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2013年06月05日 (水) | Edit |
前の記事に関連すると思われる音楽家さんの発言を補足として載せておきます。

空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている
さる演奏家さんのコメントとの事。。これは当ブログでも再三ご紹介しました。

ぼくたち指揮者は一生懸命音を混ぜようとしているのに、どうして君たちオーディオマニアはそれを分解して聴こうとするんだい?
これは小澤征爾さんのコメントらしい。

どちらもネットで拾った情報なので信憑性は不確かですが、僕としては大いに納得できるコメントです。

あ、それと音場には関係無いですが
みんな仲良く、世界中が同じ音質で聞けるようにしてくれー
というのもありましたね。

音楽界はもっとオーディオ界に関与すべきです。それが表現者としての責任です。オーディオ界はもっと音楽界の意見に耳を傾けるべきです。それが伝達者としての責任です。僕はそう思います。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年04月02日 (火) | Edit |
今回は僕が考える音楽ソノモノを聴きやすい装置について、例によってツラツラグダグダ書いてみます。

まず、僕達の手元に届く音楽ソースとはどういう物かについて考えます。

ハナシを単純にするために、チェロ独奏のモノラル録音・再生を想定します。楽器に近接して設置した1本(または複数)のマイクロフォンを使ってスタジオまたは無響室で録音し、これを自分の部屋のどこかに置いた1本のスピーカで再生します。近接マイクを使った場合、楽器からの直接音に対して部屋の反響音のレベルは相対的に非常に小さくなるため、無響室で録音した状態に近付きます(再生時のニアフィールド リスニングと理屈は同じ)。そのように録音されたソースを自分の部屋に置いた1本のスピーカで再生すると、そのスピーカ位置にチェロ奏者が居て演奏しているのに近い状態を再現できます。アタカモ。。。ってヤツです。。。ただし、一般的な住宅の部屋では、専用に設計された音楽ホールに比べて圧倒的に狭すぎますし、残響特性も良好とは言えませんから、理想的な状態で鑑賞する事はできません。音楽ソースは世の中のできるだけ多くの人々にできるだけ良い状態で楽しんでもらえるように制作されなければなりません。誰もが立派なリスニングルームを持てるわけではないですから、このようなソースでは全く困ります。ゼンゼンアキマセン。

ですから、どのようなソースであれ、これも以前の記事に書いたように、距離感や空間の拡がりを表現するために残響音が加えられています。例えばクラシックなどでは、響きの良いホールで適度に距離を置いて設置したマイクを使って録音する場合もあるでしょう。多くの場合、個々の楽器の音を明瞭に捉えるために、近接設置した複数のマイクロフォンも使われ、さらに、最近はDSP(デジタル信号処理)でホールトーンが人工的に追加されるケースが殆どだと聞きます。

さらに、独奏ならまだしも、大編成のオーケストラの場合はどうでしょうか。殆ど直接音だけを拾ったオーケストラの録音をオウチのお部屋で再生するとエライ事になります。どのように立派なリスニングルームでも、コンサートホールに比べれば、それはソレハもう圧倒的に小さいですから、交響曲で重要となるホールの反響効果(時間的遅れ)を再現する事など絶対にできません。また、以前にも書いたように、カブリ付きの最前列席では高音成分が非常に強く、席が後方になるにつれて高音成分は急激に減衰し、ある程度離れると周波数特性はほぼ一定になります。これは、高音の反射音は吸収されやすいためですが、このようなソースを小さな部屋で聴くと、ウルトラ超カブリ付き状態ですから、やたらと高音がキツク感じられるでしょう。とても聞けたものでは無いはずです。ですから、通常のソースには音源から離したマイクなりDSPなりで必ずホールトーンが加えられ、また周波数特性もホール中央付近の周波数特性になるよう高音が抑えられています。これも以前の記事に詳しく書きましたよね。そのおかげで、僕達は小さなお部屋でもニアフィールドリスニングでもヘッドフォン・イヤフォンでも、基本的に何も調整しなくても、交響曲をホールの中央付近に近い快適な状態で楽しむ事ができるワケです。

ジャズやロックでは、各奏者を独立したブースに入れて近接マイクで録音し、後で2chにミキシングする事が多いと思います。例えば、ジャコの傑作アルバムWord of MouthのCrisisという曲の場合、ジャコはベースとドラムスだけ(もしかしたらピアノも)を含むリズムトラックを蒼々たるメンバーの一人ずつに聞かせてソロ演奏させ、ミキシング時にそれぞれのトラックを任意に出し入れしてアンサンブルをコラージュ化しています。ミキシングに集中しているジャコの鬼気迫る姿が目に浮かぶ。。。これはちょっと極端な例かもしれませんが、スタジオ録音では多かれ少なかれ、そのようなプロセスが採られます。で、当然ですが、それらの音には反響音は殆ど含まれないため、以前の記事に書いたように必ずリバーブやディレイ等の空間系のエフェクトが加えられ、周波数特性がイコライザで整えられます。

このように、どのようなジャンルのソースであれ、まず例外なく、実際の自然なホールトーンなりDSPによる人工的ホールトーンなり各種空間系エフェクタなりによって反響音が追加されています。これはヘッドフォンやイヤフォンで聴くとよく分かります。これらによって、奏者との距離感や、空間の拡がりが表現されているという事です。このような効果が皆無だと、特にヘッドフォンやイヤフォンまたはニアフィールドでは聞けた物ではありませんし、離れて聞く場合でも、部屋の反射特性を整えないと良い状態で聴くことはできません。何よりも、交響曲等で重要となる空間のサイズ(すなわち反射の遅れ時間)のファクタは逆立ちしたってどうやったって絶対に再現不能です。

で、またグダグダと書いてしまいましたが、何が言いたいかというと、通常の音楽媒体はそれ自体で完結した作品であるという事です。言い換えれば、ユーザ側でアレヤコレヤ追加したり調整したりする必要のある「生」の録音ソースでは決してないという事ができます。大層なリスニングルームやソーチを持ち自分でセッティングや調整をする少数のリスナを対象としているわけでは決してありません。このため、最終的に、音響調整されたコントロールルームのモニタスピカやヘッドフォンを使って表現者自身を含む音楽の専門家達がモニタしながら、僕達リスナに具合良く快適に聞いてもらえるよう、彼らの目指した表現が僕達により良く伝わるよう、残響音等による空間効果も含めた完結した作品世界(時空間パッケージ)として作り込まれているという事です。

ですから、装置から出てくる装置由来の各種音現象ではなく、表現者の意思に由来する音楽ソノモノを存分に楽しみたいのであれば、余計な響きやナンヤカンヤを敢えて装置で追加する必要性は基本的に無かろう。。というのがLEANAUDIOの実体験を通した僕の結論です。逆に、そのような勝手な響きや音要素を徒に付加すればするほど、それらは表現者が意図せぬ要素ですから、確実に音楽ソノモノは聞こえ難くなります。シツコイですがアッタリマエです。また、ソースにはせっかく適度な反響音が加えられているわけですから、狭苦しい部屋の反響効果は極力抑えた方が、つまり、部屋をデッド傾向にするかニアフィールドで聞く方が好ましいと思います。広いコンサートホールの反響(時間的に長い遅れを持つ反響)などオウチでは絶対に再現不能ですからね、ゼッタイニ。せっかくソースに含まれている広々とした空間のホールトーンが狭い部屋の反射や定在波によって損なわれてしまう事だって十分に考えられます(というか、実際に僕の部屋では定在波が交響曲の低音の響きを邪魔します)。

さらに言えば、ソースの音場表現がそれ専用に最適化されるのであればヘッドフォン・イヤフォン(バイノーラル)方式が理想でしょう。これにより、作品世界(時空間パッケージ)をより一層完結したものにし、表現者が狙った表現をより一層高い精度でリスナに伝える事が可能となります。お金も資源も電気も空間も無駄使いしませんので、これからの時代にピッタリだと言えるでしょう。

追記
リアルっぽさやリンジョーカンをどんなに求めても、真の「リアリティ」は、泣いても笑っても、例えそれがどんなに不完全であろうとも、ソースの中にしかアリマセン。アッタリマエです。リアルっぽさやリンジョーカンを求めれば求めるほど、音楽はますます嘘っぽく僕には聞こえます。ショールームで聞かせてもらったジョートなソーチに僕がどうしても馴染めないのは、恐らくこの点にあります。なんかシュワーっとしてブワーっとくる感じというか。スッテレオ臭いというか。そういう感じのヤツです。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2013年03月30日 (土) | Edit |
前の記事からの続きです。

前の記事で、僕はソーチから出てくる音の諸々の現象ではなく、
媒体に記録されている「音楽」ソノモノをより良い状態で聴きたいのだ
と書きました。
「音楽ソノモノを聴く」とはどういう事でしょうか?
今回はそのへんについて書いてみたいと思います。

僕が言わんとしているのは何も難しい事ではありません。
オヂオ趣味に手を染める以前に、オヂオ雑誌やヒヨロンカや周囲のオヂオマニア達が言う事に強く影響を受けてしまう前に、ラジオであれ蓄音機であれラジカセであれ親父殿のステレオであれ、オンシツやオンジョーなんか微塵も気にせずに「自分が」本当に大好きなアーチストさんの大好きな曲を「自分なりの聴き方で」夢中になって繰り返し繰り返し聴いた経験のある方は、その頃の事を思い出せば分かるでしょう。たとえば、リアルタイムに強烈なビトルズ体験をした殆どのヒトビトはラジオや蓄音機で夢中になって聴いたはずです。そのように自発的で自然な「自分なりの」音楽体験を十分に積み重ねることなくオヂオ趣味の影響を強く受けてしまった方、あるいは音楽には元々強い興味はなく積極的に聞きたい音楽も特にない状態で全くの趣味としてオヂオイヂリを始めた方(ジョートな装置(趣味)にはジョートな音楽を。。と専らザッシやヒヨロンカの推奨盤を聴いている方)には、このへんの事は全く理解不能かも知れません。グルッと180°異なりますから。

何度も紹介した論文の抄録
音楽家の多くは高精度のハイファイ音を楽しむのではなく、音楽の本質を聴く。したがって、彼等は名演奏であれば、SPから再生されたCDでも満足して聴いていることが多い。
で言っている「音楽の本質」というのも全く同じ事です。ラジオや蓄音機でビトルズを夢中になって聴いている状態と、ここで言っている音楽家達がCDを聴いている状態は、本質的に同じでであると思います。ここでは「高精度のハイファイ音」と言っていますが、これは著者が最近のハイエンドオヂオの本質を知らないためでしょう。現在マニア達がやっているオヂオは高精度でもHiFi(高忠実度)でもありません。彼らがツイキューしているのは全く別の(180°異なる)ナニカです。それは、彼らが「音楽を聞くダケなら.......」という時の「ダケ」以外のマニアック領域であると言えるでしょう。

以前にLEANAUDIOの音は端的に言って「ラジオの音を広帯域/低歪み/低ノイズにしたダケの音」だと書きました。これは音楽を聴くダケのために(つまり音楽の聴きやすさを求めて)開発した結果です。着手した最初の頃は、マニア達が言うように、それダケではツマラナクて楽しく聴けないのだろうな。。と思っていたのですが、程なく彼らがツイキューしているのは全く別の事なのだと分かりました。

僕が求めるのは「ダケ」の部分を、もっと高いクオリティで、もっと手軽に、もっと安価に、もっとコンパクトに、もっとクールに楽しめる装置です。大層で立派な装置ではありません。オヂオにマニアックな興味を全く持たない、「音楽」を楽しみたいダケのヒトビトのための本来あるべき姿の本当のオーディオ装置です。現在の世の中の技術レベルからして、80年代以降も正常に進化し続けていれば今現在実現していたはずのオーディオ装置であるとも言えます。

とは言っても、最近はヘッドフォン・イヤフォンの音質が素晴らしく、着用感も随分改善され、iPod等の携帯音楽プレーヤも十分に高音質・コンパクト・クールであり、価格帯も十分にリーズナブルであるため、僕が求める本来のオーディオ装置はある程度既に実現しているとも言え、であるからこそ、世の多くの人々がソチラへ雪崩れ込むのだと言えなくもありません。マニアオヂオの単なる廉価版として全く安直に開発された一般向け旧来型オヂオ装置のレベルを考えれば、それは至極当然真っ当アッタリマエな現象だと僕には思えます。市場の反応は結局正直だという事です。僕だって、そもそも携帯電話+カナル型イヤフォンで聴いたフルトベングラさんのベトベン交響曲に感激し、安直極まりない旧来型オヂオのスピカに激怒して破壊し(それは根本的にコストの問題ではない)、イヤフォンサウンドをスピカに置き換えるべくLEANAUDIOに着手したわけですしね。

最近はベッドでiPod+モニタヘッドフォンを使ってフルさんのベトベン交響曲をよく聴きます。そいう周期が来たようです。2番と8番は録音状態がかなり酷いのですが、携帯で聴いていた頃のように、あまり気にせずに楽しんでいる事にふと気付きました。僕の中でオーディオ開発に向かう意識が完結したという事だと思います。これは好ましい状態であると言えましょう。

ハイエンドオヂオをヒエラルキの頂点とする従来型オヂオは完全に進化の袋小路にはまり込んでいるように思えます。根本的な部分で80年代から全く何も進化していないですよね。今後のスピーカ再生オーディオ技術は、そのような袋小路からではなく、新しく枝分かれしたヘッドフォン オーディオから派生した方が良かろうと思います。実際LEANAUDIOはそうです。また、ヘッドフォン オーディオも、最近ブログで書いているように、その良さを最大限に発揮できる再生方式あるいはソース制作方式での進化が強く望まれます。今のままでは本当にモッタイナイ。

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2013年03月05日 (火) | Edit |
最近は欧米でも高級ヘッドフォンが売れ筋だと聞きます。そこで欧米のオーディオ事情を知りたいな。と思ってネットで調べてみたのですが有用な情報は殆ど得られませんでした。

どのようなジャンルであれ僕達が今聴いている「音楽」の殆どは西洋で生まれて発展してきた形態を基礎とするわけですし、今でもクラシックの中心地であるわけですし、機械仕掛けで音楽を聴くというのも欧米が発祥の地であるわけですから、彼の地の人々(断じてオヂオマニアでなない普通の音楽愛聴者達)が日頃どのように音楽を聴いているのか、ちょっと気になるところではあります。

オウチもオッキイですから、オッキイ スピカを部屋中にグルっと何本も置くようなソーチが売れているのでしょうか?僕はアンナモン欧米でも絶対普及しないと思っているのですが、どうなんでしょうか?暖炉のある広いお部屋の真ん中に座って高級ヘッドフォンと小さなアンプやiPodでワーグナーを聴いている。。。なんて意外とアリなんでしょうか? 総じてアチラのヒトはモノやお作法に変に拘らないですからね。。。あ、オヂオマニアぢゃないですよモチロン。僕が興味の対象とするのは、オヂオにはさして興味が無い普通に音楽を愛聴する人々の事です。つまり、オーディオ技術が本来対象とすべき人々の事です。

世界的にヘッドフォンへと向かう傾向が本当に顕著であり、それが一過性のものでは無さそうであるならば、制作側もヘッドフォン再生を前提とした録音技術の開発と作品作りのプロセスを真剣に考えないとイカンと思います。今のままではヘッドフォンが持つ原理的優位性を生かし切れていなくてモッタイナイ。もはやスピカの代替という考え方は時代遅れでしょう。立場は逆転しつつあるように見えますが、ドデショウカ?
(ここで僕が言及しているのはマニアオヂオの領域の事ではアリマセン。ソチラはソチラでやれば宜し)

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2013年03月02日 (土) | Edit |
数日前から久しぶりに風邪ひきさんです。喉と鼻の炎症が主な症状ですが、瞼も腫れぼったくて冷やすととても気持ちが良い。

当然ですが耳にも影響が見られ、非常に低い音が聞こえ難く非常に高い音がとてもキツク感じられます。CoverFlowでアルバムを選べるのが嬉しくて、最近ベッドではiPod Classic+SONY PHA-1(最近買った!)+SONY MDRーZ1000モニタヘッドフォンで聴く事が多いのですが、風邪をひいてからはiPodのイコライザを「Treble Reducer」(500Hzから16kHzにかけて-6dB)に設定しています。

今回の症状は極端ですが、耳の聞こえ方というのは確実に体調の影響を受けます。また、飛行機に乗った時等、気圧(内圧・外圧差)が急激に変化すると音の聞こえ方が変わる事をはっきりと認識できます。このように、心理的だけでなく物理的(環境的、肉体的)な影響によっても音の聞こえ方は結構変化します。

なので、僕の経験からすると、ソーチの何かを変えた場合、余程大きな変化でない限り少なくとも1週間は使ってみないと判断を誤るような気がします。また、例えそのようにして選んでも、長い周期での好みや体調や季節の変動のせいで、また元に戻す場合もあります。例えば、体調が余りよくない最近はTU-870を使っていますが、近いうちにIconAMPに戻す事は今まで繰り返した経緯から自明です。何年かやっていれば、自分の習性もだんだんと分かってきます。最近存在を忘れていた真空管バッファアンプ+IconAMPくらいが丁度良いかも知れませんね。近いうちに復活させたいと思います。

また、音質の変化を聞き分けようと意識するのではなく、音楽を普通に長く聴いてみないと、やはり判断を誤るような気もします。アタリマエですが、どんな機械も現場での実用状態(つまりオンシツをキキワケたりツイキューしたりするためではなく、日常的に音楽を聴くために使っている状態)でイロイロ使ってみないと本当の事は分からないという事です。また、2種類の設定を手元で簡単に切り換えられる場合、自分は「無意識に」どちらを選んでいるか?という点も重視します。ついつい手が伸びる方を選ぶという事です。やたら細部に意識を向かわせるのではなく、広くボンヤリと総合的に観じて結局どっちが自分にとって快適なのかが重要だと思います。

そのようにして行き着いたのが現在のZAP君です。昨年11月にデジタルで帯域分割するようになってからは全く何も変わっていません。今後はもっと小型化・一体化したいですね。

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2013年02月13日 (水) | Edit |
妹に送るPCも完成して箱詰めしました。明朝発送の予定です。できるだけ静かにしてやろうとファン速度を調整したり、ナンヤカンヤ、結構手間が掛かってしまいました。これでPCイヂリはオッシマイ。すっかり実験君が滞ってしまいましたね。

前の記事にいくつか非公開コメントを頂きました。今後、非公開コメントは受け付けないよう設定しましたので、ご了承ください。今日の記事も、例によってコメントへの返答の転載です。例によって多少加筆しています。

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LEANAUDIO方式に着手する以前、チューニング中の「オト」にシューチューした短時間のシチョーだとバスレフでもゼンゼンOKヤンとなるのですが、長時間「音楽」を聴いていると違和感が募り始め、だんだんポートに詰め物を入れて最終的に密閉型になる。。。。を、ソレハソレハ何度も何度も繰り返しました。ポート形状を変えたり、容積を変えたり、吸音材を変えたり、イヤになるほど。。。しかしナニをやっても最終的に詰め物で密閉型になってしまう。。。。

僕はジャズをよく聴き、ビートのノリ(グルーブ、スイング)、特にピチカートベースに非常に敏感です。長年の訓練の賜か、ナガラで聞き流していても頭の半分はかなり集中して音楽を追いかけています。LEANAUDIOをやっていて気付いたのですが、「オンシツ」にシューチューする聴き方(シチョーとかキキワケ)と「オンシツ」を完全に忘れて「音楽」に集中している時の聴き方は全く異なります。全くです。ゼンゼンチャイます。ここが180°の大元です。オヂオに全く興味の無い普通に音楽を聴くヒトは「オンシツ」とか「オンジョー」とかに意識が向かいません。何故ならば彼らが彼女らが聴きたいのは「音楽」(大好きなアーチストさんが作らはった大好きな曲)だからです。。。 シツコク言っておきますが、装置から出てくる表層的オンシツやオトノゲンショーに深く拘って聴く事と、その音楽をより深く楽しむ事は全く別の行為です。繰り返しますが、オンシツに過剰に拘る事がエラクてジョートな音楽の聴き方では決してアリマセン。というか、マニアのような聴き方を僕は青少年少女達に決して奨めたくアリマセン。

