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2012年02月29日 (水) | Edit |
今までジムでは殆どランとスイムしかやらなかったのですが、今年に入ってからウェイトトレーニングとストレッチをメインでやっています。

というのは、昨年末に家の片付けをした時に、以前まで簡単に箪笥の上まで持ち上げる事ができた箱を、なかなか持ち上げる事ができず、身体の衰えにショックを受けたためです。結局踏み台が必要でした。筋力だけでなく、肩の関節の可動範囲が狭くなっている事にも気づきました。ハチマルは現在52才。今までそれほど気にならなかった肉体の衰えが、はっきりと自覚できるようになったという事でしょう。

ジムでは最低限30分のストレッチと約30分のマシンレーニングをやり、元気な時は最後に約30分のトレッドミルかステップマシンをやるというのが最近のメニューです。週に3回か4回のペースでやっています。かれこれ一月以上続けましたが、昨日、自宅の風呂場で鏡を見て、上半身が随分カッコヨクなっているのに驚きました。お腹は割れてないですけどね。あと一月は続けるかな。。。最近全然泳いでいませんが、以前よりも速く泳げるようになっていると思います(下半身の筋力は人並み以上なのですが、上半身の筋力が女性並のハチマルは、プールでよく水泳に達者なオバーサンに煽られました)。

ストレッチは30分~40分くらい、時には1時間近くかけて、たっぷりとやります。独身時代は自転車レース(ロード)、結婚してからはマラソン(100kmも完走したぞ!)に随分入れ込んだので、自然と自分なりのストレッチメニューができています。ジムの広々としたストレッチエリアで、思いっきり手足を伸ばして、タップリと時間をかけてやるのですが、この時にイヤフォンで音楽を聴くのが最近のお気に入りです。

ストレッチは基本的にヨガと同じで、肉体的な効果だけでなく、精神的にも非常にリラックスできます。本当に気持ちが良いのですよ、これが。。呼吸もゆっくりと、深くなります。ゆっくりと、しっかりと息を吐き出すと、身体は普段よりも深く曲がります。ストレッチ中は、気持ちが良くて殆ど目を瞑っており、ヨガと同様に瞑想に近い状態になっていると思います。

で、このような状態で音楽を聴くと、普段部屋で聴くよりも、より深く「シンクロ」できるような気がします。時々、ポーズを取るのも忘れて、ただ仰向けに横たわって、身体も精神もフニャーと弛緩した状態で深く音楽に没入してしまいます(なので、気が付くと1時間近くストレッチエリアで転がっている事もある)。この状態では、もはや聴覚で聞いているという感じはしません。この状態を僕は「シンクロする」と呼んでいます。これが最も「音楽」を楽しめる状態であるように思えます。

最近ジムでは、ジャコさんとジミさんのコレクションをVictor製の携帯プレーヤにコピーして聴いていますが、彼らの入神の演奏を聴く時、僕も彼らに「シンクロ」して意識がしばらく飛びます。いわゆるトリップした状態です。もはや「音」は聞こえません。「音楽」だけが意識に流れ込みます。学生時代に下宿の枕元に置いたステレオラジカセでよくこの状態になりました。

中3でビートルズを体験して以来、学生時代はアート全般に深く興味を持ち、片っ端にいろいろなジャンルのアートにも触れました。また、写真を通して自ら「表現する」という事も経験しました。そのような体験を通して、アートに触れる際のコツとして「精神を弛緩させる(開放する、遊ばせる、freeにする)」事が重要であると気付きました。理性を後退させ、精神をフニャフニャのスポンジのように弛緩させるのです。言い換えれば、精神を出来るだけ「素直」な状態にするという事かもしれません。うまく言えないのですが、例えば絵画や写真を見ていても、視覚で「見ている」という状態から、シューーーっと「見ている」という意識が遠のく感じでしょうか? なんか意味不明ですが、ハチマル用語ではこれを「モードチェーーーーンジ」と呼びます。

