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2013年11月09日 (土) | Edit |
さて、最終回です。

以前の記事で、主にアメリカ大陸における西洋音楽と黒人音楽の出会いによって最強のフュージョンが達成されたのではないか?と書きました。科学と同根である西洋音楽が、科学と同様に民族や文化を超えて全人類的に受け入れられやすい普遍的な要素を持つ事は容易に理解できます。では、黒人音楽の要素が何故このように全世界的に受け入れられるのでしょうか。

例えば、アンデスの伝統音楽とスペイン系の音楽的伝統がフュージョンして生まれたのがフォルクローレです。「コンドルは飛んで行く」が有名ですね。日本の演歌も、土着の民謡と西洋音楽のフュージョンですよね。世界各地には、そのような地域的なフュージョン音楽が多数存在するはずですが、黒人的要素ほど普遍的であるとは言えません。

主に北米で生まれた黒人系西洋音楽が何故にこのように世界中で普遍的に受け入れられるのか。。理由は、いくつか考えられます。人種のるつぼであり、あらゆる面で世界的に強大な影響力を持つ「アメリカ」という土地で発祥したという点も大きいでしょうし、無理矢理故郷から引き離され奴隷という屈辱的な状況に置かれた人々の母なる大地に対する望郷や悲しみや怒りの念が強いエネルギーを発したという点もあるでしょう。

しかし僕は「アフリカは人類発祥の地であり、全人類の故郷である」という事が、黒人的要素に普遍性をもたらす1つの大きな要因ではないかと考えています。全人類的土着性(ゲンショノキオク)を持つという事です。ゲンショノキオクをさらに遡れば、全生物的故郷である「海」に辿り付くでしょうが、アフリカは海よりもずっと身近な故郷であると言えます。

「すべての人類は、遠い遠い昔にアフリカに居たたった一人の女性からはじまった」というオハナシが話題になりましたよね。しかし、これは正しい解釈ではありません。創世記のイブのように、彼女1人から全人類が枝分かれしたわけではないという事です。

このオハナシの元になった学説は、「ミトコンドリアのDNAは必ず母親から子に受け継がれ、父親から受け継がれることはない」という事実に基づき、世界各地の人間のミトコンドリアDNAを分析した結果から、「すべての人類の母方の家系をたどると、約16±4万年前にアフリカに生存した一人の女性にたどりつく」という結論を導き出しました。つまり、自分のお母さんのお母さんのお母さんのお母さんの。。。。と、母系だけをひたすら遡って行くと、人間なら誰でも1人のアフリカ女性に辿り付くという事です。彼女は「ミトコンドリア イブ」と呼ばれます。

ミトコンドリアのDNAは女性にしか引き継がれないため、男の子ばかりで女の子が生まれなかったり、女の子が生まれても、その子が子を産む前に亡くなったり、男の子しか産まなかった場合、その母系のミトコンドリアDNAは途絶えてしまいます。これを全人類的に考えると、ミトコンドリアDNAの系統は世代とともに減少の一途をたどり、1つの系統に収斂するそうです。ですから、ミトコンドリアイブは、長い歴史にわたって女系が決して絶えることの無かった幸運な母という意味で、ラッキーマザーとも呼ばれます。

下は単純化した系統図です。
tree1.jpg
が女性、が男性を表します。2-Bがミトコンドリアイブです。
娘が生まれないと、ミトコンドリアDNAは次世代に引き継がれずに途絶えます。このため、系統の数は世代が進むと共に減少し、図では最終的に2-B(ミトコンドリアイブ)の系統だけが残っています。

例えば6-Dが自分だと考えてください。
tree2.jpgtree3.jpg
左図のように母系だけをたどると、2-B(イブ)に辿り付きます。6-Dだけでなく世代6のどこから遡っても必ず2-Bに辿り付きますね。これがミトコンドリアイブです。右図では、6-Dの全てのご先祖様に緑のマークを付けました。すると、世代2の全員が遠い親戚になります。つまり、何らかのDNA的繋がりを持つという事です。このように見ると、ミトコンドリアイブは統計的にラッキーであっただけで、それ以外に特別な意味を持たない、遠い遠い昔の親戚のオバチャンの1人に過ぎない事がわかります。

