは生演奏と再生音の比較です(「原音再生」というのを冷静に評価してみようじゃぁないか。。とね)。例えば、音楽家にスピーカ位置で生演奏してもらい、これを近接マイクとリスニング位置のバイノーラルヘッドで同時録音します。そして、今度は近接マイクの音を装置のスピーカから再生して再びバイノーラル録音します。この2つのバイノーラル録音を聴き比べる事により、その装置がどの程度「原音」に近い音を再生しているのかが概ね分かります。楽器の演奏だけでなく、アナウンサーに何かを読み上げてもらった音声なんかも、装置の評価に使えると思います(ニュースが不自然に聞こえるオヂオを僕は嫌う)。あるいは身近な色々な音(お茶碗の割れる音、黒板を引っ掻く音、バケツを叩く音等)も試して見るとオモシロイのではないでしょうか。このような各種生録音データをストックしておけば、以降の全ての装置の評価に使えます。このような評価により、装置間の差ではなく、その装置の絶対的な癖(カラーレーション)を知る事ができるでしょう。活用方法は、この他にもいくらでもあると思いますよ。

そのようなバイノーラル評価を採用する場合、まず、この方式でどの程度微小な音の違いを識別できるのかを検証しておく必要があります。このため、装置を直接試聴した時のブラインド評価結果と、バイノーラル録音を試聴した時のブラインド評価結果の相関性を確認する必要があるでしょう。これにあたっては、ヒヨロンカではなく本当に聴覚を鍛え上げたプロフェッショナルな被験者(スタジオでマスタリングをやっておられる方々が非常に敏感な耳をお持ちらしい)に協力を仰ぎ、ブラインド評価で有意な結果が得られる何らかの条件の下に試験を行う必要があります。彼らが装置からダイレクトに試聴してギリギリ有意なブラインド結果が得られる条件を探す必要があるという事です。彼らがブラインドで確実に電線を聞き分けられるのであれば、電線を使っても良いでしょう。電線ではまともに評価できないようであれば、ビットレート違いの圧縮データを使う事も考えられます。そのようにして、バイノーラル録音で評価できる事できない事をまず明確にする必要があります。

また、読者が試聴する際に使用すべき推奨ヘッドフォン/イヤフォンも指定しておいた方が良いでしょう。その機種の選定も、彼らプロフェッショナルの協力を得て事前に行っておく必要があります。装置から直接聞いた時とバイノーラル再生を聞いた時の聞こえ方ができるだけ近く感じられる機種を選定するという事です。多くの読者が購入できるよう、あまり高価な機種は避けるべきでしょう。多くのスタジオで愛用されているSONYのMDR-CD900STや、ハチマル推奨のVictor製トップマウント型イヤフォンあたりが適しているのではないでしょうか。オヂオ用の超高級品は余計なオンガクセーとやらが演出されている可能性があるため適さぬのではないかと思います。

以上のような事前検証で判明したバイノーラル録音では伝えきれない現象については、データで補足すれば良いでしょう。例えば、20kHzを超えるような超音波は、鼓膜で感知するというよりは、顔等の皮膚表面で感じていると言われますし、僕もIA7Eを評価した時にそのように感じました。ですから、超音波領域に感度を持つマイクロフォンと計器を使って、そのような領域の強度を測定できれば参考になると思います(参考: このような計器が売られています)。

その他にも、掲載すべき基本的計測データがいくつか考えられます。それらについては、僕が今まで計測したデータを例として挙げながら、次回の記事で紹介したいと思います。その次のシリーズ最後の記事では、真のオーディオ評論家には何が求められるのかについて考察したいと思います。オタノシミニ。。。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2012年07月25日 (水) | Edit |
雑誌ネタが続きます。