この「フニャー」を身に付けてしまった僕は、クラシックのコンサートでも座席でフニャーとなるので、一緒に行った家内によく「シャントシナサイ!」と叱られました。でも、背筋を正して聴いても駄目なんですよ。ハチマルは。なので、曲が始まると程なく、フニャーとしてました。

「集中して聴く」とよく言われますが、実はこの「フニャー」が究極の「音楽」に集中した状態だと思います。「聴覚」に集中しても、それでは「音楽」の表層にしかアクセスできません。「聴覚」を越えた先に、真の「音楽を聴く喜び」「音楽の本質」「音楽の醍醐味」があるようにハチマルには思えます。「聴覚」はインターフェイスにしか過ぎず、楽しむべきは、そのインターフェイスを介して伝達される内容(すなわち「音楽の本質」)にあるという事でしょう。インターネットのコンテンツを見る際に、誰もインターフェイスの事なんか気にしないですよね。それと同じかもしれません。

普段のハチマルは仕事しながら音楽を聴きますし、学生時代もナニカしながら音楽を聴く事が多かったと思います。僕の身の回りの音楽愛聴者達も、大概手遊びにナニカしながら聴いています。この「ナガラ」というのは、不真面目なようでいて、「聴覚」に対する要らぬ意識を排除する(聴覚を忘れる)上で、効果的であるように思います。「集中」して聴いていないようでいて、実は表層的な「音」に下手に「集中」して聴くよりも、要らぬ「意識」や「理性」が邪魔をしないため、かえって「音楽の本質」にアクセスしやすいようにも思えます。ナガラする事により、「音楽」を「感じる」ココロの深い部分を、余計な「理性」や「意識」から開放できるという事です。

また、ナガラは長時間何度でも繰り返し聴けるという点でも優れます。「何度も繰り返す」というのは、語学学習と同じで、ある意味とても効果的です。これは生演奏では得られない、再生音楽ならではの長所であると言えます。ハチマルがジャズに目覚めたのも、中3の時に、受験勉強しナガラ、マイルスのKind of Blueを語学学習用ラジカセで無限にリピートして聴いたおかげです。ビートルズを一通りアホみたいに集中して聴きまくり、他のロックも聴いてみたけど大して興味を持てず、何か面白い音楽はないかと模索していた頃でした。ロックとクラシックは比較的聞き所が近いように感じたのですが、Kind of Blue (ジャズ)は聞き所がわからず、最初はチンプンカンでした。でも、何度もリピートして半ば無意識に聴いているうちに、突然「ガチャ」とジャズの鍵が開きました。その後、今に至るまでジャズは僕の最もお気に入りのジャンルとなりました。今振り返っても、貴重な瞬間だったと思います。また、ベースラインを基準に全体を聴くという癖が付いたのも、この時以来です。というか、この聴き方を見つけたからこそ、ジャズのオモシロサが分かったという事かもしれません。

再生音楽を聴く場合、「聴覚」以外の情報が完全に欠落するため、「聴覚」から意識を開放して「音楽の本質」にアクセスするには、ライブとは異なるそれなりのコツが必要なのかもしれません。ただ、幸いにもオーヂオザッシやヒヨウロンカの影響を受けずに、素直に再生音楽に接する自然な経験を積んだ一般音楽愛聴者達は、自分なりにそのコツを無意識に身に付けています(別に難しい事ではない。本当に「自分が」大好きな音楽を夢中で聴いていれば、意識しなくても自然に身につく)。ハチマルの「フニャー」や「ナガラ」もそのコツの一種でしょう。あ、それと「ストレッチしナガラ」も新たなコツですね。

目の前にオンガクという凄いゴチソーがあるのに、オンシツやオンジョーを過剰に意識する余りに「聴覚」に縛られ、そこから意識を開放して自由に遊ばせる事ができないのは、ハチマルにはとてもモッタイナク感じられます。

