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2012年06月29日 (金) | Edit |
前の記事で「よく考えよう」と書きましたが、誤解を招かぬように、慌ててこの記事を書いておきます。

音楽に限らず、文学であれ絵画であれ、アートに触れているその時は、
考えたら負けです。
どうかそのへんは誤解無きよう。

理性でもって理解とか解釈しようとした瞬間に、最もオイシイ最もジューヨーな最もセーミョーなる部分は、あっという間に手からこぼれ落ちてしまうでしょう。だからハチマルはフニャーーーとモードチェーンジするのよ。

以下グダグダです。暇な方だけ適当に読んでください。

最近はどうか知りませんが、僕が中高生の頃は、国語の授業で文学作品を取り上げて「作者はここでどう考えたか?思ったか?」なんて課題や問題がよく出ました。あるいは「行間を読む」というのもこれに近いと思います。僕はこれを極端に嫌い軽蔑したため現国の試験は最悪でした。。。そんな事をしたら、その作品が持つ最もオイシイ所を味わう事は断じて絶対にできません。だいたい、作者も、そんな事を「考え」ながら書いているわけがありません。そんな事を「考え」ながら書いた作品は文学としては超駄作でしょう。極端な事を言えば、文字で辿れるストーリー自体すら重要ではありません。長大な物語を通して莫大な数の文字を要しながら、言葉では絶対に表せない(作者自身すら確たる事は分かっていない)事にこそ、その作品の真の価値があるように思えます。確かヘッセも、作中の登場人物(自分自身)にそんなような事を言わせていたような気がする。

そんな話を家内にしたら、こんな事が新聞に載っていたと教えてくれました。
中学校だと思うのですが、さる日本の詩人の作品が教科書で取り上げられており、例によって「作者はここでどう思ったか」という例の愚の骨頂問題だか課題が出たそうです。である女の子は、先生の言う事に納得できなかったのでしょう、その詩人に本当にそんな事を考えているのですか?とお手紙を書いたところ、その詩人は「僕達はそんな事を考えながら詩を作っていません。そんな問題が出たら、こう書けば先生が良い点をくれるだろうな。。という答えを適当に書けば良いのではないかな。。。」と答えられたそうです。ほら。やっぱりね。。ハチマルも絶対にそうだと思ってました。。ソンナモンです。ホンマニ。。ハチマルもいちいち怒らずに、そういうふうに上手に答えを書いておけば良い点が取れたのに。。。。クソ。

作家の遠藤周作さんが「最も良い文章が書けている時は自分で書いているというのではなくナニカに書かされているという気がする」といった内容の事をどこかで書かれていました。ね。やっぱり考えてないでしょ。。それこそが、天国と繋がったかと思えるその瞬間こそが、第一次創造の精妙なる瞬間であり、それがあるがために彼らは創造行為を止められないのだと思います。それは人知を超えた瞬間であり、決して理性では到達できない瞬間です。であるからこそ尊く価値があるのです。ハチマルも拙いながら写真作品に取り組む事により、その精妙なる瞬間の片鱗に触れる事はできましたし、オシゴトの技術開発においても、絶体絶命の大ピンチ(年柄年中大ピンチ)で起死回生のアイデアが突然浮かぶ瞬間というのも、正にそのような精妙なる瞬間であったと思います。なんでそんなアイデアが思い浮かんだのかと同僚に聞かれても、自分でもよくわかりませんでした。つまり、人間が何事かを強く求め、全てを忘れて損得勘定一切無く本当に純粋に物事に帰依した時、神様はチョイとしたご褒美をくださる。「求めよ、さらば与えられん」。。それをたくさん集めたのがアートなのだと思います。先に書いたように普通のお仕事も同じです。仕事とは「事」に「仕える」と書きます。出世や上司や立場や損得のためではなく、全てを忘れて純粋に「事」に取り組む時、神様は必ずホレとご褒美を下さります。その瞬間、世界が真っ白に爆発したような悦びに満たされるでしょう。まぁ。。そこに辿り付くまでは地獄ですが。。。ハチマル用語ではこれを「テンゴクトツナガル」と呼びます。芸術とは、他の職業に比べて、それを最も純粋な形態でやりやすいという事なのだと思います(テンゴクツナガリッパナシ?)。我々は、その精妙なる瞬間をスポーツ選手の神業とも思える超ファインプレーにも感じる事ができます。だからこそ人々はスポーツに熱中するのです。

