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2011年10月25日 (火) | Edit |
前の記事で、デスクトップシステムの左右スピーカ間の軸間距離をケロと同等に狭める事によって、大きな効果が得られたと書きました。また、これをきっかけにデスクトップスピーカの開発終結を考えるに至ったとも書きました。

それ以前の、ほぼ教科書通りの正三角形配置(1辺約65cm)で聴いていた頃は、ケロの聴きやすさに比べて微妙にもどかしさを感じ、一時期は片側のモノラルで聴いたりもしていました。モノラルで聴く場合、FrieveAudioでR/Lを単純にミックスして再生します。その時感じたのは、交響曲の場合、最初からモノラル録音された盤をモノラル再生しても当然問題を感じないのですが、ステレオ版をモノラル再生すると、どうもモノラル盤を聴くようには聞こえず、なにがしかの違和感を覚えました。ステレオ盤の場合、広い空間を表現するために、編集段階でなにか細工をしているのかもしれません。あるいは、ピンポイント ステレオではなく、距離を離した2本のマイクロフォンで収録したステレオ盤では単純にモノラル化すると問題が生じると聞いた事もあります(左右のマイクに音が到達するまでの時間が異なるため)。いつも思うのですが、音源が巨大な交響曲の再生は特別です。ステレオなんて中途半端な事するくらいなら、いっその事、居直って最初からモノラルで真面目に録音してくれた方が聞きやすいのではないかとすら感じます。フルトベングラなんかを聴いていると、これで録音の音質さえ良ければ十分ちゃう?という気がしないでもありません。

特にヘッドフォンで聴くとフルさんのモノラル盤の方がずっと聴きやすい。携帯電話+カナル型イヤフォンでフルさんを聴いたのがそもそもLEANAUDIOを始めるキッカケだけど、最近、改めて上等のヘッドフォンで聴くとフルさん(モノ)+ヘッドフォンは聴きやすいと思う。ステレオ盤をモノラルにして聴いても駄目なのよ。是非一度、最新技術で真面目に録音されたバイノーラル盤ベトベン交響曲を聞いてみたいものです。バイノーラルで録音しても左右の音は今のステレオソースみたいにはっきりとは異ならないと思うのよね。ほとんどモノラルと変わらないかもしれない。

さて、デスクトップシステムの方ですが、その後、ディスプレイ上方の正面に2本のSPを配置できるように仮設スタンドを作って、ケロの時と同様に左右の距離を色々変えながら聴いてみた結果、結局ケロと同じくらい(両耳の幅より少し広いくらい、30cm以内)で僕には具合良く感じる事が分かりました。で、ポチ型ボックスの底面同士を合わせてくっつけると、軸間距離が丁度ケロと同じ230mmになるので、これ幸いと手っ取り早く合体させて1本のスタンドで支持したのが現在のZAP君です。

この配置で約65cmの距離で聴いているのですが、左右の違いはホンノリと認識できます。交響曲も自然にほんのりと左右に拡がって聞こえます。スタジオ録音のジャズコンボもメンバーが左右に拡がり過ぎず、明らかに聴きやすいです。実際にライブで聴いている時って、余程前の方の席でもない限り、こんなもんちゃう?。という気もしないではない。というかその場では音の聞こえる方向(音場)なんか気にもしないし。。とにかく、この方が僕には圧倒的に聴きやすいというのは確かです。

以前にも書きましたが、これは、ステレオフォニック効果による擬似的な「音場」の「演出」が効き過ぎると、したくもない聴覚による空間認識を強要されて鬱陶しく感じるためだと思われます。音がほぼ正面前方から出てきてくれた方が、視覚とも一致し、ゴーストではない実体感のある音を聞けるので、音楽をを聴きやすく、また音楽に集中しやすく感じるのだと思います。また、2点音源による高域音の干渉の問題も当然弱まります(何もない真ん中にポッカリ浮かんだなんかシュワシュワとしたコソバユイ感じもなくなる)。このように、「音場感」とやらを余り重視しないのであれば、左右のスピーカを狭めに配置した方が、心理的にも物理的にも、音楽を聴きやすくなるのではないかなぁ。。。と考えるハチマルです。

