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2010年08月17日 (火) | Edit |
ここ最近、このブログでは一音楽リスナーの観点から、また、元自動車開発エンジニアとしての作り手あるいは技術者的観点から、オーディオ装置という民生向け工業製品の現在のあり方についての僕なりの意見を素直に書かせて頂きました。ほぼ言いたい事は言い尽くしたかと思いますので総集編を書いておきます。筆が走りすぎてさんざん毒舌の限りを尽くしてしまい、さぞ不愉快に思われた方も多いかと思います。どうかご容赦ください。

マニアというのはどの分野にも居られます。
例えばその代表が鉄道マニア。彼らは鉄道を実用輸送機関として利用するだけでなく、その機械装置および関連設備に一般人からみると異常とも思える愛着を持ち、そのディティールに徹底的に拘ります。しかし、当然ですが鉄道そのものは、それを実用機械として必要とする圧倒的大多数の人間のための輸送機関として技術およびサービスを日々向上させています(中央線も快適な新型になりましたね)。写真の世界でも、クラシックカメラに拘る方や、新型レンズを取っ替え引っ替え購入して自宅のベランダからの定点撮影でレンズの微細な描写性ばかりに拘るマニアも居られます。しかしカメラは、それを写真を撮るための道具として必要とする圧倒的大多数の人間のための実用写真撮影装置として日々性能と利便性を向上させています。自動車だとて同じ。

これに対しオーディオはどうでしょうか。
「ピュアオーディオ」と呼ばれる分野は実用工業製品からドンドンかけ離れ、僕から見れば狂信的で近視眼的とも思える極めて微細な「音質」??ばかりが喧伝され、技術者的常識レベルと照らし合わせてとても妥当とは思えない価格で売買され、単に「音楽を真剣に聴きたい」人々のための実用機械としては大きな疑問を感じざるを得ません。一方で、セットコンポレベルではiPod等との親和性が高められた程度で、「音楽再生装置としての性能」は相変わらずの状態です。

何故「ピュアオーディオ」なるものがこのような状態になってしまったのか?
を考えるに、雑誌および評論家の影響が大きいのではないかと僕は見ています。オーディオ装置の「信号変換装置」としての性能/技術は行き着くところまで行き着いてしまったため、彼らはナニか新規な事を読者に提供しなければなりません。また、メーカーも何らかの新規な商品性を付加しなければなりません。それが「電線」「電源」「音場再現性」「半オカルト」という極めて微細あるいは原理的に極めてアヤフヤな面にマニアの意識を向かわせる結果となっているように思われて仕方ありません。そのようなものに拘るのが「オーディオ装置趣味をタシナム者のお作法」みたいに意識付けられてしまっているのではないでしょうか。

蛇足ですが、
どの趣味分野でも雑誌や評論家はメーカーやディーラーとの間に多かれ少なかれ利害関係を持っています。雑誌の広告収入は一体どこから来るのでしょうか?評論家は雑誌への寄稿だけで裕福に生活するだけの収入が得られるでしょうか?メディアや評論家の意見というのは大概ハナシ半分に見積もっておく必要があります(30年以上前のオーディオ雑誌はもっと辛口で理論的だったと思うけど)。オーディオマニアはあまりにナイーブに過ぎないでしょうか?

さて、オーディオ装置とは本来「音楽を聴くための」民生向け実用工業製品です。
僕には「音楽を真剣に聴きたい」リスナーのために真面目に作られた必要十分な性能の音楽再生装置が完全に欠落しているように思えます。「音楽」を正しく再生するには可聴帯域のほぼ全域を正しい位相でリスナーの耳に届けられなければなりません。なぜならば「音楽とは可聴帯域のほぼ全域の音を使用して表現される芸術だから」です。これは音楽再生装置としての最低限の要件です。しかし、妥当な価格、サイズ、利便性を備えた生活の中でアタリマエのように使用できるそのような実用装置は未だに存在しません。本来、それがオーディオ装置の目指すべき本流であると僕は信じます。