ハチマルは、音楽再生装置に対して、ソースに記録されている情報を、余計な事をせずに、できるだけ余す事なく、正確に、明瞭に、素直に「聴覚」というインターフェイスまで伝達してくれる事を第一に望みます。そこから先の「音楽の本質」へのアクセスは、ココロの領域だという事です。「音楽」を楽しむのは耳ではなくココロだという事です。
追記
インターネットも同じですよね。インターフェイスは、プロバイダが提供する全ての情報を、そのまま正確に端末の画面に表示(すなわち視覚に伝達)してくれなくては困ります。そうやって初めて、内容(コンテンツ)を完全に楽しむ事ができるようになります。

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2012年02月25日 (土) | Edit |
ZAP BAS君の2本のドライバを使った方式についてネットで調べたところ、やはり製品化されていました。

一般的に「プッシュプル方式」と呼ぶようです。

主な狙いは、予想通り2次高調波成分の除去にあるようです。振動板/コイルの前進時と後退時で、サスペンション特性(ダンパ/エッジのバネ特性)とコイル-マグネット間の磁気特性が異なる事によって生じる2次歪みを効果的に除去できるとされています。

画像検索の結果(コチラ)をご覧ください。違う形式のも含まれているのでご注意。

下は製品化された例です。
MK_MX350.jpg
MK Sound製(コチラ)

SUB212-1_web.jpg
BlueSky製 (コチラ)

共に12"(30cmクラス)のウーハを2本使った大きめの業務用スタジオモニタです。民生用では見かけないですね。

ZAP BAS君の方はとりあえず聴感で適当に調整して聴いていますが、特に問題も感じません。もともと1本でも余裕があったので、2本にしたからといって明らかに良くなったと感じる事はありませんが、まあヨロシイのではないでしょうか。

明日計測予定。。気が乗ればね。。

追記
ハチマルには業務用製品の方が魅力的に見えます。
きっと音もナンチャラカンチャラと要らぬ事をしていないでしょうし。。。
民生用ハイエンドは絶対に胡散臭いし。。。
価格なんか絶対納得できないし。。。
真っ当に音楽を聴くなら、ケーブルやアクセサリを含めて全て業務用を使ってみる価値は十分にあると思います。
魔のトライアングル(ザッシ-ヒヨウロンカ-マニア)の勢力圏外ですしね。。。
安心かもしれません。いや、きっと安心です。
プロ用だから当然シロート臭いヘンテコリンなオンガクセーもないでしょうし。。
もしハチマルが、これから一切自作せずに一式揃えるなら、業務用にしますね。
きっと。。。
BlueSkyのチッチャイやつなんか魅力的だし。

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2012年02月24日 (金) | Edit |
今回は、マニアは何故それ程までに「音場」に拘るのか?について考えてみたいと思います。

以前にも散々書きましたが、僕は音楽を聴いている時に音場感とか定位を未だかつて重要だと感じた事は一度たりともありません。逆にスピーカの左右距離を拡げてステレオ効果がはっきりと出過ぎると、したくもない聴覚による偽の空間認識を強要され、また、中央に定位する音も陽炎のようにシュワシュワ揺らぐような気もするため、肝心の「音楽」が聴き辛くて鬱陶しく感じます。ですから、ZAP君もケロ君も左右のスパンは230mm (ほぼ両耳間の距離)しかありません。

よく言われる「箱庭」的に聴くのではありません。基本的に「空間」認識そのものを求めないわけですから、そこに大きいも小さいもありようがありません。「音」の時間的変化が主たる興味の対象だという事です。ステレオ方式による中途半端な「空間演出」的要素によって、主たる興味の対象の知覚が阻害されるのであれば、そんなものは邪魔なだけだという事です。さる演奏家の怒りのコメント「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている」というのもそういう事を言っておるのだと思います。

