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2012年12月03日 (月) | Edit |
今回はちょっと根本的なトコロを考えてみたいと思います。

オーディオ装置(音楽再生装置)にとって理想的な電気→音響変換方式とは?

電気-音響変換装置の代表がスピーカですが、最近はイヤフォン/ヘッドフォンが主流になりつつありますね。

スピーカにおいては、現在のところ一部の特殊なタイプを除いて殆どがダイナミック型であり、特に低音再生においては現実的にダイナミック型しか無いと言って良いと思います。ダイナミック型は振動板の往復運動(ピストニックモーション)によって空気を振動させて音を出すわけですが、これは多くの楽器が音を出す原理とは異なるため、理想的な方式とは言えないとする説もあります。今回はこのへんも含めて掘り下げて考えてみます。

まず、音はマイクロフォンによって電気信号に変換されます。これは大前提です。マイクロフォンで録音しない限りスピーカから音を出す事は一切でせきません。マイクロフォンは、ダイナミック型であれコンデンサ型であれ、一般的なスピーカに比べて非常に小さな振動板が音圧の変動を受けて往復運動(ピストニックモーション)する事によって音を電気信号に変換します。

マイクロフォンは、発音体(楽器等)の発音メカニズム(弦の振動であれ、胴表面の振動であれ、管の気柱振動であれナンデアレ)の如何に一切関係なく、空気中を伝播して到達した圧力波(音圧変動)によるダイアフラムのピストニックモーションを電気信号に変換します。ここで重要なのは、マイクロフォン信号は楽器そのものの機械的音響的振動形態を何ら直接的に反映しない(どんな仕組みで出た音であれ全て単なる空気の圧力変動として扱うだけ)という事と、空間内の1点とも言って良い微小領域での音圧変動だけを反映するという事です。

とりあえず単純化するために、1本のマイクロフォンで録音する最もシンプルなモノラル録音方式で考えてみます。
とある空間(ホール)のとある楽器からある所定の距離を置いて(例えば客席のドコカに)設置された無指向性マクロフォンで収録した音を、サイズも音響特性も全く異なる全く別の空間内(オウチのお部屋)に置いた1本のスピーカで再生し、リスナはスピーカから数m離れてスピーカからの音を聞きます。

マイクロフォンで捉えたホールのとある位置での音圧の変動波形(音)をソノママ リスナの両耳(モノラルなので)の近傍で再現できれば理想的です。マイクロフォンは無指向性ですから、ホールの残響音も全て捉えています。しかし、実際には、スピーカから離れた位置で聴くリスナの耳近傍にはお部屋の音響効果が相当付加された音が届きます。理想に近付けるには、部屋を無響室にするか、できるだけスピーカに近付くしかありません。また、マイクロフォンは振動板の極近傍の音圧変動だけを捉えるのに対し、スピーカは巨大な空間を励起せねばならず、また低音まで再生できるスピーカの振動板はマイクロフォンに比べて巨大であり、大概は複数のサイズの異なる振動板に帯域分割されるため正確に逆変換できません(マイクロフォンが捉えた音圧変動を周波数、時間、空間領域で理想的に再現できない)。

ここで重要なのは、スピーカを点音源と見立てて全方向に音を放射させたり、一部の楽器と同じような非ピストニックモーションで音を発する事では全くありません。

スピーカがやらねばならない第一のお仕事は、楽器からとある空間内の空気を媒体として届いたとあるマイクロフォン位置の音圧変動をできるだけ正確にリスナの耳近傍で再現(逆変換)する事にあります。それが正確に出来るのであれば、振動板がどのような形態で空気を駆動しようが、どっち向きに音を放射しようが関係ありません。繰り返しますが、弦楽器、管楽器、打楽器、電子楽器、人声等、千差万別のメカニズムで発せられた様々な音は空気中を伝播してマイクロフォンの微小振動板に到達し、その発音原理の如何に一切関係なく一様に振動板の往復振動によって電気信号に変換されます。スピーカのお仕事は、そのような電気信号を逆変換してリスナの耳近傍まで届ける(または耳近傍で逆変換する)という事です。

人間はマイクロフォンのダイアフラムと似たような構造の鼓膜の振動により音を検出します。鼓膜も発音体がどのような形態で振動していようが関係なく空気を通して伝わった圧力変動にのみ反応します。