このような経験から、僕はトッカエヒッカエしながらシューチューしてキキワケルという方法を一切信用しません。長時間音楽を聴いていて違和感を覚えたり、聞こえ難く感じたり、不自然に感じたり、不快に感じたりしなければOK。約4年の開発を経て最近ZAPをイヂル所が無くなってしまったのはそういう事です。要は「オト」の表層的ナンチャラカンではなく、ソースに記録されている「音楽」の聴きやすさを求めるという事です。聴きたいのは「音楽」つまり「アーチストさんがやらはった事の結果」だからです。装置から出てくる「オトの表層的現象」を聴きたいわけではありません。そのような聴き方をする時、僕には密閉型の方が圧倒的にヨク聞こえます。そこに疑いの余地はありません。

妹が言っていましたが、姪はお正月にプレゼントした「悪ガマ君」を事の他気に入って使ってくれているようです。低音がメッチャヨーキコエルと喜んでいるそうな。昨日初めて知りましたが、妹は何年か前に姪に10万円を大きく超えるかなり上等のSONY製MDコンポを買い与えたそうです。締まり屋ですが娘には出費を惜しまない彼女は、娘が音楽業界を目指している事を知り、立派な装置が必要だと考えたのでしょう。しかし姪はほとんどiPodで聴く事を好み、MDコンポは専ら妹が愛用しているとの事。なぜそうなるか?僕にはよく分かります。オヂオでは「音楽」が聞こえ難いんですよ。僕もDENON MDコンポのボケスピカを激怒のあまりに破壊してしまいましたよね。

繰り返しますが、オヂオに全く興味の無い普通に音楽を聴くヒトは「オンシツ」とか「オンジョー」に意識が向かいません。彼らが彼女らが聴きたいのは「音楽」です。ここが180°の大元です。そんな彼ら彼女らのための必要十分に高品位でコンパクトでオシャレで適正価格のオーディオ装置、つまり本来の用途で使われる本当のオーディオ装置を、マヂメに開発せんとイカンと思うのですよね。僕は。ドデショウカ。

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2013年01月30日 (水) | Edit |
前の記事からの続きです。

僕のLEANAUDIOでの実体験に基づくならば、装置の基本的物理特性が整えば確実に「音楽」は聴きやすくなります。例えば、フルトベングラさんのベトベン交響曲等、録音が古い盤では、僕も真空管アンプを使って多少マイルドにして聴いたりもしていたのですが、必ずどこか聴き辛くあるいはモドカシク感じる事もあり、結局今では殆どの場合Icon AMPで聴くようになりました。真空管アンプに限らず、再生クオリティを落とす方向の事(コノミの問題の事)をやると、その時は感じが良くなったように聞こえる場合もある反面、必ずナニカを失います。つまり、どのようにしようが録音されている以上のクオリティにはなるはずもなく、ナイモンハナイのよ。。という事でしょう。

結局はコノミの問題であり、コノミは体調や気分や環境条件等によって、ある幅で必ず変動します。同様に、人それぞれ「音楽」の好みにも一定の幅があり、その幅の中でその時々に聴きたい曲やシックリとくる曲が変わります。それらのコノミは短い周期(1日の中での変化)や長い周期(数ヶ月とか数年周期の変化)で様々に変動します。僕の場合、例えば、やたらベトベンばかり聴いた月もあれば、数ヶ月間殆ど聴かなかったりもします。

マニア達はよくエージングの効果を強調しますが、コノミや気分や環境条件の変動による影響が殆どではないかという気もしないではありません。ソンナコンナで、フラフラうつろうコノミや気分の変動幅に埋もれるような、しかも多分にプラセボ効果に埋もれてしまいそうな、コマケー装置のオトの違いを追いかけまわしてもキリがなく、また、そのような再生クオリティに直接関係のない(あるいは相反さえする)微妙なオトの個性の差違は音楽を聴く上で全く大して重要とは思えません。オヂオ自体に趣味性を求めないのであれば、必要十分な基本的物理特性をシッカリと備えた真面目な装置で再生してやるのが最良であろうというのが僕の結論です。

僕の経験だと、グルッと回って必ずソコ(結局一番地味なトコロ、基本的物理特性が整ったトコロ、つまりコノミの問題が希薄なトコロ)に戻ってきます。僕も3周くらいしたかな。この間も真空管の音が凄く良く聞こえた時があって、ZAP用にTU-870を1台追加購入しましたが、結局今は殆ど使っていません。また無駄使い。物増えた。クソ。

ライブでは多少PAや音響が悪かろうが何だろうが、素直に受け入れて楽しみますよね。座席によって聞こえ方も随分違いますが、気にしたってしようがありません。そんなもんイチイチ気にするよりも、とにかく楽しまなくっちゃ。それに、ライブでは必ずしもその時に体調や気分が絶好調またはピッタリだとは限りません。余談になりますが、僕が記憶している中で最高のライブ体験は、大学生時代に39°の熱でクラクラしながら(だって、チケット代がもったいないもん)聴いた山下洋輔トリオのライブかな。しかも会場は大阪市立大(あれ、府立だっけ?中百舌鳥にあるヤツ)の体育館で音響は良くないしやたら寒かった。しかし、理性が高熱のせいで後退したのでしょうかね。いつになく感覚が研ぎ澄まされ、素晴らしく深く楽しめました(下痢気味で冷や汗ものでしたが)。。。

ライブというのは、こういうハプニングが楽しいですね(その時は大変でしたが。。。)。一方、再生音楽は好きな時に好きな曲を選んで聴けるという自由度が圧倒的に高いわけですから、その時々の気分に合ったその時自分が最も聴きたいと思う曲を選べば良いわけです。アッタリマエですが。。

装置の音の微妙な個性の違いよりも、個々の音楽作品が持つ(録音条件を含む)個性の違いの幅の方がそれはもうヒャクオクマンバイ圧倒的に大きいわけですし、そちらの個性の方がソーチの個性などよりもソレハソレハもう言うまでも無くセンオクマンバイ圧倒的に重要なわけです。再生音楽だって極論を言えばライブと同じで、結局は録音によって全てが決まるのですから、やたらコマケー事をナイモノネダリをしたってしようがありません。重要なのはソコではありませんしね。結局のところ、変換装置として物理特性的にキチント真面目に再生し、詮ない事にアレヤコレヤ囚われずに素直に「肝心のトコロ」を楽しむのがナニよりです。。。ライブと同じ事です。繰り返しますが、重要なのはソコ(コノミの問題領域)では無いという事です。

それに、超一流どころの作品であれば、キチンと再生すれば大概は最良の状態で楽しめるように作られているように僕には思えます。その道のその時代の超一流プロフェッショナル達が調整してくれてはるのですからね。その状態をまずシッカリと素直に聴いてみる事をしないで、音楽のドシロートがオンガクセーたらオンガクカノジョーカンたらカンセーたらを勝手放題に振り回して最初っからコノミの問題をツイキューとやらすると、それはもう際限なくグルグルになる可能性は大きいでしょう。だってなんらかの基準を持たなければ「ナニをドノ方向にドノ程度」というのを把握できません。コノミや気分や環境条件が変動する中で、ブツリトクセーはジューヨーデハナイとばかりに、ブラインドテストハイミガナイとばかりに、プラセボにまみれて確たる基準を持たぬ相対的/主観的比較を繰り返すと、グルッと一周してそのうち元に戻っても分からないという富士の樹海を彷徨う羽目に陥るのは当然です。GPSを持たずに富士の樹海に入るのは自殺行為でしょう。技術が素晴らしく発達した現代において、山行にGPS携行はアタリマエです。オヂオだってリスニング位置の計測くらいアッタリマエでしょアッタリマエ。今時ツイキューとやらするならさ。。。

一方「オヂオ趣味とはソーユーモノなのだ!手段を目的とするのが趣味なのだ!」と全く居直るオヂオ趣味ヒヨロンカもおるわけですが、であれば、何もそこに「オンガクセー(音楽性?)」たら「オンガクカノジョーカン(音楽家の情感?)」たらをやたらエラソーに持ち出さず(一般に対してそれがさもジョートーで偉いオンガクの聴き方であるかのようなフリをせず)、「ブツリトクセーハジューヨーデハナイ」などと一般に対して声高に叫ばず(そりゃアンタにとってはジューヨーではないというだけでしょ)、数寄と心得て「音楽作品を正しく再生して鑑賞するというよりは、自分のコノミのオト(ヨイオト?)をツイキューする趣味なんです。万人にお勧めできるような音楽の聴き方では到底ありませんし、特にこれから音楽に親しみ始める青少年少女(お坊ちゃまお嬢ちゃま方)は、オヂサン達のような音楽の聴き方をしちゃーイケマセンよ。お金もかかりますしね。とんだお大尽の道楽ですが、数寄モンにはたまらなく楽しいのですよ。そんなですから、ブラインドテストやブツリトクセーは大嫌いなんです。」と、立ち位置を明らかにすべきでしょう。ソレハソレコレハコレを明らかにしないがために、業界もろとも多くのヒトがおかしな事態(魔境)に巻き込まれているように思えてなりません。僕だって随分混乱させられましたよ。

追記
僕がMarkAudio Alpairシリーズを好むのも、表層的な音のアヂがドーノコーノ以前に、振動板の機械的運動性(音響現象になる以前の根幹的重要部分)をマークさんに言わせれば「F-1エンジンのように」徹底的に追究するという非常に真っ当で真正直で根幹を見据えた技術的アプローチによるところが大きいような気がします。一言で言えば、大元の物理特性が非常に整っているという事です。

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2013年01月28日 (月) | Edit |
周波数特性や歪みは音楽再生において全く基本的で非常に重要なのですが、例えばアンプのカタログに記載されているような歪み率レーテン何%とか、周波数特性が100kHzまでフラットだとかは、実用的レベルにおいて果たしてどれほど意味があるのか疑問です。一部に見られる物理特性軽視(蔑視、嫌悪、拒絶反応、恐れとすら見える)の風潮は、技術的発展期の過剰なスペック競争の反動なのかもしれません。これは自動車業界でも同じでした。しかし、日本のモータリゼーションは、黎明期が終わって業界全体が技術的に成熟し、作る側および使う側の意識レベルも随分成熟したように思えます。さて今のオヂオ業界は何十年も前から本当の意味で成熟しているのでしょうか?同じトコロをグルグル回っているだけではないでしょうか?それどころか衰退あるいは後退してはいないでしょうか???

僕が言う物理特性とは、リスニング位置に届く実際の音響波の、主には低音領域における、例えば下記のような極めて基本的な再生品質の事です。
1)出力が十分に低い周波数までフラットに伸びているか?
(これは音楽家が出した低い音が聞こえるか聞こえないかというウルトラ級の基本です)
2)部屋の定在波によって特定周波数の音が出過ぎたり出なかったりしていないか?
3)低音の過渡挙動(立ち上がりの遅れや立ち下がりの収束性とか、つまり時間ドメイン的特性)が十分に良好か?
4)音楽を十分な音量で再生した時に、低周波の波形が感知可能なレベルで歪まないか?
5)特定周波数で感知可能な付帯音(箱定在波、ポート共振等)が生じていないか?

これらはドシロートが机の上で安物のマイクロフォンと単純な正弦波信号を使って簡単に観測できます。そして、これらが十分に正しく再生できていないと、別にショージンとやらして耳を鍛えなくとも、シューチューとやらしなくても、媒体を「表層的な音現象」ではなく「音を媒体とする表現あるいはコミュニケーション」として聴こうとすると、明らかに聴きにくさや違和感や不快感を覚えます。要は、落語家のCDを聞いた時に、あるいはNHK FMのニュースを聞いた時に、一部で落語家やアナウンサが何を言ったのか良く聞こえなくてイラッとするのと同じです。落語家やアナウンサを自分のコノミの美声にしたり、オクチのオーキサが見えたり、アタカモメノマエニイルような臨場感がしたりとかは重要ではないですよね。
なお、最近やっている実験君シリーズは、ネタも尽きたし、今まで開発屋の習性としてテットリバヤク音楽を良く聴ける装置を作る事を最優先にしたために、謎のまま放っておいたよく理解できていない現象を明らかにしたいという知的興味からやっている事であり、あまり実用的意味はありません。ナニカ新しいアイデアが生まれるかもしれませんが。。

単純な正弦波信号を使って評価する事が多いわけですが「オンガクは単純な正弦波ではナイ」と来るのも彼らの典型的反応です。しかし、現象としては極めて低速となる(時間的に長くなる)低周波領域において、最も単純な正弦波信号の大小関係(F特)や時間的関係(時間ドメイン)すらマトモにリスナーの耳に届けられないというのは大きな問題です。低音再生は(特に一般家庭用の小型スピーカにおいて)音楽再生に残された最も困難で、最も重要な課題であると言って良いでしょう。ズシッと重くてビシッと速いアッタリマエの低音をリスナに伝える事。。。何故それを放ったらかしにするか?

ジッタだデンセンだデンゲンだとコマケー事をアーダコーダしたり可聴帯域を超えるハイレゾとか超音波再生がドーダコーダと言う前に(こういうのこそスペック的ブツリトクセーというやつチャウノンかな?)、オンジョーが広がるとか広がらないとかオクチがオーキイとかチーサイとか気にする以前に、ナンチャラカンだカンチャラカンだと表層的オンシツのコノミの問題をツイキューとやらする以前に、100dBの大爆音再生能力がドシタコシタと言う前に、業界のクロートさん達はこのような実用的音楽再生上の極めて重要でウルトラ超基本的ブツリトクセーを何十年もの間放ったらかしにしたらアカンでしょ?音楽重要帯域の下限近くまで(少なくとも50Hzまで、望むらくは40Hzまで)、誰もが、実際のリスニング位置で、簡単に、生活空間を乱さぬ小さな装置で、十分なクオリティでズシッとビシッと再生できる装置を、誰でも買える価格で世の中に提供せんとアカンでしょ?チャイマスカ?

マニアは何かに付け「オンガクがツマラクナル」と言います。しかし、僕に言わせれば彼らの音楽の聴き方は極めて特殊です。僕が思うに、彼らが「オンガクを楽しむ」という時、それは「オーディオ装置から出てくるオンガクを楽しむ」「媒体を再生した時にオーディオ装置から出てくる音や装置の音の個性を楽しむ」という意味であるように思えます。このような態度は、何度か紹介した論文の抄録にある「音楽家の多くは高精度のハイファイ音を楽しむのではなく、音楽の本質を聴く。したがって、彼等は名演奏であれば、SPから再生されたCDでも満足して聴いていることが多い。」(参考記事: 音楽演奏現場における楽音の実態と音楽家のオーディオに対する感覚について)と180°の対極をを成すように僕には見えます。「音楽の本質」と言うとナンダカ難しそうですが、上で書いた落語やニュースの例え話にある意味通じるかもしれません。あるいは「装置から出てくる音楽」ではなく「装置をインターフェイスにして媒体の中の音楽」を聴くという事かもしれません。ある一面として疑似体験的効果を殆ど求めないと言えるかもしれません。僕を含む僕の周囲のオヂオには全く興味のない普通に素直に音楽を日常的に愛聴している人々の聴き方は、前者(オヂオマニア)よりも遙かに後者(音楽家)に近いでしょう。スッテレオ感なんか未だかつて意識に登った事すらナイネーとか、ヘッドフォンで音がゼンポーニテーイしないのがドナイヤチューネンというヒトが殆どです。

趣味的に強く偏向したマニアではなく、そのように普通に音楽を聴く人々により高いクオリティで音楽を伝達する真面目なオーディオ装置を適正な価格で作らんとアカンでしょ?それがオーディオ業界で最も重視されるべき課題でしょ?クロートさんであるべきヂャーナリスト達がマニア達と一緒に(あるいは先頭切って率先すらして)魔境でグルグル遊んでばかりヂャ困るでしょう。日本のオヂオ評論に多大な影響を残したと言われる五味さんは評論家ではありません。ジャーナリストでは断じてありません。あくまでも一個人として数寄を追究した純粋の趣味人であり、彼自身「音楽とは本来このように聴くものではない」的な事をどこかに書いていたように記憶します。マニア的な部分をその特異な一部として捉え、オーディオの全体と本来担うべき役割を広く見据えた、本当の意味のオーディオ評論家あるいはジャーナリスト(高価な装置をシチョーしてポエムを書くだけではないヒト)が居たのかどうか?それとも居たのだが、商売の邪魔と疎まれてきたのでしょうかね?

何度でも言いますが、音楽媒体はオヂオマニアのために作られているわけではなく、オーディオ技術はオヂオマニアのためにあるのではありません。本来アルベキニシテアルモノに対して特殊な愛着を持ち特殊な関わり方をするのがマニアです。最もわかりやすい例は鉄道マニアでしょう。

なんだかブツリトクセーからハナシが広がってしまいました。スミマセン。。。

次回はコノミの問題について書く予定です。

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2012年12月12日 (水) | Edit |
前記事の続きです。

当ブログで再三書いてきたように、オヂオマニア達(すなわちオヂオヒヨロンカ達)の言動や行動には強い違和感を覚える事が多いのですが、その中でも最も根源的なのが、彼らの言う「ヨイオトのツイキュー」というヤツであろうかと思います。

彼らは一様に「少しでも「ヨイオト」を目指してツイキューする」のだと言います。「良い」はちょっとアレだから「自分の」という人も居るようです。しかし僕は、オヂオマニア用語としての「オンガクセー」とか「オンガクカのジョーカン」とやらと同様に、この「ヨイオト」(「ヂブンのオト」を含む)というヤツにも強い違和感を覚えます。また、この「ヨイオト」というヤツこそが、それら全ての違和感の根源であるようにも思えます。

「良い再生」というならばまだわかります。しかし「良い音」とは一体全体ナニを指すのでしょうか???

music.jpg
上の図にもあるように、作品(媒体)に記録された「音色」や「ニュアンス」は三大要素と同様に音楽作品(表現)を構成する重要な要素であり、これらは基本的に表現者が自分独自の表現を先鋭化するために追究して決めるべき事項です。鑑賞者がそれに対して「好きだ」とか「嫌いだ」というのは全くもって自然です。また、その表現が「嫌い」であれば聴かなければ済む話です。しかし、やたらと「ヨイオト」とか「ヂブンのオト」とか、さもそれが音楽再生(鑑賞)において最重要であるかのように彼らが言い出すと、僕は全く混乱してしまいます。

表現者が媒体に込めて世に配布した「作品」(表現行為の結果)を鑑賞するにおいて、表現者達が独自の表現を求めて先鋭化させた「リズム、メロディー、ハーモニー」(三大要素)と「音色やニュアンス」を存分に楽しむには、それらを正確に自分の耳まで伝達する事が「音楽再生」における基本中の基本であるのは全く当然でしょう。これには周波数特性と位相(静特性と動特性とも言える)をある程度正確に耳に伝達する(つまるところ記録されている音の波形(圧力変動波形)を自分の耳にある程度正確に伝える)事が必要です。アッタリマエですよね。

もちろん、一般ユーザがブツリトクセーを気にする必要など全くありません。ソンナモン気にしなくても、ポンと買ってポンと置けば済む真っ当な音楽再生装置が当たり前に安価に世の中に出回ってさえいれば。。。それが存在せぬがために僕はLEANAUDIOに着手せざるを得なかったわけで、適正価格で売ってりゃ最初っから買いマンガナ。メンドクサイ。。

さて、これはLEANAUDIOトライアルを通して強く実感した事でもありますが、正確に再生すればするほど、音楽が自然な音で聴きやすくなるし、結果として表現者にアクセスしやすくなります -(つまり感覚(人間の五感)では捉えられない、その音楽のホンシツである上層(超感覚)レベルにアプローチ(シンクロ)しやすくなる)。また、マイクロフォンは相当十分正確に音を捉えており、それを良質で素直なスピーカ(例えばAlpair)で全く素直に再生すれば、十分に自然な(ある意味「良い」、ある意味「リアルな」)音で聞こえるように僕には思えます。

これに対し、マニア達は一様に「ブツリトクセー」を軽視します。そこには蔑視あるいは嫌悪のニュアンスすら感じられます。「音楽を聴くダケなら」等の発言にも、それが伺えます。

しかし僕には、ある種の「音楽」は人間一個人が構築し得るものの中で最も複雑かつ精妙なる時間軸方向の変化を伴う構造体であるように思えます。とても「ダケ」とか「単純な」とか言えるような代物とは思えません。

では、僕にとってはこの上もなく重要に思えるのに彼らにとっては「ダケ」とか「単純な」に過ぎないソレ以外のナニを、彼らはそのように重要と考えツイキューしているのでしょうか?