以前、「音楽家のオーディオ」について、オーディオマニア達が議論していたネット上の掲示板を当ブログで紹介した事があります(コチラ)。そこでマニア達は「音楽家は総じて音場に関して無頓着であるという点で、自分達のオーディオから乖離している」と結論付けています。さる著名指揮者の書斎のオーディオセットは、彼の背後に無造作に置いてあったとか。。。。彼らは、これを音楽家特有の傾向であるかのように論じていましたが、ハチマルの周囲の音楽愛聴者達も、ハチマル同様、全く音場なんぞ気にしているとは思えません。横向きで聴いていたり、どちらかに偏った位置で聴いていたり、スピーカの配置が出鱈目であったり、黙ってモノラルに切り換えても気付かないと思います。

さて、マニア達は「音楽家は自分達から乖離している」と結論付けました(随分傲慢です。普通は逆に考えると思う)。しかしハチマルには「マニアが音楽家および一般音楽愛聴者から乖離している」というふうにしか見えません。オーディオマニア「だけ」が他から乖離していると。。

普通の(マニア以外の)人々は、再生音楽を聴くに際して、それはマイクで収録されて編集された音楽作品であり、スピーカから音を出して耳で聴くのは全くアタリマエと無意識に受け入れ、そこから聞こえる「音楽」に素直に耳を傾けます。音が自分の目の前のスピーカから出るのはアタリマエ、目の前に誰も居ないのはアタリマエなわけです。アタリマエですよね。。。。ライブでは、前方の奏者またはPAから音が出るのはアタリマエ、目の前に奏者が居るのはアタリマエなのと同じです。ライブで聴く時にオンジョーとかテーイとかクーキカンとかナンチャラカンとかオンシツとか全く気にしないで「音楽」を素直に聴きますよね。それと全く同様です。スピーカで聴く時も、そこから音が出るのはアタリマエに受け入れられるわけで、ありもしない似非臨場感に意識をワザワザ消耗するよりは「音楽」の内容に意識が向かいます。ですから、普通に音楽を愛聴する人々はイヤフォンやヘッドフォンで聴く事をさして苦にしません。音が前方に定位しない事についてアータラとブーたれる前に、「音楽」に意識が向かうからです。だって「音楽」を聴きたいわけであって、別にそれがどこから聞こえようが、大した問題ではないでしょう。85才になる僕の父は、長年主にLPでクラシックを愛聴してきましたが、最近は妹がプレゼントしたiPodを専ら愛用しています。

数年前に必要に迫られてオーディオイヂリに手を染めたハチマルは、マニア達がデンセンやオマヂナイじみたやたらコマケーオンシツに拘泥している事にも驚きましたが、音場とか定位とかに対する拘りが異常に強い事にもビックリしました。オクチのカタチヤオーキサがドータラとか、オンジョーのオクユキとかタカサとか、クーキカンとか、ケハイとか。。マニア達はほぼ例外なく、不気味なほど画一的に、音場とか定位とか臨場感とかをやたら重視します。ハチマルには、未だにそんなもんが重要だとは全く思えません(モノラルでも別に構わないと思う)。ステレオ効果なんて、所詮は飛び出るTVと同程度のエンターテインメント的ギミックに過ぎぬでしょう。

なので、マニアが音場にそこまで拘るのはナンデヤネン?????ソノココロハ???とずっと考えていたのですが、こういう事かな?と思い当たる点を書いてみたいと思います。

