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2013年06月02日 (日) | Edit |
装置由来のオトの個性ではなく、媒体に記録されている「音楽」ソノモノをしっかりと「良く」聴き取って存分に楽しみたいというリスナさんのために、音楽再生クオリティを手っ取り早く本質的に改善するための「3つのズバット」をまとめてみました。

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1. ズバッと近う寄れ!
一般家庭における音楽再生で最も厄介なのがお部屋の音響特性です。住環境を損なわずに普通のお部屋の音響特性を整える事は困難であり、ましてや100Hz以下の長波長音を吸収する事は不可能に近いといって良いでしょう。

スピーカにズバッと近付くのが最も手っ取り早い対策です。スピーカに近付けば、単純に反射音に対する直接音の比率が高くなって部屋の影響を相対的に低減できるからです。6畳間であれば1m以内に近付く事をお勧めします(部屋の前後長の1/3以下)。僕のリスニング距離は約70cmです。これでも結構部屋の影響が出ます。

以前の記事に書いたように、どのようなソースにも適度な反響・残響音が加えられています。であるからこそ、今や主流となったヘッドフォン・イヤフォンでも存分に音楽を楽しめるワケです。部屋が響き過ぎると、交響曲で重要となる入念に設計された広大なホール空間の反響音が狭い部屋の反射音で阻害されてしまいます。前の記事に書いたように、交響曲ではZAP君のバッフルにオデコがくっつくくらい近付くと良い感じになります。つまり、70cmの距離でも部屋の反射音をかなり聴かされているという事です。できれば部屋はデッドにすると良いでしょう。基本的に部屋や装置で無闇にピャンピャラと響かせる必要は無かろうと僕は思います。

音源に近付けば近づく程、耳に聞こえる音は大きくなります(耳位置での音圧レベルは高くなる)。従ってスピーカで発する音量を小さくできるため、振動板を小さくできます(LEANAUDIO方式では必要振動板サイズは音量で決まる)。振動板は小さければ小さいほど軽くなり剛性は高くなります。つまり変換器としての基本的特性面で有利となるという事です。あるいは、振動板サイズが同じであれば振動板の振幅を小さくでき、低音大振幅の歪み率は確実に低下します。

つまり、スピーカに近付く事によって部屋の影響を低減できるだけでなく、根本的な「音質」の改善も得られるという事です。「スピーカは近くて小さいに超した事はない」というヤツですね。鼓膜に最も近いトップマウントのカナル型イヤフォンがその究極の形態です。

2. ズバッと穴を塞げ!
バスレフポートの穴はズバッと塞いでしまいましょう。これに関しては、最近の記事で詳しく書いたので説明は不要ですね。13cm以下の小型の2Wayバスレフ型をお持ちであれば、穴を塞いでニアフィールドで使えます。できれば箱の中にも吸音材を満たすと良いでしょう。

3.ズバッと平にせよ!
デジタルイコライザを使って「リスニング位置」での周波数特性を整えます(低音ブーストと全域F特のフラット化を行う)。僕の大まかな目標は「40Hz~10kHzで平均的ラインがフラットになり、ピークやディップが±6dB以内に収まる事」です。この条件は10バンドのグライコ(31Hz~16kHz)を使えば十分に達成できるはずです。非常に急峻なピークやディップはこの範囲を超えてもあまり気にする必要はありません。そのような現象はマイク位置が少し動くと変化します。

下限周波数はウーハの能力(振幅と歪みの関係)と必要音量さらにソースに含まれる低音信号レベルに応じて制限されます。3"クラスのドライバを比較的大きな音量で使う場合、ブーストは60Hzくらいまでにしておいた方が安心でしょう。それでも市販13cmクラスのバスレフ型と同等の特性が得られます。

あるいは100Hz以下にサブウーハを使う事もできます。サブウーハにももちろん密閉型を使います。サブウーハも必要音量に応じて(歪みが許容できる範囲で)できるだけ振動板を小さくすると良いでしょう。そして、デジタルフィルタで帯域分割する事が肝要です。100Hz以下という非常に低い周波数でアナログフィルタを使うと、時間的な遅れが大きくなるため違和感を覚える可能性があります。

リスニング位置で周波数特性をフラットに調整した後は、体調や気分あるいは音量に応じて適宜微調整しても良いですが、イコライザ調整にあまり拘るのは危険です。どうにでも調整できますし、チョイとイヂルと明らかに聞こえ方も変わるので泥沼に嵌ります。ソースの状態(つまり音楽に関しては僕達ドシロートよりもずっーーーーーーーーーと高いレベルにあるアーチストさんが表現意図を持ってスタジオのフラットな特性のモニタで聴きながら調整してくれはった状態)を受け入れるのが基本と考えるべきでしょう。ライブではアーダコーダ抜かさずソノママ受け入れてドキドキワクワク夢中で聴きますよね。それと同じ。あまりコマケー事を気にするとキリがアリマセンし重要ではアリマセン。

また、クラシック ソースの場合、以前の記事で書きましたが、僕の手元にある指揮者・楽団・年代(1950年代~今世紀)の全く異なる交響曲(ベト5)の5枚のCDの信号周波数分布は非常によく一致しており、これは鎌倉のとあるホールの中央席で計測された周波数分布とも驚くほど一致しています。つまり、CDをフラットに再生すれば、ホール中央付近で聴くのと概ね同じように聞こえるという事です。

僕達の手元に届く音楽ソースとは、再生時にアレコレ調整の必要な取りっぱなしの生録テープではなく、僕達が具合良く聞けるよう、あるいは明確な表現意図の下に、様々な調整を加えられた完結した作品であると言えます。

オーディオ装置とは、そのように作られた作品を表現者から鑑賞者へ伝えるための情報伝達装置です。情報伝達のクオリティを確保する上で、再生場のリスニング位置における周波数特性は最も基本的で最も重要な調整項目であると言えるでしょう。どのような機械も、正しく機能させるには現場の環境に合わせて正しく調整する必要があります。。。技術の進化した現代では多くの民生用機械が自動調整機構を内蔵していますけどね。

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以上で、音楽再生の基本が整います。オンシツ?やジョーカン?やオンガクセー?がドータラではなく「音楽」の「全体」と「細部」が「バランス」良く「調和」がとれ、より「自然」に「ヨク」聞こえて「聴きやすく」なるはずです。アーチストさん達は、自分の伝えたかった表現を僕達リスナに存分に楽しんでもらえるよう、スタジオでモニタしながら作品をそのように入念に作ってくれてはるという事です。

後はコノミのモンダイです。余りコマケー事は気にせず、ガンガンお気に入りのアーチストさんの「音楽」を楽しみましょう。ソーチ由来のオトのナンタラカンではなく、アーチストさんが作品に込めはった「音楽」のナンタラカンを存分に楽しみたければ、耳までソースの音楽を正確に伝えて全体から細部まで楽にバランス良く聴き取れるようにする事がまず第1に重要なのは極めてアッタリマエです。でしょ?

スピーカに近付いて部屋の影響を軽減し、ポートを塞いで吸音材で付帯音を徹底的に除去し、密閉型で低音を時間ドメイン的に正しく再生し、リスニング位置で全域のF特をフラットにした効果は、つまり基本的音楽再生クオリティを整えた事による効果は、ピアノソロを聴けば最も実感できるでしょう。これは、ピアノの音は帯域が広大(下限は27Hz)でしかも全て打撃音で構成されるためです。つまり、ピアノという楽器は周波数ドメイン的にも時間ドメイン的にも再生が難しいと言えます。また、付帯音やF特の凸凹等ソーチの癖を最も敏感に感じるのもピアノの音です。さらにカセットテーブの時代、ワウフラッタを最も敏感に感じたのもピアノの音でしたよね。基本的音楽再生クオリティを整える事により、ピアノの音は自然に澄み、ドロドロとした低音鍵盤の音も存分に楽しめるようになります。

またビシッとタイトで正確なピチカートベースの絶妙なノリ(スイング、ユラギ、ウネリ)や、ヒップホップ系の50Hz以下のズンと来るヘビーなビートも楽しめます。基本的に、音楽再生クオリティの改善効果はソースのジャンルを問いません。

ただし、交響曲だけはどうもスペサルです。こいつはヘッドフォン再生に限るぜ!というのが僕の結論です。広大なホールに比べて圧倒的に狭いお部屋ではどう手を尽くそうが基本的に無理でしょう。

そもそも上記の3つの「ズバッと」はヘッドフォン・イヤフォンを使えば簡単に達成できます。という事で究極のズバッとは「ヘッドフォン・イヤフォンで聴け!」かもしれません。ただし、ソースが最初っからヘッドフォン・イヤフォン向けに最適に制作されるようにならないとイケマセンし、長時間使うのは辛いですね。

追記
僕の場合、音場サイゲンは殆ど気にしません。モノラルでも良いくらい。ステレオフォニック効果なんて、所詮は飛び出るTV(ステレオスコープ効果)と同程度のギミックに過ぎません。基本的に「再現」ではなく「演出」に過ぎないと言えるでしょう。効果がはっきりしすぎると肝心の音楽が聴きにくいので、ZAP君のSP左右間距離は極端に狭くしています。これでも結構左右を認識できますよ。

当の音楽家達はこのステレオ効果をどの程度重要と考えているのでしょうか。スピカがタマタマ2つあるから、そう作っているというだけのような気もしないではアリマセン。そういえば、音楽畑のプロフェッショナルがオヂオマニアに対して「音場ってソンナニ重要なのか?」としきりに疑問を呈していたというのを聞いた事があります。僕も疑問です。まぁ、オマケ程度に考えておいた方が良かろうと思います。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年05月04日 (土) | Edit |
結局のところ、全ての違和感は、何を目的とするのか?何が主たる興味の対象なのか?音楽を聴く際にどこに意識が向かうのか?という点で全く(グルッと180°)異なるという事に帰結します。根本の目的が全く異なるわけですから、ヤルコトナスコト、ユーコトヤルコト全てに激しい違和感を覚えるのは当然です。

以前の記事で紹介したように、オヂョマニア達が「音楽家達のオヂオは自分達のオヂオから乖離している」と感じるのもこのためです。「自分達の音楽の聴き方が音楽家達から乖離している」と解釈しないのが、オヂオマニア達の不思議なトコロではありますが。。。。

これは「オヂオ」と「音楽」のドチラを主たる興味の対象または主たる目的とするのか?という点に帰結すると言えるでしょう。これによって、装置由来のオンシツ(ソースに由来しない装置固有のオトの癖や性質)に専ら興味が向かうのか、それとも、表現者由来の音楽ソノモノに意識が向かうのかが決まります。

もっと簡単に言えば、音楽を聴く際の意識の置き所(音楽の聴き方)にオヂオザッシ(ヒヨロンカ)の影響を強く受けてしまったヒトビトとその影響を受けず普通に自然に自発的に「音楽」を愛聴しているヒトビト、あるいは、オヂオそのものを「趣味」とするヒトビトとオヂオを「道具として使用する」ヒトビト、さらに一言で言うならば、「オーディオマニアック」と「オーディオユーザ」として対比できるでしょう。オーディオ装置とは「本来」オウチで大好きなアーチストさんの大好きな「音楽」を聴くための「民生向け実用機械」です。。。。TVといっしょ。

基本的な音楽再生クオリティが全く十分ではなかった技術的黎明期において、両者はそれほど乖離していなかったはずです。「音楽」をより良く聞こうとするならば、とりあえずある程度チャンと「再生」できない事には始まりません。当時の技術レベルでは、ある程度チャンと再生するには、ある程度上等なある程度高価なある程度立派な装置と、正しく使いこなすための知識が必要であったという事です。このため、中高生の頃に立ち読みしたオーディオ雑誌の内容は、技術少年であった僕にも違和感なく読むことができたように記憶しています。

技術的黎明期においてはTVだってカメラだって自動車だって事情は基本的に同じです。昔のは性能が不十分であるだけでなく高価で大きく、使いこなすにはそれなりの知識や技術が必要でした。例えば、昔はよく電気屋さんにテレビの出張修理に来て貰いましたよね(神器でしたからね。真空管の交換が必要でした。ジーチャン、バーチャン、トーチャン、カーチャン、オッチャン、オバチャン、子供達が電気屋さんをグルっと囲んで固唾をのんで見ていた記憶がある。僕の生家は大家族でした)。

しかし、周辺技術(特に電子技術)の進歩と共に、それらの民生向け装置は飛躍的に性能を高めつつも低価格化/コンパクト化を進め、誰にでも簡単に使えるようになりました。例えば、カメラの場合、誰にでも簡単に写せるようになった事(バカチョン化)により、写真機は「女子供には扱えぬ難しいコーキュな事をやっているのだ」というなんだか特権意識を持ったオッサン達だけの物ではなくなり、瑞々しい感性を持った女性写真家達が大いに活躍するようになりました。これはテクノロジーの素晴らしい成果の一例であると思います。女性の方が変な拘りがないので、テクノロジを純粋な「道具」として上手に使いこなすような気もしますよ。

不幸にしてオヂオ界では、基礎技術がある程度成熟した頃から(恐らく80年頃から)、家庭用メインストリームの技術動向に関しては「オヂオ主体」(オッサン)派が主導権を握ったかのように思われます。その後のハイエンドっとかピュアっと呼ばれるヤツですね。「なんだか難しくてコーキュな事をやっているのだという特権意識を持ったオッサン達のための道具(玩具)」からの脱却が成されなかったという事です。その方が高価な製品が売れたからでしょうか?バブルに浮かれた風潮だったのでしょうか?

そして、最も重視されるべき「本来の目的で」装置を必要とする一般ユーザ(音楽愛聴者)向けの製品は、趣味のマニア向けのいわゆるハイヘンドをヒエラルキの頂点とする安直極まりない廉価版に成り下がります。ハイエンド領域が「道具」としての技術的正常進化をけん引し、それが順次下位モデルへと広まるという形態であれば全く問題はないのですが、ハイヘンド領域はマニア(オッサン)向けの「玩具」として益々非現実化/非実用化へと向かい、「音楽」を聴くための道具としては何も進化せず(周囲の技術進化を鑑みれば退化とすら見える)、この進んだ21世紀でも泥沼の中でグルグルするばかり。。。(のように僕には見えます)。

重要な改善の余地が残されている現実的な一般家庭での実用状態での基本的音楽再生性能は根本的に向上せず、表層的/微視的/付帯的装置由来のヨイオト?とやらを相変わらずツイキュし、低価格化、コンパクト化、使用の容易化が全く進んでいない。。という事です。ドナイナットンネン?ホンマニ。デス。

一方、1979年にSONYが発売したWalkmanは「オッサン脱却」へ向けての全く画期的な製品であり(素晴らしい!技術者達を尊敬します)、次のブレークスルーは2001年に発売されたApple社のiPodにより成され、現在のヘッドフォン オーディオの隆盛へと繫がります(ジョブスさんは尊敬するけど、日本人としては二度目もSONYさんにやって欲しかったなぁ。SONYこそソレをやれる最も近い位置に居たと思うのだが。残念)。

ハイエンドの上記のような状態を見るにつけ、全く当然の成り行きでしょう。普通の人は近寄りませんよ。衰退/縮小してアッタリマエでしょ。。。アッタリマエ。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月27日 (土) | Edit |
僕が経験した他の趣味分野に比べて、オヂオ界におけるヒヨロンカのステータスと影響力は絶大であるように思えます。「先生」付きで呼ばれる事も多いようですね。他の分野では、例えば写真評論家は居ても、カメラ評論家なる者は存在しなかったように思います(大概は写真家がレビューしてましたからね)。自動車の場合、評論家のステータスは比較的高いですが、車好きの仲間達との会話では呼び捨てが普通でした。

ところが、オヂオ界ではマニア達にとってヒヨロンカセンセはどうも憧れの対象あるいは教祖様のような存在であるようで、マニア達の行動や言動を見ていると、まるで彼らは「ヒヨロンカごっこ」をやっているようにも見えます。「最近のヒョーロンカの言う事なんか一切信用しない」と発言するマニアでも、実際にやっている事や言っている事(つまり根本的な音楽の聴き方あるいはオヂオ装置の使い方や考え方)は、僕の目から見れば、基本的にオヂオヒヨロンカ達と全く同じです。

通常、雑誌等の評論記事は購入する製品を選んだり最新の技術動向を知るための参考にはしますが、買った製品を評論家と同じように使おうとは(つまりヒヨロンカごっこしようとは)しません。しかし、オヂオマニア達は購入した製品を本来の目的で使うというよりは、自分達もヒヨロンカ達と同じようにオンシツやオンジョーを細かくキキワケテ製品をヒョーカする事を主たる目的として使っているように僕の目には見えます。オヂオ装置とはそのように使うものであり、音楽とはそのように聞くものであると洗脳されているように見えなくもありません。このため、当然の成り行きとして、彼らの行動は際限のない装置やデンセンのトッカエヒッカエによるオトの違いのキキワケに行き着きます。だって、それがオヂオヒヨロンカ達の専らのオシゴトですからね。

彼らヒヨロンカ達は、自身の主たる責務を「専ら装置由来のオトの個性(チガイ)」を事細かにキキワケテ記事を書く事と心得ているように見受けられます。技術が進化した現代において、メーカ間あるいは価格差による性能的音質(音楽再生クオリティ)には大きな差が生じないため、彼らは「チガイ」を記事にするために、非常に微視的/表層的/付帯的な装置由来の個性(ナンタラカンとかオンヂョーとか)に着目せざるを得ません。そして、オーディオ技術が本来目指さなければならない大きな方向性や、未だに根本的な改善の余地が残る重要な技術的課題に対して、全く目を向けようとはしません。

彼らは一体全体どのように優れた素養を持つ者として、そのような職業に就いたのでしょうか。優れた音楽的素養、音楽に対する深い敬意と愛着、音響/電気/電子/機械技術に関する高い見識と理解力を備えたプロフェッショナルなジャーナリストというよりは、単にオヂオ趣味が高じたディープマニア(またはトップ アマチュア)という風にしか僕には見えません。例えば、日本のオヂオヒヨロンに多大な影響を残したと言われる五味康祐氏は正にトップ アマチュアあるいはディープマニアという立場からオヂオに関する全く私的で主観的な一種のエッセイを綴られました。彼はあくまでも文筆家であり、プロフェッショナルな評論家ましてやジャーナリストでは全くアリマセン。そのへんの見境(ソレハソレコレハコレ)が未だに全く成されていないように見受けられます。

オーディオ雑誌の中に、そのような楽しい「読み物」があっても、または専らその方面の極端なマニアだけを対象とするコアな雑誌があってももちろん構いません。しかしあくまでもソレハソレであって、こぞってソレばかりであっては、ジャーナリズムとしての責務を果たせるワケがアリマセン。ソレばかりでは、単なるシロートのオッチャン達の趣味の同人誌になってしまいます。実際僕にはそのように見えます。これでは読者数も減少の一途を辿り、業界全体が衰退/縮小するのもアッタリマエです。

マニア向けのコーナーとして紙面の一部にそのようなヒヨロンカ達の記事を載せても構いませんが、やはり、誌面の少なくとも半分では、音楽とオーディオにまたがるプロフェッショナル達が現実的な製品を真っ当な方法で可能な限り客観的に評価し(もちろんブラインド評価や計測も必要でしょう)、業界(音楽界/オーディオ界)とユーザに対して広い視野と高い見識を持って業界の方向性を示唆するような記事を継続的に掲載しないとアカンでしょう。また、音楽とオーディオに関する本当のホンマの基礎知識(アクセサリの使いこなし方とかでは断じてナイよ)も、シツコク繰り返し記事にする必要があるでしょう。そのような全く重要で基礎的な知識や理解(ソレハソレコレハコレの基本的ホンマのコレに関する知識)が一般ユーザの間で全く欠落しているように思えます(なんだか怪しげなオッチャン達の言う根拠不明のソレに関する情報ばっかり)。

製品レビューにあたっては、音楽畑のプロフェッショナル達(音楽家、マスタリングエンジニア等)による評価が是非とも必要であると思います。彼らには、一般ユーザの部屋に近い環境で試聴してもらい、自分達の作品をどのようにヒトビトに聴いて貰いたいのか、あるいは尊敬する音楽家の作品を自分ならどのように聴きたいのか、といった観点で評価してもらうのが最良でしょう。

読者にはオヂオヒヨロンカをお手本にしたような音楽の聴き方をゼッタイにして欲しくナイですね。断じてゼッタイニ。ホンマニ。

そのような記事が載るようになれば、オヂオそのものには興味はさして無いがより良くより深く音楽を聴きたいと願う音楽愛聴者達(真のオーディオ ユーザ)や、音楽制作畑の人達そしてメーカのオーディオ技術者達にも有意義な情報を提供でき、読者層も広がり、業界全体も活性化するでしょう。僕はそう思いますが、如何でしょうか? 皆さんも考えて見てください。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月20日 (土) | Edit |
僕が激しく違和感を覚える点について、何回かに分けてツラツラグダグダ書いてみます。

その第1は「良い音」です。

メーカも、ヒヨロンカも、マニアも皆一様にほぼ例外なく「良い音」を目指すのだと、しきりに繰り返します。まるで呪文のように。それがまるでオヂオ装置の究極の目的でもあるかのように。何の疑問もなく。

でも、「良い音」って一体全体なに?ナンナノヨ?と、僕は激しく疑問に思います。全ての違和感の根源はここにあります。

LEANAUDIOに着手した当初は、ヒトビトがそう言うならばそう言うものなのだろう。。と、さほど違和感なく受け入れていたのですが、開発の実体験を重ねるにつれて違和感は急激に強まりました。これから書く事は、「音楽を夢中で聴いた経験と、写真を通して表現者のマネゴトにホンマアホみたいに取り組んだ経験と、プロの開発技術者として民生向け工業界に深く関わった経験」を持つ者として、LEANAUDIOを通して得た全く素直な実感です。観念で申しているワケではありません。だいたい、それまでそんな事をグダグダ考える必要もなく普通に音楽に接して来ましたから。カナル型イヤフォンでショックを受け、オヂオ界の現状を目の当たりにするまではね。。。。

何度も言うように、どのような「音」を出すかは、全て表現者の側に委ねられます。彼が「彼のイメージする綺麗な音」をリスナに聞いて欲しければ「彼のイメージする綺麗な音」がモニタから聞こえるよう録音を調整するでしょうし、彼が「彼のイメージする神経を逆なでするような音」をリスナに聞かせたければ「彼のイメージする神経を逆なでするような音」がモニタから聞こえるよう録音を調整するでしょう。当然ですよね。アッタリマエです。画家が何色を使って何をどう描こうが全て画家の勝手なのと全く同じです。

絵画や写真を鑑賞する際、我々はそこに身勝手な「良い色」や「良いトーン」やナンヤカンヤを求めず素直にソノママ受け入れます。色補正フィルタの眼鏡を着用してフィルタを微妙にトッカエヒッカエしながら「良い色?」や「自分の色?」をツイキュしたりしませんよね。それをツイキュウしたい者は、自分で画を描いたり写真を作成するのが普通です。その方が色眼鏡トッカエヒッカエして人様の作品を見るよりも、ヒャクオクマン倍楽しいでしょうし、センオクマン倍クリエーティブでしょう。

音楽でも、生演奏を聴く場合はそうです。諸々の環境条件に多少難があっても、アーダコーダ抜かさず素直に受け入れて目の前のアーチストさんの演奏に全く素直にもうドキドキワクワクして夢中になって聞き入ります。デスヨネ?違いますか?