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2011年06月07日 (火) | Edit |
Alpar 6Mを右側に2段重ねにしてモノラルで聴き始めて1週間が経ちましたが、基本的にステレオよりこちらの方が聴きやすいように思えます。なので、そろそろ前方正面にSPを設置できるようにスタンドを検討してみようかと考え中。

最初は右側SP1本だけで聴いていたのですが、せっかく2本あるのだからと、右側に縦2段重ねにして2つのSPでモノラル化した信号(両方で全く同じモノラル信号)を再生してみたところ、1本だけに比べて微妙に違和感を覚えました。微妙なんですが、1本だけの方がホンノリ良い感じがします。音源は干渉が生じないシンプルな方が聴きやすいという事でしょう。

しかし、馬鹿ブーストした場合の低域の振動板振幅を考えると2本にしたいところです(同一音量であれば、SP1本あたりの負担を半減できるため)。そこで、Frieve Audioのイコライザで片方のSPに-6dB/Oct (Fc=200Hz)のローパスを適用し、もう片方の低域を少し減衰させてトータルでほぼフラットになるように設定してみました。これにより高域音は1本のSPだけから出力され、低域音は両方のSPから出力されます。コイツがなかなか具合が良いので、以後ずっとこの状態で聴いています。

「臨場感」というヤツを重視しないのであれば、モノラルの方がエーンチャウ、ホンマニ。という感じ。フルオーケストラでも、左右に拡がらずに一方向から高密度でズドーンと来る感じがかえって良いような気もしないでもない(こっちの方がある意味リンジョーカンというか音に「実体感」あるんちゃう?)。正面に置いて聴いてみるのがタノシミ。

以前、馬鹿ブーストした時にマドンナのNothing Failsという曲で違和感を覚えるという事を書きました(コチラ)。実はこの時に、モノラルで聴くと違和感がなくなる事に気付いたのが、モノラルを真剣に試して見ようと思ったキッカケです。

追記
ステレオ ソースを単純にミックスしてモノラル化する場合、比較的距離を置いて設置された2本のマイクロフォンで収録されたソースでは問題が生じるとされます。これはマイクロフォン間で位相差が生じるためです(例: 右寄りの楽器音は右側マイクに先に到達する)。これに対し2本のマイクを近接して設置するピンポイントステレオ録音や、ミキサで左右に人口的に振り分ける録音方式では問題ないとされます。しかし、それを言い出すと、例えばオーケストラの各所に多数のマイクを設置して2チャンネルにミクスダウンする場合にも同様の事が問題となるような気もするし。どうなんでしょうかねぇ。これについてはまたの機会に考察してみたいと思います。

追記2
やっぱり、お部屋でスピーカーで聴くならモノラル。自然な(似非リアリティではない)ホールの反響感を求めるならヘッドフォンでバイノーラル。というのが落としどころのような気がするなぁ。。きっと、バイノーラルで聴いても、今のステレオ再生のようにはハッキリとは定位しないと思う。実際にホールで聴いている時ってソンナモンだと思うよ。だからバイノーラルにバーチャルなエンターテインメント性を求めるのではなく、ホールで聴く自然な聞こえ方を「音楽の一部として」楽しみたい場合には良いと思う。あくまでも「音楽」をより楽しむのが目的。そこに視覚的な似非リアリティあるいは聴覚による空間認識を追い求めても無駄だと思うなぁ。口のカタチやオーキサがドータラコータラや楽器の定位がアーシタコーシタなんちゅう聴き方をするとバイノーラルでは物足りなく聞こえるかもよ。だってさぁ。。ライブで聴いている時って、お姉さんの口の大きさを耳で聞きわけたり、楽器の定位がアータラなんて全く思いも浮かばないよねぇ。それとオンナジヨーに素直に聴けば良いのよ。スナオニ。


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2011年06月02日 (木) | Edit |
臨場感: あたかもその場に臨んでいるような感じ。(大辞林)

