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2013年06月04日 (火) | Edit |
前の記事に頂いたTollheitさまからのコメントへのご返答も兼ねて、僕の「音場」に関する一般的な考えを書いてみます。

いろいろなジャンルの音楽を聴く僕ですが、交響曲や教会音楽等、広大な空間の反響音(時間的遅れを伴うホールトーン)が音楽の内容に重要な役割を持つ楽曲の場合、家庭のステレオスピーカでそれらを正しく再生する事は非常に困難であるように思えます。なぜかというと、ホールに比べて圧倒的に小さな再生場空間の音響特性が影響するためです。

もちろん、どのようなソースでも部屋の音響特性は影響しますが、ジャズにせよロックにせよクラシックにせよスタジオ録音盤や小編成のソースではそれほどクリティカルとは感じないのに対し、交響曲の再生は全く特別であるように僕には感じられます。これは、楽団とホールが渾然一体となって一つの巨大な楽器を成し、聴衆はその巨大な楽器空間の内部で聴くという状態だからでしょう。

ここで僕が重視しているのは、反響音の聞こえる「方向」ではなく「時間的」な遅れや減衰具合です。僕はカナル型イヤフォン+携帯電話でフルトベングラさんのベトベン交響曲全集(モノラル)を聴いて始めて交響曲を聴く醍醐味を知りトリハダが立ちました。指揮者は明らかにホールの反響に合わせて棒を振っており、楽団の音とホールの音を調和させようとしています。指揮者とは楽団とホールが渾然一体となった巨大な楽器の奏者なのだと、全く遅ればせながら実感しました。このような巨大な楽器の演奏を楽しもうとすると、ホールに比べて圧倒的に小さいお部屋の音響的影響は全く邪魔にしかなりません。これは方向感覚を伴わない時間的な空間効果であると言えます。

一般的に僕は、再生音楽を聴くに際して、視覚的に明確な方向感覚を求めません。聴覚の方向認識能力は視覚に比べて非常に曖昧であり、通常は聴覚以外の情報(視覚等の他の感覚からの情報、過去の経験、予備知識等)も含めて総合的に音の方向を判断しています。例えば、ジェット機の音が聞こえた場合、我々は聴覚の方向感覚だけに頼るのではなく、過去の経験からそれがジェット機の音であると判断し、上空を見上げて飛行機雲を視覚で確認し、その音は上空から聞こえているのだと判断します。

トランペット奏者が後方に居るという予備知識が全く無ければ、ホールの環境やリスナの聴覚的空間認識の訓練度合にもよりますが、それが突然鳴っても何処で鳴ったのかは俄には分からないでしょう(ゴルゴ13なら確実にポイントできるでしょうけどね)。ステージにはトランペット奏者が見えないのにホールのどこかから突然トランペットが聞こえたぞ!と驚いてグルット見渡し、あ、後に居たんだ!と分かるという具合でしょう。しかし、もしリスナがトランペット奏者は後に居るという予備知識を持っていれば、トランペットが鳴った瞬間に後から聞こえたように感じるでしょう。聴覚による空間認識とはその程度のものです。ただし、訓練によりかなり鍛える事ができるとも言われています(ゴルゴ13のようにね)。

サラウンド方式では、ステレオ方式よりもホールトーンを再現しやすいかもしれませんが、やはり部屋の影響を受ける事に違いはありません。部屋を無響室並にできるのであれば、サラウンド方式にはかなり期待できるとは思います。あるいは、多数のスピカで頭部をグルット囲むようにニアフィールド配置すれば、かなり良好な再生ができるでしょう。しかし、それでは大げさ過ぎますしヘッドフォンよりも不自由ですね。そもそも、部屋に8本もスピカを置くなんて、世の多くのヒトビトには受け入れられないでしょう。サラウンドシステムは、純粋に音楽鑑賞用というよりは、派手に演出されたハリウッド映画(ドルビーサラウンドだっけ?)をオウチに持ち込もうというのが狙いの装置であるような気がします。オペラ等の映像付き音楽ソフトを楽しむには良いかもしれません。

純粋に聴覚で音楽を楽しもうとする場合、普通のお部屋でスピカで再生する限り音場再現にはどうやったって無理があるので、ヘンテコリンな演出はせずにいっそモノラルで真面目に録音してくれた方が音楽が聴きやすくてエーンチャウ?というのが僕の正直な感想です。実際、フルトベングラさんの交響曲(最近はヘッドフォンでよく聴く)やマイルスの古い録音を聴いても、モノラルでゼンゼンOKやん。。。と思います。

という事で、僕は、そのように広大な空間が生む音響効果(といっても方向ではなく時間的な現象)が重要となる交響曲等のソースには、部屋の影響を全く受けないヘッドフォン方式(多少人工的処理を加えたバイノーラル方式)が最も現実的であろうと考えます。バイノラル方式は音場の記録・再生において原理的に極めて理に適っており、お手軽でありコンパクトであり低コストです。そして再三申しているようにヘッドフォン・イヤフォンは「音楽再生クオリティ」の観点でも、巨大な振動板をガシガシ動かして巨大な量の空気を駆動せねばならないスピーカ方式よりも遙かに優れています。最大の欠点は身体に直接装着する必要があるという点ですね。

恐らく、真面目に制作されたバイノーラル方式のソースの定位感は、演出・強調された現在のステレオ方式やサラウンド方式ほど視覚的に明確ではないはずです。前方にある程度の距離を置いてオーケストラを配した通常の録音ではモノラルソースに近いでしょう。しかし、それが本来の自然な状態です。実際ホールで音楽を聞いている状態では、音がどっちから聞こえるかなんて全く気にしていないでしょうし(方向認識は専ら視覚に頼る)、反響音が四方八方から聞こえるため目を瞑ってしまえば音源の方向は判然としないでしょう。僕も実際に試して見ましたよ。

サラウンド方式で気になるのは、サラウンド効果を強調するために、オーケストラがリスナをグルッと取り巻くように配置したようなソースが見られる事です。人間は興味の対象に無意識に正対しようとします。このように、オーケストラの各楽器がぐるっと広く展開してしまっては、本来1つの巨大な楽器となるべきオーケストラの全体に意識を向けにくい(無意識に全体を把握しにくい)のではないかと思います。「わー、なんか囲まれてるぅーーー。スッゴーーーイ!みたーいなぁぁー」ハリウッド的エンターテインメント性はあるでしょうが、音楽ソノモノは聞きにくいでしょう。 これでは飛び出す映画とオンナジ。

実際、ジャズのスタジオ録音盤(ステレオ)をヘッドフォンで聞くとリズムを司るベースとドラムスが左右に完全に分かれて集中し辛く感じる場合があります。左の真横にベーシストが居て、右の真横にドラマが居る状態ですから全く不自然です。このため僕は例の抵抗を挿入してセパレーションを弱めます。その反面、外出時は余り気にせず聞いています。気にしなければ気にせずに済みます。殆どのリスナはそのように気にせず聞いています。まぁ、オンヂョとはその程度のものです。

個人差は多少あれども、聴覚の空間認識分解能は視覚に比べて圧倒的にアヤフヤであり、例えば上記のサラウンドソースのようにそれを視覚的に明確にしようとして極端な演出をすれば、最も重要な音楽全体の聞こえ方は不自然になるでしょう。一方、時間的分解能は聴覚の方が視覚よりも遙かに優れます。動画のサンプリングレートは毎秒数10コマに過ぎませんが、音楽のサンプリングレートは毎秒数万以上ですからね。僕が、ホールトーンの空間的再現(方向)よりも時間的再現(反響音の遅れ)の方を全く重要と感じるのは、恐らくこのためでしょう。

聴覚にムリヤリ視覚的な空間認識をさせようとする「オンヂョ」は僕に言わせれば、オコチャマ向け「オマケ」です。過剰な演出効果は邪魔にしかなりません。

今後、ヘッドフォンの普及に伴ってバイノラルソースが作られるようになったとしても、そのようなギミック的オコチャマ向け効果はゼッタイニ追い求めて欲しくありません。あくまでも「音楽」の全体を「自然な雰囲気」で聴けるようにしてくれれば良いわけであり、バイオリンが何処に居るかを実際以上にハッキリと視覚的に聞き分けられる必要はゼンゼンなかろうと思います。そんなもん全く重要だとは思えません。ちゃんと音楽聞かせんかい。音楽を。。。です。

ヒヨロンカがソーチをヒョウーカするにあたって、やたらと微に入り細に入り「オンヂョ」とか「オンゾ」について云々するため、オヂオザッシ購読者達(オヂオマニア達)にもオンヂョを過剰に意識する傾向が見られます。僕は数年前にLEANAUDIOに着手してオヂオの現状を知り全く驚きました。オクチパクパクとかタテニヒロガルとかヒロガラナイとか。。。あんな原理的に全くエーカゲンで部屋の影響を致命的に受けるステレオ方式のオンジョを微に入り細に入り評価しているなんて。。。

オヂオザッシの弊害を全く受けていない普通に音楽を愛聴している者達はステレオ感を殆ど意識していません。聴覚の空間認識なんてソンナ程度のモンですから、偏ったメディア情報に影響されなければ、そもそも大して気にするものではないという事です。ビトルズはステレオ方式が出回ってもずっと後期までモノラルで作品を作っていましたし、ジョージ君なんかステレオスピカを2つくっつけて聞いていたなんて情報もあります。マニア達が評した「音楽家達のオーディオ」でも、音楽家達(主にクラシック畑)は総じて音場に無頓着であり、彼ら(音楽家達)のオヂオは自分達(マニア達)のオヂオから乖離していると結論付けています。背後に無造作にスピカを置いている大家も居たとか。僕には大いに納得できるトコロです。

日本のオヂオ界は、ある時代までオンヂョをさほど重視しなかったそうです。確かに僕が中高生の頃に読んだ雑誌にはオクチパクパクとか書いてなかったように思います。現在の異常なオンヂョ重視傾向は、ある時期にヒヨロンカ達が海外の動向に影響されての事だと聞きます。まぁ、ポエムのネタが増えるので、彼らには有り難いという事ではないでしょうか?

視覚に比べて時間分解能に圧倒的に優れる一方、空間分解能に全く劣る聴覚のみを使って体験する再生音楽においては、視覚を模したようなギミック的空間表現よりも、複雑かつダイナミック極まりない音楽の時間および周波数ドメイン的再現性の方がヒャックオクマン倍重要であると感じます。故に、僕は視覚的空間認識を徒に強要するような演出は「無駄なオマケ」と考えるという事です。

オマケによって最も重要な音楽再生が疎かになってはアキマセン。基本の音楽再生クオリティを最大限に重視し(もちろん、それ以前に音楽の内容ですが)、それを自然な雰囲気で聞けるように適度な空間効果を加える程度で良いのでは?と思います。 全く意識に登らないような自然な空間演出で音楽に浸れる(シンクロできる)状態が最良でしょう。敢えて意識すれば「あ、この楽器は右寄りに居るのかな」となんとなく聞き分けられるけど、意識しなければゼンゼン気にならないという感じでしょうかね。そいうので十分だと思います。今の幅狭配置のZAP君のスッテレオ感はそんな感じです。

音場に関しては今までにも散々書いてきました。下の記事もご覧ください。

マニアはどうして音場に拘るのか?
ステレオ方式の左右SPの干渉
バイノーラル方式を見直しても良いのでは
空間認識について - ケロ開発中の経験
空間認識がどうたらの補足
聴覚と空間認識について
音場の再現性について考える - 3 音場ってホンマに重要?
音場の再現性について考える - 2 バイノーラル方式
音場の再現性について考える - 1 ステレオ方式
臨場感なんぞクソクラエ
自動車開発分野におけるバイノーラル録音の実施例

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2012年12月21日 (金) | Edit |
スタジオ関係の最終回です。

ちょっと根本的なところに遡ります。

僕達は、アーチストさん達がスタジオで録音してコンソールで調整して最終的にリリースした媒体をオウチで再生して聴くわけですが、それって一体ナニを聴いておるのでしょうか?

以前の記事「理想のスピーカーって非ピストニックモーションなの? 」では、話を単純化するために、ホールの客席のどこかに置かれたマイクロフォンをモノラル再生する場合について考えました。そこでは、マイクロフォン位置で電気信号に変換された音圧変動(音の波形)をリスナの耳近傍まで伝達する事がスピーカの基本的役目であると書きました。しかし、これはマイクロフォンを1本だけ使う非常にシンプルな録音の場合にのみ成り立ちます。あるいは、バイノーラル録音では理論的にかなりの精度で成り立ちます。しかし、現実的に世の中に配布されている音楽媒体の殆どはそう単純ではありません。

実際の録音では、様々な効果を狙って多数のマイクロフォンを様々な位置/距離に設置します。また、全ての楽器を同時に演奏するのではなく、先に録音した音を聴きながら新たな楽器パートを付け加えたりもします。同時に演奏して録音する場合でも、各奏者を別々のブースに入れて他の楽器の音が混じり合わないようにして録音する場合もあります。このように生演奏とはプロセスが全く異なります。

マイクの位置も様々です。楽器の極近く(10cmとか)に設置する場合もありますし(直接音のみなので音が非常にクリア)、離して設置する場合もあります(スタジオは無響室ではないため、マイクを離す事により部屋の残響効果が得られる)。近くと遠くの両方に設置してミクスする場合もあります。エレキギターの場合、楽器からラインで直接録音する事もあれば、ギターアンプのスピーカの近くや遠くにマイクを設置する場合もあるようです。要は、彼らが媒体を通して我々にナニをドノヨウニ伝えたいのかによって、録音方法は千差万別だという事です。そして、そのように制作された媒体をオウチで聴くという事は、生演奏を聴く事とは全く異なる音楽体験であると言えます。

余談になりますが、何度か当ブログで採りあげたように、同年代にリーダー以外ほとんど同じメンバーで録音されたマイルスのアルバムとハビハンコックのアルバムでは、全体の雰囲気が全く異なります。マイルスの作品はひたすらシャープでクール。ロンさんのベースのレベルは全体に抑え気味で非常にタイトです。LEANAUDIOの1つの大きな目標は、このロンさんのベースをイヤフォン並に聴きやすくする事でした。対してハビさんのアルバムでは、ロンさんのレベルが比較的高く、低音がやや膨らみ気味でタイトさはマイルスほどではありません。マイルスの終止張り詰めた緊張感とは対照的に、全体的に暖かみのあるソフトな印象を受けます。このように、表現者の意図によって、同じ奏者、同じ楽器でも随分印象が異なって聞こえます。PAを通さぬ生演奏であれば、もちろん演奏そのものは異なっても、音の印象はそれほど異ならないでしょう。

話を戻します。
クラシックのオーケストラの録音では、2~4本のマイクを指揮者の3~5m後方、高さ3~4mあたりに設置するだけのシンプルな方法が使われる事もありますが、楽器パートごとに多数の近接マイクを使う事が多いようです。

下はネットで見つけたマイクの配置図です。
90.png
これは1つのステージで録音しています。先ほど述べた指揮者後方のマイクで全体の音を拾い、パート別に近接マイクを使っています。

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この図では、一部の楽器を独立したブースに入れて録音しています。

で、どのようなジャンルにしろ、そのように多数のマイクで拾った、時には別の時間/別の場所で録音された音を、最終的に2chにミクスダウンするわけですが、単純にレベルを調整して混ぜるだけではなく、様々な効果が人工的に加えられます。クラシックでは楽器の音そのものをあからさまに変えてしまう事はないでしょうが、その他のジャンルでは様々なエフェクタを駆使してかなり手が加えられようです。例えばドラムスの音やエレキギターのカッティングの音などは、コンプレッサを通してアタック感を強めたりします(要は波形の立ち上がりや立ち下がりを実際とは変えてしまう)。それはそれは、様々な事をやっているはずです。

そして重要となるのが、ディレイやリバーブ等のいわゆる空間系と呼ばれるエフェクタです。これらによって録音した音に残響効果を加えて空間的な拡がりを演出します(たとえモノラルでも)。近接マイクの音には残響音が殆ど含まれないわけですが、人はそのような音を不自然で不快に感じます。無響室には何度も入った事がありますが、反響が全く無い空間では異様な圧迫感を覚えます。僕達は普段、何らかの反響がある環境に住み慣れているという事でしょう。例えば、スタジオ録音では、奏者はヘッドフォンで自分が出した音(と他の奏者の音)をモニタリングしながら演奏しますが、この際モニタ用の音に適度なリバーブをかけないと非常に演奏しずらいそうです。

クラシックでも同じで、最近の録音では大概DSPを使った人工的なホールトーンが加えられているそうです。確かに、最近買ったベトベン全集の録音には最初驚かされました。僕が持っているクラシックのCDの多くは親父のLPコレクションで気に入ったやつをCDで集めたものなので、殆どがアナログ時代の古い録音です。そのような録音を聴き慣れた僕の耳には、今世紀に入ってから録音された盤は響き過ぎて凄く異様に聞こえました。なにか遠くで鳴っているようでモドカシクて聴きにくく、「音楽」に(ベトさんに)アクセスし辛く感じたという事です。この上ソーチで響かせるなんてドナイヤッチューネン、ホンマニです。でも最近は慣れてしまったのか、余り気にならなくなりましたけどね。

いずれにせよ、そのように、媒体には我々が快適に音楽を楽しめるよう、適度な反響音が慎重に(時には過剰に)加えられています。このため、人々は部屋の反響の全く無いヘッドフォンやイヤフォンでも十分快適に音楽を楽しむ事ができます(であるからこそ、ヘッドフォンが今や主流になるかと思われるほど普及した)。もし空間系エフェクトが全く加えられていなかったら、ヘッドフォンや、LEANAUDIOのような超ニアフィールドでは聴くに堪えないでしょう。「オヂオ」ではなく「音楽」を専ら興味の対象とする場合、基本的にオウチの再生装置で余分な響き(付帯音)を敢えて加える必要性は無いように思えます。再生時に余分に加えられた音は基本的に信号に対するノイズであり、過剰であれば内容が聞きにくくなるだけです。日頃ヘッドフォンで音楽を聴き慣れた人達もそう感じるのではないでしょうか。