鑑賞とは、その第1段階において全く徹底的に受動的な行為です。「お友達の言っている事をまず『良く聞き』ましょうね」って、小学校で先生に言われますよね。同じ事です。ましてや特別な才能を授かり、それに命懸けで精進した者達の(こと音楽に関してはドシロートの自分達からみれば遙か雲の上のレベルに到達した者達の)作品に接するわけですから、言わずもがなでしょう。僕のLEANAUDIOは正に『良く聞く』ための装置を目指したと言えます。そのように素直に接した上で(僕は例のフニャーーーーと弛緩する)、「自分にとって」聴く必要がある作品かどうかを「自分独自」の価値基準に基づいて全く「能動的に」判別し(それがビーシキ(美意識)ってやつです)、そこから「自分なりに」何を感じ取るか、それを通して何に何処までアクセスするかは全く鑑賞者の自由であり(それがカンセー(感性)ってやつです)、鑑賞者はそこにこそ能動性と創造性を思う存分に発揮できるわけです(なんか、オヂオって全くその逆(グルッと180°)をやっているような気がしないでもない)。

これも何度でも言うように、家庭用オーディオ装置の世の中における最も基本的な命題は、音楽表現を表現者から鑑賞者に伝達する事にあります。基本的に電気機械式単方向情報伝達装置であるという事です。これにおいてディスプレイ装置と何ら変わるところはありません。

理想的な状態が実現すれば、彼ら表現者はオヂオマニア達の言う「全くツマラナイ、全くオンガクセーとやらの無い、全くフラットな周波数特性を持つ、全く付帯音の無い」全く白いキャンバスである理想的なモニタ環境で、彼らがツマラナイと感じるならば彼らが必要と感じるだけの響きや音色を加え、彼らが必要と感じるだけの強調や省略を存分に施して徹底的に作品を作り込み(オ、イーネー!ってね)、我々はそれを「全くツマラナイ、全くオンガクセーとやらの無い、全くフラットな周波数特性を持つ、全く付帯音の無い」全く白いスクリーンである理想的な再生環境で、彼らが拘り抜いたツマルトコロを存分に鑑賞する事ができます。僕は、ジャコやビトルズがスタジオに籠もって「オ、イーネー!俺様(達)ってやっぱ天才っしょ、フォー!」と作り込んだソノマンマを聴きたいです。それって、ファンとして普通ですよね。全く。。。

以前の記事に書いた「世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー!」 という叫びは、表現者として非常に切実な願いであるでしょう。記事には書きませんでしたが、彼らは「シテクレー!」と叫ぶ前に「みんな仲良く」と付け加えています。つまり、「みんな仲良く、世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー!」と叫んだという事です。「みんな仲良く」は何を意味するのでしょうか? 僕は「各メーカで好き勝手に個性を競わずに(好き勝手テンデバラバラに「良い音」とやらをツイキューせずに)」と言いたかったのだと思います。彼らは「スピーカでもヘッドフォンもそれはそれはもうピンからキリまで聴いてみるのだ、音が違うから」といった趣旨の発言もしています(ちょっとウンザリ気味にね)。

オヂオではなく「音楽」を中心に考えるならば、彼ら表現者が望む完璧な性能を備えたリファレンス装置と再生環境が世界中のスタジオと世界中の家庭に行き渡る事が理想です。しかしこれは、文化水準の非常に高い夢のように理想的な社会主義国家でもない限り実現しないでしょう。ですから僕は、オーディオ界は音楽界と一体となって「音楽再生装置」にある一定の基準を設けるべきだと、以前から言っておるのです。

完璧な技術は存在しません。技術とは常に妥協の産物です。ですから、各メーカが上記の命題に向けて一斉に真剣に取り組んだとしても、何をどのように妥協するかに応じて製品の個性は必ず生じます。我々消費者は、その中から気に入った製品を選べます(しかし、選ぶ事自体あるいはトッカエヒッカエ選んだモノを細かく評価する事が目的ではない。TVを選んで買うのと同じ。本来の目的で使うために買う)。

もちろん、世の中の技術レベルが成熟するにつれてその個性や性能差は収束します。当然です。目指す目的は1つですからね。その段階に入ると、根本的な技術革新でもない限り性能の向上は頭打ちになり、低価格化とコンパクト化に向かい、さらにはデザイン等による差別化へと向かうのが普通です。そして、それではツマラヌと言う少数のマニアック層は、ソレハソレコレハコレとして世間一般に認識された上で(今風に言えばオタクなヒトビトと自他共に認識した上で)、特殊でコアな領域として残るのが自然です。その領域では、本来の目的から如何に逸脱しようが一向構いません。それは個人的な数寄/趣味/道楽/オタクの領域だからです。しかし、業界のプロフェッショナル達が本来の目的を見失ってこぞってそれでは全く困ります。全くです。

オヂオ業界の過去を振り返るに、80年頃までは、各社が極めて懸命に真面目に技術的課題に取り組んでいたように思えます。CDが世に出た82年の段階で、スピーカは今現在と大して変わらぬ基礎的技術(音楽再生クオリティ)レベルに達していたようにも思えます。その後のデジタル音源(CD)の爆発的普及と、電子技術(PC、マイコン技術、デジタルアンプ技術等)の急激な進化を鑑みれば、音楽再生に必須の十分に低い音まで非常に高い再生クオリティを備えた装置を非常に安価に非常にコンパクトに一般家庭に広く提供できたはずです(自動車、カメラ、家電業界の飛躍的技術進化を見れば明白でしょう)。

非常に基礎的な技術が確立され、電子技術の目を見張る進化の下にイヨイヨ本当の成熟段階に入ろうかという時点で、世の中に対する本来の基本的命題をすっかり忘れ、どうもヘンテコリンな(過剰にマニアックな趣味/オタクの)方向に向かいだしたような気がしてなりません。やはり、バブルによる世の中の風潮がそうさせたのでしょうか? その頃から音楽自体も僕には全くツマラナクなったような気もします。あるいは、基礎技術が成熟して各社横並びになったため、より細かい個性の「違い」を目指してどんどん泥沼の深みに嵌り込んだのでしょうか?いずれにせよ迷惑千万なハナシです。ホンマニ。

追記
オーディオ装置とは、制作側と鑑賞側が一体で1つのシステムを成します。アッタリマエですよね。片方だけじゃ意味ないですからね。制作側だけが進化しても、鑑賞側だけが進化しても意味はありません。そのへんも全く乖離しており、それが違って当然と思われている点にも、激しい違和感を覚えます。ドナイナットンネン?です。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年03月15日 (金) | Edit |
あー実験君する気がしない。。。やっぱり開発の必要に迫られないと面倒くさくて。。。開発屋の性。。

という事で、今回もグダグダツラツラ書きます。

僕が数年前にオヂオイヂリを始めた頃、友人にその事を告げると、一様に「え?」という(一瞬引いたような)表情を浮かべ、次にニヤニヤしながら「ホンマニそんなんで音って変わるの?」と聞き返されました。まぁ、世間一般のオヂオに関する認識とはソンナところでしょう。ブットビ異常に高価なデンセンやソーチやなんやカンヤをトッカエヒッカエしながら異常に微小なオトの違いをキキワケルのがオヂオというヤツらしい。。と、一般には認知されているようです。アレで音楽がより良く聴けるだろうとは思っていない。。僕もそうでした。

しかし、これは本当にモッタイナイ。もし、オーディオ技術がバブル前から趣味の魔境に彷徨いこまずに正常に進化し続けていれば、趣味の道具としてではなく音楽を聴くためのTVと同様のアタリマエの実用家電製品として正常に進化し続けていれば、今現在、もっと多くの人がもっと良い状態で当たり前に音楽を聴けるようになっていたでしょうし、もっと多くの人が本当の意味で良い装置を求めて、それに適正な代価を払った事でしょう。音楽を愛聴する人口は別に減っているわけではないでしょうからね。

僕はKEROを作った時に、こんな装置があの多感な頃に僕の下宿の枕元にあったら。。とツクヅク思いましたよ。今さらこんなに音楽を聴き直している事も無かったでしょうね。今にして聞き落としていた重要な事がタクサンあったように思います。

まぁ、今の若い子達はヘッドフォン・イヤフォンで非常に良好な状態で音楽を聴けているので良いのですが、やはりオウチでリラックスして音楽を聴くにはスピーカ方式も必要でしょう。誰もが簡単に真の意味で良い状態で音楽を聴ける適正な価格のコンパクトでクールな装置が開発されればヘッドフォンと同様に普及するでしょう。ヘッドフォンばかりが普及するのは、それ以外に聴くに使うに所有するに代価を支払うに値するクールな装置が無いからに他なりません。であるからこそ僕はLEANAUDIOに着手する必要があったワケで。。。全くメンドクサイ。。

また、これだけヘッドフォンが普及したわけですから、もっとそれ専用に最適化したソースや再生方式が是非とも望まれます。やたらコマケー事をグルグルと追っかけマース以前に、やらにゃならぬ基本的で重要な事がタクサンあると思います。

スピーカが一気に何本も売れる美味しいサラウンド方式が思うように普及しないせいか、業界は最近やたらハイレゾを喧伝していますが、ソースなんてCDレベルあるいは高ビットレートの圧縮で十分なような気もします。果たして全く同じマスタリングで聴き比べた時、本当に有意な違いがあるのかどうか。以前の記事で紹介したマニア達のブラインド比較ではハイレゾ、CD、圧縮の評価(好み?)が三分した。。。なんてのがありましたよね。なんか変わったとしても精々コノミの領域という事ではないでしょうか。ソースの音質は殆どマスタリングで決まるでしょう。ハイレゾ盤を出すときに、ちょっとマスタリングに手を加えて「ホラ、やっぱりオトが違うでしょ!」って事はないのでしょうか。なにせ「変わる」事自体が異様に珍重される風潮が強いですからね。。。このへん、本当はジャーナリズムが全く同じマスタリングでブラインドテストを実施してしっかりと業界を監視し大衆に正確な情報を提供しないと駄目なんですけどね。

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2013年02月05日 (火) | Edit |
今日は、音楽とオーディオ、何を中心に考えるかによって物の見方が180°変わるというオハナシを、例によって思い付くままに書いてみます。さて、どうなりますか?

言うまでもありませんが、僕は自然と「音楽」を中心に据えて「オーディオ」について考えています。つまり、オーディオ装置(録音/制作/媒体/再生を含めたシステム)とは音楽作品を表現者から鑑賞者に伝達するための実用装置/システムであるとの基本観点から全てを語っているという事です。そもそもLEANAUDIOは、オヂオを趣味とするわけではなく、オウチでもっと音楽を聴きやすくしたいという実用的必要性に迫られての行為です。

このような観点では、

表現者が望む全く十分なクオリティで思うがママに作品(媒体)を制作できる事

そして

世界中がそれと全く同じクオリティでその作品を聞ける事

がオーディオ装置/システムの基本的命題となります。それがオーディオ装置/システムに課せられた世の中に対して担うべき基本的役割であるという事です。アッタリマエですよね。つまり、

個々の再生装置に個性は無いに超した事は無い

となります。余りにもアッタリマエですが重要なのは個々の音楽作品が持つ個性であって、それを鑑賞者に伝達するのが再生装置の役目です。再生装置の個性は重要ではないどころか邪魔だという事になります。そして、その命題を必要十分に達成できる限りにおいて、

装置は可能な限り使用が容易であり安価でなければならない

となります。この観点において、もちろん小型化も非常に重要です。

「オーディオ」を中心に考えるオヂオマニアにとっては全く受け入れがたいでしょうが、「音楽」を中心に考えれば余りにもアッタリマエです。しつこいですが、僕はアッタリマエの事をアッタリマエに言っているダケです。

もちろん、自動車でもカメラでもそうですが、民生向け個人消費製品である以上、そこに趣味的な要素が生じるのは当然です。また、民生分野に限らず産業および軍事分野であっても、命題に対してどれほど真摯にアプローチしようとも人間が神様ではない以上どのような技術も不完全であり、そこに技術者/製造者の技量と思想が反映された製品の個性が生まれます。特に技術の黎明期の製品では、そのような個性に味わい深いストーリーを読み取る事ができるのも確かです。例えば僕は、第二次大戦の戦闘機や80年代以前のレーシングカーからは技術者達の葛藤の跡を生々しく読み取る事ができ、興をそそられますし、技術屋を職業とする者として随分と勉強もさせて頂きました。それらは個性のために作られた個性ではなく、当時の技術的制約から図らずも生じた個性であり、そのような個性はそれに携わったヒトビトの真剣な悪戦苦闘の痕跡であり、チャンチャラとした表層的な個性のために作られた個性とは本来異なります。

しかし技術が成熟するにつれてそのような個性の幅は収束するのが当然であり、各社はその中で自社製品の差別化を図るために四苦八苦する事になります。当然の成り行きとして低価格化が進み、競争力のないメーカーは淘汰されて減少あるいは統合の一途をたどります。黎明期には技術的に重要な役目を果たしたものの成熟期では存在意義がなくなってしまった企業が消滅するは当然の成り行きです。余った優秀な人的リソースは社会が次に必要とする新たな黎明期の活動に自然と流動してゆくのが理想でしょう。そのようにして人間社会は常にダイナミックに変化するのがアッタリマエです。諸行無常が世の常でしょ。

ハナシが逸れましたが、
しかし、何時如何なる場合も、上記の基本的命題は、必要十分に達成されて世の中の多くの人々に行き渡るまでは決して疎かにされてはならぬはずです。ソレハソレ、コレハコレを常に明確に認識する(ワキマエル)必要があるという事です。各業界では、そこのところのワキマエをうまく保つにおいて、ジャーナリズムが適度に機能してきたように僕には思えます。対してオヂオ業界では、基本的命題が十分に達成されているとは到底思えない状態で(技術的にも製造者側/使用者側の意識的にも十分に成熟したとは思えない状態で)恐らく80年代頃(バブル?)から、極端に趣味の方向に偏向してしまったように僕には見えます。その結果、それほど極端な趣味とは考えず、ただ良い状態で音楽を聴きたかっただけの層、あるいは技術的な面で興味があった層は興味を失うのも当然でしょう。なにせ、普通の感覚(経済的/技術的/一般的常識)を備えたヒトビトから見れば、理屈もヘッタクレモない魔境ですからね。また、なんだかエラクテジョートーなシュミ(シュミノオーサマ?)というふうに意識付けされてしまっているように見える点も非常に鼻に付きます。

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2013年01月08日 (火) | Edit |
何事を成すにもそうだと思いますが、究極的な理想状態を常に念頭に置く事が重要だと思います。一体全体、自分は最終的に何をどのように成したいのか、それにあたって今現在どのような事に妥協を強いられているのか、それを克服して理想に近付けるにはどのような努力が必要か。。。。。これが漠然としていると、グルグル魔境に囚われてしまいます。

今回は、「自分にとって」ではなく「世の中にとって」理想的なオーディオをとりまく状態とは?について考えてみたいと思います。

音楽家は録音エンジニアとの協働の下に自分の作品を入念にスタジオのコンソールで作り込んだ後に媒体に記録して広く世の中に公表します。我々は、各自の「オーディオ装置」を使って、その媒体を「再生」する事によって、彼の作品を鑑賞します。

例えば写真家(イラストレータ)が写真集(画集)を出版して自分の作品を広く世に問う場合、彼は編集者や印刷技術者との協働の下に、印刷の色調や階調のみならず、装丁や紙質にも徹底的こだわって一冊の印刷媒体を入念に作り込み、世の中に公表します。

写真集(画集)の場合、彼が最終的に「媒体の制作にあたっては、不本意ながら諸々の点で妥協せざるを得なかったが、俺様は俺様の全責任を以てこの媒体を俺様の作品として世の中に公表する」と承認したそのままの状態で鑑賞者の手元に届きます。写真家がオリジナルプリントをギャラリーで展示して発表するのと、印刷媒体(写真集)に載せて公表するのは、ライブ演奏と再生音楽の関係に似ているとも言えるでしょう。これも、どちらが上等とかいうのではなく、それぞれに、それぞれでなければ伝えられない表現というものがあります。

何を言いたいかというと、本来、表現者は、自分の作品が最終的に鑑賞者に伝わるまで責任を負うべきである、というか、負う事を強く望むという事です。だってそうでしょう。細部まで徹底的に拘って作り込んだ作品が最終的にどのような状態で鑑賞者に伝わるか定かではないというのは、彼らにとって大きなフラストレーションとなるはずです。以前の記事で紹介した「世界中が同じ音質で聞けるようにしてくれー」というのは、そういう彼らの切なる叫びであると言えます。

世のオーディオ技術者は、この叫びに応えなければなりません。それを広く万人に行き渡るアタリマエの技術として実現しなければなりません。再三申しているように、オーディオ装置とは、本来、それ自体を趣味道楽とする人々のためにあるのではありません。鉄道が鉄道マニアのためにあるのではないのと全く同じです。表現者から鑑賞者へ作品をできるだけ良好な状態で引き渡すための変換/伝達装置であるという事を決して疎かにしてはならぬはずです。鉄道技術が「より安全により快適により経済的により高速に人や物を運べるよう」進歩し続けているのと同様に、オーディオ業界も「表現者の作品を、表現者が望むより高い品質でより多くの鑑賞者により安価に伝える」ための努力を惜しんではならないという事です。

さて、巷ではよく「制作現場では鑑賞者側の再生条件が全く様々であるため、どのような装置で聴いてもソコソコ聴けるよう無難に制作せざるを得ず、そのように作られた媒体をそのまま素直に再生してもツマラナイ」あるいは「モニタ用とリスニング用は異なって当然」と言われます。この点について考えて見ます。

もしそれが真実とするならば、全くもって問題なのは、それがさもアタリマエの事であるかのように巷で言われている点にあります。全く問題意識に欠けている点には驚かされます。「諸々の技術的問題や制約により、現在のところ、致し方無くそのような状態に甘んじている」という認識では全くないように思えます。真っ先に取り組むべき非常に根幹的問題でありながら、それが問題として全く真剣に認識されていないという事です。僕に言わせればナンデヤネン? ドナイナットンネン???です。。。 もし本当に彼らがスタジオで自分自身で聴いて本当にそんなにツマラナク録音する事を強要されているとするならば、それは余りも悲しい事だと言わざるを得ません。

一方、そのように言われている事が果たして真実なのか???という疑問も残ります。本当に彼らはスタジオで自分自身で聴いてそんなにツマラナク録音しているのでしょうか??? 今までの僕の経験からすると、マニアやヒヨロンカ達の間でアタリマエの事として言われている事は全く当てになりません。何故ならば、音楽の何を楽しむのか、音楽を聴く事に何を求めるのか、オーディオ装置を何のために使うのか、といった根本のところがまるでグルッと180度異なるように僕には思えるからです(参考記事:「良い音ってナニ?」)。

普通、音楽に限らず何らかの作品を創作する場合、最終的に自分が聴いて(見て)ツマラナイものを世に出すはずがありません。もしそれを強いられるとするならば、それは地獄でしょう。俺って天才!フォー!てな具合に、最終的に自分自身で本当にツマルと感じられる物を発表しようと目指すのが自然です。ですよね。

ホンマニ彼らはマニアが言うように「ツマラナイ」と彼ら自身もスタジオでモニタリングして思うような音で録音しているのか??彼らの作品を彼らのスタジオで彼らのモニタ装置を使って聴くと僕にもホントにツマラナク聞こえるのか??この点を確認するために、例の激安モニタを試して見たいと思っています。