しつこいですが、根本的に重要なのは、スピーカ自体の発音メカニズムを特定楽器の発音メカニズムに近付ける事ではなく、マイクロフォンで電気信号に変換された音圧変化を逆に変換してリスナの「耳」に正確に届ける事です。

スピーカ単独で楽器に近いとされる発音機構を目指しても、それは徒労に終わるでしょう。マイクロフォンが電気に変換できなかった音の現象は、どうやってもスピーカからは出てきませんし、ナンカ出たとするならばそれは「再生」ではなくタマタマ出たノイズ(または付帯音の一種)に過ぎません。例えば、超音波領域の音が本当に音楽再生にとって重要であるならば(超音波領域の音が音楽表現において真に意味を持つのであれば)、スピーカの再生帯域だけを拡げても意味はなく、マイクロフォンの帯域を拡大すると共にADCのサンプリングレートを高くしなければならないのと同じ事です。

もし、現在のスピーカからリスナーの耳に届く音が理想的ではなく、かつ理想に近付ける必要があると判断するならば、マイクロフォンで拾った音を理想的にリスナの耳近傍で再現するための努力が真っ先に払われるべきなのは当然です(LEANAUDIOでは専らこれに取り組んだ)。それが十分に達成されてもまだ足りないというのであれば、マイクロフォン(音響→電気変換部)あるいは途中の信号変換/伝達/増幅部を改良する必要があるでしょう。スピーカはマイクロフォンが拾えない現象あるいはマイクロフォンが拾っても駆動信号として伝わらない現象を決して正しく再生できません。ナイモンハナイというやつです。

再三申しているように、イヤフォン/ヘッドフォン再生はスピーカ方式に比べて圧倒的に高音質であり、バイノーラル録音方式は現時点において最も理想的で実用的な音および音場記録/再生方式であると言えます。ダミーヘッドの耳近傍の音を録音し、マイクロフォンと同等サイズの振動板(イヤフォン、ヘッドフォン)を使って、部屋の音響特性に一切左右されずに微小なパワーで、リスナの耳近傍(または内部)の非常に微小な空間だけで圧力変動を再現すれば済み、理想的な逆変換に近付ける事ができるためです(乱暴な事を言えば、録音に使ったダイナミック型マイクロフォンを耳穴に突っ込んで信号を逆に流すのに近い)。このため、各種の学術研究分野では一般的にバイノーラル方式が使われます(ステレオスピーカ方式は「再生」機構としては原理的にデタラメなので使えない)。

バイノーラル方式の立体的な音場再現性に耳目が集まり気味ですが、音楽鑑賞においては、音圧波形(音)そのものの再現性の方が僕には重要であるようにも思えます。ですから、ダミーヘッドによる厳密なバイノーラル録音は必ずしも必要ではないでしょう。マルチチャンネルからのミクスダウンでも良いから、ヘッドフォン/イヤフォンで自然に聞こえる処理をしてくれれば十分ではないかと思います。

この方式の問題点は、現在一般的に出回っている音楽ソースがヘッドフォン再生専用に制作されていない事と、装置を直接身に付けなければならない(長時間は鬱陶しい)という点にあります。前者に関しては、スピーカ再生用に作られたソースからヘッドフォン用に信号変換する良質なプロセッサが開発されれば、かなり改善されるでしょう。あるいは逆にヘッドフォン用にオリジナルソースを制作し、2チャンネルスピーカ用に信号変換する事も考えられます。マルチスピーカ(サラウンド方式)は音楽鑑賞用として普及するとはとても思えません(部屋に6本も8本もスピーカを置きたいと思う酔狂な人は少なかろう)。後者に関しては、耳近傍の空間だけを何らかの方法で安全かつ非接触に励起する画期的方法でも発明されない限り、当面はスピーカ方式に頼らざるを得ません。

スピーカ方式に関しては、ニアフィールド方式+密閉型スピーカ+デジタル信号処理の組み合わせにより、かなり理想に近付けられる事を当ブログで再三紹介しました。ただ、音場のサイゲンに関しては、現在のステレオ方式では、どうやっても所詮は駄菓子のオマケレベルに過ぎません。これも、DSPを駆使すれば、理論的にもっとマシなサイゲンが可能になるかもしれませんが、個人的にはそれが重要であるとは全く思えません。それよりも、ステレオ再生を必要と感じない多くのユーザ(部屋のアチコチで自由に聞きたいユーザ)がコスト効率の高いモノラル構成を選択できるようにする方が重要でしょう。ステレオってナニ?という人々にも無条件に2組のアンプとスピーカを強要して代価を支払わせているのが現状です。これは理不尽でしょう。今後ますますヘッドフォン再生が主流になるようであれば、ヘッドフォン用に理想的なオリジナルソースを制作し、スピーカではプロセッサを介して再生するといった方式が現実的かもしれません(ステレオスピーカ用に厳密な音場再現を求めてもソモソモ詮ない事なのである程度テキトーでよい)。僕は基本的にヘッドフォンはバイノーラルまたは擬似バイノーラル、スピーカはモノラルがベストだと思います。

