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2011年01月12日 (水) | Edit |
小杉英了著、シュタイナー入門、ちくま新書272 より抜粋

。。。。高級官僚と政界の重鎮、トップ企業のリーダーたちが、どのような思考をめぐらしたか、金融財政危機が現出した今日の状況を、考えて見るとよい。
また、「勝ち組」以外の大半の人々はどうかというと、あらゆる種類の「癒し」を求めて、思考力を萎えさせている。チャネリングからポジティブシンキング、アロマセラピからカウンセリングまで。
おおかたそこで流通する言説はここちよく(だって癒されたいんだもん)、誰にでも簡単に理解できるやさしい言葉で(だって癒されたいんだもん)、読んだり聞いたりするだけですぐに心から納得できる内容になっている。当たり前だ。彼・彼女らには、気前よく支払ってもらわなきゃならないんだから。
はたして、シュタイナーが思考を強調しすぎなのだろうか。それとも私たちが、人生のあらゆる局面において、真剣な思考を、なおざりにしすぎなのだろうか。


年末の大掃除で妻が古本屋に出そうとした中から本書を見つけた。え。この本、俺まだ読んでないよ、と譲り受けて帰省の新幹線の中で読んだが、骨太の内容で読み応えがあったし、自分なりのシュタイナーに関する理解と共感できる点も多かった。本書をいきなり読んでもアレだが、シュタイナーの著書を何冊か通読した後に読んでみるのは良いと思う。シュタイナーの主要な著作は今までに数回読み直した事があるが、まだ1/3も血肉として理解できていない(そりゃ当然、一生かかっても無理)。本書を読んだのをきっかけに、懲りずに再挑戦しているところ。

シュタイナーについては、そのうち何か書きたいと思うが、当分無理ムリむり。。。コチラを参照されたし。

追記1
シュタイナーが探求した分野は「オカルティズム」とされ、前の記事から「オカルト」繋がりになったが、この点においては他意はない。しかし上の抜粋記事の内容と当ブログの前記事の内容は密接に関連していると考えて掲載した。オーディオに限った事ではないが、昨今のやたら「癒し」を求める傾向には嫌悪すら感じる。ことに芸術は必ずしも肌(耳)触りが良く平明なものばかりではない。高みにある物になんとか近付こうと真摯に求めるのではなく、「癒し」にせよ過剰な「リンジョーカン」にせよ、分かりやすい卑近なレベルへ手っ取り早く引きずり下ろそうとする安易な傾向が見られないだろうか。また、装置の基本的な原理の解説/究明(理解するにはそれなりの努力を要する)をおろそかにし、やたら主観的/感覚的な麗句ばかりを並び立てる現在のオーヂオに通じるところがないだろうか?
なお、オカルト(occult)とは元来は「隠されたもの」という意味のラテン語に由来する表現であり、目で見たり、触れて感じたりすることのできないことである。そのような知識の探求とそれによって得られた知識体系は「オカルティズム」と呼ばれている。ただし何をもって「オカルト」とするのかについては時代や論者の立場等により見解が異なる(出典)。

追記2
使い方を誤りやすい表現「なおざり/おざなり」
「なおざり」は「おろそかにして放っておくこと」の意味。「おざなり」は「誠意のない、その場かぎりの間に合わせであること」の意味。どちらも「いい加減にする」という点では共通しているが、放ったままの「なおざり」に対して、「おざなり」はその場かぎりであっても何らかの対応を行うことを意味する点で使い分けに注意が必要(出典: ATOK)。
気を付けねば。。

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