さて、「理想的な状態」を考えてみましょう。
「理想」は、彼らがスタジオで徹底的に作り込んで「俺様って天才フォー!俺様の音楽を俺様の音を聴きやがれ!コノヤロー」(ちょっと下品ですが多かれ少なかれそんな感じです。世の中に対して表現するヒトってのは) とリリースした媒体を世界中の誰もがオウチで全くソノママ聴けるようにする事です。極端な事を言えば、スタジオでも家庭でも全く同じ全く完璧な性能を持つ装置と環境が世界中の人々に行き渡ればヨロシイという事になります。オーディオを中心にモノゴトを考えるマニアには悪夢のような世界でしょうが、音楽を中心にモノゴトを考えればそれが音楽制作/伝達/再生システムの理想です。

もちろん制作側/鑑賞側の装置自体の性能の向上も必要でしょう。彼らが望むならば全く生の音も音場も完璧に録音/伝達/再現でき、彼らが望むならば世の中に今まで存在しなかったような音や音場でも自由に創出して録音/伝達/再現できる装置です。

ただ、発達した現在の周辺技術をもってすれば、可聴帯域の音で構成された音楽のステレオ録音/伝達/再生は、必要十分に高いレベルで誰にでも購入できる価格帯で実現できるように思えます。ハイレゾだデンセンだジッタだデンゲンだ云々カンヌンとやたらコマケー事をツイキューする以前に、やらねばならぬ基本的な事(低価格化、小型化、デザインを含む)が山積みであるように僕には思えます。また、音楽鑑賞に真に必要な音質(音楽伝達/再生クオリティ)のために重要な事と、瑣末的でさして重要ではない事の見極めも必要でしょう。音楽家達は、自分の作品の伝達にあたって、どの水準の再生クオリティを必要十分であると考えるのか(要は彼らが安心してスタジオで存分に作り込めるようにするには世の中の装置がどの程度のレベルにあれば良いのか)?音楽再生においてどのような特性をどの程度重要だと考えるのか?といった事項を明らかにする必要もあるでしょう。オヂオマニアやヒヨウロンカ達が巷でアタリマエのように言っている事とは全く異なる可能性は十分に考えられます。

再三申しているように再生場の影響を受けないヘッドフォン方式(バイノラル)であれば、かなり高いレベルで音も音場も再現可能です。いっその事、彼らにはヘッドフォンを基準にして存分に拘って作り込んで頂ければヨロシイのではないかとすら思います。真剣にその作家さんの作品を鑑賞したい場合はヘッドフォンで聴けばヨロシイ。スピーカ方式は、ヘッドフォン再生を(不完全ながら)擬似的に再現するなんらかの変換プロセスを通して再生すれば良かろうと。。。イヤホンマに。マヂでそう思います。作家さん達には、安心して存分に創作に取り組んで欲しいと願います。

しかし、どのように装置が発達しようが、鑑賞者が使う家庭用再生装置の究極の目的は「表現者がスタジオで作り込んだ音楽の再現」にある事に断じて変わりはありません。装置が理想的であれば、表現者が「生の音」の正確な再現を意図して作成した媒体ではオウチでも生の音が聞けるでしょう。表現者が何らかの意図を持って「生の音」に人工的なプロセスを加えた場合は、彼がスタジオで確認したのと全く同じ加工済みの音が聞けるでしょう。

要は、スタジオのモニタシステムは純白のキャンバスであり、作家はそこに彼のテーマ/彼の構図/彼の色/彼のタッチで彼の技能を存分に駆使して赴くままに自由自在に作品を描きます。そして家庭の再生システムは、彼が描いた作品をそのままの色/タッチで投影するもう1つの純白のスクリーンであると言えます。そもそも、音楽に限らず、人様が(それも傑出した才能に恵まれた人物が)、自身の生命を削るようにして創出した作品を鑑賞するとはそういう事です。ゲージツの世界において、最も尊重されるべきは表現者の意思である事は全くの当然であり、媒体によるそれらの伝達に携わる人々は最大限の敬意と注意を払ってそれに努めます。もし、音楽再生において倫理的観念を云々するのであれば、表現者に対する敬意とその意思の尊重こそがまず問われるべきであると言えるでしょう。

と、まぁ、また堅苦しい事を書いてしまいましたが、人々が日常的に音楽を楽しむにおいて、それを厳格に意識する必要はありません。そんな堅苦しい事を考えずに存分に素直に音楽を楽しめばヨロシイ。ナニも意識しなくてもナニも知らなくても最良の状態でアタリマエにそうできるようにしてあげるのがオーディオ技術者の責務です。僕だって、数年前にオヂオの現状を目の当たりにして激しい違和感を覚えるまでは、そのように理屈抜きに音楽を楽しんできました。しかし、音楽/オーディオ業界に携わるプロフェッショナルやジャーナリスト達は、絶対にその点を疎かにする事はできぬはずですし、そのような基本的態度を大衆に示す模範となるべきであるはずです。違うでしょうか。。。どでしょうか。。。

追記
と、以上のような意見を述べると「それは音楽に対して受動的な態度だ」と来るわけですが、僕は「良い音ってナニ?」に載せた図の上層へと向かう意識は極めて能動的でクリエイティブな精神活動だと思います。それをより良い状態でより楽にできるようにしてあげる事が民生用音楽再生装置のオシゴトであると考えています。大分以前の記事「波形を再現できれば「良い」音になるの?」にも同様の事を書きました。

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2012年12月03日 (月) | Edit |
今回はちょっと根本的なトコロを考えてみたいと思います。

オーディオ装置(音楽再生装置)にとって理想的な電気→音響変換方式とは?

電気-音響変換装置の代表がスピーカですが、最近はイヤフォン/ヘッドフォンが主流になりつつありますね。

スピーカにおいては、現在のところ一部の特殊なタイプを除いて殆どがダイナミック型であり、特に低音再生においては現実的にダイナミック型しか無いと言って良いと思います。ダイナミック型は振動板の往復運動(ピストニックモーション)によって空気を振動させて音を出すわけですが、これは多くの楽器が音を出す原理とは異なるため、理想的な方式とは言えないとする説もあります。今回はこのへんも含めて掘り下げて考えてみます。

まず、音はマイクロフォンによって電気信号に変換されます。これは大前提です。マイクロフォンで録音しない限りスピーカから音を出す事は一切でせきません。マイクロフォンは、ダイナミック型であれコンデンサ型であれ、一般的なスピーカに比べて非常に小さな振動板が音圧の変動を受けて往復運動(ピストニックモーション)する事によって音を電気信号に変換します。

マイクロフォンは、発音体(楽器等)の発音メカニズム(弦の振動であれ、胴表面の振動であれ、管の気柱振動であれナンデアレ)の如何に一切関係なく、空気中を伝播して到達した圧力波(音圧変動)によるダイアフラムのピストニックモーションを電気信号に変換します。ここで重要なのは、マイクロフォン信号は楽器そのものの機械的音響的振動形態を何ら直接的に反映しない(どんな仕組みで出た音であれ全て単なる空気の圧力変動として扱うだけ)という事と、空間内の1点とも言って良い微小領域での音圧変動だけを反映するという事です。

とりあえず単純化するために、1本のマイクロフォンで録音する最もシンプルなモノラル録音方式で考えてみます。
とある空間(ホール)のとある楽器からある所定の距離を置いて(例えば客席のドコカに)設置された無指向性マクロフォンで収録した音を、サイズも音響特性も全く異なる全く別の空間内(オウチのお部屋)に置いた1本のスピーカで再生し、リスナはスピーカから数m離れてスピーカからの音を聞きます。

マイクロフォンで捉えたホールのとある位置での音圧の変動波形(音)をソノママ リスナの両耳(モノラルなので)の近傍で再現できれば理想的です。マイクロフォンは無指向性ですから、ホールの残響音も全て捉えています。しかし、実際には、スピーカから離れた位置で聴くリスナの耳近傍にはお部屋の音響効果が相当付加された音が届きます。理想に近付けるには、部屋を無響室にするか、できるだけスピーカに近付くしかありません。また、マイクロフォンは振動板の極近傍の音圧変動だけを捉えるのに対し、スピーカは巨大な空間を励起せねばならず、また低音まで再生できるスピーカの振動板はマイクロフォンに比べて巨大であり、大概は複数のサイズの異なる振動板に帯域分割されるため正確に逆変換できません(マイクロフォンが捉えた音圧変動を周波数、時間、空間領域で理想的に再現できない)。

ここで重要なのは、スピーカを点音源と見立てて全方向に音を放射させたり、一部の楽器と同じような非ピストニックモーションで音を発する事では全くありません。

スピーカがやらねばならない第一のお仕事は、楽器からとある空間内の空気を媒体として届いたとあるマイクロフォン位置の音圧変動をできるだけ正確にリスナの耳近傍で再現(逆変換)する事にあります。それが正確に出来るのであれば、振動板がどのような形態で空気を駆動しようが、どっち向きに音を放射しようが関係ありません。繰り返しますが、弦楽器、管楽器、打楽器、電子楽器、人声等、千差万別のメカニズムで発せられた様々な音は空気中を伝播してマイクロフォンの微小振動板に到達し、その発音原理の如何に一切関係なく一様に振動板の往復振動によって電気信号に変換されます。スピーカのお仕事は、そのような電気信号を逆変換してリスナの耳近傍まで届ける(または耳近傍で逆変換する)という事です。

人間はマイクロフォンのダイアフラムと似たような構造の鼓膜の振動により音を検出します。鼓膜も発音体がどのような形態で振動していようが関係なく空気を通して伝わった圧力変動にのみ反応します。

しつこいですが、根本的に重要なのは、スピーカ自体の発音メカニズムを特定楽器の発音メカニズムに近付ける事ではなく、マイクロフォンで電気信号に変換された音圧変化を逆に変換してリスナの「耳」に正確に届ける事です。

スピーカ単独で楽器に近いとされる発音機構を目指しても、それは徒労に終わるでしょう。マイクロフォンが電気に変換できなかった音の現象は、どうやってもスピーカからは出てきませんし、ナンカ出たとするならばそれは「再生」ではなくタマタマ出たノイズ(または付帯音の一種)に過ぎません。例えば、超音波領域の音が本当に音楽再生にとって重要であるならば(超音波領域の音が音楽表現において真に意味を持つのであれば)、スピーカの再生帯域だけを拡げても意味はなく、マイクロフォンの帯域を拡大すると共にADCのサンプリングレートを高くしなければならないのと同じ事です。

もし、現在のスピーカからリスナーの耳に届く音が理想的ではなく、かつ理想に近付ける必要があると判断するならば、マイクロフォンで拾った音を理想的にリスナの耳近傍で再現するための努力が真っ先に払われるべきなのは当然です(LEANAUDIOでは専らこれに取り組んだ)。それが十分に達成されてもまだ足りないというのであれば、マイクロフォン(音響→電気変換部)あるいは途中の信号変換/伝達/増幅部を改良する必要があるでしょう。スピーカはマイクロフォンが拾えない現象あるいはマイクロフォンが拾っても駆動信号として伝わらない現象を決して正しく再生できません。ナイモンハナイというやつです。

再三申しているように、イヤフォン/ヘッドフォン再生はスピーカ方式に比べて圧倒的に高音質であり、バイノーラル録音方式は現時点において最も理想的で実用的な音および音場記録/再生方式であると言えます。ダミーヘッドの耳近傍の音を録音し、マイクロフォンと同等サイズの振動板(イヤフォン、ヘッドフォン)を使って、部屋の音響特性に一切左右されずに微小なパワーで、リスナの耳近傍(または内部)の非常に微小な空間だけで圧力変動を再現すれば済み、理想的な逆変換に近付ける事ができるためです(乱暴な事を言えば、録音に使ったダイナミック型マイクロフォンを耳穴に突っ込んで信号を逆に流すのに近い)。このため、各種の学術研究分野では一般的にバイノーラル方式が使われます(ステレオスピーカ方式は「再生」機構としては原理的にデタラメなので使えない)。

バイノーラル方式の立体的な音場再現性に耳目が集まり気味ですが、音楽鑑賞においては、音圧波形(音)そのものの再現性の方が僕には重要であるようにも思えます。ですから、ダミーヘッドによる厳密なバイノーラル録音は必ずしも必要ではないでしょう。マルチチャンネルからのミクスダウンでも良いから、ヘッドフォン/イヤフォンで自然に聞こえる処理をしてくれれば十分ではないかと思います。

この方式の問題点は、現在一般的に出回っている音楽ソースがヘッドフォン再生専用に制作されていない事と、装置を直接身に付けなければならない(長時間は鬱陶しい)という点にあります。前者に関しては、スピーカ再生用に作られたソースからヘッドフォン用に信号変換する良質なプロセッサが開発されれば、かなり改善されるでしょう。あるいは逆にヘッドフォン用にオリジナルソースを制作し、2チャンネルスピーカ用に信号変換する事も考えられます。マルチスピーカ(サラウンド方式)は音楽鑑賞用として普及するとはとても思えません(部屋に6本も8本もスピーカを置きたいと思う酔狂な人は少なかろう)。後者に関しては、耳近傍の空間だけを何らかの方法で安全かつ非接触に励起する画期的方法でも発明されない限り、当面はスピーカ方式に頼らざるを得ません。

スピーカ方式に関しては、ニアフィールド方式+密閉型スピーカ+デジタル信号処理の組み合わせにより、かなり理想に近付けられる事を当ブログで再三紹介しました。ただ、音場のサイゲンに関しては、現在のステレオ方式では、どうやっても所詮は駄菓子のオマケレベルに過ぎません。これも、DSPを駆使すれば、理論的にもっとマシなサイゲンが可能になるかもしれませんが、個人的にはそれが重要であるとは全く思えません。それよりも、ステレオ再生を必要と感じない多くのユーザ(部屋のアチコチで自由に聞きたいユーザ)がコスト効率の高いモノラル構成を選択できるようにする方が重要でしょう。ステレオってナニ?という人々にも無条件に2組のアンプとスピーカを強要して代価を支払わせているのが現状です。これは理不尽でしょう。今後ますますヘッドフォン再生が主流になるようであれば、ヘッドフォン用に理想的なオリジナルソースを制作し、スピーカではプロセッサを介して再生するといった方式が現実的かもしれません(ステレオスピーカ用に厳密な音場再現を求めてもソモソモ詮ない事なのである程度テキトーでよい)。僕は基本的にヘッドフォンはバイノーラルまたは擬似バイノーラル、スピーカはモノラルがベストだと思います。

最後に
スピーカは断じて楽器ではありません。それ自体が独自の音を発する物では無いという事です。システム最上流の入力変換装置であるマイクロフォンの逆変換を行うシステム最下流の出力装置(あるいはマシン-マン インターフェイス)です。この点を根本的に認識し尊重しないと進化の袋小路に突っ込むか無限グルグル魔境の虜になるのは必至でしょう。僕の経験では、変換装置として正しく機能すればする程、音は自然に(美しい音は美しく、汚い音は汚く)聞こえ、音楽がより聴きやすく、従ってより快適に音楽を楽しめるようになります。つまり、表現者が作品に込めたジョーカンたらナンタラもより楽に感じとれるようになるという事です。変換/伝達の過程にソーチ設計者なり鑑賞者の身勝手なジョーカンたらナンタラが過剰にブチ込まれれば、表現者本来のジョーカンたらナンタラは聞こえ難くなります。当然ですが。。。

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2012年10月05日 (金) | Edit |
今回は、主にスピーカによる付帯的な音の現象について書いてみます。

僕は「音質」をシューチューして聞き分けるのではなく「音質」なんか気にせずに「音楽」を聴いている時に「気に障る」(違和感を覚える、不自然に感じる、不快に感じる、聞こえ難く感じる)現象を重視します。「オンシツ」を聞き分けたり「ツイキュー」したりするのが目的ではなく「音楽」を快適に聴けるようにする事が目的だからです。「オンシツ」を「シューチュー」して聞き分けている時の聴き方と、「オンシツ」なんか全く気にしないで「聞く」という意識が遠のいて無意識に「音楽」を追いかけて楽しんでいる時の聴き方は基本的に全く異なるように思えます。だいたいライブで聴いている時にナンチャラカンたらテーイたらクーキカンなんざ気にしないですよね。それと同じです。当初、この点がわからず、無駄な試行錯誤をたくさんしてしまいました。

そのように「音楽」を聴いている時に気に障った現象をコツコツと潰してきた結果が現在のZAPシステムです。「気に障る成分」とは、大雑把に言って「ソースには含まれていない余分な音成分」または「ソースとは異なる(ソースから歪んでいる)音成分」です。それらの成分が過剰に含まれていると「音楽」が聴き辛くなるという事です。考えてみれば当然の事です。ソースに記録されている「内容」を楽しもうとした場合、ソースとは異なる成分は端的に言って「ノイズ」だからです。

僕が「付帯音」と言う時、それは主に前者「ソースには含まれていない余分な成分」の事を指します。これには、箱内部の定在波が振動板の前面に透過(伝播)してくる音、箱の表面振動によって放射される音、箱の振動が床や机に伝わって放射される音、バスレフポートの筒自体の共振音、ポートから漏れる内部定在波の音が含まれます。特に、定在波やポートの共振音等、一定周波数の付帯的音成分は長く聴いていると、凄く気になりだします。

例えば、吸音材を入れないと、「音楽」を聴いているうちに、特にピアノソナタで、一定周波数の「コーーーー」という地下鉄で聞こえるようなというかなんというか、気に触る音の癖が耳につき始めます。これはハチマル用語で「箱臭い音」と呼びます。

もう1つの「ソースから歪んでいる音成分」には、主にスピーカの出力特性のロールオフによる低音不足、部屋の定在波による主に低音部の周波数特性の乱れ(ピーク/ディップ)、バスレフポートによる恐らく過渡応答的な波形の乱れが含まれます。前回の記事で書いた位相の遅延による影響も後者に含まれますが、少なくとも僕のフルレンジ+密閉型システムにおいてはそれほどクリティカルであるとは思えません。

例えば、僕はジャズを聴く時、常に半ば無意識にピチカートベースの音を追いかけますが、バスレフ型でずっと聞いていると不自然さが気に障りだして結局穴を塞いでしまいます。また、交響曲の低音部で時々遅れて聞こえるようなボーといういつも同じ音程の変な音が気になりだします。

上記のような現象は、僕の場合、いずれも短時間のシチョー(試聴)ではあまり気になりません。

「気に障る成分」を2つに分類しましたが、これらは結局「ソースの信号波形にソコソコ近い音を耳に届けられれば「音楽」は聴きやすくなる」に帰結します。マニア達がツイキューするいわゆる「良い音?」になるのではありません。そこに記録されている「音楽」が自然な音で聴きやすくなる、そこに記録されている「音楽」の全体と細部をより楽に聴き取れる感じ取れる楽しめるようになるという事です。

そのようにして現在までに施した具体的な対策を以下にざっと上げてみます
○ ニアフィールドリスニング(部屋の影響の低減)
○ 密閉型(低音のたぶん単純な遅延ではなく動的挙動の改善、付帯音の低減)
○ 吸音材たっぷり(付帯音の低減、恐らく低音の動的挙動の改善)
○ 箱のアホみたいな補強(そこまで必要かは不明、たぶんヤリスギ)
○ DSPやアナログイコライザによる低音ブースト
○ 密閉型パワードサブウーハによる低音補強
○ DSPやアナロググライコによる特性のフラット化、ピーク/ディップの緩和
○ スピーカをデスクトップに置かずに窓枠に固定
○ 左右SP間距離を縮めるまたはモノラル化(おそらく左右間の干渉の低減)

これらの対策のおかげで、最近は音楽を聴いていて気に障るところも無くなったためネタ切れ状態です。低ビットレートのラジオを聴くために真空管アンプを復活させた事くらいでしょうか。。。。TONO君用のTU-870をオークションでお安く落札しました。結局これが一番安上がりですね。

真空管アンプを使うという事は、歪みを付加している事になるわけですが、これはあまり気になりません。恐らく箱の定在波やポートの共振音とは異なり特定周波数だけに発生する共振現象ではないからだと思われます。楽曲によっては聴きにくく感じる事もありますが、低ビットレートのラジオを聴くにはとても効果的なような気がします。

次回は、付帯音に関連する計測データをいくつかご紹介できれば。。。と思います。キガムケバ。。。

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2012年03月03日 (土) | Edit |
以前の記事に、「オーディオ界にとっての悲劇は、本当の意味での専門家が不在である事」だと書きました。その結果、ハチマルには魑魅魍魎が跋扈する魔界と化しているように見えると。。コレはある意味、「しっかりとした基本になる規範や基準が無い」と言い換える事ができるかもしれません。

この規範には、ハードウェア面とソフトウェア面があると思います。

ハチマルが言うところの「ハードウェア面」とは、純粋に技術的な領域であり、装置の性能(物理特性)に関する領域です。これは分かりやすいですね。

一方の「ソフトウェア面」とは、「音楽とは何なのか」「音楽を聴くとはどういう事なのか」「真に音楽を楽しむには何が重要なのか」「音楽家は聴衆にどのように聴いて欲しいと考えているか」等々、「音楽」そのものに関する洞察から、ひいては「オーディオ装置の本来の目的とは何なのか」「それを達成する上でまず重要な事は何なのか?、次に重要な事は何なのか?、その次は?、そのまた次は?」「オーディオ装置には最低限どのような性能が必要なのか」「大多数の人々にとって必要十分な実用的性能とは何なのか」「高級機であるならば、望むらくはどのような高性能を備えるべきなのか」「音楽-オーディオを通して人々の幸福にさらに貢献するにはどのような技術的課題に取り組むべきなのか」。。。といったような事です。