まず第一の要因は、オーヂオ雑誌およびヒヨウロンカの影響ではないかと見ています。

マニアの言動および行動の端々には、ヒヨウロンカの影響が絶大であり根深い事が見て取れます。中高生の頃以来、オーヂオ雑誌なんか手に取った事もなかったハチマルには驚きの世界でした。ハチマルから見れば、なんで誰も彼もおしなべてそんな奇態な「音楽」の聴き方をするのか不思議だったのですが、雑誌を何冊か読んでみて分かりました。オーヂオヒョウロンカが言ってる事やってる事とみんなオンナジ。。。オクチパクパクとかオンガクセーとかオンジョーノタテノヒロガリとか。。。みんなヒヨウロンカが言ってたのね。で、マニア達も、自分のオウチで装置をトッカエヒッカエしながら、オクチがオオキイトカチイサイトカ、オンジョーがヒロガルトカヒロガラナイトカをヒヨウロンカと同じように微に入り細に入り聞き分けようとしているらしい。。これってまるで「オーヂオ ヒヨウロンカごっこ」ですよね。

また、オンジョーだけでなく、ほとんどジョークとしか思えないオマヂナイのオンシツの「チガイ」について、ヒヨウロンカがくそ真面目に聞き分けて記事を書いている点にも驚かされました。で、マニア達も同じようにオウチでデンセンや何やかやを交換して聞き分けているらしい。それを聞き分けられる事がナンカ偉いらしい。チガイが聞き分けられたかどうかが重要であって、もう音が良いとか悪いとか好きとか嫌いとかいうレベルを突き抜けているらしい(凄い!)。。聞き分けられないとダミミとか言って恥ずかしいらしい。。自分のオウチの事は普段から「セッタク」と言うらしい。。多くのオーヂオマニアにとってヒョウウロンカはお手本みたいな存在であるらしく、ソレを真似したがる傾向にあるらしい。。。オーヂオ趣味には「オーヂオ ヒヨウロンカごっこ」という一面が根強くあるらしいと、いろんな事が分かってきました。

では、そのようにマニアがお手本とするヒヨウロンカは何故そのように奇態な音楽の聴き方をするのか?

それは、ただただただただ製品のレビューを書くために、製品の「チガイ」を聞き分ける必要があるからでしょう。「音楽」を楽しむための聴き方ではなく、「装置」を評価するための聴き方だという事です。オシゴトのための聴き方です。基本的にユーザが真似る必要のある聴き方では全く無いはずです。

スポンサー様から製品を持ち込まれて記事を書いてくれと言われれば、たとえそれがオマヂナイかジョークみたいな物であっても、なんとか「チガイ」を聞き分けて、「ナニカ」を真面目に書かぬわけには行きません。それがオシゴトですから。ほとんどは雑誌のスポンサー様の製品であるわけで、そりゃまぁイロイロ大変だと思います。ほとんど「苦行」ですよ。これは。。「なんも変わらんヤン!」とか「変わる訳ナイヤロ、コンナモンデ」とか「ちょっと変わったからって、それがドナイヤッチューネン」とか「安いやつでゼンゼンOKヤン」とは、実はそう思っても絶対に書けるわけがありません。よね。。大阪人は絶対にヒョウロンカにはなれまへん。

さて「オンジョー」の方ですが、
現代のオーディオ装置は、おそらく商業的な目論見を多分に含んだ歴史的成り行きにより、本当に必要かどうかに関係なく、好むと好まざるに関わらず、幸か不幸か、とにかく成り行き上、左右にスピーカを備えたステレオ方式という事に決まっており、ソースも成り行き上、全てそれ用に2chで録音されています。

で、そのような装置を評価するに際して、ヒョウロンカは、やはり成り行き上、2つのスピーカによって生じる現象について評価しないわけには行きません。製品がそういう仕組みなんですから。成り行き上それが製品の仕様なんですからね。これは、彼らにとって、誌面を埋める恰好のネタとなるでしょう。「音」のナンチャラカンだけではネタが尽きますからね。というわけで、音場に関してもアノ手コノ手の表現を駆使して、微に入り細に入り聞き分けようとするわけです。オクチのカタチとかオーキサとか。。。それが「音楽」を楽しむ上で如何ほど重要かどうかに全く関係なく。とにかく製品についてナンカ書くために。オシゴトのために。。

。。で、マニアも成り行き上、そのオシゴトをお手本として「音場」をヤタラ細かく聞き分けようとする。。。。というのが今回の考察の結論かな?