今日は「臨場感」について考えてみようかな。

オーディオに限らず、映画、TV、ゲームでもサラウンド音響に加えて3D映像による「臨場感」がやたらと叫ばれています。しかし、ハチマルには再生音楽や映画を鑑賞する上で「臨場感」とやらがそんなに重要だとは思えないので、どうも腑に落ちません。

極たまに映画館で映画を見ると、その音のデカサと演出の派手さ(重低音ってんですか?)に驚かされ、慣れるまでに暫く時間がかかります。なんでこんな派手な演出が必要なのか全く理解できません。最近はオマケに飛び出す画像ですか? 映画ってのはソモソモ、ペッタンコのスクリーンに映像を映し出して物語りを見せるものであって、仮想体験をするためのものではないと思うぞ。時に登場人物達(あるいは監督が伝えようとしたメッセージ)に深く感情移入し感動を受けますが、少なくとも僕は画面の中の仮想世界の中に感覚を置きたいなどと考えた事もありません。感情だけ置ければそれで良い(臨場感ばかりで感情を置けない映画が多いようだが)。台詞を字幕で追っかけてるのに仮想空間もヘッタクレモ無いし。。。そんなくだらん演出よりも、もっと丁寧に映画作らんかい! 金返せ! と言いたくなる鳴り物入り大作映画が最近多いような気もするぞ。。。

で、オウチで音楽を聴く際も、この「リンジョーカン」ってやつをトント求めた事が無いので、なんでソレがそんなにジューヨーなのか全く理解できません。CDやLPってのはオウチの自分のお部屋のスピーカーで音出して聴く事を前提に作られた媒体であるわけで、そもそも仮想体験を狙った媒体ではないわけで、そもそもそんなのは無理なわけで、目の前のスピーカーまたは耳に装着したイヤフォンから音が出てくるのは全くアタリマエで自然に受け入れられる現象であるわけで、そこに何のモンダイがあるというのか? そもそも生演奏を会場で体験するのとは全く異なる体験であるわけで、そこにソレと同じモノを求めても詮ない事なわけで、そもそも違うものの違についてアーダコーダ追いかけるよりも、ソレハソレコレハコレと受け入れて(というか普通の人は普通に受け入れている)、生で聴こうがスピーカで聴こうがイヤフォンで聴こうが変わりようのない部分(ソイツが最も重要な部分だと思うのだが)を素直に楽しんだ方がズーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーットお得だと思うぞ。。目の前のスピーカーから聞こえる音楽を聴いてスッゲー!と舞い上がったりズドーンと恐れ入ったりしているその瞬間が重要なのであって、それがリアリティなのであって、それこそが大切な実体験なのであって、それ以上を求めようもないし、それが何より大切だと思うのだが。。生で聴きたい時は会場へ行けば良い。と言っても、高い金払って生で聴きたいと思うアーチストはほとんどあの世だしなぁ。。。

追記
最近ずっとモノラルで聴いているのだが、ステレオってホンマノホンマノホンマノホンマニ必要なのか?ホンマのホンマのホンマに左右にSPが必要なのか?という疑問がますます強まっている(というモンダイについては僕が中高生の頃のオーヂオ専門誌で激論が交わされていたような記憶もある)。情報がシンプルになるためか気が散らずに聴きやすい。モノラルに耳が慣れてからたまにステレオに戻すとナンカチャウンチャウ?と不自然に感じる。そもそも普段気楽に音楽を楽しんでいるヒトは、スピーカーの真ん中なんかでじっと聴いてないし、スピーカーがやたら離れていたりくっついていたりするし、そんなだったらモノラルの方がずっと音楽聴きやすいのではないかと思う。ステレオなんかよりも低音をきっちりと気持ち良く聴かせてあげる事と高域の指向性を広くしてあげる事の方がどれだけ重要か。。家庭用オーディオ装置を根本から見直したくなってきた。

追記2
最近、フルトベングラのベトベン交響曲をオートグラフでモノラル再生して聴いてみたいとよく思うのよね。というのは交響曲をモノラルで上手に再生する方法というのがちょっとテーマかな?と。