「ソフトウェア面」は極めて抽象的であり、絶対的な「正解」はあり得ませんし、いろいろな考え方があって良いと思います。しかし、この面をしっかりと真面目に思考しない限り、健全な「ハードウェア」にたどり着けるわけがありません。「技術」とは総じてそういうものです。本来「玄人さん」であるべきオーディオ装置の開発/製造/流通に携わるプロフェッショナルと、大衆に広く影響を及ぼすジャーナリズムが、そのような思考を放棄し、大衆(マニア)と一緒になってドシロート化てしまっているのが現状ではないでしょうか。

本来、オーディオ界から音楽界に対して「謙虚」にアプローチして、上記の理解を深める努力を重ねる事が必要なはずです。この際、何よりも「音楽」に対して「謙虚」である事が重要でしょう。何故ならば、オーディオ装置とは、表現者から鑑賞者へ「音楽を伝達する」ための装置だからです。何故ならばオーディオ界とは音楽界に従属する領域だからです。オーディオマニアの言動の端々には、「音楽に対する傲慢さ」が見え隠れし、ドキッとさせられたり、違和感や嫌悪感を覚える事が多々あります。これらは結局、この業界の玄人さん達の意識レベルをそのまま反映しているように思えます。

ハチマルは、一音楽ファンとして、「音楽界」「オーディオ界」「関連学会」が一体となって、オーディオ装置に関するガイドラインを明確にする事を望みます。

すなわち、非マニアの一般音楽愛聴者が安心してオーディオ装置を選んで購入できるようにするための基準です。現在のザッシやマニアやショップ店員の発言はあくまでも「マニアック」領域に強く偏向しているため、一般リスナーにとっては何の参考にもならぬでしょう。そもそも「音楽の聴き方」あるいは「主たる興味の対象」が根本的に異なるわけですから、参考になるわけがありません(魔境に見える → ミニコンポでいいや → 真面目に作られていない → コストの問題ではない → ハチマル激怒!→ LEANAUDIO)。

これは、「装置がこの基準を満たしていれば、必要十分に「音楽」を楽しめますよ」という最低限の真面目な基準です。どのような技術分野においても「大部分にとっての必要十分」を広い視野で総合的に見極める事が非常に重要です。「技術」とは即ちそういう事だと言い切っても良いかもしれません。この見極めが正しければ必ず良い結果が得られます。これを誤れば、如何なる技術的努力を払おうとも無駄骨に終わります。妥協せずにどこまでも理想を追求する方がどれだけ楽で単純な事か。それが許されるのはアマチュアの趣味の世界だけです。そうは行かぬのが玄人さんの辛いトコロでもあり、責任でもあります。そういう意味でも、CDの基準の策定は当時の技術レベルから考えて極めて妥当な玄人さんの判断であったと思います。大多数の人々がその音質と利便性に満足したと言って良いでしょう。

この基準の策定にあたっては、極めて多数の音楽家、音楽評論家(断じてオーヂオヒヨウロンカではない)、一般音楽愛聴者(断じてオーヂオマニアではない)を含むリスニング評価も必要でしょう。そのような大々的なリサーチの結果を反映して、装置に求められる性能基準を定め、それらに基づく認証を実施しては如何かと思います。また、基準にいくつかのグレードを設けても良いと思います。これらの基準を満たしても、装置のオンシツ面、デザイン面、機能面の個性が完全に失われる心配は全く無いでしょう。ユーザは、それらの基準を満たす製品の中から、自分の好みに合う製品を選ぶ事ができるはずです。

リサーチの結果がどのように出るか分かりませんが、ハチマルが思うに、それらの基準を満たす装置は、現在のハイエンドと呼ばれる装置に比べて、大幅に低価格で実現できるはずです。少なくともスピーカを除く電気/電子装置については、驚く程低価格でも十分という結果が出るかもしれません。現在のハイエンドと呼ばれる領域の装置は、「音楽を正確に伝達する」「音楽を再生して楽しむ」という本来の目的とは全く別の領域での極めて趣味的で微視的な「好み」や「拘り」の部分(彼らの言うところのオンガクセーってやつか?)の「ツクリコミ」に大きなコストが割かれているように思われます。普通に考えれば、そんなアホみたいな価格になるはずがありません。その部分を必要としない一般音楽愛聴者にとっては「無用の長物」の感が強いように思えます。

だいたい、関連基礎技術が成熟した現代において、オーディオ装置の開発に要するコストは、他の業種(例えばカメラ)に比べて圧倒的に低いはずです。開発に要するリソース(人員、設備)だって本当に微々たる物で済むはずです。

現代の電気/電子技術において、音楽信号の増幅なんぞは超ローテクの部類に属するでしょう。技術屋の腕の見せどころは、信号入力からリスナーの「耳」までのトータルシステムでアプローチし、「音楽」を楽しむために真に必要十分な再生性能を、コンパクトかつ低コストに実現する事にあります。インダストリアル デザイナー達にも存分に腕を振るって欲しいと思います。「音楽」を取り巻く環境(オーディオを含む)は、若者にとってクールでカッコイーものであって欲しいと願います。それがマズ重要ではないでしょうか。

このような動向により、高価格品が売れなくなると危惧する向きもあるでしょうが、健全なマーケットは必ず発展するはずです。このままではジリ貧でしょう(団塊世代と心中する気?)。次世代にきちんとした文化を遺すのが世のプロフェッショナルなオッチャンの責務ではないでしょうか?

追記
上記にはマニアック オーディオの領域は含まれません。この領域はこの領域で永遠に存続するでしょう。それが「趣味」「マニア」の領域というものです。それはどの業界でも同じです。ですからご心配なく。上記はマニア領域を侵害する物では決してありません。マニアも上記の領域に決して侵害してはなりませぬ。誇り高きマニアには静観して頂ければと思います。

追記2
Alpair 10のプッシュプル式サブウーハの方は、テキトーに調整してiTuneとラジオを聴いていますが、とっても OK!なのでワザワザ計測する気がしない。。今週末には計測して記事を書きたいと思うのですが。。。。。。気持ち的に開発は完全終結しています。。そうすると途端に興味を失うというのがハチマルの性格なんです。昔から。。。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2011年11月13日 (日) | Edit |
3回シリーズの最終回です。

僕の言う「音楽再生クオリティ」と「オンシツ」の区別はお分かり頂けたでしょうか。両者は往々にして無関係あるいは相反さえするものであると言えます。この業界を見ていて違和感を覚える一つの要因は、この2つが明確に区別されておらず、さらに極端に前者を軽視する傾向にあるという点です。

オーディオ装置で「音」ではなく「音楽」を本当に楽しもうとする場合、「音楽再生クオリティ」は非常に重要であると思います。「オンシツ」の前にまず「音楽再生クオリティ」ありき、と僕ははっきりと断言できます。これは別に理屈だけで言っているのではなく、LEANAUDIOの開発を通して実体験を基に得た結論です。何も知らなかった当初は、確たる理論的方向性も全く持たず、とりあえず普通のバスレフ型から始め、毎日仕事しながら長時間「音楽」を聞いている中で、「音楽」が快適に聴き取れるように、「音楽」が自然に聞こえるように、アレコレ迷走しながら手を尽くしてきた結果として、気が付いたら「耳」に届く音波波形がソース波形に近付づいていたという事です。後から考えれば、これは全くアタリマエの事です。何故ならば、僕はそこに記録されている「音楽」(アーチストさんのやらはった事)を聞きたかったからです。今にして言える事なのですが。。。それに、そもそも僕には、この方が主観による「オンシツ」的にもずっと良く聞こえます。「良い」とはすなわち「自然だ」という事です。それを無理矢理「変える」必要性は全く感じません。

僕は、アーチストさんが響きのある音を録音されはったのなら響きのある音を聴きたいですし、アーチストさんがササクレだった音を録音されはったのならササクレだった音を聴きたいですし、アーチストさんがとっても低い音を録音されはったのならその音をはっきりと聴き取りたいですし、アーチストさんが絶妙のノリで弾かはったビートはその絶妙なノリのままで聴きたいですし、アーチストさんが深く沈潜して感情を抑えて出さはった音には勝手なジョーカンとやらを一切追加されたくありません。アーチストさんがやらはった事を自然な音で素直に「よく」聴き取りたいと願います。また、そのように聞いてツマラナク感じられる音楽は敢えて聴こうとはしません。「音」をどうツマルように装置でイヂろうが、僕にとってツマラナイ「音楽」がツマルようになる事はありません。「音」そのものは主たる興味の対象ではないという事です。このため過剰に「オンシツ」が含まれた再生音は非常に鬱陶しく感じられます。

僕は、会社を辞めてフリーになってから、翻訳で生計を立てながら、もうひとつの夢であった写真表現に8年間ほど真剣に取り組み、幸い何度かかなり立派なところで作品を公にする機会も得ました(でも、そこからさらに先へ進む道が見えず、数年前に完全に休止)。その経験もふまえて思うのですが、もし僕が音楽家であって、丹精込めて録音した作品を媒体に載せて世に問うたとした場合、僕はやはり、できるだけ素直に、要らぬ事を考えずに、僕の感じ取ったナニカ伝えたかったナニカを、できるだけたくさん感じ取って欲しいと願うでしょう。静謐な精神状態で深く沈潜して出した音に勝手にジョーネンとやらをブチ込まれたのではたまったものではありません。そういう意味でも、これから音楽を真剣に聴こうと思っている若い人達には、まずはあまり「オンシツ」を深追いせずに、基本的に音楽再生クオリティがしっかりとした装置で素直に音楽に接して欲しいなぁと思います。。

ただ、そういう、本当の意味での真面目な(音や装置そのものを趣味とする者のためではなく、音楽をより良い状態で聴きたいと願う者のための)、リーズナブルな価格とサイズの、クオリティの高い音楽再生装置が市場に出回っていないのが残念で仕方ありません。つまり、「現実的な実用状態」を考えた場合、現在のオーディオ装置では誰もがアタリマエのように十分な「音楽再生クオリティ」を安価に楽しめる状態にはなっていないという事です。この本来最も重視されなければならない問題を放ったらかしにして、極めて趣味的/微視的な「オンシツ」の富士の樹海に彷徨い込んでいるのが、現在のオーヂオ業界の現状のように見えます。

再三申しているように、西洋音楽を真に楽しむ上で十分な低音再生能力は非常に重要です。しかし、そのような低音を再生しようとすると、巨大で高価な装置が必要となり、そのような装置を一般的サイズの何も対策していない部屋で使用する場合、今まで散々述べたように、十分な「音楽再生クオリティ」を得るのは容易な事ではありません(一般人の常識では不可能)。すなわち、マトモにオウチで再生音楽を楽しもうとした場合、部屋を含めて巨額な投資とそれなりの経験や知識および多大な努力が必要になるという事です。現在の世の中の技術レベルから見て、これはとんでもない業界の怠慢としか僕には見えません。犯罪と言っても良いと思います。

さて、「オンシツ」の領域ですが、これは「趣味」として楽しくもあるのでしょうが、行き過ぎると恐ろしい領域でもあります。一般人は余り深く踏み入れてはならないコアな領域(魔界)であると言えるでしょう。恐ろしいのは「良いモンは良いのです」と言ってしまえる点にあります。原理も分かりません、データもありません、でも良いんです。このステッカーをはると、ナンタラエネルギーの流れによってオンシツが良くなるんです。中身の機能部品は2万円の製品と同じですが、ケースが違うこの製品はオンシツが良いので200マンエンなんです。。。買って効果が感じられなくても、それはあなたの耳が悪いんです。。。。前の記事でも書きましたが、そもそも「オンシツ」は「クオリティ」とは無関係ですから高品質(高価)な物を使った方が良くなるというものでもありませんし、逆に特性的に低品質な方が珍重されたりもします。値段の付けようのない領域とも言えます。もちろん芸術は正にそういう領域ですが、一般人向け工業製品としては基本的に踏み入れてはならない領域です。また、一流と自認する雑誌が安易に取り上げて良い領域でもありません。例えばモーターファン誌が怪しげな馬力アップ アクセサリに対して言及しないのと同じです(広告は載せてますけどね)。そのへん用はそのへん用の雑誌が別にあります。

ただし、このような領域が、一般人には計り知れぬ一定の価値観を共有するコアな人々に限定され、彼ら自身もまた周囲も、それが一般的に普通とは言えないコアな領域である事を重々認識しており、そのようなコアな人々のコミュニティ的な(いわゆるニッチと言われる)マーケットが存在し、その分野を生業とする小規模業者が居ても全く問題ありません。これはだいたいどこの業界もそうです。しかし、業界全体が「それがオーディオなんです」と居直った瞬間に、オーディオとは一般人にはとても近寄れない魔界となります。実際、僕の音楽好きの友人達は今の「オーディオ」には近付こうとしません。

例えば自動車業界でも、旧車マニア、スーパーカーマニア等が居て、それぞれニッチなマーケットを形成し、それぞれのコミュニティーで楽しんでいます。それが文化というものです。しかし、一般の人にとっての「自動車」とは異なる、興味がなければ全く関わりのない特殊な領域である事は、どちらの立場に居る人もアタリマエとして認識しています。そのようなコア人達が普通人に「クルマとはこうでなくてはならない」と高言する事はまずありません。半ば自嘲気味なニュアンスさえ含めて、とんだ道楽ですが好きだからやってるんです、と言うでしょう。

これに対し、オーディオ業界で問題なのは、当事者も周囲も、専門家も末端ユーザも、そのようなコアなオーディオおよびマニアがオーディオの頂点であり(なんかやたら偉そうにしているように見える)、そこから一般人用の安価なものほどグレードが落ちるというヒエラルキに囚われている点にあります。このような考え方は専門家、ユーザを問わず、この分野の人々の発言に如実に見られます。だから「マトモニオンガクキクナラサイテーヒャクマンエン」などという発言が一般人に対して吐かれ、一般人はキモを潰して立ち去る事になります。本来、別にマニアのオーヂオがイチバン偉いわけでなく、それは特殊な美意識を持つ、それ自体を趣味とする、本来の用途から逸脱したかなり特殊な人々のオーディオであり、オーディオにはそういう楽しみ方の一面もあるというに過ぎません。僕が思うに、現在そのようなオーディオをやっている人でも、元々は音楽をよりよく聴くために上等のオーディオ装置を買ったのに、雑誌等の情報がかなり偏っているために、また周囲のベテランと称する「オーヂオ道?」のお師匠サマ?にキミ、コレジャーゼンゼンダメダヨとか言われ、「オーディオとはそういうもの」と端から思い込まされ、本当に自分はそのように音楽を聴きたいのかどうか、自分自身定かではないという方も少なからず居られるのではないでしょうか。

「音」ではなく「音楽」を真っ当に楽しみたい人々向けの、本当の意味でクオリティの高い、生活に自然に溶け込む家庭用電化製品としての「音楽再生装置」がしっかりと進化し、普通の人々が何も拘らなくても交響曲の低音の唸りやジャズの絶妙なビートのグルーブを存分に楽しめるようになって欲しいと僕は願います。それがこの業界のホンマの使命ちゃうのん?

これはマニアックなオーディオとは全く別の普通に真っ当に「音楽」を楽しみたい人々のための領域です。この領域のクオリティを真面目に高めないと駄目でしょ、それが業界の社会的責務でしょ、道楽向けのお下がりみたいなのじゃ困りますよ、と言っているのです。従って、そのような領域の動向に対し、コアなマニア様がご高言を吐いてはなりませぬ。それは例えばクラシックカー マニアがハイブリッド車に対してアーダコーダ言うようなもんです。しかし、自動車が全て電動になろうとも、例えF1がモータで戦われるような時代になろうとも、クラシックカー趣味は永きにわたり存続し、さらにピュアでコアな領域となるでしょう。ですから、現在マニアックなオーディオを趣味として楽しんでおられる方も、何も心配はいりません。それが真に自分にとって楽しいのであれば堂々とやれば良いと思います。それが趣味というものです。しかし業界全体がソッチばかり向いていて本来の使命を疎かにしては困るという事です。チョートクさんだってオシゴトにはデジカメ使います。そういうもんです。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2011年11月10日 (木) | Edit |
今回は、電線と並ぶ代表的アクセサリであるインシュレータと音質について考えてみたいと思います。ここでは、スピーカ用のインシュレータだけを考えます。

「音楽再生クオリティ」の観点からは、下記の2点を満たすインシュレータが理想的であると言えます。
1) スピーカボックスの振動を支持体(床またはスタンド)に一切伝達しない事(機械的振動の完全な遮断)
2) スピーカを完全に固定できる事(ドライバの反動でボックスが運動しない事)

1)はスタンドや床の振動による付帯音を除去するためです。2)は柔らかいインシュレータでフローティングした場合に、振動板の運動が箱の運動によって相殺されないようにするためです。現実的に2)がどの程度音質に影響するのかは不明です。振動板に対して箱が十分に重ければ無視可能だと思われます(Alpair6Mの等価振動系質量は約3gであるのに対し、ポチ型ボックスは約2500gですから質量比で約800倍あります。さらに箱に重しを載せると改善されます。どなんすかね?要検討です)。

今回は1)に関してのみ考えます。

オーディオ用に出回っているインシュレータの多くは、金属製のスパイクや木または陶磁器でできた比較的堅いブロックです。これらは、柔らかいゴムや樹脂とは異なり、振動の吸収または遮断を主目的としたものとは思えません。特に、このような堅い材質では、振幅の大きな低周波振動を殆ど吸収/遮断する事はできないでしょう。

以前の記事でも紹介しましたが、「逸品館」さんのサイトに掲載されている興味深いコメントを下に再掲します。

インシュレーターに求められるのは「振動を抑制する能力」ではなく「響きを調和させる能力」なのです。響きを抑制するためだけなら、ブチルゴムやソルボセインなどの響きを完全に吸収するゴム系のインシュレーターが最適だということになりますが、振動を殺すだけでは音の生気が殺がれ鬱々としたおもしろみのない音になるというのは前述したとおりです。

つまり、スピーカボックスの振動を適度または積極的に支持体(スタンド、床)に伝達する事によって、そいつらまで振動させてしまおうというのが狙いのようです。また、スピーカボックスの底面をぺったりと支持体に置くよりも、ボックスが自由に振動できるという効果もあるのでしょう。形状や材質によって振動の伝達特性(周波数-伝達率特性)は明確に変わる事から、トッカエヒッカエすると如実に「オンシツ」も変わるため、アクセサリとして人気があるという事だと思います。インシュレータ自体の表面積は小さいため、インシュレータ自体が発する音の影響は小さいと思われます。

そのような振動の伝達を柔らかめの材質で遮断した方が明らかに付帯音が減る(すなわち「音楽再生クオリティ」は向上する)と思われますが、それでは耳に届く付帯的「響き」が減少するため耳寂しく聞こえるので、一般的に敬遠されるようです。この「響かせ好き」傾向は、オーディオを「趣味」とされる人々に典型的に見られる傾向のように思えます。僕にはある種「響き」の中毒症状のように思えなくもありませんが。。。

僕はスピーカをデスクに置いていたのでよくわかるのですが、木製の円錐ブロックをインシュに使うと、デスク板が振動して音が濁るだけでなく、低音振動がもろにデスク板から手に伝わって気色悪く感じました。このため、オーディオテクニカ製の柔らかいインシュを追加して対策していました。これにより音の濁りは改善されましたが、それでも低音部で微妙に振動を手に感じました。現在はスピーカを窓枠にガッチリ固定して、デスクへの直接的振動伝達を完全に遮断する事により、非常に良好な結果を得ています。しかし、この状態ですら、特定の低音で、おそらく機械的な振動伝達ではなく音響波の伝達によって(すなわち空気を媒介とする伝達で)デスク板が時々微妙に振動します。部屋の床と大型サイズ スピーカの関係は、このデスクトップでの現象をスケールアップした状態であると言えます。

余談ですが、円錐スパイクとスパイク受けによる支持方法は、大型の排ガス分析計の脚に使用されていた記憶があります。このような構造による垂直方向および水平方向の振動伝達率の周波数特性をネットで探しているのですが、見つかりません。どの程度の周波数から効果が出るのか興味があるのですが。。インシュメーカにはこのへんのデータを提供して欲しいものです。

インシュレータに関する宣伝文句やレビュー記事には注意が必要です。このようなインシュレータの効果は、専ら主観的「オンシツ」に関わるものであり(クオリティとは無関係なヒトスキズキな現象であり)、周辺条件に大きく依存する現象(すなわち、その時使ったスピーカ、その時使ったスタンド、部屋の床や壁の構造等によって大きく影響される現象)であるからです。そこに書かれている効果と同じ効果が自分の環境でも得られるかどうかの保証は全くありません。

すなわち振動の様相は、インシュレータを挟む両側の物理的状態によって千差万別だという事です。従って、基本的に高価な材質を使った方が音が「良く」なる(自分の好きなオンシツになる)というものではなかろうと思われます。それこそ、コインや木片や布やゴムやビール瓶の王冠やナンヤカンヤ、堅いの柔らかいの三角や四角や、片っ端に組み合わせて試してみれば良いのではないでしょうか(もしプラシボ効果を完全に排除できるならね)。何故ならば、そこに普遍的な理想状態があろうはずもないからです(他方、冒頭で述べたように、「クオリティ」という観点の理想状態は明らかであり、それは完全に振動を遮断する事です)。