さて、そのような効果の全ては、適度に音響特性が整えられた(無響室ではない)コントロールルームで、カラーレーションが極力抑えられた(オンガクセー??とやらの極力無い)周波数特性がフラットなモニタスピーカを通して、彼らのプロフェッショナルとして鍛え上げられた聴覚と音楽センスでもって、彼らの一貫した表現意図の下に、我々が具合良く聴けるよう、彼らの表現意図が我々にできるだけ伝わるよう、慎重に調整されます。

我々がオウチで聴いているのは、そのように作られた媒体です。

通常の媒体を通して我々が聴いているのは、生の演奏を単純に「再現」する事を意図したものでは全くありません。生演奏がホンモノでジョートーであり、再生音楽はニセモノでヤスモノというのでも全く断じて絶対にアリマセン。別物です。生演奏を頻繁に聴いて耳を肥やさないと再生音楽を正しく楽しめないとうわけでも全く断じて絶対にありません。

例えば多数のマイクロフォンを使って最新のテクノロジを駆使して収録された交響曲の媒体は、ホールのとある席での体験を単純に「再現」するものではなく、テクノロジーと制作者の意図を通して、生で聴くのとはまた異なる、生では決して体験できない新たな体験を提供するものであると言えます。他のジャンルではもっと極端です。今さら言うまでもありませんが、ライブと録音では同じ曲でも全く表現が異なります。彼らは何も媒体を通してライブ演奏を伝えたいわけでは断じて全く全然ありません。録音でないとできない表現、ライブでないとできない表現があるわけですから、それを明確に使い分けるのは当然です。こんな事今さら言うのもハズカシイくらいですけどね。。

ですから媒体を再生するに際して「生演奏」は基準とはなり得ません。何をどうやろうが「生」の音や演奏に辿り付く事は絶対にできません。そもそも、それを目的に制作されたものではありませんし、疑似体験を目的としたものでもありません。媒体は、制作者の確たる表現意図の下に様々な調整や効果が加えられた一個の独立した「作品」であると言えます。例えクラシック作品であろうとも。

さて、という事で、音楽再生/伝達装置に求められる最も根本の命題は、表現者がスタジオで最終的に確認して俺様の作品であると承認した状態を鑑賞者に伝達する事にあります。この命題の達成には、過剰で不自然で身勝手なカラーレーションなく、音楽の重要帯域をフラットな周波数特性で鑑賞者の耳まで正確に伝達する事が基本中の基本である事に異論を挟む余地は無いでしょう。全くの基本中の基本、超ウルトラスーパーヘビー級に基本的な基本事項です。これが疎かにされては絶対になりません。世界中が同じ音質で聞けるようにするために。

オーディオを生業とするプロフェッショナルが、「ブツリトクセーなんか、シューハスートクセーなんか、オンガクをツマラナクするだけでジューヨーデハナイ」なんぞと、人前では口が裂けても言えるワケがありません。そんなの聞くと僕なんか腰を抜かしてしまいます。そのような態度は、僕に言わせれば、自動車工学の基礎を全く無視して改造した車でブイブイいわせている街のアンちゃん達と大して変わらぬように見えてしまいます。

と言うと、音楽はヘルツやデシベルで聴くものではナイ。。。。と来るわけですが、ソンナノ当たり前でしょ。僕に言わせれば、音楽はオクチノオーキサとかオンジョーノヒロガリとかオンガクセーとやらで聴くモンでも全く断じて絶対にアリマセン。表現と鑑賞にあたってデシベルとヘルツは全く関係アリマセン。ウルトラ超ヘビー級にアタリマエです。しかし、オーディオ装置は表現者と鑑賞者の間を媒介する厳然たる電気機械式情報伝達装置です。その伝達装置でやりたい放題好き放題にヒョウーゲンとやらしたらアカンでしょ。

もちろん、あくまでも民生用機械なので、多少の融通は必要でしょう。僕だって時々シンクーカンで聞きますしね。しかし、超ウルトラスーパーヘビー級の基本事項を軽んじては決してならぬという事です。走る曲がる止まるがマトモニ出来ない車にゴヂャスなシャンデリアを飾り立てて、色がドーダ、反射がドーダ、輝きがドーダとツイキューしても駄目でしょう。そういう事です。

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2012年07月04日 (水) | Edit |
昨日、本当に久しぶりに、家内と一緒に生演奏を楽しんできました。

マリオ ブルネロさんによる無伴奏チェロ リサイタルです。会場はウチから歩いて行ける三鷹市芸術文化センターの「風のホール」(コチラ)。

演奏には二人とも大満足で、楽しい家路となりました。家内は会場でCDを買って、ブルネロさんにサインを頂いて、いたくご満悦でした。

ハチマルは大好きなバッハの無伴奏を楽しみにしていたのですが、実際にはチェロの多彩な音色を堪能できた他の2つの演目の方が楽しめました。特にカサドの組曲には、えらく感動して、ジャズのライブのように演奏が終わった瞬間に思わず声を上げそうになったほどです。クラシックでイェィ!はアキマセンよね。この曲が入ったブルネロさんのCDは持っているのですが、今までそれほど好きではなく、やはり生で聴いてみないとアカンねぇ。。。。

近所に住んでいながら「風のホール」は今回が初めてです。このホール、響きの良さで定評があるようなのですが、ハチマルにとっては、特にバッハの無伴奏を聴くには、ちょっと響き過ぎに感じました。最初の演目(バッハの1番)が始まった瞬間、音と視覚が一致しない、つまりステージのチェロから音が出てるという実感が希薄で、映像を見ながら別の所に置かれたスピーカで聴いているような奇妙な感覚を覚え、この違和感は最後まで消えませんでした。正直、え!? PAなの?と一瞬馬鹿な考えが頭をよぎった程です。

オヂオ的に言うならば、テーイ感が希薄だという事です。これは直接音に対して反射音の割合が大きいからだと思われますが、特にバッハはもっと質素な響きで聴いてみたかったですね。繊細なパートで音が混じってしまって聴き取りにくく、もどかしく感じる事もありました。家内も、演奏が始まった瞬間に驚いたと、全く同じ事を言っていました。

下は座席表です。H列の左側の席でした。
wind_seat.gif
今度機会があれば、ステージ横の2階席で聴いてみたいと思いました。

ハチマルの場合、「音」そのものにはあまり拘りが無いせいか、生演奏の「音」が格別に「良い」と感じた事は余りなく、ホールの音響や座席位置によっては、「純粋に聴覚的な部分だけで言えば」、再生の方が楽しめるなぁと感じる事も度々あります。しかし、再生のように聴覚情報だけではなく、今この瞬間に、目の前で僕達のために演奏に没頭している奏者の気迫や立ち居振る舞いやお人柄を肌身で感じる事ができる点で、やはり生演奏は格別だと思います。それを、聴覚情報しか含まぬ再生音楽ソースからオウチに「再現」しようとて、端から無理なのは明白でしょう。そもそも全く異なる体験であり、そもそも異なって全くアタリ前だと思うので、その違いに徒に拘って無い物ねだりするのではなく、それぞれの良さを素直に存分に楽しめば良いのではないかと、ハチマルはいつもそう思います。

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2012年06月07日 (木) | Edit |
ビートルズのモノラル録音盤を集めたボックスが販売されています(コチラ)。欲しいなぁ。。とは思うのですが、高価だし、すっかり記憶にインプットされてしまったビートルズを今さら聴き直すかどうか甚だ疑問なので、いつもポチ寸前で手が止まってしまいます。

「実際にビートルズが立ち会って、ジョージ・マーティンが時間をかけて作り上げたのはモノラル・ミックスだけ」「当時はステレオの再生装置がさほど普及していなくて、ステレオ・ミックスは重要視しされていなかった」「だから、モノラルミックスこそが、ビートルズの求めていた音」

だとのこと。欲しくなりますねぇ。。。ステレオ盤をモノラル再生したのとは違うのでしょうかねぇ。。ハチマルがビートルズを集中して聴いた中高生の頃は、いずれにせよ装置がモノラルラジカセでしたけどね。

とある方のご感想:
「モノラルだとステレオのような広がりがない、だから迫力がない」と考えるのは間違いです。音が同心円上に広がってきます。左右に分かれていないだけ、オーディオではなく音楽そのものと対峙している感じになります(現実世界の楽器もすべてモノラルの音ですしね)。
ですよねぇ。。。ハチマルもそう思います。モノラルの方がかえって音にリアリティというか実体感があるようにも思えますし。

後期作品と言えるホワイトアルバムまで、彼らはモノラルミックスで作品を完成させていたらしく、その後の工程で(彼らがどの程度関与したのか知りませんが)ステレオミックスが派生的に作られたとか。ホワイトアルバムのリリースが1968年ですから、ステレオ盤が出回り始めてから10年以上たっています。当時音楽界において最大の存在であり、ライブ活動を一切止めてスタジオに籠もり、最先端の録音機材を駆使して再生音楽による表現の可能性を開拓していた、あのビートルズが、モノラルを前提に作品を作っていたという事です。

一般家庭へのステレオ装置の普及がそれほどユックリとしたものであったという事なのでしょうが、「ステレオ」を「バッタモン」的に見る風潮も業界にはあったのではないでしょうか。僕には、未だに「ステレオ」がバッタモンのように感じられます。

ただ、マイルスのKind of Blue (1959)は既にステレオ録音されていますから、このへんはアメリカとイギリスのお国柄(技術力、大衆の消費力、新しい物好き、エンターテイメント性重視、メーカの利益重視等)の違いなのか、あるいはビートルズ(またはジョージマーチン)が強くモノラルに拘っただけなのか、確たる事は調べて見ないと何とも言えません。

最近、家電業界は3D TVを盛んに売り込もうとしていますが、あれだって、どう見ても「バッタモン」ですよね。3Dといったって、昔からあるステレオ写真(位置を少しずらして撮影された2枚の写真を横に並べたやつ)と同じなわけで、所詮は駄菓子のオマケみたいな子供騙しに過ぎません。確かに、遠景から近景(人物等)が浮かび上がるように見えますが、浮き上がった近景自体は平板に見えるため、なんだか舞台の書き割りのように見えてしまいます。そもそもTV画面が立体的に見えたからって、ドナイヤッチューネン?です。へぇーー。飛び出して見えるねぇ。でオシマイ。チャンチャン。でしょう(あ、ポールの声が右から聞こえるねぇ。へぇーーー。でオシマイ。チャンチャン。と同じ)。もっとマシな番組作らんかい!です。ホンマニ。不自然ですから長時間見ていると気分悪くなりそう。。

これはステレオスコープと呼ばれる一種の騙し絵みたいなものですが、ステレオフォニックもこれと似たようなもんです。テーイがドータラ、オンジョーの拡がりがアータラとやたら細かく拘って音楽を聴くのって、3D TVの輪郭がドーダ奥行きがアーダってやたら気にしながらテレビ見るのと大して変わらんでしょう。なんか滑稽にすら思えます。ハチマルにはどちらも全然重要だとは思えませんし、やはり不自然ですから、効果がはっきりし過ぎると「内容」を楽しむのには邪魔にしかならぬような気がします。まぁ、オマケ程度に考えて、邪魔にならない程度になんとなく左右に拡がって聞こえるかな?くらいにしておいた方が宜しいのではないでしょうか。深追いは禁物でしょう。

追記
「バッタもん」とは、正しくは「正規の流通ルートで仕入れたものではない商品のこと。」ですが、ハチマルは「バッタモン」を「大衆の購買意欲を煽る怪しげなモノ」という意味で使っています。オヂオって「バッタモン」がやたら多いような気がするんですけど。

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2012年06月05日 (火) | Edit |
TONO君、凄く気に入っています。モノラルってホンマニエーンチャウ?

モノラルの場合、コーナー設置がお薦めです。あの高名なタンノイ オートグラフも、ステレオ方式が世に出る前に設計されたモノラル用のコーナー設置型ですよね。

コーナー設置の場合、小さめのスピーカでも低音を部屋の中心に向かって効率良く放射できるという利点が得られます。これはTONO君の実測とシミュレーションで確認済みです。

もう1つの利点は、部屋の広い範囲で良好に聴けるという事です。

これは実は重要です。普通、2本のスピーカの中央でマンヂリともせずに音楽を聴くヒトは少ないでしょう。寝っ転がって雑誌をめくりながら、ペットとじゃれながら、子供をあやしながら、家事をしながら、ノリノリが昂じて踊りながら、、、、結構広い範囲で聴いているはずです。真ん中にじっと座ってオンシツとかオンジョーにシューチューとやらして聴くのが別段偉くてジョートーな音楽の聴き方というわけでは決してありません。というか、なんかカナシというか。。。

自分にとって最もリラックスできるオウチで、全く自由気ままに人目を気にせずパンツ一丁でもスッポンポンでも、だらしなく寝っ転がろうがヨガしようが、感極まって叫ぼうが泣こうが喚こうが、酒を飲もうが煎餅を囓ろうが、好きな音楽を好きな時に好きなだけ好きな格好で好きなヒトと一緒に、つまり自分にとってその時最も快適な状態で「音楽」を聴けるわけですから、再生音楽というのは、素晴らしいコンサートホールで生演奏を聴くのとは全く別の意味で「最高の音楽環境」を我々に提供してくれます。それを素直に享受しないのは全くもってモッタイナイですよね。なんも、そこにホールでの疑似体験を無理矢理ツイキューせんでもエーヤン。ソモソモ無理だし。というか、そんな事のために、全曲真ん中にカシコマッテじっとしてなアカンなんて、せっかくのオウチやのにモッタイナイヤン。チャウモンハチャウンデスヨ。端から。音楽をホンマに楽しもうと思ったら、精神と肉体を快適な状態に置く事がとってもジューヨーだと思います。

さて、そのように日常的に自然に素直に再生音楽を愛聴しているヒトビトにとって、ステレオ方式というのは果たして本当にアリガタイものなのかどうか。逆にアリガタ迷惑ではないのか?というのがハチマルの以前からの疑問です。モノラルだとコストも抑えられるしね。。。

また前置きが長くなりました。ここから本題です。

下図はスピーカの典型的な周波数特性です。赤が真正面、青が30°、緑が60°真正面から逸れた位置で計測された特性です。
spk.jpg
このように、スピーカの真正面から横に逸れると、高い音がテキメンに聞こえにくくなります。目安としては30°以内で聴ければ良いのではないかと思います。

下図はステレオ方式の配置を示しています。赤がスピーカです。黄色の三角は正三角形です。つまり、軸線から左右に30°(頂角60°)の範囲を示しています。この黄色の中で聞けば、高音までソコソコよく聞こえると考えてください。
st.jpg
基本的に、ステレオ方式が正しく機能するのは左右スピーカの正しく中央で聴いた時だけであり、また両方のSPの30°以内に入るのは、2つの三角形が重なった図の濃い黄色の領域だけという事になります。不自由ですね。また、最も重要な主役であるべき中央の音が、左右から出る音によって擬似的に表現され(ゴースト)、また2点音源による干渉も生じるため、あまりにハッキリとステレオ効果が出ると、ハチマルには気色悪くて、落ち着いて音楽を聴けません。ですから、ケロ君もZAP君もスピーカ間距離は23cm(ほぼ左右の耳の距離)しかありません。

ではモノラルにしてSPを1本にしてみましょう。
mono-1.jpg
だいぶ気儘に動けますね。ハチマルのZAP君は、左右のSP間距離が23cmしかありませんから、少し離れるとこの状態とかわりません。デスク位置ではごくホンノリとステレオ感があります。

SPをコーナーに置きました。TONO君の状態です。
mono 2
部屋のもっと広い範囲が黄色の中に入りました。隅っこで邪魔になりませんから、部屋のスペースも有効に使えます。このように、モノラルスピーカのコーナー設置というのは魅力的です。名機オートグラフがあのようなカタチをしているのもゴモットモだと言えましょう。オートグラフの場合、部屋の壁がバックロードホーンの延長として働くでしょうから、かなり効率良く低音を放射すると思います。狭い部屋のコーナーに設置した場合、低音過多にならないのか、ちょっと心配でもあります。なにせTONO君ですら、あのような低音増強効果が出るわけですから。

なお、ニアフィールドで聴かない限り、どのような部屋でもその部屋固有のディップやピークが発生します。ハチマル部屋の場合、部屋の大半の部分で概ね250Hzに顕著なディップが発生します。当然ですが、イコライザーによる大雑把な補正が非常に効果的です。

さて、ハチマルがチョット遊んでみようかな?と思っているアイデアをご紹介します。
3ch.jpg
ステレオのサテライトSPを追加するアイデアです。無指向性にするために、上向きで天井から吊して、天井の反射を利用しようかな?と考えています。あくまでもモノラルが主体であり、サテライトは最小限に効かせれば十分であろうかと思われます。別にテーイして欲しいわけではなく、なんとなく部屋中に音が拡がった感じになるのを狙いとしています。もしかしたら、サテライトもモノラルで良いかもしれません。音楽よりも、CalmRadioの環境音を聴くと楽しめるのではないかと期待しています。最近、寝る時に雷鳴入りの雨の音を静かに流しています。寝入りが良くて具合が良いのですが、おかげで読書が一向進みません。

部屋の隅っこに1個のモノラル スピーカ。一度お試しあれ!