大分以前になりますが、同様の事を当ブログで書いたところ、ある読者の方がたった一言「フンイキ」と書いたコメントを寄せてくださいました。これは僕には非常に象徴的であるように思えます。

僕が思うに、彼らは上図に書いた最下段の部分「臨場感等、装置による付帯効果」(オンジョーノヒロガリ、クーキカン、シズルカン、アタカモソコニイルヨーナ、オクチノカタチヤオーキサ等々)に異常に強く拘る傾向にあるように思えます。彼らがツイキューしているのは、どうやらこの領域にありそうです。確かに、この部分をツイキューしようと思えば、ブツリトクセーは邪魔でしょう。好き勝手できませんからね。また、これより上の部分を真っ当に再生するのに今時の技術レベルからしてヤタラ高額なソーチ(過剰な装置の個性)は不要です。要はオタノシミの部分が限られてしまうので「趣味のオヂオとしてはツマラナイ」という事なのだと思います。きっと。

彼らの中には、ブツリトクセー的に整った再生を「音楽を即物的に聴く態度だ」と言う者もいます。しかし、僕には、装置そのものや装置の付帯的音の現象(つまり感覚器官で捉えられる下層の表層的音の現象)に異常に拘る彼らの態度の方が余程「即物的」に音楽に接しているように思えます。なんというか、彼らは音楽を通して意識が上層へ向かうのではなく、「リンジョーカン」とか「ナンチャラカン」とか自分に分かりやすい下層へと意識が向かう傾向が異常に強いように僕には観じられます。以前の記事で書いた「オヂオマニアのように高額なソーチの音や音の付帯的現象の微小な差異に過剰に拘る事と、再生音楽(表現者の行為の結果としての音楽)を鑑賞する事は全く別の行為です。過剰な場合は相反するとさえ言えるでしょう。」というのはそう言う意味です。図でも矢印は逆向きですよね。

もっと本当に自分が好きな、自然にシンクロできる、自分の魂が本当に求める音楽を素直に聴けば良いのに。。。と思わなくもありません(何もクラシックだけが偉い音楽ではアリマセン。アレはアクマデモあの時代の最新流行音楽であり、稀に時代性を超越してスッゲーのもあれば、フツーにフツーなのもフツーにあります)。あるいは、本当に自分が好きな音楽、自分らしい音楽との接し方を見つける前にオヂオ趣味(雑誌、ヒヨロンカ、マニア)に強く影響を受けすぎたのではないかとも思えます。

さて、マタマタ、イロイロ偉そうな事を書きましたが、僕だってナニもこんな難しい事を考えながら今まで音楽を聴いてきたワケではアリマセン。そもそも考える必要などなかったし。。しかし、この業界全体の現状や、業界に強い影響力を持つオヂオマニア/オヂオヒヨロンカ達の言動/行動を見るに付け、激しい違和感を覚え、ついつい深く考えさせられてしまいます。

もちろん音楽をどう聴こうが全く個人の勝手ですし、逆に多様であるべきだとも思います。

しかし、マニア達の言動や行動がオヂオヒヨロンカ的に画一化されているように見える事が非常に気になります(たとえヒヨロンカに対して批判的な態度をとっていても、結局みんな一様にヒヨロンカのように音楽を聴き、ヒヨロンカのような事を言う)。。マニア達(すなわちヒヨロンカ)のようなオヂオ装置の使い方や音楽との接し方はかなり偏って特異であり、それが音楽に触れる上で最良、最上等、最高級なものでは断じて決して全くナイという事が、彼ら自身も含めてオヂオ界全体で明確に認識されているのかどうか甚だ疑わしく思われます。

別にそんな聴き方をしたかったワケではないのに、ヒヨロンカ達やマニア達やショップのオッサン達がやたら偉そうに、さももっともらしく言ったり書いたりしているの見て、音楽はそのように聞くのが上等で偉いのだと思い込まされている人も多かろうと思います。音楽をより良く楽しむには、ツイキューしてショージンする迷府魔道のオヂオ道とやらが必要だと。。どでしょうか??少なくとも僕には全くそうとは思えませんし、世間一般(特に青少年少女)にそのような認識が植え付けられてしまう事を非常に恐れます。どでしょうか??よく考えてみてください。

またキッツイ事を書いてしまいましたが、一定の特異な性向を持つ人々によって自然と形成される「趣味道楽」の分野(同好のコミュニティ、最近はオタクと言われる)があっても全く構いません。どこの分野でもそうです。それどころか、それらによって豊かで多様な文化が形成され、それらの中から新しい普遍的文化が生じる事すらあります(アキバのオタク文明(オヂオぢゃないよアニメとかね)もそうなりつつあるように見える)。従ってそれが無上に楽しい人は存分にとことんソレを楽しめば良いと思います(しかし道楽と心得て一般に対してエラソーにする必要はない)。ただ、業界全体がそのような特異な方向に強く偏向され、より多くの一般人向け製品の技術の進展が阻害されるのであれば、それは社会的問題であると言えます。

まあ、僕は「世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー」という彼らの願いが1日も早く叶う事を望んでいるだけなんですけどね。とっくに21世紀なんだしさ。。。スンマセンね。。。

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2012年12月09日 (日) | Edit |
music.jpg

「リズム」、「メロディー」、「ハーモニー」が音楽の三大要素と言われるらしいですね。主に作曲者の領域と言えるでしょう。ベトベンがスコアに書いて決めた部分です。

これらに次いで「音色」やスコアには書ききれない「ニュアンス」が重要でしょう。主に奏者の領域と言えるかもしれません。バイオリニストがストラディバリウスにご執心だったり、ジミさんが逆さに持ったストラトのツマミを頻繁に調整しながらギュワンギュワンやる部分です。ジャズやロックでは奏者と作曲者は殆ど一体ですね。

最後はコンソールにへばり付きでミクスダウンしてステレオ効果やエフェクタ効果(臨場感や空間表現)を適度に加えます。あのカラヤンもこのプロセスに相当拘ったと聞きます(AR-3aをモニタ用に愛用したそうですね)。このようにして、生演奏とは異なる再生音楽として一個の作品が完成します。基本的にそれは生演奏の単なる「記録」ではありません。生演奏を単純に「再現」するためのものでもありません。

作品は一流のシェフが手塩にかけて完成した料理であるとも言えます。まずはソノママの味を、精々最小限の塩胡椒で、素直に美味しく頂きたいものです。最も精妙でオイシイところにアクセスして楽しむためにね。

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2012年11月25日 (日) | Edit |
プロ用のモニタスピーカはあくまでもお仕事用の機械です。音質や性能だけでなく、安定性と堅牢性が第一に求められますし、デザインは素っ気なくても構いません。しかし、家庭用の装置は生活空間の中で日常的に使われるわけですから、外観のデザインと場所をとらないコンパクトさ、そして使い勝手が非常に重要です。今日の技術を採り入れて真っ当に設計すれば、どの製品でも実用的な音質(音楽再生クオリティ)自体に大した差は出ないでしょう。従って、デザインや使い勝手そして価格が市場競争力の最重要決定要因となるでしょう。

このような傾向は、どの業界でも同じです。黎明期においては、技術が十分に発達していないがために技術者には様々な点で妥協が強いられ、従って拘束条件と技術者の思想(何をどう妥協するか)に応じて様々な技術的アプローチが試みられるため、それらの製品は今に比べると不完全であり個性的にならざるを得ません。未開の山なので頂上に登るルートがタクサン考えられるという事です。とりあえず登ってみん事には始まらぬ。。というのが技術の世界です。ビンテージ装置の愛好者達はその不完全さを「味」として珍重します。

しかし、どの業界でもそうですが、技術が発達するにつれて技術的選択肢は狭まり、製品間の性能差は小さくなります。頂上に登る最適ルートが絞り込まれて来るという事です。これに伴い、性能や機能が向上し、コストは低下します。それ自体を趣味とするマニア達にとってこれは寂しいでしょうが、日常的に音楽を楽しむための実用機械(家電製品)として使う大多数の人々にとってはアリガタイ事です。技術が十分に熟成されれば、商品を選択するに際して性能ではなくデザインや使い勝手そしてブランドイメージが重要となるでしょう。自動車業界を見れば良く分かります。

誤解を招かぬため敢えて言っておきますが、オヂオマニアのように高額なソーチの音や音の付帯的現象の微小な差異に過剰に拘る事と、再生音楽(表現者の行為の結果としての音楽)を鑑賞する事は全く別の行為です。過剰な場合は相反するとさえ言えるでしょう。ソレハソレコレハコレです。趣味のための高額な所謂ハイエンドオヂオが、以下で考えるリーズナブルな価格の家電製品として真っ当な音楽再生装置よりも偉いわけでも尊いわけでも技術的に高いレベルにあるわけでも全くアリマセン。また、そのような高級ソーチで音楽を聴く事がより良く音楽を聴くという事でも、エラクてジョートーな音楽の聴き方だというワケでも全くありません。それはソーユー趣味だというだけです。そもそもの目指すところが異なると認識すべきでしょう。ソレハソレコレハコレ、ロレックスとカシオGショックみたいなもんですね。上等なロレックスの方が時間をより良く計れるわけではアリマセン。ロレックスで時間を計る事が行為としてエラクてジョートーなワケでもありません。ですよね?

という事で、やっと本題ですが、スタジオで使っているのと全く同じスピーカをオウチに持ち込めば良いという事では決してアリマセン。オウチにはオウチの事情があります。また、やたらマニアックにスタジオと全く同じ音をツイキューする必要もありません(マタマタ幻影を追い求めてグルグルする事になる)。変な色付けや付帯音がなく、必要十分な低周波数までフラットに、必要十分に低ノイズ/低歪みで、必要十分なタイムドメイン的整合性を確保し、必要十分な音量でリスナーの耳に音楽を届けられれば良いのです。早い話が、媒体に記録された音の信号波形(すなわち表現者の行為の記録)を、必要十分に正確にリスナーの耳に届けるという事です。このアタリマエの事が何時の頃からか軽視されるようになり、周辺技術が十分に発達した21世紀においてさえアタリマエに達成できていません。これは、趣味道楽と本来の実用目的をソレハソレコレハコレとわきまえず異常に趣味に偏向してきたこの業界の問題です。そもそも、基準など設けなくとも、業界が正常であれば、今現在既に十分に達成されているはずです。しかし、21世紀に入って十数年が経っても一向にそうなる気配が見られぬために、ワザワザ基準を設けるべきだと言っておるのです。

一般家庭用の、それ自体を趣味とする者達(マニア)用ではない、音楽鑑賞用装置には以下が求められるでしょう。

○ 部屋のサイズやリスニング距離(必要再生音量)に見合った最小限サイズの装置を選べる事
○ どのようなサイズの装置であっても音楽再生に求められる基準を満たしている事(どんなに小っちゃくても、必要十分な低音をリスナに届けられる事)
○ 音に過剰な色づけ(オンガクセー?)や付帯音が無い事(これも音楽再生基準のうち)
○ 必要十分に低歪み/低ノイズである事(これは今時の電気回路なら普通にOKでしょう)
○ 家庭で音楽を鑑賞するに必要十分な性能を見極め適正な価格で提供される事(やたらマニアックな半ばオカルト的コマケー性能をどこまでもツイキューする必要は全くない。業務用装置の価格を見れば分かる)
○ 実際の設置条件に合わせて特性を補正できる事(イコライザと自動音場補正の内蔵はアタリマエ、コマケー事よりもイチオクマンバイ重要)

といったところでしょうか。音楽再生装置に求められる具体的な必要十分条件(基準)に関しては、音楽界とオーディオ界が一体となって熟考する必要があるでしょう。

僕の個人的な基準は、
○ 付帯音を徹底的に除去する事(密閉型/吸音材タップリ/頑丈な箱)
リスニング位置で40Hz~10kHzを十分にフラットに再生する事(±6dBに収まっていれば、まぁOKかな)
リスニング位置で75~80dBAの音楽再生音量を余裕で確保できる事
○ 低音ビートに感知可能な(グルーブ感やノリを阻害するような)ヘンテコリンな現象が生じない事
といったあたりでしょうか。

今日のお題は以上ですが、今ふと思い付いたので、以下蛇足として書いておきます。

僕は個人的にバスレフ型を好みませんが、デジタルイコライザ内蔵システムを前提とするならば、バスレフ箱に吸音材を多めに入れて付帯音を減らし、低下したバスレフ効果をイコライザでチョイト補う事により、バスレフ臭さを大幅に緩和できるでしょう。

バスレフ型(吸音材なし)と密閉型(吸音材多め)の比較
bas seal 1

バスレフ型(吸音材多め)と密閉型(吸音材多め)の比較
bas seal2jpg
バスレフ型に吸音材を大量に入れると、特性は密閉型に近付きます。当然、共鳴によるブースト効果は低下しますが、位相の乱れも少なくなります。適度に吸音材を充填し、低下した出力を少しイコライザで補う事により、密閉型とバスレフ型の折衷案(セミバスレフ)的チューニングが可能となります。

このようなセミバスレフ型では、完全密閉型に比べて内圧変動が小さいため(圧が抜けるため)箱のコスト(板厚、気密性の確保)を軽減でき、また、振動板振幅も密閉型よりは抑えられます。吸音材によって低下したバスレフ効果分は、イコライザでチョイト補えばヨロシ。イコライザ組込みを前提とするならば、このようなチューニングは極めて容易です。電気的に特性をホンノちょいと補正するだけで機械的な設計に大幅な自由度が得られるという事です。電気的(信号)イコライジングのメリットは計り知れません。例によってさしたる根拠も無くセンドが落ちるとか言われて忌み嫌われ、正しく活用されて来なかった事が惜しまれます。何度でも言いますが、ソーチ自体の「音」を目的とせず「音楽」の鑑賞を目的とする場合、どのような音楽再生システムであれ、何らかのイコライザは必須です。

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2012年11月24日 (土) | Edit |
。。というのが、昔から僕にはとても不思議に感じられます。

制作者(表現者)がスタジオで最終的にOKを出した音(注意: 原音とか生音ではナイヨ。それは幻影)を、できるだけソノママ鑑賞者の「耳」まで届ける事が音楽伝達/再生装置たるオーディオ装置の本来の目的であるはずです。しかし、21世紀の現在に至っても、その事が真面目に考えられているとは思えません。これは、家庭用オーディオ装置側だけの問題ではなく、制作者から鑑賞者の「耳」までを含めたトータルの「音楽制作/伝達システム」の問題です。本来、製作者は作品が鑑賞者の耳に届くまで責任を負うべきでしょう。僕が「オーディオ界は音楽界に従属する事を明確に認識し、音楽界の意見を真摯に受け止めなければならない。音楽界はもっと積極的に民生オーディオ界に関与しなければならない。」と再三しつこく繰り返しているのは、そういう事です。オーディオ界だけでなく音楽界も一体になってこの事を今一度真面目に考えてみる必要があると思います。もう21世紀なんだし。

オーディオ装置とは、基本的に誰がなんと言おうと「情報伝達装置」です(この点を疎かにしては断じてならない)。であるならば、音楽媒体の作成と媒体再生の基本となる最低限の規格が絶対に必要です。この最も重要な点が今現在に至るまで余りに疎かにされてきたと言えるでしょう。もう21世紀なのに。

現在、鑑賞者側の再生装置に一切の基準がなく、クオリティが千差万別であるため、スタジオでは数種類のモニタ装置を使って音を確認しています。大音量にして細かい問題を確認するためのラージモニターから、ヘッドフォン、ニアフィールド モニター、そしてラジカセ級の装置を使って、どのような装置で聴いてもソコソコ楽しめるように妥協を強いられています。また、そのための労力も彼らの負担となるでしょう。この点が改善されれば、制作側のクオリティは確実に向上するはずです。何事もシステム トータルで考える必要があります。21世紀なんだしさ。

このような問題の大きな要因として、民生オーディオ界においてはオーディオそのものを趣味(目的)とする「趣味のオーディオ」「オーディオ マニア」の影響が今なお強すぎる点が挙げられます。もちろん、自分の好みの音をツイキューしたり、装置そのものを愛でたりする「趣味」があっても全く問題はありません。ソレハソレコレハコレが世間一般でアタリマエと認識されている限りにおいては。しかしソレハソレコレハコレが全く明確に認識されずに今に至った事が問題の元凶であると言えるでしょう。

そのように強い影響力を持つ彼ら(ジャーナリズム、マニア)の言動および行動を見るにつけ、僕には彼らの音楽の聴き方、音楽との接し方が非常に特異であるように思えます(であるからこそ「マニア」と称されるわけですよね)。僕は、これから音楽やアートに興味を持つであろう青少年少女達(少なくとも僕の息子)には、絶対にあのような音楽の聴き方をして欲しくないとさえ思います。

彼らは、モニタスピーカは音楽を「分析的に」「音のアラサガシをして」聴く者達のための装置であり、「音楽」を「楽しむ」ための装置ではないかのように言います。自分達がさも真に「音楽」を「楽しんで」いるかのように。。。しかし、装置やアクセサリの違いによる非常に微細な(果たして本当に差があるのかどうかも半ば疑わしいような)オンシツの差や、所詮はギミックに過ぎぬステレオ方式でオンジョーが縦や奥に広がるとか広がらないとか、オクチがオーキーとかチーサイとか、クーキカンがあるとかないとか、アタカモメノマエニに居るとか居ないとか、僕には全く重要とは思えない付帯的現象に強く拘りツイキューしている彼らの方が、余程「分析的に」「録音や装置のアラサガシ」をして音楽(というよりは音の表層的現象)を聞いているように思えます。彼らが言う「音楽を楽しむ」とは即ち「オーディオを楽しむ」という事なのでしょう。きっとね。ソレとコレが区別されていません。

付帯音を徹底的に抑え、ニアフィールドで部屋の影響を排除し、40HzまでF特をフラットにした僕のZAPシステムの音は、恐らくスタジオのモニタシステムに近いでしょう。しかし、これは何も音楽を「分析的」に「アラサガシ」して聴くためでは全くアリマセン。当ブログで再三述べているように、音楽を始めとするアートに接するに際して、僕は「分析」や「解釈」等の理性の介入を極端に嫌います(モードチェーーーンジする)。僕は、苦労せずとも、聞き耳を立てずとも、音楽の全体と細部を耳そして意識に流し込める装置(音楽を聴きやすい装置)を求めた結果としてZAPシステムに辿り付きました。「全体」を常に広くボンヤリと感じ取り、その「全体の中で」「全体を構成する」瞬間瞬間の重要な細部(音楽家の行為)に意識が一瞬集中し(ウヒャーとかスゲーとかいう瞬間ですね)、しかし意識は常に「全体の中で」一点に留まらず自由に浮遊しているという状態でしょうか。。。敢えて言うならばね。