以下ではスピーカの設置方法と周囲の振動について、具体的な例を挙げて考えて見たいと思います。

例として、タンノイの古典的大型スピーカ(オートグラフ等の箪笥みたいなやつ)を想定します。これらのスピーカは、箱を積極的に振動させて(鳴かせて)音づくりをしているとされ、一般的にセッティングが非常に微妙だと言われています。つまり、部屋の中の設置場所または設置方法で音が大きく変わるという事です。

これは置き場所によって床や壁の振動形態が大きく変わるためだと考えられます。例えば床ですが、多くの場合、床は全面がべったりと均質に支持されているわけではなく、何本かの支柱で支持された下地床、または、支柱に差し渡した構造材(根太)の上に張られているため、どの位置に振動を入力するかによって、床の振動形態(周波数、振幅)は大きく変化するはずです。

また、壁に近付けるにつれて、床から壁に機械的に伝わる振動だけでなく、振動するボックスの表面と壁の間に形成される空間も音響特性に大きく影響するはずです(ボックス表面から壁に音響振動が効率良く伝達されやすくなる、とにかく面積が大きいので影響も大きい、平行であれば定在波も影響するかもしれない、コーナー型は2面が影響)。

箱がシッカリ制振されたスピーカであれば、音響波は開かれた空間(すなわち部屋の中央)に向けてのみ直接放射されるため幾分ましでしょうが、このように箱全体を積極的に振動させている巨大スピーカを普通の部屋に設置する場合、部屋の影響には特に注意が必要だと考えられます。せっかく精妙に作り込まれた箱なのに、このような部屋では自分の部屋の鳴りを盛大に聞かされる事になりかねません。本当の箱の鳴りを聴こうとするならば、設置場所近くの床の補強と制振および壁の制振を施した上で、床への振動入力を極力遮断するために、振動遮断性の高いインシュレータを使用する必要があるかもしれません。ただ、重量が重量なだけに、十分な振動遮断効果を得るのは簡単ではないかもしれません。出来るならば、床下からスピーカ設置用のコンクリート基礎を床面まで立ち上げたいところです。これにより、僕がスピーカを窓枠にガッチリ固定して、デスクトップから振動的に完全に分離したのと同じ効果が得られます。

部屋が鳴らなくなると「響き」が減って、最初は耳寂しく感じるかもしれませんが、それがそのスピーカ本来の響きだという事です。歴史に残る名機であればこそ、精妙に作り込まれた鳴りを伏して拝聴してみるのも悪くないでしょう。この種のスピーカはある種それ自体が貴重な「作品」であるわけですから、音楽を「作品」として鑑賞するのと同様に、その時代の技術屋と職人の「表現」を素直に鑑賞してみるのも素敵かもしれません。

50年代のイギリスまたはアメリカでそのような超高級スピーカを購入するような顧客層の住環境は、きっと本物の暖炉があって(床には虎の毛皮?)、壁には勲章なんか付けたお髭のエライご先祖様の肖像画の1枚や2枚は掛かっていそうな邸宅ではないかと思われます。我々の現在の標準的住環境からは、広さおよび構造ともにあまりにかけ離れているのではないでしょうか。そのスピーカの本当の音を愛でたいのであれば、相当な対策を覚悟する必要があるかもしれません。むしろ、畳敷き塗り壁の純和風家屋の方が、このようなスピーカの響きに耳を傾けるには向いているのかもしれません。特注サイズの畳インシュレータシートなんかどうでしょうか。畳屋さんのサイドビジネスとして。。。

しかし部屋というのは厄介です。大型SPを狭い部屋でそれなりの音量で使用する場合、音響面(吸音、反射等)だけでなく機械的振動面での対策も重要となるでしょう。その1つの対策として、インシュレータによる振動遮断が重要となるはずです。

次回はシリーズ最終回として「音楽再生クオリティ」と「オンシツ」に関してまとめてみたいと思います。

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以下参考資料です(出典)
マンションの場合
マンションの床の構造には、大きく分けて「直貼り」と「2重床」の2種類があります。

「直貼り」は、建物の構造体である鉄筋コンクリート床スラブの上に、モルタルを塗り、その上に直接、フローリングを貼る方法です。

「2重床」は、文字通り2重になる床です。鉄筋コンクリート床スラブの上に、束という支柱を立てパーティクルボードなどで床下地をつくり、その上にフローリングを施工する方法です。スラブと下地の間は空間ができるので、遮音性や断熱性が向上するといわれています。また、この空間に給水給湯配管や電気配線を通すことができ、配管のメンテナンスも容易になります。

戸建ての場合
戸建住宅のフローリングの張り方は、主に「根太貼り工法」「捨て貼り工法」の2種類があります。

「根太貼り工法」とは、根太の上に接着剤と釘でフローリングを張って仕上げる方法です。

「捨て貼り工法」とは、根太の上に合板などを下貼りし、その上にフローリングを施工する方法です。床の構造を安定させ、床下からの湿気を防止するために施工されます


テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2011年11月08日 (火) | Edit |
もうお気づきかと思いますが、僕は音楽再生にまつわる「音質」を「音楽再生クオリティ」と「オンシツ」に分けて考えています。前者については今まで繰り返し説明してきたので、ここでは詳しく述べませんが、簡単に言えば音楽の総合的な再生品質を表します(ソースの信号を時間ドメインおよび周波数ドメイン的にどれだけ正確にリスナーの「耳」に届けられるか)。従って、この指標は客観的に表す事ができる指標です(とはいえ、僕はかなり大ざっぱに捉えていますが。。)。

さて、もう一方の「オンシツ」ですが、これは専ら主観(好みや感覚)に依存します。従って、この場合の「音質」の「質」は「品質」(クオリティ)というよりは「性質」(キャラクタ)の「質」に相当します。「音調」と言って良いかもしれません。数回に分けてこちらの「オンシツ」について考えてみたいと思います。

今回は、アクセサリの代表格である「電線」を例に考えてみます。

さて、電線で音は変わると人は言います。海外のオーディオ雑誌は、日本とは異なり、ジャーナリズムとしての役割を認識しているのでしょう。一時期、高価な電線の効果について海の向こうでも話題なった際に、各所で様々なブラインドテストが実施され、僕の知る限り、有意な差が出たという結果を見た事がありません。それでも多くの人々が絶対に音が「変わる」と言うのですから、実際に変わっているのだろうと、僕は素直に考えています。

僕も一応、FOSTEX製のスピーカ用電線とホームセンタで買った普通の電線を比較したり、信号ラインの電線を2000円のと700円ので比較したりしてみたのですが、つなぎ変えている間に前の状態を忘れてしまうので、違いはよく分かりませんでした。けど一応気分の問題として、そこそこ見栄えの良い電線を使っています(信号ラインにオーディオテクニカ製、スピーカ用にベルデン製)。そこまで微小な音の違いをワザワザ聞き分けようとする執念がソモソモ僕には欠落しているようで、安物の電線でも「音楽」を聞いている時に違和感や不快感を別段覚えません。。。電線をトッカエヒッカエしながら、微細な音の違いが分かるというのは、それはもう見上げた執念だと思います。

ここから本題です。
信号を伝達する電線の理想状態は「無い」状態(すなわち長さが限りなくゼロに近い状態、つまりLもCもRもその他何らかの物理特性もゼロの状態)です。例えば、電線の長さを半分にした場合、確実にLもCもRも半減し、それだけ理想状態に近付きます。これは電線としての信号伝送「クオリティ」が改善された状態であると言えます。ただし、果たして現実的な状況で、その違いを音質として感知できるのかどうかは、また別の問題です。。。

しかし、ともあれ、電線を交換する事によって、それほど多くの人が、そこまで断定的に「変わる」と言える程に明確に音が変わっているとするならば、それは電線によってLなり、Cなり、Rなり何らかのブツリ特性が、それなりの大きさで変化していると考えざるを得ません。そこで疑問となるのが、音が「良く」なるとされる高級な電線ほど、LもCもRも何らかの不純的ブツリ特性も減少して、信号伝送体として理想的状態に近付いているのか(すなわちクオリティが向上しているのか)?という事です。電線の長さを半分にしたら、各種物理特性は確実に半減するのですが、音が凄く良くなりました!という報告を聞いた事がありません(半減というのは決定的変化です)。

ある程度のレベルのオーディオ用電線(例えばプロがスタジオで愛用する電線)のレベルまでは、物理特性もそれなりに向上していると思うのですが、それ以上の超高価格電線というのは、「音」を変えるために、あるいはなんらかの「音調」を付加するために、恣意的に何らかの物理特性を「追加」している(すなわち「クオリティ」を恣意的に落としている)のではないかと僕は考えています。

仮にそうだとして、そのような電線によって「音」が変わった場合、それは「変わった」というだけであって「信号伝達クオリティ」が、すなわち最終的に「信号再生クオリティ」が向上したわけではありません。つまり、それで音が「良く」なったと感じるかかどうかは、全くその人の「好み」の問題だという事になります。これを僕は「オンシツ」と呼びます。

同様の事は、アンプ等で珍重されるコンデンサについても言えます。オーディオの世界で「音が良くなる」と言われるコンデンサの多くは、純粋な電気的特性としては落第品だという事を聞いた事があります。すなわち、コンデンサとしての純粋なCの成分以外に、付帯的な物理特性を多く含んでおり、例えば厳しい精度や特性が要求される精密電子回路での使用には適さないという事です。このようなコンデンサをアンプ回路内で使用するという事は、増幅信号の「クオリティ」を恣意的に落としているという事になります。これも「オンシツ」の範疇の現象であると言え、さらに言えば、半導体アンプに比べて特性が明らかに劣る真空管アンプや動的性能に明らかに劣るビンテージ ドライバが珍重されるのも同様に「オンシツ」の領域です。

人間はある程度雑味があった方が美味しく感じる場合があるというのは確かだと思います。ただ、「音楽」(アーチストさんのやらはった事)を素直に聴こうとする場合、味付けが過剰だと非常に鬱陶しく感じられます。これは肝心の「音楽」の味が分かりにくくなるからだと思います。酷い場合、バッハの無伴奏チェロが僕にはムード歌謡のイントロのように聞こえる事があり、これには堪えられません。カラオケ化現象? まあ、何事もホドホドにという事でしょう。

僕は電線の違いを聞きわける事はできませんが(あるいは敢えて努力して聞き分けようとはしませんが)、スピーカ開発を完全に終結したら、とりあえず安心のためにプロの世界で実績のある電線に交換してみようかなぁ。。と考えています。プロは無駄な事にはビタ一文出しませんが、必要な事には湯水のようにお金をつぎ込みます。そういうプロが使っている電線なら間違いないだろう。。という素人考えですけどね。コチラ(オーディオケーブル市場さん)では、プロ用の電線にコネクタを付けて売ってくれます。プロ用はアホみたいに高価ではありませんし。

これらの「オンシツ」は全く個々人の「好み」に依存するものであり、実は驚いた事に、往々にして「音が変わる」というその事自体が珍重される傾向にあるようにも見受けられます。

この領域は物理特性として表す事ができず(本当はある程度可能なはずだが、その努力は全く払われていない)、効果も極めて主観的であるため、売る側は「音が良くなるんです」と言いたい放題であり(本人が実際そう信じているのだとは思うが、それは全くの彼の「主観」である場合が多い)、価格も「良いから高いんです」となる傾向もなきにしもあらずであるため、ユーザには冷静な判断が求められます。やはり、ジャーナリズムができる範囲で定量的評価なり、ブラインド評価なりを行って、ユーザに正確な情報を提供する事が必要ではないかと思います。市場が健全でない限り、その市場の発展は望めません。

そもそも「オンシツ」は「クオリティ」とは基本的に無関係であり、「上等な」(高価な)素材や構造を使ったから「好きなオンシツになる」というわけでもないため、逆に「とんでもない低級品を使ってみたら「好きな」オンシツになりました」という可能性すらあると考えて良いと思います(逆プラシボ効果を完全に排除できるならね)。それこそ、ブラインドで評価したらクリーニング屋のハンガーの方が10万円の電線より「オンシツが良い」と感じる人が居ても全く不思議ではありません(実際に海外ではそういうブラインドテストが行われたらしい)。

また、ユーザ自身、オーヂオ装置をイヂル場合、今自分がやっている事が「クオリティ」の領域なのか、それとも「オンシツ」の領域なのか、さらに言えば「変わった」または「変わったように感じられる」事を喜んでいるだけなのか、をはっきりと区別して認識する事も重要だと思います。僕の経験では「オンシツ」の領域は楽曲、気分、環境条件、飽き等でフラフラ変動し、深追いするとキリがありません。これを僕は「富士の樹海」と呼びます。結局どれも決定的ではないため、富士山の麓をグルっと回って元に戻る事が多いように思います。そこで止めないと、何周でも同じトコロをグルグル回りだします(正に富士の樹海だね)。目指すべきは高度(=ほんとのクオリティ)を上げる事、すなわち、螺旋を描きながらでも良いから頂上(=理想)を目指して登る事です。頂上の方向を見失わない事が重要です。何事も。。。

僕が最近スピーカ開発の終結を考えているのは、当初漠然と思い描いた目標高度に達したためです。また、これ以上高度を稼ぐ必要性を今のところさして感じないためです。

次回は、電線に並ぶ人気アクセサリであるインシュレータを例に考えてみたいと思います。

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2011年11月05日 (土) | Edit |
ぼくは「音楽再生クオリティ」と「音楽の聴きやすさ」を強調します。要は、ソースの波形をある程度正確に「耳」に届ける事ができれば、「音楽」の内容(アーチストさんがやらはった事、言わはった事)を聞き取りやすくなるという事です。最終目的は「音」ではなく「音」で表現された「音楽」をより良いクオリティでリスナーの「耳」に伝達する事にあります。

オーディオ分野で一般的に言われる狂信的「原音再生」とは下記の点で異なります。

1) あくまでも「耳」に届く(すなわちリスニング位置)での音を基準とし、いたずらに微細なあるいは近視眼的な「音」そのもの(オンシツ)にこだわるよりも、まずは総合的な「音楽」の聞こえ方としての再生クオリティを求める
要は、可聴帯域(少なくとも40Hz~10kHz)の耳に実際に届く音が「概ね」ソースの波形およびスペクトルに一致すれば(すなわち周波数ドメインと時間ドメインで「概ね」正しく再生されていれば) OKチャウ?という事。これがある程度十分に達成されていれば、後の細かいオンシツはお好み次第。例として、好みの「オンシツ」に合わせてスピーカや真空管アンプを選べば良い。

2) 「原音」すなわち楽器から直接発せられた「生」の音を求めず、あくまでも「ソース」に記録された信号の正確な再生を求める
「原音」を求めても詮ないこと。マイクロフォンで電気信号に変換された時点で既に異なり、さらに様々な処理が加えられて最終的な媒体として我々の手元に届くわけですから、そこから「生」の音を求めるのは、幻影を追いかけるのに近い行為となるでしょう(我々にそれを正しく遡る手立てはありません)。というか、Alpairのような良質な最新ドライバを使用してソースを正確に再生すれば「必要十分に」生の音に近い自然な音を聞けるように思います(録音が悪けりゃしようがないけど、それは受け入れて聴くしかない)。輝かしい記憶音をたよりに、苦労して装置をアレコレしても、録音時に使用したマイクも、その後の信号加工プロセスもソースごとに異なるため、結局は富士の樹海を彷徨う事になるでしょう。これは以前の記事でさんざん書いたステレオによる「音場再現」の追究と同じ事です。そんな事に意識と労力を消耗するよりは、媒体そのものを一個の作品ととらえ(実際アーチストさんはそれを自分の作品として承認した上でリリースしている)、ソースに記録されている音楽を素直に受け入れて聴いた方が、せっかくソースに含まれているイチバン美味しいところ(アーチストさんがやらはった事)を楽しめると思います。

僕の求める「音楽再生クオリティ」とは、音楽再生における基本中の基本です。大きかろうが小さかろうが、高価だろうが安価だろうが、少なくとも「音楽再生装置」と称する装置が最低限満たすべき条件であると言えます。例えばアイスクリームの場合、乳脂肪が8%以上ないと「アイスクリーム」と呼べないのと同様に、トータルシステムまたはスピーカシステムにも、業界として一定の「音楽再生用装置」としての基準(例えばX0Hz~X0kHzのレスポンスが±XXdB以内、位相遅れがXX°以内等)を設けても良いのではないかとすら思います。あるいは、いくつかのグレードを設けても良いかもしれません。

この条件を満たすのに、なにもアホみたいに高額/巨大なハイエンド装置を狭いお部屋にブチ込む必要はありません。当ブログで紹介してきた方法を適用すれば、ミニコンポレベルの価格とサイズでも最低限の目標を達成可能です。ケロがその良い例と言えるでしょう。十分な低音クオリティを確保しながら部屋のサイズ/リスニング距離/音量に見合った最適なサイズを選択できるため、部屋の影響を含めた実用状態での総合的な音楽再生クオリティを飛躍的に高める事ができます。装置を身近に置けば、大層なリスニングルームを必要とせずに、極めて高いクオリティで音楽を楽しめます。

やたら感覚的な言句を並べるだけでなく、正確な情報をユーザに提供する事が重要です。この業界ではスペックは重要ではないと声高に言われますが、少なくともスピーカを選ぶ上で基本的スペックは極めて重要です(アンプ等は十分なレベルに達しているので大して重要ではないが)。スピーカ製品の周波数特性グラフと性能値の表記方法を統一し、表記を義務付けるべきでしょう。

業界が発展するには、ユーザに正しい情報と基礎知識を提供する事が重要です。他の業界では、雑誌等がそれに努めているおかげで、一般ユーザの基礎知識のレベルは十分に正しく高いように見受けられます(ジャーナリズムはそれなりに役目を果たしている)。しかしこの業界では、本当に重要な基本的な知識や情報がユーザに行き渡っているのか、極めて疑問に感じます。やたら感覚的な言句でユーザを惑わしていないでしょうか?本懐を忘れ宣伝媒体になってはいないでしょうか? 僕が記憶する限り、昔(30~40年前?中高生の頃)のオーディオ雑誌では、そのあたりも極めて真っ当であったように思うのですが。。。

一般的常識を持つ人間から見て魑魅魍魎が跋扈する魔界のように感じられるようでは発展は望めません。

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2011年06月01日 (水) | Edit |
この分野で多用される「音質」という言葉の指す意味が非常に曖昧に思われるため、僕はよく「音楽再生クオリティ」というハチマル用語を使います。今回はこのヘンについて。。

オーディオ装置に関して多用される「音質」という言葉には2つの意味が含まれるようです。

1つは「客観的な音質」です。これは例えばS/N比、歪み率、周波数特性、位相特性等の物理量で表す事ができます。要は「記録されている信号をどれだけ忠実に音響出力としてスピーカーから取り出せるか」という指標です。この「音質」には好き嫌いの要素は一切含まれません。極端な例として、この意味で「高音質」なオーディオ装置は、表現者が不快な音を何らかの意図をもって(すなわち「彼の表現」として)録音した場合、表現者が意図した通りの不快な音を忠実に再生します。

もう1つの音質は「主観的な音質」です。オーディオ装置の電気的な性能が十分に向上した現在、こちらの「音質」が取りざたされる事が殆どのようです。この「音質」は専ら聴取者の主観(好き嫌い)に依存します。とはいえ、いわゆる「オーディオマニア」の間では一定の傾向が見られるようで、大まかに言って「響き」に対する拘りが強いように見受けられます。この「響き」の追加あるいは創出によって「気持ちの良い音」「癒される音」「疲れない音」「身体に良い音?」「ゲージツ的?な音」「情感の伝わる音」あるいは「臨場感」「空気感」「音場感」「距離感」というのを強く求めようとするようです。このような傾向を反映してか、最近はDSPで響かせているソースも多いようで、ちょっとエスカレート気味のような気もしないではありません。で、さる演奏家が怒る。

さて僕が「音楽再生クオリティ」と呼んでいるのは、上の「客観的音質」の範疇に入ります。シツコク言っている「可聴帯域の下限近くまでフラットに位相遅れなく」というヤツですね。ただし、アンプの歪み率が何%とかの細かい事ではありません。昔ならいざ知らず、現代のオーディオ用として売られているアンプは、安物でも音楽を再生するには十分な基本性能を持っています。ですから、1万円のアンプと300万円のアンプをブラインドで比較すると、1万円のが勝っちったてな事は条件次第で十分にあり得ます(参考記事)。

僕が求めるのは、せいぜいスピーカーから出力されて実際に耳に届く音の波形(とスペクトル形状 = f特)をソース信号と目で比較した時に「まあだいたいオンナジチャウの?」と言えるレベルの「忠実性」です。精密に測定してもわかるかわからないかのような微細な違いではなく、波形を重ねてみて明らかにチャウヤンというのはセメテなくそうね。。という程度のものです。なぜそれを求めるか?といえば、LEANAUDIOの経験を通して、そうする事によって音楽の全体像と細部が聴きやすく、音楽が違和感なく自然に聴けるという事をほぼ確信できたからです。それは何故か?と言えば、極めてアタリマエですが、そのように再生された音の時間変化(音楽は専ら音の時間変化によって表現される芸術)が元々録音された音の時間変化に概ね近付くからです。これにより、アーティストが何をやったのか(彼の演奏または作曲による表現行為の結果として記録された音の時間変化、彼の「情感」とやらも全てそこに刻まれている)が聴き取りやすくなり、それだけ楽して、あるいはより深く音楽を楽しめる、感じ取れるという事です。音ソノモノを楽しみたいわけではありません。