ゲージツカが「テンゴクトツナガッテ」作ったであろう作品を介して鑑賞者が「テンゴクトツナガル」事を、ハチマル用語で「シンクロする」と呼びます。ある意味、彼らの作品は、我々鑑賞者が「テンゴクトツナガル」ための「インターフェイス」であると考える事ができます。ハチマルが「アクセスする」という表現をよく使うのはこのためです。

オーディオ装置とは、突き詰めて言えば、この形而上的インターフェイスたる音楽作品を、我々の耳あるいは意識まで伝達するための形而下的(物理的)インターフェイス装置であると言えるのではないでしょうか。

では、アートを通して作者はそして鑑賞者である我々は、イッタイゼンタイ何を垣間見るのでしょうか。。。。「ソレ」はとにかく、人間にとって、この上もなく大切な事である事は確かです。宗教も、おそらく、「ソレ」により直接的アプローチを試みるひとつの手段なのだと思います。ヨガや座禅もそのメソッドの一種です。セックスをそのメソッドとする宗教すらあります。「ソレ」は科学や「理性」では絶対にたどり着けない領域です。「感性」というのは安っぽく聞こえてハチマルは嫌いです。どうも最初の入口というに過ぎぬような気がするからです。「悟性」という言葉もありますが、定義が人によってマチマチです。

ハチマルは「ソレ」を「セカイノヒミツ」とか「ゲンショノキオク」と呼んでいます。それらは必ずしも美しく心地良いものとは限りませんし、恐ろしくて暗いものでもあります。見たら死ぬぞーーーー。。。というくらいヤバイものでもあるような気がします。世界を素直に感じ取る時、生と死は常に一体だからです。絶対に切り離して感じる事はできません。ですから芸術は必ず死の面を持ちます。死の臭いのしないジャズはつまらんし。。(ジャズについては別の機会に書きたいと思います)。ゲージツカのやっている事を見ると、これ以上逝ったら見たらヤバイ、戻れなくなるカモシレナイ。。。と感じながら、怖い物見たさで限界を超えてしまって破滅する例も多々あるように見受けられます(ジャコとかね)。でも、カッコエーナー。。。ゲージツは怖いんです。そもそも。。偉大なる芸術家というのは繊細さだけでなく強靱な精神力と体力の持ち主ではないでしょうか(ベトさんとかね)。

最後に、
ハチマルは昔から評論家の言う事は一切信用しませんでした。上記の第一次創造の精妙さを終ぞ理解できず、従って第一次創造者になり得なかったがために、評論という職業に就いたのではないかと思わざるを得ないものが多くあるからです。彼らは余りに安易に作品を解釈したり分析したり分類したりします。厄介なのは、そいう安易な「解釈」の方が分かりやすく、読者は簡単に「納得」させられてしまうという事です。アートを「納得」や「解釈」したら、その瞬間に全てオシマイなのに。作者本人にすら確たる事は絶対にワカル事ができないのがアートなのに。。

もちろん中には優れた評論を書く評論家も居ます。ハチマルは、そのような評論の文章は、ある作品をネタにした、元の作品とはまた別の優れた作品として読みます。そうすれば楽しめます。しかし、大概の評論家の言う事は信用ならんと、ハチマルは考えています。

そもそも分からないものを素直に分からないと受け入れて分からない事を楽しめば良いのではないかなぁ。。
ゲージツカは、そもそも分からんから命懸けで探求しとるわけで、分かったらヤリマヘン。あんなシンドイ事。
そいつがホンマニ分かるのはのお釈迦様かイエス様くらいでしょうよ。。

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2012年06月27日 (水) | Edit |
さっきランキングを見たら1位でした。覚えている限り1位になったのは初めてです。
なんかウレシ。。。応援ありがとうございます。
INポイントが500に達したのも恐らくハジメテ。。