例えば写真雑誌では、毎月新型機種を取り上げ、大学かどこかの機関に依頼して計測した非常に正確なデータを含むレポートを、もう何十年も継続して掲載しています。また、そのような計測で見つかった問題点は包み隠さず公表し、それに対してメーカーから得られた回答もレポートに掲載しています。僕の目から見ても、そのようなデータは、多くの一般ユーザにとって最早ほとんど意味が無いようにも思えます。しかし、それは、工業製品を客観的に評価して読者に正確で公正な情報を伝達するという、創刊以来のジャーナリズムとしての責任をしっかりとワキマテイル事の現れとして、僕には非常に好ましく感じられます。そのような何十年にも及ぶ地道なデータの蓄積は、写真工業界にとっても貴重な財産となるでしょう。

さてオーディオ雑誌ですが、やはり工業製品の評価を主たる内容とする雑誌でありながら、何故そのように客観的データを忌み嫌うのか?これは大きな疑問です。

「データでは音は伝わらない」。。。とかなんとか申しますが、ヒヨロンカのその場その時の主観的/感覚的コメントだけで「音」とやらは十分に伝わるのでしょうか??その場その時のヒヨロンカの心理状態、健康状態、その他諸々の拘束条件(シガラミ)を、我々に知る術はありません。

彼らは一体どうのような訓練を積み、どのように優れた聴覚を持ち、どのような音楽的素養を持ち、どのように的確な表現力を持ち、そしてイッタイゼンタイその能力を誰によって認められた者達なのでしょうか?認定された資格でもあるのでしょうか?(コーヒーとかでも鑑定士の資格がある)?権威のあるコンテストで認められたのでしょうか?(ソムリエの田崎さんとかみたいに)?彼らは関連する全ての営利団体から全く自由で独立した全く利害関係を持たない公正な立場にあるのでしょうか??何故、彼らはそれほどまでにブラインドテストを忌み嫌うのでしょうか?????(通常、鑑定(テイスティング等、いわゆる感応評価)はブラインドが常識です。聞き酒でもそうでしょ)。

彼らは一体全体どのような音響特性を持つ環境で試聴してそのコメントを書いたのでしょうか?(音楽再生において部屋の影響は絶大です)?どのようなサイズの部屋なのでしょうか?どのような位置関係で聞いたのでしょうか?どの程度ライブな部屋なのでしょうか?定在波によるディップやピークは無かったのでしょうか??再生音量は毎回揃えているのでしょうか???毎回、どの程度条件を揃えて試聴しているのでしょうか(スピーカの位置が少し変わっても音は随分変わるよね)??彼らが新型機のレビューの中で言及している彼らの記憶に残る旧型機種や他機種の印象は、果たして厳密に同じ環境で試聴されたものなのでしょうか???随分細かい事を言うようですが、技術が成熟して装置間の差(コセイ)が黎明期に比べて微小化した現代において、彼らはそれほど細かいチガイをキキワケテ製品を評価しているのですから、評価環境もそれに合わせて厳密であるべきなのは当然です。そして、その時の試聴環境条件を示す計測データを必ずコメントに添付すべきでしょう。

実際、雑誌には随分散財させられたというユーザの苦言も聞かれます。本当に読者のためを思うのであれば、そのような感覚的/主観的評価を補足するために、出来うる限りの客観的データと、それらの情報を正しく理解するための知識を継続的に読者に提供すべきであると思います。

一例として、ダミーヘッドを使ったバイノーラル録音によるデータをCDで添付するくらい今時造作ないはずです。この方式は、完全ではないにしろ現在最もリアリティのある音響(音場)記録/再生方式として、各種のプロフェッショナルな研究/開発分野で使われています(参考記事:自動車開発分野におけるバイノーラル録音の実施例)。そしてイヤフォン/ヘッドフォン再生は、現在一般ユーザが手に入れられる最もクオリティの高い音響再生方式です。