このブログで再三お見せしたように、耳に届く音の波形は、現代のオーディオ装置でも様々な要因によってソースの波形(録音された波形)からかなり大きく歪んでいます。アンプの歪み率が何%とかの細かい話ではありません。オシロで波形を並べて見れば明らかにわかるレベルの違いです。その違いの原因として下記が挙げられます。

1) スピーカーの周波数特性がフラットではない (特に小型SPの低域)
2) バスレフ型の位相遅れ
3) アナログフィルタの位相遅れ
以上は装置側(専らスピーカ)の問題

4) 部屋の音響特性

これらの要因を対策する事によって、確実に「音楽」が聴きやすくなる(気持ち良く聴ける、音楽を楽しめる)というのがLEANAUDIOの経験を通して得たハチマルの結論です。音楽を「再生」する上で、この最も基本的で、最もアタリマエで、最も重要で、最も優先されるべき「基本的な音楽再生性能」があまりにも疎かにされているような気がしてなりません(ある意味「音楽」が疎かにされていると言えなくもない)。技術の発達していなかった黎明期ならいざしらず(というか当時の技術者は皆これを目指したはず)、デジタル技術と音響再生技術が十分に熟成した現代なら、たいそうなことしなくても、ヒャクマンエンなんてトンデモナイ出費をしなくても、馬鹿デカイ装置をチッコイお部屋にぶち込まなくても、音楽を普通に愛聴する人々向けに必要十分以上の「音楽再生クオリティ」が得られると思うのだが。。そういう装置を世に広める事がオーディオメーカーの使命ではないのか。。と思うぞ。

追記
モチロン、ハチマルにだって主観的な音の「好み」はありますよ。だからスピーカーユニットをアレコレ選ぶ。で、MarkaudioのAlpairメタルコーンがお気に入りというコト。

追記2
最も重要なのはアーティストのクオリティ、2番目が録音のクオリティ(音質面だけではない)。この方面の向上を切に望むぞ。オイラ達はそれを素直に再生して聴く事しかできないんだから。

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2011年01月13日 (木) | Edit |
何でもそうですが、何かを良くしようとするときは、究極の理想状態を想定してみるのが役立ちます。思考実験というやつです。当然ですが、現実世界では完全な理想状態を実現する事は不可能であり、必ず妥協が必要になります。がんじがらめの制約条件の中で、重要な要因そうではない要因を見極めて、いかに上手に妥協点を見つけるかというのが大切だと思います。夢中でアレコレやっているとつい迷走しがちになりますが、常に理想状態(イッタイ何のためにやっているのか)を念頭に置く事によってそのような事態を避ける事ができます。

たとえば、アクセサリとして代表的なケーブルとインシュレータについて考えてみます。

1) ケーブル
ケーブルは無いに超した事はない。というやつですよね。LもCもRも全くゼロの状態が理想状態だと考えて良いと思います。ですから最も手っ取り早くて最も効果が直接的なのは、極限まで短くする事ではないでしょうか。長さに余裕がある1mのケーブルの無駄な長さを切り詰めて例えば50cmに短縮できたとして、1mのまま2倍の値段のケーブルに交換するのとどちらの方が効果が高いのかなぁ。。なんて考えてしまいます。まあでも、本当に効果を聞き分けられたとしての話ね。
例えば、モノラルのDAC内蔵アンプをスピーカーの直近に置くか内蔵するかして、デジタルソースとの接続には光ケーブルを使用する方法が考えられます。するとまた、光ケーブルのガラスの材質や透過率がアーダコーダというのが始まるのは眼に見えてますが、少なくともLCRの影響は極小にできます。なんだったら、モノラルにして信号ソースもSPの近くに置きますか? これでケーブルにアレコレ悩まされる事もなくなるのかな? それとも癖がなさ過ぎてツマラナイというやつかな?
スピーカーの振動がアンプに伝わるのを問題視される方も居られるでしょうね。そこで理想的なインシュレータが必要になります。

2) インシュレータ
機械的振動を一切周囲へ伝えずにしかも全く動かないに超した事はない。。。となりますね。これはスピーカが空間の一点に他と接する事なく完全にポッカリと浮かび、しかも押しても引いても微動だにしないという状態です。リニアカー用の強力なマグネットで四方八方(正確には三方六方?)から固定しちゃいますか?でも一方のマグネットを床や壁に固定したのでは意味ないしねぇ。。。それに強力な磁力はスピーカーにもろ影響するし。。。現実的なのは床下の基礎からゴツイコンクリート製のマウントを床をぶち抜いて立ち上げて、そこにスピーカーボックス(できればドライバを直接)マウントにガッチリと固定してしまう方法が考えられます。それともコンクリートで直接ハコ作っちまうか? 一部のマニアさん達が似たような事をやっていると思います。もう少し現実的にやるならば、振動遮断/吸収性の高い柔らかい材質でマウントし、ドライバまたはボックスに思いっきりマスを付加する方法が考えられます。例のタイムドメイン スピーカーはドライバに直接マスを付加してボックスからフローティングしていますよね。2倍重くすると移動量は単純に1/2に減ります。

理想のスピーカーってのはどうなんでしょうか?いろいろ考えてみると面白いかもしれません。
ダイナミック型に限定するならば、今までのハチマルのアプローチでは、
- 音は振動板の前面だけから出るに超した事はない
- できるだけ小さい振動板1つだけで全域の音を出せるに超した事はない
- 振動板は耳に近いに超した事はない
ということで、今のところイヤフォンが一番理想的と言うことになっちゃいます。。。。ね。
全く別の原理で(例えばレーザーで?)空気を直接振動させる方法とか無いでしょうか?

あ、それと電源ね。これはもうバッテリー以外考えられないですよね。ハイブリッドカーやEVのおかげでバッテリー技術は飛躍的に進化しています。自動車をバッテリだけで200kmも走らせる事ができるんですから、オーディオ用大容量バッテリがあっても良いんじゃない?もう市販されてる? ヒャクマンエンだったら買う人いるよね。

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2010年07月03日 (土) | Edit |
今回は信号入力部つまりプレーヤー部とデジタル信号処理部について書いてみたいと思います。最後にアンプについても書きます。

その前に、
きっと「デジタルでイコライジングなんかしたら音の「鮮度」が落ちるのでそんな方法は駄目」とお思いの方がいらっしゃるでしょうね。果たしてそうでしょうか?
このブログの以前の記事をお読みの方ならお分かりでしょうが、バスレフポートには明らかに位相上の問題があります。マルチウェイのネットワーク回路やトーンコントロールも同様に位相の問題を避けられません。これらの問題は簡単な波形測定でも露呈してしまう程の大きなものです。もちろん聴感上も明らかに違和感があります。結局方法は異なりますが従来のアナログ方式でもスピーカーの特性を改善するために音に劣化を招いているのは同じなのですよ。で、冷静に考えなければならないのは「果たしてどっちの方が被害が少ないか」という事です。今まで聴き慣れたアナログ処理の音が必ずしも(えてして多くの場合)「ソースの信号に正確に対応する」音だとは限らないという事を肝に銘じる必要があります。「ただ聴き慣れているから」というだけで安易に判断されている傾向が度々見受けられます。ただし「好きか嫌いか」は全く各個人の自由ですので。お好きに。

さて音源はPCを前提とします。iPod等を使用するユーザーは当然PCを所有し、そこに音楽データを保存しているからです。従ってシステムコストにプレーヤーは含まれません。ちなみに超高機能のFrieveAudioはAtomプロセッサ搭載のネットブック レベルで十分に機能します。ですから現在出回っているPCであれば、ほぼ何でもOKのはずです。

もちろんメーカーはユーザーに対してできるだけ非圧縮WAVデータの使用を推奨すべきですが、圧縮データの再生も念頭に置く必要があります。VictorのK2テクノロジ等も必要でしょう。オプションで装置とデザインを統一した音楽用PCを用意しても良いかもしれません(HD内蔵のEeePCみたいなので十分。ソニーさんのチッコイVaioなんか素敵だと思う)。無線接続できればなお宜しい。

DSP(デジタル信号処理部)に関しては2つの方法が考えられます。

1)1つはFrieveAudioのように全てPC上で処理を行う方法です。この場合PC以外からのソース(例えばCDプレーヤー、iPodのドック システム)に対して処理を行う事はできません。ただし装置側にはDACとアンプだけが必要なのでコストを抑える事ができます。欠点としてはPC側の状態(他のソフトウェアの動作等)に影響される点が挙げられます。ノイズ的にも不利でしょうが、僕自身はマニヤがとやかく言うほどには問題を感じません。

2)もう1つの方法は、装置側にDSP演算回路を内蔵してPCを単なるユーザインターフェイスと音源として使用する方法です。この場合はCDプレーヤー等のデジタル出力も接続できます。PC側の動作環境にも影響を受けにくくなります。その反面コストが増加します。高級タイプ用ですね。

いずれもソフトウェアは接続されているアンプのタイプと現在のボリューム位置およびスピーカーのタイプとそのイコライザ特性を正しく認識する必要があります(1つ前の記事参照)。まあこれは問題無く出来るでしょう。DSPソフトウェアはこれらの情報に基づいてスピーカーの周波数特性をフラットに補正すると共に、スピーカーに過大な信号が入力されないように低域信号のピークを制限する必要があります。

その他のDSP処理の内容はFrieveAudioと基本的に変わりません。すなわち;
1)選曲機能 (iTune、MediaPlayerに準ずる。これらのデータベース フォーマットに対応すること)
2)基本イコライジング機能 (スピーカーの出力周波数特性をフラットにする。ユーザによるOFFは不可)
3)自動音場補正機能(部屋の特性を補正する。マイクロフォン同梱のこと。任意に使用)
4)ユーザ用イコライジング機能(好みに合わせた微調整用。任意に使用)

これだけあれば十分です。これらのイコライザを全て掛け合わせた1つの総合イコライザ特性がDSPに適用されます。従って何度もイコライザ処理を行って信号を改変する訳ではありません。3)と4)は必要に応じて使用すれば宜しい。ニアフィールドで聴くユーザーは面倒臭ければデフォルトでもOKでしょう。もちろんデジタル信号の飽和を避けるAVC機能も必要です。メーカーは適正なスピーカーサイズを選ぶガイドラインと正しくスピーカーを配置する方法を懇切丁寧に説明しなければなりません。音量が許すのであればスピーカーは小さい程宜しい。正しい情報をユーザーに伝えてください。

オマケ的な機能として欲しいもの
1)ダイナミックレンジ圧縮
例えば交響曲を小音量で聴きたい場合、大音量のところでボリュームを合わせると小音量部の音が聴き取り辛いので、ダイナミックレンジを多少圧縮する機能。僕はこれが非常に欲しい。

2)真空管風味
パナソニックが既に実用化済み。きっと特許の問題があると思います。要は高調波歪みを人工的に発生させるのだと思う。

3)曲の自動レベル調整(iTuneには装備済み)
様々な曲をランダムに聴く場合に、録音レベルに合わせてボリュームを調整しなくて済むので便利。これも是非欲しい。

DSPの出力ビット数には最低24bit必要です(イコライジングするので16ビットでは明らかに不足)。

ソフトウェアはそのメーカーの全機種に共通で使用できるはずですからコスト的に有利です。DSPソフトウェアの性能もさる事ながら、ユーザインターフェイスの使いやすさが何よりも重要です。ちなみにONKYOのHDC-1L(オーディオPC)に付属のプレーヤー ソフトウェアは最悪です。あのようなレベルでは使い物になりません。このコンセプトが市場で受け入れられるかどうかの最大の鍵はユーザーインターフェイスにあります。オーディオメーカーはこのへんの経験が全く無いでしょうから、優秀なソフトウェア開発者(FrieveAudioの作者みたいな優秀な方)をヘッドハンティングするか、アウトソースする必要があるでしょう。プロジェクトの正否の半分(もしかしたらそれ以上)はソフトウェア(特にユーザインターフェイス)にかかっていると思います。努々良い加減に考えてはなりません。

最後にアンプについて。。

アンプのボリューム位置をソフトウェアに知らせるためのセンサが必要になります。また、スピーカーのイコライザ情報を取得するために4線接続が必要です(Nuforceの特許かな?)。ユーザが勝手に非対応のスピーカーを接続できないようにするために、コネクタは特殊な形状にする必要があるでしょう。スピーカー情報はCD-ROMでソフトウェアに設定しても良いのですが、例えばスピーカーを別の機種につなぎ換えた時に設定を変更し忘れたりする可能性があるため、接続によって自動認識させた方が安全です。

その他の基本的なアンプ性能に関しては極普通で良いのではないでしょうか。僕は馬鹿ブースト用にIcon AMP (2万7千円くらい)を使用していますが何ら問題を感じません。こんなに小さくても十分な音質で鳴らしてくれます。DACは24bit/96kHzとして、例えばONKYO WAVIOが1万円弱で販売しています。このクラスで十分でしょう。

真空管アンプを使いたいところですがサイズ、コスト、耐久性的になかなか難しそうです。例えばDAC出力とアナログ入力の間に挿入する1ゲインのバッファアンプなんかをオプションで用意しても良いかもしれません。2万円以下で作ってね。

まあ、アンプはそんなもんでしょう。

まずはパイロット製品としてオールインワンの一体型が無難でしょう。PC抜きで4~5万円くらい(ちと厳しい?)。

これで独断シリーズはオシマイ。
勝手な事を随分書き殴りましたがお付き合い有り難うございました。

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2010年07月01日 (木) | Edit |
さて、久しぶりに独断シリーズを再開したいと思います。またまた勝手な事を書きたい放題に書かせて頂きます。ご容赦を。

僕がここで取り上げるオーディオ装置は、自動車で言えばフェラーリではなくシビックやアコードに相当する実用オーディオ装置です。と言っても僕はフェラーリを否定するつもりは毛頭ありません。逆にフェラーリ信者と言っても良いかもしれません。フェラーリは人間のポジティブな面(人生は、人間は、素晴らしい!という事)を自動車という工業製品を媒体として表現した芸術だとすら思っています。355以降はちょっと「ジドーシャ」に成り下がってしまって信仰心は薄れましたが348以前のフェラーリは「ジドーシャ」以外のナニカ(?)でした。348は150km/h以上出すと平気で一車線くらい突然横っ飛びするとか、逆火で吸気チャンバーが爆発してリアカウルが吹っ飛ぶとか。。それでもリコールにはならずオーナーは自費で修理するとか(それをツベコベ言うヤツにはフェラーリ様を所有する資格は無いのよ)。実は348は箱根ターンパイクで1往復だけ運転した事があって、あたしゃ一生忘れませんよ。あの日の事は。NSXと乗り比べましたがこちらは完全にフツーの「工業製品」です。

同様にパラゴンやオートグラフあるいはノーチラス等のハイエンドを否定する気も毛頭御座いません。自動車を趣味とする方々にはスーパーカーをコレクションする羨ましい方も居ますし、クラシックカーのリビルトに熱心な方、はてはF1のようにキチガイ沙汰のレーシングの世界もあります。オーディオの世界でも当然ですが、ナンビャクマンエンもするフェラーリ級の装置を愛でたり、電線等の違いによる微少な音の違いを探求したり、音源を素材として自分の理想とする音を創出したり(つまり半ば楽器のようにオーディオ装置を扱う)、いろんな楽しみ方があって良いと思います。それぞれ結構な趣味だと思います(F1は趣味ではないけどね)。こういうのを一種の「数奇者」と言います(数寄者(すきしゃ、すきもの)は芸道に執心な人物の俗称。「数奇者」と書く場合もある。)。

しかし、

僕が最近オーヂオイヂリに手を染めてこの業界を覗いた時に非常な違和感を覚えたのは、そのような数奇者的なオーディオがあたかもオーディオ技術の本流であるかのように扱われている点です。ちょっとましな音で音楽が聴きたくなってオーディオ専門店へ行くと「まともな音で聴くには最低ヒャクマンエンは必要です」なんぞとと言われるなんて話はアチコチで聞きますが、ただ良い音で音楽を聴きたいと思っている一般的リスナーの感覚からすれば全く常軌を逸しているとしか思えません。雑誌を見てもそれを煽るような記事ばかり。ほんとにヒャクマンエン出さないとまともに音楽が聴けないのであれば、それは全くのメーカーの怠慢としか言いようがありません。シビック買いに行ってNSXじゃないとまともなクルマではありませんと言われるようなものですね。蛇足ですが、スーパーカーを買えるレベルの方のオウチならまだしも、標準的な日本のオウチにあんまりご立派な物をぶち込んでも、まともな音で聴けるとは思えません。

これに対し、安全快適に移動するための道具としての普通の乗用車に相当するオーディオ装置、すなわち本来最も充実していなければならないセグメント(価格的には10万円以下、千歩譲って20万円以下で一式揃うレベルが)が余りにも貧弱過ぎます。数奇者用ハイエンドの縮小廉価版をテキトーに作ったようにしか見えません。これはオーディオ装置を「音楽を聴くための実用工業製品」と考えた場合、極めて不健全で異常な状態のように僕には思えるのです。NSXをテキトーにお安く作ったのがシビックではありません。逆にシビックの開発にかけるリソースの方がNSXよりも圧倒的に大きいのです。またユーザーはNSXが買えないからシビックに乗る訳でもありません(まあ実際には買えないんだけど)。

フェラーリやクラシックカーは爆発しても横っ飛びしても文句を言う人はいません(かな?)。パラゴンがどのようなf特を持っていようが伏して拝聴するのみです(ははぁーー)。
しかし一般的な大量生産の製品がそれでは困ります。実用自動車に求められる最も基本的な性能は、安全に走って曲がって止まれる事ですが、オーディオ装置に求められる最も基本的な性能とは何でしょうか。それは「媒体に記録されている可聴帯域(一般に20Hz~20kHz)のほぼ全域の音をリスナーの耳に明確に届ける事」です。もちろん音色的な魅力や商品的魅力も重要です。自動車でも快適性や洒落たデザインが求められるのと同じですよね。しかし、まず最も根源的な基本性能が必要十分なレベルで満たされていなければならないのは当然です。いくら格好良くて乗り心地が良くても安全に止まれない車じゃ困りますし、いくら高域のストリングが美しく響いても怒濤のティンパニーがスカスカでフラフラでも困るのです。メーカーは、このような「音楽再生装置」として至極アタリマエの最低限の性能を備えた一般リスナー向けのリーズナブルな装置を最優先で開発しなければなりません。

その一方でオーディオ装置を趣味とされる数奇者の方々向けの「ハイエンド」な製品ももちろん必要ですし、小規模なビルダーさん達が趣味性の高い個性的な製品を提供する事ももちろん必要です。ただしそれらは「音楽を聴くための装置」としてのオーディオ技術の本流では決してありません。スーパーカーやクラシックカーやF1が自動車技術の本流でも頂点でもないのと同じです。そんな事は自動車メーカーもユーザーもアタリマエとして認知しています。そのあたりの認識がこのオーヂオ業界(とユーザー)の間であまりにアヤフヤなので僕としては非常に違和感を覚えるのです。はっきり言って健全な状態には見えません。

別にこの業界がどうなろうがアタシャ一向構わないのですが、健全なオーディオ装置がアタリマエの価格で一般リスナーに提供されないと、それは人類にとって大きな損失になると思うのでイライラするのです。優れた音楽(のみならず芸術)は我々にとって計り知れないほど大切なものです。オーディオ装置はその一般大衆に向けての伝達装置として非常に重要な役目を担っている事を開発者は肝に銘じて欲しいのです。あの、、、、また繰り返しますが、狂信的なコマケー事じゃないのよ。一般リスナーにとっての「必要十分」を見極めてお安く作ってね。それがホントの技術者のお仕事ですから。かといってセットコンポみたいに吸音材も入って無くてペラペラのパーチクルボードで見栄えだけ立派な3ウェイとか作っちゃ駄目よ。ホンマニ。最低だから。技術者として恥ずかしい事だけは止めようね。

という事で次回から具体的に「こういうの作ってよ」というのを書いてみたいと思います。

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2010年06月28日 (月) | Edit |
しつこいですけど、これが音楽再生の原始的と言ってもよいくらいの基本中の基本なので。。。
ただし「最終的に絶対にそれで聴け」と言っている訳では無いですよ。僕だってイコライザーで多少調整しますもん。ただコマケー事をアーダコーダ言う前に最低限必要でしょ。と言いたいのです。

以前の記事で本当の意味の「原音」は知る術の無い幻影だと述べました。これはステレオ装置の原理もさる事ながら、録音環境(装置、スタジオ)とアーティストの表現意思あるいは録音エンジニアの傾向等にもよって大きく影響されるからです。
前の記事では、例として同時代にほとんど同じメンバーで録音されたマイルスとハンコックのリーダーアルバムでは録音の傾向が異なる事を述べました。これが本当にバンドリーダーの表現意思によるものなのか、それとも録音エンジニア、スタジオ、機材の違いによるものなのかは不明ですが(データ調べりゃ分かるのでしょうが面倒臭い)、重要なのは両リーダーが「これが俺の作品である」と承認した上で自らの名をクレジットしてその媒体を世に出した(つまり表現者として全責任を負う)という事です。