アナログ時代において、上記のような装置を一般家庭の日常品として実現する事は「夢」でした。しかし、音源がデジタル化され、デジタル信号処理技術が発達した現代においては、その「夢」が極めて実用的なレベルで実現します。実際に僕のデスクトップ上で実現して日々使用しているのですが、今まで聴いた事のあるどのオーディオ装置よりも音楽が自然に聞こえ、音楽をより深く楽しむ事ができています。何故人々の意識がそちらへ向かわないのか? 僕には極めて不可解でなりません。ワケの分からん微細な事で消費者を煙に巻いた方が業界としては開発費も要らん、利ざやも大きい、楽して儲かるという事でしょうか? そういうふうに勘ぐりたくもなります。

。。というような僕の疑問をここ最近一気に書いてみたワケです。筆が走りすぎて不愉快に思われた方、本当にご容赦ください。でも、僕の言っている事も少しは真剣に考えてみて下さいね。

ほぼ言いたい事は言い尽くしたので、多分1~2ヶ月は更新しないと思います(タブン)。ケロケロモニターが完成するまでサヨウナラ(アンプ壊れたみたいで捗らないのよ)。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2010年08月14日 (土) | Edit |
今日は「音楽を聴くためのオーディオ装置」について少し考えてみたいと思います。

まずは、以前「一流音楽家のオーディオ装置」という記事で紹介した板の内容をピックアップしてみました。この板では、オーディオ趣味と思われる方々が主に「音場の再現性を求めるかどうか」という観点から、「音楽家が求めるオーディオ」 と自分達が求めるオーディオに乖離があると概ね結論付けています。ここで彼らは、この傾向を「音楽家」に特有のものであるかのように解釈しているようですが、僕はそう思いません。趣味道楽としてのオーディオには全く興味はなく、僕を含め音楽をマトモに聴くために道具としてオーディオ装置を求める「音楽リスナー」も傾向は同じだと思います。

以下、板からの抜粋です。この板での主な興味の対象は「パースペクティブ」(音場再現性)のようです。

<音楽家の傾向>
●先日あるクラシック演奏家のお宅でオーディオを聴かせて頂きました。正直きつい音だと感じました。こういうことは演奏系のお宅で何回か経験しています。それとまずパースペクティブというのは関心をお持ちでありません。

●仰せのとおりかと思います。したがって演奏家の選ぶオーディオと我々聴衆の求める再生音とは乖離があるのだと思います。

●クラシック音楽の録音を趣味にしていますが、演奏家よりホールの残響音のない録音をしてほしいの要望が多いですね。

●音楽家のお宅できちんとしたフリースタンディングでパースペクティブの豊かな再生をされているケースにこれまで出会ったこともありません。

●もちろんオーディオに深く傾倒されている演奏家もたくさんいらっしゃるでしょうが、私の知る限りでは(クラシックの演奏家ばかりですが)そういう方々はやはり音場感・空間表現にはほとんど関心を持っていないようです。

●ある演奏家の方は、空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っていると発言されています。それが正しいかどうかは別として(個人的にはこの発言自体には演奏家としての傲慢な思い上がりを感じていますが)、現在のオーディオの方向性と演奏家がオーディオに求めるものとが食い違ってきているということは無視できない要素かもしれません。
ハチマル>> 正に我が意を得たり。ゼンゼン傲慢ぢゃないと思いますよ。オーヂオマニヤの方が音楽に対してゴーマンなんじゃないのかな?

●以前にあるオーディオ開発者の方と一献させていただいたときに、その方から「音場感なんて言われているけどそんなもの必要なの?」と言われました。


<投稿者側の傾向>
○私のようにうさぎ小屋+でも自宅でコンサートを堪能している気分になるためにはオーディオは切実な問題で、部屋の響きやスケール、音場感(音の包まれ感等)は切実な問題です。演奏音のチェックなどは必要でなく、コンサート(ライブ)の疑似体験こそが我々リスナーが最重視する観点なのかと思います。演奏家とは例えば、低域の分解能が高く、音階がはっきり聞き取れるとかといった表現ではコミュニケーションしにくいです。音場感というものは皆目眼中にないようです。