そのように「音楽」に接している時、そこにコマケー オンシツの違いやオンジョーが意識に入り込む余地は全くありません。ただ、ある瞬間にある「音」(音楽家の行為の反映)に一瞬意識が集中した時または常に意識のドコカで追跡している時に、再生装置の問題によって記録されている「音」(音楽家の行為の反映)が正しく再生されていないと違和感を覚えたり聴き辛く感じ、長く聴いている間にそれがたび重なると非常に気に障り出します。そのようにして気に障る部分を排除してゆくと、結局はソースの波形を正確に耳に届けるという点に帰結した。。。というのがZAP開発の経緯です。

例えば、以前の記事「世界中が同じ音質で聴けるようにシテクレー!」で紹介したアーチストさん達のソニー製ヘッドフォンに対するインプレッションを挙げてみると、「ソレゾレ全部聞こえる」「イーカンジで全部聞こえて」「レコーディングしてた時の環境の音がフラットにソノママきました」「ベース部分がシッカリ」「音全体がキチント」「スタジオでマスタリングしている時の音が再現」。。。彼らが何を重視しているのかが伺い知れます。これらは僕がZAPの開発で常に重視して来た点とも良く一致します。インプレッションにナンチャラカンの事は一切ないですよね。だってそれは装置ではなく彼らが決めるべき事だから。。。基本的に、その音楽作品が全体を通して持つ音色や雰囲気(ナンチャラカン)は彼らが決めるべき彼らの表現に帰属すべき事柄です。オーディオ装置の第一のオシゴトは、彼らが追究して最終的に決めた彼らの表現(ナンチャラカンを含む)をできるだけソノママ我々の耳に届ける事です。本来、オーディオ装置とは、鑑賞者であるドシロート達が勝手にナンチャラカンをツイキューとやらするための道具ではありません(あくまで基本はね。ワキマエテやる分には個人の勝手です)。深く沈潜して出したチェロの音に津軽海峡のジョーネンとやらを勝手にブチ込まれたら、演ってる方はタマリマセン。

以上は、僕の個人的な音楽の聴き方、考え方に過ぎません。オーディオ界は「音楽再生装置はどうあるべきなのか」「音楽再生において何が重要であるのか」「表現者はどのように作品を鑑賞者に伝えたいのか」といった事柄を、音楽界からの意見に基づいて明確にし、ジャーナリズムはそれを大衆に継続的に伝達する必要があるでしょう。。。いいかげん21世紀なんだから。。。

追記
音楽再生の最低基準を決めても、装置の個性は絶対に残ります。ご心配なく。ただ、ソーチの個性にやたら拘る以前に、音楽(音楽家の表現の結果)を真っ当に再生する事をもっと根本から真面目に考えんとアカンちゃう?という事です。21世紀ですし。。。

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2012年11月08日 (木) | Edit |
世界中が
同じ音質で聞けるように
シテクレー!


というのが、アーチストさんのオヂオ業界に対する切なる願いであると思います。

ソニー製ヘッドフォン(MDR-1)のサイト(コチラ)から
N'夙川BOYSのインタビュー ビデオのキャプチャです
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してくれー!ですよ。。ホンマニ。。わかります。その気持ち。。

表現者達は、こだわりぬいて決めた音をできるだけソノママ皆に伝えたいでしょう。僕も彼らがスタジオで聴いて最終的に決めた音をできるだけソノママ聴きたいです。もし僕が作品を作って、それを世に問うならば、そこにヘンテコリンで身勝手なジョーカンたらオンガクセーたらをブチ込まれるのは嫌ですし、要らぬ事を考えず要らぬ事をせずに素直に耳を傾けて、僕が伝えたかった僕が垣間見たソレをできるだけタクサン素直に感じて取って欲しい(つまり僕の作品をインターフェイスにしてソレにアクセスして欲しい)と望むでしょう。

しかし、実際には、リスナーが使う装置のクオリティも特性も音色も千差万別であるため(音楽再生装置に一定の基準が定められていないため)、彼らはスタジオでかなりの妥協を強いられています。自分達がスタジオで聴いて決めた音が、そのままリスナーに伝わるのが理想です。でなければ表現者は自分の作品に最後まで責任を持てません。しかし実際には、ミニコンポやラジカセレベルの装置で聴かれる事も想定して最終的な調整をしなければなりません。それは彼らにとって相当なフラストレーションとなるでしょうし、身を切られるような思いでしょう。
皆が同じ音質で聴けるようにシテクレー!というのは、全く切実で全く真っ当な叫びであると思います。それが実現すれば、彼らは彼らの作品のクオリティをもっと上げる事ができるでしょう。

僕がこのブログでしつこく何度も何度も
「オーディオ装置とは元来趣味道楽の道具ではなく表現者から鑑賞者へ音楽作品を伝達するための実用道具」であり「必要十分な基本的音楽再生クオリティを全ての再生装置で達成して万人が安価にアタリマエに真っ当に音楽を聴けるようにし、彼らが望もうが望もまいが彼らの耳に正しいリズム正しい調和の音楽をブチ込む事」が重要であり「それをより良くより多くの人により安価に提供するという民生機器業界として最も基本的で最も重要な目標」を見失い「徒に表層的/微視的/瑣末的/主観的/趣味的なナンチャラカンたらリンジョーカンたらをオイカケマーシて巨大化/高額化/意味不明化/魔境化/高齢化を招いてきたオーディオ界の所業は犯罪行為であり社会的問題である」と主張しているのは、全くそういう事です。

「オーディオ」のために言っているのではなく「音楽」のために言っておるのです。オーディオ界は音楽界に従属し、新しい音楽新しい文化は若者から生まれます。オーディオ装置は、本来、お金持ちのオッチャン達の趣味道楽のためにあるのでは断じて絶対に全くアリマセン。

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野宮真貴(シンガー)のコメント(コチラ)
特にベース部分がしっかりしていて、音全体きちんと鳴らされている印象です。。。。そのそれぞれの曲の、作り手が届けたいと思っている部分が、すごく素敵に聞こえてきているんじゃないかな。スタジオでマスタリングしているときの音が再現されています。“産地直送”みたいな感じですね。音楽を愛する人が作った、音楽を愛する人のためのヘッドホンだな、という気がしました。

しつこく何度でも言いますが、オーディオ界は音楽界(表現者)の意見に真摯に耳を傾け、ジャーナリズムはそれを大衆に繰り返し繰り返し伝える必要があります。ワキマエルべき基本中の基本の事を世の中に浸透させるために。また、オーディオ業界は音楽界の意見に基づいて「真に実用的な音楽再生/伝達装置」としての基準/規格を設ける必要があるでしょう(アイスクリームやお酒にも基準があるでしょ)。。。。。その上で製品の個性として微妙なオンシツのチガイを趣味的に楽しむのはアリでしょう。また、世間がそれらを十分にワキマエタ上でロレックスのような高級装置があっても、それはそれで結構な事でしょう。

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2012年09月23日 (日) | Edit |
ネタ切れ中。。。。暑かったので実験君も全然進んでいません。。。やっと涼しくなりそうなので、本腰を入れて実験君したいとは思いますが。。。。

そんな中、今回はネットで拾ったネタです。

あの小澤征爾さんはB&WのCM1をご自宅で愛用しているらしい。。。

東京のショールームで試聴後CM1を3セット購入されたらしい。。。

ショールームで試聴された時ポートにはスポンジが入っていたらしい。。。

8004(マランツかな?)で鳴らしているらしい。。。

ついでに、矢野顕子さんはB&Wの最廉価シリーズ?をご愛用らしい。。。「良いスピーカーでゴージャスサウンド聴くのはオーディオマニアだから自分はこれで十分」だってさ。。。

CM1ってどんなスピーカなのか巷の評判を調べてみると。。。

「ミニモニター」とあだ名があるように概ね地味でナチュラルな感じらしい。。。

背面バスレフなので低音が出すぎるという人もいれば全然出ないという人もいるらしい。。。

CM1はペアで8万円くらいで買えるらしい。。。1本だけ売ってくれるトコロは無さそう。。。

B&Wで最廉価シリーズの686だとペアで5万円くらいで売っているらしい(矢野さんはコレかな?)。。。

どちらもホワイト色が選べるのが良いなぁと思う。。。

僕も市販品のこのクラスのスピーカが1つ欲しいなと思うのですが、大概1本だけでは売ってくれないので残念です(僕はモノラルで十分だと確信した。2本もあると邪魔なだけ)。JBLの4312M(チッコイの)だったらぼろい中古をペアで買って、グレーに塗って、上下逆さまにして前方の窓枠からぶら下げてスタジオ気分にするのも良いかな。。それか、ぼろい4312(オッキーの)または4311が1本だけ手に入るのも良いなぁ。。なんてね(JBLの場合、僕にとってオトは大して重要ではない。カッコ良さが重要)。

追記
矢野さんちもCMシリーズらしいという情報もありますね。

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2012年08月14日 (火) | Edit |
人間というのは、オナジ部分よりもチガウ部分に対して必要以上に敏感になる傾向にあるようです。冷静に見れば、大概の場合チガウ部分よりもオナジ部分の方が圧倒的に大きく、また、大概の場合オナジ部分/不変の部分にこそ最重要の本質があるにも関わらず、そのように大きくて重要で根本の部分にはナカナカ意識が向かわず、表層的で微視的なチガイばかりに意識が向かってしまうという事です。

例えば、宗教について考えてみます。例えばお釈迦様やイエス様が説かれた「教え」は不変でありヒトツであるはずです。しかし、彼らの死後、ちょっとした解釈のチガイによって多数の宗派へと分裂を繰り返し、互いにその相違点について激しく攻撃/非難し合ってきました。さらに言えば、何教であれ、それらは根源的には、全ての人間にとって普遍的/究極的に重要であるはずの「オナジモノ」にアプローチを試みるものであるはずなのに、アプローチ方法や解釈方法が異なるというだけで互いに相容れようとはしません。全ての宗教に共通する部分こそが最重要であるにもかかわらず。。。宗教だけでなくイデオロギー集団でも同じです。例えば日本赤軍の場合、矛盾や問題を抱えた資本主義への対抗が本来の目的であったであろうに、やはり多数のセクトへと分裂を繰り返し、セクト間の殺し合いにまで発展しました。彼らも最初は、資本主義の矛盾を打破して全ての人々が平等に幸せに暮らせる社会の実現を目指したはずです。

これらの行動も、一種の「手段の目的化」と言えるのではないでしょうか。人間は、注意しないと、ついつい本来の目的を忘れて手段が目的になってしまうという事です。

この「手段の目的化」即ち「本来の目的を疎かにした「違い」への執着」が多くの「闘争」を招いてきました。「違い」への執着は即ち他者との差別意識を先鋭化し、他者との差別意識は即ち競争意識を生じ、競争意識は即ち権力欲へと転化され、そこに「闘争」が生まれます。人間がもっと「同じ」ところに意識を向けるようになれば、どれだけ人間社会は平和になる事でしょうかねぇ。。。ホンマニ。。

と。以上は前置きです。

オーディオの場合、最も重要であるのは、そこに記録されている不変の内容(音楽家の表現/行為)である事に異論を挟む余地はないでしょう。徒に表層的で微視的な「音」のチガイにばかり意識が向かうあまりに、最重要の「内容」の「全体」を「総合的」により良い状態でリスナの耳に伝達するという本来の目的が疎かにされては絶対になりませぬ。

「チガイ」に過剰に拘泥/執着すると、キリの無い無限地獄へと陥ります。「何を変えても音は変わる」とよく言われますが、そのうち、同じモデルさらには同じ部品(例えばコンデンサ)の個体差にまで云々しかねないように思えます(セクタの分裂が進めば最終的に個人間の闘争に帰結するのとオナジ)。「チガイ」を意識すればするほど、チガイは益々細分化され、チガイは益々大きく重要に感じられ、意識は益々チガイの虜になってしまいます(地獄のループ)。そして「チガイ」しか見えなくなり本来の目的を忘れる。。。それが人間の性なのでしょうかねぇ。。

無限地獄を避けるために重要なのは、「本来の目的」は何なのかを常に念頭に置き、その「チガイ」が、「本来の目的達成」に向けて、「総合的」に見て、どの程度「大きいのか?」「重要なのか?」という観点を常に持つ事です。「オナジ」部分の大きさに対して「チガウ」部分の大きさはどの程度なのか? そのチガイは全体に対してどの程度影響し重要なのか? という観点を常に持たなければ、無限の泥沼に足を踏み入れる事は必至です。さらに、オーディオの場合、そこに不確定要素(体調/気分/環境条件の変動とプラセボ効果)が確実かつ多大に影響するため、問題はさらに泥沼化します。

ただし、末端ユーザが「チガイ」への拘りを「趣味」として楽しむ分には全く問題はありません。鉄道マニアだってそうですよね。

しかし、「趣味道楽」のための道具ではなく「音楽芸術の伝達装置」を本来の目的とするオーディオ装置を職業として扱う業界の玄人さん達(製造者や評論家)は、安易にそうであってはならないはずです。

カンタラを変えたらナンタラカンが「変わり」ました!これは凄いです! という時、その「凄い」という「チガイ」の「大きさ」が「全体」に与える影響はどの程度大きいのか? そこにどの程度の不確定要素(条件変化、プラセボ効果等)が影響しているのか?(本来ブラインド評価が基本です、断じて絶対に!)、音楽家の表現/行為の結果をより良く伝達する上でその「チガイ」は如何ほど重要なのか?????? 玄人さんとして冷静に判断する必要があるという事です。

玄人さんであるべきヒヨロンカは、そのへんを高い見識を持って冷静に評価/判断した上で記事を書くべきでしょう。「チガイ」ばかりに注目して徒に喧伝するのではなく「全体に対する影響の大きさ/重要さ/不確定要素(条件変化、プラセボ等)」を正しく判断して伝える必要があるという事です。二者間の相対的な相違ばかりに目を向けるのではなく、常に絶対的な観点も持つ必要があります。それがプロというものでしょう。以前にも書きましたが、絶対基準を持たぬ徒に感覚的/微視的な相対的比較を繰り返すと、富士の樹海を永遠に彷徨い続ける事になります。

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2012年07月07日 (土) | Edit |
装置のコンセプトについては、うまく纏まらないので、もう暫くお待ちを。。かわりに、今回もなんか難しい事を書いてしまいます。ご容赦を。。

ハチマルが以前から、オヂオマニア達の言動で大きな違和感を覚えるのは、ブツリトクセーやシューハスートクセーをジューシしたのでは、音楽家のジョーカンとかタマシーとかが再現できない、オンガクがツマラナイというヤツです。これはよく見かける典型的論調です。

LEANAUDIOの結論「ソースの波形(つまり音)を必要十分に正確に「耳」に届ければ、即ち全く普通に再生すれば、「音楽」が自然に聴きやすくなり、それだけ楽に音楽家の表現を感じ取りやすくなる」とは、根本的に大きく異なります。また、オーディオ装置を単純に「機械」と考えた場合も、それを達成する事は、再生機械として全くアタリ前の最も基本的根幹的機能です。言わずもがなでしょう。

彼らマニアが言う音楽家のジョーカンとかタマシーとやらは、一体何なんでしょうか。どうして彼らには、遙か高みにぶっ飛んでしまってプッチンしてしまった音楽家のジョーカンとやらを、我々の日常的卑近な喜怒哀楽を超越した領域に深く突っ込んでいるような音楽家のタマシーとやらを、そのように自信満々に知り得ると言えるのでしょうか???

優れた音楽家がやっているのは、ハイ、ここはウレシー気持ちを表して元気ヨク! ソウソウ、ここはカナシー気持ちでゆっくりと!ってな我々凡人向け音楽教室レベルとは全く次元の異なる世界です。喜怒哀楽を遙か超越した不人情の世界であるとも言えます。喜怒哀楽が表現されているように見えたとしても、それはモチーフまたはトリガ(きっかけ)に過ぎません。ソモソモ人類の歴史に名を残すような真の天才達に比べれば、我々鑑賞者の感覚なぞ「ミジンコの屁」にも値しません(ハチマル用語で「ドシロート」)。であるからこそ、彼らの作品があのように尊ばれるわけで。。。であるからこそ、我々鑑賞者はその高みに向かってできるだけ素直にアクセスするしか術はないわけで。。それにあたって、泣いても笑ってもソースに記録されている情報以外には、例えそれが不完全であろうともそれ以外には、我々に頼るべき縁はありません。

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あの才能に溢れる千秋君もよく、それに思いを馳せると気が遠くなる、自分が音楽家として成功するかどうかなんて全くわからない、ただ一歩ずつそれに近付く努力を積み重ねるしかないと、言ってますよね。ハチマルはそんな千秋君が大好きで、20巻くらいまでは、野田メはたんなる狂言回し的役割であって、あくまでも千秋君が主人公だと思っていました。それが最後に立場が大逆転するとは。。ちょっと扱いが酷すぎないでしょうか???なんか無理矢理終わらせたんとチャウ? という気もしないではありません。
ハチマルも、音楽に限らず、優れた作品に触れる時、宇宙の大きさ不思議さに思いを馳せた時と似たような、目眩がしそうな感覚を覚えて気が遠くなります。なんでコンナモンがツクレルンヤ!??クソッ! と。。千年努力したとしても自分がそこに到達できるとは想像すらできません。クソッ。。

以前ハチマルは、オーディオ技術者は「自分は断じて音楽家ではない」という事を常に自覚すべきだと書きました。音楽と音楽家に対する敬意を失わず、傲慢になってはならないと言う事です。どのようにオーディオ技術に長けていようと、それはオーディオの専門家であるに過ぎません。特別な才能を授かってこの世に生まれ全生命を賭してそれに打ち込んだような音楽家に比べれば、自分は音楽のドシロートだ、ミジンコの屁にも値しない、という事を決して忘れてはならないという事です。

ナメタラアカンゼヨ。ゲージツを。。です。

高みにあるものを、分かりやすい卑近なレベルに引きずり降ろしては決してなりませぬ。。分からんモンは分からんママで良いのです。

追記
また極端な事を書いてしまいましたが、なにもガチガチにそのような考えに凝り固まる必要はありません。ハチマルだって、好みでチョイとイコライザを調整したり、シンクーカンバッファで味付けしたりしてますもん。スピーカだって好みで選ぶと思います。ただ、基本中の基本として、心のドコカで常にわきまえておくべきトッテモ大切な事だと思います。そのへんがちょっと疎かにされているのではないか?という気がしたもので、敢えて今回の記事を書きました。最近、音楽に限らず、世の中全体としてなにかにつけ、特にマスメディアにおいて、高みにあるもの分かりにくいものを手っ取り早く分かりやすい卑近なレベルに引きずりおろして、分かった気分にしてしまおう(させてしまおう)とする安易な傾向が目に付きます。視聴率稼げりゃ、版数稼げりゃ何でも良いという傾向です。凄く気になります。ジャーナリストに限らず、「仕事」に対する誇りがどんどん失われているようにも思えます。世の中に対するその「仕事」本来の役割が「利益」のためにどんどん疎かにされているような気がします。凄く気になります。。。。だいたい、そんな「仕事」のやり方じゃぁ、やってる本人がツマラナイと思うし。。だからストレスが溜まるし。。。だから「癒し、癒し」と。。悪循環。。音楽に慰みを求めるのも結構ですが、そもそもソンナモンやないと思います。