この方式を使って厳密に一定の条件でホワイトノイズとサンプル楽曲の再生音を録音し、それを継続して蓄積すれば、貴重な音のデータベースにもなるでしょう。数年前の旧モデルとも全く同じ条件で比較試聴できるでしょう。簡単に切り換えて比較試聴できるため、大規模なブラインド評価にも極めて有用です(上の実施例では、そのように多数のブラインドテストを実施しました)。また、試聴室で生演奏をステレオ録音とバイノーラル録音し、それを装置でステレオ再生してバイノーラル録音すれば「原音忠実度」も読者に伝える事ができます。もちろん、そのようなデータは判断材料として完全ではありません。そもそも完全に伝えられる手立てはこの世に存在しません。しかし、どれほど信用して良いのか、極めてあやふやなヒヨロンカの主観的/感覚的コメントや記憶を補完する上で、極めて有用な情報となるでしょう。それらの情報を基にどう判断すべきかは読者に委ねれば良いでしょう。データが嫌いな読者はヒヨロンカのコメントだけ信じれば良いのです。

つづく

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2012年07月20日 (金) | Edit |
前の2つの記事でオーディオ雑誌について書いたので、まとめておきたいと思い、今回の記事を書きました。また、当ブログもこれにて一段落という事で、テンプレートを変更してみました。如何でしょうか?

当ブログで何度か「オーディオ界の悲劇は、真の玄人さんあるいは真の規範が不在である事に帰結する」と書きました。「音楽」のシロート達が好き勝手に言いたい放題やりたい放題にしてきた結果が招いた悲劇であるように見えるという事です。

「趣味」としてのオーディオ自体はどうであろうと全く問題はありません。「趣味」ですから。どの分野でも、マニア達は「手段の目的化」といった傾向を示します。しかし問題は、この業界全体が「趣味」の方面に異常なまでに偏向してしまい、「表現者から大衆への音楽作品の伝達装置」という、最も重視されるべき本来の目的が、すっかり疎かにされているように見受けられる点にあります。僕がLEANAUDIOに着手した頃、この業界に対して真っ先に覚えた激烈な違和感の根源は、そこにあります。その結果として、世の中の技術が大きく進歩しているのにも関わらず根本的な音楽再生クオリティは改善されず、微視的/表層的なオンシツばかりを追いかけ回し、装置は小型化せず低価格化しないという、魔境化が生じたと思われます。オーディオ業界は縮小の一途を辿っていると良く言われますが、このような状況を冷静に鑑みれば、全く当然のように思えます。

彼らは言います。。「音楽家のオーディオ(再生音楽の聴き方)は、自分達から乖離している」(自分達の音楽の聴き方が乖離しているとは考えもしないのか?)、「音楽家よりもオーディオ技術者やマニアの方が細かいチガイを聞き分けられる」(そのチガイが再生音楽を鑑賞する上でさして重要ではないとは考えてみないのか?)、「音楽家が監修したオーディオ装置はツマラナイ」(音楽家は我々に何を聴いてもらいたいと思っているのか顧みようとはしないのか?)。。。。音楽のドシロートである彼らは、音楽の専門家である音楽家達から「自分達が乖離」している事を認識しているにも関わらず、その事を真摯に受けとめようとはしないのでしょうか。僕には、そのような態度や言動が非常に傲慢に見えます。何故そのように偉そうなのか? 意識的であろうが無意識的であろうが、彼らにとってあくまでも「オーディオ」が主体であり「音楽」はそれに従属するものという「手段の目的化」が、このような態度に如実に表れているようにも思えます。

彼らは言います。。「音楽家は舞台に立つ立場から音楽再生を評価するため、自分達「鑑賞者」とは音楽の聴き方が根本的に異なる」。。。果たしてそうでしょうか???? 優れた表現者は、まず第1に優れた鑑賞者であるはずです。彼らは自分独自の音楽表現を確立するまでに、徹底的に先達の優れた作品を聴き込んだ事でしょう。別にクラシックに限った話ではありません。ジャコは、ビートルズ達は、まだバンド小僧であった頃に彼らの貧相な蓄音機やテープレコーダで、憧れの偉大なる先達達の音楽を、一体どれだけの熱意で、どれ程の集中力と持続力で、聴き込んだ事でしょう。でなければ、あのように多彩な音楽が産まれるはずがありません。