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2012年02月24日 (金) | Edit |
今回は、マニアは何故それ程までに「音場」に拘るのか?について考えてみたいと思います。

以前にも散々書きましたが、僕は音楽を聴いている時に音場感とか定位を未だかつて重要だと感じた事は一度たりともありません。逆にスピーカの左右距離を拡げてステレオ効果がはっきりと出過ぎると、したくもない聴覚による偽の空間認識を強要され、また、中央に定位する音も陽炎のようにシュワシュワ揺らぐような気もするため、肝心の「音楽」が聴き辛くて鬱陶しく感じます。ですから、ZAP君もケロ君も左右のスパンは230mm (ほぼ両耳間の距離)しかありません。

よく言われる「箱庭」的に聴くのではありません。基本的に「空間」認識そのものを求めないわけですから、そこに大きいも小さいもありようがありません。「音」の時間的変化が主たる興味の対象だという事です。ステレオ方式による中途半端な「空間演出」的要素によって、主たる興味の対象の知覚が阻害されるのであれば、そんなものは邪魔なだけだという事です。さる演奏家の怒りのコメント「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている」というのもそういう事を言っておるのだと思います。

以前、「音楽家のオーディオ」について、オーディオマニア達が議論していたネット上の掲示板を当ブログで紹介した事があります(コチラ)。そこでマニア達は「音楽家は総じて音場に関して無頓着であるという点で、自分達のオーディオから乖離している」と結論付けています。さる著名指揮者の書斎のオーディオセットは、彼の背後に無造作に置いてあったとか。。。。彼らは、これを音楽家特有の傾向であるかのように論じていましたが、ハチマルの周囲の音楽愛聴者達も、ハチマル同様、全く音場なんぞ気にしているとは思えません。横向きで聴いていたり、どちらかに偏った位置で聴いていたり、スピーカの配置が出鱈目であったり、黙ってモノラルに切り換えても気付かないと思います。

さて、マニア達は「音楽家は自分達から乖離している」と結論付けました(随分傲慢です。普通は逆に考えると思う)。しかしハチマルには「マニアが音楽家および一般音楽愛聴者から乖離している」というふうにしか見えません。オーディオマニア「だけ」が他から乖離していると。。

普通の(マニア以外の)人々は、再生音楽を聴くに際して、それはマイクで収録されて編集された音楽作品であり、スピーカから音を出して耳で聴くのは全くアタリマエと無意識に受け入れ、そこから聞こえる「音楽」に素直に耳を傾けます。音が自分の目の前のスピーカから出るのはアタリマエ、目の前に誰も居ないのはアタリマエなわけです。アタリマエですよね。。。。ライブでは、前方の奏者またはPAから音が出るのはアタリマエ、目の前に奏者が居るのはアタリマエなのと同じです。ライブで聴く時にオンジョーとかテーイとかクーキカンとかナンチャラカンとかオンシツとか全く気にしないで「音楽」を素直に聴きますよね。それと全く同様です。スピーカで聴く時も、そこから音が出るのはアタリマエに受け入れられるわけで、ありもしない似非臨場感に意識をワザワザ消耗するよりは「音楽」の内容に意識が向かいます。ですから、普通に音楽を愛聴する人々はイヤフォンやヘッドフォンで聴く事をさして苦にしません。音が前方に定位しない事についてアータラとブーたれる前に、「音楽」に意識が向かうからです。だって「音楽」を聴きたいわけであって、別にそれがどこから聞こえようが、大した問題ではないでしょう。85才になる僕の父は、長年主にLPでクラシックを愛聴してきましたが、最近は妹がプレゼントしたiPodを専ら愛用しています。

数年前に必要に迫られてオーディオイヂリに手を染めたハチマルは、マニア達がデンセンやオマヂナイじみたやたらコマケーオンシツに拘泥している事にも驚きましたが、音場とか定位とかに対する拘りが異常に強い事にもビックリしました。オクチのカタチヤオーキサがドータラとか、オンジョーのオクユキとかタカサとか、クーキカンとか、ケハイとか。。マニア達はほぼ例外なく、不気味なほど画一的に、音場とか定位とか臨場感とかをやたら重視します。ハチマルには、未だにそんなもんが重要だとは全く思えません(モノラルでも別に構わないと思う)。ステレオ効果なんて、所詮は飛び出るTVと同程度のエンターテインメント的ギミックに過ぎぬでしょう。

なので、マニアが音場にそこまで拘るのはナンデヤネン?????ソノココロハ???とずっと考えていたのですが、こういう事かな?と思い当たる点を書いてみたいと思います。

まず第一の要因は、オーヂオ雑誌およびヒヨウロンカの影響ではないかと見ています。

マニアの言動および行動の端々には、ヒヨウロンカの影響が絶大であり根深い事が見て取れます。中高生の頃以来、オーヂオ雑誌なんか手に取った事もなかったハチマルには驚きの世界でした。ハチマルから見れば、なんで誰も彼もおしなべてそんな奇態な「音楽」の聴き方をするのか不思議だったのですが、雑誌を何冊か読んでみて分かりました。オーヂオヒョウロンカが言ってる事やってる事とみんなオンナジ。。。オクチパクパクとかオンガクセーとかオンジョーノタテノヒロガリとか。。。みんなヒヨウロンカが言ってたのね。で、マニア達も、自分のオウチで装置をトッカエヒッカエしながら、オクチがオオキイトカチイサイトカ、オンジョーがヒロガルトカヒロガラナイトカをヒヨウロンカと同じように微に入り細に入り聞き分けようとしているらしい。。これってまるで「オーヂオ ヒヨウロンカごっこ」ですよね。

また、オンジョーだけでなく、ほとんどジョークとしか思えないオマヂナイのオンシツの「チガイ」について、ヒヨウロンカがくそ真面目に聞き分けて記事を書いている点にも驚かされました。で、マニア達も同じようにオウチでデンセンや何やかやを交換して聞き分けているらしい。それを聞き分けられる事がナンカ偉いらしい。チガイが聞き分けられたかどうかが重要であって、もう音が良いとか悪いとか好きとか嫌いとかいうレベルを突き抜けているらしい(凄い!)。。聞き分けられないとダミミとか言って恥ずかしいらしい。。自分のオウチの事は普段から「セッタク」と言うらしい。。多くのオーヂオマニアにとってヒョウウロンカはお手本みたいな存在であるらしく、ソレを真似したがる傾向にあるらしい。。。オーヂオ趣味には「オーヂオ ヒヨウロンカごっこ」という一面が根強くあるらしいと、いろんな事が分かってきました。

では、そのようにマニアがお手本とするヒヨウロンカは何故そのように奇態な音楽の聴き方をするのか?

それは、ただただただただ製品のレビューを書くために、製品の「チガイ」を聞き分ける必要があるからでしょう。「音楽」を楽しむための聴き方ではなく、「装置」を評価するための聴き方だという事です。オシゴトのための聴き方です。基本的にユーザが真似る必要のある聴き方では全く無いはずです。

スポンサー様から製品を持ち込まれて記事を書いてくれと言われれば、たとえそれがオマヂナイかジョークみたいな物であっても、なんとか「チガイ」を聞き分けて、「ナニカ」を真面目に書かぬわけには行きません。それがオシゴトですから。ほとんどは雑誌のスポンサー様の製品であるわけで、そりゃまぁイロイロ大変だと思います。ほとんど「苦行」ですよ。これは。。「なんも変わらんヤン!」とか「変わる訳ナイヤロ、コンナモンデ」とか「ちょっと変わったからって、それがドナイヤッチューネン」とか「安いやつでゼンゼンOKヤン」とは、実はそう思っても絶対に書けるわけがありません。よね。。大阪人は絶対にヒョウロンカにはなれまへん。

さて「オンジョー」の方ですが、
現代のオーディオ装置は、おそらく商業的な目論見を多分に含んだ歴史的成り行きにより、本当に必要かどうかに関係なく、好むと好まざるに関わらず、幸か不幸か、とにかく成り行き上、左右にスピーカを備えたステレオ方式という事に決まっており、ソースも成り行き上、全てそれ用に2chで録音されています。

で、そのような装置を評価するに際して、ヒョウロンカは、やはり成り行き上、2つのスピーカによって生じる現象について評価しないわけには行きません。製品がそういう仕組みなんですから。成り行き上それが製品の仕様なんですからね。これは、彼らにとって、誌面を埋める恰好のネタとなるでしょう。「音」のナンチャラカンだけではネタが尽きますからね。というわけで、音場に関してもアノ手コノ手の表現を駆使して、微に入り細に入り聞き分けようとするわけです。オクチのカタチとかオーキサとか。。。それが「音楽」を楽しむ上で如何ほど重要かどうかに全く関係なく。とにかく製品についてナンカ書くために。オシゴトのために。。

。。で、マニアも成り行き上、そのオシゴトをお手本として「音場」をヤタラ細かく聞き分けようとする。。。。というのが今回の考察の結論かな?

ある意味、ヒヨウロンカがあのような聴き方をするのは、職務上致し方ないとも言えます。彼らとて、あのような奇態な「音楽」の聴き方をしたくてしてるわけではないのかもしれません。まあとにかく、ユーザがオウチで音楽を楽しむのに、何もあのような「苦行」じみた聴き方をする必要は全くなかろうとハチマルには思えます。そんな聴き方をしたのでは「音楽」を心底楽しめるはずがありません。ご馳走を目の前にしてなんとモッタイナイ。

もちろん、ヒヨウロンカに憧れていて、そのような「ヒヨウロンカごっこ」がトッテモ楽しく、専らそれを目的にオーヂオ装置をイヂッテいるという方は、そのような聴き方をしても一向に問題ありません。それが趣味というものですから。それが真正オーヂオマニアというやつかもしれません。

しかし、本当は音楽をもっと楽しみたくて上等なオーディオを買ったのは良いが、雑誌や周囲の影響によって、より良く「音楽」を聴くには、そのような苦行の道(オーヂオ道?)が必要だとすっかり勘違いさせられてしまっている方も、少なからず居られるはずです。しかし、それでは永遠に目的を達する事はできません。ただひたすら装置をトッカエヒッカエして「評価」(ヒヨウロンカごっこ)し続ける富士の樹海を彷徨い、死ぬまで「音楽」を心底楽しむ事はできないでしょう(そこが魔境の恐ろしいところです)。

今一度冷静に考えてみてください。「自分は」本当にそのように「音楽」を聴きたいのか?と。

自分の音楽の聴き方に疑問を抱かれた方は、装置を封印して、iPodとソコソコのカナル型イヤフォンで音質や音場を一切気にせずに(聞き分けずに)一月ほど聴いてみては如何でしょうか。大好きな音楽だったら、それでも十分に楽しめるはずです(というかハチマルは、装着感さえ厭わなければ、イヤフォンが最も楽しめるように思えます。音楽再生クオリティはどのようなスピーカシステムよりも圧倒的に高いはずです)。

そのように素直に「音楽」を聴く事により、自分はどのような音楽を本当に聴きたいのか、自分はその音楽の(音質や音場以外の)何を聴きたいのかが見えて来るかもしれません。ソーチやオンジョーやオンシツへの意識を取り除いた後に何が残るのか?そうした上で心から楽しめる部分が本来の「音楽」の部分です。普通に音楽を愛聴している人々は、自分が本当に聴きたい音楽が何なのかを当然よく分かっており(アタリマエですよね)、何の苦労もなく無意識かつ素直に「音楽」の部分にアクセスします(普通に音楽に接していれば、普通にそうなります)。変なのはマニアだけです。

そのように素直に聴いたのではツマラナイ音楽を、わざわざ聴く必要はないでしょう。時間の無駄です。普通に音楽を愛聴している人々は、自分にとってツマラナイ音楽をわざわざ聴いたりはしません。彼らは、自分は何が好きなのかをよく心得ているからです(って、極アタリマエの事なんですけどね)。

心から素直にツマルと感じられない、自分にとってツマラナイ音楽を、アノテコノテでイヂクリマーシテ無理矢理ツマルようにする必要は全くないでしょう。それでは本当に「苦行」になってしまいます。

そうやって素直に聴いてみて、どの曲もツマラナクて耐えられない方は、何もワザワザ音楽を聴く必要は無いかもしれません。自分が素直に感応できる他のジャンルの芸術に親しめば良いだけの事です。ちなみにハチマルは舞台芸術と詩にはうまく感応できません。誰しも、感応しやすいジャンルと、良く分からないジャンルがあるのは当然です。音楽家に画才がなくても、画家が音痴であってもゼンゼン不思議はないですよね。

自分にとってツマラナイ音楽を、無理矢理ツマルようにするために音をイジクリマースのは不毛です。そんなものは「音楽性」でもなんでも断じて絶対に全くありません。「音楽性」とはそんなもんを全部取り除いた真反対のところに見えて来るものではないでしょうか。

まずは自分にとってツマル音楽をしっかりと見極め(自分は何が好きなの?何を聴きたいの?)、そのような音楽をより良く楽しむために本当に必要十分な装置を選択すれば、魑魅魍魎にも惑わされる事はないでしょう。そうやって選択した装置は、自分が本当に大好きな「音楽」を心から楽しむための自分だけのための装置です。そのオンシツに関して他者のオーヂオ ヒヨウロンカ的評価を一切気にする必要は全く断じてゼンゼンなかろうと思います。

追記
そんなに「音楽」がツマラナイのなら、わざわざ音楽を聴かずとも、この時代、他に色々な楽しみがいくらでもありますよ。

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2011年12月18日 (日) | Edit |
シズル感(しずるかん)
-カルチャー&エンタテインメント-2002年8月21日 (出典コチラ)

もともとは広告業界のことばとして、広告クリエーターたちが使い始めた。テレビCMや広告写真に出てくる食品に生き生きとした実感があり、それを見るとすぐにでも食べたり飲んだりしたい気持ちにさせる状態であることを指している。本来の「シズル(sizzel)」という英語は肉がジュージューと焼けて肉汁がしたたり落ちているような状態を表し、それから発して見る人の食欲をそそるような状態の表現として使われている。このシズル感を表すために、広告写真では温かい料理からは湯気を出し、アイスクリームなどの冷たいものからは白い冷気を漂わせ、ビールジョッキの側面が水滴でぐっしょりと濡れるといった状態を、さまざまな工夫を凝らして再現している。


要は、ホンモノよりも「よりホンモノらしく」「より美味しそうに」見えるように演出されたのが「シズル感」だという事です。

エフェクターについて書く前に、今回はこの「シズル感」について書いてみます。

音楽製作現場でも、上記の映像製作現場と同様に、録音した音から媒体を製作する段階で様々な効果が加えられます。音声でも映像でも、デジタル化によって、それらの処理が極めて簡単に行えるようになりました。例えば音声の場合、ミクスダウンの際に使用される代表的なエフェクタとして、「リバーブ」と呼ばれる残響効果を加えるためのエフェクタがあります。アナログ時代は、特殊な部屋を使用したり、巨大な鉄板を振動させる装置(プレートと呼ばれる)を使用したそうですが、デジタル処理では多数のパラメータを調整しながら自由自在に残響効果を付加できます。これらによって、アナログ時代から、ソースにはある程度「シズル感」が既に演出されている事が多いかと思いますし、最近の録音やリマスタ盤にはヤリスギではないかと思われるものもあります。

多くのオーディオを趣味とするマニアと呼ばれる人達が、アノテコノテで音を響かせようとするのも、より「ホンモノの生演奏ポク」聞こえるように、「アタカモその場に居るヨウニ」聞こえるようにという「シズル感」を求めての結果ではないかと思われます。あるいは「シズル感」を自分なりに創出するプロセスそのものを楽しむという要素も確実に含まれているようにも思われます。

しかし、過剰な「シズル感」の演出は、本来の「情報伝達」のクオリティを確実に落とすという事にも留意が必要です。例えば、シズル感をバッチリ演出された焼き肉の写真には、そのお肉の実際の状態に関する情報が大幅に欠落しています。このような写真はホンモノ以上に「美味しソウ」なイメージを訴求する事が目的であり、別にそのお肉の「本質」に関する正確な「情報」を伝達する事が目的ではないからです。

風景写真にしろ、再生音楽にしろ、それらはホンモノの「その場」を再現するものでも、ホンモノの「生演奏」を再現するものでも決してありません。いずれも、ある者がある意図を持って、ホンモノノの一部の情報を、一部の断面で選択的に切り取ったものに過ぎず、多くの場合、配布される前に多くの手が加えられています。

そこのところを根本的に理解しておく事が重要だと思います。一般大衆のそのへんに関する理解が曖昧であるためにトラブルが多発するのか、最近の広告写真には「写真はイメージです」という写真発明以来あまりにも自明の事実が、しつこく記載されるようになりました。これは見るたびに暗澹たる気持ちにさせられます。メディアどぶ付け病。ヒトラーが出てきたらイチコロですよ。ホンマニ。。。そもそも明治時代に「photograph」(光の画像)が「写真」(真実を写しとるもの)と訳された事にも問題があるのかもしれません。

再生音楽とて、これと全く同じです。「写真」が被写体から独立して一個の作品として成り立つのと同様、再生音楽も生演奏とは独立した音楽表現手段/伝達媒体であり、それを「再現」するためのものでは根本的にないし、それはそもそも不可能だという事を血肉として理解しておく事が重要です。

ホンモノではないものを「ホンモノポク」しようとすればするほど、逆に「ホンモノ」からかけ離れてて不自然になってゆくように思えます。逆にもともとホンモノではないものを「ホンモノではない」と承知して、それはそういうものと受け入れた方が、そこに含まれているホンモノの「本質」がより良く見えてくるようにも思えます。

映画では、冷蔵庫のドアひとつを開け閉めするにも、ホンモノポイ効果音が挿入されます。しかし、実際の冷蔵庫があのような音を出すわけではありません。「リアルッポイ」のと「リアル」は端から異なるという事です。オーディオでよく言われる「リアルな」音というのは多くの場合「リアルぽく聞こえる」音であるように思えます。僕はこれを明確に嫌います。