そう長くは留まれないと思うので、記念にスクリーンショットを撮っておきました。

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なんかキッツイ事ばかり書いてしまいましたが、なんにせよ、よく考えてみてくださいね。当然ですが、これはハチマルの個人的意見に過ぎません。当然ですが結論は人様々です。ジャーナリズムは泥濘の中で全く思考を停止したかのように見えます。何の助けにもならぬでしょう。ユーザ自身が考えるしかありません。結論が今すぐ出せなくたって良いのです。死ぬまで結論が出なくたって構いません。とにかく考えてみて損する事は決してありません。きっと何かが得られます。それは100%請け負います。。。お金かからないしね。。電気代タダだし。。腹は減るけど。。。自分はイッタイ何をやりたいのか?、ゼンタイ何をやっておるのか??、ホンマニこんなんでえーのんか???。。。。

ハチマルは会社でスタッフに、席を立って行動を始める前にもう5分だけ考えろ。。そうすればオシゴトを1時間分、もしかしたら1日分、もしかしたらもっと減らせるカモシレナイゾ。。。と、常に言ってました(ハチマルは無駄な残業大嫌いで1分でも早くオウチに帰りたかっただけ。。オウチのお風呂とかベッドの方が良いアイデアが出るしね)。。あんまり考えろ考えろと言うもんで、智恵熱を出してしまった奴も居ましたが、彼は素晴らしい仕事をしてくれました。

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2012年06月25日 (月) | Edit |
こんな装置が欲しいなぁ。。。という具体案を提示する前に、そのコンセプトを明確にするために、どのような使われ方、音楽の聴き方を想定するのか? という事について明確にしておきたいと思います。

まず、第一に明確にしなければならないのは、ハチマルがこれから想定するのは、オヂオマニアのような音楽の聴き方(使い方?)をするための装置では断じてゼンゼン全く無いという事です。つまり、オンシツやナンチャラカンやオンジョー等を細かくキキワケルための装置では無いし、それらをツイキューするための装置でもありません。オヂオ自体に全く興味の無い人々に、日常生活の中で快適により善い状態で音楽を楽しんでもらうための実用道具だと言う事です。

例えば鉄道マニアには、モータの音をこよなく愛し、モータの音を聞いただけで機種を言い当てたり、そのモータの音を録音したくて、はるばる旅したりする方も居られます。また、通勤型車両の補助灯の配置の微妙なチガイを見分けたりする事を楽しむ方も居られます。しかし鉄道を日々の通勤通学や旅行のための移動手段として使う大部分の人々にとって、そのようなディティールは全く重要ではありません。最近のオヂオマニア達がオヂオ装置を使ってやっている事も基本的にこれらの鉄道マニア達がやっている事と同じです。オヂオマニア達は超微細なオンシツやナンチャラカンに強く拘りますが、普通に音楽を聴く上でそのように過剰なディティールを「ワザワザ」「シューチュー」して「キキワケル」事は全く重要ではありませんし、そのような「音」や「音の付帯的現象」への過剰な意識の消耗や過剰な人為的ツクリコミは、本来の音楽を楽しむという目的を阻害さえするでしょう。どのような分野においても、多かれ少なかれマニアとはそのような傾向を示します。すなわち大雑把に言えば、手段そのものが興味の対象となる、手段の目的化という傾向を持つという事です。それがマニア、それが趣味というものです。ハチマルはその事自体に対してトヤカク申すつもりは毛頭ゴザイマセン。それは個人個人の趣味嗜好ですからね。それらを含めて豊かで多様な文化が形成されるわけですから。しかし。。。

多くの場合、マニア達は、趣味と実用をはっきりと区別して認識しています。鉄道マニアも鉄道を全くの実用機関として認識し普通に使います。フェラーリを所有するエンスーも普段はごく普通のコンパクトカーを日常の移動手段として愛用します。クラシック カメラ マニアもお仕事では最新のデジカメをブリブリ振り回します。彼らは皆ソレハソレコレハコレを明確にわきまえ、「心の余裕」として趣味の部分を楽しんでいるという事です。「いやはやお恥ずかしい。。とんだ道楽ですが、楽しいから、好きだから、やっているんですよ。。ポリポリ」という事を素直にわきまえているという事です。そのへんが、どうもオヂオでは明確に認識されていないため、それを趣味とせぬ一般人に対して「オンガクマトモニキクナラサイテーヒャクマンエン」とさも偉そうにぬかす、さも自分達が特別ジョートーな事をやっているかのように勘違いする輩(魑魅魍魎)が横行する事になります。なぜオヂオだけがこうなんでしょうか?????他の「趣味」ではこんな事はアリマセン。そもそも彼らが言う「マトモニオンガクヲキク」の「マトモ」は、一般人にとってもはや「マトモ」とは到底思えませんし。。。。。