何よりも、僕自身と僕の身のまわりの非オヂオマニアの一般音楽愛聴者達の音楽の聴き方は、オヂオマニア達よりも、彼らが乖離しているという音楽家達の方に余程近いように思えます。つまり、オヂオマニア達の方が普通に「音楽を聴く」という事から乖離しているように見えるという事です。マニア達は自分達が「鑑賞者」の代表であるかのように、あるいは「音楽を聴くとは自分達のように聴く事だ」というふうに思い込んでいる節が、彼らの言動の端々に見受けられますが、これもまた傲慢な認識のように僕には思えます。

「音楽家」が良しとする装置と「オーディオ」自体を趣味とする「マニア達」が望む装置は方向性が全く異なるでしょう(彼らの言うように「乖離」しているわけですからね)。音楽家達は、マニア達がやたら強く求める「リアルっぽさ」とか「リンジョーカン」とか「オンジョー」もさして重視しないのではないかと思います。マニア達が望む「イヤシ?」だ「ジョーカン?」だ「オンガクセー?」だナンダカンダもさして求めないのではないでしょうか。

問題の根本は、「オヂオ趣味」の専門家(あくまでも「趣味」のセンモンカ)であっても「音楽」のシロートに過ぎぬオヂオヒヨロンカや、それの追従者であるマニア達(逆にヒヨロンカがマニアに追従しているのか?)によって、この業界が先導されてきたという点にあると言って良いでしょう。繰り返しますが、「趣味」としてそのようなオーディオがあっても全く構いません。しかし、業界全体がそちらに傾き過ぎるのは明らかに不健全です。

業界には、ジャーナリズムには、現在の「マニア偏重」の傾向を是正する努力が真っ先に望まれます。「音楽」のシロート達がやたら偉そうにして好き勝手してしまった現在のヘンテコリンな状態を脱する必要があるという事です(ヘンテコリンと言われて怒らぬよう。。マニア(maniac)とはすなわちそれ以外の人から見たらヘンテコリンだという事です。他人の事をオタクと呼ぶときの事を思い浮かべれば分かります。通常のマニアはそれを自覚しています。しかし業界全体が本来の目的を見失ってマニアになってはなりませぬ。また、マニアックを否定するつもりは毛頭ありません。例えば「茶道」だって元は「お茶マニア」(手段の目的化)でしょう。しかし、それが1人の天才によって極めて高度な精神文化にまで昇華されました)。

以前から言っているように、この魔境を脱するには、音楽界からの助力が絶対に必要であると思います。根底となる「規範」が必要だという事です。業界は彼らの意見に真摯に耳を傾けるべきでしょう。「音楽家の表現をできるだけ良い状態でリスナに伝えるための装置として、オーディオ装置には何が求められるのか?」という事を明らかにする必要があります。何が「良い状態」なのかを定義できるのは、唯一表現者自身(音楽家自身)だけです(ヒヨロンカやドシロートの言う身勝手な「ジョーカン」とやらではありませんよ)。そして、それを大衆に繰り返し繰り返し、しっかりと分かりやすく伝えるべきでしょう。「規範」をしっかりと浸透させるために。

当たり前ですが、音楽界(当然オーディオ界を含む)において最も尊重されるべきは、彼ら表現者達の意思です。音楽に限らず、どのようなジャンルのアートであれ、表現者の意思が最大限尊重されるべきなのは、余りにも当然の事です。それが疎かにされては決してなりません。断じて絶対に。。また、音楽界(表現者)側も伝達装置であるエンドユーザ向けオーディオに対して今まで余りに無関心であり過ぎたと言うべきでしょう。積極的な関与が望まれます。

何度でも言いますが、オーディオ装置は、本来「音楽家の作品を大衆に伝達するための」実用装置であって、それ自体を「趣味」とする、かなり変わった音楽との関わり方(手段の目的化)をするマニア達だけのためにあるのではないという、余りにも当たり前の事実が、根本的に正しく認識されていない事が、この業界の根深い問題であると、僕にはそう思えます。ソレハソレコレハコレを今一度明確に「ワキマエル」必要があるのではないでしょうか。

