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2012年02月29日 (水) | Edit |
今までジムでは殆どランとスイムしかやらなかったのですが、今年に入ってからウェイトトレーニングとストレッチをメインでやっています。

というのは、昨年末に家の片付けをした時に、以前まで簡単に箪笥の上まで持ち上げる事ができた箱を、なかなか持ち上げる事ができず、身体の衰えにショックを受けたためです。結局踏み台が必要でした。筋力だけでなく、肩の関節の可動範囲が狭くなっている事にも気づきました。ハチマルは現在52才。今までそれほど気にならなかった肉体の衰えが、はっきりと自覚できるようになったという事でしょう。

ジムでは最低限30分のストレッチと約30分のマシンレーニングをやり、元気な時は最後に約30分のトレッドミルかステップマシンをやるというのが最近のメニューです。週に3回か4回のペースでやっています。かれこれ一月以上続けましたが、昨日、自宅の風呂場で鏡を見て、上半身が随分カッコヨクなっているのに驚きました。お腹は割れてないですけどね。あと一月は続けるかな。。。最近全然泳いでいませんが、以前よりも速く泳げるようになっていると思います(下半身の筋力は人並み以上なのですが、上半身の筋力が女性並のハチマルは、プールでよく水泳に達者なオバーサンに煽られました)。

ストレッチは30分~40分くらい、時には1時間近くかけて、たっぷりとやります。独身時代は自転車レース(ロード)、結婚してからはマラソン(100kmも完走したぞ!)に随分入れ込んだので、自然と自分なりのストレッチメニューができています。ジムの広々としたストレッチエリアで、思いっきり手足を伸ばして、タップリと時間をかけてやるのですが、この時にイヤフォンで音楽を聴くのが最近のお気に入りです。

ストレッチは基本的にヨガと同じで、肉体的な効果だけでなく、精神的にも非常にリラックスできます。本当に気持ちが良いのですよ、これが。。呼吸もゆっくりと、深くなります。ゆっくりと、しっかりと息を吐き出すと、身体は普段よりも深く曲がります。ストレッチ中は、気持ちが良くて殆ど目を瞑っており、ヨガと同様に瞑想に近い状態になっていると思います。

で、このような状態で音楽を聴くと、普段部屋で聴くよりも、より深く「シンクロ」できるような気がします。時々、ポーズを取るのも忘れて、ただ仰向けに横たわって、身体も精神もフニャーと弛緩した状態で深く音楽に没入してしまいます(なので、気が付くと1時間近くストレッチエリアで転がっている事もある)。この状態では、もはや聴覚で聞いているという感じはしません。この状態を僕は「シンクロする」と呼んでいます。これが最も「音楽」を楽しめる状態であるように思えます。

最近ジムでは、ジャコさんとジミさんのコレクションをVictor製の携帯プレーヤにコピーして聴いていますが、彼らの入神の演奏を聴く時、僕も彼らに「シンクロ」して意識がしばらく飛びます。いわゆるトリップした状態です。もはや「音」は聞こえません。「音楽」だけが意識に流れ込みます。学生時代に下宿の枕元に置いたステレオラジカセでよくこの状態になりました。

中3でビートルズを体験して以来、学生時代はアート全般に深く興味を持ち、片っ端にいろいろなジャンルのアートにも触れました。また、写真を通して自ら「表現する」という事も経験しました。そのような体験を通して、アートに触れる際のコツとして「精神を弛緩させる(開放する、遊ばせる、freeにする)」事が重要であると気付きました。理性を後退させ、精神をフニャフニャのスポンジのように弛緩させるのです。言い換えれば、精神を出来るだけ「素直」な状態にするという事かもしれません。うまく言えないのですが、例えば絵画や写真を見ていても、視覚で「見ている」という状態から、シューーーっと「見ている」という意識が遠のく感じでしょうか? なんか意味不明ですが、ハチマル用語ではこれを「モードチェーーーーンジ」と呼びます。

この「フニャー」を身に付けてしまった僕は、クラシックのコンサートでも座席でフニャーとなるので、一緒に行った家内によく「シャントシナサイ!」と叱られました。でも、背筋を正して聴いても駄目なんですよ。ハチマルは。なので、曲が始まると程なく、フニャーとしてました。