どのような分野にも、そのように極端な嗜好を持つ一群の趣味の人々(マニア)が存在しますが、業界自体は基本的にごく普通にそれらを「使用」する大多数の人々に向けて使いやすく実用的な機械をできるだけ安価に提供する事を本業とわきまえ、それに努めます。マニア達は、そのような普通の機械に対して特殊な愛着や価値観を持ち、彼ら独特の関わり方をしますが、業界自体は基本的にそれに積極的には関与しません(典型は公共機関である鉄道)。個人消費向け機器の分野(例えば自動車やカメラ)では、広報的な目的(ファンサービス、ブランドイメージの強化)としてイメージリーダー的なモデルを用意したり(ホンダNSXとか)、たまにマニア向けのスペシャル バージョン(ニコンSPの復刻とか)を提供する事もありますが、多くの場合これらは利益を上げる事を目的とせず、損失を覚悟で提供されます(NSXは売れば売るほど損する)。これらは企業としてコレハコレソレハソレをわきまえた文化的事業であると言えます。

これに対し、オヂオ分野では、特に高品質製品において、製品そのものが端からマニアを指向する度合が異常に強く、本当の意味で音楽を高品位な状態で鑑賞したいと願う人々向けの必要十分な性能を備えた適正価格の実用的な製品が欠落してしまっているように思えてなりません。フェラーリやランボルギーニのような趣味性を追い求めたスーパーカーを頂点としてヒエラルキが形成され、廉価な製品は基本的にそれらを縮小したものに過ぎず、本当に真面目に作られたアコードやシビックがほとんど存在しないという事です。だいたい、廉価な製品が「エントリー機」とか「入門機」と呼ばれる事が如実にそれを現しています。つまりそれらは、スーパーカーを頂点とする趣味的ヒエラルキへと誘う「入口」という意味であり、本当の意味で「実用的な装置」という意味では全くありません。

そのようにして、単に音楽を聴きたかっただけのユーザも、この魔境に一歩を踏み入れ、さらにザッシやヒヨウロンカや店員による極端に偏向した情報(とさえ言えるかどうか? 魔法の呪文?)に操られ、「趣味的」上昇指向を植え付けられてしまうという具合です。これに近い状況は、我々が子供の頃のまだ未成熟であった日本のモータリゼーションにも見られました(隣のクルマが小さく見えマース。。というCMが有名)。しかし現在は人々の意識も技術も成熟し、そのような状況はとっくに脱しています。これには、常に民意の向上に努めてきたジャーナリズムの貢献があった事も付け加えておきます(ハチマルは小学生の頃から自動車雑誌を定期購読していたのでよく知っている)。これに対しオヂオでは、そのような技術的/文化的に未熟であった黎明期の状態を無理矢理維持し続けようとしているかのように見えます。製造者と消費者に対して第三者的立場を取り、時代の変化を真っ先に読み取って啓蒙を促すべきジャーナリズムの貧困さが、今日のオヂオの奇態な状況を招いた悲劇の一因である事は確かでしょう。

ハチマルがオヂオに対してやたらシツコク問題提起しているのは、それが大衆の音楽文化に大きく関わるからです。手段である「オーディオ」のために言っているのではありません。目的である「音楽」のために言っているのです。せっかくスンゲー音楽作品がタクサン遺されているのですから、誰もが「何も意識しなくとも」アタリ前のように、そのスンゲーところを存分に(例えば交響曲の低音の唸りを、ジャズのビートの絶妙のノリを)感じ取れるようにせんとイカンノントチャウと言いたいのです。「無意識に感じ取れる」事が重要です。誤解を恐れず極端な事を言えば、彼らがそれを望もうが望もまいが関係なく、優れた音楽作品が本来持つ正しい調和、正しいリズムを彼らの耳にそして意識にブチ込むという事です。どんな安物の装置でもそれがアタリマエにできるようになり、それがアタリ前の「音楽」なんだと無意識に受け入れられるようにする事が理想です。それをかなりのレベルで実現できる技術はとっくに揃っているのですから。。