そんな事をするよりも、僕には、トリアエズ素直に正確に再生した方がトリアエズ「自然」に「リアル」に聞こえるように思えます。肝心の「音楽」(アーチストさんのやらはった事)が「自然な」音で違和感なくより聴きやすくなるという事です。トリアエズを二度繰り返しましたが、あくまでも「トリアエズ」です。なぜならば、マイクで拾われた瞬間に既に異なり、さらに各種の手が施されているのですから、トリアエズ正確に再生する以外には「リアル」を求めようもないからです。

ということで、再生音楽にホンモノポイ「リアリティ」やアタカモその場にいるヨウナ「リンジョウカン」を過剰に求めても、かえって失うものの方が大きいようにハチマルには思えます(って、再三紹介した怒りの演奏家も言ってましたね)。

まあ、ナニゴトも、ホドホドにというコトでしょう。次回からは、Frieve Audioのデジタルエフェクタを使用して、ホドホドに音をイヂル方法についてご紹介します。

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2011年10月25日 (火) | Edit |
前の記事で、デスクトップシステムの左右スピーカ間の軸間距離をケロと同等に狭める事によって、大きな効果が得られたと書きました。また、これをきっかけにデスクトップスピーカの開発終結を考えるに至ったとも書きました。

それ以前の、ほぼ教科書通りの正三角形配置(1辺約65cm)で聴いていた頃は、ケロの聴きやすさに比べて微妙にもどかしさを感じ、一時期は片側のモノラルで聴いたりもしていました。モノラルで聴く場合、FrieveAudioでR/Lを単純にミックスして再生します。その時感じたのは、交響曲の場合、最初からモノラル録音された盤をモノラル再生しても当然問題を感じないのですが、ステレオ版をモノラル再生すると、どうもモノラル盤を聴くようには聞こえず、なにがしかの違和感を覚えました。ステレオ盤の場合、広い空間を表現するために、編集段階でなにか細工をしているのかもしれません。あるいは、ピンポイント ステレオではなく、距離を離した2本のマイクロフォンで収録したステレオ盤では単純にモノラル化すると問題が生じると聞いた事もあります(左右のマイクに音が到達するまでの時間が異なるため)。いつも思うのですが、音源が巨大な交響曲の再生は特別です。ステレオなんて中途半端な事するくらいなら、いっその事、居直って最初からモノラルで真面目に録音してくれた方が聞きやすいのではないかとすら感じます。フルトベングラなんかを聴いていると、これで録音の音質さえ良ければ十分ちゃう?という気がしないでもありません。

特にヘッドフォンで聴くとフルさんのモノラル盤の方がずっと聴きやすい。携帯電話+カナル型イヤフォンでフルさんを聴いたのがそもそもLEANAUDIOを始めるキッカケだけど、最近、改めて上等のヘッドフォンで聴くとフルさん(モノ)+ヘッドフォンは聴きやすいと思う。ステレオ盤をモノラルにして聴いても駄目なのよ。是非一度、最新技術で真面目に録音されたバイノーラル盤ベトベン交響曲を聞いてみたいものです。バイノーラルで録音しても左右の音は今のステレオソースみたいにはっきりとは異ならないと思うのよね。ほとんどモノラルと変わらないかもしれない。

さて、デスクトップシステムの方ですが、その後、ディスプレイ上方の正面に2本のSPを配置できるように仮設スタンドを作って、ケロの時と同様に左右の距離を色々変えながら聴いてみた結果、結局ケロと同じくらい(両耳の幅より少し広いくらい、30cm以内)で僕には具合良く感じる事が分かりました。で、ポチ型ボックスの底面同士を合わせてくっつけると、軸間距離が丁度ケロと同じ230mmになるので、これ幸いと手っ取り早く合体させて1本のスタンドで支持したのが現在のZAP君です。

この配置で約65cmの距離で聴いているのですが、左右の違いはホンノリと認識できます。交響曲も自然にほんのりと左右に拡がって聞こえます。スタジオ録音のジャズコンボもメンバーが左右に拡がり過ぎず、明らかに聴きやすいです。実際にライブで聴いている時って、余程前の方の席でもない限り、こんなもんちゃう?。という気もしないではない。というかその場では音の聞こえる方向(音場)なんか気にもしないし。。とにかく、この方が僕には圧倒的に聴きやすいというのは確かです。

以前にも書きましたが、これは、ステレオフォニック効果による擬似的な「音場」の「演出」が効き過ぎると、したくもない聴覚による空間認識を強要されて鬱陶しく感じるためだと思われます。音がほぼ正面前方から出てきてくれた方が、視覚とも一致し、ゴーストではない実体感のある音を聞けるので、音楽をを聴きやすく、また音楽に集中しやすく感じるのだと思います。また、2点音源による高域音の干渉の問題も当然弱まります(何もない真ん中にポッカリ浮かんだなんかシュワシュワとしたコソバユイ感じもなくなる)。このように、「音場感」とやらを余り重視しないのであれば、左右のスピーカを狭めに配置した方が、心理的にも物理的にも、音楽を聴きやすくなるのではないかなぁ。。。と考えるハチマルです。

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2011年08月24日 (水) | Edit |
なんか行き着いた感じでしょうか。。Alpair 6M馬鹿ブーのケロ的耳幅配置で。。

当初は「ナカナカエーヤン!」と思ったAlpair 6Pの交響曲用システムですが、長時間聴いていると例によって違和感がつのり始め、例によってバスレフポートに吸音材を詰め始め、例によって内部の吸音材の量を増やし始め。。例によってこりゃ駄目だ。。。という結論に。。。もう無駄な事は止めよ。

一方のAlpair 6M馬鹿ブー耳幅配置は、聴けば聴くほど聴きやすい。

ステレオ感も僕にとっては十分にあるので交響曲でもこれでエーヤン
(モノラルだとちょっと寂しいけど)
30Hzまでブーストしても破綻しないし(通常は40Hzまでブースト)
敢えてパワードウーハーで低音をアシストする必要性も感じないし
出音点(ユニット数)は少ないに限る(音場はシンプルに限る)
付帯音は無いに限る
スピーカーは近いに限る

音が地味(ナチュラル)なAlpair 6Mは聴けば聴くほど耳に馴染むし。

。。そろそろ実験君段階を終了して綺麗な箱を作るかな。。

元々ソースにナイモンは無いのよ。
それを無理に聴こうとすると何かしら不自然に(ステレオ臭く)なる。
それよりもアルモンをしっかり正確に、
すなわち可聴帯域の下限近くまでフラットに位相遅れなく、
耳に届けて素直に聴けばエーヤン。
結局それがイチバン「音楽」を楽しめる。
考えて見りゃ、そらそうだ。
だって記録されている「内容」を聴きたいのだから。
。。というのがLEANAUDIOトライアルの結論ですかね。やっぱり。
なんか富士山のまわりをグルッと回って元どおり。。
と。。再確認したと言う次第です。

撤収ですね。使わんモンは。

次はヘッドフォン再生の研究でもしてみるかな?

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2011年08月22日 (月) | Edit |
Alpair6Pバスレフ + Alpair5の交響曲用システムをチョコヨコイヂリながら暫く聴いていたのだが。。。確かに一聴するとライブでブリリアントでゴーヂャスなんだけど、1日中聴いていると、どう調整してもイライラしてくる。。。ステレオ臭いというか。。オーヂオ臭いというか。。ウソ臭いというか。。ネットラジオ聴いたらナレーションが不自然だし。。どうイヂッテも、どうあがいても所詮はツクリモノというか。。そもそも理想状態は存在しないワケだし。。ダッテ元々ナイモンを聴こうとしているワケで。。この方面をアーダコーダしてもグルグル地獄というか。。富士の樹海というか。。泥沼というか。。。結局、元々ソースに無いモンハ無いと居直ってAlpair6M馬鹿ブーの素直でストレートで自然で正確なサウンドをソノママ聴いた方が音楽に集中できるし。。一聴すると地味なんだけど。。結局それがイチバン聴きやすい。。。そこに記録されているモノを存分に楽しめば良い。。。というか、そこに記録されているモノを存分に楽しもうと思ったら要らぬモノを加えない方が良い。。。元々ソコニアルモノしか聴けないワケだし。。録音が古いものは古いなりに聴けば良い。。。Alpair6Pは撤収するか。。な?。。邪魔だし。。でも撤収したらしたで、邪魔だしなぁ。。まぁ。。たまに聴くには良いか。。

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2011年06月19日 (日) | Edit |
最近デスクトップではモノラルでしか聴いていません。はやく正面(ディスプレイ上方)に設置できるようにしたいのですが、面倒くさくて相変わらず右側に2つ置いたままです。

昨日は午前中ずっとベッドで横になって本を読みながらケロで音楽を聴いていましたが、「聴きやすさ」ならコイツが一番だなと改めて実感しました。実に聴きやすい。その要因としては下記が考えられます(ケロの詳細はコチラ)。

1. SPから耳までの距離が近い
寝転んで距離を実測してみたところ約45~50cmでした。デスクトップ システムでは約65cmなので、それほど大きな差ではないと思うのですが。。。

2. 左右SPのスパンが狭い
製作時にイロイロ試して最も聴きやすい配置を選んだ結果、左右SPのスパンは左右耳の間隔に近い23cmしかありません。これでも一応左右chの違いを聞きわけられます。ちなみにデスクトップ システムのスパンは約65cmなので、ほぼ教科書通りの正三角形配置です。これに比べるとケロのスパンは随分狭いと言えます。僕は音場感?とか臨場感?とかいうやつを全く重視しないので、この方がかえって聴きやすいように思えます。

3. SPのダイアフラム径が小さくて接近している
左右が1"(2.5cm)、中央のサブウーハーが3"(8cm)と非常に小さく、また互いに接近しています。サブウーハーからの低音は波長が長いとは言え、超ニアフィールドではほとんど直射音しか聴かないので、出音箇所が1箇所に集中していた方が自然に聞こえるのかもしれません。また、「ケロ」での経験および「馬鹿ブーvsバイアンプ駆動ウーハー」の経験から、ウーハーはできるだけチッチャイ方が低音が気持ち良く聞こえるような気がしてなりません(もちろんf特をブーストまたはバイアンプ駆動で増強する事が前提。小さいだけだと低音は不足する)。なんというか、ビシッと気持ち良くて、低音楽器がヨク聞こえるのよ。。そこで重要な50Hzフラット(-9dB/30Hz)まではAlpair 6+馬鹿ブーに頑張ってもらおうという魂胆(ただし音量的限界内で。。という条件付き。大音量派には向きませんのでアシカラズ)。

このへんの事を考慮して、デスクトップ システムのレイアウトを変更してみようとアレコレ考え中です。基本的には、Alpair 6Mのモノラル(縦2本配置)+馬鹿ブーストをメインとして考えていますが、コイツをサブウーハー的に使って、左右に狭いスパン(30cmくらい?)でAlpair 5を配置したステレオシステム(ケロと相似の配置)も試してみようと考えています。

で、とりあえず左右配置のままの13cmウーハーは交響曲を聴く時の50Hz以下の補強用に使ってみるかな。ってね。ディスプレイのバッフル効果も期待できるし。

こんな感じ? ↓
816.jpg

ケロの話に戻りますが、iPod Classic (非圧縮WAV) + TU870RまたはIcon AMPで「音質?」的にもゼンゼン不足を感じません。僕が言う「音質」とは、ジャンルを問わず、違和感がなく「音楽」全体と細部がが自然にヨク聞こえる、あるいは聴き取りたいと思った音をフラストレーションなく聴き取れるという意味での「音質」です。ナンタラ感やリンジョー感の事ではありませんので。ただし、ケロのf特は50HzまでフラットというLEANAUDIOの最低要件を満たしているものの、さすがに交響曲では低音がちょっとモノタリナイのはいなめません。

思うに、普通に音楽を愛聴するヒトであれば(やたら微細な音質?の違いや臨場感とかに気を取られるよりも音楽ソノモノに意識が向かうヒトであれば)、また、オーディオ装置ソノモノあるいは音ソノモノに趣味性を求めないヒトであれば(でもデザインは超重要だけどね)、とかくマニヤさんには馬鹿にされがちな現代のミニコンポ レベルの電気的性能でも十分ではないかと思います(条件次第ではイチマンエンのアンプがサンビャクマンエンのアンプにブラインドで勝つ時代ですから。黎明期ではあり得ないコト)。音源もiPodでなんら問題を感じません(僕はWAVでしか聴いていないので、圧縮によってどの程度音質が劣化するのかは分かりませんけど。。)。

問題はスピーカーですね。特に、このクラスで多く使われる小型のバスレフ形が問題です。普段そこそこのイヤフォンで音楽に親しんで居られる方々には低音不足だけでなく位相にも明らかに問題を感じるはずです(僕なんかベースラインを真剣に追っかけていると酔ったみたいになる)。コンパクトな密閉型の2.1chシステムを採用すれば、ミニコンポ クラスでも十分な「音楽再生クオリティ」を得られるはずです(プロ用のスタジオモニタBlue Sky / eXo2なんか正にそういうヤツ。左右SPのウーハーはたったの8cm。素人が見たらミニコンポにしか見えない)。

コンパクトなパーソナル用であればケロのようなサブウーハー内蔵の一体型(ラジカセ程度の大きさ)で十分、というか身近に置けるのでかえって音楽を聴きやすいのではないかと思います。

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2011年06月08日 (水) | Edit |
ほぼ「モノラルでエーヤン」という方向で固まり、自然に音楽が聞こえるという点では、これを超える方式は無かろうと確信しつつも、そこはそれ、イロイロ試して見たくなるのがギジツヤさんというもの。

そこで見つけたのが「トライポール」という方式。

815.jpg
MK Sound SUR95T
製品ページ

トライポール型というのは3方向に音を出す方式の事です。主にサラウンド方式のリヤSP用に使用するようです。おそらく無指向性に近付けて自然な音の拡がりを狙っているのだと思います。

で、ハチマルとしては、こいつをフロント正面に一本だけ置いて、正面のSPからR+Lのモノラル信号、側面のSPからそれぞれR/L信号を再生して、ホンノリとステレオ効果を効かせてみてはどうか?と思うわけです。つまり、ステレオ効果を壁や天井の反射音だけでホンノリ演出しよう(アクマデ演出ヨ)という魂胆ですね。左右SPを向き調整可能にしておけばセッティング自由度も高まります。Alpair5を使って遊んでみるかなぁ。。。。ってね。

待てよ。。。左右もモノラルでも良いかも。。。別に左右で異なる音が出なくてもエーンチャウ。ちょっと音が拡がった感さえ出ればOKのような気もする(箱鳴らすのとオンナジような狙いか?)。まあイロイロ考えられるわけです。

まあしかし、何やってもモノラル1本の自然さには適わないと思うので、結局使わなくなると思うのだが。。。。

追記
一般家庭用ステレオ スピーカーって、こんなんでエーンチャウ?という感じですね。センターにサブウーハー(20cm以下、40Hzまでビシっとフラット)とモノラル用フルレンジ(8~10cm)、左右に5~2.5cmフルレンジを配置(こいつはオプションでも良い。ステレオ/モノラル切り換えできればなおよし。別体でもよい。さらにDSPによる音場演出モードなんてオマケ機能付きもアリ)。一体式なら左右は真横向きではなく45°くらいまたは角度調整式。コーナー設置を狙った三角形状もお似合いかも。もちろんアンプとDAC内蔵。電線は電源とUSBだけ。欲しくなってきた。。。値段は貧乏学生下宿用/独身女性用/中高生用ミニマムサイズで5マンエン以下。部屋の大きさに合わせて各種サイズを用意。あとはデザイン勝負!