最後に
スピーカは断じて楽器ではありません。それ自体が独自の音を発する物では無いという事です。システム最上流の入力変換装置であるマイクロフォンの逆変換を行うシステム最下流の出力装置(あるいはマシン-マン インターフェイス)です。この点を根本的に認識し尊重しないと進化の袋小路に突っ込むか無限グルグル魔境の虜になるのは必至でしょう。僕の経験では、変換装置として正しく機能すればする程、音は自然に(美しい音は美しく、汚い音は汚く)聞こえ、音楽がより聴きやすく、従ってより快適に音楽を楽しめるようになります。つまり、表現者が作品に込めたジョーカンたらナンタラもより楽に感じとれるようになるという事です。変換/伝達の過程にソーチ設計者なり鑑賞者の身勝手なジョーカンたらナンタラが過剰にブチ込まれれば、表現者本来のジョーカンたらナンタラは聞こえ難くなります。当然ですが。。。

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2011年05月19日 (木) | Edit |
人間は主に視覚と聴覚の組み合わせによって空間を認識すると言われます。また、これら2つの感覚は互いに補い合って機能するとされます。

聴覚は視覚よりも時間認識分解能に優れると言われ(であるからこそ、このように複雑で高度な音楽を楽しめる)、また一般的に聴覚の刺激に対する反応の方が速いとされます。これは情報処理量の違いによるものかもしれません。また、視覚は視野の範囲しか知覚できませんが、聴覚は全方向の音を知覚できます。これに対し、視覚は空間認識分解能に優れると言われます。聴覚よりも細かく正確に位置(方向/距離)の違いを見分ける事ができるという事です。この点で、聴覚は視覚に対して大幅に劣ります。

私達はこれらの感覚を上手に組み合わせて使用しています。例えば、森の中を歩いていて不意にどこかでガサッと音がした時、人はまず聴覚によって素早く反応し、音の方向を大まかに認識してそちらに眼を向け、眼をこらして正確な位置(距離と方向)と音の原因が何なのか(危険なのかどうか)を知ろうとします。

オーディオのステレオフォニック方式もサラウンド方式も元々は映画館用に実用化されたものであり、音(聴覚)と映像(視覚)の組み合わせによる臨場感の「演出」を狙いとしています。これらは正確な「空間」を再現する事を目的とするものではなく、あくまでも映像のショーアップを目的とするものです。ステレオ方式が導入された当初、馬が画面を左から右に横切ると、パッパカ音も左から右に移動するという事で、客も単純に喜んだのでしょう。最近では3Dですか。これも3D TVによって一般家庭に浸透しつつあるようです。

さて音楽を生演奏で楽しむ場合、ヒトは聴覚だけではなくその他の感覚、主には視覚と併せて体験しています。例えば、フルオーケストラのバイオリンの音は、はっきりとバイオリン奏者が見える方向から聞こえるような気がするでしょう。しかし眼を閉じてしまうと、聴覚の空間認識分解能は視覚に比べて大きく劣るため、その方向感覚は極めてあやふやになります。実際に眼を閉じて試された方から全く方向を認識できなかったという体験談も聞いた事があります。