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テーマ:オーディオ
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2012年06月29日 (金) | Edit |
前の記事で「よく考えよう」と書きましたが、誤解を招かぬように、慌ててこの記事を書いておきます。

音楽に限らず、文学であれ絵画であれ、アートに触れているその時は、
考えたら負けです。
どうかそのへんは誤解無きよう。

理性でもって理解とか解釈しようとした瞬間に、最もオイシイ最もジューヨーな最もセーミョーなる部分は、あっという間に手からこぼれ落ちてしまうでしょう。だからハチマルはフニャーーーとモードチェーンジするのよ。

以下グダグダです。暇な方だけ適当に読んでください。

最近はどうか知りませんが、僕が中高生の頃は、国語の授業で文学作品を取り上げて「作者はここでどう考えたか?思ったか?」なんて課題や問題がよく出ました。あるいは「行間を読む」というのもこれに近いと思います。僕はこれを極端に嫌い軽蔑したため現国の試験は最悪でした。。。そんな事をしたら、その作品が持つ最もオイシイ所を味わう事は断じて絶対にできません。だいたい、作者も、そんな事を「考え」ながら書いているわけがありません。そんな事を「考え」ながら書いた作品は文学としては超駄作でしょう。極端な事を言えば、文字で辿れるストーリー自体すら重要ではありません。長大な物語を通して莫大な数の文字を要しながら、言葉では絶対に表せない(作者自身すら確たる事は分かっていない)事にこそ、その作品の真の価値があるように思えます。確かヘッセも、作中の登場人物(自分自身)にそんなような事を言わせていたような気がする。

そんな話を家内にしたら、こんな事が新聞に載っていたと教えてくれました。
中学校だと思うのですが、さる日本の詩人の作品が教科書で取り上げられており、例によって「作者はここでどう思ったか」という例の愚の骨頂問題だか課題が出たそうです。である女の子は、先生の言う事に納得できなかったのでしょう、その詩人に本当にそんな事を考えているのですか?とお手紙を書いたところ、その詩人は「僕達はそんな事を考えながら詩を作っていません。そんな問題が出たら、こう書けば先生が良い点をくれるだろうな。。という答えを適当に書けば良いのではないかな。。。」と答えられたそうです。ほら。やっぱりね。。ハチマルも絶対にそうだと思ってました。。ソンナモンです。ホンマニ。。ハチマルもいちいち怒らずに、そういうふうに上手に答えを書いておけば良い点が取れたのに。。。。クソ。

作家の遠藤周作さんが「最も良い文章が書けている時は自分で書いているというのではなくナニカに書かされているという気がする」といった内容の事をどこかで書かれていました。ね。やっぱり考えてないでしょ。。それこそが、天国と繋がったかと思えるその瞬間こそが、第一次創造の精妙なる瞬間であり、それがあるがために彼らは創造行為を止められないのだと思います。それは人知を超えた瞬間であり、決して理性では到達できない瞬間です。であるからこそ尊く価値があるのです。ハチマルも拙いながら写真作品に取り組む事により、その精妙なる瞬間の片鱗に触れる事はできましたし、オシゴトの技術開発においても、絶体絶命の大ピンチ(年柄年中大ピンチ)で起死回生のアイデアが突然浮かぶ瞬間というのも、正にそのような精妙なる瞬間であったと思います。なんでそんなアイデアが思い浮かんだのかと同僚に聞かれても、自分でもよくわかりませんでした。つまり、人間が何事かを強く求め、全てを忘れて損得勘定一切無く本当に純粋に物事に帰依した時、神様はチョイとしたご褒美をくださる。「求めよ、さらば与えられん」。。それをたくさん集めたのがアートなのだと思います。先に書いたように普通のお仕事も同じです。仕事とは「事」に「仕える」と書きます。出世や上司や立場や損得のためではなく、全てを忘れて純粋に「事」に取り組む時、神様は必ずホレとご褒美を下さります。その瞬間、世界が真っ白に爆発したような悦びに満たされるでしょう。まぁ。。そこに辿り付くまでは地獄ですが。。。ハチマル用語ではこれを「テンゴクトツナガル」と呼びます。芸術とは、他の職業に比べて、それを最も純粋な形態でやりやすいという事なのだと思います(テンゴクツナガリッパナシ?)。我々は、その精妙なる瞬間をスポーツ選手の神業とも思える超ファインプレーにも感じる事ができます。だからこそ人々はスポーツに熱中するのです。

ゲージツカが「テンゴクトツナガッテ」作ったであろう作品を介して鑑賞者が「テンゴクトツナガル」事を、ハチマル用語で「シンクロする」と呼びます。ある意味、彼らの作品は、我々鑑賞者が「テンゴクトツナガル」ための「インターフェイス」であると考える事ができます。ハチマルが「アクセスする」という表現をよく使うのはこのためです。

オーディオ装置とは、突き詰めて言えば、この形而上的インターフェイスたる音楽作品を、我々の耳あるいは意識まで伝達するための形而下的(物理的)インターフェイス装置であると言えるのではないでしょうか。

では、アートを通して作者はそして鑑賞者である我々は、イッタイゼンタイ何を垣間見るのでしょうか。。。。「ソレ」はとにかく、人間にとって、この上もなく大切な事である事は確かです。宗教も、おそらく、「ソレ」により直接的アプローチを試みるひとつの手段なのだと思います。ヨガや座禅もそのメソッドの一種です。セックスをそのメソッドとする宗教すらあります。「ソレ」は科学や「理性」では絶対にたどり着けない領域です。「感性」というのは安っぽく聞こえてハチマルは嫌いです。どうも最初の入口というに過ぎぬような気がするからです。「悟性」という言葉もありますが、定義が人によってマチマチです。

ハチマルは「ソレ」を「セカイノヒミツ」とか「ゲンショノキオク」と呼んでいます。それらは必ずしも美しく心地良いものとは限りませんし、恐ろしくて暗いものでもあります。見たら死ぬぞーーーー。。。というくらいヤバイものでもあるような気がします。世界を素直に感じ取る時、生と死は常に一体だからです。絶対に切り離して感じる事はできません。ですから芸術は必ず死の面を持ちます。死の臭いのしないジャズはつまらんし。。(ジャズについては別の機会に書きたいと思います)。ゲージツカのやっている事を見ると、これ以上逝ったら見たらヤバイ、戻れなくなるカモシレナイ。。。と感じながら、怖い物見たさで限界を超えてしまって破滅する例も多々あるように見受けられます(ジャコとかね)。でも、カッコエーナー。。。ゲージツは怖いんです。そもそも。。偉大なる芸術家というのは繊細さだけでなく強靱な精神力と体力の持ち主ではないでしょうか(ベトさんとかね)。

最後に、
ハチマルは昔から評論家の言う事は一切信用しませんでした。上記の第一次創造の精妙さを終ぞ理解できず、従って第一次創造者になり得なかったがために、評論という職業に就いたのではないかと思わざるを得ないものが多くあるからです。彼らは余りに安易に作品を解釈したり分析したり分類したりします。厄介なのは、そいう安易な「解釈」の方が分かりやすく、読者は簡単に「納得」させられてしまうという事です。アートを「納得」や「解釈」したら、その瞬間に全てオシマイなのに。作者本人にすら確たる事は絶対にワカル事ができないのがアートなのに。。

もちろん中には優れた評論を書く評論家も居ます。ハチマルは、そのような評論の文章は、ある作品をネタにした、元の作品とはまた別の優れた作品として読みます。そうすれば楽しめます。しかし、大概の評論家の言う事は信用ならんと、ハチマルは考えています。

そもそも分からないものを素直に分からないと受け入れて分からない事を楽しめば良いのではないかなぁ。。
ゲージツカは、そもそも分からんから命懸けで探求しとるわけで、分かったらヤリマヘン。あんなシンドイ事。
そいつがホンマニ分かるのはのお釈迦様かイエス様くらいでしょうよ。。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2012年02月29日 (水) | Edit |
今までジムでは殆どランとスイムしかやらなかったのですが、今年に入ってからウェイトトレーニングとストレッチをメインでやっています。

というのは、昨年末に家の片付けをした時に、以前まで簡単に箪笥の上まで持ち上げる事ができた箱を、なかなか持ち上げる事ができず、身体の衰えにショックを受けたためです。結局踏み台が必要でした。筋力だけでなく、肩の関節の可動範囲が狭くなっている事にも気づきました。ハチマルは現在52才。今までそれほど気にならなかった肉体の衰えが、はっきりと自覚できるようになったという事でしょう。

ジムでは最低限30分のストレッチと約30分のマシンレーニングをやり、元気な時は最後に約30分のトレッドミルかステップマシンをやるというのが最近のメニューです。週に3回か4回のペースでやっています。かれこれ一月以上続けましたが、昨日、自宅の風呂場で鏡を見て、上半身が随分カッコヨクなっているのに驚きました。お腹は割れてないですけどね。あと一月は続けるかな。。。最近全然泳いでいませんが、以前よりも速く泳げるようになっていると思います(下半身の筋力は人並み以上なのですが、上半身の筋力が女性並のハチマルは、プールでよく水泳に達者なオバーサンに煽られました)。

ストレッチは30分~40分くらい、時には1時間近くかけて、たっぷりとやります。独身時代は自転車レース(ロード)、結婚してからはマラソン(100kmも完走したぞ!)に随分入れ込んだので、自然と自分なりのストレッチメニューができています。ジムの広々としたストレッチエリアで、思いっきり手足を伸ばして、タップリと時間をかけてやるのですが、この時にイヤフォンで音楽を聴くのが最近のお気に入りです。

ストレッチは基本的にヨガと同じで、肉体的な効果だけでなく、精神的にも非常にリラックスできます。本当に気持ちが良いのですよ、これが。。呼吸もゆっくりと、深くなります。ゆっくりと、しっかりと息を吐き出すと、身体は普段よりも深く曲がります。ストレッチ中は、気持ちが良くて殆ど目を瞑っており、ヨガと同様に瞑想に近い状態になっていると思います。

で、このような状態で音楽を聴くと、普段部屋で聴くよりも、より深く「シンクロ」できるような気がします。時々、ポーズを取るのも忘れて、ただ仰向けに横たわって、身体も精神もフニャーと弛緩した状態で深く音楽に没入してしまいます(なので、気が付くと1時間近くストレッチエリアで転がっている事もある)。この状態では、もはや聴覚で聞いているという感じはしません。この状態を僕は「シンクロする」と呼んでいます。これが最も「音楽」を楽しめる状態であるように思えます。

最近ジムでは、ジャコさんとジミさんのコレクションをVictor製の携帯プレーヤにコピーして聴いていますが、彼らの入神の演奏を聴く時、僕も彼らに「シンクロ」して意識がしばらく飛びます。いわゆるトリップした状態です。もはや「音」は聞こえません。「音楽」だけが意識に流れ込みます。学生時代に下宿の枕元に置いたステレオラジカセでよくこの状態になりました。

中3でビートルズを体験して以来、学生時代はアート全般に深く興味を持ち、片っ端にいろいろなジャンルのアートにも触れました。また、写真を通して自ら「表現する」という事も経験しました。そのような体験を通して、アートに触れる際のコツとして「精神を弛緩させる(開放する、遊ばせる、freeにする)」事が重要であると気付きました。理性を後退させ、精神をフニャフニャのスポンジのように弛緩させるのです。言い換えれば、精神を出来るだけ「素直」な状態にするという事かもしれません。うまく言えないのですが、例えば絵画や写真を見ていても、視覚で「見ている」という状態から、シューーーっと「見ている」という意識が遠のく感じでしょうか? なんか意味不明ですが、ハチマル用語ではこれを「モードチェーーーーンジ」と呼びます。

この「フニャー」を身に付けてしまった僕は、クラシックのコンサートでも座席でフニャーとなるので、一緒に行った家内によく「シャントシナサイ!」と叱られました。でも、背筋を正して聴いても駄目なんですよ。ハチマルは。なので、曲が始まると程なく、フニャーとしてました。

「集中して聴く」とよく言われますが、実はこの「フニャー」が究極の「音楽」に集中した状態だと思います。「聴覚」に集中しても、それでは「音楽」の表層にしかアクセスできません。「聴覚」を越えた先に、真の「音楽を聴く喜び」「音楽の本質」「音楽の醍醐味」があるようにハチマルには思えます。「聴覚」はインターフェイスにしか過ぎず、楽しむべきは、そのインターフェイスを介して伝達される内容(すなわち「音楽の本質」)にあるという事でしょう。インターネットのコンテンツを見る際に、誰もインターフェイスの事なんか気にしないですよね。それと同じかもしれません。

普段のハチマルは仕事しながら音楽を聴きますし、学生時代もナニカしながら音楽を聴く事が多かったと思います。僕の身の回りの音楽愛聴者達も、大概手遊びにナニカしながら聴いています。この「ナガラ」というのは、不真面目なようでいて、「聴覚」に対する要らぬ意識を排除する(聴覚を忘れる)上で、効果的であるように思います。「集中」して聴いていないようでいて、実は表層的な「音」に下手に「集中」して聴くよりも、要らぬ「意識」や「理性」が邪魔をしないため、かえって「音楽の本質」にアクセスしやすいようにも思えます。ナガラする事により、「音楽」を「感じる」ココロの深い部分を、余計な「理性」や「意識」から開放できるという事です。

また、ナガラは長時間何度でも繰り返し聴けるという点でも優れます。「何度も繰り返す」というのは、語学学習と同じで、ある意味とても効果的です。これは生演奏では得られない、再生音楽ならではの長所であると言えます。ハチマルがジャズに目覚めたのも、中3の時に、受験勉強しナガラ、マイルスのKind of Blueを語学学習用ラジカセで無限にリピートして聴いたおかげです。ビートルズを一通りアホみたいに集中して聴きまくり、他のロックも聴いてみたけど大して興味を持てず、何か面白い音楽はないかと模索していた頃でした。ロックとクラシックは比較的聞き所が近いように感じたのですが、Kind of Blue (ジャズ)は聞き所がわからず、最初はチンプンカンでした。でも、何度もリピートして半ば無意識に聴いているうちに、突然「ガチャ」とジャズの鍵が開きました。その後、今に至るまでジャズは僕の最もお気に入りのジャンルとなりました。今振り返っても、貴重な瞬間だったと思います。また、ベースラインを基準に全体を聴くという癖が付いたのも、この時以来です。というか、この聴き方を見つけたからこそ、ジャズのオモシロサが分かったという事かもしれません。

再生音楽を聴く場合、「聴覚」以外の情報が完全に欠落するため、「聴覚」から意識を開放して「音楽の本質」にアクセスするには、ライブとは異なるそれなりのコツが必要なのかもしれません。ただ、幸いにもオーヂオザッシやヒヨウロンカの影響を受けずに、素直に再生音楽に接する自然な経験を積んだ一般音楽愛聴者達は、自分なりにそのコツを無意識に身に付けています(別に難しい事ではない。本当に「自分が」大好きな音楽を夢中で聴いていれば、意識しなくても自然に身につく)。ハチマルの「フニャー」や「ナガラ」もそのコツの一種でしょう。あ、それと「ストレッチしナガラ」も新たなコツですね。

目の前にオンガクという凄いゴチソーがあるのに、オンシツやオンジョーを過剰に意識する余りに「聴覚」に縛られ、そこから意識を開放して自由に遊ばせる事ができないのは、ハチマルにはとてもモッタイナク感じられます。

ハチマルは、音楽再生装置に対して、ソースに記録されている情報を、余計な事をせずに、できるだけ余す事なく、正確に、明瞭に、素直に「聴覚」というインターフェイスまで伝達してくれる事を第一に望みます。そこから先の「音楽の本質」へのアクセスは、ココロの領域だという事です。「音楽」を楽しむのは耳ではなくココロだという事です。
追記
インターネットも同じですよね。インターフェイスは、プロバイダが提供する全ての情報を、そのまま正確に端末の画面に表示(すなわち視覚に伝達)してくれなくては困ります。そうやって初めて、内容(コンテンツ)を完全に楽しむ事ができるようになります。

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テーマ:オーディオ
ジャンル:趣味・実用
2012年02月19日 (日) | Edit |
前の記事の論文ですが、やはりPDFには最初の1ページしかないみたいです。返金してもらいました。別の[本文]というリンクからダウンロードを試みたのですが、やはり1ページだけでした。。。。また返金してもらわないと。

いかにもお役所サイトという感じで、ユーザの使いやすさを何も考えていません。ダウンロード前にページ数を表示してくれるか、小さなプレビューを表示してくれるだけでも助かるのですがね。。。。困ったもんです。。

それはさておき、どうもオーディオマニアの方々を見ていると、オンシツやオンジョーなんか全く気にせずに、ラジオであれ蓄音機であれなんであれ、とりあえずそこに在る装置に齧り付くようにして、「音楽」を夢中で貪り聴いた体験を十分に積まずに、メカ的なあるいは物的な興味から、あるいは「良い趣味だから」とヒトから奨められて、オーヂオイヂリやオーヂオ雑誌の購読をを始めた方が多いのではないかという気がします。

ハチマルとしては、特に若い子達には、「自分が」本当に好きな音楽を見つけ、「自分なり」の音楽を聴くスタンス(音楽の本質にアプローチする自分独自の方法)をしっかりと身に付ける以前に、オーディオ趣味に深入りし、オーヂオ雑誌やヒョウウロンカの影響を過剰に受けてしまう事は、絶対にお薦めしたくありません。それらは、誰に教わる事もできません。「自分」だけが頼りです。音楽ヒョウロンカや権威の言う事を盲信しては絶対なりません。全く自由に、全く「自分の」ココロが求めるがままに、色々な音楽に接して欲しいと思います。

実は、技術屋志望のメカ好きハチマル少年も、中2の時に危うくその轍を踏みそうになったのですが、幸いにして「立派な装置を手に入れたとて、一体ナニを聴きたいんだっけ?」と直前にふと考えて踏みとどまったという経験があります。その後程なく、ラジオ/ラジカセでの強烈なビートルズ体験から、音楽だけでなくアート全般への興味が一気に拡がりました。この体験が僕の今の人生を、いろいろな意味で、どれだけ豊かにしてくれている事か。。。(参考記事)。最近になってオーディオ趣味を取り巻く状況を見るに付け、これは重要な決断であったとツクヅク思います。

音楽は凄いです。ホンマニ。。。オーディオ装置とは、その「音楽」を聴くための装置です。

この業界の玄人さん達には、表層的なオンシツばかりを徒に追い求めるのではなく、この宝物(音楽)をより善くより広く人々に伝達するための努力を、積み重ねて欲しいと願います。それには、音楽家からの助力が絶対に必要です。

音楽家も、自分達の作品を世に広めるための媒体であるオーディオに対して、もっと深く関与しても良いのではないでしょうか(スタジオでの最終モニタリングまでしか関与してないよね?)。表現とは鑑賞者に正しく伝わってこそ初めて完結する訳ですから、そこまでが表現者の責任範囲であるとも言えるでしょう。今の時代、クラシックと言えども、「生演奏だけがホンモノであり、再生音楽の事なんぞワシャ認めんわい」というチェリさん的態度は、一般的に表現者として通用しないでしょう。

「オーディオ界」とは、「音楽界」の中で鑑賞者に最も近い最末端に位置し、表現者と鑑賞者の間を媒介するための領域であると言えます。そして、この「オーディオ界」の中で、決して断じて絶対に頂点としてではなく極端でニッチな領域として、「それ自体」を「趣味」とする人々のコミュニティ的な「マニアック オーディオ」領域が存在するというのが自然でしょう。だいたい他の分野ではそうですよね。「鉄道界」における鉄道マニアとかのように。