という事で、ハチマルがこれから考えようとしているのは、日々の通勤や通学あるいは旅行を目的に鉄道を使う人々に相当する音楽を真っ当に再生して普通に楽しみたいだけの人々向けの実用オーディオ装置です。家電製品として真っ当なオーディオ装置と言えるかもしれません。

次回は、そのような装置が備えるべき、音楽を楽しむために必要十分な性能について考えてみたいと思います。

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2012年06月22日 (金) | Edit |
今回は、世の中の技術の進化によって、製品の価格と性能がどのように変化するのかについて考えてみます。

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青の曲線が現在の状態とするならば、過去の状態は茶色の曲線で表せます。一般的に、世の中の技術の進歩に伴い、イエローゾーンは左上に移動します(A → B)。つまり、より安価により高性能/高機能になるという事です。また、性能が同等であれば、価格は大幅に減少します(A → C)。最近の主に電子技術と材料技術の飛躍的な進化により、どのような工業製品も、概ねこの傾向に従うはずです。

なお、M曲線の縦軸/横軸のスケールは単なる目安です。目盛りの値にも意味はありませんので、そのように見てください。横軸(価格)は対数的に捉えた方が良いかもしれません。

例えば35mm版銀塩カメラについて考えてみます(デジタルはちょっとブットビ過ぎなため)。我々にとって最も身近であった(既に過去形ですね) 35mmフォーマット(ライカ版)を採用した市販カメラは、1925年にドイツのライツ社が発表したライカA型に始まります。偉大なるライカのそして最も広く一般に普及した35mm版カメラの歴史の始まりです。当時のA型では、レンズは固定式で交換できず、レンジファインダーも内蔵されていませんでした。もちろん測光もなし。ロレットを刻んだ金属ノブを指でつまんでグリグリ回してフィルムを巻き上げます。価格は知りませんが、今の価値に換算すると、非常に高額であった事は確かでしょう。その昔、日本ではライカ1台家1軒と言われたそうです。このライカA型を仮に上図のA点とします。

B点は、例えば、銀塩フラグシップ最終型のキャノンEOS-1vやニコンF-6という事になります。これらはナンタラ点にも及ぶ自動測距点/測光点と高度な電子制御を備え、秒間カンタラ駒で連続撮影でき、コンピュータ設計を駆使した非球面の可変焦点距離(ズーム)レンズを内蔵超音波モータで高速駆動して動体を追尾しながら瞬時に自動合焦し、おまけに手振れまで補正します。いゃぁ、凄まじい。報道カメラマンやスポーツカメラマンにはアリガタイ機能ばかりですが、一般人には過剰性能です。。。。。 そんなのが、えーーといくらだっけ?まだ売ってるんですね。。ヨドバシで20数万円(ボディのみ)で購入できます。もちろん新品です。そして、このような機能の多くが、今では安価なコンパクトデジカメにも搭載されています。ちなみに、カメラはオーディオ機器に比べて、圧倒的に開発費と開発リソース(要員、設備)が嵩みます。もはや昔のような零細ガレージメーカにできる代物ではありません。

C点としては、なんといっても、富士の使い切りカメラ「写るんです」でしょう。これが銀塩カメラの最終形態と言っても良いかもしれません。ホンダのスーパーカブ、ソニーのウォークマン等に肩を並べる画期的工業製品と言って良いと思います。富士のエンジニアはエライ! これも未だ売っているのですね。ヨドバシでストロボ付きが420エンでした。いやはや。。。写りも馬鹿にしちゃぁいけませんぜ。ダンナ。。。フィルムの飛躍的な進化と、最新設計の非球面レンズの採用で、その名のごとく、「よく写る」という点ではライカA型を遙かに凌ぐでしょう(レンズの味とか操作感とかは、ここでは関係なしね)。