恐らく、生演奏と同じ音場をどのように正確に再現したとて、視覚情報を欠いた(というかむしろ全く異なる視覚情報/環境条件を伴う)体験は実体験とは全く別物として感じられるでしょう。バイノーラルで録音して自宅でそのまま聴いてもなんだかモノタリナイと感じるはずです。むしろ、家庭で楽しむ事を前提にある程度演出された現在のステレオソースの方がリアルっぽく聞こえるのではないでしょうか(ソースは単なる記録ではないということ)。これをさらに無理矢理、実体験の輝かしい記憶/印象に近付けようとすると、果てしのない徒労となるばかりでなく、(視覚)情報の欠落分を聴覚だけで補おうとするあまりに(無理矢理リアルっぽくライブっぽくしようとするあまりに)、過剰な演出によって、本来の音楽再生が疎かになりがちです。また、幸運にしてあるソースでイメージ通りの聞こえ方が得られたとしても、ソースによって録音条件がマチマチであるため(マイクの位置とか分離とか残響時間等について規格はない)、他のソースでも良好に聞こえるとは限りません。このように現在のオーヂオ装置は「生演奏疑似体験装置」あるいは「音場再現装置」などではなく単なる「蓄音機」と言っても良い程度のものに過ぎません。しかし、再三申しているように、それは生演奏体験に準ずる低級な代替体験手段でもありません(また空間再現性が音楽を楽しむ上でさして重要であるとも思えない)。生演奏体験とは端から異なる、さらに言えば生演奏よりも高度な表現が可能ですらある音楽体験/音楽表現手段として、その独自の良さを素直に受け入れた方が、せっかくソースに記録されている貴重この上ない音楽作品をより深く楽しむ事が出来るはずです。

以前にも数回にわたってさる演奏家のコメント「空間表現の追求など不可能を無理して求めているだけであって失うものの方がはるかに大きい、そもそも現代のオーディオは完全に間違った方向に走っている」を取り上げましたが、その趣旨は概ねハチマルが上に書いたような事ではないかと思います。また、オーディオマニア達が、音楽家は概して再生音楽の空間再現性に無頓着であるという点において自分達の指向するオーディオとは乖離していると結論付けたお話しもご紹介しました(これも不思議な話で、逆に音楽に関してはドシロートの自分達の音楽との接し方の方が乖離していると真摯に受け止めようとしないのか?)。僕の個人的見解でもありますが「音楽のイチバンオイシイところはそんなところにはナイ」というコトだと思います。音楽を聴いていて、いまだかつてソコが重要だと感じた事は一度もありません。というか意識に登った事すらありません。

オーティオ趣味のイチバンオモシロイところはソコにアルという方もいらっしゃるでしょう。楽しみ方はヒトそれぞれです。どの分野でもそうですが、それがマニア、それが趣味というものでしょう。しかし、一方で業界全体としてそれは実用的音楽鑑賞装置の本来の用途ではないという事をしっかりと認識する必要もあるのではないでしょうか。一部のマニアックな傾向によってオーディオ装置の正常進化が阻害されてはなりません(正常進化とは根本的な音楽再生性能(やたらコマケー音質やナンタラ感ではない)の向上、コンパクト化、低価格化、利便性の向上等)。例えば鉄道マニアは、例えばクラシックカーマニアは、そしてそれらの関連業界および一般ユーザーはそんな事はアタリマエとして認識しています。現在のオーディオ業界の動向を見るに付け、そのあたりの認識が疎かにされているような気がしてなりません。

追記
僕は今、全盲の方の再生音楽に関する考え方、感じ方に凄く興味があります。もともと実体験から視覚情報が全く欠落しているわけですから、音だけの再生でもリアルに感じる事ができるのだろうか? バイノーラル再生が凄くリアルに聞こえるのだろうか? ステレオ再生音はどのように感じるのだろうか? リアル感やライブ感を演出するために響かせた音が果たしてリアルに自然に聞こえるのだろうか?等々。。。

追記2
あたかも眼の前に居るような、口のカタチや大きさが、ミニチュアのステージが目の前に展開するような等、視覚情報の欠如を音から補おうとする意識が伺えますね。これはオーディオを「趣味」とされる方々の特徴のようにも思えます。そのように聞こえるように(あるいは聞こえるような気がするように)装置を調整するのが楽しいという事なのでしょうか。僕はいまだかつてそのような事を思っても見なかったので、ちょっと驚きました。ステレオで初めて聴いた時、ポールの声が左右に移動するので、なるほどこれがステレオか。。と納得した後、ドーッテコトナイヤンと、現在に至るまでほとんどステレオ感を意識していません。ケロの実験中に、左右スピーカー間の距離を拡げてゆくと、ほんとに何もない空間にポッカリと音像が浮かび上がる事がありました。こういうのがオモシロイのかなぁ。とも思いましたが、僕には気色悪く感じて音楽に集中できないので、結局あのように狭いスパンを選択しました。マイルスが目の前に浮かんだらコワイし。。。ス、スンマセンデシタ!って逃げ出したくなる?

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2010年10月22日 (金) | Edit |
さて、何らかの方法でコンサートホール特等席の正確な音場を再現できたとして、果たしてそれで楽しくオウチで音楽が聴けるのでしょうか?