追記3
映画はあまり好きな媒体ではないが、最近TVでパイレーツオブカリビアンを3週連続で放映したのをムスコが録画したので見たが、モノタリナイ。ワンピースの方がずっと面白く味わい深い。ワンピースをハリウッドで真面目に実写化した方がずっとオモシロイ作品ができると思う。大幅に変脚しても良い。ルフィーのゴムゴムの能力とかも無しで良い。あの物語の根本にあるルフィーと仲間達の魅力(作者のメッセージ)さえフィルムで表現してくれればそれで良い。監督さえ良ければSTAR WARSシリーズ(駄作エピソード2,3を除く)に匹敵するシリーズになると思う。それだけのメッセージを原作は持っている。全巻ご一読あれ。

追記4
お昼にTVを付けたらハンニバルをやっていた。これは僕としては珍しく入れ込んだ映画。といっても劇場で見たわけではなく出張中のビジネスホテルのケーブルTVで初めて見て衝撃を受けた。次の週も同じホテルに泊まったので再度見た。ストーリーもさることなががレクタハンニバルを演じた役者(アンソニーなんとかだっけ)、全体的な画像の色調階調等(西洋文明の裏側のドロドロした感じがよく表現されていた)、ツボにはまった。即原作も読んだがラストは映画の方がずっと良いと思う(こういうのは珍しい)。記憶に残ってたクラリスってもっと美人だったような気がするのだが。。あと吹き替えは最低だね。

追記5
映画ついでに。映画はあまり好きではないのでビデオ/DVDまで買った作品は少ない
STAR WARS (エピソード4、5、6)これはもうハリウッドというかアメリカが人類に残した偉大なる遺産でしょう、ブレードランナー(原作者FKディックの大ファンだがこの映画は良い、原作より良いかも)、ブルースブラザーズ、七人の侍、ローマの休日、イエローサブマリン、以上。。。。最近ムスコがSTAR WARS初期三部作のDVDを買えとうるさい。VHSプレーヤが壊れちゃったのよ。

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2010年08月14日 (土) | Edit |
今日は「音楽を聴くためのオーディオ装置」について少し考えてみたいと思います。

まずは、以前「一流音楽家のオーディオ装置」という記事で紹介した板の内容をピックアップしてみました。この板では、オーディオ趣味と思われる方々が主に「音場の再現性を求めるかどうか」という観点から、「音楽家が求めるオーディオ」 と自分達が求めるオーディオに乖離があると概ね結論付けています。ここで彼らは、この傾向を「音楽家」に特有のものであるかのように解釈しているようですが、僕はそう思いません。趣味道楽としてのオーディオには全く興味はなく、僕を含め音楽をマトモに聴くために道具としてオーディオ装置を求める「音楽リスナー」も傾向は同じだと思います。

以下、板からの抜粋です。この板での主な興味の対象は「パースペクティブ」(音場再現性)のようです。

<音楽家の傾向>
●先日あるクラシック演奏家のお宅でオーディオを聴かせて頂きました。正直きつい音だと感じました。こういうことは演奏系のお宅で何回か経験しています。それとまずパースペクティブというのは関心をお持ちでありません。

●仰せのとおりかと思います。したがって演奏家の選ぶオーディオと我々聴衆の求める再生音とは乖離があるのだと思います。

●クラシック音楽の録音を趣味にしていますが、演奏家よりホールの残響音のない録音をしてほしいの要望が多いですね。

●音楽家のお宅できちんとしたフリースタンディングでパースペクティブの豊かな再生をされているケースにこれまで出会ったこともありません。

●もちろんオーディオに深く傾倒されている演奏家もたくさんいらっしゃるでしょうが、私の知る限りでは(クラシックの演奏家ばかりですが)そういう方々はやはり音場感・空間表現にはほとんど関心を持っていないようです。

●ある演奏家の方は、空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っていると発言されています。それが正しいかどうかは別として(個人的にはこの発言自体には演奏家としての傲慢な思い上がりを感じていますが)、現在のオーディオの方向性と演奏家がオーディオに求めるものとが食い違ってきているということは無視できない要素かもしれません。
ハチマル>> 正に我が意を得たり。ゼンゼン傲慢ぢゃないと思いますよ。オーヂオマニヤの方が音楽に対してゴーマンなんじゃないのかな?