ある意味、ヒヨウロンカがあのような聴き方をするのは、職務上致し方ないとも言えます。彼らとて、あのような奇態な「音楽」の聴き方をしたくてしてるわけではないのかもしれません。まあとにかく、ユーザがオウチで音楽を楽しむのに、何もあのような「苦行」じみた聴き方をする必要は全くなかろうとハチマルには思えます。そんな聴き方をしたのでは「音楽」を心底楽しめるはずがありません。ご馳走を目の前にしてなんとモッタイナイ。

もちろん、ヒヨウロンカに憧れていて、そのような「ヒヨウロンカごっこ」がトッテモ楽しく、専らそれを目的にオーヂオ装置をイヂッテいるという方は、そのような聴き方をしても一向に問題ありません。それが趣味というものですから。それが真正オーヂオマニアというやつかもしれません。

しかし、本当は音楽をもっと楽しみたくて上等なオーディオを買ったのは良いが、雑誌や周囲の影響によって、より良く「音楽」を聴くには、そのような苦行の道(オーヂオ道?)が必要だとすっかり勘違いさせられてしまっている方も、少なからず居られるはずです。しかし、それでは永遠に目的を達する事はできません。ただひたすら装置をトッカエヒッカエして「評価」(ヒヨウロンカごっこ)し続ける富士の樹海を彷徨い、死ぬまで「音楽」を心底楽しむ事はできないでしょう(そこが魔境の恐ろしいところです)。

今一度冷静に考えてみてください。「自分は」本当にそのように「音楽」を聴きたいのか?と。

自分の音楽の聴き方に疑問を抱かれた方は、装置を封印して、iPodとソコソコのカナル型イヤフォンで音質や音場を一切気にせずに(聞き分けずに)一月ほど聴いてみては如何でしょうか。大好きな音楽だったら、それでも十分に楽しめるはずです(というかハチマルは、装着感さえ厭わなければ、イヤフォンが最も楽しめるように思えます。音楽再生クオリティはどのようなスピーカシステムよりも圧倒的に高いはずです)。

そのように素直に「音楽」を聴く事により、自分はどのような音楽を本当に聴きたいのか、自分はその音楽の(音質や音場以外の)何を聴きたいのかが見えて来るかもしれません。ソーチやオンジョーやオンシツへの意識を取り除いた後に何が残るのか?そうした上で心から楽しめる部分が本来の「音楽」の部分です。普通に音楽を愛聴している人々は、自分が本当に聴きたい音楽が何なのかを当然よく分かっており(アタリマエですよね)、何の苦労もなく無意識かつ素直に「音楽」の部分にアクセスします(普通に音楽に接していれば、普通にそうなります)。変なのはマニアだけです。

そのように素直に聴いたのではツマラナイ音楽を、わざわざ聴く必要はないでしょう。時間の無駄です。普通に音楽を愛聴している人々は、自分にとってツマラナイ音楽をわざわざ聴いたりはしません。彼らは、自分は何が好きなのかをよく心得ているからです(って、極アタリマエの事なんですけどね)。

心から素直にツマルと感じられない、自分にとってツマラナイ音楽を、アノテコノテでイヂクリマーシテ無理矢理ツマルようにする必要は全くないでしょう。それでは本当に「苦行」になってしまいます。

そうやって素直に聴いてみて、どの曲もツマラナクて耐えられない方は、何もワザワザ音楽を聴く必要は無いかもしれません。自分が素直に感応できる他のジャンルの芸術に親しめば良いだけの事です。ちなみにハチマルは舞台芸術と詩にはうまく感応できません。誰しも、感応しやすいジャンルと、良く分からないジャンルがあるのは当然です。音楽家に画才がなくても、画家が音痴であってもゼンゼン不思議はないですよね。