オーディオの場合、音楽再生レベルの電気信号の増幅技術に関しては、既に飽和した感があり、今後大きな進化は望めそうにありません(というか、クオリティ的に必要十分に達している)。既にあのように安くてチッコイIC 1個でも音響アンプとして十分な性能が得られてしまうのが現状です。というと、手の温もりがアータラ、音楽はゲージツだからコータラと始まるのでしょうが、それは安易なノスタルジーに過ぎぬでしょう。そもそも、このような技術の進化は、過去から現代に到る数多の人間エンジニア達の懸命の努力の積み重ねによって成し遂げられたものです。そこに人間の手の温もりがないなぞと、安易に言えるものではありません。最新の技術は過去の技術の積み重ねの上に成り立っています。技術とは連続です。魔法のようにポンと表れるものではありません。その温もりの有るとやらのビンテージドライバやビンテージレンズを作ったエンジニアを、タイムマシンで今の時代に連れてくれば、喜んで最新の技術をブチ込む事でしょう。一部の技術には、クソっ、こんな手があったんか!なんであの時気付かんかったんや!と地団駄踏んで悔しがる事でしょう。重要なのは、そのように築き上げられた技術を、どのように人々の幸福のために最大限に役立てるか? という点にあります。そこに技術者としての人間性が問われるという事です。技術自体に正も悪もありません。コーヤッタラアーナルというだけです。それを良い方向に使うも悪い方向に使うも人間次第だという事です。

さてオヂオ業界は、このような世の中の技術レベルの進化の下に、イエローゾーンを上(ホントの音楽再生クオリティ)と左(万人のための低価格化、小型化)にシフトする事に十分に取り組んでいるのでしょうか????

茶色の曲線を見ると分かるように、技術の黎明期においては、イエローゾーンが横に広く、お金をつぎ込めばつぎ込むほど性能が向上する事がわかります。ある意味ロマンチックな時代であります。我ら50代以上のオヂサン達が夢多き青少年(オトコノコ)の頃のオーディオでは、このような傾向が多分に残っていたでしょう。高性能な装置は全く手が届かない高嶺の花であり、また別に聞きたい音楽があったわけでもないのに、いつかは手に入れたい! と強い憧憬に胸焦がした方も多い事でしょう(ソモソモここの点が、ヘンテコリンなオヂオの原点であるような気もするけどね)。もちろんハチマルもその類でした。製品カタログだけで1日すごせましたもん。どうも、現在のオヂオは、特に年配のマニアは、その頃のロマンを未だにズルズルと引きずっているように見えます。また、狂気じみた高度成長期/大消費時代をたっぷりと体験した我々オヂサン世代は、「物」に対する執着が異常に強い事も確かです。なんかジョートーでオーキクてデンセツとかあるやつとか、たいして必要なくても、ついつい物欲がそそられます。最近の週間ナントカ(毎週パーツが配布されて、なんかデカイのができあがるやつ)なんて露骨にそれ狙ってますよね。できあがると邪魔でしようがなかろうに。最後まで買っちゃうヒト居るんでしょうか?物欲世代は恰好のターゲットと言えるでしょう。生きてるうちに煽るだけ煽って精々搾り取れ!ってやつですかね。。。。もしかしてオヂオも?

それに比べ、我が息子(高1)を見てると物欲が無くて清々しいもんです。経済なんか縮小すりゃぁ良いのです。そうすればゲンシリョクも要らぬでしょう。地球も住みよくなるでしょう。

と。。。オヂサンマニアはいくら引きずっても良いのです。それは個人的趣味ですから。個人的ノスタルジーですから。しかし、業界のクロートさんがそれに引きずられては困ります。ソレハソレコレハコレっちゅうやつです。

以下余談です。

M曲線のピンクゾーンは、性能や品質だけでなくブランドイメージによって価格が大きく変動する領域でもあります。例えば、ファッション界がその好例でしょう。全く同じ品でも、マークが付いているかいないかで価値が大きく変わります。高級腕時計もそうですね。自動車でもフェラーリとかの領域はそうです。それらは、人類の文化であり、ハチマルは決して否定するわけではありません。かくいうハチマル自身、防湿庫に大切にしまったライカM2をたまに取り出して、その感触を楽しんだりしていますし、子供を撮ってズミクロンのクーキカンがドータラなんて悦にいってましたしね。しかし、真剣な作品撮りには専らSIGMAのデジタル一眼レフを使っていました。腕時計だって、街の時計屋さんのショーウィンドウでロレックスのデートナにしばし見とれて足を止めたりもします。でも、腕時計は普段ほとんどしないので、998エンの吊るしのソーラ付きデジタルをもう何年も愛用しています(デザインが好きなのよ)。オヂオだって、JBL4311のグレーのが1個だけ欲しいと思いますしね。音はドーデモ良いけど。。。