数奇者用ではない人民の人民による人民のためのオーディオ装置。。。

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2011年06月07日 (火) | Edit |
Alpar 6Mを右側に2段重ねにしてモノラルで聴き始めて1週間が経ちましたが、基本的にステレオよりこちらの方が聴きやすいように思えます。なので、そろそろ前方正面にSPを設置できるようにスタンドを検討してみようかと考え中。

最初は右側SP1本だけで聴いていたのですが、せっかく2本あるのだからと、右側に縦2段重ねにして2つのSPでモノラル化した信号(両方で全く同じモノラル信号)を再生してみたところ、1本だけに比べて微妙に違和感を覚えました。微妙なんですが、1本だけの方がホンノリ良い感じがします。音源は干渉が生じないシンプルな方が聴きやすいという事でしょう。

しかし、馬鹿ブーストした場合の低域の振動板振幅を考えると2本にしたいところです(同一音量であれば、SP1本あたりの負担を半減できるため)。そこで、Frieve Audioのイコライザで片方のSPに-6dB/Oct (Fc=200Hz)のローパスを適用し、もう片方の低域を少し減衰させてトータルでほぼフラットになるように設定してみました。これにより高域音は1本のSPだけから出力され、低域音は両方のSPから出力されます。コイツがなかなか具合が良いので、以後ずっとこの状態で聴いています。

「臨場感」というヤツを重視しないのであれば、モノラルの方がエーンチャウ、ホンマニ。という感じ。フルオーケストラでも、左右に拡がらずに一方向から高密度でズドーンと来る感じがかえって良いような気もしないでもない(こっちの方がある意味リンジョーカンというか音に「実体感」あるんちゃう?)。正面に置いて聴いてみるのがタノシミ。

以前、馬鹿ブーストした時にマドンナのNothing Failsという曲で違和感を覚えるという事を書きました(コチラ)。実はこの時に、モノラルで聴くと違和感がなくなる事に気付いたのが、モノラルを真剣に試して見ようと思ったキッカケです。

追記
ステレオ ソースを単純にミックスしてモノラル化する場合、比較的距離を置いて設置された2本のマイクロフォンで収録されたソースでは問題が生じるとされます。これはマイクロフォン間で位相差が生じるためです(例: 右寄りの楽器音は右側マイクに先に到達する)。これに対し2本のマイクを近接して設置するピンポイントステレオ録音や、ミキサで左右に人口的に振り分ける録音方式では問題ないとされます。しかし、それを言い出すと、例えばオーケストラの各所に多数のマイクを設置して2チャンネルにミクスダウンする場合にも同様の事が問題となるような気もするし。どうなんでしょうかねぇ。これについてはまたの機会に考察してみたいと思います。

追記2
やっぱり、お部屋でスピーカーで聴くならモノラル。自然な(似非リアリティではない)ホールの反響感を求めるならヘッドフォンでバイノーラル。というのが落としどころのような気がするなぁ。。きっと、バイノーラルで聴いても、今のステレオ再生のようにはハッキリとは定位しないと思う。実際にホールで聴いている時ってソンナモンだと思うよ。だからバイノーラルにバーチャルなエンターテインメント性を求めるのではなく、ホールで聴く自然な聞こえ方を「音楽の一部として」楽しみたい場合には良いと思う。あくまでも「音楽」をより楽しむのが目的。そこに視覚的な似非リアリティあるいは聴覚による空間認識を追い求めても無駄だと思うなぁ。口のカタチやオーキサがドータラコータラや楽器の定位がアーシタコーシタなんちゅう聴き方をするとバイノーラルでは物足りなく聞こえるかもよ。だってさぁ。。ライブで聴いている時って、お姉さんの口の大きさを耳で聞きわけたり、楽器の定位がアータラなんて全く思いも浮かばないよねぇ。それとオンナジヨーに素直に聴けば良いのよ。スナオニ。


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2011年06月02日 (木) | Edit |
臨場感: あたかもその場に臨んでいるような感じ。(大辞林)

今日は「臨場感」について考えてみようかな。

オーディオに限らず、映画、TV、ゲームでもサラウンド音響に加えて3D映像による「臨場感」がやたらと叫ばれています。しかし、ハチマルには再生音楽や映画を鑑賞する上で「臨場感」とやらがそんなに重要だとは思えないので、どうも腑に落ちません。

極たまに映画館で映画を見ると、その音のデカサと演出の派手さ(重低音ってんですか?)に驚かされ、慣れるまでに暫く時間がかかります。なんでこんな派手な演出が必要なのか全く理解できません。最近はオマケに飛び出す画像ですか? 映画ってのはソモソモ、ペッタンコのスクリーンに映像を映し出して物語りを見せるものであって、仮想体験をするためのものではないと思うぞ。時に登場人物達(あるいは監督が伝えようとしたメッセージ)に深く感情移入し感動を受けますが、少なくとも僕は画面の中の仮想世界の中に感覚を置きたいなどと考えた事もありません。感情だけ置ければそれで良い(臨場感ばかりで感情を置けない映画が多いようだが)。台詞を字幕で追っかけてるのに仮想空間もヘッタクレモ無いし。。。そんなくだらん演出よりも、もっと丁寧に映画作らんかい! 金返せ! と言いたくなる鳴り物入り大作映画が最近多いような気もするぞ。。。

で、オウチで音楽を聴く際も、この「リンジョーカン」ってやつをトント求めた事が無いので、なんでソレがそんなにジューヨーなのか全く理解できません。CDやLPってのはオウチの自分のお部屋のスピーカーで音出して聴く事を前提に作られた媒体であるわけで、そもそも仮想体験を狙った媒体ではないわけで、そもそもそんなのは無理なわけで、目の前のスピーカーまたは耳に装着したイヤフォンから音が出てくるのは全くアタリマエで自然に受け入れられる現象であるわけで、そこに何のモンダイがあるというのか? そもそも生演奏を会場で体験するのとは全く異なる体験であるわけで、そこにソレと同じモノを求めても詮ない事なわけで、そもそも違うものの違についてアーダコーダ追いかけるよりも、ソレハソレコレハコレと受け入れて(というか普通の人は普通に受け入れている)、生で聴こうがスピーカで聴こうがイヤフォンで聴こうが変わりようのない部分(ソイツが最も重要な部分だと思うのだが)を素直に楽しんだ方がズーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーットお得だと思うぞ。。目の前のスピーカーから聞こえる音楽を聴いてスッゲー!と舞い上がったりズドーンと恐れ入ったりしているその瞬間が重要なのであって、それがリアリティなのであって、それこそが大切な実体験なのであって、それ以上を求めようもないし、それが何より大切だと思うのだが。。生で聴きたい時は会場へ行けば良い。と言っても、高い金払って生で聴きたいと思うアーチストはほとんどあの世だしなぁ。。。

追記
最近ずっとモノラルで聴いているのだが、ステレオってホンマノホンマノホンマノホンマニ必要なのか?ホンマのホンマのホンマに左右にSPが必要なのか?という疑問がますます強まっている(というモンダイについては僕が中高生の頃のオーヂオ専門誌で激論が交わされていたような記憶もある)。情報がシンプルになるためか気が散らずに聴きやすい。モノラルに耳が慣れてからたまにステレオに戻すとナンカチャウンチャウ?と不自然に感じる。そもそも普段気楽に音楽を楽しんでいるヒトは、スピーカーの真ん中なんかでじっと聴いてないし、スピーカーがやたら離れていたりくっついていたりするし、そんなだったらモノラルの方がずっと音楽聴きやすいのではないかと思う。ステレオなんかよりも低音をきっちりと気持ち良く聴かせてあげる事と高域の指向性を広くしてあげる事の方がどれだけ重要か。。家庭用オーディオ装置を根本から見直したくなってきた。

追記2
最近、フルトベングラのベトベン交響曲をオートグラフでモノラル再生して聴いてみたいとよく思うのよね。というのは交響曲をモノラルで上手に再生する方法というのがちょっとテーマかな?と。

追記3
映画はあまり好きな媒体ではないが、最近TVでパイレーツオブカリビアンを3週連続で放映したのをムスコが録画したので見たが、モノタリナイ。ワンピースの方がずっと面白く味わい深い。ワンピースをハリウッドで真面目に実写化した方がずっとオモシロイ作品ができると思う。大幅に変脚しても良い。ルフィーのゴムゴムの能力とかも無しで良い。あの物語の根本にあるルフィーと仲間達の魅力(作者のメッセージ)さえフィルムで表現してくれればそれで良い。監督さえ良ければSTAR WARSシリーズ(駄作エピソード2,3を除く)に匹敵するシリーズになると思う。それだけのメッセージを原作は持っている。全巻ご一読あれ。

追記4
お昼にTVを付けたらハンニバルをやっていた。これは僕としては珍しく入れ込んだ映画。といっても劇場で見たわけではなく出張中のビジネスホテルのケーブルTVで初めて見て衝撃を受けた。次の週も同じホテルに泊まったので再度見た。ストーリーもさることなががレクタハンニバルを演じた役者(アンソニーなんとかだっけ)、全体的な画像の色調階調等(西洋文明の裏側のドロドロした感じがよく表現されていた)、ツボにはまった。即原作も読んだがラストは映画の方がずっと良いと思う(こういうのは珍しい)。記憶に残ってたクラリスってもっと美人だったような気がするのだが。。あと吹き替えは最低だね。

追記5
映画ついでに。映画はあまり好きではないのでビデオ/DVDまで買った作品は少ない
STAR WARS (エピソード4、5、6)これはもうハリウッドというかアメリカが人類に残した偉大なる遺産でしょう、ブレードランナー(原作者FKディックの大ファンだがこの映画は良い、原作より良いかも)、ブルースブラザーズ、七人の侍、ローマの休日、イエローサブマリン、以上。。。。最近ムスコがSTAR WARS初期三部作のDVDを買えとうるさい。VHSプレーヤが壊れちゃったのよ。

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2011年05月29日 (日) | Edit |
音楽鑑賞時の音場とか空間再現についてイロイロ考察したあげくに、フロント3チャンネルが良いのでは?というところに行き着いたわけですが、例によってネットで検索してみたところ、実際にその効果を楽しんでいる方も居られるようです。

下記のリンクをご参照ください。
真空管とマルチチャンネルで聞く音楽
3チャンネルか、4チャンネルか、5チャンネルか?

「音場」に拘るのであれば、マルチチャンネルでいろいろ試してみると楽しいと思いますよ。フロント3チャンネルであれば、2チャンネルのソースでも試せるはずです。

サウンドブラスターのコイツを使えばUSBから簡単に5.1ch出力が得られます。お値段も手頃。
814.jpg

Frieve Audioのマトリクス機能を使えばRにR信号、センターにR+L信号、LにL信号を出力できます。さらに例えばRにR-α*L (RからLの成分を適度に差し引いた信号)等の出力も可能ですし、センターに対するR/L信号の位相関係も変更できます。

センタースピーカーを追加すると、音が中抜けしないので左右のスピーカーのスパンをさらに拡げて音場を左右に拡大できるそうです。ハチマルとしては、オーケストラの直射音が高密度でセンターからドーンと直撃してくれて、間接音が左右から適度に漂ってくれるくらいの雰囲気を狙ってみるかな。各楽器パートの分離はさして望まない。間接音を演出するR/Lの音も別にモノラルに近くても全然構わない。だいたいホールで聴いている時には左右の違いなど全然意識にも登らないと思うぞ(というかホール中ほどの席では左右耳で音はあまり変わらないと思う。だからバイノーラル録音でも左右は大して分離しないだろう。ステレオソースは左右に分離しすぎの気がする)。ソースの録音条件に合わせてR/Lのレベルを変更しても良いかもしれない(DSPでキンキラのやつはR/Lを弱める等)。小編成のコンボやボーカルであればR/Lの音量を落としてほぼセンタ-だけで聞いても良いと思う。まずはモノラル+αの基本コンセプトをとりあえずのスタート地点としたい。

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2011年05月27日 (金) | Edit |
ステレオ方式は原理的に「音場」を再現できるものではなく「演出」する程度のものに過ぎない事は以前の記事(コチラ)に書きましたが、実はこれ以外にも基本的な問題が存在します。

ステレオ方式の場合、中央に定位する音は、左右chで同相/同振幅の信号によって表現されます。人間は左右の耳で同相/同振幅の音(全く同じ音)が聞こえると、その音源は中央(正面または真後)にあると認識します。このため左右対称の2点の音源から全く同じ同相の音が出ていると左右の耳で全く同じ音が聞こえるため、その音源は真ん中にあると「錯覚」するという事です。

下に、真正面に1つの点音源が存在する場合の実際の音場と、この音場をステレオ再現した場合の音場を示します(SPも点音源として表現)。このように音場としては全く異なるのですが、人間には同じように聞こえるはずだ。とするのがステレオ方式です。

実際の音場
811.jpg

ステレオ再生された音場
812.jpg

2つのスピーカーから放射された同相の音は互いに干渉しあい、場所によって強め合ったり弱め合ったりします。上の図で、例えば青が振動板が前進した時の正の位相、黄が後退した時の負の位相とした場合、青同士または黄同士が重なった位置では同相となるので問題ないのですが、青と黄が重なった位置では逆相となるため互いにキャンセルしてしまいます。青(または黄)の縞1本分の幅が半波長に相当します(等ラウドネス曲線によると人間の耳は3~4kHzで最も感度が高いとされますが、例えば4kHzの波長は約8.5cm、半波長では4.25cmです)。また、周波数が異なれば縞の幅(波長)も異なるため、強め合う位置/弱め合う位置は周波数によって異なります。さらに、人間の耳の間隔は20cm弱ありますから、耳位置の干渉状態も両耳で全く同じにはなりません。

極簡単にマイクで確認してみました
Alpair 6P(スパンと距離は共に約1.2m)で、3.1kHz正弦波のモノラル信号を左右のSPで出力し、マイクロフォンを手持ちして左右に約±10cmの範囲で移動しながら録音しました。下がその波形です。
813.jpg
マイクを手持ちしてほぼ中央(C)から録音開始。ここから右へ約10cm移動(R)。再び中央(C)に戻し、そのまま左へ約10cm移動(L)後、中央(C)まで戻しました。キャンセルされて振幅がほとんどゼロになる位置があり、干渉の影響によるものと考えられます。前後に移動した場合も同様の現象が発生します。また、単音であれば耳で聴いてもはっきりと音の変化がわかります。

このような音場の下で、ヒトは普通左右の正確な中心に陣取ってマンジリともせずに音楽を聴くわけではありませんし、左右の耳位置で干渉状態も異なる事から、ステレオ再生で音像が中央に定位しても実際に前方に音源が存在するのとは異なるなにがしかの微妙な違和感を覚えるようです(さらに視覚的違和感も生じる)。また、ステレオ効果が正しく機能を発揮するのはリスナーが中央に位置する時だけであり、視聴位置が左右に移動すると音像位置も移動します。逆にステレオ効果がはっきりと出ると違和感を覚えるためにセンターで聴く事を嫌い、わざわざ左右どちらかに少し偏って聴く事を好むリスナーも居ると聞きます。SPを一本だけ使用するモノラル再生の場合、このような2点音源による干渉問題は生じません(上側の図と同じになる)。

本来最も重要となる正面(人間は興味の対象に対して正対しようとする)には実体の音源が存在せず、虚構の音源(ファントムとも呼ばれる)によって表現せざるを得ないというのが2chステレオ方式の弱点と言えるかもしれません。これを補うために、サラウンドシステムでは試聴位置が移動しても必ず中央(画面方向)から聞こえるべきナレーションや台詞を明瞭に聴き取れるようにするためにセンタースピーカーを使用していますよね。音楽でも最も重要であるべきセンターの再生音が幽霊(ファントム)なんかでホンマニエーノンカ?と疑問に思えなくもありません。。。

通常の録音ではリードボーカルやスタープレーヤーを中央に配置する事が多いはずです。ですから、特にボーカルや独奏あるいは小編成を聴く場合には、モノラル(SPは当然1本ですよ)で聴いてみても良いのではないかと思います。しかしオーケストラの場合、SP1本のモノラル再生をニアフィールドで聴くと、なんだかトッテモ寂しく聞こえます。これはスピーカから離れれば改善されますが、デスクトップで聴く場合にはステレオの方が断然楽しめるように思います。その他の楽曲ではモノラルでOKかな。。。という感じ。やはり交響曲の再生だけは特別なような気がします。最新技術で真面目に録音されたバイノーラル盤のベトベン交響曲を聞いてみたいなぁ。。。。。

SP再生で音場感(音場の再現ではない、あくまでも演出)を望む場合、例えばモノラルのメインSPを正面に配置し、ステレオ感をホンノリ演出するために左右に高音用SP(角度調整式、リスナ直射ではなく壁に反射させても良いかも)を配置するような3ch方式が良いかもしれません。左右の信号から中央寄りの同相成分(左右で同じ部分)を信号処理で排除できればさらに効果的でしょう(干渉も軽減できる)。音場感は弱め(中央寄り)になるでしょうが、かえって聞きやすいのではないかと思います。

実際のライブでは、音源(直射音の出所、すなわち定位すべき方向)はそれほど左右に拡がっていないと思います(例えばオーケストラの場合ステージから離れるほど音源(直射音)の分布角度は小さくなるがステレオでは左右一杯に拡がって録音されている、ライブのジャズコンボはステレオで聞くほど各奏者が左右いっぱいに離れていない)。現在のステレオソースはかなり誇張されている嫌いもあるため、モノラル+オプションで左右の反響音の拡がりを少し演出するくらいでエーンチャウという気もします。音が拡がるのは気持ち良いのかもしれないが、主役はあくまでも中央だとハチマルは思うぞ。

左右音声にちょっとだけディレイやエコーかけるとかもアリかも。端っから「再現」など考えずに(バイノーラル以外はどうせ虚構なんだから)メインのモノラル音声を左右チャンネルで「演出する」という考え方。そのうち実験してみるか。。

追記
音楽鑑賞だけであれば後方のSPは不要であろう。今までサラウンドには全く興味が無かったが、3.1chシステム(前方L/C/R + サブウーハー)は従来のステレオ方式より具合良さそうだな。。。。と今回、この記事を書いていてフト思い当たった。マヂでいっちょ試して見るかな。

追記2
しかし、真正面にSPを置くというのはレイアウト的に邪魔だ。だからオートグラフみたいにコーナー型のモノラルSPが作られたのだろう。2chステレオ方式はレイアウトしやすいという面でも広く一般に受け入れられたのだと思う。デスクトップで正面にSPを置くのは殆ど不可能。やはり、壁掛け可能なコンパクトなSP + 床置きサブウーハーというのが現実的か。しかしセンターSPはどう考えても邪魔だ。以前の記事で「2chステレオ方式の最大のメリットは正面にSPを置かなくても良い点にある」と書いたが、正にその通りだと思う。

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2011年05月25日 (水) | Edit |
ここ最近、音場あるいは聴覚による空間認識について考察を重ねました。

どう考えてもステレオ方式で表現される音場というのは、あくまでも「それらしく」聞こえる程度の「演出」に過ぎず、その程度のものと認識してそれなりに受け入れ、深追いせずに素直に音楽を聴いた方が良かろうというのが今のところの僕の理解です。

このステレオ方式では、装置をどう調整しようが、部屋をどう対策しようが(部屋の影響が大きい)、どんなに追求しても普遍的理想状態というのはそもそも存在せず、またソースが変われば録音状態も千差万別であるため、結局は好みの問題、気分の問題を追いかけ回す事に終止したあげく、富士の樹海をさまよう事になるだけのような気がします。まあ、それが楽しいのかもしれませんが。ソコソコでコンナモンと受け入れるのが肝要かと。。。。

音楽を鑑賞する上でそれほどまでに音場が重要というのであれば、ステレオ方式などとっとと廃れているはずです。しかし過去に4chブーム、バイノーラルブームがあり、最近ではサラウンド方式というのもありますが、あい変わらずステレオ方式が主流を占めている事から、広く一般の人々は、普通に音楽楽しむんやったらこんなもんでエーントチャウと受け入れているという事だと思います。もし、全く同じ性能の装置をモノラル バージョンとステレオバージョンで選べるとしたら、そしてモノラルの値段がステレオの半額だとしたら、皆さんどうします?例えば20万円のステレオセットをモノラルにして10万円で買えるとしたら、ステレオ効果と10万円を天秤にかけて、どっちが得と感じるか?(実際に半額になるのはスピーカだけ、アンプは電源部があるので半額にはならない、プレーヤ部の減額分はさらに小さかろう)