父系は、Y染色体を使って同様に遡る事ができ、やはりアフリカのオッサンに辿り着くようです。このオッサンは「Y染色体アダム」と呼ばれます。なお、ミトコンドリアイブとY染色体アダムが夫婦であったという事では全くアリマセンのでご注意を。。。

と言う事で、年代的には諸説あるものの、人類発祥の地はアフリカであるというのは、現在の学会でほぼ一致した見解であるようです。

下は、ミトコンドリアDNAの分析に基づく人類移動の図です。
800px-Migraciones_humanas_en_haplogrupos_mitocondriales copy

Y染色体で辿っても同じような結果になるようです。
image66 copy
人類はアフリカで生まれ、最終的に南米大陸の南端にたどり着きます。長い長い旅をしたのですねぇ。。


と。。。ジャズからは大脱線してしまいましたが、アフリカが全人類共通の故郷であるらしいという事がお分かり頂けたかと思います。

天を指向する傾向が強く理性的で人工的な西洋音楽と、地(ゲンショノキオク)の要素(全人類的土着性)を強く持つ黒人音楽という全く方向の異なる、しかしどちらも全人類的な普遍性を持ち得る2つの要素がフュージョンした結果生まれたのがジャズを始めとする黒人系モダンミュージックであり、さらに、そのような普遍性を持つが故に、黒人的音楽要素は現在世界中で親しまれているほとんどのロックやポピュラー音楽に少なからず含まれているというのが僕の結論です。

お疲れさんでした!

追記
ミトコンドリアイブとY染色体アダムに関しては、コチラコチラを参照してください。

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2013年10月19日 (土) | Edit |
昨日は、元自転車暴走族仲間で本格的山男でもある友人に、岩上り(フリークライミング)に連れて行って貰いました(飯能にある天覧山)。ボルダリング ジムは何度か行った事があるのですが、ジムの人工的な壁とは異なり、ホンモノノ岩はやはり格別でしたよ。大地というか「地球」にしがみ付いている感があって。母ちゃんの腕にしがみつく赤ん坊かもしれません。。。ほんとに素晴らしい体験をさせて貰いました。高さは10m近くあったと思いますが、ベテランにロープでしっかり確保してもらいながら登るので、昔やっていた自転車レースよりもずっと安全ではないかと思います。ちなみに、友人は自転車で2度大きな怪我をしています。昨晩は年甲斐もなくすっかり興奮してしまって、なかなか寝付けませんでした。今度は専用の靴を買って挑戦したいと思います。


さて、本題です。
アメリカの黒人達は、身近にあった西洋人の楽器を使って音楽を奏で始めるわけですが、彼らの深奥にあるアフリカの音階とは当然異なります。無理矢理引き離された恋い焦がれる本当の母ちゃん(アフリカの大地の)旋律を求めて、この違和感をなんとか埋めるべく、様々なコードを複雑に駆使するあのモダンジャズの「探求」が始まったのではないのか?と僕は勝手に考えています。

という事で、今回は僕達が最も身近に親しんでいる西洋音楽の音階について書いて見ますね。

僕達にお馴染みの音階は「12平均律」と呼ばれています。1オクターブを全く数学的に12等分(対数的に等分)した音律です(詳しくはコチラ参照)。ピアノの鍵盤も1オクターブの間に白黒合わせて12個ありますよね。F特でお馴染みの横軸対数のグラフに各音階の周波数をプロットすると、完全に等間隔に並びます。この音律はギリシャ時代に既に提唱されていたらしく、17世紀頃に西洋で広く定着したようです。

ただし、平均律では各音階の周波数の相互関係が正確に整数比にならないという問題があるため、古くから否定的な意見もあったようです。2つの音の周波数が整数比を成さない場合、理想的な和音にならない(モジュレーションが発生する)ためです。

このような問題はあるものの、平均律では全ての音階が全く一定の間隔で並ぶため(音階間の相対的関係は一定であるため)、移調や転調が極めて容易であるという大きな利点が得られます。つまり、どの音階をキーにしても、全く同じ旋律を奏でる事ができるという事です。平均律以外の音律では、この点で問題が生じます。