ソレハソレコレハコレっちゅうやつです。業界の玄人さんには、まずコレをしっかりやってもらわにゃ。。。コレを。。ソレの方はあくまでも「道楽」であって何の責任もないシロートさんがテキトーにご託並べて遊んでおれば良いわけで、放っておけば良いでしょう。基本的に業界のクロートさんが率先してやっちゃぁアカンですよ。チガウ?

次回は、こんなのが欲しいなぁ。。。という具体的なシステムについて書いてみたいと思います。

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2012年06月20日 (水) | Edit |
もうお分かりかと思いますが、M曲線は、製品の価格と性能の関係にも概ね当てはまります。

さて、アンプですが、例のチッコイICのアンプでも、ナンチャラカンたらオンガクセーたらの微細なチガイをキキワケル気など毛頭なく専ら普通に「音楽」を聴く分には、なんら問題を感じません(このIC、マニアさんによると、そのへんのナンタラも結構良いそうです)。「いったいアンプの値段てナンヤネンと」と考えさせられたとブログでコメントされている方も何名か見かけましたが、現在の進んだ電子/電気技術において、たかが音楽帯域の電気信号を、「音楽」を普通に聴くに足る低歪み/低ノイズで正確に増幅する事なんぞ、極めて容易だという事でしょう。

以前にも書きましたが、音の聞こえ方は、周囲の物理的条件(部屋の状態、聴く位置、気温、気圧、環境騒音、送電線の電源の状態も影響するとか)のみならず、心理的肉体的条件(体調、気分、血圧、その時の好み、直前の出来事等々、そしてプラセボ効果)によってフラフラと変動します。また、人それぞれ好みの音の傾向も異なるでしょうし、耳の周波数特性にも個人差があるでしょう。そのような変動をM曲線に当てはめてみました。この場合、横軸は製品の価格、縦軸は主観的評価(オンシツ)となります。
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オレンジのラインが、そのような変動要因、不確定要因、個人差等を全て含めた主観的評価の変動幅を模式的に表しています。グラフの左下の低品質の領域であれば、誰もが善し悪しを同じように判定できるでしょうが、品質が上がるにつれて、主観的評価の変動幅は大きくなります。

以前の記事にも書きましたが、さるオーディオ雑誌が実施したブラインドテストにおいて、1万円を切るデジタルアンプが300万円の超高級アンプよりも高い評点を得たというような事は、いくらでも起こりえます(参考記事)。図の左の丸が1万円、右の丸が300万円のアンプに相当します。精密な測定をすれば、300万円の方が当然性能は良いのでしょうが、ピンクゾーンに深く突入しているため、または1万円でも既にイエローゾーンを十分に達成しているため、巨大な価格差にもかかわらず両者の性能差は微小となり、条件次第で主観的評価は如何様にも反転し得るという事です。評価方法(スピーカ、サンプル楽曲、評価者)が変われば、また結果も異なるでしょうが、いずれにせよ、巨大な価格差にもかかわらず、チョイとした条件の変化で逆転してしまうほどチガイは微小だというのは動かしがたい事実です。

ハチマルも以前、業務用の超低価格パワーアンプ(15,800YEN)、小さなIconAMP、ハイエンドに属するNuforce IA7E(ニジューマンエン超え)を比べてみましたが、価格にみあったメリットは何も感じられなかったどころか、IA7Eでは音に微妙な癖(高級風オンガクセー?)を感じ、また頭が締め付けられるような変な気分がしたため、価格の面を無視したとしても、絶対に採用はあり得ないと判断しました。