もちろん、個々人の末端ユーザがどう音楽を聴こうが、全くの自由です。スーパーカーのような超高額な装置にも、それを望むユーザが居る限り、存在意義はあります。しかし世の中全体が、なんとなくで良いから、基本を基本として規範を規範として「ワキマエテイル」事が重要です。ワキマエずに好き勝手やるのと、なんとなくでも意識のどこかでワキマエタ上で好き勝手やるのでは、雲泥の差があるでしょう。民生オーディオにおける最大の問題は、一言で言えば、「基本的にワキマエルべき「規範」が明確に認識されていない」という事ではないでしょうか。

この点において、ジャーナリズムの責任は重大です。

追記
自動車分野では、特に我が国のモータリゼーションの黎明期において、ジャーナリズムはこの「ワキマエルべき事」の浸透に懸命に努めてきたように思えます。これには欧米(特に欧州)の成熟したモータリゼーションを規範とできた点が幸いしたようにも思えます。

写真(カメラ)分野では、それを「本来の目的で使う」「表現者の立場にある」プロ写真家がレビューも含めて執筆する事が多い点が幸いしていると言えるでしょう。また、装置そのものの記事の比重はオーディオ誌に比べて低く、内外のプロ作家の優れた表現作品を誌面で紹介する等、写真芸術への貢献にも重きを置いています(写真は印刷媒体と親和性が高いという点でオーディオに比べると有利)。特に、僕が高校生の頃に愛読した「カメラ毎日」(廃刊)は、後者の面で大きく貢献したと思います(当時全く無名であったあの森山大道を発掘したのも当誌)。

オーディオ誌では、音楽そのものを印刷媒体に載せられないという点で、どうしても誌面はハードウェア偏重にならざるを得ないという面があります。また、装置のレビューでも、「音」を言葉で表さなければならないという面で困難を伴います。にも関わらず、何故なのか僕には全く理解できませんが、客観的データを忌み嫌い、ヒヨロンカのサクブンに頼りすぎた事が奇態な状況を招いた一因であると言えるでしょう。もう1つの問題は、そのようなレビューを執筆するヒヨウロンカが専ら表層的な「音」(オンシツ)の評価を偏重する点にあります。これは、彼が「オーディオ趣味」の専門家に過ぎぬからでしょう。本来、もっと総合的な「音楽再生」または「音楽伝達」の「質」を評価すべきであり、やはり「音楽」の専門家による評価が重視されるべきだと思います(彼はオヂオについては何も知らなくても良い)。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2012年07月15日 (日) | Edit |
前の記事に頂いたカニ様からのコメントへの返信を転載しておきます。

/////////////////////////

カニ様

すみません。。。なんかいつも偉そうな事を書いてしまい。

個々人のオーディオ「趣味」そのものに対してとやかく言うつもりは全くありません。そもそも「変な所」があるのが「マニア」ですから。それはオーディオに限った事ではありません。末端ユーザがそれをどう使おうが、それは全くユーザの自由です。それはどの分野を見ても同じです。どの分野でも、一文の得にもならぬ事に熱中するマニアというのは、それ以外の人々からは奇異に見られ、そこには多少軽蔑のニュアンスさえ含まれますし、マニア自身も他者に対しては多少の自嘲を装います(とんだ道楽でお恥ずかしい。。ポリポリ。とね)。。例えば自分自身が誰かの事を「あれはオタクだ」と言う時を思い浮かべれば分かると思います。

maniac
【名】
マニア、熱狂的{ねっきょう てき}な愛好家{あいこう か}◆【参考】mania
〈軽蔑的〉凶暴{きょうぼう}な[手の付けられない]人
・He drives like a maniac. : 彼は狂人じみた運転をする。
〈軽蔑的〉〔躁状態{そうじょうたい}の〕狂人{きょうじん}
【形】
熱狂的{ねっきょう てき}な、のめり込んだ
〈軽蔑的〉〔躁状態{そうじょうたい}のように〕手が付けられない、凶暴{きょうぼう}な
〈軽蔑的〉躁病[状態{じょうたい}]の