○オーディオの面白さって、自分の考えではミニチュア模型の面白さなのですよ。音楽を聞くという行為とは違う部分もあります。


さて、以上を踏まえ、「再生音楽を聴く」という行為について考えてみます。

例えば、非常に興味深い内容のパネルディスカッションの録音を聴く場合を想定してみます。この場合、最も重要なのは、各パネラーの発言を明確に聴き取って内容を理解する事ですよね。パネラーには低い声の人もいれば、高い声の人もおり、声が大きい人もいれば、小さい人もいます。リスナーはそれらパネラー全員の声を明確に聴き取って討論の内容を追いかける事に努めます。この際に「あたかも目の前にパネラーがいるような」とか「パネラーの口の大きさと形まで目に浮かぶような」といった臨場感やリアリティは重要じゃないですよね。そんなのが過剰に演出されたら内容に集注できなくて鬱陶しいだけですから。

で、再生音楽を聴く場合も同じではないのかな。饒舌な語り口で聴衆を魅了するピアノ、絶妙のタイミングでツッコミや間の手を入れるドラムス、口数少なくて論調も地味だけど結局終始セッションをコントロールしていたベース。。。これらを楽しむのに臨場感とか音場の再現性って本当に重要なのかな? せっかく慎重に調整された音響環境で明瞭に録音されているのに、再生装置で過剰な臨場感とかライブ感とか演出されたら、楽器の音(声)が聴きづらくなってしまいます。媒体に録音された音をできるだけ余すことなく明確/正確に聴き取る方がどれだけ「音楽」に集注して楽しめるか。。音自体も結局これが一番自然で聴きやすいと思うんですけどねぇ。

上の板を見ていてもオーディオ趣味の方々には「再生音楽」を「ライブの疑似体験」として考える傾向が根強いですね。ヒョウーロンカとかザッシの影響?「口の大きさ/形がアータラコータラ」ってきっと誰かヒョーロンカが言い始めたんでしょ?「音場の縦の広がり」って左右にSPを配置するステレオ式で再現できるの?これもヒョウーロンカ? 「オーディオ装置とはそのようにタシナムモノ」というふうに画一的に思い込まされていませんか?僕にはザッシとかヒョーロンカに誘導されているように見えて仕方有りません。僕が中高生の頃に読んだオーディオ入門書では、ステレオ方式は正確に音場を再現できるものではなく、あくまでもモノラルより少し雰囲気を味わえる程度のものですよ、と易しく原理図入りで説明してましたけど。。専門雑誌ではステレオ化による弊害とかもクソ真面目に討論していたようにも記憶しています。

最後に。。「音楽聴くだけならトランジスタラジオで聴け」とか言うのは止めようね。コマケー音質は必要十分で良いけれど、可聴帯域のほぼ全域を正確に再生できるマトモな「音楽再生装置」が必要です。しつこいけれど。。

なんでオーヂオってこんな方向に進んじまったんでしょうか?「ステレオ方式」なんて中途半端なもん出さなきゃ良かったのに。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2010年08月10日 (火) | Edit |
ここ最近、僕はオーディオ装置に関してやたらと「適正価格の」「健全な」という言葉を使いますが、今日はそのへんについて。。。

相変わらずオーディオ雑誌等を見ても高価なケーブル類が大きく取り上げられているみたいですが、僕にはどうしても腑に落ちません。そこで例によってネットサーフしてみました。数年前には「ケーブルで音が変わる/変わらない」で欧米でも大論争があった模様ですね(コチラ)。大手新聞も交えて真面目に議論されています。コンナ論争もあったりとか。。この勝負、結局電線メーカーは辞退(勝負しろよ)。多数が挑戦したらしいのですが賞金を勝ち取った者はいなかった模様。

その当時、海外ではブラインドテストが盛んにで行われたようです。黙ってクリーニング屋の針金ハンガーと高級ケーブルを比較試聴させたとか(コチラ)、内緒で実際には全テストで同じ安物ケーブルをつないだまま、さもケーブルを高級品に交換したかのように見せかけてテストしたとか、あの手この手でテストが行われたようですが、日本でもそのような評価は行われたのでしょうか?
もしかして日本は海外電線メーカーにとってオイシイ市場になってはいないでしょうか? 同じ電線でも本国と日本では価格が馬鹿みたいに違うそうです(コチラ)。カモにされてない?