●以前にあるオーディオ開発者の方と一献させていただいたときに、その方から「音場感なんて言われているけどそんなもの必要なの?」と言われました。


<投稿者側の傾向>
○私のようにうさぎ小屋+でも自宅でコンサートを堪能している気分になるためにはオーディオは切実な問題で、部屋の響きやスケール、音場感(音の包まれ感等)は切実な問題です。演奏音のチェックなどは必要でなく、コンサート(ライブ)の疑似体験こそが我々リスナーが最重視する観点なのかと思います。演奏家とは例えば、低域の分解能が高く、音階がはっきり聞き取れるとかといった表現ではコミュニケーションしにくいです。音場感というものは皆目眼中にないようです。

○オーディオの面白さって、自分の考えではミニチュア模型の面白さなのですよ。音楽を聞くという行為とは違う部分もあります。


さて、以上を踏まえ、「再生音楽を聴く」という行為について考えてみます。

例えば、非常に興味深い内容のパネルディスカッションの録音を聴く場合を想定してみます。この場合、最も重要なのは、各パネラーの発言を明確に聴き取って内容を理解する事ですよね。パネラーには低い声の人もいれば、高い声の人もおり、声が大きい人もいれば、小さい人もいます。リスナーはそれらパネラー全員の声を明確に聴き取って討論の内容を追いかける事に努めます。この際に「あたかも目の前にパネラーがいるような」とか「パネラーの口の大きさと形まで目に浮かぶような」といった臨場感やリアリティは重要じゃないですよね。そんなのが過剰に演出されたら内容に集注できなくて鬱陶しいだけですから。

で、再生音楽を聴く場合も同じではないのかな。饒舌な語り口で聴衆を魅了するピアノ、絶妙のタイミングでツッコミや間の手を入れるドラムス、口数少なくて論調も地味だけど結局終始セッションをコントロールしていたベース。。。これらを楽しむのに臨場感とか音場の再現性って本当に重要なのかな? せっかく慎重に調整された音響環境で明瞭に録音されているのに、再生装置で過剰な臨場感とかライブ感とか演出されたら、楽器の音(声)が聴きづらくなってしまいます。媒体に録音された音をできるだけ余すことなく明確/正確に聴き取る方がどれだけ「音楽」に集注して楽しめるか。。音自体も結局これが一番自然で聴きやすいと思うんですけどねぇ。

上の板を見ていてもオーディオ趣味の方々には「再生音楽」を「ライブの疑似体験」として考える傾向が根強いですね。ヒョウーロンカとかザッシの影響?「口の大きさ/形がアータラコータラ」ってきっと誰かヒョーロンカが言い始めたんでしょ?「音場の縦の広がり」って左右にSPを配置するステレオ式で再現できるの?これもヒョウーロンカ? 「オーディオ装置とはそのようにタシナムモノ」というふうに画一的に思い込まされていませんか?僕にはザッシとかヒョーロンカに誘導されているように見えて仕方有りません。僕が中高生の頃に読んだオーディオ入門書では、ステレオ方式は正確に音場を再現できるものではなく、あくまでもモノラルより少し雰囲気を味わえる程度のものですよ、と易しく原理図入りで説明してましたけど。。専門雑誌ではステレオ化による弊害とかもクソ真面目に討論していたようにも記憶しています。

最後に。。「音楽聴くだけならトランジスタラジオで聴け」とか言うのは止めようね。コマケー音質は必要十分で良いけれど、可聴帯域のほぼ全域を正確に再生できるマトモな「音楽再生装置」が必要です。しつこいけれど。。