ハチマルは以前、自動車業界の製造者(開発技術者)の立場で働いていた経験があるため、意見はどうしてもその立場からの視点となります。ハチマルの苦言は全て業界の玄人さん(製造者、ジャーナリズム等それを生業とするプロフェッショナル達)に向けられているとご理解ください。あくまでも末端ユーザは自由です。ただし、最低限の規範となるべき正しい知識と情報が広く世の中に定着している必要があります。それを促すのがジャーナリズムの大きな責務ではないでしょうか。

業界全体がそれを明確に認識していないようでは困ります。オーディオ装置というのは別にそれ自体を趣味とする少数のマニアのためだけにあるのではないからです。オーディオ装置の本来の目的は、音楽家の作品を大衆に「より良い状態」で伝達する事にあります。そして何が「良い状態」なのかを定義する権利を有するのは唯一音楽家自身だけです。オヂオヒヨウロンカでは絶対にありません。冷静に考えれば、そこに異論を差し挟む余地はないでしょう。

オーディオ ジャーナリズムの大きな役割の1つは、最も尊重されるべき表現者側の意向や情報をできるだけ多く大衆に伝える事にあるはずです。音楽家によって意見も異なるでしょう。それで良いのです。それらが広く世の中で認知された上で、末端ユーザが「音楽家はそう言うてはるけど。。。」と自分の好きなように聴く事には何も問題はありません。しかし、彼の心のどこかで無意識であってもよいからソレをワキマエテイル事が重要です。それが極端な逸脱に対する抑止力として働くでしょう。そして、それを誰よりも深く理解した上で敢えて突破するのが真のマニアと言えるでしょう。

オーディオに限らず、大衆(末端ユーザ)というのは放っておくと極端な方向に突っ走り気味であり、製造者はそれに追従しがちです。専門雑誌というのは、その業界の本来の目的というものを冷静に考え、一歩高い見地に立って、そのような極端な逸脱を監視し、啓蒙を促すという重要な役割を持つべきであると思います。自動車や写真の業界では、少なくとも一流誌と自認するジャーナリズムがそのような役割をそれなりに立派に果たしきたように見えます。それがオーディオでは、逆に雑誌が先頭を切って大衆を煽っているようにしか見えません。どうしてなんでしょうか。。不思議です。

今現在、ユーザ自身が冷静に考えるしかありません。このブログが、そのように考え直してみるきっかけになってくれれば、ハチマルは嬉しいと思います。考えた結果の結論は、人それぞれ全く違っていて良いのです。ただ、一度冷静に考えてみる事が重要ではないかと思います。

以上、ハチマル記

/////////////////

追記
前の記事「こんなオーディ雑誌どう?」は、随分長いこと注目記事のランキング1位をキープしていました。やはり、現在のオーディオ雑誌に物足りなさを感じている方が多いという事ではないでしょうか。雑誌社には頑張って欲しいものです。

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2012年07月12日 (木) | Edit |
オーディオ雑誌は、LEANAUDIOを始めた頃に数冊目を通して以来、全く立ち読みすらしませんが、こんな内容はどうかな?という提案を何点か挙げてみたいと思います。

1) 内外の一流音楽家や音楽制作者による記事を積極的に載せる(超一流であること)
音楽そのものについて(音楽って何よ?、再生音楽って何さ?)、制作現場の情報(どうやって録音してるの? モニタルームで調整する時の基準ってナニ?、それをソノママ聴いたんじゃ本当にツマラナイノ?、ツマラナイように調整してるの?)、音楽家から見たオーディオ装置について(自分はどうのように使ってる? 再生する時に何が重要だと思う? どんな装置が欲しい? 聴衆にはどのように聴いて欲しい?)、等々。。。だってさぁ。。彼らが作った音楽を聴衆に伝えるのがオーディオ装置の役目でしょ。。。そこんとこを真面目に考えないと始まらないよね。。ジョーカンとか言う前にさ。。。とにかく、音楽の一流玄人さん達のオハナシをよく聞いてみないと、シロートだけでアーダコーダ言っても始まらんでしょう。オヂオのクロートであっても音楽はシロートですからね。