整数比をとる純正音程に対する12平均律の周波数誤差は、全音階でほぼ1%以内(最大1.02%)に収まっており、実用的にはあまり問題がなく、とても便利なので、広く使われるようになったという事でしょう。ですから、平均律の成り立ちはサイエンティフィックであると同時にエンジニアリング的(実用を鑑みたマァマァソコソコの妥協点)であると言え、一言で言えば人工的であるとも言えるでしょう。

しかし、通常は12の音階を全て均等に使うわけではありません(一部の現代音楽を除く)。
各地の民族音楽の音階は、我々人間の深いところに根ざす自然発生的な音階であり、人工的な平均率の音階とは当然異なります。西洋人も例外ではなく、元々は森にうごめき闇や獣の恐怖におびえた原始人であったわけで、12の音を均等に使った旋律では、心の琴線に触れる事はできません(なんかエーグアイには聞こえない)。ですから、自然と特定の音階を中心に使って旋律が作られます。

それがいわゆる「長調」と「短調」というやつですね。

長調は明るい感じ、短調は暗い感じ、と教わりましたよね(コチラ参照。音が聞けます)。
ピアノで「ド」から白鍵だけでミファソラシドと使うのが「ハ長調」と教わりました。一番オナジミのやつですね。
ピアノで「ラ」から白鍵だけでシドレミファソと使うのが「イ短調」です。「ド」から始める場合(ハ短調)は黒鍵を使う必要があります(ミとラとシを半音下げる)。
注: 上の単純な短調ではイロイロと不都合が生じるらしく、他に2つのバリエーションが存在します。

これが西洋土着の自然発生的音階に近いものなのでしょうか?。しかし、日頃すっかり聴き慣れているせいか、他の民族音楽の音階のように土の臭いが感じられないような気がします(泥臭くない)。西洋音楽というのは、土着性が大幅にそぎ落とされたがために、全人類的に受け入れられやすい普遍性を獲得したと言えるのかもしれません。その反面、失ったものもあるでしょう。それが僕の言う「地」の要素なのかもしれません。

次回は、アフリカ音楽とのフュージョンによって、西洋音楽に全人類的に普遍の「土着的要素」(つまり「地」の要素)が加わったのではないか?というオッハナシになる予定です。大詰めですね。オッタノシミニ!


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テーマ:JAZZ
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2013年10月08日 (火) | Edit |
さて、今回から、ジャズについて掘り下げて考えてゆきたいと思います。といっても、全く先は見えません。どうなる事か?

まず、西洋音楽について。。。
ここで言う西洋とは、ローマカトリックの支配権にあった地域を指します。ルネサンス以前の中世では、世界観や思想は教会によって厳しく規制されており、これに反する考えは異端とみなされて悉く罰せられました。コペルニクスさんの「地動説」もそうでしたよね。個人が自由勝手にこの世界を探索する事ができなかった時代です。そして、全ての知的/精神的活動は修道院で営まれました。これは後に僕達のよく知る「科学」や「芸術」に発展する1つの母体となりました。一方、もう1つの母体となるべき輝かしいギリシャ時代の知的遺産は教会によって異端とみなされ、当時の西洋からは放逐されていました。しかし幸いな事に、この遺産はイスラム圏で大切に大切に本当に大切に継承されていたのです。当時、西洋よりもイスラム圏の方が遙かに文化的に進んでいたようです。

そんな西洋も16世紀になると、「神さん(教会)の言わはる通り」ではなくて「自分達で(人間が)」「ホンマの事を(世界の仕組みを)」「知りたい」という衝動を教会が抑えきれなくなります。素直に世界を見てみると、教会の言う事に色々と矛盾がある事がわかってきたのでしょうね。地動説が良い例です。これが「ルネッサンス!」です。「ホンマの事を自分で知りたい!」という「知への渇望」がルネッサンスの基本的原動力だと言われます。

そして西洋の人々はイスラム圏に教えを請うてギリシャの知的遺産をオベンキョしなおし、「人間の理性」でもってこの世界を読み解こうとし始めます。イスラム圏はキリスト教圏よりも異教に対してずっと寛容であったようです。これが「科学」(Science)の起源です。「キリスト教 + ギリシャ文明 = 僕達の知る西洋文明」と言えるかもしれません。