なんでオーヂオってこんな方向に進んじまったんでしょうか?「ステレオ方式」なんて中途半端なもん出さなきゃ良かったのに。

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2010年07月09日 (金) | Edit |
僕はステレオ再生をモノラル再生に対する「グリコのオマケ」程度にしか考えていません。この方式は原理的に「オウチで多少それっぽく音楽が楽しめるように」というレベルのものに過ぎないからです。もともと「音空間(音場)の再現」を目的としたものではありません。モノラル方式よりなんかちょっとエーンチャウ?という程度のものだと考えて良いと思います。僕なんか「ステレオ方式の最大のメリットは真正面にスピーカーを置かなくても良いというレイアウト上の利点にある」とすら考えています。

ところが、オーヂオ趣味に首を突っ込んでみて「コンサートホールを自分の部屋に再現」「ライブと同じ音圧で聴くのが理想」「あたかも目の前に奏者が浮かび上がるような」という音場の「再現」による「リアル感」「ライブ感」をこのステレオシステムに求めて拘泥している方々が多いという事に驚きました。まあ、このようなユーザのニーズに応えるためにメーカーはマルチチャンネル方式を開発したのだと思います。当然こちらの方が「音場の再現」という面ではステレオ方式より数段優れていると思いますが、再生場(部屋)の影響を受ける事に変わりはありません。恐らく最も現実的なのはバイノーラル方式だと思います。

それはさておき、
僕が常々不思議に思うのは『再生音楽を鑑賞する上で「臨場感」や「ライブ感」がそれほど重要なのか?』という事です。例えばマイルスの古い録音やフルトベングラはモノラルですが全く問題を感じません。別にモノラルでもエーンチャウ?というのが僕の率直な感想です。

たとえば映画を例にして考えてみましょうか。映画というのはリアル役者の演技をフィルムに記録して編集して2次元スクリーンに映し出される再生可能/複製可能な全くの虚構ですよね。人々はそれを虚構と受け入れた上で鑑賞する訳ですが、優れた映画は人々に大きな感動を与えてくれます。最近「臨場感」を出すために3Dなんてのが出てきましたが、これって「マァスゴイ!」ってちょっとしたエンターテインメント性が付け加わるだけで、映画本来の持つ本質的な表現内容にはゼンゼン重要じゃないですよね。しょせんは2次元の虚構なんだし、鑑賞者もそれを承知で見ているわけですから。。。映画=再生音楽、役者=奏者、演技=演奏、フィルム=CD、スクリーン=スピーカー、3D=ステレオ に置き換えてみてください。3D画像は「ステレオ」スコープと呼ばれ、ホログラムのように完全な3次元再生ではなく目の視差を利用した擬似的なものである点で、オーディオの「ステレオ」フォニックと原理的に似たようなものです。

現在主流のオーディオ装置は「録音した音を、再生場所の状態がどうであれ、そこに置かれたスピーカーで再生する」というだけの極めてシンプルなものです。ですから聴く側も「記録された音を自分のスピーカーで「余す事なくきっちり」と耳に届かせて素直に聴く」以外に何も求めようはありません。僕は音楽という芸術をオウチで鑑賞するにはそれで十分だと思います。「無い物」は求めずに「有る物」をできるだけ「余す事なくソノママ」受け止めれば良いのではないかと。もともとそのような意図で製作された媒体なのですから。

再生された音楽はリアル(現実)ではなくバーチャル(虚構)ですが、目の前のスピーカーから流れる音楽を聴いて感動しているその瞬間の体験そのものは、まごう事なき「現実」な訳ですから。その「現実」を大切にすれば良いわけで、端っからの「虚構」を無理矢理「本物っぽく」しなくても良いのでは無いのかなぁ。。。ヘンな事すると余計にヘンな事になると思うのですよね。ハチマルは。どでしょうか?

どうも「生演奏至上主義」的なあるいは「再生音楽を聴くという行為にまつわるコンプレックス」的な根深い信仰みたいなのが未だにあるのでしょうかねぇ。

ま、iPod世代にはそんな拘泥は全く無いでしょうから心配は無用だと思いますが。

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