こんなハナシも。。。笑っちゃうけど。。アナガチ。。。
台湾のある男、Audioquest社の一番安いSPケーブルの上に太い被覆をかぶせて両端にいかついプラグを取り付け、ペア5万円で売り出した。さらなるグレードアップを望むオーディオマニアの声にオーディオ卸からは、“もっと高級なケーブルはないか”との打診。男は速攻電器金属街に出向き、フレキシブルチューブを買って来て前と同じケーブルにかぶせ、今度は10万円で売り出した。まさかそんなもので音は変わらないだろうと知人に問われてその男、オーディオマニアはもちろん違いが分かる、10万円のケーブルのほうが格段に音がいいと連中は言っている”と涙を流して大笑い。その後ケーブルはいっそう勇猛な外見となり、豪華木箱に納めて数十万円の価格で販売されることに…。

人間が物事に集注すると、時として信じられないような能力を発揮するので、ケーブルの違いを実際に聞き分けられるというのを完全に否定するつもりはありません。しかしたとえ聞き分けられたとしても、工学的に考えればその差は極めて微小なはずです。そもそも「変わるか/変わらないか」で論争になると言う事自体、その差が極めて微小である事を如実に示しているとも言えます。例えば、湿度/温度/気圧、体調、気分、環境騒音、室内の調度類の位置、スピーカーとリスナーの数センチレベルの位置変化等による音の変化に対して、ケーブルによる音の変化量がどれほど有意なレベルにあるのか甚だ疑問です。

同様の事は、いわゆるハイエンドと言われる機器にも言えます。これもネットサーフで見付けたのですが、ヒャクマンエンを超える値段で売られている超高級DVDプレーヤーのメカと電子基板(という事は機能部品の大部分)が、そっくりそのままパイオニア製のニマンエン!の製品から流用されているそうです(コチラ)。果たして普及機とハイエンド機に、ヒョーロンカやオーヂオザッシが美辞麗句の形容詞並べ立てて言う程の差があるのか、これまた極めて疑問です。しかしオイシー商売してるよね。参考に日本で行われたローエンドからハイエンドのアンプに関するブラインドテストの結果もご覧ください(コチラ)。

ハイエンドオーヂオ業界というのは「濡れ手に粟」の超オイシイ業界と見られても仕方ないのではないでしょうかねぇ。2年前にオーヂオに首を突っ込んで以来、どうもイカガワシイ臭いがプンプンとするので、このブログではついつい批判的な発言をしてしまいます。別にアタシャ自分の好きなように音楽を聴くので一向構わないのですが、何度も言うようにオーディオ装置は「音楽」という我々にとって非常に大切な文化に大きく関わる装置なので真っ当であって欲しいと思います。

当然、まず消費者が賢くあらねばなりません。そして日本のメーカーと技術者は、本来の作り手としての使命と誇りを忘れずに、人々のために健全で適正価格のオーディオ装置作りを目指して欲しいと思います。それとジャーナリスト(ザッシ、ヒョーロンカ)も使命を忘れないでね。ホンマニ。

以下蛇足ですが、
僕が不思議でならないのは、そのような微小な差を聞き分けられるような敏感な耳をお持ちで、そのような微小な差を重要とお考えの方々が、部屋の定在波/バスレフポート/アナログフィルタ等によって生じている問題 - 音質なんかソコソコでエーンチャウンと考えているような僕でも違和感を覚えるような、しかも極めて雑な測定波形で明らかに確認できるような - ケーブルの影響に比べれば天変地異と言っても良いレベルの問題をたいして気にしていないという事です。大っきい問題からまず解決しようというのが普通だと思うのですが。。

それと「音楽聴くだけならトランジスタラジオで十分」とマニヤさんはよく言われるのですが、これも不思議(随分音楽を馬鹿にしたハナシですが)。ラジオなんか5千円も出せば高級品を買えますが、ではですね、ヒャクマンエンの立派なオーヂオ装置をお持ちの方は、99万5千円分を投資して「音楽を聴くだけ」以外に一体ナニをあのような大音量で聞いておられるのか?