ここで、コミック「のだめカンタービレ」の千秋が常任指揮者を務めるマルレオケのコンマス(シモンさんだっけ?)が団員達に語った言葉を再掲します。

「アンサンブルの神髄はハーモニー。要するに『調和』だ」
「この調和は古代ギリシャ時代の『ハルモニー』と呼ばれ、キリスト教社会になった時『神の作りたもうた世界は素晴らしい調和によって創造されている。その調和の根本原理は数の関係によって成り立つ』」
「それを探求することによって、調和の謎が解明でき、神の世界をより詳しく知る手がかりを得ると考えた」
「音楽の本質は『調和』にあるのだ。それを表現するのが真の『音楽家』なんだ」


実は、これを盗み聞きしたノッダメちゃんが、帰宅してから千秋にこの事を伝えます。これに対し、千秋は下のように解説します。

「それってポエティウスや、グイード・ダレッツォが言ってたことだと思うけど」
「1500年くらい前は、神の作った世界の調和を知るための学問が、天文学、幾何学、数論、音楽だったんだ」
「本来、音楽(ムジカ)とは、調和の根本原理そのものを指していて、理論的に調和の心理を研究することが『音楽』だった」
『理性の力によって作品全体に対し入念に音楽を判断できる人』を『音楽家(ムジクス)』といって、ただ音を歌ったり、演奏する人を『歌い手(カントル)』と言った」「『カンタービレ』の語源だよ」


西洋音楽は、神が創造したもうた世界の調和を「理性の力で」知るための学問として発祥し、天文学や数学と同じように扱われた。つまり「科学」(Science)と同根であるという事です。

ルネッサンスの原動力は「知りたい!」ですが、そのアプローチにおいては「人間の理性」の可能性に絶大な信頼が置かれました。いわゆる「ヒューマニズム」(人間中心主義)です。それまでの「神さん一辺倒」に対する反動かも知れません。人間の理性だけで世界の全てを知り得ると信じたという事です。今で言う科学万能主義に近いでしょうか。日本の歴史のように「神さんも人間も、分からん事も分かる事も、まぁまぁエーグアイに」と穏やかには事が進みませんねぇ。。。

しっかし、20世紀になると、まず芸術家達が「理性だけで世界を探求するのは無理とちゃう?」と気付いて行動を興します。ヨーロッパを主戦場とした人類初の世界大戦を経て、「人間の理性」を信じきれなくなったという面もあるでしょう。例えば、ピカソら画家達はアフリカの芸術(アニミズム)に強い影響を受けました。これは実は画期的な事で、それまで西洋人はアニミズム的土着文化を低く見る(蔑視する)傾向が強かったからです。さらに、芸術家達は、理性を解放した無意識の世界を探求しようとする一大ムーブメント「シュールリアリズム」を興します。音楽では、「原始主義」と呼ばれたストラビンスキーの「春の祭典」が初演され、楽壇をセンセーショナルな賛否両論の渦に巻き込みます。ルネッサンス以来の「理性信仰」への挑戦あるいは否定ですからね。この反響は凄かったらしいです。僕達にもっと身近なところでは、ビトルズでもお馴染みの、東洋哲学への傾倒やドラッグの利用によるサイケデリック ムーブメントがありましたよね。

第二次大戦を経て、ちったぁ賢くなった?僕達現代人は、科学で全てを知り得るあるいは解決できるとは誰も信じていませんよね。科学はとっても分かりやすくて強力だけど、この世界を極めて「限られた」観点または断面でしか見れない限定的専用ツール群に過ぎません。あ、と脱線しそう。。。。今回はジャズまで辿り付けそうにありませんね。

今回の結論として、
- 西洋音楽はキリスト教に深く根付く「天」を指向する音楽である事
- 「天」へのアプローチにおいて「理性」に重きが置かれたという事(Scienceと同根)
の2点が重要かと思います。

さて、次回はいよいよジャズにアプローチを試みます。
西洋音楽が「天」を指向するのに対し、ジャズは「地」を指向する。というオハナシになる予定です。オッタノシミに!

追記
ここに書いてある事は、まず何よりもビトルズ以来様々なジャンルの音楽を聴いてきた僕自身の実体験に基づき、「キリスト教」「西洋史」「芸術史」に関する僕の広くボンヤリとした頼りない知識から総合的に(半ばファジーに、直感的に)導きだした洞察です。正確性を期していません(学術的な裏を取っていない)。鵜呑みにせぬよう、お願い致します。クレグレモね。

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