本当に音場に拘りたいと言うのであれば、少なくともサラウンド方式の方が現実的でしょう。スピーカーの配置や、信号処理(遅延)の設定にも大きな自由度があるため、ステレオ方式よりもずっとイヂリ甲斐があって楽しいのではないかと思います。PCを音源としてFrieve Audioのようなソフトウェアを使用すれば、結構ディープに楽しめるのではないでしょうか。でも、サラウンド方式を徹底的に弄っているオーヂオマニアというのを余り見かけないのも、不思議といえば不思議です。サラウンド方式でも再生場の音響特性に影響を受けるという点では、ステレオ方式とたいして変わりません。

もし家庭で音楽鑑賞するに際して音場再現がそれほど重要であるというのであれば、最も理に適ったバイノーラル方式の開発を進めるべきだと思います。とにかくそのホールで生演奏を聴いた時の耳位置での音場をそのまま正確に収録でき、再生時に部屋の影響を全く受けないという点で原理的に極めて優れています。ただし、ホールの観客席で単純にダミーヘッドで収録しただけでは、現在の演出されたステレオソースほど定位感はないでしょうから(ヒトは物足りなく感じるでしょうから)、多少演出するために補助的な近接マイクの使用や、ミキシングおよびデジタル信号処理技術等、録音技術にももまだまだ改善の余地があるでしょう。また、既存のステレオソースをバイノーラル再生用に信号処理する方式の開発も必要かもしれません。それらがうまくできれば、かなり魅力的なソースになるはずです。

近年、iPodの普及に伴い、ヘッドフォンやイヤフォンおよびヘッドフォンアンプ等が以前にも増して市場を賑わしており、家庭でもこれらをメインに使用して音楽を楽しむ人口が確実に増えていると思われます。そういう意味でも、ヘッドフォン再生に適したバイノーラル録音というのは、今後真剣に考えるべき技術ではないかと思います。最も厄介な部屋の影響を全く受けず、小さなダイアフラムで極低音まで再生できるため、原理的にスピーカー方式よりも音質面(ナンタラ感の音質ではない)でも優れます。

追記
現在のオーディオ装置は基本的にステレオ再生を前提に設計されているが、ホンマにステレオは必要なのか? と考えてしまう事がある。そもそもスピーカーを何個使おうが、てんで勝手な再生条件(お部屋)で音場を表現しようとしても端から無理がある。オウチでスピーカから音だして音楽聴いてナニが悪いと言うのよ? なにもムリクソ臨場感演出せんでもエーヤン。。中途半端な事するくらいなら、居直ってモノラル再生をもっと真面目に考えてみても良いかもしれない。スピーカー間の干渉も生じないため、かえって潔く聴きやすいような気もする。例えばタンノイの有名なオートグラフというやつは1953年の設計。ステレオレコードが本格的に普及したのが1957年だから、本来モノラル再生を前提としたスピーカーだと思われる。そいえばモノラルでホールの響き感を演出する事を狙った設計であると聞いた事もあるような気がする。そう考えればあのような設計にも納得できるか(45°の角度ってステレオ配置には向かないのでオッカシーナ?と以前思っていたのよ)。1本だとコストも半分だし。場所も半分だし。ホンマノホンマニ ステレオって必要なのか?

追記2
調べたらやっぱりオートグラフはモノラル用なので45°のコーナー角度に設計されているとのこと。作家の五味康祐氏が初めて日本に輸入して以来、日本のオーディオマニアの憧れになったとか。このスピーカーをステレオで鳴らすのは日本人くらいではないか?とか書いてあった。似たような構造でステレオ用に設計しなおしたと思われるウェストミンスターというのが今も売られているが、こちらはイマイチ話題に上らないみたいね。

追記3
お部屋で音楽を普通に聞くならモノラル、臨場感楽しみたいならバイノーラル、ってとこが無理なくストンと腑に落ちるような気がしてきた。暫く片方のスピーカだけでモノラルで聞いてみようっと。モノラルを前提とした無指向性スピーカの実験をしたくなってきたゾ。。。

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2011年05月22日 (日) | Edit |
重要な事を思い出したので。。。

ケロの実験中に左右のスパンを拡げると音像が空間にポッカリ浮かんで気色悪く思ったと書きました。また、音の出所が視覚的にある程度一致した方が音楽に集中できると感じたため、左右のスパンを狭くしたとも書きました。

これは恐らく、したくもない聴覚による空間認識が強要されるのを嫌ったという事だと思います。聴覚には専ら音の時間変化(音楽)を追跡させたいのにイラン事させるなボケ!気ぃ散るやないケ!と僕の脳が怒ったと言う事です(僕の脳は河内弁で怒りっぽい)。

要は、音場が過剰に演出されると、したくもないのに聴覚による空間認識が強要され、しかもそれが視覚による空間認識と一致しないと、僕の脳が混乱してあるいは情報処理負荷が増えて「お前が音楽をよう聴きたいゆうからワシも精一杯がんばって音追いかけとんのにヤヤコシイコトさせんな!このクソガキ!わしゃ忙しいねん」と嫌ったという事だと思います。そこを想像力で補って。。。なんて糞面倒くさい事(ソモソモそこに何の意味があるというのか?)に意思のエネルギを消耗したくもないという事です。だからソースがDSP等で変に処理されたりしていると「要らんコトすな!音楽聴かせんかい!」と僕の下品な脳が怒りまくるようです。

このように過剰な音場演出は聴覚に空間認識を強要するため、あるいは視覚との混乱を招くため、それを望まぬ人間(音の時間変化を専らの興味対象とする人間、はやいハナシ「音楽」そのものを聴きたい人間、今回のシリーズで例えれば音楽家や一般音楽愛聴者)には邪魔にしかならないような気がします。音楽を本当に聴きたいのであれば、なんとなく音が左右に拡がっていると感じられる程度のステレオ効果で十分ではないでしょうか。

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2011年05月21日 (土) | Edit |
先の記事で、スピーカーをカーテンで隠したり照明を暗くしたり画像を置いてはどうか。と書きましたが、これは例の視覚的音場感(イメージ)を思い浮かべやすくするためではなく、逆にそのような音像イメージやスピーカに気を取られずに音楽を楽しめるようにする措置として提案したものです(視覚をどっかにボーッと漂わせて、意識に無駄な努力をさせないため)。グラフ雑誌眺めながらでも、マッチ棒積み上げながらでも、要らぬ余分な意識をボーっとできるなら、なんでもOKだと思う。

そもそも生演奏を聴いている時には、視覚で容易に空間を認識できるので、聴覚で苦労して空間を認識しようとはしないはずです。聴覚は専ら音の時間変化(すなわち音楽)の知覚に専念するでしょう。さて再生音楽を聴く時、普通の人は実際に見える環境を素直に受け入れて、ライブと同様に聴覚による空間認識にさして注意を払わないはずです。何故ならば目の前には奏者もステージも存在しないのは明白であるし(音がスピーカーから出てくるのはごくアタリマエで自然な現実であるし)、主たる興味の対象はあくまでも音の時間変化(すなわち音楽)にあるからです。実際に視覚で認識される空間(自分のお部屋)に合致しない仮想空間(ホール)を、わざわざ多大な意志的努力を払ってまで再生音から聴覚を頼りに認識しようとはしないのが普通です。そんな事に意識を消耗するよりも、主たる興味の対象である音の時間的変化(音楽)の認識に意識を振り向けようとするのが行動として自然だからです。ですから自然に普通に再生音楽を楽しんでいる人には、上のようなアドバイスは不要です(そのような人達は、音楽を聴いている時に余剰な感覚(意識)を遊ばせる自分なりの方法を自然と習得している)。この事からも、音楽家であろうと普通の音楽愛聴者であろうと(普通に音楽を聴こうとする人間は)、再生音楽に対して音場再現性(空間再現性)をオーディオマニアのように強く求めないのは極あたり前の事のように思えます。

学生時代のジャズ好きの友人宅で新譜LPのダビングをよくさせてもらったが、友人が好きな曲を聴いている時の行動をよく覚えている。というのは、ソイツが好きなLPを聴いてる時に暇だったので勝手に人物スナップの練習(空打ち)をさせてもらった事があるからだ。ファインダ越しに見た事は鮮明に記憶に残っている。写真屋の習性か?装置はよく覚えてないが親父さんの結構立派なやつだったと思う。

こんな感じかな。
曲に入り込むと視点は定まらない、宙を見ている、というか何も見ていないみたい、多分ピント合ってない、ジャズなのでコーラスの変わり目等に合わせて視点や姿勢が変わるみたい、カッチョイーとこで当方を見てドーヨって感じでニヤッとする、突然脈絡無く当方にクルマの話をする(CITYが欲しいそうな)、黙る、突然立ち上がってお菓子を取る、当方にも1本くれる、食うかと思うと口に入れずに持っている、お菓子を落とす、我に返る、拾ってしばらくお菓子をじっと見ている、食わないかと思ったら突然食う、きっと落としたこと忘れてる、ゴミ捨てに立ち上がって窓から外を見るでもなく見る、硝子をコツコツたたいてリズムをとる、あくびする、席に戻る。。でさぁとまた突然クルマの事を話す(親は中古にしろと言ったそうな)。。。。。かと思うと黙る。。。再び曲に入り込む。でフリダシに戻る。。。

まあ、普通、好きな音楽を聴く時ってそんなもんだと思う。音場なんか微塵も気にしてない。意識はアッチとコッチで行ったり来たりしながら音楽(音の時間変化)をかなり深く追いかけている(そして断続的に没入する)。アッチに逝っている時は「聴いている」という状態なのかすら定かでない。勝手に意識に流れ込んでくる状態なのか?

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2011年05月19日 (木) | Edit |
人間は主に視覚と聴覚の組み合わせによって空間を認識すると言われます。また、これら2つの感覚は互いに補い合って機能するとされます。

聴覚は視覚よりも時間認識分解能に優れると言われ(であるからこそ、このように複雑で高度な音楽を楽しめる)、また一般的に聴覚の刺激に対する反応の方が速いとされます。これは情報処理量の違いによるものかもしれません。また、視覚は視野の範囲しか知覚できませんが、聴覚は全方向の音を知覚できます。これに対し、視覚は空間認識分解能に優れると言われます。聴覚よりも細かく正確に位置(方向/距離)の違いを見分ける事ができるという事です。この点で、聴覚は視覚に対して大幅に劣ります。

私達はこれらの感覚を上手に組み合わせて使用しています。例えば、森の中を歩いていて不意にどこかでガサッと音がした時、人はまず聴覚によって素早く反応し、音の方向を大まかに認識してそちらに眼を向け、眼をこらして正確な位置(距離と方向)と音の原因が何なのか(危険なのかどうか)を知ろうとします。

オーディオのステレオフォニック方式もサラウンド方式も元々は映画館用に実用化されたものであり、音(聴覚)と映像(視覚)の組み合わせによる臨場感の「演出」を狙いとしています。これらは正確な「空間」を再現する事を目的とするものではなく、あくまでも映像のショーアップを目的とするものです。ステレオ方式が導入された当初、馬が画面を左から右に横切ると、パッパカ音も左から右に移動するという事で、客も単純に喜んだのでしょう。最近では3Dですか。これも3D TVによって一般家庭に浸透しつつあるようです。

さて音楽を生演奏で楽しむ場合、ヒトは聴覚だけではなくその他の感覚、主には視覚と併せて体験しています。例えば、フルオーケストラのバイオリンの音は、はっきりとバイオリン奏者が見える方向から聞こえるような気がするでしょう。しかし眼を閉じてしまうと、聴覚の空間認識分解能は視覚に比べて大きく劣るため、その方向感覚は極めてあやふやになります。実際に眼を閉じて試された方から全く方向を認識できなかったという体験談も聞いた事があります。

恐らく、生演奏と同じ音場をどのように正確に再現したとて、視覚情報を欠いた(というかむしろ全く異なる視覚情報/環境条件を伴う)体験は実体験とは全く別物として感じられるでしょう。バイノーラルで録音して自宅でそのまま聴いてもなんだかモノタリナイと感じるはずです。むしろ、家庭で楽しむ事を前提にある程度演出された現在のステレオソースの方がリアルっぽく聞こえるのではないでしょうか(ソースは単なる記録ではないということ)。これをさらに無理矢理、実体験の輝かしい記憶/印象に近付けようとすると、果てしのない徒労となるばかりでなく、(視覚)情報の欠落分を聴覚だけで補おうとするあまりに(無理矢理リアルっぽくライブっぽくしようとするあまりに)、過剰な演出によって、本来の音楽再生が疎かになりがちです。また、幸運にしてあるソースでイメージ通りの聞こえ方が得られたとしても、ソースによって録音条件がマチマチであるため(マイクの位置とか分離とか残響時間等について規格はない)、他のソースでも良好に聞こえるとは限りません。このように現在のオーヂオ装置は「生演奏疑似体験装置」あるいは「音場再現装置」などではなく単なる「蓄音機」と言っても良い程度のものに過ぎません。しかし、再三申しているように、それは生演奏体験に準ずる低級な代替体験手段でもありません(また空間再現性が音楽を楽しむ上でさして重要であるとも思えない)。生演奏体験とは端から異なる、さらに言えば生演奏よりも高度な表現が可能ですらある音楽体験/音楽表現手段として、その独自の良さを素直に受け入れた方が、せっかくソースに記録されている貴重この上ない音楽作品をより深く楽しむ事が出来るはずです。

以前にも数回にわたってさる演奏家のコメント「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている」を取り上げましたが、その趣旨は概ねハチマルが上に書いたような事ではないかと思います。また、オーディオマニア達が、音楽家は概して再生音楽の空間再現性に無頓着であるという点において自分達の指向するオーディオとは乖離していると結論付けたお話しもご紹介しました(これも不思議な話で、逆に音楽に関してはドシロートの自分達の音楽との接し方の方が乖離していると真摯に受け止めようとしないのか?)。僕の個人的見解でもありますが「音楽のイチバンオイシイところはそんなところにはナイ」というコトだと思います。音楽を聴いていて、いまだかつてソコが重要だと感じた事は一度もありません。というか意識に登った事すらありません。

オーティオ趣味のイチバンオモシロイところはソコにアルという方もいらっしゃるでしょう。楽しみ方はヒトそれぞれです。どの分野でもそうですが、それがマニア、それが趣味というものでしょう。しかし、一方で業界全体としてそれは実用的音楽鑑賞装置の本来の用途ではないという事をしっかりと認識する必要もあるのではないでしょうか。一部のマニアックな傾向によってオーディオ装置の正常進化が阻害されてはなりません(正常進化とは根本的な音楽再生性能(やたらコマケー音質やナンタラ感ではない)の向上、コンパクト化、低価格化、利便性の向上等)。例えば鉄道マニアは、例えばクラシックカーマニアは、そしてそれらの関連業界および一般ユーザーはそんな事はアタリマエとして認識しています。現在のオーディオ業界の動向を見るに付け、そのあたりの認識が疎かにされているような気がしてなりません。

追記
僕は今、全盲の方の再生音楽に関する考え方、感じ方に凄く興味があります。もともと実体験から視覚情報が全く欠落しているわけですから、音だけの再生でもリアルに感じる事ができるのだろうか? バイノーラル再生が凄くリアルに聞こえるのだろうか? ステレオ再生音はどのように感じるのだろうか? リアル感やライブ感を演出するために響かせた音が果たしてリアルに自然に聞こえるのだろうか?等々。。。

追記2
あたかも眼の前に居るような、口のカタチや大きさが、ミニチュアのステージが目の前に展開するような等、視覚情報の欠如を音から補おうとする意識が伺えますね。これはオーディオを「趣味」とされる方々の特徴のようにも思えます。そのように聞こえるように(あるいは聞こえるような気がするように)装置を調整するのが楽しいという事なのでしょうか。僕はいまだかつてそのような事を思っても見なかったので、ちょっと驚きました。ステレオで初めて聴いた時、ポールの声が左右に移動するので、なるほどこれがステレオか。。と納得した後、ドーッテコトナイヤンと、現在に至るまでほとんどステレオ感を意識していません。ケロの実験中に、左右スピーカー間の距離を拡げてゆくと、ほんとに何もない空間にポッカリと音像が浮かび上がる事がありました。こういうのがオモシロイのかなぁ。とも思いましたが、僕には気色悪く感じて音楽に集中できないので、結局あのように狭いスパンを選択しました。マイルスが目の前に浮かんだらコワイし。。。ス、スンマセンデシタ!って逃げ出したくなる?

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2011年05月17日 (火) | Edit |
前方の高い位置に置いたAlpair 6Mバスレフを聴いていてフト思った事。

スピーカーセレクターを使用して3つのシステムを切り換えていますが、どのSPを選んだのかを忘れてしまうと、前方の高い位置にあるAlpair 6Mを聴いていても、デスクトップのスピーカーが鳴っているように錯覚してしまう事が多くあります。明らかに視覚に強い影響を受けているように思えます。オーディオマニアには「スピーカーから音が出ている」と感じる事を嫌う方が多いようですが、例えばブラインドテストのように薄いカーテン等でスピーカーを見えなくするとか、スピーカーや装置を置いている部分の照明を落とす等して、視覚情報を弱めてやると効果的かもしれません。

視覚の場合、左右両眼の視差から対象との距離を認識しますが、聴覚の場合はどうなのでしょうか?聴覚だけで音源の方向だけでなく音源との距離を認識できるのかどうか? 僕の経験では、反響音(エコー)のかかり具合(すなわち直射音と反射音または背景騒音の比率)で距離感が異なってくるように思えます。例えば、ベトベン全集の恐らくDSPでエコーを付加されたと思われるソースを聴くと、オーケストラが随分遠くで鳴っているように聞こえて非常にもどかしく感じました。僕は別にコンサートホールで聴いている気分を味わいたいわけではないので、そのように空間演出された録音では気色悪く感じるようです(今では随分慣れましたが。。)。音源との距離感を演出しようとすると、部屋の反響特性の調整や信号処理によるエコーの付加等が効果的かもしれません。おそらく箱を響かせたり吸音材が嫌われたりするのも、いわゆる「響き感」による距離感(空気感とも言われる?)を演出しようとするためなのかもしれません。

ハチマルは、とにかく記録されている音楽の聞きやすさを求めるため、そのヘンの演出された再生音には馴染めません。ですからLEANAUDIOではそのような要素を積極的に排除しています。

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2010年10月22日 (金) | Edit |
さて、何らかの方法でコンサートホール特等席の正確な音場を再現できたとして、果たしてそれで楽しくオウチで音楽が聴けるのでしょうか?