追記
過去に音楽家の監修を仰いだ装置が開発された事もあるようですが、それらの多くはマニアから酷評を受けたと聞いた事があります。例の「オンガクセー」が無いという事でしょうか???(なんかヘン)。。。。しかし、普通に真っ当に素直に「音楽」を鑑賞したい人々には、そのような装置の方が向いていたのではないかという気がします。今でもそうですが、マニアや雑誌ヒヨウロンカの発言力/影響力が強いため、今後もしそのような動向がこの業界にあった場合、マニアさんには、違うテリトリーでの動きとして静観して頂きたいと切に願いまする。ホンマニ。

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2012年02月16日 (木) | Edit |
CiNiiで表題の論文を見つけたので、購入したのですが、ダウンロードしたPDFには1ページ目しかありませんでした。1.5K円くらいしたので、これでは詐欺ではないかと、抗議中です。
ダウンロード先はコチラ

抄録
1 音楽演奏現場における楽音の実態 楽音は物理的正確さとは無縁であることが多い。一例をあげると、ピアノは、高音部においては1オクターブ高い音を振動数の2倍よりやや高めに調律される。
2 音楽家のオーディオに対する感覚 音楽家の多くは高精度のハイファイ音を楽しむのではなく、音楽の本質を聴く。したがって、彼等は名演奏であれば、SPから再生されたCDでも満足して聴いていることが多い。

2番目の内容に興味があります。ここでは「音楽家のオーディオに対する感覚は」としていますが、これは「オーヂオ自体を趣味とせず普通に音楽を愛聴する人々は」としても良かろうと思います。「音楽の本質」(アーチストさんがやらはった事)を楽しむ分には、再生クオリティが必要十分なレベルであれば、それ以上のコマケー オンシツとかナンチャラカンとかリンジョーカンは大して重要ではなかろうし、だいたいそんなもんに意識が行く前に「音楽」に意識が行くだろう、また再生音のオンシツやオンジョーへの過剰な拘りや演出(作り込み)は「音楽の本質」を楽しむ上で邪魔にしかならぬだろう、というのがLEANAUDIOを通したハチマルの実感でもあります。この論文ではどのように結論付けているのでしょうか。興味深いところです。

あ、それと1.を読んで「だからブツリトクセーは重要じゃないんだ」と早とちりせぬよう。これは「現場」におけるハナシです。鍛え抜かれた繊細な感覚を持つ専門家が現場であえて物理特性的に微妙な揺らぎを持たせた音であればこそ、オウチでそれを堪能するには物理特性的に正確に再生する必要があるのは当然です。ビートの微妙なスイングと同じです。このへんの勘違いが多いように思います。我々ドシロートが勝手にイヂルのとは訳が違います。

この論文は「電子情報通信学会技術研究報告. EA, 応用音響 社団法人電子情報通信学会 98(157) (19980629)」の中の1つです(こちら)。これに含まれる論文のタイトルと抄録は下記の通りです。

1) CD Playerの時間伸び縮み歪み特性と高度感性情報再生の評価
高度感性情報の再現に重点をおき、ディジタル機器を見直した結果、CD Playerのアナログ出力信号に時間軸方向の伸び縮み歪みが140ns(以下)〜700ns存在し、この歪みが大きいと"空気感"の再現が悪いことを明らかにした。本稿では、時間伸び縮み歪みの発生要因を明らかにするため、CD Player内部のPLL、各種クロック信号のジッターを測定した。その結果、PLLやクロック・ジッターにはこのような大きな変動は存在しないことが明らかになった。また、クロック・ジッターとPLL精度との有意な相関が確認された。しかし、クロック・ジッターは1ns程度であり、この100倍以上のアナログ信号上の時間伸び縮み歪みとの関係は観測されなかった。

2) 高度感性情報の再生のためのDSPによる伝達周波数特性補正
我々は高度感性情報の伝達を目的とする研究を行っている.前報告でDSPを用いて伝達周波数特性平坦化を最小位相推移範囲で行ってみた.しかし, 高度感性情報再現には特性平坦化以外に高精度調整が必要であり, その調整は補正フィルタ特性や音楽リソースに依存するという結果になり, 特性平坦化は場合によっては悪い結果を生じた.これは実験装置の性能に関係するようである.そこで, DSPによる伝達周波数特性平坦化が, 真に高度感性情報再現に重要であるかを, 実験装置の性能を高めて明らかにする実験を行った.その結果, DSPによる特性補正は, 今回の音響再生装置では, "Holographic音場感", "空気感", "躍動感・生命感"等を改善するため, これらを重要視するような音楽(打楽器でリードする音楽やライブ等:ジャズ, ロック系)に対し, 非常に有効であることがわかった.但し, 音響再生装置の音楽ジャンルへの適合性はDSPでは変わらず, 装置の個性によるようである.DSPによる特性補正は慎重な調整を行えば, どの個性の装置でも音質的に良い結果を生じるであろうと推測された.

3) 時間方向情報の知覚の検討 : 位相変化の音色知覚に及ぼす影響について
本報告では、時間軸方向の情報の一つである位相について、「人間は本当に位相聾か」という問いから話を始め、これを否定する数々の実験結果を紹介する。また、位相の変化と音色の変化を関係付けるモデル化の試みについても触れる。さらに、位相の変化に対する知覚特性を測定する実験について、過去の問題点を指摘した上で、筆者らが行った実験結果についても報告する。

4) 新世代オーディオ:音響・音楽の高度感性情報知覚モデル : 信号の時間伸び縮み歪みとdigital音
所謂デジタル臭い音の原因が、時間伸び縮み歪みによるものであることを明らかにした。この発見を基に、2つの仮説を与えた。即ち、仮説1:人は過去に発せられた音との関わりあい:信号の振幅方向と時間方向の融合で音情報を知覚する。LSBレベルの量子化歪みに匹敵する時間方向歪みは1ナイキスト間隔の1/2^nであり、16bit/sampleの場合、0.35nsecとなる。仮説1は"空気感"、"雰囲気"の再生に関連している。更に、高位の高度感性情報である、"実在感"、"深々さ"、"胸にしみこむ"ような音、凄み等を再現するためには、仮説2:picosecの時間伸び縮み歪みやjitterを実現し、音像を明確化しこの音像へのパワー集中とそこからの音響パワー放出が重要である。

5) 高品位音質評価の方法論について
高品位音質評価の方法論について根本的な考察を行った。まず、物理的刺激量から、評価法を経て心理量にいたるプロセス、中でも心理量の形成に大きな影響を持つ評価法に着目した。評価法を構成する判断様式と判断属性に関して、絶対判断と比較判断、単一属性についての判断と複合属性についての判断のそれぞれについて、弁別力の観点からその特長と問題点を論じた。また、単一属性に関する判断を媒介にして複合属性の構造を求める方法を示し、対刺激の非類似度の判断から感覚空間の構造とその意味を求める方法と、音質の総合評価値の因子分析から下部構造と被験者の判断特性を求める方法を提案した。

6) 音響再生の現状と21世紀への課題
高忠実度音響再生の現状を分析し、21世紀への課題を提言する。音響再生技術は今世紀に大きな進展を遂げ、とくにディジタル技術は録音・再生の分野に大きな変化をもたらした。21世紀には大容量メディアが本格的に実用化され、高忠実度音響再生に新しい展開が開けるものと考えられる。期待される幾つかの課題について展望を述べる。

7) 音楽演奏現場における楽音の実態と音楽家のオーディオに対する感覚について
上記

いずれも興味深い内容です。ハチマルとしては、最も本質的な 7) をまず読んでみたいと思いました。だってさ、「再生音楽を聴く」とはどういう事なのか?をまず考えないとね。。入手できたら内容を簡単にご紹介したいと思います。

その他の論文もできれば読んでみたいと思います。
DSPによる補正の効果、位相遅れの知覚、デジタル再生におけるジッタの重要性なんかも興味深いですね。

このような理知的アプローチは非常に重要だと思います。

ヒヨウロンカとオッチャンたちのドシロート臭い感覚的なだけの世界では泥沼化するのは必然でしょう。雑誌も「ナンタラを変えました。そうしたらカンチャラカンがドータラになりました。すごいです!ヨイ音がしました。」(内容を掘り下げると小学生の作文。少なくとも「ボクはこの音が好きだと思いました。」と結ぶべきでしょう) ばかりでなく、このような科学的アプローチを読者に分かりやすく噛み砕いて紹介しないと、どんどん魑魅魍魎が跋扈する魔界となるでしょう。

また、様々な音楽家のオーディオ観も重要です。だってさ、このヒト達が聴衆に自分の作品を「どのように」聴いて欲しいと願っているのか?って、ムチャクチャ重要でしょう。オーディオ装置について考える時に、最も重要と言っても良いかもしれません。今の状態って、音楽的素養に関して如何な程度か甚だ不明なオッチャン達が、やたら好き勝手に「音」をイヂクリマーシテ、たんに私的な「感想」を、確たる根拠もなく、やたら偉そうに、言いたい放題述べ合っているだけですよね。違う?

別にマニアの世界がどうなろうと、それは「趣味」の領域なのでアタシャどうでも良いのですが、悲しいかな、今のところマニアの領域がオーディオ全体に対してやたら強い影響力を持っているので仕方がありません。まず、そちらから、もう少し健全になってもらわんと。。

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2012年02月13日 (月) | Edit |
「音楽聴くだけならラジオで十分」。。。なかなか含蓄のあるご意見だと思います。

以前、LEANAUDIOの音は「ラジオの音を広帯域/低ノイズ/低歪みにした音」と表現した事があります。流石に本当のラジオでは帯域も狭いため、「音楽」を「存分」に楽しむというわけにはゆきませんので、上のコメントをそのまま肯定する事はできませんが、半ば当を得ていると言えなくもありません。

ハチマルは学生時代から、友人宅の上等のステレオの音がどうも好きではなく、また、LEANAUDIOに着手した頃に量販店のリスニングルームで聴かせてもらった現在のオーディオ装置にも、その傾向は如実に見られました。総じて言えば、高音がシュワーッとして低音がブワーッとする感じ、あるいは、NHK FMのニュースを聞きたくない感じと表現できるかもしれません。ハチマル言うトコロの「ステレオ臭さ」というやつです。NuForceのIA7Eにも、この臭さを微妙に感じました。これが「オンガクセー」ってやつですかね?

これに対し、はじめてそこそこ上等のカナル型イヤフォンで聴いた音楽(しかも最初は携帯電話、その後Victorの携帯型プレーヤを使用)には、そのような臭さが全く感じられず、それまで体験した事がないほどずば抜けて「音楽」を聴きやすく、また、今まで聴く事ができなかった低い音を非常に明確に聞き取る事ができ、もう一度、学生時代から散々聴いた自分のコレクションを、一からしっかりと聴き直そうと思い立つ大きなきっかけとなりました。その結果が「ラジオの音を広帯域/低ノイズ/低歪みにした」LEANAUDIOの音です。これは「オンガクセー」ゼロってやつなんでしょうね?

カナル型イヤフォンで聴いてみて本当に良かったと思います。でなければ、死ぬまで多くの重要な事を感じないまま、気付かないままに終わったかもしれません。なんともモッタイナイ! また、音楽の凄さに気付きはじめた多感な学生の時期に、せめてケロみたいな装置がアタリマエのようにお安く売られていて、僕の下宿の枕元に置いてあったら。。。と、歯がみしたくもなります。

さて、彼らは音楽を聴く「だけ」と申しますが、この「だけ」の部分にどれだけ多くの貴重なセカイノヒミツが隠されている事か。この「だけ」がどれだけ意味深い行為である事か。。軽々しく「だけ」などと言えるものではありませんぜ。ダンナ。。。ところで「だけ」以外の部分は「趣味道楽」の魔界領域って事ですかい?

この「だけ」を、オーヂオ自体を「趣味」としない万人がより深くより良い状態でアタリマエのように享受できるようにする事がオーディオ業界の主たる責務ではないでしょうか。とはいえ、最近はイヤフォン/ヘッドフォンと携帯型プレーヤが非常に優れていますから、これは凄く立派なお仕事であり、責務を立派に果たしていると思います。ただ、長時間の装着はやっぱり鬱陶しいし、お耳の健康も気になりますので、スピーカ再生の方もなんとかしてあげてチョ。と言いたい。

ハチマルは自分で作ったから良いけど。。でもメンドクサカッタ。。売ってりゃこんな苦労はせずに済んだと思うとやっぱり腹が立つ。。 (でも開発ごっこは久々に楽しかったですけどね)。

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2012年02月08日 (水) | Edit |
ずーーーーーーーーーっと疑問に思っていた事があります。

「音楽性」ってナニよ? オンガクセーってさ。。。。

オーディオ雑誌のヒヨウーロンカとかオーディオマニアがやたらこの「オンガクセー」ってコトバを使うのですが、どうも確たる定義を掴みきれませんし、見る度に違和感を覚えます。なんか「アレだよね、アレ」って言う時の「アレ」のような便利な言葉のようにも感じます。

きっと、誰かヒョウロンカが使い始めたのだと思いますが、便利だし上等そうで偉そうに聞こえるので多用されるようになったのではないでしょうか。「特性的にはアレなんだけどアレなんだよね」と言いたい時に、嫌われ者の「ブツリトクセー」の反義語的に用いられる事も多いような気がします。

音楽作品そのものについてではなく、あくまでも「装置のオト」に関して使われるようですが、英訳するとしたらちょっと困るかもしれません。。。例の「ゲージツ的なオト」とか「ジョーカンの伝わるオト」とか「シズル感のあるオト」とか「癒されるオト」とか「身体に良いオト」とか「ウツウツとしていないオト」とかの類でしょうか?

例によって「音楽性とは」で検索してみたら、「国産アンプは音楽性皆無」というお題の板を見つけました(コチラ)。お題から察するに、典型的オーディオマニアかが立ち上げたのでしょうが、彼の思惑に反して内容はかなり荒れています。比較的若い人達が書き込んでいるようで、言葉はかなり乱暴ですが、ハチマルには本質を突いているように思えます。

以下、抜粋を掲載します。「音楽性」を含む発言だけを上から順番にコピペして、極端にキッツイ表現を削除しています(このため、発言内から「音楽性」が削除されてしまったコメントもあります)。場の性格もあるのでしょうが、彼らの発言はキッツイです。ホンマニ。さすがのハチマルもソコマデは書けない(書きたくてもね)。。。。
読みたい方は上記のリンク先をご覧ください。抜粋には肯定派と否定派の意見が含まれていますが、肯定派は旗色悪いですね。

以下抜粋

音楽性とは、あいまいで便利な言葉だな。色付けとは違うのか?

音楽性かぁ。音楽聴くときに邪魔にならないような癖だね。でも注意しなくちゃならないのは、音楽性をもっともらしく語り、利益率の高い、粗悪な輸入品を、売る、店員だ。

同感。もともと好い加減な言葉で具体的にどうこうと言う定義の無い言葉だね。音楽性という言葉の定義を書きなよ。

音楽性って何だか具体的に説明してみろ、

音楽性ってナニ?具体的にどう言う風に音へ反映されるワケ?

なぜか「音楽性」派はみんな黙り込むんだよな(w

アキュフェーズ、DENON、ラックス、音楽性はそれぞれあると思いますが・・・

それは音楽性じゃなくてただの癖だろう。

【音楽性】て何か?って問われて、このスレ119になるのに、答えられた奴は一人も居ない。

アンプに音楽性があるなんて表現は俺も嫌いだ。ま、レコード演奏家なんてわけのわからん肩書きを持ち出す評論家の言うことなんだから、推して知るべしだが。

すばらしい音楽性のアンプが欲しいなら高いお金を出しなさい

音楽性はアンプとスピーカーとのマッチングで生まれます。金出せばよい音がすると思っているのは糞耳の証拠です

音楽性って美味い釣り餌だなw

感性ってのは個々で違うんだし、それ以前に音楽性ってやつを表現するのはあくまでも音楽家の仕事であって、技術屋は音楽家の表現ってやつを出来うるかぎり正確にデータ化し表現する機械を機械性能を目指すのが本来だろ?

誰が言い出したのか知らんが機械にその音楽性ってやつを求めちゃイカンって思わないか?音楽家に失礼だべ?

音楽性って何? 海外製も国産もアンプはもちろん、機器に音楽性?を感じた事ないな。

「ストレートワイヤー」など存在しない。ならば音楽のエッセンスをどれだけ引き出せるかがアンプの音楽性と言えよう。これは理詰めだけでは到達できぬ世界である。感性と試行錯誤を惜しまぬ経験と熱意それこそが命である。

なんか、足りないものを足すというより、欠落したものと違うものを足すのだから生からどんどん離れていく気もするけど。。。

「音楽性」なんて逃げ口上だろw

楽譜も読めなければ音楽の経験も浅い素人のいう音楽性なんて自己満足に過ぎない。それは作るほうも同じだが、受動的な消費者のほうがそういうことを言うと哀れ。

「オーディオ」という音がヲタクの言う音楽性であり、実際の音と近いかどうかはどうでも良いからである。つまりオーディオヲタクのおかげで、良い機材は永遠に開発されないのである

おれは音楽性がゼロのアンプがほしい。プラスでもマイナスでもなくゼロ

音楽性を脚色ではなく、ソースの持ち味を活かす性質と解釈すれば、例えば掛けすぎのNFBは音楽性を損なうと言える。「低域の量は出る。でも遅い」という性質は音楽性が低い。

ブラインドテストして分からない人ほど音楽性だとか騒ぐらしい。

シロウト騙すなら、音楽性、と呪文を唱えよ。これが、廉価輸入品販売のコツ。これ業界の常識ね。

音楽性って言葉を巧みに使い、メシ食ってるショップ結構多いですよ。

機器に音楽性を求める人達の会話ってすごいなぁ^^

そもそも、アンプに音楽性が必要なのだろうか。


彼らの表現はキッツイですが、正直言ってハチマルは共感を覚えます。代弁してくれているようで。。「ナニもわかっとらん若造の無責任な戯れ言」で片付けちゃぁいけませんぜ、ダンナ。ハチマルにはヒヨウーロンカのオッチャン達より余程本質を突いているように思えます。

やはり、オーヂオマニアの言うトコロの「音楽性」とは、「自分」の「好きな」「装置」の「音」の「癖」とか「味付け」という事になるのかな? そうだとすると、ハチマル言うトコロのカタカナ表記の「オンシツ」と同義かもしれません。その方面に過剰に拘るのがオーディオ趣味の楽しいところなのでしょうが、それが本来のオーディオ装置の主たる用途だというわけでは決してありませんし、それが広く一般に奨められる「音楽」の楽しみ方かというと、ハチマルには甚だ疑問です(少なくともウチの息子にはそんな音楽の聴き方を絶対して欲しくない)。ましてや、iPod等でカジュアルに音楽に親しむ態度に比べて別段「偉くて上等な」音楽の聴き方でもなんでもないでしょう。それは本来の用途から少し外れた趣味性の強い特殊な領分であるようにハチマルには思えます。鉄道マニアだってそうですよね。彼らは鉄道をたんなる交通手段として見るだけでなく、そこに強い趣味性を見いだします。

そこに「音楽性」という言葉が安易に持ち込まれ、やたら都合良く、また、なんだか「偉そう」に使われると、ハチマルとしては、あるいは上記の一部の彼らとしては、どうしても強い違和感(嫌悪感と言っても良いかもしれない)を覚えるようです。上でも誰かが書いていますが、それは表現者の領分ではないでしょうか。音楽に対してドシロートな我々鑑賞者が、あまり気安く使ってよい類の言葉ではないような気がします。また、これも上で誰かが言っていますが、ユーザを含む業界全体がこのへんをしっかりと認識しないと、民生用オーディオ装置の正常な進化も望めないでしょう。

「音性?」とか「音調」とか「キャラクタ」とか言ってくれれば、全く違和感を覚えないのですが。。。

上の議論の中で、一部の発言に、音楽/音楽家に対する敬意と、それを聴くための装置という意識が明確に伺えます。なんだか嬉しいぞ!ハチマルは。。。そういう若い人達のために、必要十分なクオリティを備えた真面目な音楽再生装置を、最新技術を投入してお安く小さく作ってちょうだいな。メーカーさん。。それとデザインはクールにね!