2) オーディオ装置は電気機械装置です - 基礎的な知識の提供
電気機械製品の評価を主たる内容とする雑誌(そうだよね?)である以上、読者に繰り返し基礎的な理論や技術的知識を提供し、できる限りの客観的データを提供すべきなのは当然です。

物理的に見た音楽とはどういうものなのか、再生音楽とは何なのか、オーディオ装置の目的とは何なのか、オーディオ装置は楽器なのか?、オーディオ装置の仕組み(技術的基礎知識)、オーディオ装置に必要な性能とは何か、どのように発展してきたのか、オーディオ装置(再生音楽)には何ができて何ができないのか、現在の装置が抱える問題点は何か、実際に使用する際に何に注意すべきか、オーディオ装置の値段は何によって決まるのか、等々。。。コマケー アクセサリとかのハウツーじゃないよ。。もっと重要で根幹的な知識です。

多くの趣味の月刊誌の場合、どのようなジャンルであれ、1年間購読すると必要な基礎知識が一通り学べるように記事が組まれています。だいたい一年間購読したら、あとは興味のある記事が載っている月だけ購入すれば良いというのが、多くの月刊誌の傾向ではないかと思います。とにかく、その分野の発展を望むのであれば、ユーザに正しい知識と情報を繰り返し提供し続ける事が何よりも重要だと思います。

3) 製品レビューの客観的データの提供
ヒヨウロンカの主観的感覚的な感想文だけでなく、できうる限りの客観的データを読者に提供すべきでしょう。

試聴環境のデータ(部屋の音響特性/寸法/リスニング位置)、計測データ(リスニング位置で計測した周波数特性、位相、信号波形比較、音圧レベル)、ダミーヘッドによるバイノーラル録音データ(CDを添付、読者にリファレンス イヤフォン/ヘッドフォンを指定しても良い、付録で付けるか?)、科学的に正しい手順に従うブラインド評価(大学等の協力を仰ぐべき)、等々。

試聴室は、ユーザの代表的な実使用環境に近いものを用意すべきでしょう。また、製品のクラス分けに応じて異なるリスニングルームを用意すべきでしょう(エンスー向け、リビング向け、個室(デスクトップ)向け、等)。また、条件(スピーカ位置とリスニング位置、部屋の音響特性、音量、温度、湿度、照明、電源、暗騒音等)は年間を通じて厳密に一定に揃えるべきでしょう(だってさぁ。。デンセン聞き分けるんでしょう? そんくらいしないとさぁ。。。)

評価には、読者にも参加してもらうと良いでしょう(年間12回参加可能な読者を数名公募、毎年入れ換え)。様々なジャンルの音楽家、芸術家、有名人にもゲストで参加してもらうと良いでしょう。彼らには各自好きな楽曲を使ってもらうと良いでしょう。

最終的にこれらの結果をどう評価するかは読者に委ねれば良いでしょう(ヒヨウロンカのカンソーブンを重視しようが、データを重視しようが、ブラインド結果を重視しようが、CDで自分で聴いて判断しようが、それは読者の勝手です)。

4) 謎の解明
とにかく謎が多すぎます。しかも、誰も検証しようともせずに、効果が有るとか無いとか言い合ってるだけ。。。製造者がやらんのなら、雑誌がやらんかい。。

人間の感覚は科学だけでは解明できないとか言う前に、とりあえず可能な限りの科学的分析とブラインド評価を体系的に実施すべきでしょう。理論やデータで証明できなくても、ブラインドで統計的に有意な結果が出れば、どんなオマヂナイでも堂々と効果があると言えるでしょう。これをやらない限り、どちらの立場の意見も空論に過ぎません。いつまで経っても魔境のまま。何度でも言いますが、マーケットは健全でないと発展しません。

とりあえず以上かな。。。

どでしょうか?

そんな雑誌なら、たまには買ってもよいかな?

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