オーディオ装置が第1に成すべき事は、表現者が「俺の作品」と承認して世に出した音を、それが録音段階でどのように操作されていようと、それがどれだけ酷い音に聞こえようと、それが表現者の承認の下に世に出された物である以上、まずは出来るだけ正確に、出来るだけ明確に、出来るだけ余す事無くリスナーの耳に届ける事にあります(ただし、ここで言っているのは高級アンプが求める狂信的な信号忠実性の事ではありません)。

さて、ここでもう1つ重要なのは「録音時に表現者が実際に発した生の音」と「表現者が自らの作品として最終的に承認した媒体上の音」を混同してはならないという事です。これは既に別物です。オーディオ装置とは、後者を鑑賞者に伝える物であって、そこに前者の「音」を求めてもそれは幻影に過ぎないという事を努々忘れてはなりません。これを勘違いすると装置の音は奇態な方向に進みます。

メディアをあくまでもメディアとしてしっかりと認識しないと、私達の時代はめちゃくちゃ危険です。すでに危険な状態ですが、これからもっと危険になります。「写真はイメージです」と最近やたらと広告チラシ等に記載されていますが、CDもいちいち「これは表現者が最終的に自らの作品として認めた記録音であり、表現者の生の音とは異なります。」とコメントしなきゃならんのでしょうか。写真や音楽程度のシンプルなメディアでもこの程度だと先が思いやられます。

ある意味、オーディオ装置とは「情報伝達装置」の一種だと言えます。というか厳密な意味でも「情報伝達装置」です。もちろん誰がどのような音で聞こうが、それは本人の勝手です。誰も文句を言う筋合いはありません。しかしオーディオ装置を製造し販売するめーかーと開発者は、この点を努々お座なりにしてはならないはずです。その責任があります。繰り返しますが、それは狂信的な信号忠実性の事ではありません。例えば、簡単に測定できてしまう周波数特性ぐらいは、リスナーの耳の位置まで製造者が責任を負うべき時代なのではないのか。。と言いたいのです。何故ならばそれが極めて容易に可能な時代なのですから。こんな安物のマイクマイクロフォンで測定できる超原始的な周波数特性(リスニング位置)もろくに保証できない状態で、狂信的な信号忠実性なんぞクソクラエです。「ピュアオーディオ」の「ピュア」ってどういう意味なんですかねぇ?この「ぴゅあ」ってめちゃくちゃ胡散臭いので嫌いなのですが、本来の「ピュア」とは、僕は「オーディオ装置とは情報伝達装置である」という事をお座なりにしない事だと思います(あの。。しつこいですけど狂信的な信号忠実性ではないので)。

ただし、おそらく一部のマニヤはそれをなかなかそれを受け入れないでしょう。しかしマニヤなんぞリスナーの極一部に過ぎません。メーカーの本来の責務は大多数の一般リスナーにあります。本当の意味での音楽再生装置を、小さくて安価でも交響曲の楽しさを伝えられる装置を提供しなければなりません。それが出来る時代なのですから。とっくのとおにね。これは音楽製作側のクオリティ向上も促すはずです。あぁ。。僕は今の若い人に既に古典となってしまったあの時代の本当に優れた作品をもっと聴いて欲しいのです。今の音楽はあまりに悲しい。

オーディオ装置は人類にとって非常に重要な装置です。偉大な音楽家達が遺した作品をいつでもどこでも好きな時に楽しめるようにしてくれる装置ですから。である以上メーカーは、そして開発者は、利用できる技術を最大限に活用して、より多くの人がより安価により深くより快適に音楽を楽しめる装置を作らねばなりません。それがメーカーの、真の技術者の使命だからです。本当の対象は一部のマニヤでは無いという事を肝に銘じねばなりません(あのね技術ってマニヤックにやるのは簡単なのよ。本当は。一番難しいのは本質を見抜いて最もシンプルで効果的にアプローチする事)。頑張れ、メーカー エンジニア達!

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2010年06月13日 (日) | Edit |
先の記事にも書いたように、僕は耳位置での周波数特性のフラット化(30Hzまで)と音質的な癖の無さを重視します。その理由は、そうする事によって僕の求める音楽全体の見通しの良さと明瞭さ/自然さが得られるからですが、もうひとつの理由としてアーティストとその作品に対する「敬意」という意味も含んでいます。

僕は高校生の時に部活で写真を始め、10年程前からはかなり真剣に写真作品の製作に取り組んで来ました。一昨年まで毎年なにかしらコンペに出品するなり個展を開くなりの活動を続けてきたのですが、最近は次のステップへ進む方向が見えないため休止中です。で、写真展やコンペ用の外に対して発表するための作品では、僕に限らず同様の活動をしている仲間達も、自分が納得できる色調やトーンを求めて他人が見でも分からないような小さな差にも拘って神経をすり減らしながらセレクションとプリントに没頭します。作品が全てできあがった後の没プリントと空インクカートリッジの山(僕はデジタル)を見ると、その費用を考えて愕然とするのが常です。たかがアマチュアの僕らでもそんなですからねぇ。ましてや天才達がアルコールや麻薬に逃げ場を求めざるを得ない程に自分を追い込んで刻み込んだ音ですから、「自分が組むオーヂオ装置では作品に最大限の敬意を払って、できるだけ全ての音をできるだけそのまま聴けるようにしたい」と、カナル型イヤフォンで初めて音楽を聴いた時にそのように感じた次第です。

で今日は、可聴帯域(20Hz~20kHz)を可視光域(赤~紫)にみたてて、周波数特性をフラットにして聴く事の大切さを考えてみたいと思います。

original.jpg
画像1 ori.jpg

この画(画像1)は有名なモネの「睡蓮」の一部です(適当にネットで拾って来た画像なのでホントにモネの「睡蓮」なのか確かではありません)。色が本物にどれだけ近いのかも分かりませんが、とりあえずこの画像1をCDまたはLPに刻まれた「モネ演奏」のソース音に見立てる事にします。まあCD/LPでも厳密な「原音」は「不明」である点では同じです。。(しかし作家がクレジットしている点に意味がある)

No red
画像2 red.jpg

画像2は、画像1の波長の長い(従って周波数の低い)「赤」の彩度だけを落とした画像です。これは低域の不足したスピーカーで聴いた時の状態に相当します。左上の赤い花の色が見えなくなって(聞こえなくなって)しまいました。この画(音楽)にとって非常に重要な情報が欠落してしまったと言えます。

Green.jpg
画像3 gre.jpg

画像3では、可視域(可聴域)の中では中間的な波長(周波数)を持つ「緑」の極狭い範囲の色域(音域)だけ彩度を上げてみました。これは定在波や箱鳴り等による特定周波数の付帯音に相当します。

これらの画像では、分かりやすいように大げさに彩度を変化させていますが、多かれ少なかれ再生装置の周波数特性がフラットではない状態で音楽を聴くと言う事を絵画で例えればこのようになります。

オーディオ装置を「音楽を聴くための装置」とするならば(って、そうですよね?)、十分に低域までフラットな周波数特性を耳の位置で実現する事がまず達成されるべき基本的要件あるいは基準条件と考えるのが極めてアタリマエではないでしょうか? 少なくともこの状態がどのように聞こえるのかを認識しておく必要があると思います(高性能カナル型イヤフォンで聴いてみるのが一番手っ取り早い)。

とはいえ、ここから音色を自分の好みに合わせてイヂルのがオーヂオの楽しみでもあります。僕は比較的小音量で聴くので細部(細かい輪郭線)が明瞭に聞こえるAlpair5をメインスピーカーとして選択し、輪郭線のまわりにすこし色(音)を滲ませるために真空管アンプ(TU-870)を使用しています。

tube_20100614062130.jpg
画像4 TU copy
画像1に対して輪郭強調処理を施した画像と、ぼかし処理を施した画像をレイヤで重ね合わせた画像です。ちょっと微妙過ぎて分かりにくいかもしれません。

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2010年06月08日 (火) | Edit |
いじる いぢる 【▼弄る】 (動ラ五[四])
補足説明歴史的仮名遣い「いじる」とする説もある
(1)(必要もないのに)さわったり、動かしたりする。もてあそぶ。
「羽織のひもを—・る」
(2)本格的にではなく、趣味でする。遊びでする。何かをすることの謙称としても用いる。
「パソコンを—・っています」
(3)はっきりした目的・方針もなしに、あるいは部分的に組織などを改変する。
「機構を—・る」
(4)弱い者をいじめる。困らせる。
「腰ぬけて鬼婆々となつて嫁子を—・り/浮世草子・禁短気」
出典: http: //dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn/9184/m0u/%E3%81%84%E3%81%98%E3%82%8B/

今日は音をイヂルという事について考えてみたいと思います。

さて、僕はFrieveAudioの音場補正を使用して、デジタル信号処理でソース信号を改変して音楽を聴いている訳ですが、これは音をイヂッテいるとは申しません。これは装置(部屋を含むシステム)を「校正」(キャリブレーション)しているに過ぎないのです。つまり、入力(ソース信号)に対して出力(耳に届く音波)が正しく対応するようにシステム全体の伝達関数を調整しているだけの事です。オーディオ装置は楽器ではなく電気/機械装置です。装置を実際の環境に合わせて正しく機能させるには校正(正確には調整)が必要なのが当然です。音源のデジタル化によって、この校正が極めて容易かつ正確に行えるようになっています。もう何十年も前から。。。

で。僕の「イヂル」に相当する行為は、今のところ真空管アンプを敢えて使用している事と、音場補正後にイコライザを微調整するくらいだと思います。まあ、音色の好みでスピーカーを選んでいるのもそのうちに入れても良いかもしれません。

僕がこの校正を重要視するようになったきっかけは、以前書いたようにカナル型イヤフォンでした。イヤフォンと鼓膜の間がほぼ密閉されるため、鼓膜はちょうどドロンコーンのようにしてイヤフォンのダイアフラムによってドライブされます。従って周囲の音響特性に影響されることなく超低音(カタログでは5Hzまで、、、ってどういう基準なのかねぇ)まで再生可能です。それまでは随分とモヤモヤとして低音(といってもズンドコの事ではなく、もっと微妙なヤツ)が不足した状態で音楽を聴いていた事を痛感した次第です。この聞こえ方をスピーカーで実現するには「校正」が必要であったと言うことです。

オーディオ装置は単純に言えば

音を記録して別の場所/時間で再現するための機械ですので、記録された音をそのまま耳に届ける事によってその役目を全うします。本来は、録音時に耳で聞こえる音の音波(原音)を再び耳位置で再現できなければ(あるいは少なくとも原理的にはそれが可能でなければ)、完全な音(場)再生装置とは言えないのですが、ステレオ方式の原理そのもの、および録音プロセスにおける様々な操作によって、「原音(場)」の再現は幻影である事は以前の記事に書きました。我々がオーディオ用に使用しているステレオ機械は、録音時の音場をそのまま耳の位置で再現できる仕組みにはなっていません。多くの録音では、多数のマイクロフォンで収録した音を左右に適当に振り分ける事によって、「それらしく」聞こえるように演出しているに過ぎないのです。各自勝手な条件で録音して、各自勝手な条件で再生しているのが現実です。というのは録音方法および再生方法(例えばマイクロフォン(スピーカー)の位置、録音時(再生時)の残響時間等)に対する一切の規格もありません。原理的にエーカゲンな機械なのです。再生装置というのはおこがましいくらいで、いまだに蓄音機と言った方が正確かもしれません。そもそもステレオなんぞという中途半端な物を作るから後々ややこしい事になるわけで、いっそモノラルのままの方が無駄な幻影に惑わされずに本来の「音楽を聴く」という行為に集注できて良かったのではないかと、ふと思ったりもします。

本当に厳密に生の音を再現したいのであれば、少なくとも原理的には可能と思えるバイノーラル方式の方が格段理に理に適っています(参考記事: 自動車開発におけるバイノーラル録音の実施例)。ただし、そうやってリアルに音場を再生したとしても、意外と味気なく感じるのではないでしょうかねぇ。。というのは、ライブで実際に聴いている時には耳だけでなく五感全てでその場の雰囲気を経験している訳ですから。それよりも端っから「嘘」と居直って家庭で聴きやすいように調整された現在のステレオ式の方が音楽を楽しめるのではないかと思います。

では、装置で再生音を聴く行為が生の演奏を聴く行為に質的に劣る行為か、というと決してそうではありません。そもそも、再生音を聴く行為をライブで聴く行為の代替あるいは再現と考える事からして無理があります。再生音で音楽を楽しむ行為は、生演奏で音楽を楽しむ行為とは異なる、20世紀になって人間が獲得した新たな音楽体験(表現)形態であって、決して劣るものでも準ずるものでもありません。そんな事は60年代のミュージシャン達がとっくに示していて、彼らはLPを通してライブとは全く異なる独立した表現手法の優れた作品を発表し始めます。マイルスの60年代のクインテットの作品もそうですし、何よりもビートルズのライブ活動の中止が象徴的です。クラシックだとて、製作側の意識は同じだと思います。例えば、要所要所にマイクロフォンを配置して慎重に録音/ミクスダウンしたフルオーケストラのCDには、コンサートホールでは決して聴けない楽しみ方があるはずです。つまり、再生音楽には再生音楽としての独自の楽しみ方がある訳で、そこに過剰なリアリティや臨場感を求めて音をイヂリ過ぎると、生演奏では味わえない再生音楽ならではの良さ(音楽構成の緻密さ、アーティストの集注度、音響環境のクオリティの高さ等々)を損なうだけではないでしょうか。

いや、実は以前試聴会というのに行ってみた時に、あまりに「ライブな」というか「小節(コブシ)を効かせた」というかそんな傾向の音だったので、もしこれがオーヂオの標準的な嗜好だとすると、僕の好みの音はそれこそ墓場で聴いているようにしか聞こえないんぢゃないかなぁと思ったもので。。
なんか、せっかく慎重に音響調整した部屋で録音した演奏を、わざわざ狭苦しいライブハウスで聴かされているような。。情感を抑えたバッハがムード歌謡のウェットな前奏のように聞こえるというか。。。

皆さんやはりそんなに「ライブっぽく」聴きたいのかねぇ?

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2010年06月02日 (水) | Edit |
「原音再生」はオーヂオの世界では金科玉条のように使われる言葉ですが、「原音」をレコーディング時の「生の音」という意味で使うならば、それは「幻影」に過ぎないと思います。何故ならば、レコーディング時の諸条件が大きく影響するため、タイムマシンで録音現場へ行って「生の音」を聴いてみる以外には「原音」を知るよしがないためです。レコーディングされ最終的に世の中にリリースされた作品(LP、CD)には、録音機材、スタジオの状態、エンジニアの調整、そして何よりもアーティストの表現意思が反映されています。

例えば、60年代のマイルスデイビスのリーダーアルバムとハービーハンコック(当時のマイルス クインテットの一員)のリーダーアルバムを聞き比べると、録音の傾向が明らかに異なります(ベースのロンさんととドラムスのトニさんは両方に出演、ラッパ屋だけ異なる。つまりリズムセクションの3人は共通)。前者の方が高域寄りでシャープ、後者は前者に比べると低域寄りでマイルドです。ロンさんのベースの聞こえ方も異なります。後者の場合は少し高域を持ち上げて聴かないと僕には「dull」(鈍く)聞こえてしまいます。

ここで言いたいのは、世に出される作品の信号には録音ハードウェアの影響とアーティストなりエンジニアなりの「主観」が反映されているという事です。このため、普通にCDなりレコードを聴くためのオーディオ装置において「絶対的な生音」は記憶音(従って主観)に頼らざるを得ない「幻影」に過ぎません。また、生演奏を録音して、その場でステレオ再生しても厳密に耳に届く音を生演奏と同じにする事は理論的に不可能です。そのような「原音再生」を求めるのであればバイノーラル録音の方が原理的には向いていると言えます。

再生音について客観的に評価する場合、我々は「耳に届く音波」とソースに記録されている「信号」を比較するしか方法はありません(信号忠実性)。注: 重要なのは無響室で測ったスピーカー前方1mのカタログデータではなく、あなたが音楽を聴いているその部屋のあなたの耳の位置での音波と信号の比較が重要だという事です。ただし「信号に忠実に再生された音波」が「良いと感じる」あるいは「好ましいと感じる」音かどうかというと、これは人それぞれではないでしょうか。さらには、そのよう音を誰もが「主観的にリアルと感じる」かどうかすら確かではありません。「200万円のアンプと1万円のアンプをブラインドで比較したら1万円の方が勝った」とか「生演奏とブラインド比較したら小さなフルレンジが立派なマルチウェイに勝った」とかも、このあたりに関係しているのではないでしょうか。

多くの場合オーヂオイヂリは信号忠実性とは別の「好み」または「記憶音」に基づく主観的なチューニングに頼る事になります。例として、部屋を適度に反響するようにチューニングしたり、倍音(響き、歪み)の豊かな真空管アンプを使用したり、スピーカーボックスをわざと箱鳴りさせたり等々は、元々ソースには含まれない「響き」や「雑味」あるいは「癖」を追加している訳ですから、「信号忠実性」とは全く別の(多くの場合真逆の)行為だとも言えます。

僕も全くの「主観的好み」に従ってAlpair5を最終的に選択し(音場補正でフラットな特性にして、同一の箱で5種類の8cmドライバーを比較)、特性的にはかなり見劣りするが響き感の心地よい小型の真空管アンプ(TU-870改)をメインに使用しています。これらは各自の「主観」「好み」「感性」が完全に支配する領域であり、他人がとやかく言う筋合いの物ではないのは当然です。

では客観的な「忠実再生」はどうでも良いのでしょうか?

僕は「忠実再生」の目的を「録音されている音楽の全体像と細部ががそのままハッキリと耳の位置で聴き取れるようにする事」と解釈します。アーティストが世に出した作品をしっかりと聴き取る上で非常に重要であると考えます。僕の言う「忠実」とは、何百万円もするアンプが追求しているような「コマケー」信号忠実度とは違います。コマケー音質の差も大事でしょうが、それ以前にとにかく「音楽」の全体像を正確に聴けるようにするという、もっと大ざっぱで基本的な話ですので。。。

僕がオーヂオイヂリに手を染めるきっかけになった3年程前のお話をします。
新しく買った携帯電話が1GBのメモリを内蔵していたので、ジャコの全コレクションとフルトベングラーのベトベン交響曲全集をコピーして(凄い組み合わせ!)、そこそこのカナル型イヤフォン(6千円くらい)で暫く聴いていました。驚いたのは、スピーカーで聴くよりも細部までハッキリと聞こえる事です。特に交響曲の低音(楽器音+ホールの響き)まで聴き取れて、指揮者がそれを意識しながら音を伸ばしたり止めたりしている様子が分かりました。響きの美しい所では鳥肌が立ちそうになったくらいです(50年代のモノラル録音+携帯電話で。しかも電車の座席で。)。それまで使っていたメーカー製の4万円程度で全部そろうセットのコンポでは、そんな風には全然聞こえませんでした。(なんがモゴモゴ、モワモワしか聞こえない。アタマに来たのでスピーカーボックスを破壊したところから、オーヂオイヂリが始まった訳です。その箱は今は補強してウーハー用に使ってます)

で、その後まともなMP3プレーヤーとイヤフォン(1万円くらい)のを買ってコレクションを片っ端に聴き直した結果、それまでは音楽の一部しか聴き取れて(感じ取れて)いなかった事に気付きました。ショック!。正直言って、ホントに真剣に音楽聴くならイヤフォン再生の方が向いていると思います(ヘッドフォンでしか聴かないオーディオ種族が居るのも納得できます)。でも一日中イヤフォンしてる訳にも行かないし、邪魔だし、なんとかスピーカーでも同じように聴けるようにしよう!!!!!でLEANAUDIOを始めた訳ですね。

それでは何が(ハチマル定義の)「忠実再生」を邪魔しているのか?とイロイロ作って聴いて測定した結果、

1) スピーカーから耳までの距離(つまり部屋の音響特性)
2) スピーカーの低音再生限界(30Hzくらいまでしっかり信号が入っているのに全部が聞こえない)

の2項目が最大の問題であるという結論に達した訳です。敢えてもう1項目追加するならば;
3) バスレフポートの音(周波数ドメインではなくタイムドメイン的問題だと思う)
パルシブな音(ピチカートベース)が妙に聞こえるので僕には気色悪く感じます。なんか酔いそうな感じというか。。いわゆる「タイムドメイン」と称して売られているスピーカーにはバスレフポートが付いていたような気がするけど、なんか矛盾するような気がしないでもないような。。。。

他の影響はこれらに比べると「屁」みたいなものです(まあでも「屁」をイヂルのがオーヂオイヂリの楽しい部分でもある訳ですが)。こいつをなんとかやっつけない限り「好み」だ「感性」だ、どのこのと言って「屁」をイヂッテいる場合ではない。全部ちゃんと聴かんとアーティストに対して申し訳ないじゃないか。。と。そいうのが「ぴゅあ」オーヂオというやつではないのかと(この「ピュア」というのはども胡散臭くて好かんけどね)。。。

で、その経緯を綴ったのがこのブログでありますが。。。と長々と書いて来たのですが、今回は何を言いたかったんだけ。。。。アレレ??