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2011年11月18日 (金) | Edit |
前の記事「「音」ではなく「音楽」を聴くということ」がブログ村のピュアオーディオ注目記事で暫く1位をキープしていました。こんな事は当ブログ開設以来始めてなので、驚いています。

考える事はとても大切な事だと思います。

若い人は特に、今一度、周囲や情報に惑わされず、自分は本当にどのように「音楽」に接したいのか、自分にとって本当に何が楽しいのか何が重要なのかを、よーーーーく掘り下げて考えてみてください。そして自分らしい音楽の楽しみ方を見つけてください。

雑誌とかヒョウーロンカとかオッチャンの言う事を(ハチマルの言う事も含め)決して鵜呑みにしてはなりませぬ。かなり出鱈目な事も含まれています。

オーヂオ評論家のような聴き方を真似する必要は全くありません。
あれはナンカ記事を書くための聴き方です。
彼らは、製品についてとりあえずナニカ記事を書かねばならぬため、たいした違いが無くとも、誌面を埋めるために、さも大層な違いがあるかのように書かざるを得ません。しかも、技術が成熟した現代において、製品間の違いは黎明期ほど大きくはありません。さらに、この業界では、製品を「ユーザのために」評価するに際して、客観的データやリクツは異様に毛嫌いされ、専ら「主観的感覚」のみが重視されます。メーカが提出したヘンテコリンで意味不明な原理の説明をそのママ転載し「だということです」で締めくくり、それ以上、解説しようとも追究しようともしません。

あげくオクチノオーーキサガアータラとかオンジョーノヒロガリガコータラとか、アノテコノテで「違い」を「聞き分ける」あるいは「違いをなんとか記事にする」ただそれだけのための泥沼に嵌り、音楽再生装置としての根本の大事なところを完全に見失っているように見えます。

彼らは、ただただただただただ「違い」を「感覚的」に「聞き分け」てその違いを記事にします。「XXXXを変えたら、音が変わりました」。。。それがどんどんエスカレートし、電線だ、半田だ、メッキだによる音の違いまで「聞き分け」始めたのが現状です。もはや、そのような超微細な違いが「再生音楽を楽しむ」上で現実的にユーザにとって本当に意味があるのか、本当に重要なのかなど考えてみようともしません。民生用音楽再生装置として他にもっと大きくて重要な事がないのか、高く広い視野に立って考えてみようともしません。

思考が全く浅く、根本を見ようとせず、表層的で微視的な面ばかりを追い求め、極めて感覚的にしかモノゴトを捉えようとしない。それが彼らのオシゴトです。なにもユーザが、そんな彼らのオシゴトの真似事をする必要は全くないでしょう。それは決して「素敵な」音楽の楽しみ方ではありませぬ。オーディオ趣味のお手本にすらならぬでしょう(こんなトッカエヒッカエ遊びではなく、機械をイヂル以上、従来もっと理知的趣味であったと思うのだが)。ましてや「ジョートー」で「コーキュー」で「エライ」音楽の聴き方では全くありませぬ。というか全く「不毛」です。

情報過多のこの時代、オーディオに限らず、「自分は。。。」と考える事がとても大切だと思います。電車に乗っている時に、ケータイで暇を潰すのではなく、色々な事をちょっと掘り下げて考えてみてください。

電車に乗ると、ほとんどの人がケータイをイヂッテますが、僕にはとても恐ろしい光景に見えます。ぼーーっとするというのは、とても大切な時間です。考えていないようで、必ずナニカを考えているからです。情報ばかりを取り込んで、思考する時間がどんどん減っています。一億総アホへの道を驀進しているように見えて、ほんとに恐ろしく感じます。

僕がオーディオ業界に大きな違和感を覚える根本は、この「思考」を全く放棄し、表層的/微視的で感覚的にしかモノゴトを捉えようとしないように見えるからかもしれません。

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2011年11月15日 (火) | Edit |
「音」ではなく「音楽」を聴くとはどういう事なのか、難しいけど考えて見たいと思います。

「音楽」を聴くには「音楽再生クオリティ」が重要であり、それは例えば最新のハイテク ドライバ'(Alpair等)やデジタル信号処理(Frieve Audio等)により大きく改善できると、今まで再三述べてきました。もちろん、何も狂信的「原音再生」を求めるわけではありませんから、それなりに好みのオンシツを選ぶ余地はあると思いますが、まずは「再生クオリティ」を優先するという事です。

さて、そのようなアプローチに対して、マニアの間でよく言われるのは「オンガクは「ゲージツ」だから「カンセー」が重要であり、そのような「データ」とかリクツでアプローチしたのでは「ジョーカン」が伝わらない。云々。。。」というやつです。これは典型的に見られる論調です。

彼らが言うジョーカンなりゲージツとやらがアーチストさんの表現なり作品の芸術性 (芸術性なんてコトバを気軽には使いたくないですが、ともあれ) を指すとするならば、それらはソースに、すなわちアーチストさんが記録しはった事にしか残されていないわけで、泣いても笑ってもそれを正確に素直に聴く以上に本当のソレをよりよく聴く方法はないはずです。でしょ?

従って彼らが言うところのジョーカンなりゲージツとやらは、彼らが勝手に思い描く、あるいは彼ら自身が「好きな」ジョーカンなりゲージツであり、それはアーチストさんがやらはった事とは無関係なはずです。要するに彼らが言いたいのは「上記のようなオーディオでは、「音」をあまり好きにイヂられなくなるため、「趣味」としてはツマラナイ、あるいは「音」そのものにオモシロミがない」という事だと思われます。

素直にオーディオ趣味を楽しんで居られる方には「装置やセッティングによって生じる微妙な音の変化を楽しむのがオーディオ趣味だ」と明言される方もおられます。それならば問題無く納得できます。しかし、そこに本来アーチストの側にあるべきゲージツセーやジョーカンとやらを気安く持ち出されると、ハチマルは非常に混乱してしまいます。嫌悪すら覚えます。

「音楽を聴くためのオーディオ」は「音」やそれ自体を「趣味」とするマニアックなオーディオとは基本的に異なるため、それ自体に趣味性を求める人にはオモシロミが無くて当然です。ゲージツだカンセーだとかを持ち出す問題ではなく、そもそも目的が異なるだけの話だと思います。

本当に「音楽」を楽しもうと思うのなら、「音楽」を分かりやすい卑近な事象(例えばオンシツとか臨場感とかナンチャラ感とか)に引きずり下ろすのではなく、自分の側から高みにあるアーチストの行為の結果に素直に真摯にアプローチする事が大切だと思います。そのように素直に音楽を聴こうとした場合、過剰にジョーカンや臨場感を演出されたゲージツ的?な「音」や、「音」そのもの(オンシツ)および「臨場感」に過剰に意識を消耗する事は、かえって邪魔となるでしょう。

音楽家に限らずアーチストとは、全く自由で全く独立した精神をよりどころに、全世界を相手にたったヒトリで喧嘩を売るような輩です。ほんま命を削るようなシンドイ仕事だと思います。僕もほんのちょっとだけ写真表現でまねごとをしてみましたが、そんなオママゴトでもほんとに悩んでシンドかったです。正解というのは全くなく、ここで完成というキリもありません。荒野の真ん中にたったヒトリで立って、己の感性ひとつを頼りに、全く新しい道を切り開くというのは、シンドイ事だと思います。

そのような輩の言い分に素直に耳を傾けてみよう、まずは彼の言うように世界を感じてみよう見てみよう、という事だと思います。彼の「作品」を鑑賞するという事は。その際、鑑賞者としては真っ白な素直さで全てを受け入れる事が大切ではないでしょうか。。だから僕は「モードチェーンジ」する。

素直に「受容」してこそ彼のメッセージをより多く感じ取る事ができるはずです。しかし言葉なり理性で解釈できるわけではありません。「理性」で「理解」できない(ワカラナイ)からこそ、彼らはシンドイ目してやっているわけですから、そこで始めて我々の側にも本当の意味での「感性」というやつが必要となります。

人間の理性では理解できない領域に、鍛え抜かれた「感性」ひとつを武器にして、身を挺して挑んでいるのがアーチストです。彼らとて確たる事は「わかろう」はずもありません。彼らにできるのは、我々よりもソレに「近付く」事だけです。それを我々が「わかろう」としても端から「わかる」はずなどありません。我々も我々なりの「感性」でもって、彼が彼の冒険から持ち帰ったソレ(すなわち作品)に素直にアプローチするしかないという事です。

といっても1曲聴き終わった後に、さあ「感性さん」どうぞ!というのではなく、リアルタイムで同時進行ですよ、モチロン。そんなの誰でも無意識にやってる事です。

これは受容する以前の、「音」そのものや「臨場感」に対して、「カンセー」とやらで徒に意識を消耗するのとは全く異なります。「音」ではなく「音楽」を聴くとは、そういう事だと思います。

LEANAUDIOでは、そのように「音楽」を聴いている時に、不自然に感じる要素、違和感を覚える要素、聴きにくく感じる要素を素直に取り除いて来たと言う事です。

話が難しくなってしまいました。

音楽を再生する装置というものを考えるために、「音楽」あるいは「音楽を聴く」という事について掘り下げて考えてみようかなと思って書き始めたのですが、うまくまとまりませんでしたね。

普段別にそんな難しい事を考えながら聴いているわけでは決してありませんよ。モチロン。
ただただ素直に「スッゲー」とか「カッコイー」と恐れ入ったり憧れたり、なんでこんか凄い作品が作れるんだ、クソ!と嫉妬にもだえたり、という感じで聴いているだけですどね。。。でも、音楽って凄いと思う。クソ。若い子タチ、いろんな音楽をたくさん素直に聴いてみてね!

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2011年10月28日 (金) | Edit |
前の記事からの続きです。。。。

今回のエアフローノイズの除去も含め、例のテーパーチューブ、エンクロージャの制振等、B&Wは付帯音を徹底的に除去する方向性を貫いているようですね。僕はあのノーチラスをスピーカの1つの理想形態であると考えています。

800--Tech--Nautilus.jpg
B&W Nautilus

カタログの写真を詳細に見てみましたが、グルグルの真ん中には穴が開いていないように見えます。密閉型だと思うのだが。。。

ただし、あのように多数の帯域別ドライバを縦に並べるのではなく、できるだけ数を減らして同軸に配置する努力も必要ではないかと思います。おそらくドライバ間の干渉を嫌ってあのような配置にしたのだと思いますが、「音楽」の全体的な自然な聞こえ方というのも重要だと思います。僕ならば低音用バスドライバと主要帯域用ワイドレンジミッド+(オプションでスーパツイータ、または同軸2ウェイ)くらいで良いのではないのかなぁと思います。ワイドレンジミッドとは、はやい話がフルレンジドライバの事(例えばAlpair 5)。まずフルレンジありきで、その上と下を必要に応じて補強するというのがLEANAUDIOの基本アプローチ。メーカはフルレンジドライバの改良に全力を傾けて欲しいと思う。

付帯音を減らす方向性には僕も大賛成です。ソースには美しくて精妙な音成分がしっかりと記録されているし、そもそも記録されていない成分を聴く事は絶対にできません(そりゃそーだ)。アーチストが拘り抜いて全生命をかけて記録した音であればこそ、また専門家が絶妙に調整した楽器の音であればこそ、要らぬ身勝手な思い入れで余分な成分など付加せずに素直に聴いた方が、よほど「音楽」を(精妙なる彼の表現と精妙なる楽器の音を)楽しめるように僕には感じられます。。「音」自体も結局その方が自然で美しく響くように聞こえるんだけどなぁ。絶対に。。(ALpairのおかげというのもあるかもしれないですが)。。。地味すぎる?そんなに響かせんとアカン?ウツウツとしてる?オモシロミがない?ジョーカンが伝わらない?ゲージツ的ではない??ホンマに??

音に「拘る」べきは表現者の側であり、鑑賞者たるもの天才達が「拘り抜いた音」にまずは「拘りなく素直に」真摯に耳を傾ける事が、音楽鑑賞に限らず他者の(ましてや遙か高みにある天才の)表現に接する際の基本的態度だと思う。。。というか、そうするのが結局イチバン「音楽」を楽しめると思う。。フニャーーーとスポンジみたいに弛緩して全てを素直に受け入れることがマズ第1の関門。そこからはじめて例の能動的アクセス(コミュニケーション)が始まるということ(まず相手の言っている事をよく聞きなさいって、小学校で習うよね?それと同じ。ましてや相手は命懸けの天才だよ。言わずもがなでしょ。)。

何かを付加すればするほど、元の音成分(アーチストさんが実際に言わはったコト)は聴きにくくなるというのが物の道理というやつでしょう。素直に「音楽」を聴いていて不自然に感じる成分、違和感を覚える成分(つまりアーチストさんが言うてはるコトが聴こえにくいやんけ!とイライラさせられる付帯的成分)を取り除いて、逆にヨク聞こえていない聞こえるべき成分(アーチストさんがナンカ大事なコト言うてはるけどよう聞こえへんやんけ!とイライラさせられる減衰した成分)を正しく聞こえるようにコツコツ積み重ねて来たのがLEANAUDIOアプローチです。全く素直でアタリマエ。。。。。でしょ?

何よりもまず「アーチストさんがやらはった事」ありきという事です。その尊い「やらはった事」をしっかりと聴き(感じ)取りたいという事です。彼にアクセスするために。。彼が垣間見たであろうセカイノヒミツノカケラをできるだけ多く感じ取るために。。。

追記
でも、市販品で欲しいのはやっぱりJBLモニターだな。カッコイーもん。音は知らんけど。。。。メチャクチャ矛盾してるけど。。LEANAUDIOはAlpairで自作するというコト。。安上がりだし。。

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2011年10月12日 (水) | Edit |
波形を正確に再現できれば「良い」音になるのか?
注: ここでいう「波形」とはアンプで終わる電気信号の波形ではなく(今時、これには大きな問題はない)、また無響室で測定されるスピーカ単体の音響出力波形でもなく、実際の使用条件でリスナーの耳に届く最終的な音波波形の事ですので、ご注意ください。

答えは「良い音」とは何を指すのかによって異なります。

「良い音」が「自分の好きな装置の音」という意味であれば、相関性はありません。好きなようにやればよろしい。

しかし、「音楽」の全体と細部をしっかり聴き取り、音楽家の表現を素直に受け止めようとする場合、波形をある程度正確に再現できれば確実に聞きやすくなり、音もより自然に聞こえ、「音楽」をより楽しむことができます。これは再三申しているようにLEANAUDIOを通して僕が得た結論です。その一例は、ジャズにおける低音ビートの重要性です。これを正確に再生すると「ノリ」すなわち聴く楽しさ、醍醐味ってやつ? が段違いです。

例えば、落語のCDを聴く場合、落語家がどのような内容をどのようなニュアンスで語っているのかが、耳を澄まさなくても思いっきりリラックスしていてもハッキリとよく聞こえて欲しいと思います。例えば、パネルディスカッションの録音を聴く場合、高い声も低い声も大きな声も小さな声も、耳をそばだてなくてもパネラー全員の声をはっきりと聴き取って、議論の内容を追いかける事に集中したいと思います。音楽を聴く場合も基本的に同じです。ただ、耳で感知した音を言語として理性で理解するのではないという点と、音の構成内容が圧倒的に複雑であるという点で異なるだけです。

いずれの場合も、ある目的(大ざっぱに言えばコミュニケーション; ちなみに芸術はコミュニケーションの最も高度な形態だと思う)を達成するために「音」を媒体として「耳」という感覚器官を通して知覚し、そこから先は「脳」というよりも「魂」の領域なので良く分かりませんが、例えば小説を読む場合、媒体である「字」を「目」で知覚して物語りを追いかけ、最終的には作者が持つ深奥の世界感なりメッセージを感じ取ろうとします。

そういう意味では(ってどういう意味よ?)、波形をある程度正確に再生できれば確実により良好に目的(コミュニケーション)を達成できます。音楽は、話声に比べると圧倒的に広帯域でダイナミックレンジが広い複雑極まりない構造体であり、これを再生/伝達するにはそれなりに高度な音響再生装置が必要となるため、過去の技術者達は常にそれに挑戦し続けて来たという事です。

分かりやすく言えば、波形を正確に再現できれば「自分が好きな装置の音」になるのではなく「良質な再生音」になるという事です。その音が良いか悪いか好きか嫌いかは、そこに記録されている元の音によって決まるという事です。

「音楽」を聴くにあたり何を主たる興味の対象とするのか、優れた音楽に触れる事を通してそこに何を見ようとするのか、何を求めようとするのかによって目指す方向性が異なるという事です。

興味の主たる対象を「装置から出てくる音そのもの」やそれらの音の付帯的現象(反射等)によってタマタマ現出する「雰囲気」「臨場感」「ナンチャラ感」といったもの(いわゆるオンシツ?と呼ばれているやつ)に置くのか、それとも、そこから遡って興味の主たる対象を「その音を出した音楽家の行為/表現(その結果がすなわち音楽)」に置くのかという事です。さらに遡れば「その音楽家をそのように行動せしめた彼の内奥にあるナニカ」、そしてさらに「そのナニカを彼の精神に生来せしめたさらなるナニカ」を無意識に感じ取ろうとする(すなわち彼にコミュニケート(アクセス)しようとする)のか...という事です。

音楽を聴くという行為(芸術を鑑賞するという行為)は決して受動的な行為ではなく、積極的にコミュニケート(アクセス)しようとする極めて能動的行為であると僕は思います。難しい事を書きましたが、これは例えば文学作品を読む場合に多かれ少なかれ誰でもやっている事です(といっても、ここで作者はどう思ったか?なんていう現国の受験問題のような愚にも付かん事を「考える」という事ではありませんので)。

LEANAUDIOが目指している方向性は、現在のいわゆるオーディオそのものを「趣味」とするマニア向けの装置とは趣を異にします。

もっと即物的に言うならば、波形を正確に再生できればLEANAUDIOがリファレンスとするカナル型イヤフォンの聞こえ方に近付きます。その聞こえ方を「良し」とする方にはLEANAUDIOは向いています。その聞こえ方に嫌悪を感じる方には向いてません。最初っからそう言えば話は早かったかな。

波形の再現性(時間ドメインでの再現性)はF特(周波数ドメインでの再現性)と同様、本来オーディオ装置に求められる基本中の基本の機能であり、また、僕が求めているのはあくまでもリスニング位置での再現性の事ですので、歪み率レーテン何パーセントとかいう微細な話ではなくもっと大まかなものです(電気→機械→音響という厄介な変換過程を経てしかも部屋の影響を受けるスピーカからの音響出力に対してアンプのような低歪み率を求めるのはソモソモ酷というもの)。

何も狂信的な「原音再生」とやらを求めているのではありません(そもそも無理)。

従って、僕が求めるレベルを達成したとしても装置の個性なり開発者の思想を音に反映する余地はタップリと残されています。その部分を趣味的に楽しむというのは、アリだと思います。末端ユーザはそれでよろしい。というかそういうものです。だいたいどこの業界でも。ただし、開発者は音楽再生装置としての基本中の基本(といっても超コマケー事ではなく、本当に重要なオッキナ基本のこと)に対する努力を疎かにしてはならないと思います。それが玄人さんのオシゴトというものではないでしょうか?