オーヂオには不思議な事を挙げればいくらでもあります。

一体「自分は」オーディオ装置で「何を」やりたいのか、そもそも自分にはオーディオ装置が必要なのか、そもそもそれをやっていて自分は本当に楽しいのか、そもそも自分は音楽を聴きたいのか、そもそもオーヂオについてヒョーロンカとかザッシが言っている事は本当に信用できるのか、そもそもヒョーロンカとは何者なのか、そもそも彼らのクライアント(収入源)は誰なのか、もう一度白紙に戻してよく考えて見ても良いのではないのかな?特に若い方々はヒョウーロンカや周りのオヤヂマニヤの言う事は(ここでハチマルが言ってる事も含めて)全て疑ってみても良いと思いますよ。「自分は」を大切に。

ここんとこ3位をキープ中。シュゴイ。応援有り難うございます→お役に立てたらクリックしてください。ランキングに参加してますにほんブログ村
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2010年08月07日 (土) | Edit |
僕の考える「趣味道楽」向けではない「純粋な道具としての」ピュアオーディオ宣言

● 私達は優れた「音楽作品」と「アーティスト」を深く尊敬し、「アーティストの表現意思」を尊重します。
● 私達はオーディオ装置を音楽芸術の「伝達装置」であると認識します。
● 私達はオーディオ装置をそれらの「音楽」を「より快適に、より深く」受け止めるための「道具」として扱います。
● 私達は必要以上に「微細」な「音質」の違いに拘泥するよりも、可聴帯域のほぼ全域の音で表現された「音楽の全体像」が正確/明確に私達の耳に届けられる事を重視します。
● 私達は再生音楽をライブ演奏とは別個の音楽表現(体験)形態であると認識し、媒体上の「記録音楽」を一個の「作品」として「素直に」受け止め、ソースに含まれている以上の過剰なリアリティや臨場感を再生音に求めません。
● 私達は上記の条件を必要十分に満たす「適正価格」の「道具として健全な」オーディオ装置を望みます。

どですか?

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ジャンル:趣味・実用
2010年08月04日 (水) | Edit |
図面も書かずにポチ1型ボックスを真っ二つにカットした状態から、切った貼ったでゴニョゴニョと実験していたのですが、ほぼこんな形で落ち着きそうな気配です。名付けてケロ1型(蛙っぽくない?)。キーボードの手前(デスクの前端)に置いてもオシゴトは十分に出来そうですよ。耳までの正味距離は40cmくらい。

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ユニットはAuraの1"と3"で決定。この1"は凄く良いです。200Hz近くまでフラットに再生するので、新システムで少しクロスオーバーを上げてAlpair5の代わりに使って見たのですが、めちゃくちゃクリアです。特にピンクフロイドやウェザーリポート等の緻密なエレキ音楽ではAlpair5以上に細部まではっきりと聴き取れます。さすがのAlpair5もこの振動板の小ささには適いませんねん。

音楽をできるだけクリアに聴き取れるようにするには、スピーカーが近くて小さいのに超した事はありません。その究極の形がイヤフォンです。本当に真剣に音楽を聴きたいのならイヤフォンに適うものはないとすら思っています(ただし装着感と耳の健康上に問題あり)。このケロケロ モニターはイヤフォンとスピーカーの中間的な存在を狙っています。

この1"をもう1セット新システム用に購入して、Alpair5は馬鹿ブースト専用にしようかなぁ。。。なんてね。

完成までまだまだ先は長いですが続報をお待ちください。って、真剣に作れば3日で完成なんですけどね。。最近根気が無くて。。暑いし。。

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