「集中して聴く」とよく言われますが、実はこの「フニャー」が究極の「音楽」に集中した状態だと思います。「聴覚」に集中しても、それでは「音楽」の表層にしかアクセスできません。「聴覚」を越えた先に、真の「音楽を聴く喜び」「音楽の本質」「音楽の醍醐味」があるようにハチマルには思えます。「聴覚」はインターフェイスにしか過ぎず、楽しむべきは、そのインターフェイスを介して伝達される内容(すなわち「音楽の本質」)にあるという事でしょう。インターネットのコンテンツを見る際に、誰もインターフェイスの事なんか気にしないですよね。それと同じかもしれません。

普段のハチマルは仕事しながら音楽を聴きますし、学生時代もナニカしながら音楽を聴く事が多かったと思います。僕の身の回りの音楽愛聴者達も、大概手遊びにナニカしながら聴いています。この「ナガラ」というのは、不真面目なようでいて、「聴覚」に対する要らぬ意識を排除する(聴覚を忘れる)上で、効果的であるように思います。「集中」して聴いていないようでいて、実は表層的な「音」に下手に「集中」して聴くよりも、要らぬ「意識」や「理性」が邪魔をしないため、かえって「音楽の本質」にアクセスしやすいようにも思えます。ナガラする事により、「音楽」を「感じる」ココロの深い部分を、余計な「理性」や「意識」から開放できるという事です。

また、ナガラは長時間何度でも繰り返し聴けるという点でも優れます。「何度も繰り返す」というのは、語学学習と同じで、ある意味とても効果的です。これは生演奏では得られない、再生音楽ならではの長所であると言えます。ハチマルがジャズに目覚めたのも、中3の時に、受験勉強しナガラ、マイルスのKind of Blueを語学学習用ラジカセで無限にリピートして聴いたおかげです。ビートルズを一通りアホみたいに集中して聴きまくり、他のロックも聴いてみたけど大して興味を持てず、何か面白い音楽はないかと模索していた頃でした。ロックとクラシックは比較的聞き所が近いように感じたのですが、Kind of Blue (ジャズ)は聞き所がわからず、最初はチンプンカンでした。でも、何度もリピートして半ば無意識に聴いているうちに、突然「ガチャ」とジャズの鍵が開きました。その後、今に至るまでジャズは僕の最もお気に入りのジャンルとなりました。今振り返っても、貴重な瞬間だったと思います。また、ベースラインを基準に全体を聴くという癖が付いたのも、この時以来です。というか、この聴き方を見つけたからこそ、ジャズのオモシロサが分かったという事かもしれません。

再生音楽を聴く場合、「聴覚」以外の情報が完全に欠落するため、「聴覚」から意識を開放して「音楽の本質」にアクセスするには、ライブとは異なるそれなりのコツが必要なのかもしれません。ただ、幸いにもオーヂオザッシやヒヨウロンカの影響を受けずに、素直に再生音楽に接する自然な経験を積んだ一般音楽愛聴者達は、自分なりにそのコツを無意識に身に付けています(別に難しい事ではない。本当に「自分が」大好きな音楽を夢中で聴いていれば、意識しなくても自然に身につく)。ハチマルの「フニャー」や「ナガラ」もそのコツの一種でしょう。あ、それと「ストレッチしナガラ」も新たなコツですね。

目の前にオンガクという凄いゴチソーがあるのに、オンシツやオンジョーを過剰に意識する余りに「聴覚」に縛られ、そこから意識を開放して自由に遊ばせる事ができないのは、ハチマルにはとてもモッタイナク感じられます。

ハチマルは、音楽再生装置に対して、ソースに記録されている情報を、余計な事をせずに、できるだけ余す事なく、正確に、明瞭に、素直に「聴覚」というインターフェイスまで伝達してくれる事を第一に望みます。そこから先の「音楽の本質」へのアクセスは、ココロの領域だという事です。「音楽」を楽しむのは耳ではなくココロだという事です。
追記
インターネットも同じですよね。インターフェイスは、プロバイダが提供する全ての情報を、そのまま正確に端末の画面に表示(すなわち視覚に伝達)してくれなくては困ります。そうやって初めて、内容(コンテンツ)を完全に楽しむ事ができるようになります。

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