先に言っておきますが、僕個人は自分の部屋で再生音楽を鑑賞するに際して、音場感や臨場感を全くと言って良いほど重視しません。未だかつて、それが重要だと感じた事は一度もありません。逆に過剰に演出された音場感や臨場感には嫌悪すら感じます(だって、音楽が聴きにくくなるんだもん。。)。

3. 再生音楽における「音場感」について
そもそも僕は「再生音楽」を「生演奏の再現」を目的とするものとは全く考えていません。「再生音楽ソースとは自宅でスピーカーから発音して音楽を楽しむ事を前提とし、それに合わせて最適に録音された媒体である」というのが基本的な考え方です。原理的に無理なのを承知で何故ライブの音場(往々にして諸々の現実的制約から理想的な音響条件とは言えない状態)をわざわざ「再現」しなければならないのか全く理解できません。

演奏会場で聴いている場合は、目の前の絢爛豪華なオーケストラ、隣席の普段よりも入念に化粧して着飾った妻(息子が産まれて以来行ってないなぁぁ。。)、人々のざわめき、ご婦人方の香水の香り、休憩中に飲んだワインの心地よい酔い等々、聴覚だけでなく視覚や臭覚を含めて全身でその場の雰囲気を楽しむことができます(反面、だらしなくリラックスできないという欠点もあります。隣席の妻にチャントシナサイとしょっちゅう叱られた)。これに対し、再生音楽を聴く場合は専ら聴覚に頼らざるを得ません。また音響的な環境もコンサートホールとウサギ小屋では全く異なります。物理的、心理的、音響的に条件が余りにも異なり過ぎると言えます。演奏会ではホールの響きを心地よく感じたとしても、専ら聴覚に頼らざるを得ない再生音楽を、音響特性も全く異なり、雑多な物であふれかえる自分の部屋で聴く場合にも同じように心地よく感じるのでしょうか?。僕ならば再生音楽を聴く場合には、ライブの時よりも音楽そのものの音響クオリティの高さ(言いかえれば音楽の聴きやすさ)を重視します。だって「聴く」事しかできないんだもん。

例えば、臨場感とか音場感とかを重視するために、フルオーケストラをバイノーラル録音または2本マイク式ステレオ録音する場合について考えてみます。
この場合、たった2本のマイクで全ての楽器の音を明確に捉えなければならず、また個々の楽器音のバランスを調整する事もできません。ですから音響的に理想的なホールを選び、全ての楽器の音が最も理想的に聞こえる座席位置で録音する必要があります(果たしてそのような席は存在するのか?)。また、直接音に対して反響音の成分が増えるため、楽器音が相対的に聴きづらくなります。その場で生で聴く場合には、目の前にオーケストラが居て、視覚で指揮者なり興味のある楽器と奏者に意識の焦点を合わせる(演奏を目で追う)事ができますが、再生音楽では専ら聴覚に頼らざるを得ません。つまり、聴覚でしか楽しむ事ができない再生音楽では、その他の感覚も動員して体験するライブよりもトータルの情報量が少なくなります。これを補うために、反響音を控えめにして楽器音の細部を明瞭に録音した方が、オウチでは音楽をより楽しめるのではないかと思います(だからこそマルチトラック録音が多くの場合採用されるんですよね)。

録音時に近接配置した多数のマイクで収録して慎重にミクスダウンするという非常に手間がかかる手法を敢えて使用するのは、「オウチでスピーカーで再生した時により音楽が楽しめますように」という製作側のアリガターイ配慮です。「音場感」なり「音場再現性」を過剰に重視する余りに、再生音楽ならではの聴きやすさや生では得られない音響クオリティの高さを損なってしまうというのは、ハチマルとしては全く納得しかねますですネ。

で、ハチマル的結論としては
オウチで音楽聴くには、マルチトラックで録音して2chへミクスダウンする現在主流のステレオ録音方式で十分
というところですね。。。モノラルでもOKよ。
ただし
DSPでホールの反響とかの変なエコーを追加しないでネ
を付け加えたいと思います。

追記
もし現在もモノラル方式しかなかったとしたら。。。人々はオウチで音楽を聴くに際してそんなにホールの反響とか臨場感とかを重要だと思うんだろうか? そもそもステレオ方式はモノラル方式を2つ並べてテキトーに音を右と左に振り分けた程度のものに過ぎないワケで、たいして事情は変わらないと思うんだけど。

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2010年10月22日 (金) | Edit |
今回はバイノーラル方式について。

2. バイノーラル方式
音場の「再現性」という観点では、バイノーラル方式はステレオフォニック方式に比べて理論的にマトモでビューティフルな方式に思えます。実はステレオ方式よりもバイノーラル方式の方が先に提唱されたというのも頷けます(ステレオ方式は原理的にメチャクチャ エーカゲンで「再現」手法とは言い難い)。このため、正確な音場再現性が求められる研究開発分野ではバイノーラル録音が多く使用されます(自動車分野での適用事例はコチラ)。

下図に録音原理を示します。
612.jpg
この方式では、人間の頭部と肩部形状を模したダミーヘッド(マネキンの頭部)を使用します。マイクは両耳の位置に取り付けます。一般的な小型マイクを頭部の両側面に単純に取り付けるシンプルなものや、外耳道までリアルに再現して内部にマイクを埋め込むものなど、様々なタイプが存在します。当然ですが、耳タブや肩の影響も再現できる形状に設計されています(頭部だけのもある)。
614.jpg
前の記事にも書きましたが、人間はこれらの形状の影響を受けた音を左右の耳で聞き分ける事によって、音の方向を立体的に捉える事ができると言われています。ダミーヘッドを使用する事により、それらの影響を受けた耳位置の音をソックリソノママ録音してしまおうというのが、この方式の狙いです。

下図が再生原理です。
613.jpg
再生にはヘッドフォンまたはイヤフォンを使用します。耳位置で録音した音を、そのまま耳位置で再生するので、再生場(リスニングルーム)の影響を全く受けません。録音された時の耳位置での全方位の音(直接音も反響音も全て含む)をそのまま聴く事ができ、原理的には原音場を立体的に「再現」できます。細かい点ではまだまだ問題もあるのでしょうが、音場再現を目的とするのであれば、ステレオフォニックやサラウンド方式よりもずっと理に適った現実的な方法だと思います。

さてさて、音場の再現手法について長々と書いてきましたが、ではでは、一番肝心な「オウチで音楽を楽しむ」という目的において音場の再現性がそれほど重要なのでしょうか?

次回はそのへんについて考えてみます。

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2010年10月21日 (木) | Edit |
オーディオ愛好家の間では音場再現性が非常に重視されるように見受けられます。
そこで、音楽再生における音場の再現性について3回シリーズで書いてみたいと思います。

1.ステレオ方式
2. バイノーラル方式
3. 音場再現の必要性

という構成になると思います。

ということで、今回はステレオ方式について考察します。

1.ステレオフォニック(一般にステレオ)方式
実用的なステレオ方式がはじめて営業的に一般公開されたのはディズニー映画の「ファンタジア」(1940年)だそうです。その後まずハリウッド映画で普及し、ステレオ盤レコードが大量生産されるようになったのは1957年からだそうです(出典)。

下図はステレオ録音を模式的に示したものです。緑の楕円が複数の楽器で構成されたステージ上の楽団だと思ってください。簡略化のために、以降はこの楽団内で左寄りに配置されたトランペットだけを取り上げます。
610.jpg
ステージ前方に立った人間は、左右の耳の聞こえ方の違いによって、各楽器の方向を認識する事ができます。両耳の聞こえ方の違いは、両耳穴が横を向いている事、両耳穴間が離れている事、両耳穴の間に頭部が存在する事等によって発生します。さらに、頭部形状、耳たぶの形状、上半身(特に肩)の形状等による聞こえ方の違いから、左右だけでなく前後および上下の方向も認識できる(すなわち三次元的に音場を認識できる)と言われます。

ステレオ方式は専ら左右方向の聞こえ方の違いを表現するために発明された方式です。上図には2種類の録音方法を示しています。

最初の方法はステージの中央前方に2本のマイクを配置して録音する最もシンプルな方法です。現在の音楽ソースにおいて、このような方法が採られるのはクラシックの場合でも稀だそうです。適度な指向性を持つマイクロフォンを適度な角度で左右に開いて設置する事によって、その場に立った人間の左右耳の聞こえ方を簡易的に模倣しようというのが狙いです。単純に言うと、左寄りの音源の音は右側マイクよりも左側マイクの方に大きく録音されるという事です。マイクロフォンの指向性と配置角度によって左右の分離度も当然異なりますが、特に標準的な規格は定められていない模様です。また、人間の頭部形状等の影響を表現できないため、ヘッドフォンで再生してもバイノーラル方式のような立体感は得られません。この方式の場合、ホール壁面からの反響音も比較的多めに録音されるはずです。

2番目の方法は、ステージ上の各楽器の近くまたは楽団内部の各所に多数のマイクを設置するか、あるいは各楽器を独立したブースで録音して、後で2chへミキシングする方法です。ほとんどの音楽ソースがこのような録音方式を採用しているようです。この場合、各マイクの音をコンソールで適当に左右チャンネルへ振り分ける事によって、人工的に音源を配置します。この場合、録音に含まれる反響音は上記に比べて少なくなり、各楽器の音が細部まで聞き取りやすくなるはずです。最近はデジタル信号処理(DSP)によってホールの反射を人工的に追加したりもされるようです(ホールの各壁面の距離/反射率等から遅延量/減衰量を計算し、これに基づいて直接音に対して遅延した人工的反射音(エコー)を追加する)。

いずれの場合も、特に定められた規格もなく、また基準となる原則もなく、音を左右に適当に振り分けているだけだと言えます。従って、録音ごとに条件もまちまちです。また、記録された内容には、左右方向のみの一次元的な音場(と言えるのか?)情報しか含まれません。

下図は、そのようにして録音された音を自分の部屋で再生している状態を示しています。
611.jpg
機械的手段(すなわち2本のマイクロフォンを使用)または電気的手段(すなわちミキシングコンソールを使用)を用いて振り分けられた左右の音を、前方に設置した2本のスピーカで再生します。スピーカからリスナの耳の間には、部屋の音響特性(反射、定在波)が介在し、従って実際にリスナの耳に届く「音場」も、これまた千差万別です。また、左側スピーカから出た音は右耳にも届きます(クロストークが発生する)。

この方式では、左右で同音量に録音された楽器は真正面に定位し、例えば左チャンネルだけに音が含まれる楽器は表現可能な音場?の左端に定位します。この時、その楽器は左側ツイーター位置に定位するはずです(その楽器は左スピーカーからのみ聞こえる = その位置に定位する)。つまり、音場は原理的に左右スピーカの間に展開される事になります。

部屋の反響特性によっては、音場がさらに左右に広がったり、あるいは上下に広がってすら聞こえるそうですが、これらは部屋+スピーカー+リスナーの条件によってタマタマ生じる音場感であって、ソースに含まれるものではありません(ソースには左右方向の情報しか含まれない)。ましてや原音場の「再現」と言えるものでは全くありません。

以上のように考えると、ステレオ方式は原理的に「音場を再現する」とはとても言えず「音場を模造する」あるいは「音場を演出する」という程度のものに過ぎない事が分かります。

これを改善する方法として、ホール内の特定位置を中心とする例えば半径1mの球面上に指向性マイクロフォンを多数配置し、再生時にはこれと同じように配置した多数のスピーカに囲まれた球の内部で聴くという方法が考えられます(1m以内の半径であれば部屋の影響も低く抑えられる)。この方式を大幅に簡略化したのが、マルチチャンネルのサラウンドシステムだと言えます(前後左右の二次元的音場再生)。ご存じのようにサラウンドもハリウッド発の技術ですね。

次回は、原理的にはもっとマトモに音場を「再現」できると考えられるバイノーラル方式について考察します。

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2010年10月01日 (金) | Edit |
ベトベン全集を何曲か聴いてみたのですが、どうも全体的に違和感を覚えるので手持ちのCDと聴き比べてみました。

1つは前から言っているように全体的に「響き」過ぎ。響かせるなバカヤロー。聴きにくいんだよ。

もう1つ気になったのは、チェロソナタを聴いていると弦をコスル音(指のタッチ?)や奏者の息づかいがヤタラと聞こえる事。他にカザルス、ロストロポ、ヨヨマ持ってますが、これ程までには不要な音は入っていません。まあ、カザさんはウーとかうなってる声が聞こえるけどね。。オヂイさん?。ピアノソナタでもペダル踏む音なのか椅子がキシム音なのか「音楽」以外の音がよく聞こえます。こういうのワザと入れてるワケ? 「リンジョーカン」ってヤツかよ。ヤメテクレーーー。「アタカモメノマエニイルヨウナ」ってか。いらねーんだよ。んなもんは。目の前で鳴ってるのはスピーカーです。それでなんかモンダイでもあるワケ?音楽聴かせろ。音楽を。あたしゃベートーベンを聴きたいんだよ。ベートーベンを。。。。

全体的に「音楽」そのものが聞こえにくい。要らぬ事をするなと言いたい。ハリウッド映画じゃあるまいし余計な「リンジョーカン」なんて不要。音楽を卑近なエンタータインメントへ引きずり下ろすんじゃねー。オーヂオだけかと思ったら、ソースまでこれかよ。

このような音の幼稚化が最近の録音の一般的傾向では無い事を切に願います。

こちらの記事も参照されたし。このような感じ方をするのは僕だけではありません。とある演奏家が「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている」と怒るのも納得です。その他にも。。。

- 先日あるクラシック演奏家のお宅でオーディオを聴かせて頂きました。正直きつい音だと感じました。こういうことは演奏系のお宅で何回か経験しています。それとまずパースペクティブというのは関心をお持ちでありません。

- クラシック音楽の録音を趣味にしていますが、演奏家よりホールの残響音のない録音をしてほしいの要望が多いですね。

- 私の知る限りでは(クラシックの演奏家ばかりですが)そういう方々はやはり音場感・空間表現にはほとんど関心を持っていないようです。

- 以前にあるオーディオ開発者の方と一献させていただいたときに、その方から「音場感なんて言われているけどそんなもの必要なの?」と言われました。


媒体に記録されている「音楽」の「表層的な音」ではなく「内容」を真面目に聴く事を望む方であれば、音楽家ならずとも上記の記述に合点が行くはずです。

ちなみにこれは、この全集の演奏者の責任ではありません。演奏者の名誉のために言っておきますが、演奏自体に苦言を呈しているワケではありません。録音状態のせいで「聴きにくい」という事ですから。逆に演奏者が気の毒です。

これは製作会社の問題です。恐らく大衆はこのような傾向を好む(売れる)のでしょうが、芸術を商品として扱うプロフェッショナルが、果たしてそのような風潮に安易に迎合して良いのかどうか、僕には甚だ疑問です。音楽雑誌を全く読まないので知りませんが、ジャーナリズム(評論家等)はこのような傾向に対して何か言っているのでしょうか(オーヂオヒョウーロンカは置いといて。。)。

ということで、やっぱり安物買いの銭失いって事でしょうか。
適宜手持ちの盤と入れ換えて、持ってないので気に入ったやつは70年代くらいの録音盤を追加で購入しよっと(新しいのはナニしてるか分からんので恐ろしくて買えない)。ま、データベースの枠組ができただけでも。。。

でも、ミサソレニムスあれ?ソレムニス?ソレナニス?は始めて聴いたけど良かった。声楽曲やオペラは真剣に聴いてみたい。あと変奏曲も楽しい。。ヴァイオリン関連は一枚も手持ちがないし。そのへんはタノシミ。

毒舌。ご容赦を。。



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2010年09月29日 (水) | Edit |
今日は久々にオシゴトに空きができてベト様全集のリッピングに励んでいます。

で、この全集の交響曲を聴いたのですが、キショクワルイ。。。
ちなみに録音は1999年頃、Tonhalle Orchestra Zurich、David Zinman指揮だそうです。

最近のクラシックCDではデジタル信号処理(DSP)でホールの響きを強調しているとは聞いたことがあるのですが、もしかしてコーユーコトなのか? 僕は低音だけ少し響かせているのかと思っていましたが、全域キンキラキンです。カラオケのエコーかかってるような不自然な響きで「音楽」が聴きにくいったらありゃしません。これがそのホールのそのままの響きなのか???もしDSPでイヂッテいるとするなら、ちょっとやり過ぎでしょう。ホテルのロビーとか喫茶店でBGMとして流すのなら良いかも知れませんがねぇ。

僕のCDコレクションはLP時代に録音された古いのばかりなので、他の最新録音盤がどうなのか知りませんが、もしこのような傾向がこの全集に限らず最近の一般的な傾向だとしたら(そうでない事を切に願う)、アタシャ大問題だと思うな。現代人は化学調味料の影響で味覚が鈍っている(ウマミが濃くないと味が物足りない)と言われますが、カラオケとDSPで聴覚までもがか?(響きがタップリないと音が物足りないらしい)。しかもこれ欧州の製品なんですけど(SONY Bmg Europe)。本家本元の欧州人までがこんなだと、こりゃイッタイ世界はどうなるのか???恐怖すら覚えます。