自分にとってツマラナイ音楽を、無理矢理ツマルようにするために音をイジクリマースのは不毛です。そんなものは「音楽性」でもなんでも断じて絶対に全くありません。「音楽性」とはそんなもんを全部取り除いた真反対のところに見えて来るものではないでしょうか。

まずは自分にとってツマル音楽をしっかりと見極め(自分は何が好きなの?何を聴きたいの?)、そのような音楽をより良く楽しむために本当に必要十分な装置を選択すれば、魑魅魍魎にも惑わされる事はないでしょう。そうやって選択した装置は、自分が本当に大好きな「音楽」を心から楽しむための自分だけのための装置です。そのオンシツに関して他者のオーヂオ ヒヨウロンカ的評価を一切気にする必要は全く断じてゼンゼンなかろうと思います。

追記
そんなに「音楽」がツマラナイのなら、わざわざ音楽を聴かずとも、この時代、他に色々な楽しみがいくらでもありますよ。

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2012年02月22日 (水) | Edit |
ゼンゼン気が乗らないので、なかなか作業が進まなかったZAP BASS君ですが、やっと音を出せるようになりました。

慣らし中です。実は、Alpair10をまたブリッバリ!とやってしまって、さらにシワシワに。ドシェー。。なんとか指で扱いてシワを目立たなくしましたが、やはり見るに堪えず、もう1個新品を購入しました。新品では、もう絶対に実験君はやらない!と誓ったのですが、以前から考えていたあるアイデアを試してみたくて、結局マタマタ危険な実験君です。この性分だけは抑えようがありません。。。。

superBass.jpg
上のAlpair10は置いてあるだけではありません。2次の高調波歪みを改善するためのヒミツメカです(たぶん既知の技術だと思う)。振動板面積がダブルになるので、2次だけでなく全体的に歪みが減るはずです。別に1発でも全く余裕でOKなのですが、シワシワ君を使わないのもモッタイナイという貧乏人根性と、効果を確認したいという実験君根性から、こういう事になってしまいました。たんなる技術的興味だけ。。

慣らし後、計測したらまたご報告します。オッタノシミニ!

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2012年02月21日 (火) | Edit |
前記事の補足

オーディオ界の現状は、音楽的素養に関して甚だ怪しげなオッチャン達が、ドシロートなカンセーだゲージツだジョーカンだオンガクセーだを振り回して好き勝手した結果、極めて表層的で超微視的な面ばかりを追いかけ回す泥沼の魔境と化しているようにハチマルには見えます。本当の意味での専門家あるいは玄人さんが存在しない事が「オーディオ界」の最大の悲劇だと言えるのではないでしょうか。そういう方は過去に存在したのかも知れませんが(きっと居たはず)、疎んじられて黙るか去らざるを得なかったのではないかと推測しています。今となっては音楽界からのコントロールが絶対に必要であるように思えます。

注:
ハチマルが「オーディオ界」と言う場合、「マニアためのオーディオ」ではなく「広く一般に音楽を愛聴する人々のためのオーディ」を指す事にくれぐれも注意してください。前者は後者の中の特殊で極端な領域に過ぎません。マニアの方には、このへんの事をシッカリ認識して頂きたいと思います。オーディオとは別にマニアのためにあるのでは断じて無いという事を。マニアのような聴き方が一般的な「音楽」の聴き方では断じて無いという事を。マニアのオーディオや聴き方が別に偉いわけでも上等なわけでも何でも無いという事を。というか、大分変わった聴き方、使い方であるという事を。ハチマルは個人的に、そのような音楽の聴き方を青少年少女に絶対にして欲しくないと考えているという事を。青少年少女に、それが「上等な音楽の聴き方だ」と絶対に勘違いして欲しくないと考えているという事を。もっと真っ当なオーディオを青少年少女に遺してあげる事が業界のオッチャンの使命だと考えているという事を。

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