これがデンセンになると、その差は当然、アンプよりも遙かに小さいでしょうから、諸々の条件による相対的な変動幅は、さらに巨大なものとなるでしょう。それこそ海外で行われたブラインドテストのように、クリーニング屋の針金ハンガーと10万円のデンセンでもチガイがはっきりしなかったり、チガイが分かっても針金の方が「好き」な人がいたりしても、なんら不思議ではありません。シューチューしてキキワケル努力をすれば、デンセンによって音は微妙に「カワル」のでしょうが、それは「カワッタ」または「カワッタヨウニキコエル」というだけであって、もはや「良く」なったあるいは「こちらの方が好き」とはっきり言えるのかどうかすらアヤフヤな変化だと思われます。彼らにとっては、「良い」とか「好き」よりも、「カワッタ」と言う事自体が重要なのではないかというふうに見えなくもありません。ましてや、音楽を聴く上で、総合的な音楽再生クオリティという面で、そのようなチガイが果たしてどの程度ジューヨーなのか、ハチマルに甚だ疑問です。

また、ブログ村にも参加しておられるさるブログに象徴的な事が書かれていました。凄い装置が置かれているジャズ喫茶かどこかで、定期的にマニア達が集まる会があるようで、そこでハイレゾ、CD相当、圧縮音源をブラインドで比較したそうです。で、評価は三分されたとか。おそらく、手練れのマニア達でしょうから、チガイは聞き分けているのでしょうが、どれが良い(好き)と感じるかは、人それぞれであった模様です。圧縮データがどの程度のクオリティのものであったのか知りませんが、そこそこ高いビットレートであったのでしょう。例えば64kbpsのMP3であれば、誰もそれが「良い」とは感じなかったはずです(ハチマルでも分かるもん)。データのクオリティや情報量はハイレゾが最も高く、圧縮が最も低いというのは客観的に動かしようのない事実ですが、ある程度のクオリティに達してしまえば、それ以上のクオリティの違いは、人の好みやちょっとした周辺条件の変動幅に埋もれてしまうという好例ではないでしょうか。

このように、クオリティがある程度(イエローゾーン)まで達成されると、あとは「好みの問題」に近くなります。つまり、たとえシューチューして微小なチガイを聞き分けられたとしても、装置の価格(上等な材料や構造)と主観的「ヨイオト」の相関性は極めてあやふやであり、反転しても何ら不思議はないという事です。

オンシツやナンチャラカンとかオンガクセーあるいはオンジョーたらクーキカン等の付帯的現象の微小な「チガイノキキワケ」なんぞに意識をわざわざ消耗する気など毛頭なく、とにかく「音楽」を必要十分なクオリティで楽しみたい人々にとって、魔境ピンクゾーンに突入した徒に高価なソーチは無用の長物以外の何物でもなかろうと思います。逆にそのような装置では、コーキューカン(オンガクセー???)とかを演出するためにヘンテコリンな事をしいている危険性すらあります。最新のデジタルアンプであれば、2万円も出せば十分以上にイエローゾーンを達成しているのではないでしょうか。高出力が必要であれば、業務用アンプもお薦めです。

マニアというのは、魔境ピンクゾーンを彷徨う事、あるいはピンクゾーンの超微妙な「チガイ」をキキワケル事に無上の喜びやロマン?を感じるヒト達というふうにハチマルには見えます。装置のナニカを変えた時の微妙な「変化自体」、あるいはそれを「キキワケル事自体」に強い執着を示し、「変わる事自体」を非常に珍重する傾向にあるように見えるという事です。実際、「オーディオ趣味とは装置による音の変化を楽しむ趣味である」とはっきりと明言するマニアさんも居られます。彼らは、確たる目標を置いたクオリティに向かって装置を「改良」するというよりは、ずっと同じ状態で装置を使っていると「飽きる」ので、「変化」を求めて、あるいはナンカ買いたくて、ピンクゾーンに深く突入した高額な装置やアクセサリを無限にトッカエヒッカエし続ける(購入し続ける)という、業界にとっては極めてアリガタイ人々と言えるかもしれません。

そのために、業界がソチラに引きずられてしまうのでしょうか? あるいは業界がそのような傾向を戦略的に助長(洗脳?)しているのでしょうか?、それとも業界のヒトビト自体が同じ穴の狢(マニア)なのでしょうか? どちらにしろ、マニアではない一般音楽愛聴者には迷惑千万な話ではあります。

次回は、M曲線を使って技術の進化について考えてみたいと思います。

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