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2011年09月04日 (日) | Edit |
ネットラジオを聴いていると、128kbpsの局でも、特にクラシック曲で、時どき高音に違和感を覚える事があります。例えばピアノの高音のアタックがビビッタ感じに聞こえるとか(得にベトベン専門局を聴いている時)。逆に低ビットレート(64kbps)の局でも、同様のアタック音が気にならない場合もあります。局側のデータ処理方法によって音質が異なる可能性もあります。

そこでケロに使っていたTU-870をガマに使用したところ、なかなか具合良さそうです。低ビットレートでささくれだったところを適当に丸めてくれるという事でしょうか?しばらくこの組み合わせで聴いてみたいと思います。ケロ君にはKA-S10で我慢してもらいましょう。TU-870、も一個買うかな?

847.jpg
ほこりだらけのTU-870。トランスが大きいので、横いっぱいにはり出しています。

僕のTU-870はプチ改造しています。回路自体は3結等を試した後オリジナル状態に戻しましたが、出力トランスを大きめの物に交換しています。また、カプリングコンデンサを定番の「ビタミンQ」に交換しています。このビタミンQですが、最初は「なんじゃこりゃ」という感じの音でした(ダルい音)。エージングに時間がかかるとは聞いていたので、とりあえず音質にあまり影響しない部分(NFB回路)に取り付けて約半年間使用した後に、再びカプリング用に使用したところ今度はGOOD。標準のコンデンサより確かに素敵な音がするような気がするようなそんなような気がしました。少なくとも新品の音は標準コンデンサに比べて明らかにダルかったので、エージングによって音が変わったというのは確かなようです。コンデンサにしろコイルにしろ機械的構造を持ち、交流が流れると微小に振動するため、エージング効果というのは確かにあるようです。ですからアンプ等電気回路のエージングというのには納得です。スピーカーは全くの電気/機械部品ですのでエージングが重要なのは自明です。デンセンはよくわかりません。

ちなみに、オーディオ用として珍重されるコンデンサの多くは、コンデンサとしての純粋な電気的特性という観点では落第品だそうです。人間って、音に適度な雑味が加わった方が気持ち良く感じるという事でしょう。真空管アンプが好まれるのも、同じ理由だと思います。やり過ぎると音楽が聴きにくくなりますが、基本的音楽再生性能(可聴帯域の下限近くまでフラットに位相遅れなく)をしっかりと確保し(これは音楽再生装置として最優先されるべき大前提)、付帯音を徹底的に除去した上で、ほんのりと好みの雑味を効かせるのは乙なものかもしれません。そういう意味で、LEANAUDIO(デジタル ニアフィールド)+真空管アンプは相性が良いと思います。部屋で響かせーの、箱で響かせーの、アンプで響かせーのというのは制御不能(富士の樹海)なような気がします。今時はソースまでDSPで響かせーのですからエライこってす。ホンマニ。。。

片方の真空管が駄目になりかけていた(時々ブチバチ音がする)ので、片方だけ新品に交換しました。同じEH製なので、ペアリングは気にしない事にしています。人間の耳って、左右で結構特性が異なります。イヤフォンの片方を右耳と左耳で聴き比べて見るとよく分かりますよ。。だもんで、細かい事は気にしない事に。 ちなみに体調(たぶん血圧)や鼓膜前後の圧力差の状態等によっても、耳の特性は結構変化するように思います。ダイビングの時にやる「耳抜き」をすると、高音の聞こえ方が明らかに変化する場合があります。音質をチェックする時は、必ず耳抜きをして鼓膜の前後圧を均等にしましょう? てか。

装置の微小な変化に対して人体および環境側の物理的/心理的変動幅が非常に大きいような気がします。つまり、その時の肉体的/精神的状態(上記の耳の状態、気分、直前の出来事)、環境(周囲の騒音、明るさ、気温、湿度)による物理的および心理的影響、とどめは例のプラシボ(だっけ?)も主観的「音質?」に影響します。なので、「音質?」を気にせずに長時間「音楽」を聴いてみないと(つまり本来の目的で長時間使用してみないと)、装置の音質評価はできない。。。というのが、LEANAUDIOでイロイロやった上でのハチマルの結論でもあります。例えば、吸音材ぎゅう詰めは今やLEANAUDIOの標準仕様となりましたが、ポチ2型の吸音材が箱イッパイになるまでに半年以上もしかしたら丸1年はかかっています(年がら年中、仕事しながら目の前のSPで様々なジャンルの音楽聴いた上での結果です)。

そのようにして最終的に生き残ったのがAlpar6M馬鹿ブー(この瞬間「ZAP(ザップ)」君と命名!)とケロ君です。さてさて、今回のガマ君は生き残れるのでしょうか?

追記1
出典: 英辞朗
zap
【間投】
バシッ、ビュッ、ビュン
【名】
〈米話〉攻撃
〈米話〉活力、元気、情熱、活気
〈米俗〉《コ》消去
【自動】
サッと動く、素早く動く
【他動】
強打{きょうだ}する、打ち負かす、攻撃{こうげき}する、感動{かんどう}させる、撃つ、口でやっつける、砕く、殺す、負かす、素早く動く、驚かす
電子レンジでチンする

追記2
そんなオーディオで楽しいのか?と思われる方も居られるでしょう。言っておきますが、ハチマルは別にいわゆる「オーディオ趣味」を「楽しむ」つもりは毛頭ありません。「音楽」をより楽しみたいだけです。そして、LEANAUDIOのおかげで、未だかつてなく「音楽」をより楽しめるようになりました。学生時代にケロが欲しかったとつくづく思います。クソ。。。逆に、マニアックなオーディオを見ていて、やたら微細な音の違いを聞き分ける事がそんなに「楽しい」のかなぁ?もっと他に重要なファクタがいっぱいあるのになぁ。。と僕には不思議に感じられます。ハチマルは「自分の部屋」で「音楽」をより快適により深くより自然により明瞭に聴き取れる装置が欲しいので自分で作っているだけです。面倒臭いけど。。。「音楽」に対する確固たる嗜好というのはしっかりと持っているつもりですが、「確固たる自分の音」とやらには執着しません。再生音には「正確/自然/明瞭」であって欲しいと願います。。だって、基本的に「確固たる自分の音」を持つべきは表現者の側であって、「音に対する確固たる嗜好あるいは表現意図」を持つ「音楽家」が鍛え抜かれた感性でもって選びぬいて決めて世に問うた音をできるだけ素直に聞きたいわけですから。それがその音楽家および音楽作品の表現/個性であるわけで。。。。そのへんが真逆というか。。。そもそも「音」は音楽を構成/伝達するための素材/媒体であり、その「音」でもって記録されている「音楽」の全体と細部を正確/明確に再生/伝達してくれる事を第一に望みます。そんなもの(計測で評価できる音質の改善)は簡単にできる、計測には表れないビミョーな「音質?」の追究こそが難しくて重要なんだてな事を言われますが、その「簡単な事」をきちんと現実的な実用環境で提供してくれる装置が果たしてあるでしょうか?バスレフポート、アナログフィルタ、一般ユーザの住環境に対して馬鹿デカ過ぎるサイズ、アホみたいな価格。。。僕の部屋で僕のデスクトップで僕のベッドサイドでの実用状態で僕の満足できるレベルの音楽再生クオリティを提供してくれる現実的なサイズ/価格の実用装置は、僕の知る限り市場に存在しません(これに対し携帯プレーヤー、イヤフォン/ヘッドフォン関係は性能/価格/デザイン的によく頑張っていると思う)。ヒャクマンエンする大層な装置をぶち込んでも駄目な事は明白です。売ってりゃ買ってますがな。面倒くさい。。どうもこのへんは永遠に平行線をたどると思います。因って立つトコロが180度異なるわけですから。以前に書いたオーディオ装置を「音楽」を聴くための道具とするリスナーズ オーディオと、オーディオそのものあるいは「音」そのものを趣味とするエンスージアスティック オーディオという事でしょう。雑誌等のメディアは後者ばかりを取り上げ、オーヂオとはそう言うものと固定観念を持たされている可能性もあります。それこそメディアや周囲にまどわされず、「自分」は音楽をどう聴きたいのかという「確固たる自分のスタンス」を持つ事が大切だと思います。よ。。。

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2011年07月13日 (水) | Edit |
周波数特性をフラットに再生するという事に関して、勘違いがあるようなので、補足説明しておきます。

「人間の耳はフラットな特性を持っていない(いわゆる等ラウドネス特性)ので、フラットな周波数特性で再生したのでは不自然だったりツマラナク聞こえるはずだ」というやつです。

これは大きな間違いです。

前の記事にも書きましたが、音楽家および録音エンジニアは、ほぼフラットな特性を持つモニタースピーカーを使用して、音響調整されたコントロールルームで音楽をモニタリングしながら細かい調整を行います。この時、彼らは「計測値」ではなく自分の「耳」で音楽を確認しながら「感覚」で作業を進めます。で、当然ですが、彼らも人間である以上、我々と同じような等ラウドネス特性でもって、その音を聞いているわけです。我々と同じような特性の耳で確認してコンナモンヤネと調整しているという事です。言いたいコト ワカルカナ?最終的に調整された音には、既に人間の等ラウドネス特性が反映されているというコトです。上の考え方が誤りである事がお分かりいただけましたか?「ツマラナク」聞こえるのはそのヒトの「好み」の問題だ。というやつです。

さらに言えば、自分の部屋で周波数特性をフラットにして再生した時に聞こえる音楽の聞こえ方は、彼らがコントロールルームで、フラットな特性のシステムを使用して彼らの「耳」で聞いた音楽の聞こえ方と概ね同じになるわけですから、裏返して言えば、自分の部屋でフラットな周波数特性で再生した時に不自然に聞こえる、あるいは「ツマラナク」聞こえるというヒトは、録音時に彼らのコントロールルームに行って、彼らと一緒に彼らがコンナモンヤネと調整した音楽を聞いても、自分には不自然または「ツマラナク」聞こえるというコトです。。。。「ツマラナイ」のであれば、なにもワザワザその音楽を聴く必要はなく、もっと自分にとって「ツマル」音楽を聴いてみましょう。

余談ですが、「計測」や「データ」というと、ドシロートの「カンセー」とやらを持ち出して拒否反応を示す方が多いようですが、「計測」は、我々「ドシロート」より遙かに優れた感性とやらを持つ音楽家が作り上げた作品を、自分の部屋でできるだけ正確に再生するためにやっているわけです。何故なら、それがイチバン自然に聞こえて聴きやすいから、彼らの目指した表現を感じ取りやすいからです。。そうやって「素直」に聴いた音楽から自分なりにナニを感じ取るかという部分で、自分の「感性」とやらが大切になるわけで、それ以前の段階でドシロートなオッチャンが「カンセー」とやらをやたら勝手に振り回すというのは、なんか逆じゃね?ソンナ聞き方してると、いつまでたっても本当に自分が好きな音楽は見つからないよ。音楽を聴く本当の楽しさは分からないよ。だから若い子にはソンナ聞き方を絶対にして欲しくないのよ。。。iPodで気楽に聴いている方がズット良い。

もちろん、等ラウドネス特性には個人差がありますし、アーチストやエンジニアの好みもありますし、スタジオによってモニタシステムも異なりますので、録音に多少の個性が出るのは当然です。例えば、以前の記事で取り上げたマイルスとハビハンコックのリーダーアルバムでは、リーダー以外のメンバーが殆ど同じで、殆ど同時期に録音されたにも関わらず、マイルスの作品の方が高音寄りでシャープに聞こえます。なので、マイルス好みの僕は、ハビさんのアルバムを聴く時に30Hzから20kHzにかけて直線的にハイ上がりに補正を適用したりしていました。最近はランダム再生をよく使うのですが、ジャンルを問わずイロンナのを片っ端に聞くと、真フラットが平均的にはベストだね。という事で、今は細かい事を気にしない事にしています。どれも超一流プロの仕事なので、そんなにヘンチクリンに録音されたのなんてアリエマセンし。。。ただ、最近は窓を開けて仕事をするので、音量も控えめで屋外の騒音も増えて細部が聴き取りにくくなるため、やはり直線的に少しハイ上がりに設定しています。また、小音量で交響曲を聴く時は、100Hz以下をエイヤとブーストします(ラウドネス補正)。

音場補正でフラットな特性を初めて経験すると、最初はオヤ?と違和感を覚えますが、それは今まで癖のある音に慣れていただけの事であって、フラットに少し慣れてくると「音楽」が聴きやすい事に気付いて手放せなくなるヒトが多いようです。最近も読者の方からそのようなコメントを頂いたばかりです。考えてみれば極当然なんですけどね。

そもそも「音楽」ではなく「音」が「ツマラナイ」というのは、僕にはよく理解できませんが、オーヂオマニアにドーユーワケか多いボーカルやストリングをメインに聞く、いわゆるカマボコ特性で聴いておられる方には、他の帯域の音が出てくるので、なんか主役が引っ込んだみたいに感じてツマラナク感じるのかもしれません。どうなんでしょうね。

追記
ここで「フラット」と呼んでいるのは、部屋の影響も含めて「耳元で」という意味です。

追記2
だいぶ以前の記事に書きましたが、交響曲(ベト5)のCD信号のスペクトル分布は、さるホールの中央席で実測されたスペクトル分布にほぼ一致します(参考記事)。
704.jpg
緑が実測、グレーがCDの信号
つまり、フラットな周波数特性で再生すれば、ほぼ中央席と同じように聞こえるという事です。それが不自然またはツマラナク聞こえるというヒトは、ホールで聴いても不自然でツマラナク聞こえる事でしょう。

また、少なくとも40Hzまでは重要な信号が入っている事も分かります(濃いグレーの帯域)。ダイゴミってやつらしい??つまり、少なくともそのヘンまではフラットに再生したいという事です。あ。。。また勘違いされるかもしれませんが、「この絵のスペクトル分布が40Hzまでフラットになるように再生する」という意味ではありませんよ。。。「実際に耳元に届く音のスペクトルがこの絵のスペクトルと同じカタチになるように再生する」という事ですから。。
このCDソースも複数の近接マイクで収録されたと思われ、録音したままだともっと高域が強くなるはずです。恐らく、調整段階で高域を落として、ホールの中央あたりで聴くのに近くなるように調整してくれているのだと思われます。このように、彼らはスタジオで、我々と同じような特性を持つ彼らの「耳」で確認しながら、我々のためにチャント調整してくれているわけです。

周波数特性が基本中の基本だという事、少しはご理解頂けたでしょうか。。当然スペクトルだけでなく、「音楽」を楽しむためには、特に低域での位相遅れも重要である事は言うまでもありません。周波数ドメインと時間ドメインの両方が重要だという事です。実測波形で再三お見せしたように、Frieve Audioのデジタルイコライザはその両方を驚くほど正確に1発で補正してくれます。なんでデジイコがもっと普及しないのか? 極めて簡単に根幹的「音楽再生クオリティ」を画期的に改善してくれるのに。。。

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2011年07月10日 (日) | Edit |
「ホンマに自分が好きな音楽を聴く」

それが音楽を本当の意味で楽しむたのめ第1歩だと思う。ゾ。

「音質?」がアーダコーダと言う前に、ホンマに自分が好きな音楽を聴いてる?

自分はどの音楽を好きなのか?は自分にしか分かりません。

ソコントコの最も重要なステップをしっかりと踏んできた?

このステップをしっかりと踏んでいないヒトが、オーヂオ雑誌かなんかの推奨盤を買って、オーヂオ評論家のような聞き方をするのが「音楽」を聴く事だと勘違いして、「音」を出してオーヂオ装置をイヂクリマースと、「音楽再生」がトンデモナイ事になるような気がしてなりません。

自分がホンマに好きな音楽」を見つける事が第1歩です。

それは誰も教えてくれないし、ヒョーロンカなんかナンの助けにもなりません。

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2011年07月07日 (木) | Edit |
前の記事からの続きで、モニタースピーカーの特性って、どんなだろう?と思って簡単に調べてみました。
今回は放送局(NHKとBBC)の規格について。

1) NHK
NHKがFOSTEXのRS-N2リファレンス スピーカーを採用したのは有名ですよね。NHKの要求仕様値は見つかりませんでしたが、製品のカタログ値(出典)には 40Hz〜20kHz±3dB と記載されています。これはNHKの要求に沿うものだと思われます。30Hzで-7dB くらいとの事。

これはLEANAUDIOが音楽再生装置の最低要求仕様として掲げている「50Hzまでフラット、30Hzで約-9dB」を余裕でクリアしています。大概はこれで十分に音楽を楽しめると思います。要求仕様値としても現実的で妥当な線ではないかと思います。これ以上の低域特性を望む場合は、デジイコでブーストするか、サブウーハーの追加が必要でしょう。

2) BBC
2つ見つけました。

- LS3/5a
これは有名ですよね。古い規格だと思いますが、今でもこの規格に沿うタイプが数社から売られているのではないでしょうか。
主な要求仕様(出典)
: 2ウェイ/密閉型//80Hz~20kHz ±3dB/82dB/W /16Ω~10Ω/最大入力50W/寸法 12" H x 7.5" W x 6.25" D /容積5L 等

80Hz~20kHz ±3dBのF特では、音楽再生用として低域レスポンスが明らかに不足だし。。。と首をかしげたのですが、このタイプはBBCでは「グレード2」と呼ばれ、主にナレーション(スピーチ・プログラム)のチェック用に使われたらしいという事がわかりました。納得。。

- LS5/12A
この規格が「グレード1」に分類されるようです。これは「スタジオから送信機へ送る前の段階での音声チェックに使用する最高グレードのモニタースピーカー」とされています。「音声」には「音楽」も含まれるという事だと思います。

主な要求仕様(出典):
BBC Specifications:
Position Nearfield.
System Type 2 way passive
Size mm 296Hx184Wx206D.
Weight/Kg 7.2.
Sensitivity dB/1Watt at 1 metre 82.
Impedance/ohms 8.
Typical SPL at 1.25 metre, 2 cabs/dB 108.
Frequency response 50Hz-20kHz (3dB)
Long term powerhandling RMS/Watts 100.
Maximum power handling/Watts 1000.
ABES Option (discontinued)/Output levels up to 114dB, with 35Hz-20kHz frequency response.

こちらは 50Hz~20kHz ±3dBですから、LEANOUDIO要求仕様をギリギリ満たせそうかな?密閉型でこの特性を達成できていれば、まずは十分はだと思うけど交響曲を聴くには少し物足りないかな?。。。と思ったら、どうやらサブウーハーの使用もオプションに含まれるようです(でもdiscontinued ?) 。上の要求仕様最下段の「ABES」オプションとは「Active Bass Extension System」の事で、パワードサブウーハーに相当するシステムではないかと思われます。このオプション装着時の要求仕様は 35Hz~20kHz とされています。これなら十分だね。これも納得。

仕様で「ニアフィールド」と明記し、要求寸法も非常にコンパクトである事から、LS3/5aと同様にスタジオ外での可搬使用を想定しているものと思われます。自社設備内のスタジオではもっとデカイのを使っているかもしれません。

いずれのモニタスピーカーも、±3dBという、かなり厳しい条件でフラットな周波数特性が要求されている事がわかりますね。モニタ用に限った事ではなく、周波数特性は、真っ当な「音楽」再生における基本中の基本、最初の1歩です。最近は表面的で微視的な「オト」の「ナンチャラ感?」ばかりが取りざたされ、基本的な「音楽」再生が疎かにされる風潮にあるようで気になります。装置を製造する者は言うまでもなく、これを使う側もこと「オーディオ = 音楽再生」に拘りを持つのであれば、もっと「音楽」を大切に扱ってほしいな。ハチマルはそう思うぞ。

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