あと、テンポが速すぎるような。。。フルさんやチェリさんのを聴き慣れた耳には70年代録音のブロさんのでもテンポが速くて音が軽いと感じましたが、この全集のは更に速く軽くなっています。なんか早回しで聴いているようでセワシナイ。ポールモーリアじゃあるまいし。ベト様まで癒し系かよ。。

そもそもベト様ご自身はどのようなテンポを意図されていたのか? それが知りたい。タイムマシンがあったら、アタシャいの一番でベト様自らお振りになった第九の初演を聴きに行きますよ(以外とセッカチなベト様はテンポが速かったりして。。)。

交響曲はとりあえずブロさんのと差し換えようと思います。その他のも手持ちのと適宜入れ換えるかも知れません。

響かせて聴きたい方は装置なり部屋なりでセイゼイ響かせりゃ良いわけで、ソース側でこんな過剰サービスは即刻止めて欲しいですね。FrieveAudioにはコンボルバという機能が備わっていて、世界の著名なホールの残響特性をダウンロードしてDSPで音を響かせる機能まで付いています(使った事ないけど)。そのヘンはユーザ側の好みに委ねれば良いのではないのかなぁ。。ソースがこれぢゃぁ取り返しが付かないですよ。とにかく止めて欲しい。。

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2010年07月09日 (金) | Edit |
僕はステレオ再生をモノラル再生に対する「グリコのオマケ」程度にしか考えていません。この方式は原理的に「オウチで多少それっぽく音楽が楽しめるように」というレベルのものに過ぎないからです。もともと「音空間(音場)の再現」を目的としたものではありません。モノラル方式よりなんかちょっとエーンチャウ?という程度のものだと考えて良いと思います。僕なんか「ステレオ方式の最大のメリットは真正面にスピーカーを置かなくても良いというレイアウト上の利点にある」とすら考えています。

ところが、オーヂオ趣味に首を突っ込んでみて「コンサートホールを自分の部屋に再現」「ライブと同じ音圧で聴くのが理想」「あたかも目の前に奏者が浮かび上がるような」という音場の「再現」による「リアル感」「ライブ感」をこのステレオシステムに求めて拘泥している方々が多いという事に驚きました。まあ、このようなユーザのニーズに応えるためにメーカーはマルチチャンネル方式を開発したのだと思います。当然こちらの方が「音場の再現」という面ではステレオ方式より数段優れていると思いますが、再生場(部屋)の影響を受ける事に変わりはありません。恐らく最も現実的なのはバイノーラル方式だと思います。

それはさておき、
僕が常々不思議に思うのは『再生音楽を鑑賞する上で「臨場感」や「ライブ感」がそれほど重要なのか?』という事です。例えばマイルスの古い録音やフルトベングラはモノラルですが全く問題を感じません。別にモノラルでもエーンチャウ?というのが僕の率直な感想です。

たとえば映画を例にして考えてみましょうか。映画というのはリアル役者の演技をフィルムに記録して編集して2次元スクリーンに映し出される再生可能/複製可能な全くの虚構ですよね。人々はそれを虚構と受け入れた上で鑑賞する訳ですが、優れた映画は人々に大きな感動を与えてくれます。最近「臨場感」を出すために3Dなんてのが出てきましたが、これって「マァスゴイ!」ってちょっとしたエンターテインメント性が付け加わるだけで、映画本来の持つ本質的な表現内容にはゼンゼン重要じゃないですよね。しょせんは2次元の虚構なんだし、鑑賞者もそれを承知で見ているわけですから。。。映画=再生音楽、役者=奏者、演技=演奏、フィルム=CD、スクリーン=スピーカー、3D=ステレオ に置き換えてみてください。3D画像は「ステレオ」スコープと呼ばれ、ホログラムのように完全な3次元再生ではなく目の視差を利用した擬似的なものである点で、オーディオの「ステレオ」フォニックと原理的に似たようなものです。

現在主流のオーディオ装置は「録音した音を、再生場所の状態がどうであれ、そこに置かれたスピーカーで再生する」というだけの極めてシンプルなものです。ですから聴く側も「記録された音を自分のスピーカーで「余す事なくきっちり」と耳に届かせて素直に聴く」以外に何も求めようはありません。僕は音楽という芸術をオウチで鑑賞するにはそれで十分だと思います。「無い物」は求めずに「有る物」をできるだけ「余す事なくソノママ」受け止めれば良いのではないかと。もともとそのような意図で製作された媒体なのですから。

再生された音楽はリアル(現実)ではなくバーチャル(虚構)ですが、目の前のスピーカーから流れる音楽を聴いて感動しているその瞬間の体験そのものは、まごう事なき「現実」な訳ですから。その「現実」を大切にすれば良いわけで、端っからの「虚構」を無理矢理「本物っぽく」しなくても良いのでは無いのかなぁ。。。ヘンな事すると余計にヘンな事になると思うのですよね。ハチマルは。どでしょうか?

どうも「生演奏至上主義」的なあるいは「再生音楽を聴くという行為にまつわるコンプレックス」的な根深い信仰みたいなのが未だにあるのでしょうかねぇ。

ま、iPod世代にはそんな拘泥は全く無いでしょうから心配は無用だと思いますが。

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2009年05月15日 (金) | Edit |
ステレオってモノラルに比べて音楽を聴く上でそんなに優位性があるんでしょうか?

マイルスの古いモノラル録音盤を聴くと「別にステレオでなくても全然問題無いやん」と思う事があります。

Frieve Audioでは簡単にL/Rの信号ミクスできるので、今もステレオ録音盤をモノラルで聴きながらこの記事を書いています。モノラルで左右のスピーカーから同じ音を出すと、まるで正面のディスプレーから音が出ているような感じになり、全ての楽器が真正面に定位するのでかえって聴きやすかったりします 。つまり特定の楽器音に集中したい時に意識を空間方向へ移動させる必要がなくなるわけです (ベースってだいたい左右のどっちかに追いやられるのですが、モノにすると必ず真ん中に聞こえるので僕には好都合)。音の密度感もぎゅっと高くなります。真正面に置けるならスピーカーは1個でも構わないかも知れません。しばらくモノラルだけで聴いてみようと思っています。

242.jpg
Frieve Audioの「マトリクス」設定
L/Rの信号をミクスして両方のスピーカーへ出力
片方のスピーカだけに出力する事も可能

どうもステレオというのはモノラルに対して「無いよりは有った方がナンカエーントチャウ?」という程度のものの様な気がしてなりません。そんな事を言うとメーカーさんはアンプもスピーカーも半分しか売れなくなるので困るかも知れませんが。。。まあ過去に4個に増やすのに失敗しましたし、またなんとか増やそうとしている模様ですが。。。

だいたいステレオ録音というのは多数のマイクで収録したトラックをそれらしく2チャンネルにミクスダウンして左右に振り分けてるだけで厳密に音場を再現できるものではないですから、変なことしないで素直に混ぜちゃった方が良かったりして。。。。
モノ出力できる方はたまに試してみると面白いかもです。


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2009年05月15日 (金) | Edit |
リスニングルームの音響特性に関しては、基本的にデッドな方が良いという意見と、ある程度ライブな方が良いという意見があるようです。今回はこれについてちょっと考えてみたいと思います。

僕の意見としては、重大な定在波が回避できているのであれば、部屋の反響特性はリスナーのお好みで調整すれば良いんじゃないかと思います。

イヤフォンによる再生では、部屋の反響を受けない全くデッドな状態で聴くことになりますし、ニアフィールドで聴く場合も部屋の影響は極端に少なくなります。僕は雰囲気とか臨場感よりも明瞭性を重視するのでデッドな状態を好む傾向にあると言え、従ってオーディオシステムはスタジオモニタのようになってしまいます。このような条件では音が味気ないといって嫌う方も多いのではないでしょうか。

そもそも録音がどの程度の残響時間のスタジオあるいはホールで行われたのか?マイクロフォンで収録された音に含まれる直接音と反射音の比率がどの程度あるのか?によって丁度良く感じられるリスニングルームの反響特性は変わってくると思います。

例えばピアノ、バイオリン、チェロのトリオ演奏の録音を考えてみます。

1) 3つの独立した録音ブースに各奏者を入れて、ヘッドフォンで互いの音をモニタしながら演奏してもらい、各楽器に対して1つのマイクロフォンを使用して録音した場合 (実際にクラシックでそんな録音方法が行われているかどうかは知りませんが)。
各奏者の定位は2chへのミクスダウンの時に人工的に作られることになります。前後方向の定位は位相の調整で行えると思われます。このような録音では実質的に直接音しか収録されていないので、デッドな部屋で聴くとまるで無響室内で演奏を聴いているように全く味気なく感じるのではないでしょうか。逆にコンサートホール並に音響特性が整えられたリスニングルームではとてもリアルに聞こえるかもしれません。

2) 貴族がかつてモーツアルトの演奏を聴いたであろうお城のとある部屋 (かなりライブ) の貴族達が座ったであろう場所に2本のマイクロフォンを置いてステレオ録音した場合 (このような録音方法も極めて稀らしい)。
この場合は石造りの部屋の反響音がそのまま収録されます。この録音をホールと同等の反響特性を持つリスニングルームで再生すると響き過ぎるのではないでしょうか。逆にデッドな方がその部屋の雰囲気をそのまま感じられるかもしれません(かな?)。

3) 音響特性に優れたとある小ホールで、複数の吊り下げマイクやスタンドマイクを使用して奏者近くの音を収録した場合(多分こういう録音が多いはず)。
この場合は2)よりも直接音の比率が高くなります。従って1)ほどではないにしろ各楽器の音がより明瞭に録音されるはずです。再生音は最前列のかぶりつきで聴いた状態に近いかもしれません。リスニングルームに適度な反響があった方が後方の普通の客席で聴いているのに近い感じを受けるかもしれません。
雰囲気よりも明瞭性を好む僕のは3)をデッドな状態(カブリツキ?)で聴くのを好みます。
ちなみに、このような録音では一般的な客席で聴くよりも直接音が強くなるので、再生すると高音がきつめに感じられる傾向にあるようです。というのは客席で受ける反響音は低音が主体で高音があまり含まれないためです。従って高域をイコライザで減衰させた方が自然に聞こえると一般に言われています。僕も交響曲では1000Hzから20kHにかけて9dB減衰させて聴いています。

いずれの録音方法にせよ、家庭でステレオ再生した時に快適に聴けるように様々なイコライジングや特定の楽器音の強調が行われるのが普通です。いたずらにリアリティにこだわらずに自分の部屋を好みに合わせてチューニングすれば良いんじゃないでしょうか。はなからステレオ再生と生演奏は違うものと考えるべきでしょう。

ウェザーリポート等のエレキ音楽は、スタジオで楽器別に録音した音源を複雑にオーバーダブしたりエフェクトをかけたりして最初からステレオ再生を前提に念入りに作り込まれており、もはや生演奏の代替ではなく全く独立したアートですから、生演奏の臨場感もへったくれもありません。自分の好みに合わせて如何様な状態で聴いても誰も文句を言う筋合いはありませんね。
僕はクラシック (ほとんどベトベン) を聴く場合でも再生音を生演奏の代替とは考えず、作曲者 (ベトベン) を聴くための単なるインターフェイスとして扱う傾向にあるようです。。。て、そんなヤツが書いているオーディオ ブログなので、その辺はさっ引いて読んでやってください。

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2009年02月17日 (火) | Edit |
前の記事でバイノーラル録音の話が出たのでついでに。

僕の専門分野ではないのですが、以前仕事で間接的に関わった事のある自動車の室内音の評価について書きます。

<その前に>
バイノーラル録音とは、人間の鼓膜に届く音声をそのまま記録することによって、イヤフォンで再生したときにあたかもその場に居合わせたかのような臨場感を再現しようとする録音方式です。録音には人間の頭部形状を真似たダミーヘッドと、両耳の位置に取り付けたマイクロフォンを使用します。再生音からはその場に居るような臨場感や立体感を得る事ができるとされています。
両耳に届く音は頭部や上半身の形状に影響されます。人間はそれによって生じる左右の微妙な位相差や音圧差から音の方向を認識するわけですが、それをそのまま再現しようというのが狙いです。

通常の2チャンネル ステレオ方式はあくまでも自分の部屋で「それらしく」音楽を楽しむためのものであり、正確に生の音場を再現する事はできません。

最近の自動車は、室内音をただ静かにするだけでなく、積極的にそのモデルのイメージに合ったサウンドを創り出すといった事をやっています。耳障りで不快な音成分は徹底的に除去した後に、例えばスポーツカーであればスポーティーなサウンド、高級車であればラグジュアリーなサウンドを表現するのに必要な音成分だけを選択的に残したり強調したりするわけです。時にはエンジンの吸気音がドライバーの耳に届くように細工したり、性能を多少落としてでも吸排気系の形状を変更したりもします。これらの技術はサウンドエンジニアリングと呼ばれています。クルマの性能自体は各社横並びの状態にあるため、特に欧州メーカーを中心にサウンドキャラクターによる製品の差別化が重要視されつつあります。欧州のユーザはクルマを選ぶ際の選択基準として室内サウンドを重視する傾向にあると聞きます。

この分野では人の音の感じ方に基づく音質指標として心理音響パラメータを使用します。例えばラウドネス(音の大きさ)、シャープネス(甲高さ)、ラフネス(ざらつき感)、トナリティ(純音感)とかがあります。これらのパラメータの値は、信号解析によって定量的に数値化可能です。そして、これらの客観的なパラメータと、主観的なフィーリングである「スポーティ感」あるいは「パワフル感」がどのように相関付けられるかを、多数の被験者によるリスニング評価(一種のブラインドテスト)の統計的解析によって同定するといった事が行われます。

リスニング評価では、被験者にできるだけリアリティのある音を聴かせる必要があるため、バイノーラル方式で録音/再生を行います。すなわち助手席に設置したダミーヘッド(マネキンの耳にマイクロフォンを埋め込んだもの)を使用して録音し、被験者にはヘッドフォンを使用して試聴してもらいます。さらに被験者前方の床面にはサブウーハーを設置して、ヘッドフォンでは再現しきれない重低音を再生します(遅延は補正)。サブウーハーを使用するため、試験は無響室内で行い、サブウーハーからの音が聞こえるようにオープンエア タイプのヘッドフォンを使用します。

例えば、フェラーリ、ポルシェ、NSXといった内外の主要なスポーツカーのフル加速中の室内音を録音して、そのままの再生音やDSPで一部改変した再生音を被験者に聞かせ、その音からどの程度の「スポーティさ」が感じられるかを10点満点で主観的に評価してもらうわけです。当然被験者にはそれがどのモデルの音なのかは知らされません(ブラインドテスト)。

そのようにして集められた多数の結果と心理音響パラメータの値を統計的に照らし合わせて、最終的には顕著な相関性を示す数個の心理音響パラメータから「スポーティーさ」の点数を算出するための計算式を多重回帰法を用いて導き出します。その計算式を解析装置にプログラミングし、録音したデータを解析装置に流せば、「スポーティさ」の点数が出力されるといった具合になります。ちょうどカラオケの点数みたいなもんです。新型車の開発においては、このようなツールを駆使して様々な改造が行われます。

僕も被験者の一人として参加させてもらったのですが、世界中の有名スポーツカーの音が聞けてなかなか楽しい経験でした。ブラインドでしたがフェラーリはすぐに分かっちゃいました。ちなみに完全な主観評価にもかかわらず、被験者間の差は以外と少なかったです。ただし、同じ試験をヨーロッパ人と日本人でやると、はっきりとした傾向の差が現れます。基本的に欧州人はやや濁った迫力のある低音を好む傾向にあり、日本人はエンジン回転と連動した澄んだ高音(F1に代表されるレーシングサウンド)を好む傾向にあります。

以上は、プロフェッショナルなレベルで再生音のリアリティが求められる場合のバイノーラル方式の実施事例として紹介しました。

自分の部屋でコンサートホールを本当にリアルに再現したいのであれば、このような方式をとるのが最も現実的ではないかと思います。でなければ少なくとも2chステレオシステムではなくマルチチャンネルのサラウンドシステムを採用すべきでしょう。前の記事で書きましたが、僕個人は音楽を聴くにあたってそのへんのリアリティをあまり求めません。

オーディオ界でも以前一度バイノーラル ブームがあったように記憶しますが、その後すぐにすたれてしまったようです。最近はMP3プレーヤーの普及によってヘッドフォンなりイヤフォンが広く受け入れられ、それら機器の装着感や性能も大きく改善されているので、今一度バイノーラル録音を見直してみてもよいのでは、と思います。録音する側の技術においても、以前は外耳道までリアルに再現したダミーヘッドが一般的に使用されましたが、最近ではおむすび状のシンプルな形状のダミーヘッドが開発されています(実はこちらの方が自然に聞こえるらしい)。また信号処理技術も飛躍的に進歩しているはずです。

蛇足ですが、このような積極的なサウンドの創出による車の個性化あるいは差別化といった動きは、欧州の自動車メーカーが先行していました。それまで、日本の自動車メーカー各社は室内音を何dBまで下げられるかでしのぎを削っていたわけです。特に一時期のT社の車は気色悪いぐらい静かでした。しかし、そのような車では操作に対するフィードバックが得られないため、運転の楽しさが得られないばかりか、危険さえ感じる事がありました(知らない間にスピードが出ている、無駄にアクセルを踏んでしまう等)。

最近、オーディオ界においては個性的な外国製スピーカーが幅を効かせ、気真面目に作られた日本製スピーカーは苦戦している模様ですが、何となく関係のありそうな話ではありませんか?

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