先に言っておきますが、僕個人は自分の部屋で再生音楽を鑑賞するに際して、音場感や臨場感を全くと言って良いほど重視しません。未だかつて、それが重要だと感じた事は一度もありません。逆に過剰に演出された音場感や臨場感には嫌悪すら感じます(だって、音楽が聴きにくくなるんだもん。。)。

3. 再生音楽における「音場感」について
そもそも僕は「再生音楽」を「生演奏の再現」を目的とするものとは全く考えていません。「再生音楽ソースとは自宅でスピーカーから発音して音楽を楽しむ事を前提とし、それに合わせて最適に録音された媒体である」というのが基本的な考え方です。原理的に無理なのを承知で何故ライブの音場(往々にして諸々の現実的制約から理想的な音響条件とは言えない状態)をわざわざ「再現」しなければならないのか全く理解できません。

演奏会場で聴いている場合は、目の前の絢爛豪華なオーケストラ、隣席の普段よりも入念に化粧して着飾った妻(息子が産まれて以来行ってないなぁぁ。。)、人々のざわめき、ご婦人方の香水の香り、休憩中に飲んだワインの心地よい酔い等々、聴覚だけでなく視覚や臭覚を含めて全身でその場の雰囲気を楽しむことができます(反面、だらしなくリラックスできないという欠点もあります。隣席の妻にチャントシナサイとしょっちゅう叱られた)。これに対し、再生音楽を聴く場合は専ら聴覚に頼らざるを得ません。また音響的な環境もコンサートホールとウサギ小屋では全く異なります。物理的、心理的、音響的に条件が余りにも異なり過ぎると言えます。演奏会ではホールの響きを心地よく感じたとしても、専ら聴覚に頼らざるを得ない再生音楽を、音響特性も全く異なり、雑多な物であふれかえる自分の部屋で聴く場合にも同じように心地よく感じるのでしょうか?。僕ならば再生音楽を聴く場合には、ライブの時よりも音楽そのものの音響クオリティの高さ(言いかえれば音楽の聴きやすさ)を重視します。だって「聴く」事しかできないんだもん。

例えば、臨場感とか音場感とかを重視するために、フルオーケストラをバイノーラル録音または2本マイク式ステレオ録音する場合について考えてみます。
この場合、たった2本のマイクで全ての楽器の音を明確に捉えなければならず、また個々の楽器音のバランスを調整する事もできません。ですから音響的に理想的なホールを選び、全ての楽器の音が最も理想的に聞こえる座席位置で録音する必要があります(果たしてそのような席は存在するのか?)。また、直接音に対して反響音の成分が増えるため、楽器音が相対的に聴きづらくなります。その場で生で聴く場合には、目の前にオーケストラが居て、視覚で指揮者なり興味のある楽器と奏者に意識の焦点を合わせる(演奏を目で追う)事ができますが、再生音楽では専ら聴覚に頼らざるを得ません。つまり、聴覚でしか楽しむ事ができない再生音楽では、その他の感覚も動員して体験するライブよりもトータルの情報量が少なくなります。これを補うために、反響音を控えめにして楽器音の細部を明瞭に録音した方が、オウチでは音楽をより楽しめるのではないかと思います(だからこそマルチトラック録音が多くの場合採用されるんですよね)。

録音時に近接配置した多数のマイクで収録して慎重にミクスダウンするという非常に手間がかかる手法を敢えて使用するのは、「オウチでスピーカーで再生した時により音楽が楽しめますように」という製作側のアリガターイ配慮です。「音場感」なり「音場再現性」を過剰に重視する余りに、再生音楽ならではの聴きやすさや生では得られない音響クオリティの高さを損なってしまうというのは、ハチマルとしては全く納得しかねますですネ。

で、ハチマル的結論としては
オウチで音楽聴くには、マルチトラックで録音して2chへミクスダウンする現在主流のステレオ録音方式で十分
というところですね。。。モノラルでもOKよ。
ただし
DSPでホールの反響とかの変なエコーを追加しないでネ
を付け加えたいと思います。

追記
もし現在もモノラル方式しかなかったとしたら。。。人々はオウチで音楽を聴くに際してそんなにホールの反響とか臨場感とかを重要だと思うんだろうか? そもそもステレオ方式はモノラル方式を2つ並べてテキトーに音を右と左に振り分けた程度のものに過ぎないワケで、たいして事情は変わらないと思うんだけど。

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