これだっけ?
1) そこそこ上等のカナル型イヤフォンで音楽を聴いた事がない人は一度聴いてみてください。原音(ソースの音)をできるだけそのまま聞き取るためのある種のリファレンスとして便利です(部屋の影響なし、超低音まで聞こえる、バスレフポートの音もなし、クロスオーバーもなし(マルチのイヤフォンもあるみたいですが))。

あ、それとこれかな?
2) 測定も是非やってみてください。今時パソコンとパソコン用マイクがあればフリーソフトで簡単に測定できます。測定では表れないような微妙な感覚や感性の問題を云々する以前に、簡単な測定で明らかに分かってしまう程度の問題は優先して解消しておくのが物事の進め方という物だと思います。なんか「データ」って「感性」に相反するもののように思われがちなのが非常に残念ですね(特に文系の方にその傾向が強いかな?)。データは単なるツールに過ぎず、目的ではありません(プロのエンジニアや医者でもここのところが血肉として分かって無い人が多いのも事実です。特に日本人にはその傾向が強い)。このデータというツールを最小限にうまく使うと、目的へより効率良くアプローチできる(つまり時間もお金も節約してより良い結果が得られる)というだけの事です。

逆に音楽を聴く時には無用なデータや知識(ライナノーツ、特にセンセ方のご意見、蘊蓄等々)は一切不要。作品のみが全てを語るはずです。

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2010年01月20日 (水) | Edit |
そろそろ本題に入りたいと思います。あくまでハチマル独断の言いたい放題ですので、そのへんはご容赦を。。。

2. 基本コンセプト
基本的に「音楽」をより経済的に、より手軽に、より深く楽しむための装置を目指します。「音質」を追求するための装置ではありません。

1) たとえどのようにコンパクトなシステムであろうとも、十分な低音再生能力を備えること
交響曲に限らず、西洋音楽を十分に楽しんで聴くには、低音がしっかりと聞こえる事が非常に重要です。「システムが小さいから」といった理由でおざなりにすべき問題ではなく、「音楽再生用装置」を唱う全ての製品は、まず低音再生能力の確保に努めるべきだと思います。ハチマルがここで言う低音とはズンドコ馬鹿低音の事ではありません。記録されている音をそのまま普通に聴くための低音再生能力です。中高域も当然重要ですが、それは今の技術でも何ら問題なく再現でき、また個人的な「好み」に大きく依存する領域でもあるため、ここでは敢えて言及しません。

2) 利便性が高いこと
特にハチマルのような無精者には、CDの交換が音楽を楽しむ上での大きなネックとなります(ジャケと中身は全く一致しなくなり、聴きたい盤を探すにも神経衰弱状態となる)。iPodを使い慣れた若い世代にも、CDの交換なんぞウザッタイ事この上ないに違いありません。PCとワイヤレス ネットワークシステムによる分散型システムがより利便性を高めてくれるはずです。

3) 経済的でコンパクトであること、低音量でも音楽を明瞭に聴き取れること
いわゆるフルサイズのオーディオ装置はとても受け入れられません。
住宅事情から考えても、多くの場合大音量は不要です。現在の一般的住宅事情の中で、最適に音楽の楽しさを味わう事のできるシステムが欲しいですね。また、広い部屋でも高品位のニアフィールドリスニングを楽しめる装置なんてのも欲しいかも。

4) 調整やシステムのグレードアップが容易であること
部屋の状態はもちろんのこと、その日の気分や体調、あるいは音楽のジャンル、録音状態等によって、ちょうど良く聞こえるセッティングはかなり大きく異なります(実体験から)。従って自動音場補正と使いやすいイコライザは必須です。
また、基本となる低音システムを部屋に合わせてしっかりと構築し、中高域用のユニットは好みに合わせてグレードアップなり、切り換えなりできるシステムが経済的で現実的であると思います。その際のマッチングも容易にできなければなりません。

5) 音源がデジタルであることをフルに活用する
良い悪いの問題ではなく、泣いても笑っても、音源は実質的に100%デジタル化されています。であれば、その利点をとことん活用しない手は無いはずです。上記の4項目の達成にはデジタル信号処理が大きく寄与する事は言うまでもありません。

6) おっと、真空管アンプも忘れちゃいけません
真空管アンプの魅力というのは、マニアだけでなくもっと広く受け入れられるはずです。大手も無視できなくなるのでは無いでしょうか。そいえばヨドバシ.comでもシンクーカン取り扱ってますね。ハイブリッド アンプや、デジタル信号処理で真空管風味の音を創る(パナが商品化済み)などなど、方法は色々あると思います。人間はどのような音質を快く感じるのか?という心理音響学的な研究の成果も活かされるのではないでしょうか。

次回から、もう少し具体的に書いてみたいと思います。ではでは。

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2010年01月14日 (木) | Edit |
前回はすっかり脱線してしまいました。毒舌が過ぎたかもしれません。でも今回も前書きで終わりそう。

ちょっとフォローしておきますが、僕の中高生の頃と違って良くなった面もあります。それは小さな、ほとんど個人経営レベルに近いユニット メーカーやビルダーさん達の活躍です。インターネットで商売ができるようになったおかげですね。

オーディオに限った事ではなく、企業が本来の作り手としての誇りや理念を見失い利潤の追求に奔走する中で、個性的で優れた商品をしかもハチマルの経済観念から見ても極めてリーズナブルな価格で提供する小規模/個人ベンダーさん達の活躍が今後のオーディオをきっと面白くしてくれると期待しています。はっきり言って今の大メーカー製品はつまらないですね。半分死にかけ?「儲けよう→儲かる物をつくる」ではなく「世の中にとって良い物を作ろう→結果として儲かる」という基本スタンスを失うと、製造業は必ず衰退します。ビッグ3みたいに。技術立国Japanは大丈夫かよ?

オーディオ装置ってのは音楽を聴くための道具ですよね。偉大な音楽家達のスピリットに触れるための、人類にとってとても重要な道具です(ちと大げさか)。オージオイヂリを始めるまでは、全然音質なんか気にしてなかったのですが、この歳にして、ある程度きちんとした装置で聴くべきだという事がよっく分かりました。たとえば以前はベトベンを聴くにしても、交響曲よりも小編成のソナタとかを聴く方が多かったのですが、低音がしっかり聞こえるようになると、交響曲を聴くことが断然多くなったりとか。

ですから、
できるだけたくさんの人(特に若い人、それと女性)が、少しはオーディオに興味を持って、良い音で音楽を聴けるようになると良いなぁと思うのですが、今のオーヂオを取り巻く雰囲気見てると、なんか引いちゃうよなぁ。。。高い、デカイ、音もデカイ、めんどくさい、オヂサンばかり、で、iPodとせいぜいドックシステムに落ち着いちゃうわけです。まあ、以前なら僕もドックシステムで十分だと思っていたのですが、やはりそれでは明らかに不足です。せっかく「ノダメ」ブームでクラシックを聴く人が増えたのだから、やっぱりみんなにしっかりした低音でベト7聴いてもらいたいですね。そうするとベトベンファンももっと増えるんじゃないかなぁ。ベトベン様は人類の宝です。ホンマニ。

メーカーは何やっとるのでしょうか?「音楽の本当の楽しさを、より高いクオリティでより便利に楽しめる装置を、より多くの人に、より安価に提供する」事がオーヂオで金稼ぐメーカーの、オーヂオ技術者の使命だと思うのですよ、ハチマルは (なんかどこかの会社の社是みたいな)。

それでね、音源が実質100%デジタルなんだし、デジタルであることの利点を生かせば、安価で、コンパクトで、小音量でも楽しめて、CD入れ替える必要もなくて、交響曲でも楽しめて、好みのセッティングが簡単にできて、マニアックにやろうと思えばいくらでもできて、、そんな装置が作れるのに。。。

という事で、導入部は以上かな。ま、そんなような考えに基づいて、こんな装置があると良いなぁというのを、この後ぼちぼち書いてみます。

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2010年01月10日 (日) | Edit |
ハチマル独断シリーズ、その2

ハチマルの考える将来のオーディオシステムとは?
今日は前書き。さてどうなることやら。

1. 前書き
ハチマルはオーヂオイヂリを初めて2年に満たないわけですが、当初驚いたのは、デジタル信号処理技術が極めて有効であるにも関わらずリスニングオーディオ分野でほとんど活用されていないという点です。いやホント。録音現場では使い倒していると思うんですけど。だいたいCDが普及して音源が100%デジタル化されて何年になるの?いったい今までメーカーさんは何やってたの?と、技術屋上がりのハチマルの目には不思議でなりませんでした(メーカーの技術者はそれくらい百も承知だったでしょうから、受け入れるユーザ側の意識の問題なんでしょう。デジタルアレルギー?)。

その一方で、電源だ電線だナンダカンダと瑣末な事がエラク大きく取り上げられ、しかも目を向くような値段で売買されていて驚きました。いや全く。驚いてばかりですが。。とどめはオカルト。怪しげなSF風理論が堂々と掲げられ、お札やバッジみたいなのも超高価で出回ってるし(神社のお守り程度の値段なら許せるけどコイツらは馬鹿に高価。ハチマルだって両親のおかげで結構信心深い方だし、自宅にお札貼ってますよ。なので別に良いとは思うのですが値段と売り文句がねぇ。。。)。神田明神なんか秋葉原で買ったばかりのオーディオ装置のお祓いでもやれば結構儲かるんじゃなかろうかとマジで考えてしまいました(自動車では昔からやってるよね)。クラシックなら延暦寺、JBLなら金剛峯寺とかって全国お祓い場音質評価マップがオーヂオ雑誌にマヂで掲載されたりしてね。。。空海はやっぱりジャズだよな。なんとなく。技術立国Japan大丈夫かよ?信心深いのはいいんですよ。別に。僕もそいう日本人が大好きだけど。でも限度というのがね。

それでオーヂオ雑誌ね。

これもまた驚いたですよ。立ち読みしても抽象的な形容詞の羅列でほとんど意味不明だし。だいたい「音楽性」ってなによ「オンガクセイ」って。ハァ???翻訳できねぇよ。翻訳といえば、仕事でよく海外製品(開発者用の計測器等)のカタログを翻訳するんですが、これがまた美辞麗句の形容詞の羅列で(読者は具体的なデータだけが欲しいのに)、形容詞省いたら内容は半分に減らせるという代物が多いのですが、それに近いですね。ホント。だいたい評論の形態をとった宣伝だね。それと掲載されている製品の高価な事といったら、完全にハチマルの経済観念を飛び越えてますよ。最初の頃なんか値段を1桁読み間違えていても気づかず、それでも高いと思いましたもん。

こりゃもうアメリカ式資本主義の末期症状ですね。資本主義がまだ健全さを保っていた頃-ハチマルが中高生の頃のオーディオってもっと真っ当な趣味だったような気がするんですけど。強面イガグリ頭のオヂさんなんかがかなり硬派な記事書いてましたし、その頃エンジニア志望だったハチマルでも読むだけで楽しめました。

と、どんどん毒舌化して話がそれてしまいました。本題はまた後で。
お仕事の合間の息抜きに書いています(連休なのにお仕事中。週末2日ほど風邪で機能停止状態だったので。。新年会2つあったのに2つともパス。。でヤケになってます。毒舌お許しを。。。)

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2010年01月10日 (日) | Edit |
今日はハチマル独断のオーディオ論をブチ上げてみたいと思います。
あくまで独断ですので。

大前提
1) 必要な音量を確保できること
当たり前ですが、これが最も基本的な大前提です。
これによって必要なスピーカーのサイズとアンプの出力(従ってシステムのコスト)および低域ブースト可能量が決まります。
必要な音量(スピーカーから出る音響パワー)は次によって決まります。
- リスナーが快適と感じる音圧レベル(これは個人の好みによって異なる。ハチマルの場合比較的低いと思う)。
- スピーカーから耳までの距離(ハチマルは非常に近い)
- 部屋の大きさ、反響特性

2) 上記1)を満たした上でスピーカーから十分な低域出力を確保できること(高域は20kHzまでフラットを一応前提とする)
- 交響曲では30Hzまでフラット、ジャズコンボでは50Hzまでフラットなf特を確保したい(経験による独断)。
- 記録されている低域音が聞こえるか聞こえないかは「音楽」を真面目に聴く上で細かい音質云々以前の大前提だと思いますよ。低音再現性は音楽を(特に交響曲を)聴く上で凄く大事です。

3) 部屋の定在波の影響を極力回避すること
- ニアフィールド リスニングでは部屋の影響を軽減できるとはいえ、70cm程度の距離でも周囲の影響がはっきりと現れます。ハチマルはデジタル イコライザによる自動音場補正でそれらの影響を軽減しています。ハチマルの狭い部屋(マンションの4.5畳)だと1.5mも離れると凄まじい状態になります(参考)。一度リスニング位置で測定される事をお薦めします(簡単な測定方法)。
- 部屋を対策しなくてもスピーカーの置き場所だけで大きく特性が変わります。デスクトップのコンパクトな配置でも、スピーカーの高さによってf特は顕著に変化します。できるだけ高くに設置した方が良好な特性が得られます(多分デスクトップの反射の影響)。

上記は音楽を再生する上での基本中の基本であり、細かい事をチマチマとイヂル前に最優先で取り組むべき事項だと言えます。

後は「お好み」の音が出るように調整すれば良いわけですが、色々やった中で変化の大きかった項目を挙げてみます。

A) スピーカーは密閉型フルレンジ1本を理想とする(ただしあくまでも上記1)と2)を満たす事を大前提とする)
- いろいろ試しましたがこれが最も自然で明瞭に聞こえます。
- 密閉型にこだわる場合、低域の不足を補うためにデジタルイコライジングなりトーンコントロールなりが必要です。
- ハチマルはデジタルイコライザをフルに活用して、たいがいの楽曲をAlpair5密閉(2.5L)で30Hzフラット再生可能です。これはニアフィールド小音量再生のなせる技だと言えます。低域信号の極端に大きな一部の楽曲ではサブウーハーを最小限に併用しています。
- より大音量で条件1)と2)を満たすには、
①フルレンジ ドライバー/ボックスのサイズを上げる、
②バスレフ型にする、
③ウーハーかサブウーハーを追加して不足分を最小限に補う、
といった手段が必要となります。
①の場合高域に不足を感じるようであれば、ツイーターを補助的に追加する必要があるかもしれません。

B) デジタルイコライザで周波数特性を完全にフラットにして比較してもスピーカーによって音が明らかに異なる
- 計5種類の8cmフルレンジ ドライバを全く同じ密閉箱に入れてフラットなf特に補正した状態で比較しましたが、それぞれに独特のキャラクターを持っています。
- というわけでメイン スピーカーの選択によってシステムの音色がほぼ決まります。どれを選ぶかは全く「お好み」の問題。好きなスピーカーに当たれば大ラッキー。僕はAlpair5で大当たりでした。

C) 真空管アンプと半導体アンプの音は明らかに異なる
- スピーカーに次いではっきりと音色を変化させる事のできる要素だと思います(と言ってもTU-870の音しか知らないですが)。使用する球によっても音色がはっきりと異なるそうです。そういう意味でスピーカー選びに近いかもしれません。
- 真空管と半導体のどっちを選ぶかは全くの「好み」の問題ですが、まだシンクーカンを試した事がない方は安価なもので試してみる事をお薦めします。一気にはまるかも知れません(TU-870お薦めです。これで魔境にはまり込む方多いようです)。

D) あとは良く分かりません
- 電源なり、電線なり、スーパーツイータなり、超高級品なり、お札なり、耳の敏感さとお財布の具合で。。と言う事でしょう。
- 高級品は試した事がないので良く分かりません(1装置3万~5万円がハチマルの考えるリーズナブル ライン)。スピーカーケーブルには一応それなりのFOSTEX製を使用していますが、普通の細い電線と比較しても有意な違い(気分や体調や時間帯による聞こえ方の違いを明らかに超える違い)は感じられませんでした(50cmくらいしかないし)。スーパーツイータも安物を試しましたが全く聞こえません(数ヶ月間付けたり外したりしたんですけどね)。過去に十数年間にわたって超爆音エンジンを扱っていたので耳にダメージがあるのかもしれません(年齢もだし。。50)。


開発屋としての経験から次の2点が大切だと思います。
1) とにかく大事なのは「自分はどのような音で音楽を聴きたいのか」というイメージをハッキリと持つこと。目標設定がはっきりしないプロジェクトは必ず迷走して時間とコストを徒に無駄にしてしまいます。一度箇条書きにしてみる事をお薦めします(参考>)。

2) 目標が定まったら効果(変化)が大きくて手っ取り早いものから攻めることも鉄則です。それだけで90%は達成できるはずです。残りの10%がマニアックの世界(金に糸目を付けず、魂を悪魔に売りさばいても良いという世界)。あたしゃ嫌だね。。よくあるのが例えば基本50%達成くらいのところでマニアックの泥沼に没頭してしまうこと。例え悪魔に魂を売っても60%にしかなりません。

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2009年05月14日 (木) | Edit |
以前にも同じテーマで記事を書きましたが、時間もたったので再度考えてみたいと思います。
以前の関連記事はコチラ

僕にとっては、やはり「聴きとりやすさ」あるいは「明瞭さ」が音楽を聴く上で最も重要みたいです。「音」そのものの「質」ではなく「音楽」の「聴き取りやすさ」ですね。例えば落語とか誰かの講演を聴く場合、話者の話している「内容」をストレスなく聴き取れることが何にも増して重要になりますが、僕が音楽を聴く場合もこれに近いのかもしれません。なので細かい音質よりも音楽全体の構造がはっきりと聴きとれることを重要視します。

低音を重視するのもそのためです。というのは中高音は苦労しなくても普通に再生できるのですが、特にコンパクトなシステムでは低音の再生が難しくなります。そうすると僕の大好きなベース君の「声」が聴き取りにくくなるので、どうしても耳をそばだてるような感じになってしまいます。

一般的に西洋の音楽はクラシックに限らず低音を土台にしてピラミッドのようにハーモニー(和音)を構成するので、低音がしっかりと聴き取れないと、そのハーモニーの土台(基音)がぼやけてしまいます。ジャズだって決められたコード進行に基づいて各楽器が音を出し合うわけですから、その最低音部を受け持つベースが良く聞こえないと、どうもイライラするんですね。昔からの癖ですが。。。

楽器の最低音階はコントラバスが41.2Hz(エレキベースも同じはず)、ピアノだと27.5Hzですから、やはり30Hzくらいまではできるだけフラットに再生して欲しいと思います。パイプオルガンはもっと低いそうです(僕は聴かんけど)。

低音と並んで重視したいのが定在波の影響です。

一般的な部屋サイズだと50から100Hzの重要パートに定在波の影響が出るので、これはなんとしてでも避けなければなりません。50Hz以下だと音階情報はかなり希薄になるので我慢できるかもしれませんが、50から100Hzはもろベース帯域ですので絶対に許せませんってなわけでお手軽に回避できるニアフィールドリスニングが僕にとってはベストなわけです。

だいたいオーディオ「システム」はスピーカーで終わるわけではなく、スピーカーから耳に届くまでの伝達経路 (すなわち部屋) も含めて1つの音響システムを構成していると考えるべきです。並のレベルのオーディオ機器であれば、音源からアンプ出力までの電気システムにおける信号歪みなどは、スピーカー以後の音響的歪みに比べて随分小さいはずです。例えば100Hzから出力が減衰するスピーカーから出る音は、既に原音から大きく歪んでしまっているわけです。波形を見てすぐ分かる程度に変形しているはずです。定在波による大きなピークやディップがあると、耳に届く音波の波形はさらに激しく歪みます。

「原「音」再生」を唱える人ほどイコライジングは「信号」を歪めるからと拒絶する傾向にあるようですが、イコライジングしない「音」(信号ではない)の方がもっと歪んでいる場合が多いはずです。というかイコライジングはこのようなスピーカー特性や定在波による本来あってはならないが現実的にはいかんともしがたい音響的な歪み(信号の歪みではない)を修正するために使用しているわけです(最終的に大事なのは信号の歪みではなく耳に届く音波の歪みです。鼓膜を振動させて初めて「音」になるわけですから)。アナログ回路によるイコライジングにはとかく問題がありますが、音源が既にデジタル化されて随分年数が経った現在においてデジタルイコライジングはもっと積極的に使っても宜しいのではないでしょうか?

僕がオーディオシステムを考える場合、まずスピーカーから出る音が低音までしっかりフラットな音響出力を持つ事、次にスピーカーを取り巻く環境 (部屋や反射物) とリスナーの位置を含めたトータルな音響システムの伝達関数も可能な限りフラットである事が大前提であり、それをおざなりにして必要以上に細かい事にこだわっても、「音楽」の「内容」を「聴き取る」上で大きな効果は得られないと思っています。

そんなわけでカナル型イヤフォンの低域の聴きやすさに感激し、それを目標にオーディオシステムをあれやこれや試してきたわけですが、現在は馬鹿ブーストのおかげでたいていの楽曲を8cmフルレンジ一発で30Hzから20kHzまでフラットに聴けるようになり、しかもAlpair5は全域極めて明瞭な音を出してくれるので、僕の望む理想に近い状態がほぼ得られたと思ってます。まああとは「春の祭典」をどうやっつけるかですが。。これに対しては、精密なデジタル チャンネルデバイダを使用して50Hz以下の低音だけを最小限にサポートする高品位なアシストウーハーを考えています。窓が閉められるようになる秋以降までは何もしませんが。。。

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